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2008/08/03のBlog
[ 03:09 ]
[ 大学生活 ]
久しぶりに、飲みすぎたと思うまでにお酒を飲みました。4㍑ぐらい。許容範囲を超えた。
どういういきさつで飲み会となったかは詳しくはかけないが、ともあれ、おっさんと言うものは、若い女の子がいるとセクハラするものだと言う事を痛感した。やれ相撲をとろうだとか言うし、あとは平気でchincoの話をするし。きっと、若い女の子とあまりにも位相がかけ離れているから、そういったふれあいの仕方・振る舞いの取り方しか出来ないのだろう。別にいいのだけれども。女の子も、もう慣れました~とか言っているし、それで安定していればいいのだ。俺は空気読まずに、えっちいことは嫌いです!と言いまくっていた。まだまだ私も若いと言う事だ。
別にいいのだろうけれど、若い女の子にそればっかり言うのは失礼だし、それしか話せない話題の不足も問題だ。下ねたって盛り上がるけれど、それだけだと短絡的だと思わないのだろうか。何十年同じようなこと言って飽きないのだろうか。俺は中学生くらいのときに思って以来えっちいことは嫌いです!中二病に未だに罹患しているあたり、まだまだ私も若いという事だ。
もう一つ感じたこと。俺とおっさんたちは田舎もの過ぎる。おっさんたちはわが故郷本別より参ったのだが、ひどい。必要以上の大声で喋るし、ビアガーデンのバイトさん(高校生)にセクハラするし、歩き方、喋り方何をとっても田舎風味である。きっと俺も札幌の人から見れば風貌や細かな態度が田舎っぽいのだろうと思ってしまった。けれどもおっさんがたは私よりもどう見ても田舎ものだった。田舎ものは札幌が大好きである。ある種、崇拝の念さえ感じる。意味もなく時計台やテレビ塔に参拝する。そして地域物産展で自分の町の特産品を探す。あっあと、ものの買い方がわからない。マクドナルドとか。俺も、未だに映画館にどうやって入って良いのかわからないのだ。
でも、その状態は、無理して否定できるものではない。田舎に生まれ育った事実は抹消できないのだから、それを秘匿したり無理してアーバンな脳みそに適合する(場合によっては必要だが)ことは、逆に格好が悪い気もする。どう見ても、私は田舎者であるので、そういったことを忘れないために、わざわざ、昔は使いもしなかった「内地」と言う言葉を積極的に使うようにしているのである。今日は故郷のおっさんと話す中で、そういった言葉が自然に使われていて、とても安心した。そして、普段喋っている友人などと接するときは、ああ都市に生まれて育った人たちなのだなぁと羨望を感じているのである。先ほどすこし書いた、都市を崇拝する感覚に通底する感覚である。
補遺:でも、札幌も東京などに比べればどう見ても田舎なのだろうなぁ
飲みはビアガーデンに行ってきたのだが、札幌ジャズシティというイベントがやっていて、ジャズの演奏を聴いた。でも酒を飲みすぎて寝てしまった。これで限界を超えていたと判断できたのである、笑。で、酩酊状態で会場から出てくると、明日の演者がなんと私の大好きなオレンジペコーであることが判明した。酩酊状態でも看板を見る能力は残されていたのだ。これは死んでもいくべきだが、チケットがないとか書いてあったぞ。当日券とかないのかな?オレンジペコーはマジお勧め。でもボーカルの女性の顔が変わりすぎ。何があったというのだ。
故郷の人と接すると、なんだか内省的になれるなぁと思い、また俺の中で田舎と札幌とスタンダードが二つ設定されていることに(いいのかどうかわからないけれど)歴然と気付かされる一日であった。
どういういきさつで飲み会となったかは詳しくはかけないが、ともあれ、おっさんと言うものは、若い女の子がいるとセクハラするものだと言う事を痛感した。やれ相撲をとろうだとか言うし、あとは平気でchincoの話をするし。きっと、若い女の子とあまりにも位相がかけ離れているから、そういったふれあいの仕方・振る舞いの取り方しか出来ないのだろう。別にいいのだけれども。女の子も、もう慣れました~とか言っているし、それで安定していればいいのだ。俺は空気読まずに、えっちいことは嫌いです!と言いまくっていた。まだまだ私も若いと言う事だ。
別にいいのだろうけれど、若い女の子にそればっかり言うのは失礼だし、それしか話せない話題の不足も問題だ。下ねたって盛り上がるけれど、それだけだと短絡的だと思わないのだろうか。何十年同じようなこと言って飽きないのだろうか。俺は中学生くらいのときに思って以来えっちいことは嫌いです!中二病に未だに罹患しているあたり、まだまだ私も若いという事だ。
もう一つ感じたこと。俺とおっさんたちは田舎もの過ぎる。おっさんたちはわが故郷本別より参ったのだが、ひどい。必要以上の大声で喋るし、ビアガーデンのバイトさん(高校生)にセクハラするし、歩き方、喋り方何をとっても田舎風味である。きっと俺も札幌の人から見れば風貌や細かな態度が田舎っぽいのだろうと思ってしまった。けれどもおっさんがたは私よりもどう見ても田舎ものだった。田舎ものは札幌が大好きである。ある種、崇拝の念さえ感じる。意味もなく時計台やテレビ塔に参拝する。そして地域物産展で自分の町の特産品を探す。あっあと、ものの買い方がわからない。マクドナルドとか。俺も、未だに映画館にどうやって入って良いのかわからないのだ。
でも、その状態は、無理して否定できるものではない。田舎に生まれ育った事実は抹消できないのだから、それを秘匿したり無理してアーバンな脳みそに適合する(場合によっては必要だが)ことは、逆に格好が悪い気もする。どう見ても、私は田舎者であるので、そういったことを忘れないために、わざわざ、昔は使いもしなかった「内地」と言う言葉を積極的に使うようにしているのである。今日は故郷のおっさんと話す中で、そういった言葉が自然に使われていて、とても安心した。そして、普段喋っている友人などと接するときは、ああ都市に生まれて育った人たちなのだなぁと羨望を感じているのである。先ほどすこし書いた、都市を崇拝する感覚に通底する感覚である。
補遺:でも、札幌も東京などに比べればどう見ても田舎なのだろうなぁ
飲みはビアガーデンに行ってきたのだが、札幌ジャズシティというイベントがやっていて、ジャズの演奏を聴いた。でも酒を飲みすぎて寝てしまった。これで限界を超えていたと判断できたのである、笑。で、酩酊状態で会場から出てくると、明日の演者がなんと私の大好きなオレンジペコーであることが判明した。酩酊状態でも看板を見る能力は残されていたのだ。これは死んでもいくべきだが、チケットがないとか書いてあったぞ。当日券とかないのかな?オレンジペコーはマジお勧め。でもボーカルの女性の顔が変わりすぎ。何があったというのだ。
故郷の人と接すると、なんだか内省的になれるなぁと思い、また俺の中で田舎と札幌とスタンダードが二つ設定されていることに(いいのかどうかわからないけれど)歴然と気付かされる一日であった。
2008/08/02のBlog
[ 00:58 ]
[ 社会 ]
私は今日、ぶりぶりとうんこをしていた。するとだ、清掃員のおばさんが男子トイレを掃除しているではないか。
私はいつも思うのだが、これって結構重大な問題が含まれていると思う。
その問題点を一気に表出・明言できないのがもどかしいところだ。私の文章表現能力を恨むしかない。徐々に外堀を埋めていこう。
まず、男子便所なのにおばさんである。異性の侵入が許されていないところへ、かなりの合法性を以って入り込んでいる。我々は、普段はトイレの中で異性に出会うことは少ない。勿論、規模や立地の問題でトイレ内で異性が出会う可能性はある。しかし、高度に都市化された場所においてはその可能性は僅少となる。日本文化では、男女のトイレの別は広く認知されているだろう。
それをブレイクスルーする存在として、おばさんがいる。
もう少し問題点の具体性を明らかにしていく。このおばさん清掃問題の考慮されなくてはならない点の第一に、女子トイレに男の清掃員が行くことの不可能性がある。つまり、男子トイレにおばさんが行く、その逆を我々の文化は許容していないのだ。
これはもう少し一般化して考えられる。すなわち女性が男子トイレで用を足すことはなんとなく許容できる(女性が男子トイレにいることは許容できるとも還元できる)。ま、これは俺の感覚なので一概に敷衍できないかもしれないが。
しかしその逆は、誰が見ても許されない。男が女子トイレにいたら、多分犯罪となる。
基本的には、そういった文脈の延長に、掃除のおばさんはある。
ここでもう一つ掃除のおばさんの類型として紹介したいのが、銭湯や温泉で男湯の湯加減や脱衣所の様子を確認する役割のおばさんの存在である。トイレと同じような感じである。
この自体の特徴のもう一つ指摘したい点は、おばさんである点である。若い女の人がそういった役割をしているところはあまり見た事がない。
よくわからないのだ。なんでこのような様態が現出しているのか。もっと違う状態に落ち着いても良いはずなのに、この状態で、皆当たり前のようにそれを目撃して生活している。勿論別にこのままでもいいのだ。だって今までそれが良くないとか問題になったこともないし。でも一般的な法則には当てはまらない。変と言えば変だ。と言う事で、このことに関しての即座の判断は出来ないのである。
こういった、微妙な場所性と、それに付随する微妙なロールの区分けこそに、現代日本社会とか日本文化とかいう大仰な言葉の、本質の一部があるのではないかと思う。瑣末だからこそ如実に見える。やはり、案外神は細部に宿るのだなぁ、と思った。
そんなことを考えながら、テスト中に抜け出したトイレでうんこをしていた。
久しぶりにゲーセンに行って『虫姫様ふたり』をプレイ。敵の出てくる場所を忘れていた。それでもラスボスまでいったぜ。ボムをもっと効果的に、ちゃんと使いきれるようにプレイしたい。あと集中力が続くように心がけたい。それと、もっとゲーセンにシューティングを置いて欲しい。最近めっきり減ってしまった。まぁ、それは問題があるからこそなのだが。それについてはまた今度考えてみよう。
私はいつも思うのだが、これって結構重大な問題が含まれていると思う。
その問題点を一気に表出・明言できないのがもどかしいところだ。私の文章表現能力を恨むしかない。徐々に外堀を埋めていこう。
まず、男子便所なのにおばさんである。異性の侵入が許されていないところへ、かなりの合法性を以って入り込んでいる。我々は、普段はトイレの中で異性に出会うことは少ない。勿論、規模や立地の問題でトイレ内で異性が出会う可能性はある。しかし、高度に都市化された場所においてはその可能性は僅少となる。日本文化では、男女のトイレの別は広く認知されているだろう。
それをブレイクスルーする存在として、おばさんがいる。
もう少し問題点の具体性を明らかにしていく。このおばさん清掃問題の考慮されなくてはならない点の第一に、女子トイレに男の清掃員が行くことの不可能性がある。つまり、男子トイレにおばさんが行く、その逆を我々の文化は許容していないのだ。
これはもう少し一般化して考えられる。すなわち女性が男子トイレで用を足すことはなんとなく許容できる(女性が男子トイレにいることは許容できるとも還元できる)。ま、これは俺の感覚なので一概に敷衍できないかもしれないが。
しかしその逆は、誰が見ても許されない。男が女子トイレにいたら、多分犯罪となる。
基本的には、そういった文脈の延長に、掃除のおばさんはある。
ここでもう一つ掃除のおばさんの類型として紹介したいのが、銭湯や温泉で男湯の湯加減や脱衣所の様子を確認する役割のおばさんの存在である。トイレと同じような感じである。
この自体の特徴のもう一つ指摘したい点は、おばさんである点である。若い女の人がそういった役割をしているところはあまり見た事がない。
よくわからないのだ。なんでこのような様態が現出しているのか。もっと違う状態に落ち着いても良いはずなのに、この状態で、皆当たり前のようにそれを目撃して生活している。勿論別にこのままでもいいのだ。だって今までそれが良くないとか問題になったこともないし。でも一般的な法則には当てはまらない。変と言えば変だ。と言う事で、このことに関しての即座の判断は出来ないのである。
こういった、微妙な場所性と、それに付随する微妙なロールの区分けこそに、現代日本社会とか日本文化とかいう大仰な言葉の、本質の一部があるのではないかと思う。瑣末だからこそ如実に見える。やはり、案外神は細部に宿るのだなぁ、と思った。
そんなことを考えながら、テスト中に抜け出したトイレでうんこをしていた。
久しぶりにゲーセンに行って『虫姫様ふたり』をプレイ。敵の出てくる場所を忘れていた。それでもラスボスまでいったぜ。ボムをもっと効果的に、ちゃんと使いきれるようにプレイしたい。あと集中力が続くように心がけたい。それと、もっとゲーセンにシューティングを置いて欲しい。最近めっきり減ってしまった。まぁ、それは問題があるからこそなのだが。それについてはまた今度考えてみよう。
2008/08/01のBlog
[ 00:08 ]
[ 大学生活 ]
題名は、久しぶりに無意味だ。
最近ちゃんとブログを更新していないので、これからは頑張ろう。
最近、ローゼンメイデンの絵を描いていてなんだか絵が上手くなった気がするぞ。超どうでもいい話だ。
昨日は中世史研究会。全体を包摂していた論題は、鎌倉幕府の専制と合議制がいかようになっていたかであった。将軍専制→御家人合議制→得宗専制へと流れるとしたのが旧説。で、それへの反論として、専制がすっと為されており、合議体制もそのもとで一貫し存続していた、という話があがった。合議と専制の対立軸をはずした感じである。
以上のような論の組み立てはよくわかったし納得行くものだが、細かな証明のところの意味意義が若輩の私には少しくわかりにくかった。勉強あるのみである。
漫画の話。『マイティハート』という漫画があるのだが、今まさに主人公がヒロインの女の子に告白する場面である。その漫画はヒーローもので、ヒロインが普段は高校生でピンチのときに変身する正義の味方で、主人公が普段は高校生だが実は敵の怪人という設定。半ばお約束で、女の子は怪人が主人公である事を知らず、敵である怪人と同級生である高校生状態の主人公どちらにも惹かれていく。主人公は勿論ヒーローの女の子が好きなんです。で、告白した。
こういうのって、告白するまでが一番面白いと思う。そのあとはあれだ、惰性みたいなものだ。と言う事で、今一番いいところ、あぶらがのりきったところなのである。普段は、エッチな展開ばかりの漫画だが、ここ数週は割りとシリアスだ。連載終わってしまうのだろうか。この漫画の絵柄が好きだったので、エッチ展開も多々あるけれど注目してました。明日最新話。楽しみだ。
本(特に小説)や漫画ついて感想を書くのはあまり好きではないのだが、でも自分の言葉にしてみるのも大事かなぁと思われもするなぁと最近思ったので、ミクシのレヴューも更新してみるかな。
オムライスは、オムとライスに分割できると思う。そういった場合オムとはなんなのか。さらにそれならばオムレツのレツとはなんなのか。そういったことは次回述べる事にしよう。いや普通にフランス語なんだけれどな。
最近ちゃんとブログを更新していないので、これからは頑張ろう。
最近、ローゼンメイデンの絵を描いていてなんだか絵が上手くなった気がするぞ。超どうでもいい話だ。
昨日は中世史研究会。全体を包摂していた論題は、鎌倉幕府の専制と合議制がいかようになっていたかであった。将軍専制→御家人合議制→得宗専制へと流れるとしたのが旧説。で、それへの反論として、専制がすっと為されており、合議体制もそのもとで一貫し存続していた、という話があがった。合議と専制の対立軸をはずした感じである。
以上のような論の組み立てはよくわかったし納得行くものだが、細かな証明のところの意味意義が若輩の私には少しくわかりにくかった。勉強あるのみである。
漫画の話。『マイティハート』という漫画があるのだが、今まさに主人公がヒロインの女の子に告白する場面である。その漫画はヒーローもので、ヒロインが普段は高校生でピンチのときに変身する正義の味方で、主人公が普段は高校生だが実は敵の怪人という設定。半ばお約束で、女の子は怪人が主人公である事を知らず、敵である怪人と同級生である高校生状態の主人公どちらにも惹かれていく。主人公は勿論ヒーローの女の子が好きなんです。で、告白した。
こういうのって、告白するまでが一番面白いと思う。そのあとはあれだ、惰性みたいなものだ。と言う事で、今一番いいところ、あぶらがのりきったところなのである。普段は、エッチな展開ばかりの漫画だが、ここ数週は割りとシリアスだ。連載終わってしまうのだろうか。この漫画の絵柄が好きだったので、エッチ展開も多々あるけれど注目してました。明日最新話。楽しみだ。
本(特に小説)や漫画ついて感想を書くのはあまり好きではないのだが、でも自分の言葉にしてみるのも大事かなぁと思われもするなぁと最近思ったので、ミクシのレヴューも更新してみるかな。
オムライスは、オムとライスに分割できると思う。そういった場合オムとはなんなのか。さらにそれならばオムレツのレツとはなんなのか。そういったことは次回述べる事にしよう。いや普通にフランス語なんだけれどな。
2008/07/26のBlog
[ 23:09 ]
[ 今日は・・・○○篇 ]
私がブログを始める動機となった、とても文章が上手で且つ面白いブログサイトがあるのだが、そこは私がブログを始めてすぐに更新されなくなってしまっていた。
お気に入り登録はし続けていたので、今日おもむろにそこへ行ってみた。すると、最近再び更新されるようになっていた。二年ぶりくらいだ。本人によると、当人でさえも残っているとは思わなかったらしい。ただ過去の自分の記録が残っていた事を嬉しく思って、また記録しつづけよう、だとかそんなことが書かれていた。
相変わらず文章は上手で、書いている文章を見るだけで頭のいい人間であると言う事がわかる。たしか実際医学部だったとか。私もそんな感じで悠々とブログを更新したいが、多分一生無理な気がする。
研究計画書の作成が終わらない。ちゃんと事前に考えておけばよかったのだが。
最近思うことは、人間超絶的な贅沢は出来ない。例えばある二つの場所に同時に存在するだとか、複数人間の、相互に侵害しあう願いを同時に実現させるだとか。あれだ、宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶うころ』の歌詞みたいな話だ。
今日は、南部先生の退官講演であった。相変わらずの内容。悪い意味ではないぞ。緻密だなぁと思う。先生と話していても、そういった緻密さを存分に感じさせてくれる人柄だ。研究室での話が長いけど。面白いから良いのだ。
母親が遊びと我が部屋の掃除に来ている。部屋が汚濁しているぞ。恥ずかしい。何故かOBAもやってきた、すしを食べた。美味しかった。こはだはこのしろとも言うらしい事を研究室で教えてもらったので、こはだを食べた。
そうそう、音楽の話だが、ミクシのマイミュージックってどうやったら表示されるんだろうか?よくわからないな。アンドリュースシスターズのCDが欲しい。『かおすキッチン』という漫画があるのだが、絵も話の内容も擬古的である。料理部に所属する魔法少女が悪を討つ話。昭和の絵柄。でも随所に昭和っぽさを変成しなおし、この平成の世でネオ昭和っぽさとしてアレンジしている。ま、当然しなくてはならないものなのだが、まさに古に擬する感じが出ていて好感である。音楽の話が漫画の話になってしまった。
レツとライスに対してのオムとは何かについては、次回論及する事になるであろう。
お気に入り登録はし続けていたので、今日おもむろにそこへ行ってみた。すると、最近再び更新されるようになっていた。二年ぶりくらいだ。本人によると、当人でさえも残っているとは思わなかったらしい。ただ過去の自分の記録が残っていた事を嬉しく思って、また記録しつづけよう、だとかそんなことが書かれていた。
相変わらず文章は上手で、書いている文章を見るだけで頭のいい人間であると言う事がわかる。たしか実際医学部だったとか。私もそんな感じで悠々とブログを更新したいが、多分一生無理な気がする。
研究計画書の作成が終わらない。ちゃんと事前に考えておけばよかったのだが。
最近思うことは、人間超絶的な贅沢は出来ない。例えばある二つの場所に同時に存在するだとか、複数人間の、相互に侵害しあう願いを同時に実現させるだとか。あれだ、宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶うころ』の歌詞みたいな話だ。
今日は、南部先生の退官講演であった。相変わらずの内容。悪い意味ではないぞ。緻密だなぁと思う。先生と話していても、そういった緻密さを存分に感じさせてくれる人柄だ。研究室での話が長いけど。面白いから良いのだ。
母親が遊びと我が部屋の掃除に来ている。部屋が汚濁しているぞ。恥ずかしい。何故かOBAもやってきた、すしを食べた。美味しかった。こはだはこのしろとも言うらしい事を研究室で教えてもらったので、こはだを食べた。
そうそう、音楽の話だが、ミクシのマイミュージックってどうやったら表示されるんだろうか?よくわからないな。アンドリュースシスターズのCDが欲しい。『かおすキッチン』という漫画があるのだが、絵も話の内容も擬古的である。料理部に所属する魔法少女が悪を討つ話。昭和の絵柄。でも随所に昭和っぽさを変成しなおし、この平成の世でネオ昭和っぽさとしてアレンジしている。ま、当然しなくてはならないものなのだが、まさに古に擬する感じが出ていて好感である。音楽の話が漫画の話になってしまった。
レツとライスに対してのオムとは何かについては、次回論及する事になるであろう。
2008/07/23のBlog
[ 23:41 ]
[ 大学生活 ]
今日はテストだった。橋本先生のやつ。時間が足りなかった。でもそれなりにかけた。金曜日に、橋本先生のゼミの飲み会があるので、そのときに書ききれなかったことを離してみようと思う。あと、願書に添付する、研究方針みたいなやつを書かなくてはならないのが厳しいな。
また、国語学概論の筆記もきつい。自筆ノート以外持ち込み不可能なうえ、覚えることが膨大にある。
さっき地震があった。私は十勝という地震ばかり起きる地域に生まれ育った。なので震度4以上でないと地震ではないというような感覚がある。また物騒な能力だが、S波とP波の時間差で大体の震源の位置を予測できる。さらにS波の強さと長さの関係から大体の震度までわかる。スタンド能力だ。
今回はかなり大きい地震だったみたいだが、怪我人などいなければ良いと思う。
また、国語学概論の筆記もきつい。自筆ノート以外持ち込み不可能なうえ、覚えることが膨大にある。
さっき地震があった。私は十勝という地震ばかり起きる地域に生まれ育った。なので震度4以上でないと地震ではないというような感覚がある。また物騒な能力だが、S波とP波の時間差で大体の震源の位置を予測できる。さらにS波の強さと長さの関係から大体の震度までわかる。スタンド能力だ。
今回はかなり大きい地震だったみたいだが、怪我人などいなければ良いと思う。
2008/07/22のBlog
[ 23:21 ]
[ 大学生活 ]
おケツが全開の状態とは、なにもけつをズボンから突出させている状態を言うのではないのだ。勿論、そのような状態であっても、おケツ全開といいえる状態は間々ある。だが本質はそこではないのだ。
おケツがフルオープンと言う状態を一言で言い表すのならば、それは気概である。気概だ。チを中途に入れてはならぬぞ。気概だ。気概。気概ね。
クレヨンしんちゃんは確かにケツを突出させている。しかしそれ以上に彼のその状態を如実に示しているのは彼の精神力である。言い換えるのならば気概だ。
彼はおケツをその気概を以って突出させているのであって、まず先にありきなのは気概である。
一体、誰が気概なくしておもむろにおケツを噴出させえようか。おケツを突沸させるのは、ひとえにおケツを惹起させんとする心構えである。
と言う事で、大切なのは心持ちである事が理解していただけたであろう。なんにするにしてもだ。みんなもおケツをだそうとするならば、まずはそう固く意図し、思考しなくてはならないのだ。
一方逆に、何も考えなくても(ここでは、わざわざおケツをだそうと思わなくても)、無意識のうちにそれを実現してしまっている人がいる。勿論ここでは、何も考えなくてもプリケツを露光している人物が想定される。
そういう無意識的おケツ開眼のタイプに属する人間は、逆に自分がおケツを現出させていることを意識すべきではない。なぜなら、彼は無意識であるが故に、その状態を実現維持できているのかもしれないからだ。意識することで、はずかしいだとか、何をやっておるのだとか、おケツを開帳するという究極目標に疑念を生じさせかねない。
こういう状態の人間は、自分の今ある状態に無意識的でい続けるべきだ。これは事前の状態が無意識であるぶん、一度意識してしまうとなかなか後戻りできないが、そうすることが最良であるのならばそういった形の努力をするべきなのである。
私は前者なので、おケツを顕然させる気概を以って、この万象の世界に挑んでいるのである。勿論おケツは不可視の状態に隠蔽しているが。おケツをださないってのは当たり前、社会常識だ。
高校生やその他諸の人から、私がシュールであると言われた。でも、シュールにははるか遠くに及ばないと思う。なぜならここでがたがたと実存しながらキーを打っているわけだからなわははは
真面目な話。国語教育において、一生懸命近代詩や近代の俳句・短歌を勉強するわけだ。いつも思うが、現代のそういった連中、つまりこの平成の時代に詩や俳句の本を刊行し、それを中心に飯を食っているやつらがどんな感じで、彼らがどんな作品を書いて、どんな生活を送っているのかもっと紹介するべきだ。小説家よりもレアだ。そういった連中こそが、かっこいいのだ。
おケツがフルオープンと言う状態を一言で言い表すのならば、それは気概である。気概だ。チを中途に入れてはならぬぞ。気概だ。気概。気概ね。
クレヨンしんちゃんは確かにケツを突出させている。しかしそれ以上に彼のその状態を如実に示しているのは彼の精神力である。言い換えるのならば気概だ。
彼はおケツをその気概を以って突出させているのであって、まず先にありきなのは気概である。
一体、誰が気概なくしておもむろにおケツを噴出させえようか。おケツを突沸させるのは、ひとえにおケツを惹起させんとする心構えである。
と言う事で、大切なのは心持ちである事が理解していただけたであろう。なんにするにしてもだ。みんなもおケツをだそうとするならば、まずはそう固く意図し、思考しなくてはならないのだ。
一方逆に、何も考えなくても(ここでは、わざわざおケツをだそうと思わなくても)、無意識のうちにそれを実現してしまっている人がいる。勿論ここでは、何も考えなくてもプリケツを露光している人物が想定される。
そういう無意識的おケツ開眼のタイプに属する人間は、逆に自分がおケツを現出させていることを意識すべきではない。なぜなら、彼は無意識であるが故に、その状態を実現維持できているのかもしれないからだ。意識することで、はずかしいだとか、何をやっておるのだとか、おケツを開帳するという究極目標に疑念を生じさせかねない。
こういう状態の人間は、自分の今ある状態に無意識的でい続けるべきだ。これは事前の状態が無意識であるぶん、一度意識してしまうとなかなか後戻りできないが、そうすることが最良であるのならばそういった形の努力をするべきなのである。
私は前者なので、おケツを顕然させる気概を以って、この万象の世界に挑んでいるのである。勿論おケツは不可視の状態に隠蔽しているが。おケツをださないってのは当たり前、社会常識だ。
高校生やその他諸の人から、私がシュールであると言われた。でも、シュールにははるか遠くに及ばないと思う。なぜならここでがたがたと実存しながらキーを打っているわけだからなわははは
真面目な話。国語教育において、一生懸命近代詩や近代の俳句・短歌を勉強するわけだ。いつも思うが、現代のそういった連中、つまりこの平成の時代に詩や俳句の本を刊行し、それを中心に飯を食っているやつらがどんな感じで、彼らがどんな作品を書いて、どんな生活を送っているのかもっと紹介するべきだ。小説家よりもレアだ。そういった連中こそが、かっこいいのだ。
2008/07/21のBlog
[ 23:50 ]
[ 大学生活 ]
学校の学校祭のために本別へ帰っていた。高校生と先生と再会。楽しかった。が、人数が少なかった。
相撲の話。白鵬や、今場所は休場だけれど朝青龍は、立会いのときはりさしと言って相手のほほに張り手をしてから、右手なり左手なりを相手に差す立会いがとても多いと思う。
はりさしをすると、立会いが緩慢になってしまう。ちょっと地味で姑息と言えば姑息だ。
ただこれは、立会いで変化される可能性が少なくなるし安定して好きな差し手へ持ち込めるメリットがある。風習的に、上の人間が下の人間にやるわざだと思う。格下がやるのはあまり見た事がない。当今流行の立会いである。
ちょっと話は変わるけれど、かつてけたぐりが汚いと言った横綱審議委員会の人間がいたが、全然そんなことはない。綺麗なわざである。決まるとかっこいい。相撲は畢竟相手の力も考慮してとらねばならないのだから、そういった点けたぐりは非常にシステマティックで見ていて気持ちがいいのだが(たとえ横綱がやろうとも)。横綱なんて勝てばいいのだ勝てば。
と言う事ではりさしもそれはそれでいいのである。
山本昌がもうすこしですな。
相撲の話。白鵬や、今場所は休場だけれど朝青龍は、立会いのときはりさしと言って相手のほほに張り手をしてから、右手なり左手なりを相手に差す立会いがとても多いと思う。
はりさしをすると、立会いが緩慢になってしまう。ちょっと地味で姑息と言えば姑息だ。
ただこれは、立会いで変化される可能性が少なくなるし安定して好きな差し手へ持ち込めるメリットがある。風習的に、上の人間が下の人間にやるわざだと思う。格下がやるのはあまり見た事がない。当今流行の立会いである。
ちょっと話は変わるけれど、かつてけたぐりが汚いと言った横綱審議委員会の人間がいたが、全然そんなことはない。綺麗なわざである。決まるとかっこいい。相撲は畢竟相手の力も考慮してとらねばならないのだから、そういった点けたぐりは非常にシステマティックで見ていて気持ちがいいのだが(たとえ横綱がやろうとも)。横綱なんて勝てばいいのだ勝てば。
と言う事ではりさしもそれはそれでいいのである。
山本昌がもうすこしですな。
2008/07/14のBlog
[ 23:26 ]
[ 大学生活 ]
日曜日に研究室でレポートをまとめていたら、ひょっこりセレブがやってきた。俺一人だと言う事を看取すると、飲みに誘われた。四時半。二つ返事でオーケー。レポートなどよりも大切な事だ。
セレブと会話。昭和の乙女である。全く平成生まれよりもわかりやすくてよいのだ。恋愛に関して。やや久しく清談す。
今日は教育課程論2のテストと、上述のレポート(課程論1)提出日であった。無事に終了。酒を飲まなければ、もっといいのがかけたであろう。いいのだが。
テストのほうでは、『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』という国語表現法で先生が紹介してくれた本を地味に引用して、成績アップの為の媚を売った。これはお勧めの本である。
ワシは何とかなんじゃ!
ワシはそう思わんわい!
見たいな博士語。
何とかアルヨ!
perfumeを聴くヨロシ!
見たいなニセ中国人語
わたくし、うまい棒なら野菜サラダが良くてよ
あなたは、蒲焼さんはおすきであって?
見たいなお嬢様語
こんな言葉遣い・表現をしている博士や中国人やお嬢様は見たことない。まず身近な文学部の博士の先生は、誰もそんな風に喋らないぞ!南部先生でも。でも当たり前の感覚として、私たちの内面にこの口調は存している。こういったことを、ステレオタイプ化の概念とともに、近代日本が創り出した「標準語」の問題を明らかにしながら解明していく。
取っ掛かりと、そこから展開される内容、どちらも個人的に興味を持っていたものなのでとても楽しく読めました。
よく考えたら、セレブが飲みに行ったときお嬢様言葉に近い言葉を使っているように思えたのは、酒を飲みすぎたせいであろう・・・・・・・・・おお
セレブと会話。昭和の乙女である。全く平成生まれよりもわかりやすくてよいのだ。恋愛に関して。やや久しく清談す。
今日は教育課程論2のテストと、上述のレポート(課程論1)提出日であった。無事に終了。酒を飲まなければ、もっといいのがかけたであろう。いいのだが。
テストのほうでは、『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』という国語表現法で先生が紹介してくれた本を地味に引用して、成績アップの為の媚を売った。これはお勧めの本である。
ワシは何とかなんじゃ!
ワシはそう思わんわい!
見たいな博士語。
何とかアルヨ!
perfumeを聴くヨロシ!
見たいなニセ中国人語
わたくし、うまい棒なら野菜サラダが良くてよ
あなたは、蒲焼さんはおすきであって?
見たいなお嬢様語
こんな言葉遣い・表現をしている博士や中国人やお嬢様は見たことない。まず身近な文学部の博士の先生は、誰もそんな風に喋らないぞ!南部先生でも。でも当たり前の感覚として、私たちの内面にこの口調は存している。こういったことを、ステレオタイプ化の概念とともに、近代日本が創り出した「標準語」の問題を明らかにしながら解明していく。
取っ掛かりと、そこから展開される内容、どちらも個人的に興味を持っていたものなのでとても楽しく読めました。
よく考えたら、セレブが飲みに行ったときお嬢様言葉に近い言葉を使っているように思えたのは、酒を飲みすぎたせいであろう・・・・・・・・・おお
2008/07/11のBlog
[ 23:15 ]
[ 大学生活 ]
今日は大学において、てんぷらについて友人と話し合った。
てんぷらと言う料理の主幹を為すのは、ころもである。ころもがなければただのピーマンだったり、ナスであったりするのみである。
てんぷらの共通項として、かならずそこにはころもが付帯しているのだ。
そういう点から言うと、ころもはてんぷらの本質であるようだが、実際のところそうではない。ころもばかり食べるのはおかしい。これは瞭然としている。
ではナスやピーマンが本質かと言うとそうではなく、ころもがなければ只の野菜どもであることはもはや贅言しない。
ということで、てんぷらが好きな人間は、てんぷらの共通項であるところのころもがすきなのであると思われるが、いったいころもが好きだ、と明言する人間は幾許であろうか。私は今日友人との対話の中で、敢えてこの立場をとり、てんぷらに通底するころもが好きだから、私はてんぷらが好きだと供述したのであった。
でも冷静に考えて、ころもがすきだってのはおかしい。
私はてんぷらが好きだ。しかし、そのどこがすきなのだろう。エビのてんぷらが好きだ、などという立場であればわかりやすかったのに、なまじてんぷら全体を指して好きだと言ってしまったので、具体性が霧散し、にっちもさっちも行かなくなってしまったのである。
奇跡のうどんの話は又今度にしようと思う。
横光利一の小説群を読了。あれだな、『日輪』の卑弥呼に萌えた。
てんぷらと言う料理の主幹を為すのは、ころもである。ころもがなければただのピーマンだったり、ナスであったりするのみである。
てんぷらの共通項として、かならずそこにはころもが付帯しているのだ。
そういう点から言うと、ころもはてんぷらの本質であるようだが、実際のところそうではない。ころもばかり食べるのはおかしい。これは瞭然としている。
ではナスやピーマンが本質かと言うとそうではなく、ころもがなければ只の野菜どもであることはもはや贅言しない。
ということで、てんぷらが好きな人間は、てんぷらの共通項であるところのころもがすきなのであると思われるが、いったいころもが好きだ、と明言する人間は幾許であろうか。私は今日友人との対話の中で、敢えてこの立場をとり、てんぷらに通底するころもが好きだから、私はてんぷらが好きだと供述したのであった。
でも冷静に考えて、ころもがすきだってのはおかしい。
私はてんぷらが好きだ。しかし、そのどこがすきなのだろう。エビのてんぷらが好きだ、などという立場であればわかりやすかったのに、なまじてんぷら全体を指して好きだと言ってしまったので、具体性が霧散し、にっちもさっちも行かなくなってしまったのである。
奇跡のうどんの話は又今度にしようと思う。
横光利一の小説群を読了。あれだな、『日輪』の卑弥呼に萌えた。
2008/07/10のBlog
[ 23:40 ]
[ 相撲 ]
御相撲さんとアンパンマンにつきて書く前に、一つ報告する事があって、それは大地参照のソプラノパートをさっきこっそり歌ってみたところ、裏声を出せば歌うことが可能であったのである。でもそんな事できたって何も意味がないのですよ。
御相撲さんと聞いて、ああ相撲取りの事か、と思う人は多いと思う。それで問題は全くない。
では次にアンパンマンの話に登場するゲスト的な人物を紹介する。主に、一話限りで登場する、その回のストーリーに綿密に絡んでいる何らかの要素を帯びたキャラクターである。
アンモナイトくん
たわしくん
エクレアさん
白玉さん
こんなキャラが登場するのだが、こういった連中(れんじゅう)の中にお相撲さんは決して参入出来ない。
なぜなら、これは当然の事だが、お相撲さんは千代大海とか北勝海のことであり、アンパンマンのキャラではないからである。お相撲さんが買金満にだまされたりするってのは想像しがたい事態である。
もう少し構造的に見ると、お相撲さんとはお相撲をとる人間である。SUMOUをPlayする人間である。一方、案パンパンマンのキャラは、顔である。(例:天丼マン)(例外:ロールパンナ)
と言う事で、お相撲さんは顔がお相撲ではない。よってアンパンマンのキャラとして相応しくない。
と思いきや、実は先ほど挙げたアンモナイトくんは、顔はアンモナイトじゃない。単純にアンモナイト好きの人間である。確か…。昔に見たので正確に覚えてないのだが。白玉さんもたしかスーツみたいなのを着ていて人間タイプだった気がする。
と言う事で、「お相撲さん」というキャラもアンパンマンに登場する可能性が見えてくるのである。
ここにおいて、お相撲さんは二重の意味を持つ。すなわちスモウプレイヤーである点と、アンパンマンに登場する固有のキャラとである。
でもどうせ登場したところで、語尾が「なんとかでごわす!」だとか口癖が「ごっちゃんです!」見たいな感じで、ステレオタイプ的なキャラクターになるのは目に見えている。どうせ裸体にマワシだろうし。こういう意味では、お相撲さんはこの比較構造においては二重の意味を持ちきれていないといいえるのだ。
しかし、本来お相撲さんは「なんとかでごわす!」だとか「ごっちゃんです!」とかそんなに言わない。普通に敬語だ。気は優しくて力持ち、なんてのもある種幻想だ。朝青龍みたいに怖いのもいる。だが、現実ではありえないステレオタイプを得ている。
このステレオタイプ的お相撲さんと、現実の実際的なお相撲さんを比べるとき、私たちはお相撲さんに二重の意味を有しているといえるのである。
なんだか意味が不明である。が、でもこんな事考えたって意味がないのですよ。
御相撲さんと聞いて、ああ相撲取りの事か、と思う人は多いと思う。それで問題は全くない。
では次にアンパンマンの話に登場するゲスト的な人物を紹介する。主に、一話限りで登場する、その回のストーリーに綿密に絡んでいる何らかの要素を帯びたキャラクターである。
アンモナイトくん
たわしくん
エクレアさん
白玉さん
こんなキャラが登場するのだが、こういった連中(れんじゅう)の中にお相撲さんは決して参入出来ない。
なぜなら、これは当然の事だが、お相撲さんは千代大海とか北勝海のことであり、アンパンマンのキャラではないからである。お相撲さんが買金満にだまされたりするってのは想像しがたい事態である。
もう少し構造的に見ると、お相撲さんとはお相撲をとる人間である。SUMOUをPlayする人間である。一方、案パンパンマンのキャラは、顔である。(例:天丼マン)(例外:ロールパンナ)
と言う事で、お相撲さんは顔がお相撲ではない。よってアンパンマンのキャラとして相応しくない。
と思いきや、実は先ほど挙げたアンモナイトくんは、顔はアンモナイトじゃない。単純にアンモナイト好きの人間である。確か…。昔に見たので正確に覚えてないのだが。白玉さんもたしかスーツみたいなのを着ていて人間タイプだった気がする。
と言う事で、「お相撲さん」というキャラもアンパンマンに登場する可能性が見えてくるのである。
ここにおいて、お相撲さんは二重の意味を持つ。すなわちスモウプレイヤーである点と、アンパンマンに登場する固有のキャラとである。
でもどうせ登場したところで、語尾が「なんとかでごわす!」だとか口癖が「ごっちゃんです!」見たいな感じで、ステレオタイプ的なキャラクターになるのは目に見えている。どうせ裸体にマワシだろうし。こういう意味では、お相撲さんはこの比較構造においては二重の意味を持ちきれていないといいえるのだ。
しかし、本来お相撲さんは「なんとかでごわす!」だとか「ごっちゃんです!」とかそんなに言わない。普通に敬語だ。気は優しくて力持ち、なんてのもある種幻想だ。朝青龍みたいに怖いのもいる。だが、現実ではありえないステレオタイプを得ている。
このステレオタイプ的お相撲さんと、現実の実際的なお相撲さんを比べるとき、私たちはお相撲さんに二重の意味を有しているといえるのである。
なんだか意味が不明である。が、でもこんな事考えたって意味がないのですよ。
