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ヘルメットヘアーをめぐる冒険
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2008/05/12のBlog
[ 23:31 ] [ 大学生活 ]
ゼミの発表で、夢について調べるなかで、平安時代の貴族の藤原行成が遺した『権記』を読みました。

行成の妻が夢を見たそうで、夫と一緒に月を見たのだそうだ。それを夫に報告した。それが書き残され、伝世して俺が見ている。

それでそのとき妻は懐妊していて、その六ヵ月後に女児を産むのだが、そのときに女児と共に亡くなってしまうのだ。永年連れ添ったが別れは一瞬であった、という感じの呆然とした記事が続く。病気平伏のための加持祈祷の記述の膨大さもすさまじかった。

妻が夢を見たときには、もしかしたらすでに将来の健康に対して不安があったのかもしれないなぁ、なんて思うと、一緒に月を見る行為も、切実な感情に思えてくる。

平安時代はすぐ人死ぬし、結構さびしい世界だと思う。

予備校時代の古典の先生が、古典はその時代その時代の寂しさを感じるものだ見たいな事を言っていた。いつの世にも、不条理なことはあるよね。さびしさってのはそういうことなのかなと、今になて思います。

あまり準備が進まない。ちゃんとやらないとゼミで読んでる日記の記主の成尋さんの佛罰がいつか下りそうで怖い。
2008/05/09のBlog
昨今鳥居みゆきの隠喩に気付いていない人が多い。ヒットは鬱で、ランは躁。一見無意味に言っているようで、実は意味があるってのは個人的にも結構実践したい事柄だ。「面白い」かはともかくとして、鳥居みゆきはテレビへの方便として、社会的に禁忌なネタをそんな風にオブラートで包んでいるのだ。偉い。鳥肌実はそういうことできるのかな?

そんなことはともかく、今日は待ち合わせに思いっきり遅刻してしまった。これはいかん。ちゃんと予定がわかっていたのに、全部把握していなかったのであった。今後気をつけよう。サークルを引き継いだので、安心して放心したのである。

そういえば今日は、霊夢を見た。いや博麗神社の巫女ではなくて、夢です。お告げじみたゆめ。日蓮宗の題目が響き渡る中、曾祖母が西方浄土より声をかけてきた。最近どうだいと聞かれたので、回りの皆さんに助けられて、環境が良く頑張れています、と答えた。その調子で頑張るんだよと言って、夢から醒めました。感涙極まりなし。

これは、ゼミの準備で、昔の人が見た夢に関してまとめようと思っていたので、見たのかもしれない。

「化けの皮を剥いでやるぜ!」という言葉が、よく正義の側から発せられる。が、「皮を剥ぐ」という行為は、およそ正義の側が行う行為ではない。非人道的である。

しかし、しっかりとした誰から見てもわかる正義は漫画とかの中にしか登場しない。現実の世界にあふれる様々な正義は、見ようによれば、どれも欺瞞であり、とある正義の名の下に、酷いことが日夜行われていることは、マスコミがセンセーショナルに語るところである。

なので、「化けの皮を剥いでやるぜ」とのたまう正義の側は、わりと現実的な物言いをしているといえるのではないか。自己の正義を妄信し、その名の下には断行も辞さない態度である。化けの皮云々は、よく現実に照らし合わせれば、まったく現実的な言葉なのだ。
2008/05/07のBlog
鳥獣たちには、日ごろから言いたい事があって、それはお前らアホじゃないかという事だ。

鳥たちは人間が近づいてくると逃げるのであるが、何で逃げるのかわからない。いやブロイラーとかなら逃げるのはわかるんですよ。地鶏とかも。だって食われるじゃあないか。俺だって食べられそうになったら逃げます。多分他の人もそうなんじゃないかと思うんだ。

でも、カラスはそういうの無いと思うんです。後そこらにいる鴨とかも。近くで見るとカラスとかってのは結構でかいし、くちばしも鋭い。鴨も何考えているのかわからない顔をしている。

ここは逆に、可愛く人間の肩に飛び移ろうとすれば良いのではと思う。大抵の人間はこれを怖がるだろう。今の世の中、もう誰も(カラス駆除員以外)、カラスを捕らえようとなんてしてないのだから、逆にこれは人間を除く方法として適していると思うのです。

そしてそのうち、ほとんどの人間は鳥に対して無抵抗であるとわかるや、鳥たちは積極的に人間を襲います。進化論です。正直、あのスズメでさえ、チュンチュンと殴りかかってくると思う。

そのうち、知恵がついたサルが、これを全部斃してしまうだろう。こうして、着実に世界はSFへと進むのだ。
2008/05/06のBlog
食べ物のビザの話。

ピザってのはとっても美味しいものだ。日本に多く浸透している食い物だ。円山に行けば、たっかいこだわりピザが食えるし、コンビニに行けば100円の冷凍のやつが買える。個人的には、六花亭のレストランが出すピザがとてもすきなのだ。札幌には六花亭レストランてあるのだろうか。あと、飲みに良くのなら北18条のウッドバックというお店のピザがお酒のお供として心強い。ここはマジお勧めなので、今度誰かと行きたいものだ。

そんなピザだが、よく食べやすいように切れ目が入っているピザがある。もしくは、分けやすい様に始めから切って出されるものもある。

俺はいつも思うのだが、これらはピザなのか?

切れ目が入っている状態であるのに、ピザと称して良いのかと思い悩んでいるのである。立派なピザなんて食べた事ないけれど、多分本物ってのは、普通に作ったならば、切れ目は入らないはずだ。焼いてる途中で切れ目がかってに生まれるとか無いはずだ。

トマトとかを切って、サラダに出すことがある。多分これはみんな切ったトマトだと認識するはずだ。だが、ピザの場合、切れ目が入っていても(ワンホールで出されるならば)、ピザとしか認識していないのではないか。

一体、ピザに切れ目を入れる、もしくは商品として出す時点で切っているという行為は、料理の過程であるのだろうか。それとも食事するための作業なのだろうか。ステーキなどは、ほとんど明確に肉を切る作業は食事の作法の部分である。先述のサラダにおけるトマトは、料理の一部分だろう。

では、ピザに切れ目を入れて食べやすくするという行為は、一体どちらに属するのか。私にはこれが全くわからない。ピザ、というものはどういう状態のものを指すのだろうか。どこまでが料理の結果で、どこまでが被食の始まりなのか。

昨今のコンビニの安いピザは、必ずといって良いほど、製作の段階で切れ目が入っている。まるまま焼いたピザと、始めから切れ目を入れたピザは、別物だと思う。という事で別の呼称をつけるべきと思う。チワワとセントバーナード見たいに、ね

このピザの切れ目問題は、上のチーズが割と癒着していて切れ目を入れても割とくっついているように見える点に象徴されるがごとく、未だあやふやなのである。
2008/04/26のBlog
[ 22:01 ] [ 大学生活 ]
もうすぐ日本史の歓迎コンパあるのだ。耳鳴がひどい。

この前カラオケで、セレブ?の日本史OGとデュエットしたのを財界さっぽろに投稿されそうになった俺であるが、そのときに約束したのが、中森明菜の『北ウィング』を次回は歌うということであった。彼女は俺の知らない歌を歌って!!!といって無理やり入れてくるので(これは社会人院生のロサエビーナも同じ傾向にある)何とかそれに応えなくてはならないのだ。下っ端はそういうのが仕事である。

正直なところ、中森明菜に関しては『DESIRE』しか歌えなかったので、見識を広げる意味でも丁度いいのである。私は、聖子派かといえばそうではなく、明菜派であるのだ。いつも謎なのだが、聖子派は一発で変換されないが、明菜派は一発で出るのだ。これは明らかに、このパソコンの変換をつかさどったものが明菜派だったのに違いない証左である。

ま、こんな無意味な対立軸を作ってもどうしようもないのだが。よく、犬派?猫派?という質問があるが、どうして両者が対立しているかのような質問設定が基準としてあるのかと思う。犬も猫もどっちもすきでいいし、どっちも嫌いでもいい。択一を迫られて、両方を選択したり拒否したりする人間が好きだ。

あとテレサテンも歌わなくてはならなかった!!!!俺は懐メロが好きなのかもしれないな。てか、何で若者は今の音楽しか聞かないのだろうかと思う(補遺:そなことないか~昔の曲詳しい人実際多いしなぁ)。例えば、何で自分の誕生日は知っているのに、その年のレコード大賞は知らないのだろうか。両者の価値なんて大した差異はないだろうと思う。

(俺は誕生日なんてこの煩悩渦巻く世にただ生まれただけの記念日であると思っていて大した価値があるものと考えていないのだ。誕生日なんて自分では何もやってないし。ただ産み落とされただけ。自分だけ浮かれてないで、産んでくれた親に感謝すべきである。もっと人間として、個人的に何か大きなことを達成したと思うその日を自分の記念日とすればいいのだ。誕生日なんて糞だ。(言いすぎである))

という事で、85年のレコード大賞は中森明菜の『ミ・アモーレ』であり、86年は同じく中森明菜の『DESIRE』である。

勿論、今の音楽も昔の音楽と同じように愛でるべきである。それは大事。という事で、どっちも愛好していれば、二倍楽しめるのだ。だから今日もカウントダウンTVを見るのだ。

何か攻撃的な文章を書いてしまったが、たまにはそういうこともあるのである。


この前、ガキの使いのヤマちゃん卒業の回で、ヤマちゃんが『フライデイチャイナタウン』を歌っていた。曲名わからないけどラジオで聞いたことがあって、何て曲名だろうと思っていたところなので、丁度良かった。こういうのって、検索できないから困る。そのうち、鼻歌で検索できる、なんてのが出てくるのかもしれないなぁと思った。
2008/04/24のBlog
[ 00:55 ] [ 今日は・・・○○篇 ]
今日は…のあとの~篇には、何かと難しい漢字を使いたい、そんな年頃の俺が今日もブログを更新だ。とは行っても今日は特に記す事もなく、ちゃんとブラインドタッチでタイピングできているかの確認程度の内容になってしまっている感が否めないのである。

今日は久しぶりに、メニエール病の症状が出てフラフラで朝起きられず。サークルの勧誘のために登校。ちゃんと授業に出た。サボろう思った5限もちゃんと出ました。最近風邪を引いている人がちゃんと学校に来る姿を良く見ていたので俺もやってみようと思ったのであった。わりと頑張った一日であった。俺は調子悪いとすぐ学校を休んで寝てるタイプの人間である。

南部先生とちょっとお話した。卒論について。話せてほっとした。

その後もう一人研究室にいた友人と先生とで一時間くらい雑談。南部先生は話をするのがすき。自分の研究室が、学生たちの研究室の近くになって嬉しくてやってくるのだろう。良かったと思う。俺も先生の話を聞くのがすきだ。というか年上の人の話を聴くのがすきだ。でも先生はクリープを入れすぎだと思う。

上記の出来事があったから、今日は頑張ってきた甲斐があったということだ。今これを書いてて思った。こんな文章を書いていた甲斐もあったということだ。

母親と電話で話したとき不調を訴えたためか、OBAより食事の勧誘があった。土日でいければよいなぁ。感謝である。
2008/04/23のBlog
[ 01:06 ] [ 大学生活 ]
お勧めのニコニコ動画コンテンツを紹介する。といっても皆ちゃんと見ているので、すこしマニアックなところで。


護法少女ソワカちゃんシリーズ

初音ミクで作曲した歌と手書きの絵で笑わせられるシリーズ。これがすごくて、名前の通り、仏教的色彩の濃い作品である。天台宗の話だとかの教義をしっかり踏襲してそれを踏まえてジョークをかます。

また、製作者はオカルティズムにも精通しているようで、それもよく作品に織り込んでいる。オカルトの一部分ってのは、しばしば仏教を基盤に語られる。地底大陸とかね。仏教とオカルトは一種親和性があるってことだ。まぁこれは大きな宗教全部に言えるだろうけど。という事で、有象無象のオカルトもネタとして取り上げる。

また哲学も組み込んでくる。『そんなところに神は宿らない』とか。最近のアニメとか小説に元ネタがあることも。

そのた、動画に登場する細々した物品や情景やキャラの配置に、ちゃんとした由来があったりする。

こういった知的ごった煮は見ていて爽快である。特最近のネット上での話題から、古来から築かれてきた仏教世界がごちゃ混ぜになって、それらが歌詞の言葉回しやアニメーションの滑稽さによって上手く扱われているのだ!

という事で、元ネタを探求するまとめwikiが存在するので、そこから動画を辿ると解りやすい。作者のセンスには感嘆するばかりである。

ソワカちゃん疏鈔

これは是非お勧めなのである。
2008/04/22のBlog
今日はあたふたしてしまった。ゼミの準備の段取りをミスった。多分大丈夫だろうけれども・・・

そうそう、北大生相手の定食屋の雄、北二十条の『六宝亭』のおっさんがボードでこけて靭帯を切ったらしい。道理で一週間近く休業したままだったのだ。これを何故私が知ったかというと、北大生相手の謎の中華料理屋『六宝飯店』のおじいさん(すごい肌ツヤ)が、他のお客さんに話しているのを小耳に挟んだのだ。このじいさんの店はすごくて、店は汚くて本は積み放題だし、醤油とかはいつそれいれたの?ってくらいだ。普通に虫がいる。でもうまい。怪しいお店だ。18時ころ開店で、29時くらいに閉店するのも意味不明だ。隠しメニューが多すぎるし。常連にさばの味噌煮を出していたのは笑った。

ここに一つの都市伝説があって、『六宝飯店』のおじいさんが、実は『六宝亭』のおっさんの父親だという説である。

実は今日それがおじいさんの台詞で実証されたのだ。じいさんは息子のことを心配してたぞ。大学四年になってようやく知ることが出来た。てかおじいさんは『六宝亭』に手伝いに行っているらしい、笑個人的にはすごいコラボレーションだ。『六宝亭』は本当に飢えた北大生の胃臓を満たす重要な存在だ。美味しいし、大盛りも充実している。至高の学生相手の定食屋だ。俺の大食いはここで培われたのだ。一番お世話になっている。

という事で、おっさんを元気付けるために、明日はホイコーロー定食のダブルを食べに行こうかなとも思う。ちょうど、後輩と大盛りのお店に行きたいねって話していた所だ。大学生協の大盛りメニューは微妙だったのである。そしてとりあえず俺は一刻も早く寝るべきだ。
2008/04/20のBlog
よく月にはウサギがいるという話がある。

これは月の表面の凹凸で出来る影によって、ウサギが餅をついているように見えるという点から出来た話だ。他の国ではかにだとか女性だとか、様々に月の影に想像力を投影する。

その一方で、漫画とかでよく月に実際にウサギが居て、そこで餅をついているという描写がある。ゲームでもそういうのがあって、桃太郎電鉄の月面基地にはウサギが居る。東方シリーズの、月の住人である優曇華やてゐはうさみみだ。

これはおかしい話で、ウサギの像が月の表面に見えるからといってそこに実際にウサギが居るとは限らないではないか。イタリアが長靴の形をしているからといって、そこは長靴だらけか?いやおしゃれの国だから、長靴無いわけではないだろうが、例えばヘプバーンは長靴履いていないではないか。

このようにして俺はいっつも月を見ていらいらしているのである。どっちかにすべきなのである。

ウサギのような影が月に見える。それでいい。

もしかしたら、月にウサギが居て、餅をついているかもしれない。それもロマンとしては妥当だ。それでいい。日本最古の物語が、月の住人を描いている。

だがな、その両方が同時に達成されているってのは一番ありえない状況なのである。これで良いのか21世紀。俺はそれが納得いかんのである。納得いただけたであろうか。


今日は満月だったのかな?よくわからないが怪しい月が中空に浮かんでいました。月は見ることが出来るから、月の使者や月の神とは身近に会話できる。かぐや姫とかとも。

でも太陽は見れないからそういうキャラを立てにくい。絶対的な太陽神のようなかんじだ。あっでもアマテラスは違うかな???そうだ、昨日よぱらってアマテラスに萌える話を大人(先生)に開陳してしまった。なにをやっておるのだ俺は。
2008/04/18のBlog
もう考えるのが面倒になって、たいていの場合においての価値基準をイケメンかどうかで判断すれば良いのではないかと思う。

Kか先生か。

前世紀の日本における最大のラブトライアングル(恋の三角関係のことである)である夏目漱石の『心』をみてみよう。

お嬢さんがKか先生どちらかイケメンなほうを黙って選べばよいではないか。そしたらKも先生も悩まなくていいし小石川とかを散歩しなくていい。青春の煩悶は、完全撤去なのである。

『かぐや姫』のお話もそうで、かぐや姫は結婚を望んだ貴公子たちのなかから黙ってイケメンを選べばよいのだ。てかむしろ、全員気に食わなかったから無理難題を申し付けたのだ。

他にアラビアンナイトにお話のもとがある「笑わない王女」(決して笑わない王女を笑わせた者が王女と結婚できるって話で正直者がたいていの場合王女を笑わす)も、ぜんぜん求婚する男たちが面白くない以前にイケメンでさえもないから笑わないのである。正直者は正直が顔に出ていてイケメンなのである。

トゥーランドットでも、お姫様がカラフがイケメンだなーと思ったからこそ、わざとに三つの質問(答えられないと死刑になる)を、カラフごのみに作ったのである。そして正解はお姫様しか知らないんだからカラフが変な答えしてもいくらでも正解に出来る。

と言うことで、結婚への変な注文付けは、実はイケメンを析出させるための構造物であったのだ。

とはいっても、この男女平等の世の中。我々はシンデレラの王子が、ガラスの靴をもってかわいい女の子を捜している可能性も考えなくてはならんのである。