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2008/08/22のBlog
[ 01:24 ]
「もし世界が100人の村だったら・・ あなたもここに生きています」 池田香代子さんと語るつどい
■ 日時: 8月31日(日)午後1時半から
■ 場所: 篠山市中央図書館視聴覚室
■ お話: 池田香代子さん
池田香代子さんは世界平和アピール七人委員会メンバーであり、5月4日から3日間、2万人を超える参加者を集めて幕張で開かれた「9条世界会議」では、実行委員会共同代表として力強いアピールをされました。年間100回を超える講演を引き受けて、「私たちは微力だけれども無力ではない」と訴え続けています。今回は、参加者ひとりひとりが市民として、今どういう歴史的な位置にあり、どういう責任を負っているか、具体的に何ができるかを共に考える場としたいと相談しています。是非ご参加下さい。
■ 日時: 8月31日(日)午後1時半から
■ 場所: 篠山市中央図書館視聴覚室
■ お話: 池田香代子さん
池田香代子さんは世界平和アピール七人委員会メンバーであり、5月4日から3日間、2万人を超える参加者を集めて幕張で開かれた「9条世界会議」では、実行委員会共同代表として力強いアピールをされました。年間100回を超える講演を引き受けて、「私たちは微力だけれども無力ではない」と訴え続けています。今回は、参加者ひとりひとりが市民として、今どういう歴史的な位置にあり、どういう責任を負っているか、具体的に何ができるかを共に考える場としたいと相談しています。是非ご参加下さい。
2008/08/09のBlog
[ 16:23 ]
[ 日本国憲法 ]
語り継ごう戦争体験――満州における日本陸軍入隊とシベリア抑留からの生還――中溝一義さんの体験談 ―①―
昭和14年満州の溶鉱炉の会社へ就職した。
やがて。満洲の日本陸軍の大半は南方へ移動、日本の飛行機は一機も飛ばなくなった。
しかし、米軍のB29は連日飛来した。
昭和19年8月兵隊検査合格、11月、満洲の中隊(陸軍の特攻隊150人)へ入隊。
訓練で銃は撃たなかった。
銃剣術と「箱爆弾」=爆薬を抱いて敵の戦車に体当たりする徹底した訓練を受けた。
銃剣を持たない しかも訓練を受けない丸腰の新兵が補充されて来た。40代の補充兵・初年兵がいた。数だけそろえて70万。
しかし、銃はなく、手りゅう弾10発。銃弾が500発あっただけ。
昭和20年8月15日8時、「戦争は終わった」と中隊長。何のことかわからなかった。
しばらくして、日の丸の戦車が白旗を立てて降りてきた。その後ろからソ連の戦車7両とジープが威嚇射撃をしながら降りてきた。その時初めて、敗戦を知った。信じられなかった、日本は神の国で、負けるなどとは、今まで考えたこともなかったからである。
11時、武装解除された。ロシア兵が、日本兵に腕時計を出せ、という。腕に3つも時計をつけていながら。
11月、シベリア方面から空の列車(無蓋車)が来た。
しかし大連方面からどんどこどんどこ戻ってくる列車は、戦利品を満載してシベリア方面へ帰っていく。毎日2~3列車。2か月ほど続いた。
ついに日本帝国軍2000人は貨車に乗せられる。ロシア兵は行き先は何も言わない。日本へ帰れるんだという期待、いや・・・と言う者・・・誰も何も知らない。
貨車は動き出した。それはシベリア方面だった。皆、愕然とした。 (つづく)
7月20日(日) 篠山市中央図書館での中溝一義さんの体験談を要約したものです。
…………………………………………
=== 体験談から今を考える ===
…………………………………………
「爆薬を抱いて敵の戦車に体当たりする徹底した訓練を受けた」・・・
と、中溝さんのお話。これは、作りごとではない壮絶と残酷のドキュメント。
大日本帝国・文部省は、この残酷な人命軽視、人権無視を、そう思わせるのではなく「お国のため」の勇壮で神聖な愛国的行為と信じて疑わない人づくりを系統的にやってきた。教科書で「爆弾三勇士」「木口子平」など日本軍の英雄として教科書にとりあげてきた。
爆弾三勇士とは、1932年(昭和7年)、上海事変で突撃路を築くため、 点火した破壊筒をもって敵陣に突入爆破し、自らも爆死した3人の日本兵を「 勇士 」として讃え美化した。
「木口子平」は日清戦争で戦死した兵士。ラッパ手として死んでもも、口からラッパを離さなかった事から当時の国民に影響を与えた。また戦死すれば「軍神」となり靖国神社に合祀されるという神話を広めた。中溝さんも間一髪で靖国神社の「軍神」にされるところであった。
いまもなお、「軍神」を讃え、靖国神社に参拝する大臣や政治家などは多い。
靖国神社崇拝史観派は政治家と結び、新しい歴史観と称して中学校や高校の教科書をつくっている。それだけでなく、自民党は憲法草案を発表。権利よりも「愛国心」と国防等の義務を強調し、復活させようとしている。
また、9・11のニューヨークテロ攻撃事件やアフガン、イラク等におけるいわゆる「自爆テロ・攻撃」の原型は日本帝国軍隊にあるともいえる。
(文責・石田宇則)
'[写真は、アフガン、イラク攻撃に出撃している原子力空母ジョージ・ワシントン。戦闘能力は通常空母の約2倍といわれているが、大火災を起こし、危険性が実証された。修理中のため横須賀への配備は遅れている。また、大火災の原因は隠されている。(Wikipedia参照)]
昭和14年満州の溶鉱炉の会社へ就職した。
やがて。満洲の日本陸軍の大半は南方へ移動、日本の飛行機は一機も飛ばなくなった。
しかし、米軍のB29は連日飛来した。
昭和19年8月兵隊検査合格、11月、満洲の中隊(陸軍の特攻隊150人)へ入隊。
訓練で銃は撃たなかった。
銃剣術と「箱爆弾」=爆薬を抱いて敵の戦車に体当たりする徹底した訓練を受けた。
銃剣を持たない しかも訓練を受けない丸腰の新兵が補充されて来た。40代の補充兵・初年兵がいた。数だけそろえて70万。
しかし、銃はなく、手りゅう弾10発。銃弾が500発あっただけ。
昭和20年8月15日8時、「戦争は終わった」と中隊長。何のことかわからなかった。
しばらくして、日の丸の戦車が白旗を立てて降りてきた。その後ろからソ連の戦車7両とジープが威嚇射撃をしながら降りてきた。その時初めて、敗戦を知った。信じられなかった、日本は神の国で、負けるなどとは、今まで考えたこともなかったからである。
11時、武装解除された。ロシア兵が、日本兵に腕時計を出せ、という。腕に3つも時計をつけていながら。
11月、シベリア方面から空の列車(無蓋車)が来た。
しかし大連方面からどんどこどんどこ戻ってくる列車は、戦利品を満載してシベリア方面へ帰っていく。毎日2~3列車。2か月ほど続いた。
ついに日本帝国軍2000人は貨車に乗せられる。ロシア兵は行き先は何も言わない。日本へ帰れるんだという期待、いや・・・と言う者・・・誰も何も知らない。
貨車は動き出した。それはシベリア方面だった。皆、愕然とした。 (つづく)
7月20日(日) 篠山市中央図書館での中溝一義さんの体験談を要約したものです。
…………………………………………
=== 体験談から今を考える ===
…………………………………………
「爆薬を抱いて敵の戦車に体当たりする徹底した訓練を受けた」・・・
と、中溝さんのお話。これは、作りごとではない壮絶と残酷のドキュメント。
大日本帝国・文部省は、この残酷な人命軽視、人権無視を、そう思わせるのではなく「お国のため」の勇壮で神聖な愛国的行為と信じて疑わない人づくりを系統的にやってきた。教科書で「爆弾三勇士」「木口子平」など日本軍の英雄として教科書にとりあげてきた。
爆弾三勇士とは、1932年(昭和7年)、上海事変で突撃路を築くため、 点火した破壊筒をもって敵陣に突入爆破し、自らも爆死した3人の日本兵を「 勇士 」として讃え美化した。
「木口子平」は日清戦争で戦死した兵士。ラッパ手として死んでもも、口からラッパを離さなかった事から当時の国民に影響を与えた。また戦死すれば「軍神」となり靖国神社に合祀されるという神話を広めた。中溝さんも間一髪で靖国神社の「軍神」にされるところであった。
いまもなお、「軍神」を讃え、靖国神社に参拝する大臣や政治家などは多い。
靖国神社崇拝史観派は政治家と結び、新しい歴史観と称して中学校や高校の教科書をつくっている。それだけでなく、自民党は憲法草案を発表。権利よりも「愛国心」と国防等の義務を強調し、復活させようとしている。
また、9・11のニューヨークテロ攻撃事件やアフガン、イラク等におけるいわゆる「自爆テロ・攻撃」の原型は日本帝国軍隊にあるともいえる。
(文責・石田宇則)
'[写真は、アフガン、イラク攻撃に出撃している原子力空母ジョージ・ワシントン。戦闘能力は通常空母の約2倍といわれているが、大火災を起こし、危険性が実証された。修理中のため横須賀への配備は遅れている。また、大火災の原因は隠されている。(Wikipedia参照)]
2008/07/29のBlog
[ 05:26 ]
★「ヒロシマナガサキ」上映のご案内
*8月6日(水)ポップアップホール(丹波市氷上町・ゆめタウン2階) 上映時間:①午前11時 ②午後2時 ③午後4時半 ④午後7時
*8月8日(金)三田駅前キッピーモール6階・多目的ホール(三田市駅前町) 上映時間:①午後2時 ②午後4時半 ③午後7時
前売り券:1000円(当日1500円) ※学生(小・中・高・大)500円(当日券のみ)
前売り券取扱所
●(株)大東 : 文具店、079-562-6261、三田本町センター街
●平瀬楽器三田センター : 079-563-3600、三田市中央町
●あかね書房ウッディタウン店 : 079-565-3600、えるむプラザ
●小山書店 : 079-552-0019、篠山市魚屋町
●ゆめタウン1階サービスカウンター : 0795-82-8600
●柏原町観光案内所 : 0795-73-0303
主催 : 『ヒロシマナガサキ』を観る会
(電話:0795-73-3869 Fax: 0795-72-3639
Eメール: hiroshimanagasaki@excite.co.jp )
★公式ブログ: http://ameblo.jp/hiroshimanagasaki
【 「ヒロシマナガサキを観る会」で検索してください。 】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8月6日(水)、丹波市氷上町・ゆめタウンにあるポップアップホールで『ヒロシマナガサキ』上映会が行われます。主催者の『ヒロシマナガサキ』を観る会は、この映画を一人でも多くの市民に観てもらいたいと参加を呼びかけています。
以下は、監督のメッセージです。
<スティーヴン・オカザキ監督のメッセージ>
アメリカ人がヒロシマとナガサキについて話すとき、ほとんどいつも、原爆投下の決断の是非をめぐる議論になってしまいます。日本が降伏を拒否したのだから、原爆投下は正当化されるのかどうか、またどれだけの数のアメリカ人と日本人の命がそれによって救われたのか、などなど。
一方で日本人が話すときは、原爆投下と、戦時下の日本によるその他の行いとを切り離してしまうことが多いのです。まるで、日本人は罪のない戦争被害者であり、故意に参戦したのではなく、侵略国でもなかった、と言うかのように。
どちらの国も、失われた命や苦しみに対する自らの責任を避けて語りたがります。アメリカ版の物語では、広島と長崎の人々の苦しみが無視されています。日本版の物語では、第2次世界大戦下の中国や韓国朝鮮、フィリピンや沖縄の人々の苦しみが無視されています。
メディアは、被爆者のことを犠牲者か英雄のように描き出します。でもどちらでもありません。彼らは何とかして生きのびた普通の人々です。幸運だったので生き残った人、人を出し抜いて生き残った人、自らの才覚で何とか生きのびた人などさまざまです。同じ状況下で被爆して生き残った人もいるし、亡くなった人もいます。爆心から何キロも離れたところで亡くなった人もいれば、爆心からほど近くで被爆して、今も生きている人もいます。残酷な人もいたでしょうし、親切な人もいたでしょう。でも、生き残ったこと自体は、その人が良い人間だったかどうかとは無関係なことなのです。
この映画の中の被爆者を見て、あなたのおじいさんやおばあさんのような人の話だと考えないで下さい。彼らが若い頃の写真を見てください。彼らが話す物語を聞いて下さい。当時の彼らはあなたと同じでした。背が小さかったり高かったり。運動が得意だけど歴史は苦手だったり、運動は苦手だけど音楽は得意だったり。そんな彼らが、あの朝起きて、ごはんを食べ、学校に向かい、空を見上げたその瞬間、突然人生がそれまでとは違うものになってしまったのです、永遠に。
彼らに起きたことは、私たちにも起こりうるのです。1945年には、原爆は3つしかありませんでした。今日、広島型原爆の40万発に相当する、何万という核兵器が世界に存在します。
これは、過去についての映画ではありません。未来についての映画です。
あなたは、どのような未来を望みますか?
(「ヒロシマナガサキ」を長く広める会ホームページより)
*8月6日(水)ポップアップホール(丹波市氷上町・ゆめタウン2階) 上映時間:①午前11時 ②午後2時 ③午後4時半 ④午後7時
*8月8日(金)三田駅前キッピーモール6階・多目的ホール(三田市駅前町) 上映時間:①午後2時 ②午後4時半 ③午後7時
前売り券:1000円(当日1500円) ※学生(小・中・高・大)500円(当日券のみ)
前売り券取扱所
●(株)大東 : 文具店、079-562-6261、三田本町センター街
●平瀬楽器三田センター : 079-563-3600、三田市中央町
●あかね書房ウッディタウン店 : 079-565-3600、えるむプラザ
●小山書店 : 079-552-0019、篠山市魚屋町
●ゆめタウン1階サービスカウンター : 0795-82-8600
●柏原町観光案内所 : 0795-73-0303
主催 : 『ヒロシマナガサキ』を観る会
(電話:0795-73-3869 Fax: 0795-72-3639
Eメール: hiroshimanagasaki@excite.co.jp )
★公式ブログ: http://ameblo.jp/hiroshimanagasaki
【 「ヒロシマナガサキを観る会」で検索してください。 】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8月6日(水)、丹波市氷上町・ゆめタウンにあるポップアップホールで『ヒロシマナガサキ』上映会が行われます。主催者の『ヒロシマナガサキ』を観る会は、この映画を一人でも多くの市民に観てもらいたいと参加を呼びかけています。
以下は、監督のメッセージです。
<スティーヴン・オカザキ監督のメッセージ>
アメリカ人がヒロシマとナガサキについて話すとき、ほとんどいつも、原爆投下の決断の是非をめぐる議論になってしまいます。日本が降伏を拒否したのだから、原爆投下は正当化されるのかどうか、またどれだけの数のアメリカ人と日本人の命がそれによって救われたのか、などなど。
一方で日本人が話すときは、原爆投下と、戦時下の日本によるその他の行いとを切り離してしまうことが多いのです。まるで、日本人は罪のない戦争被害者であり、故意に参戦したのではなく、侵略国でもなかった、と言うかのように。
どちらの国も、失われた命や苦しみに対する自らの責任を避けて語りたがります。アメリカ版の物語では、広島と長崎の人々の苦しみが無視されています。日本版の物語では、第2次世界大戦下の中国や韓国朝鮮、フィリピンや沖縄の人々の苦しみが無視されています。
メディアは、被爆者のことを犠牲者か英雄のように描き出します。でもどちらでもありません。彼らは何とかして生きのびた普通の人々です。幸運だったので生き残った人、人を出し抜いて生き残った人、自らの才覚で何とか生きのびた人などさまざまです。同じ状況下で被爆して生き残った人もいるし、亡くなった人もいます。爆心から何キロも離れたところで亡くなった人もいれば、爆心からほど近くで被爆して、今も生きている人もいます。残酷な人もいたでしょうし、親切な人もいたでしょう。でも、生き残ったこと自体は、その人が良い人間だったかどうかとは無関係なことなのです。
この映画の中の被爆者を見て、あなたのおじいさんやおばあさんのような人の話だと考えないで下さい。彼らが若い頃の写真を見てください。彼らが話す物語を聞いて下さい。当時の彼らはあなたと同じでした。背が小さかったり高かったり。運動が得意だけど歴史は苦手だったり、運動は苦手だけど音楽は得意だったり。そんな彼らが、あの朝起きて、ごはんを食べ、学校に向かい、空を見上げたその瞬間、突然人生がそれまでとは違うものになってしまったのです、永遠に。
彼らに起きたことは、私たちにも起こりうるのです。1945年には、原爆は3つしかありませんでした。今日、広島型原爆の40万発に相当する、何万という核兵器が世界に存在します。
これは、過去についての映画ではありません。未来についての映画です。
あなたは、どのような未来を望みますか?
(「ヒロシマナガサキ」を長く広める会ホームページより)
2008/07/17のBlog
[ 21:39 ]
[ 九条の会・ささやま 会報 ]
お話: 中溝一義さん (篠山市在住 83歳)
日時: 7月20日(日) 午後1時半から
場所: 篠山市中央図書館視聴覚室
昭和20年8月9日中ソ国境を越えて侵攻してきたソ連軍によってシベリアに捕虜として抑留された日本兵の数は60万人(一説によれば200万人)帰国の日を待たずに亡くなった方は55000人とも6万人とも言われています。当時20歳だった中溝さんは、入隊後わずか数ヶ月で貨車にのせられ、モンゴルのまた奥地の収容所に送られました。真冬には零下47度まで下がるという極寒の地で、パン一枚とわかめスープだけの食事、強制労働で衰弱したところに蔓延したチフス、犠牲者の大半は最初の冬を越せずに命を落としました。
今回、4年の抑留生活を生き抜いた貴重な体験を話してくださることになりました。
2008/07/14のBlog
[ 11:26 ]
[ 非核平和の篠山をめざして ]
08「原水爆禁止・平和大行進」は、炎天の7月13日(日) 午後3時、篠山市役所前 に子どもから高齢者まで笑顔で続々と参集。予想を超える30数名が結集しました。
安留紘一氏(年金者組合)の司会のもと、石田宇則実行委員会代表、坂本県原水協事務局次長、前田えり子市議のあいさつと酒井隆明市長の激励メッセージを受け開会式を行いました。
開会式では、1958年原水爆禁止・被爆者援護を求めて、一人から始まった平和行進が最後には一万人になったこと。それから50年、今年も全国各地から、原水爆禁止世界大会の開かれる八月の広島へ、雨の日も風の日も歩き続けてきた運動が、世界に原水爆を許さない世論として拡がり、原水爆の使用をくい止めてきたこと。しかし、その陰で、新型核兵器やミサイル等の開発と配備を進め、宇宙規模のミサイル防衛システムや原子力空母の配備などが現在も執拗に進められていること。横須賀の米軍基地には。原子力空母ジョージ・ワシントン(10万4200t。333m)配備がされ。イラク・アフガン攻撃の中枢は一段と強化されています。また、米国はポーランドにミサイルを配備、チェコにレーダー網施設の建設を計画。これにたいして。数万の市民の反対デモが起こっています。
また、政府与党議員には、非核三原則を放棄した核武装論者も少なからず(兵庫にも)、そうした内外の軍拡が進む中、憲法9条と非核「神戸方式」を世界に広げることの重要性と、篠山における非核都市宣言の制定は焦眉の課題であることが訴えられました。
行進は、炎天の市内商店街を一周しました。
<主なアッピール>
篠山の[非核平和都市宣言」を実現しよう!
非核「神戸方式」を世界に広めよう!
横須賀に原子力空母を配備するな!
政府は非核三原則(作らず、持たず、持ち込ませず)を堅持せよ!
自衛隊海外派兵恒久法は許さないぞ!
憲法九条を守り、世界平和に生かそう!
世界の核兵器を廃絶させよう!
篠山市も住民も、戦争に巻き込まれないため、不断の努力をしよう!
'(写真は、先日大火災を起こし、修理中のため横須賀への配備が遅れている原子力空母ジョージ・ワシントン(詳しくはWikipedia参照)
安留紘一氏(年金者組合)の司会のもと、石田宇則実行委員会代表、坂本県原水協事務局次長、前田えり子市議のあいさつと酒井隆明市長の激励メッセージを受け開会式を行いました。
開会式では、1958年原水爆禁止・被爆者援護を求めて、一人から始まった平和行進が最後には一万人になったこと。それから50年、今年も全国各地から、原水爆禁止世界大会の開かれる八月の広島へ、雨の日も風の日も歩き続けてきた運動が、世界に原水爆を許さない世論として拡がり、原水爆の使用をくい止めてきたこと。しかし、その陰で、新型核兵器やミサイル等の開発と配備を進め、宇宙規模のミサイル防衛システムや原子力空母の配備などが現在も執拗に進められていること。横須賀の米軍基地には。原子力空母ジョージ・ワシントン(10万4200t。333m)配備がされ。イラク・アフガン攻撃の中枢は一段と強化されています。また、米国はポーランドにミサイルを配備、チェコにレーダー網施設の建設を計画。これにたいして。数万の市民の反対デモが起こっています。
また、政府与党議員には、非核三原則を放棄した核武装論者も少なからず(兵庫にも)、そうした内外の軍拡が進む中、憲法9条と非核「神戸方式」を世界に広げることの重要性と、篠山における非核都市宣言の制定は焦眉の課題であることが訴えられました。
行進は、炎天の市内商店街を一周しました。
<主なアッピール>
篠山の[非核平和都市宣言」を実現しよう!
非核「神戸方式」を世界に広めよう!
横須賀に原子力空母を配備するな!
政府は非核三原則(作らず、持たず、持ち込ませず)を堅持せよ!
自衛隊海外派兵恒久法は許さないぞ!
憲法九条を守り、世界平和に生かそう!
世界の核兵器を廃絶させよう!
篠山市も住民も、戦争に巻き込まれないため、不断の努力をしよう!
'(写真は、先日大火災を起こし、修理中のため横須賀への配備が遅れている原子力空母ジョージ・ワシントン(詳しくはWikipedia参照)
2008/07/09のBlog
[ 05:07 ]
[ 非核平和の篠山をめざして ]
63年前、世界で初めて原子爆弾が広島と長崎に投下され、「大日本帝国」は降伏した。その破壊力の大きさは、それ以前の火薬爆弾の破壊力とは比較ができない放射能被害を伴い、63年たった今にまで後遺症を与え続け、その子孫に二次被害、三次被害をもたらすという非人道的兵器であった。
その上に、日本政府(厚労省)自体が,アメリカに屈服し続け、高裁判決に従わず、被爆認定を狭め、未だに渋り続けてるという由々しい現実がある。
その間、国民のなかから、この非人道的兵器を三たび許してはならないという運動が広まり、原水爆禁止世界大会が続けて50年になる。その運動の世論の高まりの中で、かつて日本政府は、核兵器を「作らず」「持たず」「持ち込ませず」のいわゆる非核三原則を公約してきた。そして、世界的世論の広がりの中で、原水爆は、三度目の投下を食い止めてきた。
しかし、恐ろしいのはあの原水爆の悲惨な非人道的被害を認識しない世代が増え、代議士や大臣にさえ、日本も原水爆を保有するべしという核保有論者が、兵庫県からも当選する時代になった。また、核兵器の小型化や、劣化ウラン爆弾など次々と新兵器が登場し、アフガンやイラクはその実験場とされている。
しかも核武装論者は、原水爆という耳障りな言葉を避け「宇宙防衛システム」とか「ミサイル防衛システム」「核抑止力」などと言いつつ、アメリカの核戦略に追随・加担するなかで日進月歩の核武装が、国民の目につかないところで、自動的に着々と進められ,
横須賀には原子力空母ジョージワシントンが配備されようとしているている。
防衛省次官の汚職事件に露呈したように、防衛戦略も配備購入手段も、所詮は軍事企業と死の商人ら一味の利益追求の手段であり、国を守るどころか、国民を欺き、平和に逆行する国家的犯罪である。
そういう内外の、平和の理念なき国家的犯罪と腐敗のなか、7.月13日、横須賀においては、原子力空母の配備を許すな全国集会がひらかれます。篠山においては、原水爆の禁止を求め、「非核平和都市宣言」を求める平和行進を行います。
全国の仲間とともに ごいっしょにがんばりましょう!
篠山の[非核平和都市宣言」を実現しよう!
非核「神戸方式」を世界に広めよう!
横須賀に原子力空母を配備するな!
政府は非核三原則(作らず、持たず、持ち込ませず)を堅持せよ!
自衛隊海外派兵恒久法は許さないぞ!
憲法九条を守り、世界平和に生かそう!
世界の核兵器を廃絶させよう!
篠山市も住民も、戦争に巻き込まれないため、不断の努力をしよう!
■ 2008年7月13日(日) 午後3時
■ 篠山市役所前
■ 商店街を一周します
国民平和大行進・篠山市実行委員会
(九条の会ささやま、丹有労連、丹波年金者組合、新婦人他の有志)
2008/06/29のBlog
[ 07:21 ]
『ヒロシマナガサキ』を観る会の公式ブログがスタートしました。
http://ameblo.jp/hiroshimanagasaki/
http://ameblo.jp/hiroshimanagasaki/
2008/06/18のBlog
[ 12:54 ]
[ 九条の会・ささやま 会報 ]
5月の連休、最終日に「九条世界会議 in関西」に行って来ました。JR桜島駅で電車を降りた時から異様な雰囲気で、一体どこからこんなに人が集まってきたのかと不思議なくらいの人出で、チャーターされた大型バスはすぐいっぱいになり、会場の舞洲アリーナへと運ばれました。会場はもっとすごい人で、熱気に溢れていました。8000人の参加者だったそうです。早速、ワークショップ「世界の貧困・紛争・環境と9条」に参加しました。アフリカの実情が語られ、コンゴなどアフリカの紛争地において平和憲法を制定する必要性が訴えられました。
午後から海外ゲストのスピーチがあり、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが流暢な日本語で話されたのがとても印象に残りました。彼女はウィーンで生まれ、家族が移住した東京で15歳まで過ごしました。戦争終結後、両親の住む日本に帰国し、連合国軍最高総司令官ダグラス・マッカーサーの翻訳家として働き始めました。1946年2月4日の朝10時に民生局長ホイットニー准将によって憲法草案制定会議のメンバーに任命されました。ケーディス大佐が憲法草案の仕事を振り分け、人権に関する草案は3人に与えられ、その中の1人が22歳のベアテだったのです。彼女は女性の権利の他にも学問の自由についても書きたいと言いました。マッカーサー元帥の命令で、一週間で書き上げねばならなかったので朝から晩までいろんな憲法を読んで何が日本の国に合うのか、自分の経験から日本の女性にはどういう権利が必要なのかよく考えました。女性のいろんな権利を入れたかったのですが、男性ばかりの運営委員会も日本の政府も受け入れがたく現在の24条になったのです。
1952年占領軍がアメリカに帰った時に、この新しい憲法は日本に押しつけられたものであるから改正すべきだという論調が起こり今に続いています。しかし、日本の憲法はアメリカの憲法より素晴らしい憲法ですから押しつけという言葉は使えないかもしれません。
憲法草案に参加したベアテたちは、長い間この仕事について沈黙していました。1つにはこれが極秘であったということと、当時22歳だったベアテの若さを盾にとって改正を進めることを恐れたからです。
「いい憲法だったら守るべきです」と訴えるベアテさんの言葉に割れんばかりの拍手が沸き起こりました。 (E.I.)
午後から海外ゲストのスピーチがあり、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが流暢な日本語で話されたのがとても印象に残りました。彼女はウィーンで生まれ、家族が移住した東京で15歳まで過ごしました。戦争終結後、両親の住む日本に帰国し、連合国軍最高総司令官ダグラス・マッカーサーの翻訳家として働き始めました。1946年2月4日の朝10時に民生局長ホイットニー准将によって憲法草案制定会議のメンバーに任命されました。ケーディス大佐が憲法草案の仕事を振り分け、人権に関する草案は3人に与えられ、その中の1人が22歳のベアテだったのです。彼女は女性の権利の他にも学問の自由についても書きたいと言いました。マッカーサー元帥の命令で、一週間で書き上げねばならなかったので朝から晩までいろんな憲法を読んで何が日本の国に合うのか、自分の経験から日本の女性にはどういう権利が必要なのかよく考えました。女性のいろんな権利を入れたかったのですが、男性ばかりの運営委員会も日本の政府も受け入れがたく現在の24条になったのです。
1952年占領軍がアメリカに帰った時に、この新しい憲法は日本に押しつけられたものであるから改正すべきだという論調が起こり今に続いています。しかし、日本の憲法はアメリカの憲法より素晴らしい憲法ですから押しつけという言葉は使えないかもしれません。
憲法草案に参加したベアテたちは、長い間この仕事について沈黙していました。1つにはこれが極秘であったということと、当時22歳だったベアテの若さを盾にとって改正を進めることを恐れたからです。
「いい憲法だったら守るべきです」と訴えるベアテさんの言葉に割れんばかりの拍手が沸き起こりました。 (E.I.)
[ 12:31 ]
[ 九条の会・ささやま 会報 ]
恐ろしい事件や大災害がたて続けに起こっている昨今であるが、いいニュースにも出会ったので挙げてみたい。
カントの「永遠平和のために」という本に出会った。
今読みやすく分かりよく書かれた小さな本がでている。カントといえば18世紀のフランスの哲学者。私には縁のない人であったが、フランス革命のころの世界の混沌とした時代にこのような永遠平和を求める賢者がいたことに驚きである。
・平和というのは すべての敵意が終わった状態をさしていう。
・戦争状態とは、武力によって正義を主張するという、悲しむべき非常手段にすぎない。
常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである。
・国家は所有物でも財産でもない。国家は一つの人間社会であって、自ら支配し、自ら運営する。
・自らが幹であり、自らの根をもっている。
・いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない。
内部抗争がまだ決着をみていないのに、よそから干渉するのは、国家の権利を侵害している。
その国の国民は病んだ内部と闘っているだけで、よその国に依存しているわけではないのだ。
このようなカントの平和を希求する思想が国連ができる基となったとのことである。
ルワンダで死刑制度廃止
アフリカ・ルワンダで住民による住民への大量虐殺が行われたことは世界の人々の記憶にまだ生々しい。犠牲者は80万とも100万ともいわれる。隣のおじさんがある日、殺人鬼となって短期間に殺していった。終わって捕らえられ公開死刑となって殺人鬼たちは処刑されていった。それでめでたしとは殺された側の人々はならなかったのだ。信じられないことだが処刑ではなく、残された人々の再生のために荒廃した土地で彼らを共労者として働かせている。そして夫を殺された妻は殺した隣人と昔の友人のようにまた親戚のように接している。信じられない奇跡が起こっている。ルワンダではあまりに大量の殺人犯が出たため?どうして許しあえるのか?日本では死刑判決が増え続けているというのに。許しの心はどこからくるのであろうか。
世界では日本の九条を手本に
アフリカはヨーロッパの植民地・奴隷市場の歴史から、厳しい自然・内紛・エイズ・貧困と多くの問題をかかえているが、豊富な地下資源をもち最近、急成長している。しかし、貧しい人は貧しいままで厳しい状態に変わりない。ガーナでは平和を求めて日本の憲法九条を手本に戦争をしない国・武力を持たない国にと新憲法を作った。若い学生たちも熱心に平和について学んでいる。
又、ルワンダでは新憲法で女性の議員が30パーセント以上と決められ、現在40パーセントの女性議員が活躍している。女性の経済的自立のために民芸品の美しい籠を編むことを奨励して世界の市場にだしている。たいへん女性が元気のいい国となっている。
四川省大地震
中国は先の中国主席の訪日後、未曾有の大震災に見舞われた。日本は災害救助隊に続き医療班を中国に送った。かの地の人々は大変感謝しているとのこと。塞翁が馬という中国の古い諺があるがお互いよいときも悪い時も交流して助け合っていくことこそ一番大切なこと。国際貢献はこういう形で行うのが一番と思う。
クラスター爆弾を廃止する決断
世界から再三クラスター爆弾廃止に日本の同意が求められていたが政府は首を縦には振らなかった。しかしダブリンでの会議の最後に福田総理の決断で廃止することに決めたそうだ。大変嬉しいことである。不発弾が多く残り 犠牲になるのは戦闘とは関係のない一般の市民・とりわけ幼い未来のある子どもたちである。アメリカ・ロシア・中国がまだ沢山もっているらしいが日本が廃止し世界の趨勢が廃止であれば何時の日か地球からなくなる日も近いかもしれない。希望を失わないでおこう。
(O.H)
カントの「永遠平和のために」という本に出会った。
今読みやすく分かりよく書かれた小さな本がでている。カントといえば18世紀のフランスの哲学者。私には縁のない人であったが、フランス革命のころの世界の混沌とした時代にこのような永遠平和を求める賢者がいたことに驚きである。
・平和というのは すべての敵意が終わった状態をさしていう。
・戦争状態とは、武力によって正義を主張するという、悲しむべき非常手段にすぎない。
常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである。
・国家は所有物でも財産でもない。国家は一つの人間社会であって、自ら支配し、自ら運営する。
・自らが幹であり、自らの根をもっている。
・いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない。
内部抗争がまだ決着をみていないのに、よそから干渉するのは、国家の権利を侵害している。
その国の国民は病んだ内部と闘っているだけで、よその国に依存しているわけではないのだ。
このようなカントの平和を希求する思想が国連ができる基となったとのことである。
ルワンダで死刑制度廃止
アフリカ・ルワンダで住民による住民への大量虐殺が行われたことは世界の人々の記憶にまだ生々しい。犠牲者は80万とも100万ともいわれる。隣のおじさんがある日、殺人鬼となって短期間に殺していった。終わって捕らえられ公開死刑となって殺人鬼たちは処刑されていった。それでめでたしとは殺された側の人々はならなかったのだ。信じられないことだが処刑ではなく、残された人々の再生のために荒廃した土地で彼らを共労者として働かせている。そして夫を殺された妻は殺した隣人と昔の友人のようにまた親戚のように接している。信じられない奇跡が起こっている。ルワンダではあまりに大量の殺人犯が出たため?どうして許しあえるのか?日本では死刑判決が増え続けているというのに。許しの心はどこからくるのであろうか。
世界では日本の九条を手本に
アフリカはヨーロッパの植民地・奴隷市場の歴史から、厳しい自然・内紛・エイズ・貧困と多くの問題をかかえているが、豊富な地下資源をもち最近、急成長している。しかし、貧しい人は貧しいままで厳しい状態に変わりない。ガーナでは平和を求めて日本の憲法九条を手本に戦争をしない国・武力を持たない国にと新憲法を作った。若い学生たちも熱心に平和について学んでいる。
又、ルワンダでは新憲法で女性の議員が30パーセント以上と決められ、現在40パーセントの女性議員が活躍している。女性の経済的自立のために民芸品の美しい籠を編むことを奨励して世界の市場にだしている。たいへん女性が元気のいい国となっている。
四川省大地震
中国は先の中国主席の訪日後、未曾有の大震災に見舞われた。日本は災害救助隊に続き医療班を中国に送った。かの地の人々は大変感謝しているとのこと。塞翁が馬という中国の古い諺があるがお互いよいときも悪い時も交流して助け合っていくことこそ一番大切なこと。国際貢献はこういう形で行うのが一番と思う。
クラスター爆弾を廃止する決断
世界から再三クラスター爆弾廃止に日本の同意が求められていたが政府は首を縦には振らなかった。しかしダブリンでの会議の最後に福田総理の決断で廃止することに決めたそうだ。大変嬉しいことである。不発弾が多く残り 犠牲になるのは戦闘とは関係のない一般の市民・とりわけ幼い未来のある子どもたちである。アメリカ・ロシア・中国がまだ沢山もっているらしいが日本が廃止し世界の趨勢が廃止であれば何時の日か地球からなくなる日も近いかもしれない。希望を失わないでおこう。
(O.H)
[ 12:26 ]
[ 九条の会・ささやま 会報 ]
篠山に移り住んでしばらくしたころ、わたしが新聞を配るようになった家の一軒が山根さんでした。「今度配ってくれる人はどんな人やー」と温室から穏やかな丸い顔をのぞかせてくださいました。時々話すようになり、花つくり、お面つくりがプロ級であることを知りました。うちはまったく素人ですが、実のなる植物を夫が趣味にしているので、ご家族で見に来てくださいました。お花をいただいたり、パッションフルーツの苗木を差し上げたり親しくしていただきました。そのうち、この方が広島と長崎で二度も被爆し、広く丹波、篠山の地で平和の語り部をしておられることを知りました。おりしも、「戦争してはいけない、憲法9条を守ろう」と篠山にも9条の会が生まれ、お話をしてほしいと、お願いしました。
軍隊の仕事で1945年8月6日、広島に入り地獄を経験し、たまたま9日には命令で長崎に行ったところ再び原爆投下。死体の山、「水を水を・・」と息絶えていった人々、「赤ちゃんをお願い・・」といって死んだ母親、「兵隊さん、なぜ私たちが・・・」の声が忘れられません。そんな中で おろかな戦争は絶対してはいけない、命ある限り戦争反対を訴えようと、考えたそうです。被爆による多くの病気とも闘ってこられました。
そしてこのたびの訃報は私にとってびっくりすることでした。なぜなら、ほんのこの間まで花のために、娘さんと温室で動いておられたし、調子が悪いとき、往診のお医者さんに「点滴は、ここに吊ったらいいわ」などといって前日までしっかりしておられたようでしたので。
本当に最後まで元気(そう)に生きられた方でした。4月30日朝、静かに永眠されたのです。私たち9条の会は、山根巳代治さんの意思を確かに受け継ぐとともに、心からご冥福をお祈りしたいと思います。 〈Y.M〉
軍隊の仕事で1945年8月6日、広島に入り地獄を経験し、たまたま9日には命令で長崎に行ったところ再び原爆投下。死体の山、「水を水を・・」と息絶えていった人々、「赤ちゃんをお願い・・」といって死んだ母親、「兵隊さん、なぜ私たちが・・・」の声が忘れられません。そんな中で おろかな戦争は絶対してはいけない、命ある限り戦争反対を訴えようと、考えたそうです。被爆による多くの病気とも闘ってこられました。
そしてこのたびの訃報は私にとってびっくりすることでした。なぜなら、ほんのこの間まで花のために、娘さんと温室で動いておられたし、調子が悪いとき、往診のお医者さんに「点滴は、ここに吊ったらいいわ」などといって前日までしっかりしておられたようでしたので。
本当に最後まで元気(そう)に生きられた方でした。4月30日朝、静かに永眠されたのです。私たち9条の会は、山根巳代治さんの意思を確かに受け継ぐとともに、心からご冥福をお祈りしたいと思います。 〈Y.M〉