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鶯のさえずり
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2008/06/12のBlog
くちなしの蕾がふくらみを増し、気になっていたが今朝一輪ほっこり咲いてくれた。なぜ気になっていたかといえば、ここ数年オオスカシバという天敵害虫にやられ、気がつけば丸裸にされていたからだ。しかし今年は蕾もたくさんつけているので、ジャスミンのような香りとともに次々に顔を見せてくれるだろう。

「くちなし」といえば、つい渡哲也の「くちなしの花」を口ずさんでしまう。
 ~くちなしの花の~花のかおりが~旅路の果てまでついてくる~
 ~くちなしの白い花~おまえのような花だった
なんとも女々しい歌で、「くちなし」のイメージが固定されるようで好きになれない。
しかも歌っているのが渡哲也。彼は西部警察の総帥。長渕剛の大ファンで焚き火が趣味だと聞けばなおのこと「くちなし」とはミスマッチ。まぁそこが却っていいのかな。

三田の隠れ家方面に行くと、すぐ近くに三田学園というのがあるが、彼はそこのOBとして有名だ。なぜか淡路島から三田の高校へ進学し青山学院大学へ進んでいる。現在渡哲也は石原プロのボスだが、映画界で石原裕次郎の後継としてかぶって思い出すのは赤木圭一郎である。若くして事故死したが、どこか翳があり「和製ジェームス・ディーン」といわれた俳優だ。代表作は「霧笛が俺を呼んでいる」だったかな。しかしジェームス・ディーンはよかったなぁ。少年時代、隣のお姉さんに連れられて観にいった「理由なき反抗」なんて未だに脳裏に焼きついている。
「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」・・・その水野晴郎もこの世から去った。

くちなしの香りにほだされて、思わず連想ゲームになってしまった。
2008/06/11のBlog
むくつけき初老の男が美女にはさまれて悦に入っている。
ところは心斎橋、ホテル日航大阪の西側、天ぷらと大皿料理の店「若松」である。
ここの三代目、若き店主で料理人の堀越大二郎氏はれっきとしたミュージシャン。それもジェンベに魅せられ、アフリカ音楽にのめりこんでいるという変り種である。その経歴もすごい。冊子「ザ・おおさか」に紹介されている横顔をつまんでみよう。

中学に行ったのは入学式の1時間だけ。13歳のときアメリカインディアン復権のリーダー、デニス・バンクス氏と出会い、彼に連れられて渡米。インディアンの人たちと暮らす中で、シンガーとして舞台を踏んだり、メッセンジャーとして世界各地を歩き回ったり。そんなチャレンジ生活5年、18歳で帰国し今の店を継ぐが、月に10回くらいライブをこなしているという。
「店も舞台も、ぼくにとってはどっちもライブ、今の生活楽しいてしゃあない」と屈託ない。

昨秋、吹田市立博物館での「07EXPO70」が開催されたとき、アフリカ音楽をダンスとともに大いに楽しませてくれた。バンド名「ハマコンドー」にちなんで「またこんど~」と叫んでしまったが、7月27日の吹田まつり、JR吹田駅前で行われる「さんくす音楽祭」で演奏してもらうことになっている。「また今度~」が実現するわけだ。

酒よし、美女よし、肴よし。ホロ酔い気分で「また今度~」と相成った。
2008/06/10のBlog
少し深めの皿に水が張られ、楕円形の種がごろりと横たわっている。なんの球根なのか、キッチンの調理棚の一角で長いこと眠っていた。ジャガイモやニンジンなどを半切りにして水につけておくと芽がでてスルスルと伸長し、観葉植物と化すのは見たことがあるが、はてこれは何だろう?ひそやかな家内の楽しみか?

とりあえずプランターに埋め込み、にぶい反応に首をかしげながら、水だけは欠かさずやっていた。何週間も音沙汰なかったが、先日小さな芽を吹いたと思ったら、このところ日ごとに葉を増やしすくすく伸びている。少し赤味を帯びた葉も美しい。
「これって、なに?」
「アボカド」
「えっ、ア・ボ・カ・ド?」
うーむ、アボカドとは存じ上げなかった。この先いったいどうなるんだろう。もしかしてどんどん大きくなって収穫まで行きつくんだろか。ビワやスイカなど、食べた後の種を土のあるところに飛ばしておいたら勝手に生えてきた・・・という話は聞いたことがあるが、あの日に食べたアボカドの種とは・・・恐れ入谷の鬼子母神。

アメリカの寿司屋で「カリフォルニア巻き」といえば、アボカド・きゅうりにカニをはさみマヨネーズをたらして巻いたものだが、果肉がとろりとしていて、トロには程遠いがワサビ醤油で食すればマグロもどきの味わいもある。カロリーもバナナの2.5倍で蛋白質も豊富。バター不足の昨今、「森のバター」といわれるアボカドも捨てたもんじゃない。

観葉にとどめず、畑に地植えして栽培してやろか。
「ムリ、むり」と制止されると余計やってみたくなる。

2008/06/09のBlog
旧友のWさんとSさんが、時間がとれたので電気関係の総点検をしてくれることになり、早朝から器材を抱えてやってきてくれた。古民家というべき隠れ家の電気関係、スイッチやコンセントは概ね旧式でどうも使い勝手が悪い。とりあえずのタコ足配線も見栄えがよくない。すべて点検整理して新しいモノに替えてくれるという。ありがたい。

そんなわけで室内外の電気チェックは二人に任せ、こちらは一日庭師。
気になっていた松の手入れに取りかかることにした。面倒な松はどうしても後回しになってしまうが、この時期の「みどりつみ」と、11月末の「もみあげ」は欠かせない剪定作業である。
春先に伸びだした新芽は葉を伸ばし、まるでローソクの冠を戴いたようなすさまじい形状を呈している。これを一つひとつ基部から素手で摘みとっていくのだ。チクチク抵抗してきて一本仕上げるのに予想以上の時間がかかる。4本あるが皆後期高齢者の老松なので心静かに仕上げなくてはならない。

ここ数年放置していて伸び放題のタイサンボクも思い切りカットしてすっきりした。
切り落とした枝葉をエッチラおっちら運ぶうち、庭の隅に小山ができた。乾燥させて燃やし、灰は畑に撒かれることになるが、まずは楽しき焚き火の火祭りが行われるのだ。
そうこうしているうちに夕闇も迫り、電気屋さんの工事も無事完了、玄関先の誘導路に庭園灯を移動チェックして一日仕事は終わった。

しかしやっぱり腰にきた。こちらのスイッチも点検しなくては・・・。
2008/06/06のBlog
彼は42歳という若さで逝った。
死のベットの枕元から出てきた手帳には「絶望よ、わが熱き祈りによりて去れ」と書かれていたが、文字の一部分が落とされた水滴によって流されぼやけている。おそらく一るいの涙だったのだろう。
戦病死。軍医だった彼は、戦地でもらってきた病原菌がもとで倒れた。自らの病の進行をその手帳に詳細に記録していたが、当時の医学では対処のしようがなかったのだろう。そのことを自分が一番知っていたにちがいない。

陸軍士官学校を出て召応、第二次世界大戦が勃発すると同時に北支、満州へ出征したが、銃弾を浴びて負傷し昭和18年に帰国、しばらくの療養生活の後、千葉県・佐倉の陸軍病院へ院長として赴任した。終戦と同時に父母の疎開先である奥能登へ。無医村で困窮している状況を見かねて開業、往診に明け暮れる日々を過ごした。この診療所は今無人だが、村人によって未だに残されている。
昭和22年、川崎市で開業していた叔父に請われ一家を連れて上京、総合病院化に尽力し副院長として患者の信望を集めたが、6年後の昭和28年6月6日帰らぬ人となった。叔父と計画していた医科大学設立構想は紆余曲折を経て開花し、現在聖マリアンナ医科大学として多くの医師を輩出している。

大切にしている1枚の写真がある。昭和18年、伊豆の伊東で撮られたものだが、彼が負傷して戦地から帰還し、初めて息子と対面した記念の1枚である。セピア色の写真。裏に日付と陸軍大尉の署名がある。

父の命日。あれから55年が経った。