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ヘルメットヘアーをめぐる冒険
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2008/05/23のBlog
証券会社に務めるAさん(仮名)はある日アスパラガスを食っているときに、アスパラガスのガスがなんなのかがひどく気になりはじめた。

一般的には、あの例の緑の茎みたいな野菜か山菜か何かよくわからないものは、茹でたものをマヨネーズとつけて食べると旨いのであるが、それらはアスパラという呼称で人口に膾炙することとなっている。北海道では、丁度今の時期がアスパラの旬である。味の濃いアスパラが、多くの食料品店で消費者を歓待している。

アスパラ、と一般に呼ばれるその食べ物は、地面からにょっきり生えてくる。そして伸びすぎると何か葉っぱみたいなのが出てくるし、そこにはたねっぽいものも見られるようになる。ま、植物なんだから当たり前だが、わりと短期間で、あのにょっきりしたものが、なんとなく植物ぽく、即ち微細な葉が腕を伸ばし、枝は細くそれらの葉を支えるようになるのだ。この変化してしまった姿を見るに、なんとそこらにありふれる植物然としていることか。にょっきりとした時代から、ほんの数週間でこれである。このダイナミズムには驚かされるばかりだ。そのせいもあってか、アスパラというものは、観葉植物としても人気があるのだ。

Aさん(仮名)はそういったアスパラに対する一般的な所見を十分に認識する人間であったが、一つ困った事に気づいた。それは冒頭で記した如く、アスパラに時たまガスがついているのである。

Aさんのアスパラに対しての認識は、他者のそれとなんら変わることはない、とAさんは確信している。職場や、またはプライベートな時間でアスパラの話題になったとき、他者と齟齬をきたしたことは今の一度も無い。アスパラはアスパラだ。ではアスパラガスとはなんなのか。

ガスに関しても、Aさんは自身で一般大衆と等しく認識を持っている、と確信している。しかし、これへの具体的な言及は、アスパラのそれと同じような軌跡を辿る事となろうから、ここでは敢えて言を俟たない。

今言いたいことは、そうしたアスパラとガスとの一般的な人々の認識の上に立ったときアスパラガスとは一体何を意味するかである。アスパラも、ガスも、それぞれに社会の中で一般的な認識をもたれている。それが今回合わさっているのである。

斯様なことでAさんはひどく悩み、アスパラガスの唯識論的価値を探求するために会社を去ることを決意する。かって、プルーストの『失われた時を求めて』を斟酌せんが為に会社を辞したものがあった。彼の冗長な小説は、紅茶を口に含むところを以って始点とする。Aさんもアスパラを口に含む。彼の小説のようにあてのない探求を始めるのだ。2008年の今現在なお存命する、レビーストロースの思想はAさんにどう微笑みかけるのだろうか。今は茫洋として見えぬその答えを前にして、我々はAさんの個人的な心性の充実・充満を願って已まないのである。



なんてのはフィクションだが、アスパラガスの省略形としてのアスパラは、他の省略形(キムタクとか)と比べると明らかにおかしい。これは後世この時代を研究する人の足かせになるであろう。アスパラは適当な日本語名はないのか?可愛そうだ。
2008/05/22のBlog
喋れば喋るほど、言えば言うほど、なんだかぼろが出てきて、言いたい事や事態の本質から程遠く感じられてしまっているなぁ、という状況によく遭遇する今日この頃の私であるが、風邪の予後が思わしくなく、自転車をこぐだけで息切れするのであった。まったく、机の裏に落ちた500円ような瑣末な本質に対して、ちょっとでかすぎる孫の手を以って何度も取らむとするが如くである。という事で、細部にはわりと神が宿っているようにも感じられる今日この頃だ。

こんなかんじでべちゃくちゃと喋ることを繰り返すわけだが、そうはせずに、『荘子』に登場する無為謂のように何も喋らない方が、よっぽど無欠である。喋る事で自分を弁明したり保障したり表現したりってのは、何も語らないことに比べれば余程下策なのであると思う。

けど、積極的な態度で「自分をわかってもらいたい!」と頑張って喋るのはよくわかる態度だ。要は上手く(その場にいる人間に対して齟齬が出ないように上手く)やれればいい。それに沈黙的になるなんて、もっと年を取って、いろいろ知って、色々わかってから喋らなくなるのでいい。若いうちは、自己を他者に充満させようとべちゃくちゃと喋って、無恥を振りまくべきと思う。

という事で、敢えてのこの態度だ。そんなことを会話していて思いました。
2008/05/16のBlog
[ 23:41 ] [ 今日は・・・○○篇 ]
今日研究室で、モテようとしてメンズナックルを持っている人が居たんですよ~

なあああぁぁあにいいいぃぃぃいぃ!!!!!やっちまったな!!
男は黙って!!伊達ワル!!!
男は黙って!!伊達ワル!!!
結局シーンの最前線に立ち続ける覚悟はあったのかよ~



初めて、メンズナックルを生で見た。煽り文句の語感は相変わらずだった。私はこれに関しては全く否定的ではなく、むしろ言葉選びや配列にものすごいセンスを感じる。特に好きなのは、「シーンの最前線に立ち続ける覚悟はあるか?」に代表されるような疑問形で終わる煽りだ。これからもこの言葉遊びだけでも見てみたいので、ぜひ誰か買って欲しい。

今日は卒論相談会であった。風邪を引いていて、つらすぎてレジメを作るのが大変だった。ベッドで寝転がって煩悶していると、昔、高三の頃病を得て一ヶ月くらい生活がいっぱいいっぱいだった事を思い出した。その体験のせいで、自分のしたいこと、すべきことが病気によって制限される事をひどく厭うようになったものである。これは今をもっても、個人的にそうなったら嫌な事第一位くらいだ。今回も、レジメを作らなくてはならないのに、起きられないという事態は非常に苦々しいものであった。という事で、頑張って学校に行ってみた。自主ゼミに参加した。その後本を借りて帰った~。で、レジメも無事に出来たわけだ。良かった良かった。風邪も治ってきた。

ジャンプを読みました。ふと気付いたのだが、この前から連載が始まった『ぬらりひょんの孫』『バリハケン』『ダブルアーツ』は全部2クール目にいけそうな気がする。多分だけれど。新連載が三つあって、それらが10週前後で打ち切られず(始めの打ち切りゾーン)全部生き残るのは割りと前代未聞な気がする。気のせいかもしれないけど。 という事で個人的にも新連載陣はどれも楽しいと思う。まぁ『ぬらりひょんの孫』はもっと妖怪をしっかり取り入れて欲しいと思うけど。漫画のために、妖怪で便宜している感がある。妖怪ってのは土地性や場所性が結構大事だ。妖怪ってのはその土地固有の妖怪や、地理に由来する妖怪が多い。ま、こんなたわごと言っても仕方ないか。

チャンピオンを読みました。フルアヘッドココの人は、浦安の人と仲いいのかなぁ~

週べも読みました。交流戦が始まるのか。

2008/05/14のBlog
今日は発表だった。普通であった。もっと読みを練習しておけばよかった。先生の問題の設定の仕方がとても高度だったし、それをすぐに着想できるのはさすがプロだと思いました。明日相談に行きます。あと、発表の内容の役割分担をちゃんと決めてけば良かった。適当に決めてしまった。

その後自主ゼミ。久しぶりだった。

その後スープカレーを食べに行った。これも久しぶり。正午が一秒も無いという事から着想を得たのだが、世の中には本質的な「右」は存在しない。それなのに二日に一回はみんな「右」だの「左」だのあっちこっち言って指している。いや政治的な問題とかではなく、単純に方向の「右」とか「左」だ。逆から見たら「右」は「左」だろ。そんな話をした気がする。

久しぶりにスープカレーを食べて美味しかった。また行きたいと思った。寿司も食いたい。もう少し、論文読んで、明日に備えよう!

スザンヌは日本人なのかという疑問が友人より打電された。それについて色々(室伏はどうなのだ?)と考えていた。
2008/05/13のBlog
[ 00:05 ] [ 大学生活 ]
今日は一限を遅刻した上、寝た。その後ずっとゼミの準備。完成しました。明日発表である。

しかし、卒論について、いま一歩判然としない。先生に相談しようにも、何を相談していいかがわからない。明日あたり相談にいければ良いな。こういうことは気軽に聞いていいものなのかな、と思う。多分聞かないとどうしようもないから、しっかりお話をうかがいに行くとしよう。

もう少しで教育実習も始まる。いろいろなところで、先生よ呼ばれる諸諸の人に迷惑をかけてしまうだろうなぁ。

私はわりと長く寝たい体質である。大体9時間くらい寝たほうが調子がいい。七時間半が快適な日々を送るための下限だと思う。今日は五時間しか寝ていないので、一限は寝るし、昼間も眠たいし、機嫌も良好ではなく、暗鬱と卒論に対しての構想を練成しているのである。

池の鴨が元気そうでした。
2008/05/12のBlog
[ 23:31 ] [ 大学生活 ]
ゼミの発表で、夢について調べるなかで、平安時代の貴族の藤原行成が遺した『権記』を読みました。

行成の妻が夢を見たそうで、夫と一緒に月を見たのだそうだ。それを夫に報告した。それが書き残され、伝世して俺が見ている。

それでそのとき妻は懐妊していて、その六ヵ月後に女児を産むのだが、そのときに女児と共に亡くなってしまうのだ。永年連れ添ったが別れは一瞬であった、という感じの呆然とした記事が続く。病気平伏のための加持祈祷の記述の膨大さもすさまじかった。

妻が夢を見たときには、もしかしたらすでに将来の健康に対して不安があったのかもしれないなぁ、なんて思うと、一緒に月を見る行為も、切実な感情に思えてくる。

平安時代はすぐ人死ぬし、結構さびしい世界だと思う。

予備校時代の古典の先生が、古典はその時代その時代の寂しさを感じるものだ見たいな事を言っていた。いつの世にも、不条理なことはあるよね。さびしさってのはそういうことなのかなと、今になて思います。

あまり準備が進まない。ちゃんとやらないとゼミで読んでる日記の記主の成尋さんの佛罰がいつか下りそうで怖い。
2008/05/09のBlog
昨今鳥居みゆきの隠喩に気付いていない人が多い。ヒットは鬱で、ランは躁。一見無意味に言っているようで、実は意味があるってのは個人的にも結構実践したい事柄だ。「面白い」かはともかくとして、鳥居みゆきはテレビへの方便として、社会的に禁忌なネタをそんな風にオブラートで包んでいるのだ。偉い。鳥肌実はそういうことできるのかな?

そんなことはともかく、今日は待ち合わせに思いっきり遅刻してしまった。これはいかん。ちゃんと予定がわかっていたのに、全部把握していなかったのであった。今後気をつけよう。サークルを引き継いだので、安心して放心したのである。

そういえば今日は、霊夢を見た。いや博麗神社の巫女ではなくて、夢です。お告げじみたゆめ。日蓮宗の題目が響き渡る中、曾祖母が西方浄土より声をかけてきた。最近どうだいと聞かれたので、回りの皆さんに助けられて、環境が良く頑張れています、と答えた。その調子で頑張るんだよと言って、夢から醒めました。感涙極まりなし。

これは、ゼミの準備で、昔の人が見た夢に関してまとめようと思っていたので、見たのかもしれない。

「化けの皮を剥いでやるぜ!」という言葉が、よく正義の側から発せられる。が、「皮を剥ぐ」という行為は、およそ正義の側が行う行為ではない。非人道的である。

しかし、しっかりとした誰から見てもわかる正義は漫画とかの中にしか登場しない。現実の世界にあふれる様々な正義は、見ようによれば、どれも欺瞞であり、とある正義の名の下に、酷いことが日夜行われていることは、マスコミがセンセーショナルに語るところである。

なので、「化けの皮を剥いでやるぜ」とのたまう正義の側は、わりと現実的な物言いをしているといえるのではないか。自己の正義を妄信し、その名の下には断行も辞さない態度である。化けの皮云々は、よく現実に照らし合わせれば、まったく現実的な言葉なのだ。
2008/05/07のBlog
鳥獣たちには、日ごろから言いたい事があって、それはお前らアホじゃないかという事だ。

鳥たちは人間が近づいてくると逃げるのであるが、何で逃げるのかわからない。いやブロイラーとかなら逃げるのはわかるんですよ。地鶏とかも。だって食われるじゃあないか。俺だって食べられそうになったら逃げます。多分他の人もそうなんじゃないかと思うんだ。

でも、カラスはそういうの無いと思うんです。後そこらにいる鴨とかも。近くで見るとカラスとかってのは結構でかいし、くちばしも鋭い。鴨も何考えているのかわからない顔をしている。

ここは逆に、可愛く人間の肩に飛び移ろうとすれば良いのではと思う。大抵の人間はこれを怖がるだろう。今の世の中、もう誰も(カラス駆除員以外)、カラスを捕らえようとなんてしてないのだから、逆にこれは人間を除く方法として適していると思うのです。

そしてそのうち、ほとんどの人間は鳥に対して無抵抗であるとわかるや、鳥たちは積極的に人間を襲います。進化論です。正直、あのスズメでさえ、チュンチュンと殴りかかってくると思う。

そのうち、知恵がついたサルが、これを全部斃してしまうだろう。こうして、着実に世界はSFへと進むのだ。
2008/05/06のBlog
食べ物のビザの話。

ピザってのはとっても美味しいものだ。日本に多く浸透している食い物だ。円山に行けば、たっかいこだわりピザが食えるし、コンビニに行けば100円の冷凍のやつが買える。個人的には、六花亭のレストランが出すピザがとてもすきなのだ。札幌には六花亭レストランてあるのだろうか。あと、飲みに良くのなら北18条のウッドバックというお店のピザがお酒のお供として心強い。ここはマジお勧めなので、今度誰かと行きたいものだ。

そんなピザだが、よく食べやすいように切れ目が入っているピザがある。もしくは、分けやすい様に始めから切って出されるものもある。

俺はいつも思うのだが、これらはピザなのか?

切れ目が入っている状態であるのに、ピザと称して良いのかと思い悩んでいるのである。立派なピザなんて食べた事ないけれど、多分本物ってのは、普通に作ったならば、切れ目は入らないはずだ。焼いてる途中で切れ目がかってに生まれるとか無いはずだ。

トマトとかを切って、サラダに出すことがある。多分これはみんな切ったトマトだと認識するはずだ。だが、ピザの場合、切れ目が入っていても(ワンホールで出されるならば)、ピザとしか認識していないのではないか。

一体、ピザに切れ目を入れる、もしくは商品として出す時点で切っているという行為は、料理の過程であるのだろうか。それとも食事するための作業なのだろうか。ステーキなどは、ほとんど明確に肉を切る作業は食事の作法の部分である。先述のサラダにおけるトマトは、料理の一部分だろう。

では、ピザに切れ目を入れて食べやすくするという行為は、一体どちらに属するのか。私にはこれが全くわからない。ピザ、というものはどういう状態のものを指すのだろうか。どこまでが料理の結果で、どこまでが被食の始まりなのか。

昨今のコンビニの安いピザは、必ずといって良いほど、製作の段階で切れ目が入っている。まるまま焼いたピザと、始めから切れ目を入れたピザは、別物だと思う。という事で別の呼称をつけるべきと思う。チワワとセントバーナード見たいに、ね

このピザの切れ目問題は、上のチーズが割と癒着していて切れ目を入れても割とくっついているように見える点に象徴されるがごとく、未だあやふやなのである。
2008/04/26のBlog
[ 22:01 ] [ 大学生活 ]
もうすぐ日本史の歓迎コンパあるのだ。耳鳴がひどい。

この前カラオケで、セレブ?の日本史OGとデュエットしたのを財界さっぽろに投稿されそうになった俺であるが、そのときに約束したのが、中森明菜の『北ウィング』を次回は歌うということであった。彼女は俺の知らない歌を歌って!!!といって無理やり入れてくるので(これは社会人院生のロサエビーナも同じ傾向にある)何とかそれに応えなくてはならないのだ。下っ端はそういうのが仕事である。

正直なところ、中森明菜に関しては『DESIRE』しか歌えなかったので、見識を広げる意味でも丁度いいのである。私は、聖子派かといえばそうではなく、明菜派であるのだ。いつも謎なのだが、聖子派は一発で変換されないが、明菜派は一発で出るのだ。これは明らかに、このパソコンの変換をつかさどったものが明菜派だったのに違いない証左である。

ま、こんな無意味な対立軸を作ってもどうしようもないのだが。よく、犬派?猫派?という質問があるが、どうして両者が対立しているかのような質問設定が基準としてあるのかと思う。犬も猫もどっちもすきでいいし、どっちも嫌いでもいい。択一を迫られて、両方を選択したり拒否したりする人間が好きだ。

あとテレサテンも歌わなくてはならなかった!!!!俺は懐メロが好きなのかもしれないな。てか、何で若者は今の音楽しか聞かないのだろうかと思う(補遺:そなことないか~昔の曲詳しい人実際多いしなぁ)。例えば、何で自分の誕生日は知っているのに、その年のレコード大賞は知らないのだろうか。両者の価値なんて大した差異はないだろうと思う。

(俺は誕生日なんてこの煩悩渦巻く世にただ生まれただけの記念日であると思っていて大した価値があるものと考えていないのだ。誕生日なんて自分では何もやってないし。ただ産み落とされただけ。自分だけ浮かれてないで、産んでくれた親に感謝すべきである。もっと人間として、個人的に何か大きなことを達成したと思うその日を自分の記念日とすればいいのだ。誕生日なんて糞だ。(言いすぎである))

という事で、85年のレコード大賞は中森明菜の『ミ・アモーレ』であり、86年は同じく中森明菜の『DESIRE』である。

勿論、今の音楽も昔の音楽と同じように愛でるべきである。それは大事。という事で、どっちも愛好していれば、二倍楽しめるのだ。だから今日もカウントダウンTVを見るのだ。

何か攻撃的な文章を書いてしまったが、たまにはそういうこともあるのである。


この前、ガキの使いのヤマちゃん卒業の回で、ヤマちゃんが『フライデイチャイナタウン』を歌っていた。曲名わからないけどラジオで聞いたことがあって、何て曲名だろうと思っていたところなので、丁度良かった。こういうのって、検索できないから困る。そのうち、鼻歌で検索できる、なんてのが出てくるのかもしれないなぁと思った。