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近代詩探偵の事件簿
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2007/05/29のBlog
[ 03:44 ] [ 日本語 ]
坂井泉水は死ぬ松岡大臣は死ぬ、昨日は驚いた。

松岡大臣の自殺を聞いた安倍総理が「慙愧にたえない」と言われた。
どういう意味で使ったんでしょうね。
ザンキに堪えない」というのは、「恥ずかしくて仕方ない」という意味だけど、間違えたのかな?



何年か前、柳美里という作家が裁判で負けたことがあった。
そのとき柳さんが原稿を読みながら「慙愧に堪えない」とコメントしたのは、びっくりした。
アレは明らかに間違えてましたね。
プロの作家が、原稿を読みながら間違えちゃあまずいだろう。



夏目房之介さんに『風雲マンガ列伝』(2000年、小学館)という著書がある。
なかなか良い本なんですが、一箇所気になったのが、石ノ森章太郎を追悼した文章(156ページ)。

でもね、やはりちがうんですよ。限界がある。今でも監督や小説家の夢はあるんです」
そんなふうに語られた。一種の「挫折」があったのが70年代だったのだ。
そのときの口調のなかに、石ノ森さんがまだご自身の転換を完全には受け入れられていない、ある種忸怩たる思いを感じた


この「忸怩たる」は、どういう意味だろう。多分「くやしい」という意味で使っていますよね。
「ジクジたる」も本当は、「恥ずかしい」という意味です。
2007/05/28のBlog
[ 07:29 ] [ 映画・テレビ ]
反乱といえば、「皇帝のいない八月」という映画があります。



東北地方で、警察がマシンガンで襲われる。ヤクザの抗争でも左翼の過激派でも、そんなことはしない。
鹿児島に帰省していた自衛官(三國連太郎)の元にも、緊急事態を知らせる通知が届く。
三國には、福岡に住む娘(吉永小百合)がいるのだが、五年前から勘当状態である。
福岡を訪ね、娘と語り合う三國。どうやら彼女の夫が、今回の事件に関係があるようだ。
(吉永小百合は和服なんか着ちゃって、おしゃれである。安アパートのくせに)



たまたま福岡には彼女の昔の恋人(山本圭)も来ていた。
不穏な雰囲気のなか、山本圭は東京行きの特急「さくら」に乗り込む。同じ列車に吉永小百合も。
実はこの日、各地で自衛隊が反乱を起こし、この「さくら」も吉永小百合の夫(渡瀬恒彦)を中心とする反乱軍によって乗っ取られる手はずになっていたのだ。
渡瀬恒彦はかつて三國の部下で、五年前にクーデターを企て、そのときに強引に吉永小百合を奪ったという過去がある。クーデターは失敗、事件はもみ消され、そのために吉永小百合は父親から勘当されたらしい。
反乱軍は列車に爆薬を仕掛け、乗客・乗員を人質にして進行。要求は、右翼の大物政治家である大畑(佐分利信)を中心とする政権を作り、憲法を改正し「天皇を中心とする国家を築くこと」である。

ここで違和感。こういうときは「天皇陛下を中心とする・・・」と言うべきだと思う。

しかし同時に蜂起するはずだった各地の自衛隊は、佐橋内閣のもと次々に武力鎮圧され、残る反乱軍は「さくら」を乗っ取ったこの部隊だけになってしまう。

ちなみに佐橋総理のモデルはもちろん佐藤栄作。大畑のモデルは多分、岸信介。
本当の佐藤・岸は兄弟なので、そう思ってみると何か奇妙である。



要求が聞き入れられない渡瀬は、ついに人質である車掌を射殺。これに反発した部下と抗争状態になり、同時に政府軍も投入される。列車は爆破され、銃撃戦の中吉永小百合らも落命。その頃、大畑も毒殺されていた。
政府はマスコミをあつめ、脱線事故として真相を闇に葬る・・・。

緘口令を食らったマスコミ関係者が「これが民主主義の国かよ!」と嘆くのですが、今なら携帯電話もインターネットもあるから、絶対に口止めできないですよね。
そういう意味では良い時代になったの、かも?



1 なんか列車が乗っ取られたみたいなんですけど・・・。

2 2get

3 >>1 クーデターキター!!
2007/05/27のBlog
[ 10:07 ] [ 映画・テレビ ]
しかし「白鳥」といえば、リハウスしてきた白鳥麗子である。



宮沢りえ主演「ぼくらの七日間戦争」という映画があります。
原作の解説を読んで知ったのですが、この映画に出たときの宮沢りえは、特に女優になりたいというのでもなく、中学時代の思い出として映画会社に名乗り出たらしい。
とりあえず宮沢りえはスタイルが良くてかっこいいです。こんな中学生は、滅多にいません。



映画の冒頭、遅刻しそうになって、工事現場の通行止を、障害物競走の要領で飛び越えてゆく宮沢りえ。
しかし工事現場のアレは、足をひっかけて転ぶと大怪我をするから、あんなことをしてはイケナイと私は思う。

彼女は危ないところで校門が閉まるのに間に合う(神戸で校門死亡事故が起こるのは、この2年後)。
1時間目の学校では、校長が生徒を集めて、教員と生徒の信頼関係がいかに大事かを説いている。
ところがそのころ生徒不在の教室では、教師がこっそりと生徒の持ち物検査を・・・という、判りやすい管理教育批判。
原作の宗田理さんは、管理教育で悪名高い愛知県の出身でした。

かくして学校に嫌気がさした生徒たちは、家出をして闘争を開始する。



当然、この反乱は大人たちによって鎮圧されそうになる。ところがたまたま中学生たちは戦車を発見し・・・。
小説の解説によれば(すみません、本文は読んでません)、原作に戦車は出てこないらしい。
当然そのあとの花火の場面も、小説には、ない。
まぁ普通、そのへんに戦車が落ちてたりはしないよなぁ。
2007/05/26のBlog
[ 00:01 ] [ 歴史・地理 ]
途中で挫折して最後まで見ていない映画も本も多い。
たしか映画「ダヴィンチ・コード」に、ミトラ神信仰と、キリスト教の聖母子像が似ていることを指摘する場面があったと記憶します。
(記憶違いかも知れない。あまり一所懸命に見てなかったので)

このミトラ神信仰が、東洋では毘沙門信仰になったと説くのが、宮崎市定『自跋集』(1996年、岩波書店)。
そういえばミトラとビシャモンは発音が似ている、ような気もする。



宮崎市定は高名なシナ学者(この人は「中国学者」というより、こう呼んだほうがぴったりする)。
大正・昭和・平成の三代にわたって研究をつづけた。
岩波書店から全集が出、それぞれにあとがきがある。
このあとがきが、のちに一冊にまとめられて『自跋集』という書物になった。面白いですよ。



京大出身の宮崎市定は、東大の津田左右吉や白鳥庫吉に対しては点が辛い。
津田左右吉の『論語と孔子の思想』を評していわく(69ページ)。

津田博士の専攻は本来は国文学で、白鳥博士の影響を受けて中国学に関係を持つようになったと言っても、それが本来の国文学を上回るほどとは思えない。
実際にその『論語と孔子の思想』を読んで見ても、ここぞと思われる箇所は発見しにくい。
この書は、殆んど何も新しいことを教えない


もっとも、京大の吉川幸次郎のことも、内心さほど評価していなかったのだろうけれど。



あるいはまた、漢代にシナの使いがローマ帝国に赴いたという記録が残っているのですね。
このとき接触したローマの地名をめぐっても、宮崎市定と白鳥庫吉は対立した。
宮崎氏の論文は「条支と大秦と西海」。『自跋集』に、こう書く(346ページ)。

若しも世間の人が、私の書いたものの中にも優れたものがあることを認めて下さるならば、私自身の立場としてはこの小論文を、生涯の傑作として持ち出したい。
(略)
言おうとしている事柄は、誠に素晴らしい内容なので、若しこれがそのまま通るならば、『白鳥庫吉全集』のうち、第七巻『西域史研究(下)』の大半は無用の長物に帰するのだ。


うーむ。「誠に素晴らしい内容」ときたか。笑。
2007/05/25のBlog
[ 00:13 ] [ 歴史・地理 ]
高島俊男『座右の名文』で、10大名文家の一人に選ばれたのが、津田左右吉。
津田左右吉ねぇ。
昔この人の『文学に現れたる国民思想の研究』というのを読みかけたが、全然なかみを覚えてないなぁ。



津田左右吉とは何者か。高島氏の説明によれば。

津田左右吉はなんの学者か、といえば歴史と思想の研究家である。
この分野で大きな業績をあげた。昭和二十四年には文化勲章ももらっている。
けれども生涯、どこの研究家の仲間にも入れてはもらえなかった。
一人で勉強して一人で教授になって、ひとりで授業をした




どこの仲間にも入れてもらえなかった津田左右吉ですが、多少の因縁があるのが、白鳥庫吉。

白鳥庫吉にはゴーストライターとしてとりついていた。当時の白鳥庫吉は学習院の教授で、のち明治三十七年には東京帝国大学の史学科の教授になっている。
いったいどうしてこれが天下の帝国大学教授になれたのか、と思うほどで、著書も論文もたいがい津田左右吉に書かせたらしい。


笑。白鳥は全集も出ているのですが、ひどい話である。