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2008/05/20のBlog
[ 21:03 ]
三田の隠れ家から車を10分ほど走らせると、丹波・立杭焼の郷がある。
道なりにずらりと窯元が並び、登り窯から立ち昇る煙がのどかな風情をかもし出している。
この陶の郷へ行くと、決まって立ち寄るところがある。市野英一さんの陶房である。出会った時市野さんは大学を卒業して2年目、自らの窯を開いて間もないころだった。父親(省三氏)も兄(元和氏)も陶芸家である。本人は絵描きになりたかったらしいが、大阪芸大に進んでやはり陶芸を専攻、卒業後父親の省三氏に師事して丹波焼を修業した。都会では築けない「登り窯」の魅力に執りつかれたという。
「ひとりで下ごしらえし、詰めて、焼いて出してましたから、よう友だちから”親父に手伝うてもろたいいやん”と言われました。けど、親父が焼いたら親父の窯になる。親父が主でぼくがサブになってしまいます。自分で焼けば失敗しても成功しても自分で納得できるでしょう」。ぼそぼそとした語り口の中にも、赤々と燃える窯火のような熱がたぎっているのが伝わってくる。
彼が日清食品がバックアップする「現代陶芸展」で最高の賞をとったのは36歳の時。今から10年前のことである。
魚網を使った「網目文鉢」は見事な作品だった。小魚をすくい上げる木綿糸でできたタモ網を使って完成させた英一オリジナル。その紋様は眺めているだけでホッとさせられる。しかし器は使ってなんぼの世界だ。
彼の作品展で手に入れた「網目紋様」の酒器は、わが愛用の逸物である。
丹波の古酒を熱燗で・・・ゆったりと味わいたい。
道なりにずらりと窯元が並び、登り窯から立ち昇る煙がのどかな風情をかもし出している。
この陶の郷へ行くと、決まって立ち寄るところがある。市野英一さんの陶房である。出会った時市野さんは大学を卒業して2年目、自らの窯を開いて間もないころだった。父親(省三氏)も兄(元和氏)も陶芸家である。本人は絵描きになりたかったらしいが、大阪芸大に進んでやはり陶芸を専攻、卒業後父親の省三氏に師事して丹波焼を修業した。都会では築けない「登り窯」の魅力に執りつかれたという。
「ひとりで下ごしらえし、詰めて、焼いて出してましたから、よう友だちから”親父に手伝うてもろたいいやん”と言われました。けど、親父が焼いたら親父の窯になる。親父が主でぼくがサブになってしまいます。自分で焼けば失敗しても成功しても自分で納得できるでしょう」。ぼそぼそとした語り口の中にも、赤々と燃える窯火のような熱がたぎっているのが伝わってくる。
彼が日清食品がバックアップする「現代陶芸展」で最高の賞をとったのは36歳の時。今から10年前のことである。
魚網を使った「網目文鉢」は見事な作品だった。小魚をすくい上げる木綿糸でできたタモ網を使って完成させた英一オリジナル。その紋様は眺めているだけでホッとさせられる。しかし器は使ってなんぼの世界だ。
彼の作品展で手に入れた「網目紋様」の酒器は、わが愛用の逸物である。
丹波の古酒を熱燗で・・・ゆったりと味わいたい。
2008/05/19のBlog
[ 14:42 ]
今日はわが家で生まれた2匹の猫の誕生日である。
「ぎゃあ~なにか黒いものが動いている~」と、家内が大声をあげたあの日から丸4年が経った。光陰矢の如し、猫用粉ミルクを溶いて哺乳瓶で与え、離乳食を作って食べさせたのがウソのように、今は元気に飛び回っている。ダンボールを重ね合わせて作った爪とぎはもうないが、登りやすそうな枝ぶりの木を切ってきてロープを巻きつけた木登り遊具は健在で、今も彼らの大切な爪とぎにもなっている。
柱やふすまなど、余計な場所を掻きむしったりしないし、トイレも専用の砂場以外では絶対しない。汚れがひどいと「早く掃除して」とせがんでくるくらいだ。食事前の「おすわり」や「待て」も覚え、白黒ハッちゃん猫の「こゆき」は、「持ってきてね」と約束しておくとお気に入りのぬいぐるみを運んできてくれる。日中はほとんで寝ていて、いるかいないかわからないほど静かだ。
先代の猫を受け入れてから、猫との生活はすでに15年を経過、犬派だった家内も今やすっかり猫派。仕事から帰るとダンナを差し置いて真っ先に猫に「ただいま」をいうほどだ。家主の了解を得て飼うようになったのだが、最近入居してきた家族から「猫アレルギーなので」と申し入れがあったらしく「ペット禁止」のチラシが配布された。室内から一歩も出たことがなく泣くこともまれで、近所迷惑にはならないはずだが、さすがにこの「禁止令」は無視するわけにはいかない。かといって、家族の一員である癒しのこどもたちを保健所に送ることなど絶対できない。
解決方法は一つしかない。
あからさまな猫嫌いの家は2軒あるとの情報を得たが、そこには共通点が2つある。
一つは「メリットがないから自治会には入らない」ということ。
二つ目は、道などで出会うと愛想笑いをしながら「猫なで声で」あいさつすることである。
今夜はバースデーケーキならぬ、バースデーカツオでも炊いてやるか。
「ぎゃあ~なにか黒いものが動いている~」と、家内が大声をあげたあの日から丸4年が経った。光陰矢の如し、猫用粉ミルクを溶いて哺乳瓶で与え、離乳食を作って食べさせたのがウソのように、今は元気に飛び回っている。ダンボールを重ね合わせて作った爪とぎはもうないが、登りやすそうな枝ぶりの木を切ってきてロープを巻きつけた木登り遊具は健在で、今も彼らの大切な爪とぎにもなっている。
柱やふすまなど、余計な場所を掻きむしったりしないし、トイレも専用の砂場以外では絶対しない。汚れがひどいと「早く掃除して」とせがんでくるくらいだ。食事前の「おすわり」や「待て」も覚え、白黒ハッちゃん猫の「こゆき」は、「持ってきてね」と約束しておくとお気に入りのぬいぐるみを運んできてくれる。日中はほとんで寝ていて、いるかいないかわからないほど静かだ。
先代の猫を受け入れてから、猫との生活はすでに15年を経過、犬派だった家内も今やすっかり猫派。仕事から帰るとダンナを差し置いて真っ先に猫に「ただいま」をいうほどだ。家主の了解を得て飼うようになったのだが、最近入居してきた家族から「猫アレルギーなので」と申し入れがあったらしく「ペット禁止」のチラシが配布された。室内から一歩も出たことがなく泣くこともまれで、近所迷惑にはならないはずだが、さすがにこの「禁止令」は無視するわけにはいかない。かといって、家族の一員である癒しのこどもたちを保健所に送ることなど絶対できない。
解決方法は一つしかない。
あからさまな猫嫌いの家は2軒あるとの情報を得たが、そこには共通点が2つある。
一つは「メリットがないから自治会には入らない」ということ。
二つ目は、道などで出会うと愛想笑いをしながら「猫なで声で」あいさつすることである。
今夜はバースデーケーキならぬ、バースデーカツオでも炊いてやるか。
2008/05/18のBlog
[ 07:03 ]
庭の奥の竹やぶに分け入り腐葉をまさぐると、たけのこが次々に顔を出した。手入れをしてないせいか少々やせているが、6つ7つと収穫した。さっそくわかめと炊きあわせ、そこらに新葉を吹き出している山椒をアレンジしたら高級料理屋の趣である。
採りたては美味、ここはやはり日本酒が合う。
孟宗竹に真竹、黒竹とはびこり放題でやっかいだが、いずれ間引いて竹林にし、伐採した竹は蔓ものの棚にしたり、竹垣に活用できたらいい。しかし竹は強い。
黒竹のエリアにもたけのこが芽を出している。鉢植えにしたいという料理屋や、庭に植えたいという希望者もあり、根っこから掘り起こす作業に挑んだがいやはや大変。生け捕りにするのは至難の業であることを思い知らされた。掘り進めていくと直径1cmぐらいの根が延々とつながり、縦横無尽に広がっている。剪定鋏では切れず、小さな鋸を隙間に入れてカットせざるを得ないのだ。
格闘すること1時間、ようやく数本を召し上げてとりあえずの植木鉢に鎮座させた。果たして根付くだろうか。体力勝負でいささか腰にきたが、これで根付いてくれなかったら涙の格闘技だったことになる。
黒光りする竹はそのまま眺めても美しいが、行灯などに加工しても美しい。
いずれにせよ隠れ家には竹工房も必要になりそうだ。
採りたては美味、ここはやはり日本酒が合う。
孟宗竹に真竹、黒竹とはびこり放題でやっかいだが、いずれ間引いて竹林にし、伐採した竹は蔓ものの棚にしたり、竹垣に活用できたらいい。しかし竹は強い。
黒竹のエリアにもたけのこが芽を出している。鉢植えにしたいという料理屋や、庭に植えたいという希望者もあり、根っこから掘り起こす作業に挑んだがいやはや大変。生け捕りにするのは至難の業であることを思い知らされた。掘り進めていくと直径1cmぐらいの根が延々とつながり、縦横無尽に広がっている。剪定鋏では切れず、小さな鋸を隙間に入れてカットせざるを得ないのだ。
格闘すること1時間、ようやく数本を召し上げてとりあえずの植木鉢に鎮座させた。果たして根付くだろうか。体力勝負でいささか腰にきたが、これで根付いてくれなかったら涙の格闘技だったことになる。
黒光りする竹はそのまま眺めても美しいが、行灯などに加工しても美しい。
いずれにせよ隠れ家には竹工房も必要になりそうだ。
2008/05/17のBlog
[ 06:21 ]
刈っても刈っても尻から雑草が生えてくる。この時期は庭木の手入れ時だが、芽吹いた草木の成長期でもある。イタチごっこの作業になってしまうが、といって放置できない。
10日ほど前に剪定をしたとき、モッコクとグミの木に囲まれたイヌツゲの枝陰に鳥の巣を発見、たまごが4個並んでいた。ひょっとしたらと、周辺の木々の剪定は手抜きをし、巣が目立たぬように残しておいた。
昨日のぞいたら、かわいらしいヒナが寄り添うように丸まっていた。ムクドリだ。そっと離れて遠巻きに観ていたら、親が舞い戻り「チ、チ、チ、チ」と声をあげている。
庭いじりをしていて、蛇やムカデの出現はごめんだが、鳥は大歓迎である。
ウグイスが庭のどこかにねぐらを構えているのは知っていたが、いろんな種類の鳥たちが集まっているのを意識したことはなかった。「ケ、ケ、ケ、ケ」と鋭い声を発する鳥、「チョットキテ、キテ」としゃべっているような鳥もいる。そのうち野鳥の会の人を呼んで鳥の正体を見極めてもらおうか。
しばし鳥の合唱に耳を傾ける。心地よいBGMだ。
おちついたらどこかに巣箱をしつらえてみよう。
10日ほど前に剪定をしたとき、モッコクとグミの木に囲まれたイヌツゲの枝陰に鳥の巣を発見、たまごが4個並んでいた。ひょっとしたらと、周辺の木々の剪定は手抜きをし、巣が目立たぬように残しておいた。
昨日のぞいたら、かわいらしいヒナが寄り添うように丸まっていた。ムクドリだ。そっと離れて遠巻きに観ていたら、親が舞い戻り「チ、チ、チ、チ」と声をあげている。
庭いじりをしていて、蛇やムカデの出現はごめんだが、鳥は大歓迎である。
ウグイスが庭のどこかにねぐらを構えているのは知っていたが、いろんな種類の鳥たちが集まっているのを意識したことはなかった。「ケ、ケ、ケ、ケ」と鋭い声を発する鳥、「チョットキテ、キテ」としゃべっているような鳥もいる。そのうち野鳥の会の人を呼んで鳥の正体を見極めてもらおうか。
しばし鳥の合唱に耳を傾ける。心地よいBGMだ。
おちついたらどこかに巣箱をしつらえてみよう。
2008/05/15のBlog
[ 16:28 ]
今、競泳用の水着が話題になっている。SPEED社製を着用した選手が自己記録を次々に更新し、世界記録も塗り替えているというので大騒ぎである。大阪のメーカーが「ならばやってやろうじゃないか」と新素材を開発し好評だという。
しかしポイントはやはり選手の才能である。
「いかに早く走るか、泳ぐか」で思い出したのはカーレースだ。昭和50年、今から33年前の話だが忘れられない思い出がある。
星野一義という男との出会いである。
当時カーレーシングの世界では高原敬武、高橋国光、生沢徹、鮒子田寛、米山二郎、津々見友彦、長谷見昌弘といった、蒼々たるメンバーがしのぎを削り、若手はスポンサードの問題もあり、なかなか割り込む機会がなかった。
そんな折、フォーミュラチャンピオンレースを手がけていた本多氏と飲む機会があり、「星野という速い男がいる。スポンサードして環境を整えてやったら日本一のレーサーになる。協力してくれないか」と持ちかけられた。当時カーキチだった小生は、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットへよく観戦に出かけていたが、モトクロスでは敵なし、下のFJ1300クラスでも強かった星野一義の名前は知っていた。
「よし星野に賭けてみよう」と、当時仕事で深いつきあいがあった西武セゾングループにかけあい、多店舗展開を目指して勢いのあった西友がバックアップしてくれることになった。資金援助をする条件として①優勝すること、②優勝したマシーンを指定する店頭に飾り、レーサーのサイン会を行うことを約束させられた。まさに賭けである。
こうして星野のFⅡ(F2000)のデビュー戦が決まった。
レース当日の富士スピードウェイは雨と霧だった。前日の予選で並みいる強豪を抑えてトップ、ポールポジションを得ていたが、微差である。前夜の星野は食事も喉を通らぬほど緊張していて、かける言葉も選べないほどだった。
レース本番、安の定出遅れて5番手に下がったが、周回ごとにぐいぐい追い込み、結局ぶっちぎりでチェッカーフラッグを受けたのだ。ピットで抱き合い、びしょぬれになるほどシャンパンをかけまくったことは言うまでもない。
その後も星野は活躍し、日本を代表するレーシングドラーバーになった。
今、星野一義の顔から当時の精悍な面影は消え、よき親父になっている。
カーレースはマシーンの性能が大きく左右するが、やはり最後はそれを操る才能に尽きる。
布切れ1枚にそれほど大騒ぎすることはない。
星野と一杯飲りたくなってきた。
しかしポイントはやはり選手の才能である。
「いかに早く走るか、泳ぐか」で思い出したのはカーレースだ。昭和50年、今から33年前の話だが忘れられない思い出がある。
星野一義という男との出会いである。
当時カーレーシングの世界では高原敬武、高橋国光、生沢徹、鮒子田寛、米山二郎、津々見友彦、長谷見昌弘といった、蒼々たるメンバーがしのぎを削り、若手はスポンサードの問題もあり、なかなか割り込む機会がなかった。
そんな折、フォーミュラチャンピオンレースを手がけていた本多氏と飲む機会があり、「星野という速い男がいる。スポンサードして環境を整えてやったら日本一のレーサーになる。協力してくれないか」と持ちかけられた。当時カーキチだった小生は、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットへよく観戦に出かけていたが、モトクロスでは敵なし、下のFJ1300クラスでも強かった星野一義の名前は知っていた。
「よし星野に賭けてみよう」と、当時仕事で深いつきあいがあった西武セゾングループにかけあい、多店舗展開を目指して勢いのあった西友がバックアップしてくれることになった。資金援助をする条件として①優勝すること、②優勝したマシーンを指定する店頭に飾り、レーサーのサイン会を行うことを約束させられた。まさに賭けである。
こうして星野のFⅡ(F2000)のデビュー戦が決まった。
レース当日の富士スピードウェイは雨と霧だった。前日の予選で並みいる強豪を抑えてトップ、ポールポジションを得ていたが、微差である。前夜の星野は食事も喉を通らぬほど緊張していて、かける言葉も選べないほどだった。
レース本番、安の定出遅れて5番手に下がったが、周回ごとにぐいぐい追い込み、結局ぶっちぎりでチェッカーフラッグを受けたのだ。ピットで抱き合い、びしょぬれになるほどシャンパンをかけまくったことは言うまでもない。
その後も星野は活躍し、日本を代表するレーシングドラーバーになった。
今、星野一義の顔から当時の精悍な面影は消え、よき親父になっている。
カーレースはマシーンの性能が大きく左右するが、やはり最後はそれを操る才能に尽きる。
布切れ1枚にそれほど大騒ぎすることはない。
星野と一杯飲りたくなってきた。