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2008/03/23のBlog
[ 23:57 ]
[ 大学生活 ]
とある古着屋が閉店するそうで、袋の代金を払えばそれに詰め放題という旨のメールが届いた。で、昨日地下鉄に乗ってそこへ買い物に行ったのであった。場所は地下鉄西18丁目付近でした。この辺は、札幌医大があり北星学園があり、ちょっと学生街みたいになっていて、歩いていると楽しい。ごはんやには少ししか入ったことないけれど。それにわりと円山にも近いせいかどうか全く知るところではないけれど、ケーキ屋さんとかパン屋さんがある。美味しそうである。天気も良いし、久々の散歩を楽しめた。でも、目的の古着屋がわからなくてちょっと迷ってしまった。
やっと横断歩道の先に店を見つけて、信号を待っていたら、ゴマすりトトロがやってきました。なんともばったりとした邂逅である。さすが幹事だけあって、何もしなくても集合できるのである。目的と時間が同じだったので、ちょっとびっくりしました。
明日は学校に行って、撤去され始めているであろう先生方の本棚をできればパクってこよう。
あと、この前の追いコンで登場したセレブの年齢が、母親と全く同じだと思いなんともいえない気持ちになり、考えただけでセクハラ被害をこうむった。
もう少し、学校始まる前に散歩をしよう。琴似の古書店をまわる必要性がある。
そろそろ春休みモードを転回して、いつもの変な文章でも書こうかなと思うけれども、まぁべつにそんな事する必要性もない。
やっと横断歩道の先に店を見つけて、信号を待っていたら、ゴマすりトトロがやってきました。なんともばったりとした邂逅である。さすが幹事だけあって、何もしなくても集合できるのである。目的と時間が同じだったので、ちょっとびっくりしました。
明日は学校に行って、撤去され始めているであろう先生方の本棚をできればパクってこよう。
あと、この前の追いコンで登場したセレブの年齢が、母親と全く同じだと思いなんともいえない気持ちになり、考えただけでセクハラ被害をこうむった。
もう少し、学校始まる前に散歩をしよう。琴似の古書店をまわる必要性がある。
そろそろ春休みモードを転回して、いつもの変な文章でも書こうかなと思うけれども、まぁべつにそんな事する必要性もない。
2008/03/22のBlog
[ 22:05 ]
[ 大学生活 ]
題名のとおりである。俺はメイドに萌えないのだ。しかし明日はどうだろうか。わからん。
じゃ、今から『エマ』読んできますね!
じゃ、今から『エマ』読んできますね!
[ 06:09 ]
ええと、一昨日は日本史学研究室四年生その他を送る追いコンであった。私は幹事であった。参加人数は50人。
お店に行ってみると、座敷で雰囲気は良かった。お店の人が丁寧に対応してくれて良かった。大きいところだとそれが普通なのかな?適当に盛り上がる。南部先生から無茶振りが来た。ま、全体的には上手く行っただろう多分。南部先生の挨拶は予想通り過ぎであった。とりあえず、井上先生が来てよかった。神出鬼没過ぎて連絡が取れないのである。携帯電話もメールもない。自宅はあるので自宅に電話した。
二次会。社会人院生・社会人の相手。強烈な人が二人。ロサエビーナとセレブである。私は別に大人の人の話を聞くのは嫌いではないので良いんです(大人がなんか喋ってきたり口出ししたりして、うざいとか思ってしまうと、そのうち他の要素、例えば後輩や同輩にも何かの理由でうざいと思うなど、否定的な感情を抱いてしまう事になるかもしれない。そんなことを恐れているのである)。そういえば幹事なので、あまりお酒を飲まなかった。でもエビーナに飲まされてしまった。
三次会ではセレブが暴走してきてDVの被害をこうむった。三次会はカラオケである。メンバーは先生と社会人と助手さんと院生の方方であった。適宜歌う。セツナレンサとか若者の曲は自重した、笑こういうときは実際どんな曲を歌っていいかわからん。歌謡曲ばっかり歌っていた。ま、好きな曲歌えたから良いんだが。美空ひばりを歌うのを忘れていた。越後獅子の唄。
その後肉ちゃーを食って帰った。
全く、無事に終了したのは幹事長ゴマすりトトロ様の御蔭である。手際が良すぎる。わざとに手際を良くしているとしか思えない。助かりました~
これで忙しくて、サークルの新入生歓迎のビラについて着手できていないのでそれを頑張れなくてはならない。前段階の準備というか、構想、原案は後輩や偉大な滝川の人がやってくれた。感謝。もうわざとに感謝させようとしてるとしか思えない。ビラ以外の計画もやらなくてはならん。
そういえば、追いコンの日と時を同じくしてレポートの締め切りであった。私は早くから準備できない体質なので、昼間に仕上がった。わざとである。これどんなの書いたかあまり覚えていないし、自信がない。出せたから良いんだけど。
今後は卒業式の準備を手伝い、あとは個人的にやることを為すのみである。読書も再開だ。というわけで、私には珍しくちょっと急がしい日々を過ごしていたので、わざとにブログを更新なかった。
お店に行ってみると、座敷で雰囲気は良かった。お店の人が丁寧に対応してくれて良かった。大きいところだとそれが普通なのかな?適当に盛り上がる。南部先生から無茶振りが来た。ま、全体的には上手く行っただろう多分。南部先生の挨拶は予想通り過ぎであった。とりあえず、井上先生が来てよかった。神出鬼没過ぎて連絡が取れないのである。携帯電話もメールもない。自宅はあるので自宅に電話した。
二次会。社会人院生・社会人の相手。強烈な人が二人。ロサエビーナとセレブである。私は別に大人の人の話を聞くのは嫌いではないので良いんです(大人がなんか喋ってきたり口出ししたりして、うざいとか思ってしまうと、そのうち他の要素、例えば後輩や同輩にも何かの理由でうざいと思うなど、否定的な感情を抱いてしまう事になるかもしれない。そんなことを恐れているのである)。そういえば幹事なので、あまりお酒を飲まなかった。でもエビーナに飲まされてしまった。
三次会ではセレブが暴走してきてDVの被害をこうむった。三次会はカラオケである。メンバーは先生と社会人と助手さんと院生の方方であった。適宜歌う。セツナレンサとか若者の曲は自重した、笑こういうときは実際どんな曲を歌っていいかわからん。歌謡曲ばっかり歌っていた。ま、好きな曲歌えたから良いんだが。美空ひばりを歌うのを忘れていた。越後獅子の唄。
その後肉ちゃーを食って帰った。
全く、無事に終了したのは幹事長ゴマすりトトロ様の御蔭である。手際が良すぎる。わざとに手際を良くしているとしか思えない。助かりました~
これで忙しくて、サークルの新入生歓迎のビラについて着手できていないのでそれを頑張れなくてはならない。前段階の準備というか、構想、原案は後輩や偉大な滝川の人がやってくれた。感謝。もうわざとに感謝させようとしてるとしか思えない。ビラ以外の計画もやらなくてはならん。
そういえば、追いコンの日と時を同じくしてレポートの締め切りであった。私は早くから準備できない体質なので、昼間に仕上がった。わざとである。これどんなの書いたかあまり覚えていないし、自信がない。出せたから良いんだけど。
今後は卒業式の準備を手伝い、あとは個人的にやることを為すのみである。読書も再開だ。というわけで、私には珍しくちょっと急がしい日々を過ごしていたので、わざとにブログを更新なかった。
2008/03/18のBlog
[ 03:17 ]
[ 大学生活 ]
読みきりで復活らしい。ヤングジャンプで。ほんとかどうか知らんけど。多分本当。
作品が中途で終了してしまうのは非常にもったいない。最後までやって、一つの形、本として残るってのは非常な事なのだ。とても大事。人気があるのだし貫徹して欲しい。とりあえず、袋とじで読みきりらしい。人気が出れば、どっかで連載再開だ多分。この調子で『皇国の守護者』も…無理かな?
今日は日本史の本を読みました。無事に読み終えました。あとがきを読んでいると、著者が亡くなられた後編集され出されたものだと解りました。
本来あとがきには、著者自身の、謙遜や安堵感やお世話になった人への感謝の言葉が満ちていて、なんともいえないほんわかした感じで読了できるのだ。知っている先生のだと、尚更である。
でも今日読んだのは「編集後記」と書かれており、編集に携わった著者のお弟子さんが、なくなった先生との思い出だとかを述べていました。最後には、奥さんのコメントも寄せられていました。先生はもう居ないけれど、何とか本に出来、とても良かったというような内容の編集後記でした。
そして実際形になって、俺が読むに至ったのだ!今までにもこういうのみたことあったのだが、今日は読了したあと、いつもとは違うなんともいえない気持ちになりました。やっぱり、形にして残す・残るってのは、様々な意味で重要だ。
そういえば、『リボンの騎士』がリメイクされるそうだ。でも絵を見たらワロタ。サファイアは黒髪がいいのに。女の子が男の子の格好をして云々するって話は、古典的でありジェンダーに深く根ざした話題であるので、ちょっと本気出してほしいものだ。無理かな?
補遺:フルカラーで少女の作り方
作品が中途で終了してしまうのは非常にもったいない。最後までやって、一つの形、本として残るってのは非常な事なのだ。とても大事。人気があるのだし貫徹して欲しい。とりあえず、袋とじで読みきりらしい。人気が出れば、どっかで連載再開だ多分。この調子で『皇国の守護者』も…無理かな?
今日は日本史の本を読みました。無事に読み終えました。あとがきを読んでいると、著者が亡くなられた後編集され出されたものだと解りました。
本来あとがきには、著者自身の、謙遜や安堵感やお世話になった人への感謝の言葉が満ちていて、なんともいえないほんわかした感じで読了できるのだ。知っている先生のだと、尚更である。
でも今日読んだのは「編集後記」と書かれており、編集に携わった著者のお弟子さんが、なくなった先生との思い出だとかを述べていました。最後には、奥さんのコメントも寄せられていました。先生はもう居ないけれど、何とか本に出来、とても良かったというような内容の編集後記でした。
そして実際形になって、俺が読むに至ったのだ!今までにもこういうのみたことあったのだが、今日は読了したあと、いつもとは違うなんともいえない気持ちになりました。やっぱり、形にして残す・残るってのは、様々な意味で重要だ。
そういえば、『リボンの騎士』がリメイクされるそうだ。でも絵を見たらワロタ。サファイアは黒髪がいいのに。女の子が男の子の格好をして云々するって話は、古典的でありジェンダーに深く根ざした話題であるので、ちょっと本気出してほしいものだ。無理かな?
補遺:フルカラーで少女の作り方
2008/03/14のBlog
[ 22:09 ]
[ 今日は・・・○○篇 ]
いけないことに、些事が積もり積もって累積しているぞ(語義重複だ)。
年度末にかけて、絶対に個人的にしなくてはならないことがあるのだが、それが本当に自身個人の中で履行可能なのか、また公式的行事の関係の中で実行可能なのか、はっきりとしなくて、もやもやとしている。こういうなんとも茫洋としていて、はっきり言明できない事こそ、文章にして残しておくべきと思うので、今日は久しぶりにブログを更新だ。
それとは別に卒業式の話を全く人任せにしているので、これはまずいと実際思った。
これとは全く別に、南部先生の課題をほとんど何もやっていないのでそれも頑張ろう。もう少し、はやめからやるべきだ。
またこれとはまたまた違うのだが、この前俺が参加した「全日本マナカナを使ったトリック選手権」の話もしたいし、どじっこに向けた最強の料理を考案した話もしたいし、歯が伸びる話もしたいし、たまごが腐ったような匂いとバールのようなものの関係性も問いたいのだが、あいにくそんな暇はないのであるのかもしれないし、あるのかもしれない。
別の話だが、そういえば同窓会があった。みんな就職していて俺は何をやっておるのだろうと思った。皆元気そうだった。髪がさらさらになり、大学生ぽいと言われた。
またこれとは別の話になるのであるが、明日から家族がやってくるらしい。例のエジプト展に行くそうだ。また三岸好太郎美術館に行くのだそうだ。俺は実際三岸美術館は言ってみたかったのだが無理そうだ。ちょっと何故この時期に、とは思う。でも折角の田舎者にとっての札幌(これは重要である)なので、O B Aとともに会いに行かなくては。
悶鬱としている暇はないようである。履行と実行あるのみだが、どちらも私の性格上むつかしいものだ。
この文含めて、書いていたら沢山書いてしまった。レポートもこれくらい書ければいいのに。
年度末にかけて、絶対に個人的にしなくてはならないことがあるのだが、それが本当に自身個人の中で履行可能なのか、また公式的行事の関係の中で実行可能なのか、はっきりとしなくて、もやもやとしている。こういうなんとも茫洋としていて、はっきり言明できない事こそ、文章にして残しておくべきと思うので、今日は久しぶりにブログを更新だ。
それとは別に卒業式の話を全く人任せにしているので、これはまずいと実際思った。
これとは全く別に、南部先生の課題をほとんど何もやっていないのでそれも頑張ろう。もう少し、はやめからやるべきだ。
またこれとはまたまた違うのだが、この前俺が参加した「全日本マナカナを使ったトリック選手権」の話もしたいし、どじっこに向けた最強の料理を考案した話もしたいし、歯が伸びる話もしたいし、たまごが腐ったような匂いとバールのようなものの関係性も問いたいのだが、あいにくそんな暇はないのであるのかもしれないし、あるのかもしれない。
別の話だが、そういえば同窓会があった。みんな就職していて俺は何をやっておるのだろうと思った。皆元気そうだった。髪がさらさらになり、大学生ぽいと言われた。
またこれとは別の話になるのであるが、明日から家族がやってくるらしい。例のエジプト展に行くそうだ。また三岸好太郎美術館に行くのだそうだ。俺は実際三岸美術館は言ってみたかったのだが無理そうだ。ちょっと何故この時期に、とは思う。でも折角の田舎者にとっての札幌(これは重要である)なので、O B Aとともに会いに行かなくては。
悶鬱としている暇はないようである。履行と実行あるのみだが、どちらも私の性格上むつかしいものだ。
この文含めて、書いていたら沢山書いてしまった。レポートもこれくらい書ければいいのに。
2008/03/11のBlog
[ 04:23 ]
夜更かしをしてしまった。これで、日本史の本でも読んでいれば救われるし至極まっとうであるのだが、残念なことに読んでいたのは京極夏彦だ。一冊読み終えた。
無駄に長い小説で、中途で超能力や霊能力、宗教、占い師の峻別に関しての講釈や、妖怪や寺社に関する雑多な知識が折り込まれていた。長い小説は、概してこういう知的ごった煮により、長くなるのだろうか?
ともあれ、小説に限らず本を出して売っている人はなんか色々どうでも良いような(ことと一般的に考えられている)ものを保持しているなと最近思う。
さて明日は日本史の本を読もう。課題は二十日まで。労咳のためのサナトリュームのような環境たるここ本別で、読書するなどなんとも文学少女然としているではないか。先の小説では薄幸の文学少女は真っ先に殺されておったが。
あと、題名に記したとおり、マナカナを使いいかに衆目を欺くかの選手権が近く行われるそうで、コナンに負けじと、私も拙い知恵をめぐらせることにしよう。
追記:サナトリウムをかっこつけてサナトリュームと書きました。ナトリウムをナトリュームと書くような懐古主義です。小説の舞台が昭和20年代だったので。申し訳ありません。あと、選手権は嘘です。
無駄に長い小説で、中途で超能力や霊能力、宗教、占い師の峻別に関しての講釈や、妖怪や寺社に関する雑多な知識が折り込まれていた。長い小説は、概してこういう知的ごった煮により、長くなるのだろうか?
ともあれ、小説に限らず本を出して売っている人はなんか色々どうでも良いような(ことと一般的に考えられている)ものを保持しているなと最近思う。
さて明日は日本史の本を読もう。課題は二十日まで。労咳のためのサナトリュームのような環境たるここ本別で、読書するなどなんとも文学少女然としているではないか。先の小説では薄幸の文学少女は真っ先に殺されておったが。
あと、題名に記したとおり、マナカナを使いいかに衆目を欺くかの選手権が近く行われるそうで、コナンに負けじと、私も拙い知恵をめぐらせることにしよう。
追記:サナトリウムをかっこつけてサナトリュームと書きました。ナトリウムをナトリュームと書くような懐古主義です。小説の舞台が昭和20年代だったので。申し訳ありません。あと、選手権は嘘です。
2008/03/08のBlog
[ 16:14 ]
大好きなスーパーおおぞら九号が故障か何かで札幌まで来れないらしい。
だが我々には特急スーパーとかちがあるのだ。特急とかちもあるが、うんよくスーパーのほうだ。これで30分遅れでいけそうである。
旅のお供に、横光利一の「寝園」を買おうとしたが無かった。2ちゃんのVIP板で薦めていただいた本である。
釧路行く人は新夕張で乗り換えらしい。代打、スーパーとかちは果たしてこの人員を乗せきれるのか。
だが我々には特急スーパーとかちがあるのだ。特急とかちもあるが、うんよくスーパーのほうだ。これで30分遅れでいけそうである。
旅のお供に、横光利一の「寝園」を買おうとしたが無かった。2ちゃんのVIP板で薦めていただいた本である。
釧路行く人は新夕張で乗り換えらしい。代打、スーパーとかちは果たしてこの人員を乗せきれるのか。
[ 12:40 ]
[ 大学生活 ]
本別に帰るのだが、帯広で同窓会があるのでそこにダイレクトに言ってから帰る予定である。でも、夜になると交通手段がいっさいなくなるので、俺は本別に帰ることが出来ない。ま、帯広には漫画喫茶があるので大丈夫だきっと。
本別から帯広まで60キロ離れているのだ。先輩と昨日話したが、往復すると120キロだ。そういう距離感を今まで持っていなかった。何故だろう。ともあれ、帰るのは難儀するのだ。まぁ内地から来ている人には劣るが。飛行機ってのは高いし飛ばない事あるから大変だ。
昨日は研究室に行って、追いコンについてゴマ太郎と談話してきた。I上先生が退官するので、何か贈り物を贈ろうという話になった。何かいいのないだろうか。後は大丈夫そうだ。
という事で、先生に何かいいプレゼントがないか探しに、談話後にアニメイトという店に一人で行ってきました。沢山ものがあって楽しいのですが、先生に合うものは見当たりませんでした。尚、東急ハンズは遠いので見に行かなかった。
帰ろう。一般的に高校時代など過去のことは美化し過ぎる傾向にあるが、別にそれで構わないし、今の生活がそれで自信を持たされ、円滑に行われるならそうしたほうが良い。中学時代ではないのだから、規範や傾向に無意味に反することはしなくて良い。
今後、ブログ日記を投稿するが、折れ自身このブログを見れないので(携帯電話からだとよほど努力しないと見れない)コメントを返すことが出来ません。とはいっても俺はコメントを返すのが極めて遅い事に定評があるので、あまり気にする事はないのかもしれない。
本別から帯広まで60キロ離れているのだ。先輩と昨日話したが、往復すると120キロだ。そういう距離感を今まで持っていなかった。何故だろう。ともあれ、帰るのは難儀するのだ。まぁ内地から来ている人には劣るが。飛行機ってのは高いし飛ばない事あるから大変だ。
昨日は研究室に行って、追いコンについてゴマ太郎と談話してきた。I上先生が退官するので、何か贈り物を贈ろうという話になった。何かいいのないだろうか。後は大丈夫そうだ。
という事で、先生に何かいいプレゼントがないか探しに、談話後にアニメイトという店に一人で行ってきました。沢山ものがあって楽しいのですが、先生に合うものは見当たりませんでした。尚、東急ハンズは遠いので見に行かなかった。
帰ろう。一般的に高校時代など過去のことは美化し過ぎる傾向にあるが、別にそれで構わないし、今の生活がそれで自信を持たされ、円滑に行われるならそうしたほうが良い。中学時代ではないのだから、規範や傾向に無意味に反することはしなくて良い。
今後、ブログ日記を投稿するが、折れ自身このブログを見れないので(携帯電話からだとよほど努力しないと見れない)コメントを返すことが出来ません。とはいっても俺はコメントを返すのが極めて遅い事に定評があるので、あまり気にする事はないのかもしれない。
2008/03/07のBlog
[ 02:03 ]
[ 社会 ]
何故だか知らないが、遊園地ってのは意味不明だ。遊園地は何のためにあるのか。勿論それは娯楽のためである。みんなが楽しい思いをするためにあるのだ。
さてさて、そんな遊園地の乗り物は、回転して戻って来るものばかりだ。メリーゴーランドとか観覧車とかジェットコースターとかコーヒーカップとか。これってどうなのと思う。散々回っておいて、つまるところは始点に戻ってくるのだ。
人間の生活において、何かに参与し経験する。経験することで、新しい段階に進めたりするのだが、どうも遊園地の回転だと経験した気になれない。ぐるっと回って帰ってきて
遊具は新しいお客を乗せる。収納と排出の機構にしか見えなくて、単純に環状線を一周して戻ってきた感にさいなまれるのである。
その淡白な機構に、毎日毎年何千人もの人が乗っかり、ぐるぐる回っているのかと考えると恐ろしいものだ。人間が流通の一部になっている感じだ。ま、これは人間を無機質なものとして捉えるからこうなってしまうのだが。
ということで、遊具に乗っかるときはそれにただ振り回されるのではなくて、自分(達)で特別な意味を見出さなくてはならん。大好きな友人や恋人とちゃんと思い出となるように振舞って、機構に振り回されるべきだ。でも機構に大いに振り回されるのは嫌いなので、遊園地にはあまり行きたくないのである。人間は娯楽のときでさえ、一生懸命考えなくてはならないのだ。だから無意味に遊園地に行くことは個人的に無い。
くまのプーさんのクリストファーロビンが映画の中で小学校に上がることになり「何も考えない事がもうできない」と言っていた。こいつは児童のくせになんて大人びた事を言うのだと高校時代に思ったものである。
よし中二病満開で書けたぞ。
今週の火曜日に、先輩に勧誘されて「遠友夜学校」の授業を見てきました。学生はおじさんおばさんが多かったです。講師の先輩や司会の方が喋っているのに、普通に喋っている人が後ろに居ました。これは大学生と同じだなと思った。あと、質問の内容が若干不明瞭(感想と混ざっている)なのがあった。別に長めに感想を述べたり長めに質問を述べて言ってもいい。が、話の最後に、詰まるところはこういう質問ですって簡潔に言えるように自分でも気をつけようと思いました。
でも、年を取ってからも、勉強したいという気持ちを持つということは凄く大事だし、それに応える仕組みがちゃんとあるのは素晴らしい事だ。他にどんな講義があるのだろうか。それと、こういうところで人と人とのつながりが生まれるってのも見逃せない点だ。世のなか何が大事かって、それはコネクションだ。いい意味で。
こういった勉強だとか人とのつながりってのを感じられた点は、十勝ロータリークラブに通じるものがあった。俺はロータリー奨学生だ。ロリータ奨学生ではない。ロータリーのほうは社会奉仕ってのが念頭にある。俺も折角勉強しているのだから、自分の勉強している事で人の役に立つ事ができればいいと最近思っているが、日本史という土壌だと難しいなとも思う。いっつも、何で日本史勉強してるの?役に立つの?といわれて、何かパリッとした答えもないし、そういうパリッとした答えに通じる経験もしていない。困ったものである。
ま、まだ若いのだからそういうのは追々考えればよい。適当だ。
それと、俺はおっさんやおばさんと話すのがすごい好きだ。彼らの経験談は凄く聞いていて面白い。これは俺が全く及ばない点、即ち年の功から直接くるものだからだ。絶対に、年上には年で追いつけないのだ。シベリアに抑留されて、最後に帰ってきて今は家具屋の会長のじいちゃん(86歳)の話は凄かった。
ということで、上記した理由と相まって、ロータリーの例会(といっても飲み会みたいなものらしい。俺のサークルか?)に言ってみようかと思うのだが、帯広が遠くて若干いけそうにない。果たしてじいちゃん(86歳)は生きているのか?
さてさて、そんな遊園地の乗り物は、回転して戻って来るものばかりだ。メリーゴーランドとか観覧車とかジェットコースターとかコーヒーカップとか。これってどうなのと思う。散々回っておいて、つまるところは始点に戻ってくるのだ。
人間の生活において、何かに参与し経験する。経験することで、新しい段階に進めたりするのだが、どうも遊園地の回転だと経験した気になれない。ぐるっと回って帰ってきて
遊具は新しいお客を乗せる。収納と排出の機構にしか見えなくて、単純に環状線を一周して戻ってきた感にさいなまれるのである。
その淡白な機構に、毎日毎年何千人もの人が乗っかり、ぐるぐる回っているのかと考えると恐ろしいものだ。人間が流通の一部になっている感じだ。ま、これは人間を無機質なものとして捉えるからこうなってしまうのだが。
ということで、遊具に乗っかるときはそれにただ振り回されるのではなくて、自分(達)で特別な意味を見出さなくてはならん。大好きな友人や恋人とちゃんと思い出となるように振舞って、機構に振り回されるべきだ。でも機構に大いに振り回されるのは嫌いなので、遊園地にはあまり行きたくないのである。人間は娯楽のときでさえ、一生懸命考えなくてはならないのだ。だから無意味に遊園地に行くことは個人的に無い。
くまのプーさんのクリストファーロビンが映画の中で小学校に上がることになり「何も考えない事がもうできない」と言っていた。こいつは児童のくせになんて大人びた事を言うのだと高校時代に思ったものである。
よし中二病満開で書けたぞ。
今週の火曜日に、先輩に勧誘されて「遠友夜学校」の授業を見てきました。学生はおじさんおばさんが多かったです。講師の先輩や司会の方が喋っているのに、普通に喋っている人が後ろに居ました。これは大学生と同じだなと思った。あと、質問の内容が若干不明瞭(感想と混ざっている)なのがあった。別に長めに感想を述べたり長めに質問を述べて言ってもいい。が、話の最後に、詰まるところはこういう質問ですって簡潔に言えるように自分でも気をつけようと思いました。
でも、年を取ってからも、勉強したいという気持ちを持つということは凄く大事だし、それに応える仕組みがちゃんとあるのは素晴らしい事だ。他にどんな講義があるのだろうか。それと、こういうところで人と人とのつながりが生まれるってのも見逃せない点だ。世のなか何が大事かって、それはコネクションだ。いい意味で。
こういった勉強だとか人とのつながりってのを感じられた点は、十勝ロータリークラブに通じるものがあった。俺はロータリー奨学生だ。ロリータ奨学生ではない。ロータリーのほうは社会奉仕ってのが念頭にある。俺も折角勉強しているのだから、自分の勉強している事で人の役に立つ事ができればいいと最近思っているが、日本史という土壌だと難しいなとも思う。いっつも、何で日本史勉強してるの?役に立つの?といわれて、何かパリッとした答えもないし、そういうパリッとした答えに通じる経験もしていない。困ったものである。
ま、まだ若いのだからそういうのは追々考えればよい。適当だ。
それと、俺はおっさんやおばさんと話すのがすごい好きだ。彼らの経験談は凄く聞いていて面白い。これは俺が全く及ばない点、即ち年の功から直接くるものだからだ。絶対に、年上には年で追いつけないのだ。シベリアに抑留されて、最後に帰ってきて今は家具屋の会長のじいちゃん(86歳)の話は凄かった。
ということで、上記した理由と相まって、ロータリーの例会(といっても飲み会みたいなものらしい。俺のサークルか?)に言ってみようかと思うのだが、帯広が遠くて若干いけそうにない。果たしてじいちゃん(86歳)は生きているのか?
2008/03/04のBlog
[ 16:14 ]
[ 大学生活 ]
世の中の発言は、大抵のものはあるものをある程度棚に上げないと発言できないと思う。例えば俺が飲み会に参加したとき、その飲み会の幹事が駄目駄目だとして、俺がそれに怒るとする。でも、俺だって今や過去の幹事をちゃんと完璧に出来ているわけではないので、そんなこと言う資格はない、ということになり得る。自分が完璧に出来ていないのを棚に上げて他人を批判するというわけだ。
批判は絶対自分の何かを棚に上げないと為しえない。これは完璧な人間が居ないということが原因になる。キリストの「この女を石もて打つ資格のある者は石で打て」って話は完璧な人間が居ない事を利用した上手い(ちょっとずるくもある)発言の例だ。
よく、「なんであんなやつに言われなくてはならないのだ」とか「あいつに言われる筋合いはない」などという風に言ったりする。でも何かを言われる(言ってくる)人間は絶対ある程度「あんなやつ」だったり、絶対ある程度筋合いのない人間だ。
文句を言うべき様態ってのはよくあるだろう。それに実際に文句つけるには、意識的であれ無意識的であれ自分のことを絶対に棚に上げなくてはならん。もし棚に上げないのであれば、我々は人に対しての要求を一切言えず、黙りこくるしかない。これは老子的沈黙に通じるものだ。これもキリストみたいのとはタイプ違うけれど聖人の為せる事だ。この場合は棚に上げないパターン。もう一方の成人パターンは棚に上げるものがないという完璧タイプ。
世の中の人間はキリストクラスにならない限り、棚に上げるものを必ず持っている。で、重要だと思うのは、誰に言われたかじゃなくて、何を言われたかだと思う。
言われた人がどんなかはともかく、言われた内容は、自分の(恐らく)欠点の一端を示すものになる。誰に言われたって、駄目な所の指摘には変わりないのだ。
という事で、人から怒られたり批判されるのは疎ましい事で、いらいらする事もあるが、それを言われた人がどうだとか言い訳しないでちゃんと受け止めるってのはとてつもなく重要な事だと思った。そして、色々言ってくれるってのはありがたいことだ。大人になるにつれ、どんどん怒られたり窘められたりする機会が減少する。
言われた事を、もしかしたら全然改善できなくてまたミスしてしまうかもしれないけれど、頑張ろうという知見を与えてくれるのである。何かのせいにせずに、自分の悪い点を直截に認めることは、ストレスかかることだけれど、それだけに大事だ。と最近思いました。という事で、ゼミとかでも思いっきりボコられるべきなのだ。
全ての批判は常に価値を持つという話でした。
批判は絶対自分の何かを棚に上げないと為しえない。これは完璧な人間が居ないということが原因になる。キリストの「この女を石もて打つ資格のある者は石で打て」って話は完璧な人間が居ない事を利用した上手い(ちょっとずるくもある)発言の例だ。
よく、「なんであんなやつに言われなくてはならないのだ」とか「あいつに言われる筋合いはない」などという風に言ったりする。でも何かを言われる(言ってくる)人間は絶対ある程度「あんなやつ」だったり、絶対ある程度筋合いのない人間だ。
文句を言うべき様態ってのはよくあるだろう。それに実際に文句つけるには、意識的であれ無意識的であれ自分のことを絶対に棚に上げなくてはならん。もし棚に上げないのであれば、我々は人に対しての要求を一切言えず、黙りこくるしかない。これは老子的沈黙に通じるものだ。これもキリストみたいのとはタイプ違うけれど聖人の為せる事だ。この場合は棚に上げないパターン。もう一方の成人パターンは棚に上げるものがないという完璧タイプ。
世の中の人間はキリストクラスにならない限り、棚に上げるものを必ず持っている。で、重要だと思うのは、誰に言われたかじゃなくて、何を言われたかだと思う。
言われた人がどんなかはともかく、言われた内容は、自分の(恐らく)欠点の一端を示すものになる。誰に言われたって、駄目な所の指摘には変わりないのだ。
という事で、人から怒られたり批判されるのは疎ましい事で、いらいらする事もあるが、それを言われた人がどうだとか言い訳しないでちゃんと受け止めるってのはとてつもなく重要な事だと思った。そして、色々言ってくれるってのはありがたいことだ。大人になるにつれ、どんどん怒られたり窘められたりする機会が減少する。
言われた事を、もしかしたら全然改善できなくてまたミスしてしまうかもしれないけれど、頑張ろうという知見を与えてくれるのである。何かのせいにせずに、自分の悪い点を直截に認めることは、ストレスかかることだけれど、それだけに大事だ。と最近思いました。という事で、ゼミとかでも思いっきりボコられるべきなのだ。
全ての批判は常に価値を持つという話でした。
