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2007/05/15のBlog
[ 23:26 ]
[ 【憲法問題】 ]
非常に遺憾なことであるが、憲法改憲手続きを定める国民投票法案が5月14日、自民・公明与党の賛成多数で参議院本会議で可決、当法案はこの日成立と相成った。
そこで、すっかり恒例となった新聞各紙がこの”事件”をどのように報道しているかを吟味し、そしてランク付けを行ってみたい思う。
私個人的には、今回の国民投票法はあまりにも無残な、”穴だらけ”の法、つまりは”ざる法”の亜流とみなしている。
そんなこともあり、先ずは新聞各紙の報道を観察し、この国民投票法とは何たるかを理解したいと考えている。
なぜならば、これが国民投票法案改正の第1歩となるからでる。
そう、私はこの悪法を早速改正すべきと考えている。成立したらそれでおしまい、という態度はあまりもおかしいのではないか?そこが日本人の悪いところだと思う。
悪法は改正すればいいのです!
今回のランキングの対象となる新聞は前回同様、「朝日新聞」「読売新聞」「毎日新聞」「日本経済新聞社」「東京新聞」「産経新聞」の6紙、日付は全紙、国民投票法成立翌日の5月15日である。
ただ、時間と労力の都合上、先ずは上位3紙を発表したいと思う。
さあ、それではいってみましょう!
【第1位】 東京新聞
■1面
:「国民投票、最短で2011年 任期中改憲 公・民協力は不透明」
■社説
:「国民投票 ぎらつく「改憲ありき』」
■その他の記事(特集など)
・「憲法 解かれた封印 対談 船田元×枝野幸男」
<所感>
今回、非常に力強い紙面を作り、そして国民投票法の核心に最も迫った新聞であろう。
特に”社説”が秀逸。付帯決議が18件もある”歪んだ”事実を、まず「前文」としてドンと据えるあたり、今回の国民投票法の”胡散臭さ”、”脆弱性”といったポイントを見事に突いている。そして、公述人の意見がまともに採用された形跡もない「結論ありき」だった今回の法案。さらに、安倍首相の、目先の参院選へ、政権の実績をアピールする思惑が露呈している点を厳しく指摘している。
また、法案成立に伴う、与野党のキーマンとなった「船田元」「枝野幸男」両氏のインタビュー「憲法 解かれた封印」も、大きな写真と共にインパクトのある記事となった。国家権力の横暴を抑えている現憲法に対し、国民の責務を盛り込む議論を進めていきたいとする船田氏に対し、そもそも安倍首相は立憲主義の何たるかを理解していない。立憲主義の基本を理解するという共通の土俵に立ってくれなければ、議論のしようもないとする枝野氏。写真の向こう側から、枝野氏は我々を睨みつける。
【第2位】 毎日新聞
■1面
:「国民投票法成立 『凍結3年間』-改憲論議の焦点」
■社説
:「論憲をいっそう深めよう 分からぬことが多過ぎる」
■その他の記事(特集など)
・「国民投票法成立 不透明な改憲路線」
<所感>
今度の”国民投票法”とやらは、一体何ぞや?さっぱり分からんわ!安倍晋三って何考えとんの?
-そんな国民の声を代弁する紙面づくりだ。確かに、今回成立した国民投票法はおかしなところばかり目に付く。
まず、施行まで3年もあるというのに、この「凍結期間中」何を議論するか、さっぱり決まっていない。公明党も3年後には改憲案をまとめると言いつつ、そのまま憲法審査会に反映させるのは困難だともいう(結局何もしないのだろうか?)
さらに、安倍首相が指向する「改憲」と「解釈変更」の二兎を追う手法は矛盾があるとの指摘も。「憲法解釈がその時々の内閣で揺らいではいけない。まず憲法改正をすべき」と主張する山崎拓前副総裁に対し、中曽根元首相は国民の信を問うために衆議院解散を唱える。そんな中で、当の安倍首相はこの3年間に何を画策しているのか、手の内を明かにしてはいないのだ。
【第3位】 朝日新聞
■1面
:「国民投票法成立 安倍路線加速 改憲掲げ参院選へ強気」
■社説
:「投票法成立 『さあ改憲』とはいかぬ」
■その他の記事(特集など)
・「改憲 そろわぬ歩調 公明は9条より環境権」
<所感>
朝日新聞にしては珍しい淡白な内容である。
ただ、安倍首相の強気な面は、しっかり前面に打ち出してきた。憲法改正を在任中の政治的スケジュールに乗せることに、彼は意欲満々である。集団的自衛権研究のスケジュールでも、彼は強気の姿勢は崩さない。これを「国会開会中に開きたい」のだそうだ!この研究会は18日に開催が決まってしまった。
このように、国民投票法成立を受けて、安倍首相は7月の参院選で改憲を問う姿勢をますます強めている。もちろん、改憲の中身は9条を変えることにある。
自民党案の9条部分を紹介しよう。
《9条2項の戦力不保持や交戦権否認の規定は削除され、代わりに「わが国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する」》
なんとも過激な内容である。つまり、現在の自衛隊ではなく、普通の軍隊を持つというのだ。これは、イラク戦争でアメリカの同盟国として最前線に立ったイギリス軍と同じになる可能性を内に秘めている。これが「戦後レジームからの脱却」というのだから笑わせるではないか!
その一方で、公明党は、9条の改正は今のところ考えていない(ようにも見える)彼らの主張するところは「環境権」や「プライバシー権」の追加といったところである。
このような中で、9条問題が議題に上れば自民・公明の足並みが乱れる事必死である。以外にもろい与党の結束である。
しかし、本当に警戒すべきは公明党かもしれない。本気で9条を改正したいのなら、まずは無難な法案から手をつけるのが定石だからだ。不気味な存在。
2007/05/13のBlog
[ 16:38 ]
[ 【憲法問題】 ]
「国民投票法案 14日成立」
《憲法改正の手続きを定める国民投票法案の与党案が、11日参院憲法調査特別委員会で採決され、与党の賛成多数で可決した。民主党など野党は反対した。参院審議では、最低投票制度の創設の是非などが論点になったが、与党は修正せずに採決に踏み切った。同特別委で答弁した安倍首相は、9条の改正を盛り込んだ自民党草案に基づく改憲を参院選で訴えていく考えを示した。同法案は14日の参院本会議で成立する。》
~朝日新聞 2007年5月12日朝刊~
非常に残念なことではあるが、国民投票法案がいよいよ週明け14日に成立する見通しとなった。戦後60年を迎え、あまりにも不幸で、無残な出発であると言うほかない。
今回の法案成立の過程では、内閣総理大臣・安倍晋三という人間の本性を、まざまざと我々国民に見せつけている。
「~衆議院~ 数の力で野党を押し切る強行採決」
4月12日の午後6時過ぎ、中山太郎・衆議院憲法調査特別委員長の元に野党議員が猛烈な勢いで突進し、与党修正案の強行採決を阻止せんと試みる。
しかし、怒号と罵声が飛び交う中、中山委員長はマイクを握り締め、与党による賛成多数での与党修正案可決を宣言した。
「~参議院~ 野党を懐柔する与党、それに乗る野党」
衆議院での過激なまでの強行採決とは裏腹に、参議院憲法調査特別委員会ではあっけない幕切れとなった。
朝日新聞の野党反対の記載は、特に民主党においては、あくまでも形式的なものだった。というのも、民主党は2つの確約を与党より取りつけていたからだ。
1つ目は、締めくくり総括質疑に安倍首相が出席し質問に答えること。2つ目は、法案採決に際しての付帯決議を行うことである。
ただ、法案が参院を通過してしまった今、総括質疑は儀礼的な意味しか持ち合わせておらず、さらに、2つ目の付帯決議においては法的な拘束力すら持たない・・・。
時には広域暴力団のごとく、数にものをいわせ”力”によって強行に採決を行い、また時には詐欺師のごとく巧みに相手を丸め込み(丸め込まれる方も問題だが)、いつの間にか採決が行われてしまう。
2000年、国会に憲法調査会が設置されて以来、自民・公明・民主の議論の数々は、互いの政治的思惑を絡めぬよう配慮しつつ、公正なルール作りを模索してきた経緯がある。しかし、残念ながらこの7年にも及んだ3党の協力体制が、音を立てて崩れ去ってしまった。
これらはひとえに、衆参両院の理不尽な法案採決と、安倍首相が憲法改正問題を夏の参院選の争点にすり替えてしまったことによるものだ。この動きが野党を硬直化させ、憲法調査会崩壊に見られるように、与野党の強調バランスを踏みにじる結果となったのである。こんな安倍首相の行動を後押しする原動力とは、一体何のだろう?
それは紛れもなく、祖父から引き継いだ「改憲DNA」である。
そして、その祖父とは無論、”昭和の妖怪”岸信介である。
1947年5月3日に施行された日本国憲法は、徹底した平和主義憲法であり、特に第9条において「戦争・武力の行使を放棄」「戦力の不保持」「交戦権の拒否」を宣言しているのは周知の事実である。
しかし、東西の冷戦問題、朝鮮戦争の勃発により、アメリカは日本の位置づけについて方針を転換、日本を再軍備を求めるようになった。当時の吉田茂首相はこの状況に苦慮しつつ警察予備隊、保安隊、そしてついには「自衛隊」までをも発足させてしまう。
野党からの自衛隊を巡る厳しい追求の中、「自衛隊とは戦力に至らしめない軍隊」と答弁。この苦しい難局をかろうじてかわす日々であった。
そのような状況下のもと、軍隊を持てるよう憲法で明記すべきと改憲論を唱えた岸信介らは、改憲に必要な3分の2以上の議席を確保するため、当時の「自由党」と「日本民主党」の2大保守政党の合併を画策、1955年に「自由民主党」を結成する(これが俗にいう”55年体制”である)
そして1957年、岸信介は内閣総理大臣に就任する。
当時、岸とマッカーサー・アメリカ駐日大使との間では、こんな会話が交わされている。
「安保条約を改定することで世論をつかめば、選挙に勝つことができ、憲法改正ができる」
~マッカーサー駐日大使からアメリカ本国政府へ送った会談記録(抜粋)~
《岸の総理大臣在任中の最大の事項は、日米安全保障条約・新条約の調印・批准と、それを巡る安保闘争である。1960年(昭和35年)1月に全権団を率いて訪米した岸は、アイゼンハワー大統領と会談し、新安保条約の調印と同大統領の訪日で合意する。
しかし、帰国後の新条約の承認をめぐる国会審議は、安保廃棄を掲げる社会党の抵抗により紛糾。5月19日には日本社会党議員を国会会議場に入れないようにして新条約案を強行採決するが、国会外での安保闘争も次第に激化の一途をたどる。
警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暗黒街の親分衆の会合に派遣。錦政会会長稲川角二、住吉会会長磧上義光やテキヤ大連合のリーダー尾津喜之助ら全員が手を貸すことに合意。さらに三つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請。ひとつは岸自身が1958年に組織した木村篤太郎率いる新日本協議会、右翼とヤクザで構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会である。
Far Eastern Economic Review誌によると「博徒、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8千人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。彼らは政府提供のヘリコプター、セスナ機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた。」と書かれている。
連日デモ隊に包囲され、6月10日には大統領来日の準備をするために来日した特使、ハガティ新聞係秘書(大統領報道官)が羽田で群衆に包囲されてヘリコプターで救出され避難する騒ぎに。
6月15日には、ヤクザと右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの重傷者を出し、国会構内では警官隊との衝突により、デモに参加していた東京大学学生樺美智子の死亡事件が発生する。こうした政府の強硬な姿勢を受けて、反安保闘争は次第に反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。
岸は、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである」(サイレント・マジョリティ発言)と沈静化を図るが、東久邇・片山・石橋の三人の元首相が岸に退陣勧告をするに及んで事態は更に深刻化し、遂にはアイゼンハワー米大統領の訪日を中止せざるを得ない状況となった。
1960年(昭和35年)6月15日と18日には、岸から自衛隊の治安出動を打診された防衛庁長官・赤城宗徳はこれを拒否。安保反対のデモが続く中、一時は首相官邸で実弟の佐藤栄作と死を覚悟する所まで追いつめられたが、6月18日深夜、条約の自然成立。6月21日には批准、天皇が調印した。
「私のやったことは歴史が判断してくれる」の一言を残し、新安保条約の批准書交換の日の1960年6月23日、混乱の責任をとる形で岸内閣は総辞職した。辞任直前には暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負っている。
総理大臣在任期間は、歴代首相中8位となる3年を超える(2004年4月1日現在)。》
~フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』~
岸信介とは暗黒世界との共存をも厭わない、ある種の”鈍感力”を持ち合わせた危険な政治家であった(ここで政治家と言い切って良いものか、個人的には複雑な思いだ)これが、彼を”昭和の妖怪”たらしめていたのだか、そんな、岸を敬愛しているのが、紛れもなく安倍首相であり、彼は岸信介のDNAを受け継いでいること、これを我々は忘れてはならないだろう。
最後に、安倍首相の著書から、安保闘争当時の記載を一部紹介する。
《子供だったわたしたちには、遠くからのデモ隊の声が、どこか祭りの囃子(はやし)のように聞こえたものだ。祖父や父を前に、ふざけて「アンポ、ハンタイ、アンポ、ハンタイ」と足踏みすると、父や母は「アンポ、サンセイ、といいなさい」と、冗談交じりにたしなめた。祖父は、それをニコニコしながら、愉快そうに見ているだけだった。
わたしは、祖父に「アンポって、なあに」と聞いた。すると祖父が、
「安保条約というのは、日本をアメリカに守ってもらうための条約だ。なんでみんな反対するのかわからないよ」
そう答えたのをかすかに覚えている。》
~安倍晋三「美しい国へ」~
2007/05/12のBlog
[ 10:35 ]
[ 【番外編】 ]
[関連したBlog]
私の拙プログの記事「負けるな!小田実 ~ツナミンさんへの個人的な手紙~」について、warmgunさんのからコメントを引用する。
>ぼくがブログを書いている意味は、瞬間のフィーリングを貴重とするからである。
>まさに君のこの文章には歴史性を感じる。
>君の小田実に対する感じ方には違和感がある。
>しかもこの文章にはぼくが関心があるふたりの人物の名がある。
>瀬戸内寂聴と岸恵子である。
コメントとでもおっしゃているように、warmgunさんのプログは「瞬間のフィーリングを貴重とする」ものであることは、私も常日頃から感じている。音楽で例えるのならば、やはりJAZZ的であると言えるだろう。
一方、私のプログは音楽で例えるなら、それはテクノポップである。先ず最初に譜面、もしくは構想ありきなのだ。それをベースに機材を集め、音作りをし、最終的に(仮にそれが拙いものであっても)自分の楽曲へと構成してゆく。
これは優劣の問題ではない、「手法」の問題である。そして、テクノ的文章を紡ぎだす私が、JAZZ的な文章を解放するwarmgunさんのプログを「尊し」としている点、このアンチテーゼこそがプログの”妙”であり、warmgunさんはこれを「君とぼくのいる状況には目もくらむような差異があるのだが、互いの言葉に感応しうるのは(大げさにいえば)奇跡である。」と過去に表現している。
私も同感だ。「緩やかな連帯」を感じるのは、こんな瞬間においてである。
岸恵子と瀬戸内寂聴の話に移りたい。
実を言うと、この二人については、warmgunさんが確実に反応してくるだろうと思った(笑)(全体を通し、予想外にそれは大きかったのだが<苦笑>)
石原慎太郎とその周辺は実に発想が貧困である。今彼が絡んでいる映画は、考えるまでもなく「父親たちの星条旗」や「硫黄島からの手紙」の二番煎じを狙っている。この二つの作品は、内容の良し悪しは別にしても、何かを考えさせ、語るに足る要素を我々に投げかけてくる。
そんな知的エッセンスを石原氏も欲しいのだろう。実に下品な態度だ。そんな映画に出演してしまった、また私が個人的にファンでもある、岸恵子は私個人の評価を下げ、「俗な」女優に成り下がってしまったことは否定できない(だろーな)
がしかし、今回は大目に見よう。見なかったことにする(というか、そうさせて!)
次に瀬戸内寂聴である。彼女については、私はどちらかというとアンチである。出家する前の作品の方がはるかに良いのではないか?女としての欲望を棄てきれない、なにか悶々とした”業”のようなものが、彼女を作家たらしめていた気がするからだ。
この人は出家してからおかしくなった。出家していながら、これほどメディアに登場する人間も珍しい。たしかこの前は天皇主催の園遊会にも顔を出していたはず。彼女の立ち位置とは一体どこにあるのだろう。彼女は「単なる」”業”の固まりに変化(へんげ)してしまったようだ。しかも、本人自身それに気がついていないと思われる。これでは仏様も救いようがない。
がしかし、これも大目に見よう。見なかったことにする(というか、そうさせて!)
ここで小田実である。
私は例の記事を、私「らしくない」手法、つまり「瞬間のフィーリング」で書いたのです。
「しょーじき」に言うと、私はこの人について詳しくは知らないのではなく、全く知らないのである(もちろん、名前は存じています)
偶然にも目にした東京新聞の「筆洗」。もはや命つきるであろう小田氏の現実に、瀬戸内寂聴は絶句し「泣く」のである。このヤマ場に至るまでの文章の展開に、私のフィーリングが見事に反応してしまった。この「筆洗」は誰が筆をとっているか知らないが、私は極めて映像的で、心の琴線に触れる、いい文章だなあと感じたのである。そこでの瀬戸内寂聴は私がアンチであろうが、それは問題ではない。
だから、小田実氏についてフィーリングのおもむくまま書こうと思った。そして、20年も前に出版された「わが家の夕めし」に小田実氏が載っていたことを思い出す(こういう事はボクの得意技よね)
つまり、余命いくばくもない(だろう)小田実氏に、私個人的な歴史のエッセンスを加え、そして、小田実氏を敬愛するツナミンさんに「こんな記事がありましたよ」と伝えたかったのである。そういう意味では、岸恵子や瀬戸内寂聴や、そして小田実の個人的・世間的評価がどうであろうと、それはその瞬間において、敢えて問題にしたくなかったのである。
だから、あの記事は「ツナミンさんへの個人的な手紙」なのです。これから読むであろう、ツナミンさんに、評価と感覚の一切合財を委ねているわけですね。本人が感じるように感じてもらえれば、それでいいのです。
そして、「これも」私から「warmgunさんへの個人的な手紙」です。
もちろん、評価と感覚の一切合財をwarmgunさんに委ねているわけです(微笑)
私の拙プログの記事「負けるな!小田実 ~ツナミンさんへの個人的な手紙~」について、warmgunさんのからコメントを引用する。
>ぼくがブログを書いている意味は、瞬間のフィーリングを貴重とするからである。
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>君の小田実に対する感じ方には違和感がある。
>しかもこの文章にはぼくが関心があるふたりの人物の名がある。
>瀬戸内寂聴と岸恵子である。
コメントとでもおっしゃているように、warmgunさんのプログは「瞬間のフィーリングを貴重とする」ものであることは、私も常日頃から感じている。音楽で例えるのならば、やはりJAZZ的であると言えるだろう。
一方、私のプログは音楽で例えるなら、それはテクノポップである。先ず最初に譜面、もしくは構想ありきなのだ。それをベースに機材を集め、音作りをし、最終的に(仮にそれが拙いものであっても)自分の楽曲へと構成してゆく。
これは優劣の問題ではない、「手法」の問題である。そして、テクノ的文章を紡ぎだす私が、JAZZ的な文章を解放するwarmgunさんのプログを「尊し」としている点、このアンチテーゼこそがプログの”妙”であり、warmgunさんはこれを「君とぼくのいる状況には目もくらむような差異があるのだが、互いの言葉に感応しうるのは(大げさにいえば)奇跡である。」と過去に表現している。
私も同感だ。「緩やかな連帯」を感じるのは、こんな瞬間においてである。
岸恵子と瀬戸内寂聴の話に移りたい。
実を言うと、この二人については、warmgunさんが確実に反応してくるだろうと思った(笑)(全体を通し、予想外にそれは大きかったのだが<苦笑>)
石原慎太郎とその周辺は実に発想が貧困である。今彼が絡んでいる映画は、考えるまでもなく「父親たちの星条旗」や「硫黄島からの手紙」の二番煎じを狙っている。この二つの作品は、内容の良し悪しは別にしても、何かを考えさせ、語るに足る要素を我々に投げかけてくる。
そんな知的エッセンスを石原氏も欲しいのだろう。実に下品な態度だ。そんな映画に出演してしまった、また私が個人的にファンでもある、岸恵子は私個人の評価を下げ、「俗な」女優に成り下がってしまったことは否定できない(だろーな)
がしかし、今回は大目に見よう。見なかったことにする(というか、そうさせて!)
次に瀬戸内寂聴である。彼女については、私はどちらかというとアンチである。出家する前の作品の方がはるかに良いのではないか?女としての欲望を棄てきれない、なにか悶々とした”業”のようなものが、彼女を作家たらしめていた気がするからだ。
この人は出家してからおかしくなった。出家していながら、これほどメディアに登場する人間も珍しい。たしかこの前は天皇主催の園遊会にも顔を出していたはず。彼女の立ち位置とは一体どこにあるのだろう。彼女は「単なる」”業”の固まりに変化(へんげ)してしまったようだ。しかも、本人自身それに気がついていないと思われる。これでは仏様も救いようがない。
がしかし、これも大目に見よう。見なかったことにする(というか、そうさせて!)
ここで小田実である。
私は例の記事を、私「らしくない」手法、つまり「瞬間のフィーリング」で書いたのです。
「しょーじき」に言うと、私はこの人について詳しくは知らないのではなく、全く知らないのである(もちろん、名前は存じています)
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だから、小田実氏についてフィーリングのおもむくまま書こうと思った。そして、20年も前に出版された「わが家の夕めし」に小田実氏が載っていたことを思い出す(こういう事はボクの得意技よね)
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だから、あの記事は「ツナミンさんへの個人的な手紙」なのです。これから読むであろう、ツナミンさんに、評価と感覚の一切合財を委ねているわけですね。本人が感じるように感じてもらえれば、それでいいのです。
そして、「これも」私から「warmgunさんへの個人的な手紙」です。
もちろん、評価と感覚の一切合財をwarmgunさんに委ねているわけです(微笑)
[ 00:27 ]
[ 【番外編】 ]
[関連したBlog]
「若者たちと貧しき品」
《代々木ゼミナールで講義をし、代々木ゼミナールの世田谷寮では寮の一部屋に住んで若者を監督することになっているが、監督というのはおこがましく、実際は若者たちと共棲している。寮の食堂で生徒たちと一緒に、あるいは夜遅く一人で夕めしを食べながら、彼らのおしゃべりを聞いていると、現代の若者が何を考えているかがわかって興味深い。
(中略)彼らの生活ぶりを見ていると、いぜんとして日本は貧しいと思う。彼らは、かなり裕福な中産階級の子弟なのに、その彼らでさえ食生活はもちろん、生活は貧しい。寮ではクリスマスと誕生日パーティーのときだけ豪華な夕めしが出る。豪華といってもトリの足一本、サンドイッチ、ケーキ、くだものが出るだけだが、トリの足一本が彼らにとってなつかしいものになっている。寮を出たあともトリの足が出るときは呼んでくださいという生徒もあった。》
~ わが家の夕めし アサヒグラフ編 ~
これは昭和44年4月11日、アサヒグラフ「わが家の夕めし」に掲載された記事からの抜粋である。
代々木ゼミの寮長、諸橋実氏と共に夕めしを食する小田実氏は、当時36歳ほどであろう。写真を見る限りさすがに若い。当時彼は予備校の講師として、代々木ゼミナールで英語を教えていたのである。ちなみに、その頃の私は2歳にも満たない赤子である。そして、オヤジと呼ばれる齢い達したこの私が今、ゆで卵を大口をあけて食べている小田氏の写真に接すると、つくづく”歴史”というものを感じてしまう。
小田実氏はその後、作家活動のほか、ベ平連での活動、KGB,北朝鮮との関係も取り沙汰されたが、とにもかくにも”激動の人生”であったことは間違いない。
そんな彼が重い病を自ら告白したのは、つい先日のことだ。
病名は末期の胃癌。
これが彼に課せられた最後の十字架なのか・・・。
5月11日、東京新聞「筆洗」から引用する。
大型連休中、本紙の文化面に月一回連載されている瀬戸内寂聴さんのエッセー「あしたの夢」を読んで驚いた。
>「小田実さんとの仲」というタイトルで、この時代の思想的ヒーローとの半世紀に及ぶ付き合いを軽妙につづる。若い知的な女性にモテモテだったという小田さんにさもありなん、女優の岸恵子さんとのエピソードには笑ってしまった。
>文学好きで読書家だった岸さんが、小田さんの本を読んで感激、わざわざ徳島まで、病院に入院中だった小田さんを訪ね、いかに感激したかを熱っぽく伝えた。一時間ほどいて暇をつげる岸さんに、ベッドの小田さんが言ったとか。「ところで、あなたはどなたですか」
>瀬戸内さんのエッセーは最後に「小田実から長いファックスが届いた・・・」という一文で結ばれる。小田さんは胃がんの宣告を受けたという。あわてて電話をいれると、小田さんは「もう手遅れと医者はいうんや。もっと生きたいよう、死にとうないわ。寂聴さん、元気になるお経あげてや」。声は明るく冗談めいていたが、瀬戸内さんは絶句して泣いた。
>小田さんが七日、都内の病院に入院した。手術はせず化学療法を受けるという。鶴見俊輔さんは小田さんとの出会いを「浜辺を歩いていたら、ビンが転がっていた。好奇心でふたを開けたら、もくもくと煙が上がって巨人が出てきた」と例える。
>十年前の本紙文化面連載『西方ニ異説アリ』を担当した。判じ物のような悪筆を解読、活字に起こすのを毎月楽しんでいた。この稀代の運動家の再起を願ってやまない。
私は小田実氏について、詳しくは知らない。ただ、ツナミンさんの氏への思い入れに感じるものがあった。故に、これは私からツナミンさんへの個人的な手紙である。
「負けるな!小田実」
「若者たちと貧しき品」
《代々木ゼミナールで講義をし、代々木ゼミナールの世田谷寮では寮の一部屋に住んで若者を監督することになっているが、監督というのはおこがましく、実際は若者たちと共棲している。寮の食堂で生徒たちと一緒に、あるいは夜遅く一人で夕めしを食べながら、彼らのおしゃべりを聞いていると、現代の若者が何を考えているかがわかって興味深い。
(中略)彼らの生活ぶりを見ていると、いぜんとして日本は貧しいと思う。彼らは、かなり裕福な中産階級の子弟なのに、その彼らでさえ食生活はもちろん、生活は貧しい。寮ではクリスマスと誕生日パーティーのときだけ豪華な夕めしが出る。豪華といってもトリの足一本、サンドイッチ、ケーキ、くだものが出るだけだが、トリの足一本が彼らにとってなつかしいものになっている。寮を出たあともトリの足が出るときは呼んでくださいという生徒もあった。》
~ わが家の夕めし アサヒグラフ編 ~
これは昭和44年4月11日、アサヒグラフ「わが家の夕めし」に掲載された記事からの抜粋である。
代々木ゼミの寮長、諸橋実氏と共に夕めしを食する小田実氏は、当時36歳ほどであろう。写真を見る限りさすがに若い。当時彼は予備校の講師として、代々木ゼミナールで英語を教えていたのである。ちなみに、その頃の私は2歳にも満たない赤子である。そして、オヤジと呼ばれる齢い達したこの私が今、ゆで卵を大口をあけて食べている小田氏の写真に接すると、つくづく”歴史”というものを感じてしまう。
小田実氏はその後、作家活動のほか、ベ平連での活動、KGB,北朝鮮との関係も取り沙汰されたが、とにもかくにも”激動の人生”であったことは間違いない。
そんな彼が重い病を自ら告白したのは、つい先日のことだ。
病名は末期の胃癌。
これが彼に課せられた最後の十字架なのか・・・。
5月11日、東京新聞「筆洗」から引用する。
大型連休中、本紙の文化面に月一回連載されている瀬戸内寂聴さんのエッセー「あしたの夢」を読んで驚いた。
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>瀬戸内さんのエッセーは最後に「小田実から長いファックスが届いた・・・」という一文で結ばれる。小田さんは胃がんの宣告を受けたという。あわてて電話をいれると、小田さんは「もう手遅れと医者はいうんや。もっと生きたいよう、死にとうないわ。寂聴さん、元気になるお経あげてや」。声は明るく冗談めいていたが、瀬戸内さんは絶句して泣いた。
>小田さんが七日、都内の病院に入院した。手術はせず化学療法を受けるという。鶴見俊輔さんは小田さんとの出会いを「浜辺を歩いていたら、ビンが転がっていた。好奇心でふたを開けたら、もくもくと煙が上がって巨人が出てきた」と例える。
>十年前の本紙文化面連載『西方ニ異説アリ』を担当した。判じ物のような悪筆を解読、活字に起こすのを毎月楽しんでいた。この稀代の運動家の再起を願ってやまない。
私は小田実氏について、詳しくは知らない。ただ、ツナミンさんの氏への思い入れに感じるものがあった。故に、これは私からツナミンさんへの個人的な手紙である。
「負けるな!小田実」
2007/05/08のBlog
[ 23:56 ]
[ 【憲法問題】 ]
5月8日の朝日新聞・文化面。
『日本文化貫く「今=ここ」 加藤周一さん新著で「部分主義」分析』の話をする。
氏の指摘する「部分主義」に注目したい。一部引用する。
《評論家の加藤周一さんの新著、『日本文化における時間と空間』(岩波書店)が刊行された。過去から現在までの日本文化を鷲掴みにし、その特色を「今=ここ」を重視する部分主義にあると、難解ではなく説得的に分析する。》
《取りだした特色は次の二つ。時間的には、「過去」「未来」ではなく「今」にこだわる。「明日は明日の風がふく」だ。空間的には、「彼方」でなく「ここ」、共同体でいえば「外」より「内」だ。
「この二つの強い傾向は、次元の違う別々のものではないかという批判や疑問は当然出て来るでしょう。」
行き着いたのが「部分主義」だった。「今」は歴史的時間軸の「全体」からみれば「部分」。全世界からみれば「ここ」は「部分」。部分へのこだわりが、「今=ここ」主義を生んだと結論づける。》
加藤氏はこの「部分主義」に対し、善悪両面性を指摘する。
善の例としては、世界的な建築遺産、桂離宮を挙げた。桂離宮こそ部分を極めつくした日本の芸術作品であるという。
一方、悪については日本の外交である。「世界的な秩序や外部の論理といった全体を見渡すことが苦手で、普遍的な思想を生みだすことや、外交交渉はうまくない」
氏の評価は厳しい。
『日本文化における時間と空間』の刊行に先立ち、「論座 6月号」では憲法学者・樋口陽一氏との対談においても、加藤氏はこの「部分主義」について鋭い持論を展開している。
《無数の現在が同じ価値で並んでいて、今が一番大事。過去も未来もないから、現在が一番大事になります。現在は短くなったり、長く伸びたりするゴムみたいなもので、この1年が現在にもなるし、たった1時間が現在になる場合もあって、その前後の出来事を語ることはできるが、時間の全体を構造化して考えることはできない。これはさっき言った、部分を重視する傾向の一つの表現だと考えることもできますね。
そして、瞬間、現在を重んじる文化というものは同時に、感覚を重んじる文化なんですね。未来はまだ来ていないから感覚できない、過去はもう過ぎ去っちゃったんだから感覚できない。感覚に直接訴えることができるのは現在だけです。だから、日本文化は過去を「水に流す」ことができるのです。》
~『論座 2007年6月号 対談 加藤周一×樋口陽一 「私たちはまだ、自由を手にしていない-言語の混乱と鈍感に抗して」』~
時間の全体を構造化して考えること、つまりは歴史を俯瞰的な視点でみることの苦手な日本人。その典型的ともいえる発言を、つい最近我々は耳にしたはずだ。
「従軍慰安婦の問題は過去の話だ。拉致の話は今の話だ。だから関係ない。」
今さら説明するまでもなく、これは安倍首相の発言である。現在の事象を踏まえ、さらに過去の歴史を理解する俯瞰的な視点を持ち得ない、幼稚な感性のリーダーに果たして問題解決能力が備わっていると言えるだろうか?彼が従軍慰安婦問題、拉致問題に一定のけじめをつけられるかどうか?非常に疑問である。
問題はこれにとどまらず、当然改憲問題、つまり9条問題にも及んでくるはずだ。この「論座」における二人の対談はまことに興味深い。
9条問題は日本国内の問題であり国内の問題ではない。東アジア諸国にとっては、北朝鮮が日本やその他地域を攻撃することを脅威とはみなしていない。彼らが感じる最大の脅威とは、日本が再武装し、東アジアのどこかの国で軍隊を動かすことだというのだ。
なぜならば、日本がかつてその軍事力を行使し悲惨な惨禍引き起こしたことを、あたかも遠い過去のように、もはや忘れてしまったかのように、決して認めたがらないことを肌身に感じているからである。アジアの人々にとって、それらは決して「水に流すことのできない」問題なのである。
そして、そんなアジア諸国の人々に説明・説得する努力を、日本は全くしていないのだ(様々な詭弁は弄しているようだが)
安倍首相は改憲問題については、何よりもアジア諸国のコンセンサスが必要なのではないだろうか。それをないがしろにし、改憲を推し進めることは必ずやアジア諸国との間に緊張感をもたらすこと必死である。靖国に供物奉納している場合ではないのだ。
加藤周一、樋口陽一の両氏は、改憲については現在の政治家たち、要するに安倍政権には「頼まない」立場をとるそうだ。
私も両氏に同調したいと考えている。
2007/05/07のBlog
[ 23:22 ]
[ 【憲法問題】 ]
「王とは”神”から権力を授かった絶対的な存在である。」
かつてのヨーロッパでは、そのような考えが支配する時代があった。いわゆる「王権神授説」の時代である。
その後、市民革命が各地で起こり、人々は自由と平等を手にすることができた。ただ、そんな市民を野放しにしておいては社会秩序が保てないのだが、それ以上に、国家権力が絶大になると市民の権利が侵害されてしまう。
よって、「憲法」という縛りを作る事により、国家の暴走を防ぐ必要がある。
-これが「近代立憲主義」という考え方だ。
近代立憲主義においては、法律とは統治権力から市民への命令で、市民にとっての義務規定である。一方、憲法は市民から統治権力への命令で、統治権力にとっての義務規定である。
つまり、憲法とは「国家」に対する「国民からの命令」なのであり、統制されるべきは社会や市民ではなく、国家という政治権力なのである!
時の為政者、安倍首相はどうであろか?
問題だらけの国民投票法により、憲法9条を改悪し、「戦後レジームからの脱却」どころか、アメリカの一時的なご都合に同調し、「戦前レジームへの回帰」を目指していることは、今や誰の眼にも明白である。9条の理念とは「もう、他国を侵略したくない」という国民の叫びの反映ではなかったのか?
ツナミンさんのプログに共鳴する。
《法の精神とは一言でいえば、正義である。
正義は、個人的なものであると同時に、普遍的なものである。いいかえれば、それは、私的なものであると同時に、公的なものである。
たとえば、人間が、自らの権利を主張するということは、もちろん、その人の個人的・私的利益の実現を意味しているが、同時に、それは、普遍的・公的正義の実現をも意味している。
個人の利益の主張が、道理に合わず、普遍性をもたないものである場合には、それは単なるエゴイズム、私利私欲であって、正義とは無縁である。》
~渡辺洋三「法とは何か」~
安倍首相に正義はあるか?
安倍首相の正義とは「美しい国」「愛国心」なのだろう。だが、そのような薄っぺらな正義など、もはや誰も必要としてない。
統治権力・国家権力は、ある意味極めて危険なものである。16世紀ホッブズはこれを「リヴァイアサン」という名で表現した。罪人が社会に解き放たれるよりも、リヴァイアサンが解き放たれるほうがよほど恐ろしいことになる。立憲主義の根幹とはここに存在し、そしてまさに今、安倍首相がリヴァイアサンの恐怖を証明せんとしているのである。
〔日本国憲法第十二条〕 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
十二条は雄弁に物語る。
我々の自由・権利そして幸福は決して向こうからやってくるものではなく、常に追求の対象であり、「不断の努力」により保持しなければならない。
そして、国家権力による侵害のないように不断に監視し、自分の権利の侵害に対して闘うだけでなく、他人の正当な権利のための闘争をも支持しなければならない。
この十二条の精神に基づき、我々市民が「命令」「統制」し、そして「断罪」すべきは、まさに安倍首相本人なのではなかろうか。
私もツナミンさん同様、ここに「安倍内閣の総辞職を要求する!」
2007/05/06のBlog
[ 02:16 ]
[ 【憲法問題】 ]
1900年、ベルリンギエリ農園で二つの生命が誕生した。
一人は地主アルフレード・ベルリンギエリの二男ジョヴァンニの息子で、祖父の名”アルフレード”を譲り受けた。
もう一人は小作人レオ・ダルコの孫として生まれ、”オルモ”と名づけられた。二人は熱い友情で結ばれ少年期まで共に過ごした。
そして、ある年の夏祭りの夕暮れ、蓄音機をならしダンスに興じる小作人たちを眺めていた祖父ベルリンギエリは、一人納屋で首を吊り自らの命を絶ってしまう。
自身の老いを痛感したからでもあったが、何よりも、その日の夕暮れ、小作人の舞う光景があまりにも美しかったから、とも言える。
~ ベルナルド・ベルトルッチ監督「1900年」より ~
私の妻は口よりも手が先に出る。腕力も私を遥かに凌ぐ。
反面、私は虫一匹殺せないたちだ。万が一、ゴキブリなどが登場したらもうお手上げである。そんな時は決まって”彼女”の出番となる。無言のうちに新聞紙を丸め、力任せに叩きつける。肉体的にも精神的にもタフな人間なのだ。
私にはそろそろ3歳になろうかという娘もいる。娘と言うからには”女”なのだが、これが男以上に手がつけられない。元気過ぎるのだ。体も同年代の子供より、ひと回りは大きい。あらゆる事に首を突っ込み、それを破壊し、疲れというものを知らない。
そんな子供を抱える妻にとっては、日常生活がせめぎ合いの連続である。私が日本の将来を憂い、憲法に関心をもち、それをプログにしたためる事など、彼女にとっては何の意味も持たない。目の前の暮らしこそが、彼女の現実の全てであるからだ。
そんな中で、私がなんとか彼女と伍してこられたのも一重に”弁”のお陰とも言える。私は手よりも口が先に出る。だから、そんな彼女を論破しつつ、まとわりつく娘をさばきつつ、仕事も忙しい中、どうにか時間を見つけては、細々と自身のプログを更新している。
私にとってのプログとは、こんな家族のせめぎ合いの産物なのである。
そんな中にあっても、5月5日は”こどもの日”である。家族サービスの一環で「羽村市動物公園」に出かけてみた。
ここは動物園というよりも、公園の中に動物の檻が点在していると言った方がいいくらい、こじんまりとした市民の憩いの場である。一匹一匹動物を眺めるのに1時間もあれば充分。”動物公園”とはよく言ったものだ。
動物を見物した後はポップコーンをつまみにビールを楽しむ。この”こじんまり感”が実に心地いい。いつもは土日であってもきっと閑散としているに違いないこの公園も、この日ばかりは大変な人出である。思い思いの休日を楽しむ人々、そこにはなんの変哲もない、ただひたすらな平和という時間が流れていた。
私がベルトルッチの「1900年」を思い出したのも、この瞬間においてだ。ヴィットリオ・ストラーロが撮影する映像美とは程遠い、雑多な日常風景ではあるが、そこにはかり知れない”美しさ”が確かに存在していると、私は感じたのだ。
動物公園でみられる名もない地味な日常ではあるが、私を含め庶民的な幸福が、果たしていつまで続くのだろうか。この雑多な”美しさ”に目頭が熱くなる思いだった。
周知の通り、国民投票法に端を発した改憲問題が、今日本を揺るがし始めている。
私たちはいつまでこんな”ささやかな”幸福を過ごすことができるのだろう?
私の子供が将来結婚し、子供をつれて再び動物公園を訪れる時、このような”ささやかな”幸福を感じる世の中であり続けるだろうか?
改憲問題は、私たちひとり一人に大きな課題を突きつけている。みんながそれを認識するのは非常に大切なことではあるが、現実はそのような理想とは程遠い。この日動物公園を訪れた人々の果たして何人が、この問題を憂慮していただろう?ひとり一人の顔をつぶさに観察してみたが、そんな様子など微塵も感じられなかった。
もちろん、日々の生活に追われ、肉体的にも精神的にもタフな私の妻も例外ではない。彼女は国の有事の事など、全く眼中にない。気になるのは、動物公園に来たことで興奮し、すっかり我を失い、もはや予測不能となった娘の一挙手一投足だけだ。
今回、私はこのような人々の無関心さを敢えて批判するつもりはない。1900年でのダンスに興じる小作人。社会の問題とはおよそかけ離れた”美しき”小作人。大衆の本質とは、まさに、この辺にあるのではないだろうか。
大切なのは大衆の上に立つリーダーの立ち振る舞いである。大衆が問題に無関心である以上、このリーダーが土俵際でどれほど踏ん張れるかが、国の行く末を決定する鍵となる。
ヒトラーのような人間であれば大量殺戮を繰り返した挙句、国家を破綻させてしまう。レーニン、スターリンの場合もある意味同様かもしれない。結局社会主義という壮大な国家的実験は儚くも終焉を向かえてしまった。
では、日本の首相安倍晋三氏は如何ほどの人物であろうか?大衆のために土俵際で踏ん張れる人間だろうか。残念ながら彼は9条を改悪し、日本を戦争をも可能とさせるべく躍起となっているのは、もはや誰の目にも明らかである。
今の幼子が将来親となり、その子供と共に”ささやかな”幸福を感じられなくなる国へ変質させてしまう、張本人であるかもしれない。
warmgun氏のプログを引用する。
*********************************
この60年間、ぼくには、ほとんど世界が見えていなかった。これは驚くべきことだ。
ぼく”だけ”がマヌケであろうか?
ぼくが”反体制”であっても、ぼくはその”体制”を見ていなかった。あまたるく考えていたのだ。
ぼくは徹底的に騙されてきた。
いまうずまく霧や、激しい暗雲の動きの合間から、かろうじて”世界”が見え隠れする。その視界がただちに閉ざされるにしてもである。
時には一条の光。
一条の光を見たようにも感じる。
雲間からの一条の光、霧が晴れる一瞬の世界の輝き。草原の輝き。
”その日と同じように今日 雲が動き陽がかげる どんなに愛しても 足りなかった”
外に出たら雨が激しくなった。激しい雨よ降れ。
資本主義の精神と国家、運命の女。
ぼくたちは消費される。
《どうして同じようなパンチ
何度もくらっちゃうんだ
それでもまた戦うんだろう
それが命の不思議
もっと肩の力抜いて
過去はどこかにしまっておけ
ここからそう遠くないだろう
観たこともない景色》 ~ Don't Let Me Down「snapshot 2598」より ~
*********************************
解放の日である1945年4月25日。
ポー川河川敷で、村の若者が軍服の男に狙撃される事件が起きる。農民達は互いに銃を手に取り、戦前から彼らを苦しめていた村のファシストの徹底追及を始める。
映画「1900年」そんなシーンから物語が展開する。
大衆もまんざら馬鹿にしたものではない。安倍首相、あなたも気をつけた方がいい。
今日5月6日は朝から雨模様である。連休最終日の雨も悪くはない。
雨よ。気がすむまで降り続くがいい。
2007/05/03のBlog
[ 17:26 ]
[ 【憲法問題】 ]
憲法改正の動きが現実となった今、憲法記念日である今日、
5月3日は非常に意味深い。
今日は早朝6時にはベットからおき出し、駅の売店へ新聞を買いに出かけた。恒例となりつつあるが、新聞各紙が「憲法記念日」をどのように捉えているか比較してみたかったからである(僕も懲りないたちである)
これは、各紙が憲法をどのように国民に伝えているかを知るための、重要な作業の一環であると私は考えている。
今回は三大新聞「朝日新聞」「読売新聞」「毎日新聞」の他、「日本経済新聞」「東京新聞」「産経新聞」を対象としてみた。
それぞれの特集記事、および全体を通しての「所感」を記載し、自分なりに「憲法記念日」を扱う新聞のランク付けをしてみた。まさに憲法記念日に寄せての新聞ランキング発表といったところである。
結果は以下の通りである。
【第1位】 朝日新聞
特集記事 〔提言 日本の新戦略〕
<所感>
『憲法60年。私たちはこう考えます。』と題うち、「総論」「地球と人間」「グローバル化とアジア・イスラム」「憲法9条と平和・安全保障」「日本の外交」の5編、21本、8面に及ぶ社説はまさに圧巻!
他紙の追随を許さない、世界全体を見据えるこれらの一覧の記事は、朝日新聞の独壇場と言う他ないだろう。
ただ、いかにも優等生的な、朝日新聞「らしい」記事でもある。良いにせよ悪いにせよ、これが朝日カラーなのだ。
【第2位】 毎日新聞
特集記事 〔日本国憲法施行60年〕
<所感>
1面から特集記事に至るまで、紙面全体、随所に憲法問題への思い入れ、あらゆる角度から考えてみようという姿勢が感じられる。
五百旗頭真(いおきべまこと)・防衛大学校長、明石康・元国連事務次長、品川正治・経済同友会終身幹事らの座談会はまことに渋い内容だ。
このような硬派で、誠実性溢れる紙面をつくりきった事に、拍手を送りたい。
【第3位】 東京新聞
特集記事 〔施行60年 試される憲法〕
<所感>
特集記事における立花隆氏の提言は、日米関係・日本の方向性そのものが新たな段階に突入したことを示唆している興味深い記事である。
また、問題のどの部分にフォーカスを絞るか他紙との差別化を狙う、一面のトップ、2段階改憲に関する記事も人目を引くものと思われる。
ただ、特集での田口ランディ氏は、憲法を語る上でパンチが弱いことは否めない。
【第4位】 日本経済新聞
特集記事 〔憲法60年 迎えた岐路 改憲手続き 議論進む〕
<所感>
中曽根康弘元首相の登場である。中曽根氏は憲法問題においては安部首相の親分でもあり、特集全体を通じて改憲の方向性、「美しい日本」的感性を鮮明に打ち出している。
今回紹介した中で、最も安部晋三カラーが強い新聞。
【第5位】 読売新聞
特集記事 〔改正の論点整理 課題 国会の発議 どう道筋〕
<所感>
9条を軸とした改憲論を明確に打ち出してくるかと思いきや、比較的中立的・おとなしい内容にまとまってしまっている。そういう意味では「らしくない」特集だ。
コメンテーターの中では枝野幸男氏(民主党憲法調査会長)の発言が、最も「まっとう」と思われる。
ちなみに、1面トップは野球部特待生問題の記事。ど真ん中には5000勝を果たした巨人・原監督のでかい写真。この際はっきり言うが、世間では巨人の5000勝など、何の関心も持たれていない。
読売新聞は国の行く末よりも、「野球」が大事!
【最下位】 産経新聞
~憲法に関する特集記事なし~
<所感>
日米安保の際は学生運動、市民運動を始めとして、国内が騒然となった。今、国民投票法を皮切りにした改憲問題は、日米安保の頃に勝るとも劣らない状況であると考える。
なのに、産経のこの姿勢は一体何なのか?
1面真ん中に部分的に憲法関連記事。取り敢えず社説は憲法関連。しかし、その他憲法に関する記事は部分的に3箇所しか割かれていないし特集記事もない!これでは、日常となんら変わらないではないか。
産経新聞は、今日5月3日という日をどのように捉えているのだろうか?あまりの「認識の低さ」「レベルの低さ」に私は評価する言葉すら持ち得ない。これで果たして「新聞」と呼べるのだろうか?
スポーツ新聞でも眺めていた方が、遥かにマシである!
<最後に・・・>
今回、この企画を通じて新聞各紙の1位から最下位までのランクをつけてみたのだが、本意としては各紙の優劣をつけるとか、どれが正しくどれが間違っているかを、さらしたい訳ではない。
今大切なのは憲法にたいする活発な議論であり、まだまだそれが日本では足りないと考えている。だから、ある新聞が改憲に傾こうと、護憲に傾こうと、今回においては全く構わない、とにかく議論して欲しいのだ。現時点では様々な意見に接するのが大切だと思うし、そして、最終的には自分の考えを政治に反映させるべきなのだ。
だから、新聞に対してはこのような企画はどんどんやって欲しいのだ。そういう意味では、内容はともかく、今回の朝日新聞の力の入れようは、やはり賞賛に値するだろう。
反面、産経新聞には怒りすら覚える。産経を購読している人は不幸だなと感じてしまう。憲法という大切な情報が、新聞という媒体から得られないに等しいからである。これでは、改憲問題に接した際、判断にブレを起こす可能性すら生じさせてしまうだろう。新聞は社会的責任というものを、もっと自覚するべきである。
これが、今回の企画全体を通しての私の所感である。
[ 01:02 ]
[ 【憲法問題】 ]
人はこれを見て、不可解な現象だと思うだろう。
5月2日の朝日新聞「今の憲法を改正する必要があるか」についてのアンケート結果である。
《憲法改正について、「必要がある」は全体で58%、「必要はない」は27%、すべての年代で「必要」が多いが、若年層ほど改憲指向が強い傾向がくっきりと表れた。
「必要」は20代では78%に達し、「必要ない」を圧倒。「必要」は年代が上がるにつれて減り、逆に「必要ない」が増える》
私はこの現象を危険な前兆の一つであると認識したが、warmgun氏もこの件については注目しているようだ。
◆warmgun氏のプログ : snapshot 2574
特に注目すべきは、やはり20代の78%という数字だろう。極端に言えば若年層のほぼ全員が、憲法改正については支持の方向性を鮮明に打ち出しているのだ。私が危険な前兆と指摘しているのはこの78%という数字についてである。非常に違和感を感じる。
この新聞記事に接し、政治学者の姜尚中(カン・サンジュン)氏が、彼の著書「愛国の作法」において興味深い指摘をしていることを思い出した。彼の指摘と、今回の朝日のアンケート結果に何らかの関連性を感じずにはいられない。
「愛国の作法」の一部を紹介する。
《興味深いのは、先に紹介したような、雇用や結婚、生活設計などで深刻なリスクを背負い、「勝ち組」と「負け組」の二極化の中でしんぎんしているはずの若者たちの間で帰属意識を鮮明にしてくれる「新・国体」論的なメッセージが意外とすんなりと受け入れられているのではないかということです。その事情を少し考えてみましょう。
(中略)そして社会の矛盾は、当の個人の生き方によって私的に解決することが強要されているわけです。つまり、社会はリスクと矛盾を生み出し続け、それらの対処は、「自己責任」に基づいて個人によって解決されなければならないのです。お上に期待するな、自分の内側だけ見ろ、必要な資源は個人的な才能と意志、能力の如何にかかっている。これがリスク社会の押しつけるルールです。》
《彼らは、椅子取りゲームの椅子のような場所を求めて、右往左往し続け、そのあげく「負け組」の終わりなきゲームに付き合わされることになるのです。》
《しかも、弱者としての若者たちが連帯する可能性はほとんどなくなりつつあります。自己責任や自己決定と裏腹のリスク社会では他社とのつながりの弱い、無定型な原子化(アトマイゼーション)が進行していかざるをえないからです。》
《しかし、そのようなはかない共同体も、メディアのポピュリズム的なヒート・アップによって煽られると、熱狂的な連帯感情を生み出すことがあります。つまり、いつもは公共的な事柄に無関心な人々が、忽然として過政治化し、熱狂的な盛り上がりをみせることがあるのです。政治の世界が見世物と化し、そこにメディアが読者や視聴者の気を引く素材だと思って飛びつくとき、そのような過熱化が起きることになります。》 ~姜尚中『愛国の作法』~
今回の事象におけるキーワードは「過政治化」といったところだろう。
引用にもある通り、無定型な原子化、つまり孤立化が進行しつつある若者の中にあっても、他者と融合したいという欲望は最も根源的な熱情であると、姜尚中氏は指摘する。
そのような背景において、逆説的に熱狂的な連帯(過政治化)を垣間見せるこれら若者たちの行動を、過去の歴史に照らし合わせて考えると、非常なきな臭さを感じとってしまうのは、果たして私だけだろうか。
これらの現象は、劇場型政治(まさに政治の見世物化)と揶揄された小泉政権の頃より始まり、そして現在の安倍政権ではファシズムの一端として、いよいよその姿を露出させ始めているのだ。
2007/04/29のBlog
[ 19:19 ]
[ 【憲法問題】 ]
皆さんは「日本会議」という団体をご存知だろうか?
今回の国民投票法案に関しては、御多分に洩れず、書籍、新聞、インターネット等を通して自分なりに勉強し、情報を収集していたわけだが、偶然にもこの「巨大なる団体」に出くわしてしまい、いかに自分が無知蒙昧で、知らず知らずのうちに「平和ボケ」に陥っていた一人であったことに、あらためて気づいてしまった次第である。
恥ずかしながら、私は「日本会議」という存在を、今回初めて知ったのである。
この日本会議。昨今の改憲問題のみならず、現代日本の政治・経済・文化、その他あらゆる分野において、とてつもない影響を持つ団体の一つであることは、ほぼ間違いなさそうだ。
そして、この日本会議こそが、もしかすると日本の暗黒面のまさに核心である可能性も、(そう指摘する人は多いのだが)場合によっては否定することができないのである。
ただ、今この事に言及するのは非常に危険なことであるし、まだ当団体の核心部分に私自身、なんら迫っているわけでもないので、これはあくまで私の私見に留めておきたい。よって、今回は日本会議という団体のガイドラインと、そのベース上に成り立つ、安倍総理と石原都知事の関係性に焦点を絞り込み、”国民投票法→改憲”の出発点をどの辺に定めるか考察してみたい。
まず最初に、日本会議とはどのようなメンバーで構成されているかに注目していただきたい。
私がこの団体について非常に悩ましく感じるのはこの構成員に他ならない。説明するまでもなく、各界を代表し、世間からの尊敬と羨望の的となるであろう錚々たる重鎮が名を連ねているのだ。これほどのメンバーを擁する団体は他に例がなく、無視することのできない一大勢力である。
※ただ、これが単なる名義上の話であって、実際の活動員はいわゆる世間で言うところの右翼活動家だとしたら、ある意味安心である。その辺の事情はどうなのだろう?
日本会議中央役員
※ちなみに組織としては、北は「北海道ブロック」南は「九州ブロック」まで、本部・支部を合わせると実に80もの拠点を抱えている。※海外にはブラジルに日本会議の拠点が存在。
【顧問】