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21世紀のリーダー 死活の書
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2007/06/21のBlog

 「平和主義、民主主義および基本的人権の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。」

 自由民主党は1955年、当時の自由党と民主党の合同により成立するが、その結党の際に作成された冒頭の「政綱」において、明文改憲を明言している。そして、その具体的内容は次の3点に集約される。
 ①天皇を元首とし、その権限を強化する。
 ②第9条、戦争の放棄と戦力の不保持を改める
 ③基本的人権を制約し、国民の義務を強化する。

 この憲法改正の党是は、戦後、岸信介内閣総辞職の後を引き継いだ池田隼人首相の「今は憲法改正をするつもりなない」との発言に一時下火となり、党の政策は”所得倍増計画”に象徴される経済復興の方向へと、その焦点は移っていった。
 その自民党の悪しき感性が戦後60年を経た今、眠れる獅子が目覚めたかのように動き出したのが、安倍政権下の改憲問題に関する一連の動きである。
 この動きはこれまでの解釈憲法によりその形をいびつなまでに歪められてきた9条問題とはやや趣を異にし、かなり「具体性」のあるものである。日本国民は今、非常にシビアな局面に立たされているのである。
 ただ、憲法改正案の審議は公布から3年間は凍結されるため、実際の審議が可能となるのは2010年5月からである。凍結解除後、改正原案がまとまるのに約1年はかかると考えられ、審議の結果衆参両院の総議員3分の2以上の賛成を得れば、改正案として発議され、国民投票を実施することとなる。
(発議後の周知期間60~180日はやはり、短いと言わざるを得ない。最低でも1年は必要だろう)
 これらを踏まえたタイムスパンをまとめると、次のようになる。

 ○2007年5月 :国民投票法成立
 ○2007年7月 :参院選
 ○2009年9月 :自民党総裁選。安倍首相続投なるか?衆院が任期満了
 ○2010年5月 :憲法改正原案の審議が解禁
 ○2010年 夏 :参院選
 ○2011年前半 :国会が改正案を発議
 ○2011年後半 :国民投票実施
 ○2012年9月 :安倍首相、自民党総裁任期切れで退任?
 ※果たして、ここまで首相として存在しているか?

 安倍首相は憲法改正に異常なまでに執念を燃やしているとはいえ、自民党総裁としての任期は2009年9月まで。「仮に」再選されたとしても、次の任期は2012年9月までである(総裁の3選は禁止されている)
 その間、衆議院、参議院の選挙が控えており、現在の支持率の低下から考えても、彼が2012年9月まで持ちこたえられるとは到底考えられない。百歩譲って、彼がそのまま首相であり続けたとしても、上記のタイムスパンはあくまでも「最短」の場合である。彼が憲法改正を首相として見届けるには、かなりの難がありそうだ。当然、彼もこの点については十分に認識しているだろう。
 ここで、あらためて安倍首相の憲法改正にかける「本気度」が問われることになる。果たして彼は、本気で憲法改正を考えているのだろうか。
 安倍首相の本当の「狙い」とは一体何なのだろうか?


 まずは、下記の朝日新聞の記事「『下請けいじめ』防げ」に目を通していただきたい。
 ~下請け企業の現場には景気回復の恩恵が届かない状況が続いている~
 《中小企業庁は、大企業による「下請けいじめ」や不合理な商習慣の一掃を目指して、自動車など業種別に違法な取引例や模範例などを示したガイドライン(指針)をとりまとめる。中小企業がきちんと利益を確保できる環境を整え、研究開発への投資や従業員の待遇改善など全体の「底上げ」につなげる狙いだ。
 業界ごとに問題のある商習慣を洗い出して、望ましい取引への改善策も盛り込む。昨年11月に先行してまとめた金型など素形材業界向けの指針では、鍛造品の価格を重量に応じて決める商習慣から、工夫を重ねて軽量化したのに逆に取引価格が下がってしまった事例を指摘。技術や付加価値を加味した価格設定に変えるよう発注側の業界に促した。》
~2007年6月10日 朝日新聞~

 例えば、日産のカルロス・ゴーン氏である。
 カリスマ的経営者として1999年以降日産のトップに君臨、一時は2兆円あったとされる負債を全額返済し、国内シェアを上げることに成功した彼の経営手腕は見事だったが、就任後初の営業減益となった今年については、株主総会でも批判が相次いだ。
 ここで明るみになったのが、部品メーカーを始めとする下請け企業への丸投げ体質、つまりは”いじめ体質”である。

 「トヨタやホンダは『こういうものがつくれないか』と提案や協力をしてくれるのに、日産は『安くていいものが欲しい。開発は自前でやってくれ』というだけだ。」
 「技術とやる気を兼ね備えた部品メーカーとのチームワークが、自動車の完成度を高める。そうした総合力が、いまの日産にはあるだろうか。」

 下請け企業の批判は手厳しい。

 これは一つの例に過ぎない。
 日産ように大手企業は非正規雇用者を雇い、下請け企業にも”いじめ”とも受け取れる過酷な要求を強い、莫大な利益を上げていることは周知の事実である。これらの数値が一人歩きし、あたかも現在の日本が景気回復基調にあるようにも見えるが、実際我々庶民には好景気の実感が全く感じられないのは、この辺に原因がある。
 全ては大手企業が創造した「数字のトリック」である。

 そして、安倍首相の真の狙いも、これら「下請けいじめ」にヒントが隠されている。



2007/06/19のBlog
(1)国民投票の対象、範囲は憲法審査会で十分検討し、適切な措置を講じるように努める。

(2)成年年齢に関する公選法などの関連法令は、施行までに必要な法制上の措置を完了するように努める。

(3)発議に当たっては、内容の関連性の判断基準を明らかにし、適切かつ慎重に行う。

(4)投票期日に関する議決で、両院の不一致が生じた場合の調整に必要な措置を講じる。

(5)国会による発議の公示と、中央選挙管理会による投票期日の告示は、同日の官報で実施するように努める。

(6)施行までに、憲法審査会で最低投票率の意義・是非を検討する。

(7)在外投票は投票の機会が十分保障されるように万全の措置を講じる。

(8)国民投票広報協議会の運営は客観性、公正性の確保に十分に留意する。

(9)国民投票公報は発議後可能な限り早期に投票権者に届くように配慮する。公式サイト設置など周知手段を工夫する。

(10)結果告示では、白票の数も明示する。

(11)公務員・教育者の地位の利用規制は、特に慎重な運用を図り、禁止行為を明確化する。

(12)罰則は、構成要件の明確化を図る観点から検討し、必要な法制上の措置も含めて検討する。

(13)テレビ・ラジオの有料広告規制は、公平性を確保するためのメディア関係者の自主的な努力を尊重し、施行までに必要な検討を加える。

(14)罰則の適用は、選挙運動規制との峻別(しゅんべつ)に留意する。意見表明、運動が委縮し、制約されないよう慎重に運用する。

(15)施行までの三年間、憲法調査会報告書で指摘された課題を憲法審査会で十分調査する。

(16)憲法審査会の定足数や議決要件を定める。

(17)憲法審査会は公聴会の実施、請願審査の充実に努める。

(18)合同審査会を開催する場合は、各院の意思を十分尊重する。


 これら18項目に及ぶ文面は一体何か、お分かりだろうか?
 これらは、言わずと知れた国民投票法成立に伴い採択された「付帯決議」である。

【国民投票法の欠陥⑤】 18項目にも及ぶ付帯決議

 そもそも「付帯決議」とは何だろう?
 それは法案成立の際、法律を執行する政府に対しての努力目標や留意事項を明記し、今後対応を求めるといった「宿題」「ただし書き」のようなものである。
 これらは与党野党の協議によって決められるものだが、特に野党の要求をとりあえず総花的に並べるケースが多く、どうしても大味なものとなってしまう事が多い。つまり、付帯決議とは法案の不備に対する野党側の「突っ込み一覧」なのである。これら18項目については、私がこれまでに指摘してきた内容も記載されており、いかに国民投票法が”穴だらけ”であることがお分かりになるだろう。

 大日本帝国憲法(明治憲法)時代、帝国議会は天皇の立法権に対する協賛機関に過ぎず、付帯決議という形で議会の意志を表明していた歴史がある。そして、この慣習が現在の政治にも名残として引き継がれている。なぜならば、与党側が野党に対する取引材料、つまり野党の面子を立てるために利用したいからである。
 野党側としても、何の収穫も無しに強行採決されればあまりにも立場がない。そこで、「少しは我々の意見が通りましたよ」ということを演出したいが為に、付帯決議を突きつけ、最終的に採決に応じるというストーリーを辿ることになるのだ。
 今回の国民投票法案においては、野党である民主党は法案に反対した上で、付帯決議には賛成している。衆議院の委員会採決では、与党の強行採決に対し野党議員が詰め寄る場面もあり、一時混乱をきたした。しかし、参議院においては以外にすんなりと採決されてしまったのは、このような背景があったからである。
 これら付帯決議については管総務相が「決議の趣旨を十分尊重する」と発言しているが、空手形になることは、まず間違いない。
 なぜならば、付帯決議はあくまでも国会における慣習であって、法的拘束力は全くないからである。



そして、民主党は崖っぷちに・・・

 野党第1党である民主党は、国民投票法に関して、あまりに手ぬるすぎたと言わざるを得ない。付帯決議で面子を保っているような”ヤクザ的感性”に浸っている場合ではなかった。もっと戦う姿勢を見せるべきだった。
 国民はそのような生半可な民主党の立ち振る舞いを見ているからこそ、「政治と金の問題」「年金問題」が噴出しているのにも関わらず、民主党の追い風とならないのではないだろうか?

 前民主党代表・前原誠司氏の言葉を引用する。
 《私は集団的自衛権の憲法解釈は変えるべきだと考えてきた。最近は周辺事態法やPKO、ミサイル防衛の三つで具体的なニーズもある。「9.11」テロは解釈変更する千載一遇のチャンスだった。私が首相なら平時には政治の争点にせず、具体的な問題が起きれば1日で変える。具体的な問題が起きないと国民には理解されないからだ。
 民主党の憲法提言では「制約された自衛権」と記し、(集団的自衛権を定めた)国連憲章51条の要素を盛り込んだ。もう少し突き詰めて、集団的自衛権が行使できるように変えていきたい。
 参院選後は党を割ることも辞さずに議論する腹構えが必要だ。
~2007年6月14日 朝日新聞~

 民主党が”改憲政党”であることは周知の事実である。
 しかし、国民投票法案が成立したばかりの6月において、このような発言はあまりに不用意ではないだろうか。これでは、政府与党との差異がどこにあるのか、国民は混乱してしまう。民主党にどうしても肩入れできない原因はここにもあるのだ。前原氏が、発する「言葉」とその「タイミング」をハズしてしまったのは明らかだ。
 以上の点から考えるに、7月に予定されている参院選は自民の惨敗は言うに及ばず、とはいえ民主への追い風ともならず、玉石混交の様相を呈するであろう。今後の憲法改正問題を視野に入れれば、自民の勝利は歓迎しないとしても、参院がカオスな状態に陥るのは、あまりよろしくないと考える。
 民主党が本気で2大政党を目指すのならば、その「立ち位置」をもう一度考えて見る必要はあるだろう。
 そのような意味において民主党は今、崖っぷちに立たされている。


”国民投票法問題”は決着などついていないのだ。


2007/06/15のBlog

 貧しい境遇の中から一代で財を成し、そして今をもってしても人々の尊敬を集める人物について語るとき、松下幸之助氏を抜きには考えられないだろう。
 以前、私のプログでも紹介した通り、父親が破産したために、氏は9歳で奉公に出され、20歳の頃には当時”肺病”と恐れられた結核を患いながらも、自分の体をいたわり、そして時に体に鞭打ちながらも働き続けてきた方である。氏の興した松下電器については、ここでわざわざ語る必要もないであろう。
 貧しき境遇を考えるとき、松下氏と折口氏とでは多くの共通点もあるのではないだろうか。いやむしろ、病を抱えていなかった分、折口氏の方がまだ幸せであったかもしれぬ。このような二人が一方は”カイシャ”をゆるぎない大企業へと成長させ、一方は社会から、そして世間から矢のような制裁を受け奈落の底に突き落とされている。介護事業から全面撤退を余儀なくされたグッドウィル・グループは、その社会的信頼度から言っても、もはや風前の灯である。
 これら二人に、これほどまでに対照的な運命をもたらした要因とは、一体何だろうか?

 松下幸之助氏は、その著書「物の見方 考え方」でこのようなことを語っている。
 《日常の仕事の上でも、自分はこの仕事さえしたら、それでいいんだ、という考えは決して職責を果たすことはできない。職責を果たすということに喜びと意義を感じなくてはならぬと思う。そうすれば言葉や行動に熱がはいり、人にも信用され、頼りにされるようになる。指導者の指導者たる所以は、ここにあるのである。責任を自覚し、遂行する意志を持つか持たないか、ここに仕事の成果が上がるか上がらないかが決まるのである。今日世間であの人は偉いと尊敬されている人たちはみな、それぞれ責任感をもった人たちである。》

 折口氏にこのような”責任”があったであろうか。ディスコを運営し人々を踊り狂わすことに専心し、介護事業を金のなる木に変容させてしまった折口氏が、仕事の対する”意義”というものを感じていたであろうか。甚だ疑問である。
 松下氏については、非常に温厚なイメージを持つ方が多いであろうが、実はそうではない。氏はひとたび怒ると、それは激烈を極めた。
 もようした尿意を我慢しきれずにその場で漏らしてしまった者もいる。怒られながら倒れてしまった者もいる。それほどに松下氏は仕事に対しては厳しかったといえる。
 それはとりもなおさず、企業とは「社会の公器」である、という揺るぎない信念があったからである。

 現在のグッドウィル・グループを見るに、それが介護事業という社会事業であるのにも関わらず、松下氏の語る「社会の公器」といった発想は微塵も感じられない。介護大手がこのような利害むき出しの”集金システム”でしかないことは、もはや社会の損失という概念を遥かに飛び越え、人類にとっての”罪”そのものではないのか。これでは十字架に掛けられても、文句も言えまい。
 もちろん、松下氏にとっても企業人としての「戦略」はあったであろう。でなければ松下電器がここまで巨大になるはずもない。しかし、松下氏と折口氏とでは、その戦略の向かう方向が決定的に違っていた。それは思想の向かう方向と言ってもよい。

 つまり、これら二人に、これほどまでに対照的な運命をもたらした決定的要因とは、その”思想”の向かうベクトルが「外を向いていたか」「内を向いていたか」の違いである。

 思想の向かうベクトルが「外を向いていた」松下幸之助氏は、企業を「社会の公器」と捉え、一方思想の向かうベクトルが「内を向いていた」折口氏は、企業を「集金システム」へと堕落せしめたのである。
 思想のベクトルが内に向かう、ということは、頂点の人間に有無を言わさず金を流す仕組みを構築することに他ならないのだ。そこには社会に対する責任も、意義も、誠実さもない。屈折した恨みがもたらした”金”だけが、そこにある。

※コムスンの介護サービスを受けている方々は、5万人とも6万人とも聞いている。
まず、その方々が、今後苦渋を味わうことのないよう、行政を含め手をさしのべていただきたいと願っている。



 石川達三 「青春の蹉跌」より

 生きることは闘いだ。他人はみな敵だ。平和なんてありはしない。人を押しのけ、奪い、人生の勝利者となるのだ。
 -貧しさゆえに充たされぬ欲望をもって社会に挑戦し、挫折した法律学生江藤賢一郎。成績抜群でありながら専攻以外は無知に等しく、人格的道徳的に未発達きわまるという、あまりにも現代的な頭脳を持った青年の悲劇。

 主人公である江藤賢一郎は、貧しい法学生であるがゆえに、社会に対して大いなる野望を持っていた。資産家である伯父の望むがままに、その三女康子と結婚することを望み、「日のあたる場所」に出たいと考えていた。そこで、賢一郎の子を宿してしまい、邪魔になった恋人、登美子に殺意を抱き、ついには殺してしまう。

 「結婚生活を支えていく原動力となるものは、二つある。
 一つは経済力。もう一つは愛情の支え。
 経済は目に見えるもの、具体的ではっきりとしているが、二人の愛情の在り方となると、生涯の謎だ。謎だから面白いが、人生のあらゆる苦悩もそこから生じる。
 してみれば、愛情という捉えがたいものを基準にして結婚を考えるよりも、経済という具体的なはっきりしたものを基準に結婚を考えるほうが、懸命であるし間違いが少ない・・・」



コムスン介護中に男児急変 千葉、遺族が謝罪求める
 先天性の重い心疾患を抱えた千葉市の自営業秀島建夫さん(38)の長男健太ちゃん=当時(3)=が2005年11月、コムスンの「若葉ケアセンター」(休止)の居宅介護サービスを受けている最中に容体が急変、死亡していたことが11日、分かった。

 秀島さんは「担当者に当時の状況説明を求めているが、返答がない」と話している。コムスン側は「代理人同士で示談に向け交渉している」としている。
 秀島さん側によると、健太ちゃんは05年8月から、両親が自宅不在の間、身体障害者福祉法(当時)などに基づき、センターの介護サービスを受けるようになった。

 センター長の男性が同年11月11日に派遣された際、健太ちゃんは大声で泣き出した後、ぐったりした。通院先の病院から帰宅した母親(42)が容体の変化に気付き、119番したが、健太ちゃんは搬送先で同日、心疾患で死亡した。
~東京新聞 TOKYO Web 2007年6月11日~

 この事件について、私はコムスンの責任のあるなしについては分からない。

 今はただ、健太ちゃんの冥福を祈るのみである。


2007/06/13のBlog

 グッドウィル・グループ・会長兼最高経営責任者・折口雅博氏がテレビに相次いで出演、謝罪の行動に転じている。同グループは昨年末の不正発覚以来、正式な記者会見を開いてこなかったが、6月8日、グループ本社のある”六本木ヒルズ”の記者会見にてその態度を一転した。
 この対応については、折口氏自ら視聴者に説明し、批判を和らげたい考えと受け取れるが、「処分逃れ」との見方は依然として根強く信頼回復は簡単ではなさそうだ。新聞の見出しも「折口会長おわび攻勢」と、その見方は手厳しい。氏は今後も複数のテレビ番組に出演し、また、厚生労働省、各都道府県を謝罪のため訪れる「おわび行脚」も予定しているという。
 ただし、「自分が辞めると、すべての事業がうまくゆかなくなる」との理由から、今のところ辞任の意志はないようだ。
 「介護福祉は他の仕事以上に倫理が求められる。サービス継続のためとしてグループ内企業への事業譲渡を探る動きもあるが、利用者を人質にとっているようなものだ。折口会長は経営責任をとり辞めるべきだ」(高橋信幸・長崎国際大学大学院教授<介護保険論>)

 「介護事業も、ディスコ事業も同じだ!」
 これは、折口氏が発した有名な”迷言”の一つだ。
 安価な報酬で非正規社員を雇い、顧客にサービスを提供するというビジネスモデルにおいて、この両事業は似ていなくもないだろう。しかし、これについては「お金があれば人の心だって買える」と発言した、ライブドア・堀江貴文氏と発想は全く同じである。つまりは、これらは彼ら独自の集金システムに彩られた”ひとりよがりの拝金主義”に他ならない。利益を上げる「戦略」しか彼らの頭にはないのだろう。

 折口氏は両親が離婚し、その後父親が病に倒れたこともあり、生活保護の環境で育っている。それが原因で合格した埼玉県の公立高校には入学できず、陸上自衛隊の少年工科学校(自衛隊生徒)を経て、防衛大学校に入学した経緯を持つ。

<少年工科学校(自衛隊生徒)>
 ■学生の身分:特別職国家公務員
 ■給与:学生手当(約152,300円<平成17年現在>)
 ■賞与:年4.4ヵ月分
 ■休日:完全週休2日制(土・日)、祝日、春・夏・冬に一定期間の休暇
 ■その他の待遇:受験料・入学金・授業料などは必要なし
<防衛大学校>
 ■学生の身分:特別職国家公務員
 ■給与:学生手当(約213,300円<平成17年現在>)
 ■賞与:年4.65ヵ月分
 ■休日:完全週休2日制(土・日)、祝日、春・夏・冬に一定期間の休暇
 ■その他の待遇:受験料・入学金・授業料などは必要なし

 上記に記載した通り、これら防衛学校の生徒は、「生徒であって生徒でない」。
 あくまでも”防衛”という任務に将来従事するためのれっきとした「公務員」なのである。よって一般企業と全く変らない、公務員で言えば公安職国家公務員(警察官など)に準じた給与・福利厚生が保証されている。特に幹部自衛官は、自衛隊の中核を担う存在であり、また、我が国の平和と独立を守るという名目もあるため、一般公務員に比べ給与や手当が充実しているという側面を持つ。
 つまり、このような学校に入学すれば国の保護の下、金がかからず学生生活をおくることができる。しかも、防衛大学にいたっては、その辺の大学よりもかなりレベルは高い。よって、防大出身者は一般企業においても意外に人気がある。
 生活保護家庭の中、相当な辛酸をなめて育ってきたのであろう。私は折口氏が高校生の頃には既に「戦略性」を育んでいたものと推測する。それは健全なるものでは決してなく、家庭を恨み、他人を恨み、そして社会を恨む心より湧き出た「戦略性」である。

 防衛大を卒業した彼は任官を拒否、「日本ユニバック(現・日本ユニシス)」に入社。その翌年には日商岩井に転職し、東京芝浦「ジュリアナ東京」の仕掛け人としてブレーク。日商岩井退社後は、ジュリアナで得たノウハウを活かし六本木に「ヴェルファーレ」をオープンしたことはご周知の通りである。コムスンの親会社グッドウィル・グループ設立は1995年のことであった。
 なるほど、見事なまでの「戦略」である。しかし、彼の場合、貧しき境遇が生み出したこの戦略によりのし上がり、またこの戦略により、今や断罪を受ける側に立ってしまったとも言える。
 こうしてみると、つくづく貧乏にはなりなくないと人は思うだろう。貧乏よりは金持ちがいいに決まっている。
 だが、貧しきことは本当に罪なのだろうか?

<続く>


2007/06/10のBlog
■■YouTubeがもたらす、「選挙2.0」
 「国民投票法の欠陥④<前編>」で紹介した外山恒一氏は、先の都知事選において”15,059票”を獲得し、立候補者14名の内、8番目の結果を残している。これは全く無名のストリートミュージシャンにしては大健闘と言えるだろう。
 そして、このような結果をもたらした背景を「YouTube」の存在抜きにして語ることなど、もはやできない状況である。
 私も選挙資料として、外山氏の政見放送を3バージョンほどパソコンにDLしてある。「普通に録画されたもの」「NHK『映像の世紀』風のもの」、そして「危機迫るBGMが施されたもの」である。
 これらの映像を見るに、内容の是非は別にして、これが実に面白いのだ。特に映像に音響効果が加わると、その面白さは2倍にも3倍にも増していくように思われる。私などは画面を見ながら大笑いをしてしまった程だ。しかも、外山氏はこの政見放送を手元の台本なしでやってのけ、最後には中指を立てるパフォーマンスまで我々に披露してしまった。なまじその辺の政治家よりも「上手い」演説だったと言える。
 加えて、その話す内容である。<前編>の冒頭は、氏の政見放送の一部を抜粋したものだが、抜粋した箇所については一字一句変えてはいない。訳の分からない過激な言動がある反面、ある意味なるほどと思える発言もしている点は見逃せない。
 これらが功を奏したのか、「YouTube」での彼の映像に対するヒット数は最終的には100万件を超え、それに飛び火した形で彼を扱ったプログ数でも3000件を超えている。これらは当選した石原慎太郎氏を凌駕し、候補者中トップの数値である。

政治革命か監視社会か 米大統領選の主戦場に
 《変化の兆しは2006年米中間選挙だった。ユーチューブ(YouTube)に議員が自らのキャンペーンビデオを投稿する動きが現れた。結果は上々。ブッシュ大統領の選挙参謀はユーチューブを手放しで賞賛する。
 「投稿すれば翌日には2万人が見る。しかも金がかからない。こんな媒体はほかにない。」
 民主党選挙運動委員会のフィル・シンガーは、ユーチューブを「米国政治に革命を起こす存在」とまで言い切った。》
 《もっとも、現在のところは多くの政治家にとって苦々しい存在だ。いわゆる「アンチ」映像の発信元になっているのだ。
 最近のヒットは共和党の大統領候補マケイン上院議員の発言を集め、一貫性のなさを追求したミニドキュメンタリー「マケインvsマケイン」。
 「(イラク戦争開戦当時)短期間のうちに勝利を収めるだろう」》
→「(今年1月)私は最初から、長く厳しい戦いになると思っていた」「南軍の旗は人種差別と奴隷制の象徴だ」
→「(その3日後)個人的には米国の文化遺産だと思う」
 最後は「二枚舌列車から下車しよう」というテロップで終わる。1ヶ月足らずで18万人が視聴した。
 《中傷目的の映像の多くはアマチュアによる投稿とされるが、実際は相当数が対立候補によるネガティブキャンペーンらしい。中でも最近注目されているのが「トラッカー」と呼ばれる選挙工作員だ。トラッカーは、対立候補の選挙演説に聴衆の一人として張りつき、不適当な言動があれば直ちにユーチューブなどの動画サイトにアップし、相手のイメージダウンを図る。》
 《大手ネットのテレビカメラが入り込まない舞台裏の言動も、トラッカー達は逃さない。失言、失態があればすぐにネットにアップされ、口コミで広まっていく。政治家にとって気の休まらない監視社会が始まった。
~AERA 2007年3月19日号~

 2007年2月、YouTubeの創業者スティーブ・チェン、チャド・ハーレーの両氏が初来日を果たした。JASRAC(日本音楽著作権協会)を始めとする、NHK、民法各局との映像著作権に関する話し合いのためだ。
 JASRACを筆頭とするこれら団体は、かねてよりYouTubeに対して、テレビ番組や市販DVDの映像といった、著作権に関わるコンテンツが無断で投稿されていることへの対処を強く訴えてきた。
 一方、YouTubeは日本が要求した「著作権に関する警告の日本語化」は受け入れたものの、「動画を投稿した人の住所・氏名を把握すること」「著作権を侵害する投稿をしたユーザーの即時資格削除」については応じなかった。

 選挙におけるメディア規制は厳格でなければならない。しかし、ネット側の住民にしてみれば、この記事の前編でも紹介したような「政見放送は5分30秒以内、テレビ5回、ラジオ3回」といった決まりごとは、なんとも”牧歌的な光景”に映ってしまうだろう。
 YouTubeの両氏については、著作権に関する問題は日本以上にアメリカではシビアである状況を踏まえると、これらの対応には何らかの回答を出すだろうが、それ以外の要求について受け入れることは現在、そして今後においてもあり得ないだろう。「2ちゃんねる」の管理者、西村博之氏が自らの削除ガイドラインに沿わない削除要求は受け入れない、といった姿勢を変えないのも、「根」はYouTubeの両氏と同じである。(彼は損害賠償金も払っていないようだ。これはマズい)
 ちなみに、YouTubeで”外山恒一”を検索してみると、この記事を書いている現在においてさえ、約200件もの動画が歴然と存在している。YouTube側は日本の選挙管理委員会など、眼中にはないのだ。
 彼らは、いかなる外部の圧力にも屈しないことにネットの「健全性」を見い出し、そしてそれが彼らのポリシーなのであると共に、ネット自身の指向性でもある。
 Googleに注目され、かつて例をみない巨額で買収されたYouTubeは、もはや侮ることのできないモンスターサイトであると言えよう。「2ちゃんねる」も同様だが、これらモンスターサイトは、今や管理者・創業者の手を離れ、一つの「意志」を持ち始めたかのように思われる。そして、このようなサイトがもたらす選挙が外山恒一氏に象徴される「選挙2.0」なのである。つまり、選挙についてもその形態が”次世代型”にシフトした、ということなのである。
 仮に、YouTubeが存在しなかったとしたら、外山氏は何票獲得できただろうか?都知事選においては、最下位が鞠子公一郎氏の”1,373票”だが、おそらく外山氏も同様の得票数に終わったと予想する。※鞠子公一郎氏はYouTubeで検索することはできなかった。

 問題なのは、政府与党がこのインターネットに対する意識がどれほどのレベルにあるかである。
 私は紙面にてインターネットに規制がないことを確認した時点で、彼らにほとんど意識などないことを確信した。彼らはインターネットを、既成のテレビやラジオと同軸の線でとらえていることは、ほぼ間違いない。お金をかけてテレビCMをどんどん流すように、インターネットでも政府広告をたくさん出せたらいいな、ぐらいにしか考えていない。彼らはネット社会では原始人同様である。
 考えてもみて欲しい。政府にインターネットが社会に及ぼす影響度、つまりアメリカ社会で既に進行しつつある、YouTubeに象徴されるインターネットと選挙の関係性についての的確な情報や知識があれば、とてもじゃないが文言として法案に記載することなどあり得ないからだ。
 法案に記載しようがしまいが、インターネットは政府が規制できるシロモノではもはやない。であればこそ、”インターネット”の文言を法案に載せるべきではなかったのだ。なぜなら、その行為が潜在的な「トラッカー」を呼び覚まし、彼らを喚起してしまうことに繋がるからである。この辺を政府は読み違えてしまったのだ。
 インターネットはある種の「意志」を持ち「自己増殖」する存在である。決して与党にも組しないし、野党にも組しない。だからと言って「中立」でも決してない。そこが難しいところなのだ。


 夏の参院選では、政府与党に対し大々的にネガティブな政治動画が展開されるものと予想している。その表舞台の一つがYouTubeであり、2チャンネルなどもこれに参戦するものと思われる。ターゲットの中心となるのは安部首相であるのは言うまでもない。この種の動画は「より多数派へ」「よりメジャーなものへ」「より強いものへ」と向かうのが常だからである。弱小政党の無名の誰かさんよりも、誰もが知る安部首相をいじくり倒す方が面白いからだ。しかも、憲法改正問題は言うに及ばず、年金問題、松岡農相自殺に象徴される「政治とカネ」の問題と、ネタも豊富である。政府与党もこれに対抗し動画をアップする手もあるが、政府主導の動画などあまり面白さは期待できないだろう。
 政府与党はインターネットを文言化したことで、大きなリスクを背負ってしまった。つまり、調子にのる余り、眠れるモンスターを起こしてしまったのだ。
 先の外山氏は、YouTubeにアップされた動画がアマチュアの手を借り自己増殖し、最終的にこのような結果をもたらすことは想定していなかっただろう。彼も少し「ビビッた」のではあるまいか。
 YouTubeは、与党にも野党にも傾く潜在的な可能性を秘めている。そして、ある臨界点を超えた時に、爆発的な影響力を我々にもたらすのだ。今後はYouTubeを始めとするモンスターサイトに「確信性」と「戦略性」を持った団体、もしくは個人が「選挙2.0」を制することになるだろう。
 今年の夏は楽しみである。

”国民投票法問題”は決着などついていないのだ。


<2007年6月27日追記> 「当て逃げ動画」ネット公開で波紋 車所有者は会社クビ

 インターネット上の動画投稿サイトに「当て逃げ」被害にあった瞬間の動画が掲載され、騒動になっている。映された加害車両のナンバーから所有者が割り出され、個人情報がネットでさらされた。所有者の勤務先の会社には電話などの抗議が殺到。同社は所有者を解雇し、ネット上で謝罪した。検挙できていない警察へも批判が向けられている。

 「当て逃げ証拠動画」とタイトルがつき、車載カメラの映像が流れる。夜間の道路を走る途中、近づいてきた白い乗用車にあおられ、追い抜きざまに車の右前部に当てられて逃走される。衝突の瞬間、車体が揺れる様子が映っている。

 動画投稿サイト「ユーチューブ」に6月中旬に投稿され、25日午後11時までの閲覧数は57万件超。ネット掲示板2ちゃんねるや様々なブログなどで話題になった。

 同掲示板や警視庁竹の塚署などによると、事故は昨年10月、東京都足立区内で起きた。同署は、被害者が車載カメラで写していた動画の提供を受けて加害車両の所有者から事情を聴くなどした。所有者は車を当時貸していて誰が運転していたかわからないといい、捜査は難航していたという。被害者は「捜査が進まない」とネットで動画を公開。それが広まったとみられる。

 加害車両の所有者は、埼玉県内の自動車修理・改造会社の男性だった。割り出された所有者名を元に、住所や年齢、勤務する会社名などが直後からネット上に出回った。

 同社によると、6月12日朝から「犯人を出せ」「隠蔽(いんぺい)工作をしたのか」といった電話が殺到。取引先にまで抗議の電話が行き、ホームページ上の従業員プロフィルなどがネットで広まった。会社周辺でカメラを手にうろつく人も現れ、社員らが事情を聴くと「会社の画像を2ちゃんねるに出すつもりだった」などと話したという。

 同社は電話の殺到で事故のことを初めて知ったという。15日、取引先や職場に迷惑をかけたとして、男性を懲戒免職にした旨を告げるおわびをHPに掲載した。

 竹の塚署へも、「危険な運転者を野放し」などと批判がネット上で書き込まれたという。小原正記副署長は「犯人の特定は容易でない。ネットに出るとは想定していなかった。早く決着をつけるべく人員を補強して捜査している」と話す。

~2007年06月26日06時08分 asahi.com~

問題の動画はこちら・・・

2007/06/09のBlog

東京都知事候補、無所属・外山恒一。36歳。
 反管理教育運動を出発点に異端的極左活動家となり、今どき政治犯として2年投獄され現在に到るも、反体制知識人。

 「この国は最悪だ。
 あれこれ改革して問題が解決するような、もはやそんな甘っちょろい段階にはない。
 私には建設的提案など一つもない。今はただ、スクラップ&スクラップ、全てをぶち壊すことだ。
 私は諸君を軽蔑している。このくだらない国を、そのシステムを、支えてきたのは諸君に他ならないからだ。正確に言えば、諸君の中の大多数派は、私の敵だ。私は諸君の中の少数派に呼びかけている。
 選挙で何かが変ると思ったら大間違いだ。しょせん選挙なんか、多数派のお祭りに過ぎない。多数決で決めれば、多数派が勝つに決まってるじゃないか。奴ら多数派は、我々少数派の声に耳を傾けることはない。」


 3月末、都知事選に立候補したストリートミュージシャン、外山恒一氏の政見放送ビデオが動画共有サイト「YouTube」に投稿された。政府転覆を訴える過激な主張ながら、今どきの若者が抱える閉塞感を大真面目に、笑いも取りつつ語った演説はネット界で大いにウケた。
 映像に字幕を加えたり、音響効果を施してエヴァンゲリオン風やNHK「映像の世紀」風などにアレンジしたバージョンも登場。投票日までに数十万回再生され、ブログに書き込まれた候補者名の件数ランキングでは当選した石原慎太郎氏を上回りトップに。無名ながら1万5000票余りを獲得する原動力となった。
 政見放送がネット上で垂れ流しになっている事態に驚いたのが都の選挙管理委員会。「公職選挙法に違反する」として、動画サービスの運営企業に削除を依頼した。公選法で、政見放送は5分30秒以内、テレビ5回、ラジオ3回までと定められているからだ。
 しかし政見放送がネットで見られることについて「取り締まるべきだ」と思う人はどれほどいるだろうか? むしろ「テレビよりいつでも見たい時に見られるネットの方が便利」「それが違法だという公選法の方がオカシイ」と考えるのが自然ではないか。
~日経ビジネス NB online~


【国民投票法の欠陥④】 広報・広告規制が緩いこと。
 国民投票の実施に際しては、政府与党、野党がメディアを通じてPR合戦を展開することが予想されるが、この広報活動においては規制があまりにも緩いといわざるを得ない。「国民投票運動は選挙運動とは異なり人を選ぶ投票ではなく、憲法改正という政策を問うものであり、国民ができるだけ自由に意見表明できるようにする必要がある」、との見解からである。
 一体、政府与党は国の「憲法」というものを、どのようにとらえているのだろうか?私に言わせれば「憲法改正」であればこそ、国民の自由な意見表明を保障するのは当然であるにしても、政党の広報活動は厳格にすべきと考える。
 これら政府、および政党の広報活動における問題点は以下の3点に集約される。

1)「国民投票広報協議会」という存在
 「国民投票広報協議会」とは、国会に設立される憲法改正案の広報を担当するセクションのことで、各党の議席比率により、衆参合わせて10人の議員により構成される。
 ということは、構成員は政府与党が大半を占めることとなり、「広報活動は客観的かつ中立でなければならない」という法案とは裏腹に、その中立性が確実に確保されるのか、大きな疑問を残す結果をもたらすであろう。改憲賛成派が圧倒的多数を占める国民投票広報協議会に、客観性・中立性を求めることが困難であることは言うまでもないからだ。
 さらに、このセクションを国会に設立すること自体、適切であるのかという疑問もある。なぜらなば、国会こそが憲法改正を発議した「当事者」であり、中立的な立場ではないからである。
 これは政治資金規正法を、「当事者」である議員自ら制定している現在の政治体制と何ら違いはないのである。

2)政党のメディア活動は”実弾”次第
 国民投票広報協議会の改憲案の賛否を扱った広報活動においては、新聞、テレビ、ラジオといったメディアを活用することについて「同一の寸法、回数」、「同一の時間数、同等の時間帯」といった規制を設けている。
 しかしその反面、政党や民間団体には自らの資金を使った広報活動に制限はない。業界用語で言う”実弾”、つまり金に物をいわせることによりテレビCMなど事実上、野放し状態になるのだ!
 当然、金のある政党とそうでない政党とでは歴然とした差が発生するため、これらの広報活動は投票日の14日前からは禁止となるが、時既に遅しといった感は拭えない。
 画面にはSMAPが登場する。「日本は僕たちにとって”オンリーワン”の国だ!だから日本は僕たちで守ろう!9条改正!」「♪世界で一つだけ~の国・・・」などとやらかすのが目に見えるようではないか。スポンサーはもちろん、ジャニーズに大枚を叩いた「自民党」である。

3)通常の広報活動は無法状態
 一般の選挙では量的規制のあるビラやポスターの配布は自由自在、加えて公職選挙法で禁止されている戸別訪問や署名活動にも何ら規制がない。買収罪も盛り込まれているが、罰則の対象は「組織的に多数の投票人に対する行為」に限定されている。これなどは、もはや無きに等しい罰則規定である。とにかく、物量に物をいわせ「なんでもやれ!」ということなのだ。

 書いていて気分が悪くなってきた。
 法の中には”ざる”と呼ばれるものが数多くあれど、国民投票法がここまで”ざる”とは、もはや感極まって言葉すら出ない。これはつまるところ、政府与党による政府与党のための国民投票法ではないか。
 日本が、いつまでたっても常任理事国になれないのもうなずける。このような国民投票法など、恥ずかしくて海外になど出せない。

 上記3)の通常の広報活動については、忘れてはならないことがもう一つある。
 それは、「インターネットによる活動にも規制がない」ということだ。
 そして、このネットを通じた活動について、投票結果に大きな影響を及ぼすであろうサイトが存在する。

 言わずと知れた「YouTube」である。



2007/06/07のBlog

 「戦争は平和である。」
 「自由は屈従である。」
 「無知は力である。」

 ”ビック・ブラザー”に率いられる唯一の政党「偉大なる兄弟」は国民敬愛の対象であり、町中の至る所に彼の言葉と写真が貼られている。しかし、その実体は謎のままであり、実在するかも定かではない。
 党の掲げるスローガンは上記の3つに集約されるが、この党自体、核戦争の混乱の中、社会主義革命により成立したようだが、誰がどのような経緯で革命を起こしたかは、市民の忘却と歴史の改ざんにより明らかではない。人口の大半を占める被支配階級の労働者たちは酒、ギャンブル、セックス、そして人畜無害な小説や映画、音楽はふんだんに提供されている。そして、絶えず「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンにより屋内外を問わず、全ての活動が24時間政府によって監視されているのである。
 ロンドンに住むウインストン・スミスは真理省の役人として日々歴史改ざんの作業に従事していたが、ある時、禁じられた書物に手を出したことから現体制に疑いを持ち、立ち入り禁止区域の売春婦と関係し、自ら望んで性病に感染してしまう。これが彼の内的レジスタンスの始まりでもあった。
~ジョージ・オーウェル「1984」より~

 冒頭に紹介したのは1949年に発表された、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説「1984」のあらすじだが、国民投票法の成立により、日本が”1984”的色合いを濃くしていると言わざるを得ない様相を呈している。
 再び憲法学者・奥平康弘氏の言葉を引用する。

 《「『賛成・反対の表明は自由ですよ』というのはあり得る言い訳だ。しかし、このような条文をつくること自体、何ができて何ができないのかという争点を残し、それは最終的には制限する側に傾く。文言が曖昧であることに応じて抑圧的効果が生まれ、主観的判断も加えられて(制限が)拡大されてしまう」と運用面での拡大解釈を懸念する。》
~2007年5月15日 東京新聞~

【国民投票法の欠陥③】 投票年齢を18歳以上としたこと。

 今後教育現場は、ますます混乱の度合いを深めるだろう。
 投票年齢18歳以上の問題は、当然公務員(特に現場教師)の政治的行為の制限とワンセットで考えるべき問題である。
 国民投票法が成立し、投票年齢が18歳以上とされ、高校生にも投票権が与えられることになってしまった。しかし、その一方で、学校でどこまで憲法を教えることができるのかは、依然曖昧なままである。
 精神的に最も多感な時期に、そして場合によっては憲法というものを学びたいという思いが高まった頃に、肝心の現場教師が憲法改正の賛否について、意見を表明することに萎縮してしまうであろうことは容易に想像できる。これではオープンに様々な憲法に関する意見について生徒に考えさせることも困難となり、本来の「憲法は権力を制限し、国民の権利を守るものである」という、非常に重要な議論を不可能とさせるかもしれないのである。
 この場合、政府が理想とするのは、究極的にはインターネットを通じたeラーニングや任天堂DSを使った憲法教育なのだろう。パソコンや任天堂DSを無償で提供された高校生はきっと「ウハウハ」になるに違いない。目の色を変えて政府提供のインターネットコンテンツやソフトに飛びつくことになるだろう。このような過程を経て”思想教育”は進行してゆくのだ。
 もちろん、そこにはもはや”教師”と言われる存在は全く意味をなさなくなる。彼らは生徒の自己学習を管理する監視人に過ぎない。これはまさに「1984」でいう「テレスクリーン」そのものではないか!しかも、この「テレスクリーン」は、今や現実の問題である。 
 6月6日、共産党が自衛隊関係者から入手した資料によると、陸上自衛隊の情報流出防止機関である情報保全隊が、イラクへの自衛隊派遣に反対する市民運動や報道機関の取材に関する情報を広範囲に収集していたことが判明したからだ。これには関係者の個人名までもが記載されていた。
 私が「1984」を引用した理由はここにあるのだ。

 では、なぜ投票年齢を18歳に引き下げたかというと、政府が説明するように、なにも欧米に倣ったわけでは全くない。現在の安倍政権が、100以上を超す成人年齢に関する法案に手をつけてまでも、欧米に倣う覚悟はないと考える。
 それは、過去の記事『【検証】国民投票法に始まる改憲問題 Part5 「改憲必要 20代で78%」』でも論じたように、現在の若者に見られる「過政治化」が狙いである。
 5月に行った世論調査では20代の実に78%が憲法改正を必要と回答しているのだ。「勝ち組負け組み」に象徴されるような終わりなきレースに組み込まれ、立ち位置を見失った若者は、メディア的なヒートアップに揺動されることにより、彼らは連帯し過政治化という方向に活路を見出す場合もあるのだ。小泉前総理の最後の靖国参拝がそれを如実に物語っている。参拝当日は、携帯片手に小泉首相を撮ろうとする若者たちでひしめいたことは記憶に新しい。

東京大学大学院教育学研究科准教授・本田由紀
 「全体として世の中が進んでいる方向は、ますます混沌としてきています。大人の意識に刷り込まれている『近代社会』とは、たとえば官僚制組織のように役割や指揮命令系統がきちんと決まっていて、標準的であることや集団への適応が重んじられる状況でしたが、現在はかつてよりも全ての物事の偶発性が高まり、自立性や柔軟性が求められ、かつ競争が激化した『ポスト近代』状況に突入しているのです。
 世の中が不透明化し、煙が渦を巻きながら立ちこめているような状況で、個人はどうやって対処していけばいいのか。とても大変な課題です。」

 自分の向かうべきベクトルを見失った若者たちは歴然と存在し、それは現代においてますます増加の一途を辿っている。その回答の一つが先ほどの「過政治化」なわけだ。
 政府はこのようなマーケットリサーチを的確にした上で、つまりは集票が見込まれる世代を参入させんが為に、敢えて投票年齢を引き下げるに至った訳なのだ。

 しかしながら、最近の年金問題に端を発した政府の急激な支持率低下で、その目論見も土台が揺らぎ始めている。
 安倍内閣は6月始めに行った世論調査では、支持率が30%まで落ち込んだ。この世論調査は過去4回実施され、2回目から20代、3回目からは30代、4回目では40代で、支持率が20%台に低落してしまったのである。
 若者は移ろいやすい存在でもあった。私はこの調査に一筋の光明を見ると共に、これを一つの悲しみとも感じる。
 最後に、若者達にこれだけは言っておきたい。
 「思考せよ!自分の頭で。そして自分肉体で。」

 ”国民投票法問題”は決着などついていないのだ。


<6月8日追記>

JCが歴史教育アニメ 授業での上映依頼

 「日本青年会議所」(日本JC、会員約4万人)が制作し、戦後の「贖罪(しょくざい)意識」を批判的に取り上げたアニメDVDを使った上映会が各地で進められ、中学校1校で授業として実施されていたことが分かった。アニメは「いまの教科書の近現代史は自虐的すぎる」として、日清・日露戦争から東京裁判までの過程を検証する内容。日本JCの取り組みは、今年度の文部科学省の教育プログラムのひとつに選ばれている。しかし、教育現場からは「一面的な内容で違和感を持った」といった声があがっている。

 アニメは「誇り~伝えようこの日本(くに)のあゆみ~」の題名で28分の短編。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が「戦争で残虐行為を働いた凶悪な日本兵というイメージを日本国民に植えつけた」といったセリフが登場。こうした「洗脳教育」が「日本人から自信と誇りを奪った」と訴えている。

 今年2月27日、島根県出雲市内の中学校の5、6時間目を使った社会科の授業で、2年生58人を対象にこのアニメが上映された。生徒らは上映後、配られたアンケート用紙に、「今までずっと日本が悪いと思っていましたが、違いました」「今までは『何で日本は戦争なんかしたのか』と、とても悪いイメージを持っていました。でも、日本がすべて悪いわけではないと思いました」といった感想を書き込んだ。

~2007年06月08日07時38分 アサヒ・コム~

2007/06/04のBlog
「君が代」命令 合憲
 《東京都日野市立小学校の入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた女性音楽教諭が、都教育委員会を相手に処分取り消しを求めた訴訟の上告審判決が27日、あった。
 最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「伴奏を命じた校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障する憲法19条に反しない」との初判断を示し、教諭の上告を棄却した。》
~2007年2月28日 朝日新聞~

 入学式の君が代斉唱で、ピアノの伴奏を校長から命じられ、自身の思想・良心を理由にこれを拒否した音楽教諭の”国家伴奏判決”は公務員の活動・行為を考える上で重要な位置づけを占めている。
 しかも、この件については、音楽教諭が”事前”に伴奏は拒否する旨校長に申し立てをしており、それを受けた校長は伴奏用のテープを準備し、入学式は滞りなく進んだのである。
 このような場合、戒告処分までする必要があったのか甚だ疑問である。
 思想・良心の自由を論じることは非常にデリケートな問題も孕んでいるのは否めない。ちなみに、この上告審においては5人の裁判官中、4人の意見により判決が下されたものだが、藤田宙靖裁判官は反対意見を述べている。
 「君が代斉唱の強制自体に強く反対する信念を抱く者に、公的儀式での斉唱への協力を強制することが、当人の信念そのものへの直接的抑圧となることは明白」との理由からだ。
 にも関わらず、東京都教育委員会の姿勢はあくまでも強弁である。この委員会は2003年、日の丸を掲げる場所からピアノ伴奏に至るまでこと細かく指示し、これに従わない場合は処分を課すとの通達を出している(中には生徒が歌った君が代の声の大きさを調べる学校もあるらしい!)
 今回のように君が代伴奏を始めとし、君が代斉唱の際起立しなかったなどの理由で処分された教職員は実にのべ300人を超えるというから驚きだ。
 これが安倍首相がいう戦後レジームからの脱却なのだろうか?私は戦時中の「治安維持法」を思い出してしまったのだが・・・。
 
 君が代問題に象徴される一連の騒動は、教育現場単体の問題などではない。これは明らかに国民投票法への布石、国民投票法と完全にリンクした問題なのである。
 ターゲットはもちろん教員、そして生徒。これらをひとくくりに国民投票法の規制により、完全にその配下に置こうとする政府の明確な意思表示なのである。


【国民投票法の欠陥②】 公務員の政治的行為を制限したこと。
 公務員の政治的行為を考える上で「猿払事件」を抜きには語れないだろう。
 1974年に出された最高裁判決である。北海道猿払村の郵便局員が労組活動で社会党のポスターを掲示・配布し、国家公務員法違反で起訴された。最高裁は一、二審の無罪判決を覆し、政治的行為の一律禁止を合憲とし、有罪とした事件である。この判決により公務員の政治的行為はとどめを刺されてしまったのだ。
 ただ、この公務員の政治的行為の禁止というのも、おかしな話である。公務員が国民に対する奉仕者であって、特定政党の奉仕者でないことは言うまでもないが、公務員の中