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2007/07/22のBlog
[ 02:49 ]
[ 国民投票法に始まる改憲問題 ]
《彼ら彼女らに悪意などはない。誠実で勤勉で従順でちょっと不勉強なだけである。誠実で勤勉で不勉強なことは、しかし、全体主義運動参加者にとって、不可欠な資質である。このことは、米国の巨大な軍需産業を支える研究者や技術者の多くが、エコロジストであり敬虔なクリスチャンでありバードウォッチャーであったりすることと、関係性がどこか似ている。日常のなかにある戦争構造は、表面は醜悪でもなんでもなく、微笑と誠実さに満ちているか、ないしは、あっけないほど透明なのだ。》
~辺見庸「永遠の不服従のために」~
詭弁を弄する、時の権力者。
彼らは、平和という人類の願いの結晶でもある日本国憲法を土足で踏みにじり、その精神と理念を無残なまでにないがしろにし、己の欲望の赴くままに憲法そのもに手を掛けようとたくらんでいる。
それは今や「国民投票法」という形に結実し、それが彼らの思想を代弁する「金字塔」へとその姿を露出させてきた。この法案により、我々の憲法は我々が全く予期しないであろう方向性にその姿を変え、我々の生活と人生そのものが我々の想定し得ない無常の世界へと誘うかのようである。
私は、ここにあらためて「国民投票法」の意味と本質を考え、日本に生きる人々へ問いかけたいと思う所存である。
国民投票のシナリオ
憲法改正の手続法を定める国民投票法は2007年5月14日に参院本会議で採決され、自民・公明両党の賛成多数で可決・成立したのは、まぎれもない事実である。これにより近い将来、憲法改正が成される可能性が高まった訳だが、実際問題、それはどのようなシナリオに基づくものか、考えてみたい。現実の国民投票についてのシュミレーションである。
まず最初に政府与党から改憲案が提出される。
この法案は憲法9条を改正し、日本の集団的自衛権を認める法案、つまりは日本を戦争のできる国へと変えてしまうものであることは言うまでもないが、衆参両院の3分の2以上の賛成が確認された場合、その後の国民投票でその是非を問われることになる。
その場合の結果は言うまでもなく、次の2つのパターンでしか有り得ない。
①国民投票の結果、過半数の賛成をもって法案は成立する。
②国民投票の結果、過半数の賛成を得られず、法案は不成立となる。
国民投票の結果、①の結果が出た場合、話は簡単である。日本は今後、軍事国家への道を進むことになる。
しかし、問題は②の結果、つまり法案が不成立となった場合である。
私はこのような結果となることを切に望む一人であり、このような判断は国民の英断であると尊重する立場だが、実はここに”1つの抜け穴”があるのだ。
国民投票を否決する、ということは一体何を意味するのか。
この場合、国民は日本の集団的自衛権を否定したことになり、これはすなわち憲法9条の理念を守り、今後とも日本は戦争に組しないことの明確な意思表示を、国民は国に対し突きつけたことになる。つまり、自衛隊の存在を否定したことに限りなく等しく、これは平和を希求する日本国民としてのまっとうな判断であると私は信じている。
しかしながら、現在の政府与党は仮に国民投票否決の英断が国民より下された場合、自衛隊をどのように処遇するのか、今後の国際紛争に対しどのような行動をとるのか、憲法9条に対しどのように解釈するのであろうか?
このような結果がもたらされた場合自衛隊は解散し、例えば「災害救助隊」のような部隊へと再編成され、日米安保条約もその実態を問われること必然である。
しかし、現在の政府与党はこれらの結果については、何らビジョンを示していないのだ!
国民投票で例えば集団的自衛権を否決されるということは、国際的にも大きな成果であり、政府与党に与えるプレッシャーは尋常ならざるものである。
ところが、政府与党の理屈で言えば、国民投票が否決された場合、旧態依然の憲法解釈がそのまま当てはまることになり、つまりは小泉政権のもとで成立した、「テロ特別措置法」「有事関連3法」「イラク特別措置法」といった、日本を戦争に加担させる法律がそのまま有効となることを意味するのである!
政府与党にとっては願ったりかなったりの結果である。現在の政府与党の法案の強行採決に見て取れる動きから察するに、この”否決”という結果をどれほど尊重されるのかは、限りなく未知数であると言わざるを得ないであろう。
「3年という月日」
国民投票法が穴だらけの悪法であることはこれまで述べてきた通りだが、実は1つだけ、私の中の”わだかまり”として残っていたことがある。
それは、改憲案の提出を3年間は”凍結”する、という案件である。
説明によると、憲法改正は日本、および国民にとっても重要な案件であり、この3年という期間中に国民を含め、憲法についての十分な議論を行う、というものであった。
国民投票法があまりにも早急、かつ不備な点が多いこともあり、この3年という月日は、私個人的には議論をする上で”まっとうな”期間であると評価していた。
しかしである。
3年という月日の中にこそ、実は政府与党の”悪意の結晶”が込められていたとは、私も当初全く気がつかなかった!私も、まだまだ青二才であることを素直に認めよう!
つまりはこうである。
政府与党にとって、国民投票の結果が吉と出ようが凶とでようが、体制には何ら影響はせず、いづれの場合においても憲法改悪の法案は有効となるのである。
世間では国民投票法に呼応するかのごとく、憲法解釈、つまりは9条問題についての議論や出版が花盛りである。9条は現在の国際情勢において有効か?9条の理念は今後とも守るべきか?9条の本来のあり方は?・・・憲法改正は是か非か?
しかし、このような国民の活発な議論は、国民投票法の前には何ら意味をもたず、儚い空論と言わざるを得ない。
集団的自衛権、日本の参戦可否についての問題は、改憲問題にあらず!
実は「テロ特別措置法」「有事関連3法」「イラク特別措置法」に象徴される「法律問題」にこそ、その本質はあったのである!日本は、このような法案をより所とし、現実に海外派兵を実行している。日本の改憲問題とは、このような解釈改憲問題に他ならない。
つまり、政府与党はこの空白の3年の間に、日本を戦争に加担できるような法案を強行採決し、日本をアメリカ追従型のファシズム国家へと完全に変貌させようとしているのだ。
3年の凍結とは、実にこのような法律を成立させるための「猶予期間」という意味を孕んでいたわけである!
これが現在の政府与党の狙う「本丸」である。
国民投票法が穴だらけの悪法であることはこれまで述べてきた通りだが、実は1つだけ、私の中の”わだかまり”として残っていたことがある。
それは、改憲案の提出を3年間は”凍結”する、という案件である。
説明によると、憲法改正は日本、および国民にとっても重要な案件であり、この3年という期間中に国民を含め、憲法についての十分な議論を行う、というものであった。
国民投票法があまりにも早急、かつ不備な点が多いこともあり、この3年という月日は、私個人的には議論をする上で”まっとうな”期間であると評価していた。
しかしである。
3年という月日の中にこそ、実は政府与党の”悪意の結晶”が込められていたとは、私も当初全く気がつかなかった!私も、まだまだ青二才であることを素直に認めよう!
つまりはこうである。
政府与党にとって、国民投票の結果が吉と出ようが凶とでようが、体制には何ら影響はせず、いづれの場合においても憲法改悪の法案は有効となるのである。
世間では国民投票法に呼応するかのごとく、憲法解釈、つまりは9条問題についての議論や出版が花盛りである。9条は現在の国際情勢において有効か?9条の理念は今後とも守るべきか?9条の本来のあり方は?・・・憲法改正は是か非か?
しかし、このような国民の活発な議論は、国民投票法の前には何ら意味をもたず、儚い空論と言わざるを得ない。
集団的自衛権、日本の参戦可否についての問題は、改憲問題にあらず!
実は「テロ特別措置法」「有事関連3法」「イラク特別措置法」に象徴される「法律問題」にこそ、その本質はあったのである!日本は、このような法案をより所とし、現実に海外派兵を実行している。日本の改憲問題とは、このような解釈改憲問題に他ならない。
つまり、政府与党はこの空白の3年の間に、日本を戦争に加担できるような法案を強行採決し、日本をアメリカ追従型のファシズム国家へと完全に変貌させようとしているのだ。
3年の凍結とは、実にこのような法律を成立させるための「猶予期間」という意味を孕んでいたわけである!
これが現在の政府与党の狙う「本丸」である。
我々は国民投票に立ち向かうことができるのか?
残念ながら、それはできないだろう。
国民投票の問題はつまるところ「法律の問題」であり、間接民主制をとる日本においては、国会議員が取り決める「法案」に対し、国民は全くのところ無力であるからである。
しかも、仮に日本を参戦可能とする法案が整った場合、政府与党としては改憲の発議すら行わないシナリオも十分に考えられる。
そのような法案が成立すれれば、なにも面倒な手続を費やしてまでも国民に改憲の真偽を問う必要もなく、また、改憲の発議は議会にとっても”義務規定”ではないからだ。
世論に押されて国民投票を実施したとしたも、もはやそれは”絵に書いた餅”でしかないことはいうまでもない。法的には日本は戦争へ向かう国と様変わりし、時既に遅しなのである。
我々は国民投票に立ち向かうことなどできない。これが政府与党、安倍政権が描いた実に狡猾な絵図なのである。
しかし、1つだけ、我々に残された道がある。
それは、「選挙」である。
国民投票法問題、改憲問題はつまるところ「法律の問題」であることは、既にのべた。日本が間接民主制をとる限りにおいて、民意の反映は選挙以外にありはしない。
私はこの記事を2007年7月22日に書いている。7月29日に予定されている参議院選挙が間近に迫っている状況である。加えて2009年の衆院選、2010年の参院選も忘れてはならない。
今は期日前投票の制度も整っている。29日に予定があるのなら、その前に投票を済ますことは簡単だ。体制派も反体制派も、「選挙」というリングで決着をつけようではないか。
あなたが、改憲を思考するならば政府与党に投票すればよい。
しかし、そうでないならば、勇気を持って政府与党以外に投票するしか道はありえまい。
何度も言うが、国民投票法問題、改憲問題は「法律の問題」なのだ。これを阻むとすれば、我々に残された道は「選挙」しか有り得ないのだ。
選挙に行くのだ!我々の意志を表明するために。
選挙に行くのだ!我々の憲法を守るために。
選挙に行くのだ!我々の「未来」のために。
※本文中の安倍首相の画像は「イソップ通信」様より、引用させていただいた。
残念ながら、それはできないだろう。
国民投票の問題はつまるところ「法律の問題」であり、間接民主制をとる日本においては、国会議員が取り決める「法案」に対し、国民は全くのところ無力であるからである。
しかも、仮に日本を参戦可能とする法案が整った場合、政府与党としては改憲の発議すら行わないシナリオも十分に考えられる。
そのような法案が成立すれれば、なにも面倒な手続を費やしてまでも国民に改憲の真偽を問う必要もなく、また、改憲の発議は議会にとっても”義務規定”ではないからだ。
世論に押されて国民投票を実施したとしたも、もはやそれは”絵に書いた餅”でしかないことはいうまでもない。法的には日本は戦争へ向かう国と様変わりし、時既に遅しなのである。
我々は国民投票に立ち向かうことなどできない。これが政府与党、安倍政権が描いた実に狡猾な絵図なのである。
しかし、1つだけ、我々に残された道がある。
それは、「選挙」である。
国民投票法問題、改憲問題はつまるところ「法律の問題」であることは、既にのべた。日本が間接民主制をとる限りにおいて、民意の反映は選挙以外にありはしない。
私はこの記事を2007年7月22日に書いている。7月29日に予定されている参議院選挙が間近に迫っている状況である。加えて2009年の衆院選、2010年の参院選も忘れてはならない。
今は期日前投票の制度も整っている。29日に予定があるのなら、その前に投票を済ますことは簡単だ。体制派も反体制派も、「選挙」というリングで決着をつけようではないか。
あなたが、改憲を思考するならば政府与党に投票すればよい。
しかし、そうでないならば、勇気を持って政府与党以外に投票するしか道はありえまい。
何度も言うが、国民投票法問題、改憲問題は「法律の問題」なのだ。これを阻むとすれば、我々に残された道は「選挙」しか有り得ないのだ。
選挙に行くのだ!我々の意志を表明するために。
選挙に行くのだ!我々の憲法を守るために。
選挙に行くのだ!我々の「未来」のために。
※本文中の安倍首相の画像は「イソップ通信」様より、引用させていただいた。
2007/07/18のBlog
[ 22:54 ]
[ 国民投票法に始まる改憲問題 ]
「戦争が終わるということは、戦いが終わった時のこと、それは我々が勝つということだ。そして、我々の国が戦争に勝つということは、結局、”我々が負けない”ということである。戦争は負けたと思ったときは負け。そのときに彼我の差がでる。」
これは昭和18年(1943年)、帝国議会における時の首相、東条英機の答弁である。帝国議会において東条は、「戦時」の意味について非常に曖昧な答弁を繰り返してきたが、この戦況の悪化を極める昭和18年において、その妄言ぶりは頂点を極めた感がある。この三流の禅問答とも受け取れる、意味不明な言葉は一体何と形容したらよいのだろう、歴代権力者の妄言の中でも群を抜いていると思われる。ただ一つ言えることは、このような詭弁を弄する半ば夢遊病者と化した権力者にあたかも引きずられるように、日本は悲劇的な結末を迎えた、ということだ。
日本の戦争は日本が負けと思って負けたのではなく、原爆を落とされ国土が焼け野原となり、負けるべくして負けたのである。その代償はあまりにも大きすぎるのではないか。
この権力者の詭弁活動については、戦後の池田隼人内閣で一旦は小休止したかのように見えたが、これに息を吹き込み、この動きを加速させた人物がいる。
2001年から2006年に掛けて内閣総理大臣を務めた小泉純一郎である。
戦前・戦中の詭弁者は、東条英機に勝るものなしと考えているが、戦後においては小泉純一郎をおいて他にないだろう。彼こそが戦後最大にして最悪の詭弁者であることはもはや間違いない。彼の出現により憲法9条の改悪のスピードは加速度を増し、日本は泥沼の底へと追いやられてしまった。もはや日本は戦争の道へと突き進むファシズム国家へとその姿を完結しつつある。
では、この小泉純一郎の詭弁・妄言ぶりを検証してみよう。
アーミテージ報告
小泉政権における憲法改悪を後押ししたのは、2000年10月アメリカ国防省が発表した「アメリカと日本-成熟したパートナーシップに向けて」と題する報告である。この報告作成の中心的役割を果たしたのは当時アメリカ国防省・副長官であり、また知日派としても知られるリチャード・アーミテージである。よってこの報告は彼の名にちなんで「アーミテージ報告」と呼ばれている。
この報告を要約すると次の通りとなる。
①貿易額の観点からみても、アジアはアメリカにとって"死活的"な重要性をもつ地域である。
②アジア地域は紛争の可能性が小さいとは言えない状況があり、特に日本との関係は過去のいずれの時期よりも重要である。
③日本が集団的自衛権を放棄していることはアメリカにとっても制約である。しかしながら、ソ連崩壊後の日米関係は、方向性と一貫性を見失い、両国の同盟は明らかに漂流状態にあった。
このように、アーミテージ報告は日本が集団的自衛権に踏み込み、日本国憲法をないがしろにする「日米同盟」の実現を強烈に要求したものであった。むろんブッシュ政権がこの報告をベースとする対日政策を推進したことは言うまでもない。
※実はアーミテージ報告のちょうど1年後、私のプログでも紹介した経団連が政府に提出した「2001年度経団連規制改革要望」は、このアーミテージ報告に呼応したものであると、私は睨んでいる。日本の経済界は一足早くアメリカに同調していたのである。
小泉純一郎を中心とする日本政府は、このアーミテージ報告を基調とするブッシュ政権の対日政策を、全面的に受け入れる姿勢を明確にした。これは日本を戦争ができる国家、本格的に海外で武力行使を可能とする日本を指向するものであった。
小泉政権における憲法改悪を後押ししたのは、2000年10月アメリカ国防省が発表した「アメリカと日本-成熟したパートナーシップに向けて」と題する報告である。この報告作成の中心的役割を果たしたのは当時アメリカ国防省・副長官であり、また知日派としても知られるリチャード・アーミテージである。よってこの報告は彼の名にちなんで「アーミテージ報告」と呼ばれている。
この報告を要約すると次の通りとなる。
①貿易額の観点からみても、アジアはアメリカにとって"死活的"な重要性をもつ地域である。
②アジア地域は紛争の可能性が小さいとは言えない状況があり、特に日本との関係は過去のいずれの時期よりも重要である。
③日本が集団的自衛権を放棄していることはアメリカにとっても制約である。しかしながら、ソ連崩壊後の日米関係は、方向性と一貫性を見失い、両国の同盟は明らかに漂流状態にあった。
このように、アーミテージ報告は日本が集団的自衛権に踏み込み、日本国憲法をないがしろにする「日米同盟」の実現を強烈に要求したものであった。むろんブッシュ政権がこの報告をベースとする対日政策を推進したことは言うまでもない。
※実はアーミテージ報告のちょうど1年後、私のプログでも紹介した経団連が政府に提出した「2001年度経団連規制改革要望」は、このアーミテージ報告に呼応したものであると、私は睨んでいる。日本の経済界は一足早くアメリカに同調していたのである。
小泉純一郎を中心とする日本政府は、このアーミテージ報告を基調とするブッシュ政権の対日政策を、全面的に受け入れる姿勢を明確にした。これは日本を戦争ができる国家、本格的に海外で武力行使を可能とする日本を指向するものであった。
コイズミ。-戦後最悪・最低なる詭弁者。
発端は9.11テロである。
個人的な話ではあるが、この時期私は結婚まで秒読みの段階であった。新宿で彼女とのデートを済ませ家路にたどり着いた時、この事件を目の当たりにした。思わず受話器をとり、そして電話口に出た彼女に絶叫した。「今すぐテレビをつけろ!」
画面に映し出された黒煙噴出すワールド・トレードセンタービルに、私は戦慄した。
その一方で、この事件は日本の集団的自衛権を実現するための”大いなるステップ”として小泉政権は最大限利用した。これは2001年11月の「テロ対策特別措置法」としてその姿を現す。自衛隊の本格的海岸派遣の実現であった。
■[アーミテージ報告]→[2001年度経団連規制改革要望]→[テロ対策特別措置法]
「目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されない。しかし、正式停戦が成立し、湾岸に平和が回復した状況の下で、わが国船舶の航行の安全を確保するため、海上に遺棄されたと認められる機雷を除去するものであり、武力行使の目的をもつものではなく、これは、憲法の禁止する海外派兵に当たるものではない。」と、既成事実を形成するための軽いジャブを放ち、その後のPKO協力法においてその答弁は更なる変異を遂げる。
「”武力の行使”は”武力の使用”を含む。しかし、”武力の使用”がすべて”武力の行使”にあたる、とはいえない。
例えば、生命又は身体を防衛することは、いわば自己保存のための自然権的権利というべきものであるから、そのために必要最小限の”武力の使用”は、憲法第9条第1項で禁止された”武力の行使”には当たらない。」
一体、何を言いたいのだろうか?これを読んで、まっとうな感覚を持っている善男善女は、これを果たして理解できるだろうか?先に紹介した東条英機も真っ青な三流禅問答ぶりである。このような問答はアニメ「一休さん」を遥かに凌駕し、大阪で繰り広げられる「吉本新喜劇」の方がよほどアカデミックに感じられるのは、私だけだろうか?これが噂に聞きし”小泉劇場”の正体である。
つまり、政府の言い分はこうである。
とりあえず「武力行使はしない」と言っておいて憲法違反を回避し、集団的自衛権も自然権的自衛権の武器使用ということでその批判を回避する。すなわち、小泉政権はこのような詭弁、”言葉遊び”により、その憲法の実態を無残にもないがしろにしてきたわけである。これでは、いかようにも憲法の解釈は可能である。
小泉首相はその最終局面において「憲法の前文と9条との間には”隙間”がある」と指摘し、こうも言い放った!
「常識的に考えれば戦力でしょう。ところが、定義、法的定義によって戦力じゃないと定義しているんです、日本では。これが、世界の常識に合わせろというと、常識でない面もあるんですよ。」
「一般国民から考えれば、自衛隊は戦力だと思っているでしょう。しかし、憲法上の規定では戦力じゃないんですよ。ここが、憲法の難しさ。国民的常識で見れば自衛隊はだれが見ても戦力を持っていると見ているでしょう。今まで総理大臣はこういう答弁はしなかったんですよ。建前ばかりに終始して。そういう建前じゃいけない、本音で議論しようと、本音で。」
おいおい、隙間があるのは憲法ではなく、あなたの「脳みそ」ではないのか。常識の欠落した、この隙間だらけの脳みそで詭弁を垂れ流し、憲法を歪曲させたのは、あなたではないのか!
戦後60年、還暦を迎える日本国憲法に対する時の権力者の詭弁ぶりは、実にこのような域にまで達してしまっていたのである。
もはや、このような人間に語る言葉もない・・・。
では、私も本音で議論しよう。自衛隊を戦力と認識した上での、一連のこららの行動は確信犯であることは疑いようもない。断罪に値する。憲法を語る前に、フランスで廃止された「ギロチン台」を復活させようではないか。そして小泉首相の首を切り落とし、その首を私のひざに抱えて大いに本音で憲法議論をしようではないか!小泉首相が言っていたことは、そういうレベルの議論なのである。
2006年8月15日。終戦記念日に予告どおり靖国神社参拝を済ませ、同年9月小泉政権はその任期を終了した。
小泉政権らしい、陳腐なフィナーレであった。
《私は、この戦争が決定的に愚かだったと思う、大きな一つの理由がある。それは「この戦争はいつ終わりにするのか」をまるで考えていなかったことだ。
当たり前のことであるが、戦争を始めるからには「勝利」という目標を前提にしなければならない。その「勝利」が何なのか想定していないのだ。
挙句の果てが、「陸軍」と「海軍」の足の引っ張り合いであった。「日本は太平洋戦争において、本当はアメリカと戦っていたのではない。陸軍と海軍が戦っていた、その合間にアメリカと戦っていた・・・」などと揶揄されてしまう所以である。
指導者たちが自分たちに都合のいい情報のみを聞かせることで国民に奇妙な陶酔をつくっていき、それは国民の思考を放棄させる。つまり考えることを止めよという人間のロボット化だったのだ。》
~保阪正康「あの戦争は何だったのか」~
発端は9.11テロである。
個人的な話ではあるが、この時期私は結婚まで秒読みの段階であった。新宿で彼女とのデートを済ませ家路にたどり着いた時、この事件を目の当たりにした。思わず受話器をとり、そして電話口に出た彼女に絶叫した。「今すぐテレビをつけろ!」
画面に映し出された黒煙噴出すワールド・トレードセンタービルに、私は戦慄した。
その一方で、この事件は日本の集団的自衛権を実現するための”大いなるステップ”として小泉政権は最大限利用した。これは2001年11月の「テロ対策特別措置法」としてその姿を現す。自衛隊の本格的海岸派遣の実現であった。
■[アーミテージ報告]→[2001年度経団連規制改革要望]→[テロ対策特別措置法]
「目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されない。しかし、正式停戦が成立し、湾岸に平和が回復した状況の下で、わが国船舶の航行の安全を確保するため、海上に遺棄されたと認められる機雷を除去するものであり、武力行使の目的をもつものではなく、これは、憲法の禁止する海外派兵に当たるものではない。」と、既成事実を形成するための軽いジャブを放ち、その後のPKO協力法においてその答弁は更なる変異を遂げる。
「”武力の行使”は”武力の使用”を含む。しかし、”武力の使用”がすべて”武力の行使”にあたる、とはいえない。
例えば、生命又は身体を防衛することは、いわば自己保存のための自然権的権利というべきものであるから、そのために必要最小限の”武力の使用”は、憲法第9条第1項で禁止された”武力の行使”には当たらない。」
一体、何を言いたいのだろうか?これを読んで、まっとうな感覚を持っている善男善女は、これを果たして理解できるだろうか?先に紹介した東条英機も真っ青な三流禅問答ぶりである。このような問答はアニメ「一休さん」を遥かに凌駕し、大阪で繰り広げられる「吉本新喜劇」の方がよほどアカデミックに感じられるのは、私だけだろうか?これが噂に聞きし”小泉劇場”の正体である。
つまり、政府の言い分はこうである。
とりあえず「武力行使はしない」と言っておいて憲法違反を回避し、集団的自衛権も自然権的自衛権の武器使用ということでその批判を回避する。すなわち、小泉政権はこのような詭弁、”言葉遊び”により、その憲法の実態を無残にもないがしろにしてきたわけである。これでは、いかようにも憲法の解釈は可能である。
小泉首相はその最終局面において「憲法の前文と9条との間には”隙間”がある」と指摘し、こうも言い放った!
「常識的に考えれば戦力でしょう。ところが、定義、法的定義によって戦力じゃないと定義しているんです、日本では。これが、世界の常識に合わせろというと、常識でない面もあるんですよ。」
「一般国民から考えれば、自衛隊は戦力だと思っているでしょう。しかし、憲法上の規定では戦力じゃないんですよ。ここが、憲法の難しさ。国民的常識で見れば自衛隊はだれが見ても戦力を持っていると見ているでしょう。今まで総理大臣はこういう答弁はしなかったんですよ。建前ばかりに終始して。そういう建前じゃいけない、本音で議論しようと、本音で。」
おいおい、隙間があるのは憲法ではなく、あなたの「脳みそ」ではないのか。常識の欠落した、この隙間だらけの脳みそで詭弁を垂れ流し、憲法を歪曲させたのは、あなたではないのか!
戦後60年、還暦を迎える日本国憲法に対する時の権力者の詭弁ぶりは、実にこのような域にまで達してしまっていたのである。
もはや、このような人間に語る言葉もない・・・。
では、私も本音で議論しよう。自衛隊を戦力と認識した上での、一連のこららの行動は確信犯であることは疑いようもない。断罪に値する。憲法を語る前に、フランスで廃止された「ギロチン台」を復活させようではないか。そして小泉首相の首を切り落とし、その首を私のひざに抱えて大いに本音で憲法議論をしようではないか!小泉首相が言っていたことは、そういうレベルの議論なのである。
2006年8月15日。終戦記念日に予告どおり靖国神社参拝を済ませ、同年9月小泉政権はその任期を終了した。
小泉政権らしい、陳腐なフィナーレであった。
《私は、この戦争が決定的に愚かだったと思う、大きな一つの理由がある。それは「この戦争はいつ終わりにするのか」をまるで考えていなかったことだ。
当たり前のことであるが、戦争を始めるからには「勝利」という目標を前提にしなければならない。その「勝利」が何なのか想定していないのだ。
挙句の果てが、「陸軍」と「海軍」の足の引っ張り合いであった。「日本は太平洋戦争において、本当はアメリカと戦っていたのではない。陸軍と海軍が戦っていた、その合間にアメリカと戦っていた・・・」などと揶揄されてしまう所以である。
指導者たちが自分たちに都合のいい情報のみを聞かせることで国民に奇妙な陶酔をつくっていき、それは国民の思考を放棄させる。つまり考えることを止めよという人間のロボット化だったのだ。》
~保阪正康「あの戦争は何だったのか」~
2007/07/17のBlog
[ 23:48 ]
[ 国民投票法に始まる改憲問題 ]
《極論をさらに、進めてみる。国家は、じつのところ、外任せず、われわれがわれわれの内面に棲まわせているなにかなのではないか。それは、ミッシェル・フーコーのいう「国家というものに向かわざるをえないような巨大な渇望」とか「国家への欲望」とかいう、無意識の欲動に関係があるかもしれない。ともあれ、われわれは、それぞれの胸底の暗がりに「内面の国家」を持ち、それを、行政機関や司法や議会や諸々の公的暴力装置に投影しているのではないか。つまり、政府と国家は似て非なる二つのものであって、前者は実態、後者は非在の観念なのだが、たがいが補完しあって、海市のように彼方に揺らめく国家象を立ち上げ、人の眼をだますのである。そのような作業仮説もあっていいと私は思う。》
~辺見庸「永遠の不服従のために」~
太平洋戦争で、日本と交戦するアメリカを悩ませた事柄の一つに「そもそも、日本人とは一体何なのか?」という問題が挙げられる。
なぜ、普段は温厚な日本人がいざ戦争となると、こうも好戦的になるのか。
なぜ、非常に保守的な考えを持つ反面、例えば明治維新に見られるように西洋文化を急激に採り入れるような柔軟性を持つのか?
なぜ、封建的な身分関係や上下関係を重視する反面、満州事変のように組織内の下克上があんなにも容易く起り得るのか?
例えば、日本兵が米軍の捕虜となった場合、十分な食事を与えられ、寝床を提供してもらうと、翌日には機密事項でも何でもペラペラと歌いだすという。また、強大な権力や圧力に対してはいともたやすくそれに迎合してしまうという側面も持つ。
日本兵といえば天皇を神と崇め、身も心もささげた狂信者という認識でいたのにも関わらず、これは一体どうしたことか?
このような疑問が、アメリカが日本人そのものを研究するプロジェクトの発端となった。それらの成果は、ルース・ベネディクトの「菊と刀」といったような著書となって上梓され、戦後アメリカによる日本の統治政策に多大な影響を与えた。
ベネディクト女史は語る。
日本人は合理性よりも精神性に重きを置く一方で、実のところ内面的な宗教や哲学はほとんど意味を持ち得ない民族である。別の言い方をすれば、自身の中に信念や正義感といったものが明らかに欠落しており、このような自己の欠落が西洋人にとっては信じ難い”二面性”となって発露するのである。
なるほど、この二面性こそが権力者の恣意的な改憲活動を容認し、日本を漂流する国家たらしめ、そして日本人をも漂流する民族へと変貌させているとは言えないだろうか?それがたとえ国民の意に反していたとしても・・・。
日本国憲法の歴史は、権力者の詭弁の歴史である。
日本国憲法制定時の1946年6月28日、衆議院憲法改正特別委員会において、当時総理大臣の職にあった吉田茂は、第9条に対する考えを次のように述べている。
「戦争放棄に関する憲法草案の条項については、国家正当防衛による戦争は正当であるとみなされているようだが、私はこのようなことを認めることは有害であると思う。近年の戦争の多くは国家防衛の名において行われたことは明確な事実である。故に正当防衛を認めることは戦争を誘発する原因となると考える。」
■第9条1項は「国権の発動たる戦争」を無条件で「永久にこれを放棄する」とはせず、「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とみなし、自衛のための戦争までは放棄していない。
■とはいえ、第9条2項で「陸海空軍その他の戦力」を保持せず、「国の交戦権」も否定されているため、自衛戦争も結果として放棄されることになる。
このように憲法制定当時の政府は、9条に対しては「第2項全面的放棄説」の立場をとっていた。
しかし、1949年、ソ連の原爆実験の成功によるアメリカの原爆独占体制の崩壊、そして同年の中華人民共和国の成立、さらに翌年の朝鮮戦争の勃発による極東の軍事バランスの変動により、アメリカは対日本における政策転換を決断する。以後憲法は、アメリカの圧力により崩壊の一途を辿る運命を背負わされることになるのだ。
1950年。朝鮮戦争の勃発により、連合国軍最高司令官マッカーサーは日本に対し、「警察予備隊」の創設、及び「海上保安庁」の増員を指令した。それにより、警察予備隊約7万5千人、海上保安庁の隊員約8千人が組織された。
政府はこの警察予備隊に対し次のような答弁を行っている。
「日本の治安維持のために必要なる力しか持っておらず、戦力には該当しない」
しかし、警察予備隊は米軍により訓練され、機関銃、バズーカ砲、戦車から航空機まで装備していたのである。
1951年には対日講和条約と共に「日本とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)」が締結され、翌年4月に発効した。
これはその5条で「日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別又は集団的自衛権の固有の権利を有すること、及び日本国が集団的安全保障取極めを自発的に締結することができる」という内容のものであった。
この条約を受け、1952年に「保安隊」及び「海上警備隊」が創設される。この時保安隊の人員は約11万人、海上警備隊は約7千500人である。
保安隊、海上警備隊に関しては1952年、内閣法制局が憲法9条第2項の「戦力」についての政府統一見解を発表している。内容は次のようなものだ。
「保安隊、及び警備隊は戦力ではない。これらは保安庁法第4条に明らかなごとく、『わが国の平和と秩序を維持し人命及び財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動する部隊』であり、その本質は警察上の組織である。従って戦争を目的として組織されたものではないから、軍隊ではないことは明らかである。また、客観的にこれを見ても保安隊等の装備編成は決して近代戦を有効に遂行しうる程度のものではないから、憲法の『戦力』には該当しない。」
しかしである、この保安隊においては4つの部隊から編成され、それら部隊の機動力は重戦車をも保有し、旧日本陸軍の1個師団の6~8倍に相当するとされていた。
また、海上警備隊に到ってはフリゲート艦18隻、上陸支援艇50隻の米国からの貸与を受け、着実に戦力を強化させていたのである。
日本国憲法制定時の1946年6月28日、衆議院憲法改正特別委員会において、当時総理大臣の職にあった吉田茂は、第9条に対する考えを次のように述べている。
「戦争放棄に関する憲法草案の条項については、国家正当防衛による戦争は正当であるとみなされているようだが、私はこのようなことを認めることは有害であると思う。近年の戦争の多くは国家防衛の名において行われたことは明確な事実である。故に正当防衛を認めることは戦争を誘発する原因となると考える。」
■第9条1項は「国権の発動たる戦争」を無条件で「永久にこれを放棄する」とはせず、「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とみなし、自衛のための戦争までは放棄していない。
■とはいえ、第9条2項で「陸海空軍その他の戦力」を保持せず、「国の交戦権」も否定されているため、自衛戦争も結果として放棄されることになる。
このように憲法制定当時の政府は、9条に対しては「第2項全面的放棄説」の立場をとっていた。
しかし、1949年、ソ連の原爆実験の成功によるアメリカの原爆独占体制の崩壊、そして同年の中華人民共和国の成立、さらに翌年の朝鮮戦争の勃発による極東の軍事バランスの変動により、アメリカは対日本における政策転換を決断する。以後憲法は、アメリカの圧力により崩壊の一途を辿る運命を背負わされることになるのだ。
1950年。朝鮮戦争の勃発により、連合国軍最高司令官マッカーサーは日本に対し、「警察予備隊」の創設、及び「海上保安庁」の増員を指令した。それにより、警察予備隊約7万5千人、海上保安庁の隊員約8千人が組織された。
政府はこの警察予備隊に対し次のような答弁を行っている。
「日本の治安維持のために必要なる力しか持っておらず、戦力には該当しない」
しかし、警察予備隊は米軍により訓練され、機関銃、バズーカ砲、戦車から航空機まで装備していたのである。
1951年には対日講和条約と共に「日本とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)」が締結され、翌年4月に発効した。
これはその5条で「日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別又は集団的自衛権の固有の権利を有すること、及び日本国が集団的安全保障取極めを自発的に締結することができる」という内容のものであった。
この条約を受け、1952年に「保安隊」及び「海上警備隊」が創設される。この時保安隊の人員は約11万人、海上警備隊は約7千500人である。
保安隊、海上警備隊に関しては1952年、内閣法制局が憲法9条第2項の「戦力」についての政府統一見解を発表している。内容は次のようなものだ。
「保安隊、及び警備隊は戦力ではない。これらは保安庁法第4条に明らかなごとく、『わが国の平和と秩序を維持し人命及び財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動する部隊』であり、その本質は警察上の組織である。従って戦争を目的として組織されたものではないから、軍隊ではないことは明らかである。また、客観的にこれを見ても保安隊等の装備編成は決して近代戦を有効に遂行しうる程度のものではないから、憲法の『戦力』には該当しない。」
しかしである、この保安隊においては4つの部隊から編成され、それら部隊の機動力は重戦車をも保有し、旧日本陸軍の1個師団の6~8倍に相当するとされていた。
また、海上警備隊に到ってはフリゲート艦18隻、上陸支援艇50隻の米国からの貸与を受け、着実に戦力を強化させていたのである。
そして1954年3月8日、日米相互防衛援助協定(MSA協定)が締結される。これにより、保安庁、保安隊、海上警備隊を抜本的に改編する「防衛庁設置法」と「自衛隊法」が公布され、ここに日本の「自衛隊」が出現することとなった。
政府はここでも、憲法第9条第2項の戦力の概念をさらに大きく変更している。
「国家が自衛権を持っている以上、国土が外部から侵害された場合に国の安全を守るために国土を保全する実力を持つことは当然のことである。憲法がそのような意味で今日の自衛隊のような国土保全を任務とし、そのために持つ自衛力を禁止しているというのは考えられない。すなわち第2項における陸海空軍その他の戦力は保持しないという意味の戦力はこれに当たらない。」
さらに、1958年、当時の岸信介首相はこうまで言い切った。
「核兵器の発達いかんによっては、今言うように防衛的な正確をもっておるような兵器であるならば、これを憲法上禁止しておるとは私は解釈しない。」
日本国憲法が日本国憲法の体を保持していたのは、公布後わずか3年程でしかない。それ以後は、時の権力者によってその実態が歪められ、しかも、1950年代には核兵器の保有すら認める解釈改憲をされていたとは呆れるばかりである。
防衛的な核兵器とは一体どのようなものか?果たしてそのような都合の良い兵器など、この世に存在するのであろうか?原爆投下の痛手冷めやらぬ時代において、このような権力者の発言は、それこそ神をも恐れぬ傲慢な発言である。
日本国憲法は一部の愚かなりし権力者の詭弁により、かようにも歪曲され続けてきたのである。
2007/07/16のBlog
[ 14:21 ]
[ 【番外編】 ]
7月16日 朝日新聞「天声人語」より。
きのう岩波文庫の創刊80年について書いたら、「一番売れたのは何か」と質問をいただいた。答えは、157万部を数える『ソクラテスの弁明・クリトン』である。
古代ギリシャの哲人ソクラテスは、「神々を信仰せず青年を堕落させた」と告発される。『弁明』は、その裁判での反論演説の記録だ。彼は死刑を宣告される。逃亡もできたのに拒み、毒杯をあおいで死んだ。「悪法もまた法なり」の言葉を最期に残したとされる。
「昭和のソクラテス」と呼ばれた人を思い出す。戦後の食糧難時代に、違法なヤミ米を拒み、極度の栄養失調で死んだ山口良忠判事である。「自分はソクラテスならねど食糧統制法の下、喜んで餓死する」と病床日記に残した。この秋で、亡くなって60年になる。
「立派だ」「愚直にすぎる」。感想は分かれよう。だが「ザル法もまた法」とばかりに、事務所費の疑惑に頬被(ほおかむ)りする当節の大臣に比べれば、どれほど「品格」に富むことだろう。論法は同じでも、モラルは天と地ほどに違う。
「李下(りか)に冠を正さず」と言う。だが赤城農水相は、不自然極まる経理処理で「冠を正し」てしまった。疑惑を晴らすには、李(すもも)を盗んではいないと、手を開いて見せるしかない。この場合は領収書を示すことだろう。
かばい続ける安倍首相にも、「仲良し内閣」と批判が募る。首相と赤城氏は、祖父同士も「首相(岸信介)と農林相」の間柄だった。御曹司ゆえの大甘か。ちなみにではあるが、岩波文庫の2位は136万部の『坊っちゃん』である。
***********************************************************************************
僕が「ソクラテスの弁明」を読んだのは、岩波文庫版ではなく角川文庫版であった。当時高校生だった僕は、アテナイ人たちに向かって何やら討論しているソクラテスの言葉を全く理解できなかった。それでも何とか読み進めてみたのだが、結局のところ最後まで意味がまるで分からなかったのは何とも情けない話である。
しかし、山口良忠判事のことは私でも知っている。小学校の社会科の時間に、先生が戦後の余談として語ってくれたからである。
戦後は日本人が皆食うや食わずで大変な時期を過ごした。そんな中でヤミ市が出現するようになり、悪いこととは知りながら、それに頼らざるを得なかったこともある。ところが、裁判官の中には融通の利かない人もいて、結局ヤミ米を食べることを拒んだために栄養失調で死んでしまった。要するに、あんな状況でヤミ米一つ食えないで死んでいくのはバカである、と言いたかったようなのである。
この山口判事については後日談がある。実を言うと、彼は決してヤミ米を全否定していたわけではなかったようである。その証拠に自分の妻子にはちゃんと入手したヤミ米を食べさせていたからである。もちろん、この妻子は戦後の混乱の中をかろうじて生きながらえた。
では、なぜ故に山口判事はヤミ米を食しなかったのか?
天声人語に言わせれば、『だが「ざる法もまた法」とばかりに、事務所費の疑惑に頬被りする当節の大臣に比べれば、どれほど「品格」に富むことだろう。』となるのだが、いま一つピンとくるものがない。
今では、信じられないことだが、昔はこのような清廉の思想をお持ちの方が実に多かった。戦後のどさくさの中でも、ヤミ市に寄り添う者の多ければ、その一方で頑としてそれをはねつけ、自身の信ずる生き方を貫く者も多数存在したのだ。これが日本人の精神性であり、その二面性でもある。
自身の生き方を貫く者の根底を流れる思想として、誤解を恐れずに言うと、一つに”武士道”的な感性が挙げられる。これは現代の我々が思っているような武士道とは少し違うようにも思われる。この精神については、それを実践する各々で解釈が異なるが、少なくとも生半可なものでは済まされない、ということは言えそうだ。
山口判事が死を選んだ訳には二つあるだろう。
一つは、生死をかけて自身の職責をまっとうすること。つまり、自分の立場は死ぬに値するほど重く、また、自分は命を掛けてこれに従事している、ということ。
もう一つは、とはいえ自分の妻子に対してはヤミ米を与えていた事になり、自身の主義主張に矛盾を生じさせた事に対し”落とし前”をつける、ということだ。
このようにかつての日本人は、自身の職責と行動に対しては”命”を張っている者もいたと言えるかもしれない。もし、武士道というものがあるとするならば、その発露はこのような形となって現れるのであろう。それは決して御手洗冨士夫が駄本で主張するようなキャッチフレーズ的な世界とは明らかに一線を引いたものである。御手洗氏が本当に武士道を主張するのなら、彼のこれまでの行動を鑑みると、当然死ななければならないからだ。
御手洗氏が馬鹿であるなら、僕を教えた先生も馬鹿であった。ただそれだけである。
きのう岩波文庫の創刊80年について書いたら、「一番売れたのは何か」と質問をいただいた。答えは、157万部を数える『ソクラテスの弁明・クリトン』である。
古代ギリシャの哲人ソクラテスは、「神々を信仰せず青年を堕落させた」と告発される。『弁明』は、その裁判での反論演説の記録だ。彼は死刑を宣告される。逃亡もできたのに拒み、毒杯をあおいで死んだ。「悪法もまた法なり」の言葉を最期に残したとされる。
「昭和のソクラテス」と呼ばれた人を思い出す。戦後の食糧難時代に、違法なヤミ米を拒み、極度の栄養失調で死んだ山口良忠判事である。「自分はソクラテスならねど食糧統制法の下、喜んで餓死する」と病床日記に残した。この秋で、亡くなって60年になる。
「立派だ」「愚直にすぎる」。感想は分かれよう。だが「ザル法もまた法」とばかりに、事務所費の疑惑に頬被(ほおかむ)りする当節の大臣に比べれば、どれほど「品格」に富むことだろう。論法は同じでも、モラルは天と地ほどに違う。
「李下(りか)に冠を正さず」と言う。だが赤城農水相は、不自然極まる経理処理で「冠を正し」てしまった。疑惑を晴らすには、李(すもも)を盗んではいないと、手を開いて見せるしかない。この場合は領収書を示すことだろう。
かばい続ける安倍首相にも、「仲良し内閣」と批判が募る。首相と赤城氏は、祖父同士も「首相(岸信介)と農林相」の間柄だった。御曹司ゆえの大甘か。ちなみにではあるが、岩波文庫の2位は136万部の『坊っちゃん』である。
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僕が「ソクラテスの弁明」を読んだのは、岩波文庫版ではなく角川文庫版であった。当時高校生だった僕は、アテナイ人たちに向かって何やら討論しているソクラテスの言葉を全く理解できなかった。それでも何とか読み進めてみたのだが、結局のところ最後まで意味がまるで分からなかったのは何とも情けない話である。
しかし、山口良忠判事のことは私でも知っている。小学校の社会科の時間に、先生が戦後の余談として語ってくれたからである。
戦後は日本人が皆食うや食わずで大変な時期を過ごした。そんな中でヤミ市が出現するようになり、悪いこととは知りながら、それに頼らざるを得なかったこともある。ところが、裁判官の中には融通の利かない人もいて、結局ヤミ米を食べることを拒んだために栄養失調で死んでしまった。要するに、あんな状況でヤミ米一つ食えないで死んでいくのはバカである、と言いたかったようなのである。
この山口判事については後日談がある。実を言うと、彼は決してヤミ米を全否定していたわけではなかったようである。その証拠に自分の妻子にはちゃんと入手したヤミ米を食べさせていたからである。もちろん、この妻子は戦後の混乱の中をかろうじて生きながらえた。
では、なぜ故に山口判事はヤミ米を食しなかったのか?
天声人語に言わせれば、『だが「ざる法もまた法」とばかりに、事務所費の疑惑に頬被りする当節の大臣に比べれば、どれほど「品格」に富むことだろう。』となるのだが、いま一つピンとくるものがない。
今では、信じられないことだが、昔はこのような清廉の思想をお持ちの方が実に多かった。戦後のどさくさの中でも、ヤミ市に寄り添う者の多ければ、その一方で頑としてそれをはねつけ、自身の信ずる生き方を貫く者も多数存在したのだ。これが日本人の精神性であり、その二面性でもある。
自身の生き方を貫く者の根底を流れる思想として、誤解を恐れずに言うと、一つに”武士道”的な感性が挙げられる。これは現代の我々が思っているような武士道とは少し違うようにも思われる。この精神については、それを実践する各々で解釈が異なるが、少なくとも生半可なものでは済まされない、ということは言えそうだ。
山口判事が死を選んだ訳には二つあるだろう。
一つは、生死をかけて自身の職責をまっとうすること。つまり、自分の立場は死ぬに値するほど重く、また、自分は命を掛けてこれに従事している、ということ。
もう一つは、とはいえ自分の妻子に対してはヤミ米を与えていた事になり、自身の主義主張に矛盾を生じさせた事に対し”落とし前”をつける、ということだ。
このようにかつての日本人は、自身の職責と行動に対しては”命”を張っている者もいたと言えるかもしれない。もし、武士道というものがあるとするならば、その発露はこのような形となって現れるのであろう。それは決して御手洗冨士夫が駄本で主張するようなキャッチフレーズ的な世界とは明らかに一線を引いたものである。御手洗氏が本当に武士道を主張するのなら、彼のこれまでの行動を鑑みると、当然死ななければならないからだ。
御手洗氏が馬鹿であるなら、僕を教えた先生も馬鹿であった。ただそれだけである。
ソクラテスと聞くと、思い出す人がいる。
「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか。ニ、ニ、ニーチェかサルトルか。みーんな悩んで大きくなった!」
そう、野坂昭如である。
脳梗塞で倒れたと聞いたときは、もはや彼もこれまでと思ったが、さすがしぶといね(笑)数年間リハビリ生活を経た後、最近はポツポツと雑誌にも寄稿を始めている。
永六輔氏によると、最近は夫婦で寿司屋などにも出かけ、彼は酒なんぞも飲んでいるという。野坂昭如はまだまだ健在なのである。我々も悩んで「大きく」なろうではないか(笑)
天声人語では先の山口判事の対極として、現在疑惑の渦中にある赤城農水省を登場させている。
野坂昭如もかつては参議院議員であった(笑)議員としての彼の活動はもう笑うしかない。また、酒がらみの醜態、引き起こした事件は枚挙に暇がない。
ただ、赤城農水省を始め、安倍政権の閣僚の一連の不祥事はただ眼を覆うばかりである。それに比べると、野坂昭如の行動など子供の遊びに過ぎないとも言える。
最後となったが、赤城農水相に野坂氏の唄を手向けることにしよう!
マリリン・モンロー ノー・リターン
この世はもうじきおしまいだ
桜ちるちる菊もちる
よくばりばばあは長生きで
やさしいむすめは早死にだ
マリリン・モンロー ノー・リターン
この世はもうじきおしまいだ
あるきつかれて西のはて
まっかなまっかな陽が沈む
さよならさよなら国家甲羅
マリリン・モンロー ノー・リターン
この世はもうじきおしまいだ
霞たなびくすみだ川
あほうあほうと鳥は啼き
うかぶ魚の目になみだ
2007/07/14のBlog
[ 22:28 ]
[ 【番外編】 ]
家族についての興味深い記事がwarmgunさんより発信されている。日ごろの感謝を込めて(笑)僕の家族の肖像について語る良い機会であるとも思い、ここに記してみることにする。
僕は東北の百姓の家に長男として生まれた。
しかし、厳密に言うと長男ではない。母は最初の子供は死産であった。そして、次の子供は生後まもなく風邪をこじらせ、あえなく亡くなっている。
田舎の農家は祖父母の力が異常に強い。母はそのことを事あるごとに祖母から嫌味を言われていたことを今でも覚えている。しかし、実際は母の不注意が子供を死に追いやったのではないだろう。
今では信じられないことだが、昔の農家は子供を生んだ後休んでいられるのは1週間だけ。その後は有無を言わさず畑仕事に出なくてはならない。その間、赤子の面倒を見るの婆さんの役目と相場がきまっている。母も例外なくそのしきたりに倣った。
今と違って、冷暖房などがあるはずもない。そして東北の冬は厳しい。その極寒のなか、母と祖母の介護も虚しく、赤子は息を引き取ったのである。
実家の土台は祖父が築いた。
若くして単身フィリピンに渡り、現地であらゆる商売に手を出した。僕は当時撮影した写真を見たことがあるが、白い上下のスーツと白い帽子を被ったその姿があまりにも凛々しく、すぐに祖父とは信じられなかった。今をときめく色男そのものだったのである。
祖父は帰国後、稼いだ金を元手に土地を買い、祖母と結婚し農業を始めた。祖母は9人の子供を生み、その長男が僕の父である。
悲しいことに父は百姓に収まる男ではなかったようだ。子供の頃から文学に親しみ、絵でその才能を開花させ、青年期には政治にも関心を持つようになった。写真といった映像関係にも興味を持ち、実はカメラマンとして身を立てたかったという。
しかし、それは農家の長男という立場を放棄し、家を出ることを意味する。そして、そのようなことは当時の農家としては絶対に許されないタブーなのである。父は生まれながらに農家の後を継ぐ宿命を背負わされていた。
祖父は百姓に学問などいらないという考えを持っていた。よって義務教育が終わればすぐにでも家の跡目を継がせるつもりでいたようだ。それに反駁した父はせめて地元の農産高校には行かせて欲しいと懇願したが、最終的に許可が下りたのは試験が終わった後のことだった。つまり、父は中卒で百姓をやらされることになる。
父がいまだにカメラを手放さないのはそのような恨みもあるのだろう。アマチュアとして数々の受賞もしているようだが、もしプロになっていたとしたら、どのような人生を送っていただろう。蔵の片隅に作った暗室で、農業の合間に写真の現像をしていた父の姿を思い出す(父は今も健在である)
父の8人の兄弟も一筋縄でいかない人間ばかりだ。
なぜかこの家系は文学や芸術や政治にうるさい人間が多い。しかも皆酒飲みである。また、飲む量も半端ではなく、その酒癖も非常に悪い(最近は皆さんも年をとられて、やっとおとなしくなりました)
正月やお盆になると皆実家に集まり(つまり僕の家)、朝昼となく酒を酌み交わし、文学を語り、芸術を語り、政治を語りだす。しかし、誰一人としてその方面に進んだ人間がいるわけでもないため、そのひずみは酒の席で如実に表れるのだ。
盆暮れ正月は、朝起きるとすぐに酒を飲む。最初は和気藹々としているのだが、これが徐々に文学談義となり、芸術討論となり、最後は政治激論となる。これがさらにエスカレートすると掴み合いの大喧嘩となる。額から血を流し、障子を突き破る伯父の姿を、僕は小学生の頃から何度も目撃している。その都度僕の心臓の鼓動はピークを迎えるわけだが、変な意味で修羅場に対する免疫を形作っていたのかもしれない。
そんな状況が、僕が成人するにつれ徐々に変化してきた。なぜならば、このような環境下で僕も本を読み、芸術に触れ、「政治化」してきたからだ。
僕も子供の頃は絵の才能を期待された時期もありました。小学生の頃はコンクールで数々の賞をとり、自宅に画家が「弟子にならないか」という話を持ちかけてきたこともある。これは、当時健在だった祖母が追い返してしまった。田舎百姓と芸術の世界が、根本的に祖母には理解できなかったのだ。
そんな僕が父の兄弟、つまりは伯父たちを論破し始めるようになったのが、僕が成人を迎えた頃からである。
M伯父の家に泊まりに行った際、酒を飲み大喧嘩となり家を飛び出したこともある。さらには、実家でT伯父と酒を飲み喧嘩となり、庭に引っ張り出され拳で顔面を殴られた。その夜は激しく雨が降りしきり、泥沼と化した地面に叩きつけられたのである。僕はその時唇を深く切ってしまい、かなり出血した。その傷は今も残っている。僕の主義主張は、このようなバイオレンスの渦中で形成させていったともいえるのだ。
ちなみにM伯父は自分の会社社長の令嬢と恋仲となり、夫婦同然で半生を過ごしてきたが、決して籍は入れなかった。彼が籍を入れ世間で夫婦と認知されたのは、伯父が50を過ぎてからの話だ。当然、社長の伯父に対する恨み事は多々ある。社長も脳梗塞で半身不随となられたが、そんな中でも恨み言を聞かされるのは、この僕であったりもする。
また、僕をぶん殴ったT伯父は最近まで新聞代理店を取り仕切っていた。毎日新聞をメインに扱っており、読売新聞を目の敵にしていた。「読売などは新聞のうちには入らない。あれはただのチラシだ!」と常日頃語っていた彼が、新聞業界に絶望し、職を辞したのはつい最近のことだ。
祖父は僕が中学生の頃から、次第に今で言う”認知症”、つまり”ボケ”の兆候が現れだした。次第に足腰も立たなくなり、いわゆる”ボケ老人”へと転移していたのである。
普通ならば奥の座敷で寝たきりとなるのだが、祖父の場合は少し違った。茶の間のいつもの自分の居場所を決して動こうとしないのだ。仕方がないので、茶の間のその場所が祖父の寝たきりの場所となってしまった。
初期の頃はまだそれでもよかった。家族と普通に会話ができていたからである。しかし。ボケが進行するにつれ、意思疎通も儘ならなくなり、次第には沮喪するにまでいたった。
便所に行くというので、おぼつかない足取りを支えて必死にそこまで連れて行こうとするのだが、結局間に合わず廊下で沮喪をしてしまう。これではマズイということで、大人用のオムツをさせようとするが、それを頑としてはねつける。
ボケが始まりだした頃の祖父は、尿瓶を片手に家中に糞尿を撒き散らす年寄りでしかない。また、そのような祖父末期の痴態が祖父の記憶そのものになってしまったのは、今となっては非常に残念であり、また、かつての色男もここに極まれりといった思いを僕の心の中に残した。
このような体験は思春期の僕としては少々キツかった。恥ずかしくて友達も家に呼べなかった。祖父の居場所とする茶の間の片隅は、常になんとも得がたい”匂い”が漂ってしまっていたのだ。
鬱屈とした僕は部屋にこもり、本を友として過ごしていたわけである(お陰で?成績も上がり、県でも一番と言われる高校に合格してしまったのだが、その後予定調和的にドロップアウトする。結局大学に進学しなかったのは、僕を含め数人ではないだろうか?)
しかし、祖父はそれでも幸せだったといえる。なぜなら、ちゃんと自宅の畳の上で死ねたのだから。しかも、危篤になってから、親戚一同が集まるまで、しっかり持ちこたえた。全員が見守る中、祖父はその生涯を終えたのである。
人は死んだとき、舌を出すということをこの時初めて知った。祖父の時もそうだった。心臓が止まったときに、祖父は降参しましたとばかりに舌を出したのである。「ああ、これで爺も死んだ。ほれ、舌をだした・・・」こう言って祖母は数秒間、鳴き声をあげた。気丈な祖母の鳴いた声を聞いたのは、後にも先にもこの時だけだった。
人が死ぬというのは無様なものだ。最後は舌をだして死んでゆくのだ。
今年になって、身内に立て続けに不幸がおこった。
最初は妻の母の母親だ。施設に入っていたこの母親は、その最後は肺炎をおこし、レントゲンを撮ると肺が真っ白になっていたという。小柄な母親の、隣の部屋にも聞こえるほどの激しい息遣いを見るに耐えなく、妻の母は人工呼吸器をはずしてもらうことを決断する。それでも彼女は1日ほど生きながらえ、舌を出して息を引き取った。
次はM伯父の奥さんの母親だ。大腸癌で数年間闘病生活をおくったが、先日亡くなられた。生前何度が会っているが上品な白髪の方だった。身内には決していないようなタイプの人だった。棺桶に入ったその姿を見るに、やはり舌を出していたのだ。
僕の祖母が亡くなったのは、僕が家を出て東京に来てからだ。死ぬならばスカッと死にたいと常日頃から祖母は語っていた。人に面倒をみて貰いながら死ぬのは嫌だと。しかし、祖母は自分が最も忌み嫌っていた死に方をしてしまった。朝食の最中、脳梗塞で倒れてしまったのだ。
僕がその連絡を聞き、東京から地元も病院に着いた時、祖母は意識はあるものの、ほとんど植物人間同然の状態であった。話かけにかすかに頷くものの、どうやら言葉を理解していないらしい。もちろん、自分から話すことなど一切ない。このような植物的な状態が数年続き、最後は眠るように死んでしまった。
祖母の場合はさすがに介護用ベットを購入し、自宅座敷での療養となったが、その間下の世話まで含め、介護をしていたのは僕の母親である。
「婆の面倒を見ることで、嫁と婆は本当の親子のようになった」とは、僕の父のコメントである。
以上が僕の家族の肖像のようなものです。これも一部でしかないのですが・・・。
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ああ
ああ、空に向かう生首のように
空に向かう生首のように誰によびかける?
むかし、ひとは神に呼びかけた
無言の神に
いまぼくたちは青空に呼びかける、だれもいない空に
雲と陽のかげりに
無言は同じだ
その反響を自分のなかにきくことが、たぶん生きることだ
ひとにぎりの風を感じて
2007/07/07のBlog
[ 15:00 ]
[ 国民投票法に始まる改憲問題 ]
軍産複合体は経済の空洞化と格差をもたらす
1983年、R・W・デグラッセは著書「軍拡と経済停滞」において、軍事費と国際競争力の関係を指摘した。
国内総生産(GDP)に対する軍事支出率が高い国ほど国内総生産高に対する経済投資率が低くなり、投資の停滞が生産性の向上と経済成長を妨げ、国際競争力を低下させるというものだ。
同様に、米国民間軍縮団体”ワールド・プライオリティーズ”の1982年度版「世界軍事・社会支出」も、軍事支出負担率の高い国ほど世界市場で競争力がないことを明らかにしている。
これらの報告では”軍事費の対GDP比率における、投資の対GDP比率”、”軍事費の対GDP比率における、製造部門の生産性伸び率”、いずれの場合においても日本が他を大きく引き離しトップに位置しており、アメリカはこれも他を大きく引き離し、最下位である。
軍事費が多ければその分一般企業の投資は落ち込み、また労働の生産性も上がらない、といった極めてまっとうな結果が示されたわけだ。
軍事費が経済に及ぼすマイナス効果は、軍事費を賄うため国民の租税負担率が上がり、物的・人的資源が軍事目的に流動される結果、非軍事用途への資源供給が潜在需要に対し不足する、といった形で表れる。
特にアメリカについては、資金が軍事部門に集中するため、民間の設備投資がおくれる結果となり、生産性向上が西ヨーロッパ諸国や日本に比べ極めて低いということが挙げられる。
これらの事象は主に製造部門を主体としているため、実態に即していないとの見方もできる。確かにアメリカの製造業はもはや実態を失いかけているのかも知れない。あれほどの超大国が、国産のテレビすら製造していないことは非常に驚きである。
1983年、R・W・デグラッセは著書「軍拡と経済停滞」において、軍事費と国際競争力の関係を指摘した。
国内総生産(GDP)に対する軍事支出率が高い国ほど国内総生産高に対する経済投資率が低くなり、投資の停滞が生産性の向上と経済成長を妨げ、国際競争力を低下させるというものだ。
同様に、米国民間軍縮団体”ワールド・プライオリティーズ”の1982年度版「世界軍事・社会支出」も、軍事支出負担率の高い国ほど世界市場で競争力がないことを明らかにしている。
これらの報告では”軍事費の対GDP比率における、投資の対GDP比率”、”軍事費の対GDP比率における、製造部門の生産性伸び率”、いずれの場合においても日本が他を大きく引き離しトップに位置しており、アメリカはこれも他を大きく引き離し、最下位である。
軍事費が多ければその分一般企業の投資は落ち込み、また労働の生産性も上がらない、といった極めてまっとうな結果が示されたわけだ。
軍事費が経済に及ぼすマイナス効果は、軍事費を賄うため国民の租税負担率が上がり、物的・人的資源が軍事目的に流動される結果、非軍事用途への資源供給が潜在需要に対し不足する、といった形で表れる。
特にアメリカについては、資金が軍事部門に集中するため、民間の設備投資がおくれる結果となり、生産性向上が西ヨーロッパ諸国や日本に比べ極めて低いということが挙げられる。
これらの事象は主に製造部門を主体としているため、実態に即していないとの見方もできる。確かにアメリカの製造業はもはや実態を失いかけているのかも知れない。あれほどの超大国が、国産のテレビすら製造していないことは非常に驚きである。
安倍首相が創りあげたい”美しい国”
ここで注意しなければならないのは、冒頭で紹介した報告がいずれも1960年から1980年の20年間に渡る数値を集計したものであるということだ。現在の2007年からすると、この25年以上及ぶタイムラグは、日本とアメリカを大きく様変わりさせた。報告発表当時は高い投資率と生産性を誇っていた日本経済が、明らかにアメリカへ向かって右肩下がりになってしまっているのは明らかだ。
結局、アメリカという国は、モノづくりは海外にアウトソーシングし、軍事産業以外では”IT”と”金融”と”パテント”で食べているような国である。つまりは、戦争以外においては、実態のないマネーゲームをするしか手立てがない国であるということだ。
仮にアメリカの経済指標から軍事関係の数値を除外し、再計算してみるといい。経済大国アメリカが、一気に途上国へと転落するだろう。要するに、軍産複合体抜きでは途上国レベルでしかないことがアメリカの正体であり、これが格差社会の原因の”本丸”なのだ!これも経済の空洞化の一形態である。
軍産複合体のお陰で経済大国面できるが、それなくしては途上国レベルでしかなく、軍産複合体に集中した富は”格差社会”を生み出す。数字上は景気回復基調へと向かうため、この軍産複合体偏重が推し進められ、さらなる富が軍産複合体へ蓄積される。経済格差は広がる一方だ。軍産複合体の秘めるこのフラクタル構造が格差社会を推進するエンジンとなり、人々を狂わしていく。
そして、日本もアメリカに習い自ら望んで途上国へ転落していくであろう様は、悲劇を通り越して”喜劇”ですらある。このような醜態を演出する”気違いピエロ”が安倍晋三その人である。
私は当初、経団連・御手洗冨士夫会長が軍産複合体のドンの座を虎視眈々と狙っており、安倍首相はそれに乗り遅れるだろうと予想していたが、どうやら安倍首相もそこまで”お坊ちゃま”ではなかったようだ。彼も軍産複合体の親玉に名乗りを上げたことになる。
ここで注意しなければならないのは、冒頭で紹介した報告がいずれも1960年から1980年の20年間に渡る数値を集計したものであるということだ。現在の2007年からすると、この25年以上及ぶタイムラグは、日本とアメリカを大きく様変わりさせた。報告発表当時は高い投資率と生産性を誇っていた日本経済が、明らかにアメリカへ向かって右肩下がりになってしまっているのは明らかだ。
結局、アメリカという国は、モノづくりは海外にアウトソーシングし、軍事産業以外では”IT”と”金融”と”パテント”で食べているような国である。つまりは、戦争以外においては、実態のないマネーゲームをするしか手立てがない国であるということだ。
仮にアメリカの経済指標から軍事関係の数値を除外し、再計算してみるといい。経済大国アメリカが、一気に途上国へと転落するだろう。要するに、軍産複合体抜きでは途上国レベルでしかないことがアメリカの正体であり、これが格差社会の原因の”本丸”なのだ!これも経済の空洞化の一形態である。
軍産複合体のお陰で経済大国面できるが、それなくしては途上国レベルでしかなく、軍産複合体に集中した富は”格差社会”を生み出す。数字上は景気回復基調へと向かうため、この軍産複合体偏重が推し進められ、さらなる富が軍産複合体へ蓄積される。経済格差は広がる一方だ。軍産複合体の秘めるこのフラクタル構造が格差社会を推進するエンジンとなり、人々を狂わしていく。
そして、日本もアメリカに習い自ら望んで途上国へ転落していくであろう様は、悲劇を通り越して”喜劇”ですらある。このような醜態を演出する”気違いピエロ”が安倍晋三その人である。
私は当初、経団連・御手洗冨士夫会長が軍産複合体のドンの座を虎視眈々と狙っており、安倍首相はそれに乗り遅れるだろうと予想していたが、どうやら安倍首相もそこまで”お坊ちゃま”ではなかったようだ。彼も軍産複合体の親玉に名乗りを上げたことになる。
ところで、久間氏の後を継ぐ防衛相が小池百合子氏とは、なんともお粗末ではないか?[日本新党]→[改進党]→[自由党]→[保守党]→[保守クラブ]→[自由民主党]と渡り歩き、ついには”防衛大臣”の座を射止めてしまった。
《「人道上の観点から問題があると思っている」。核兵器使用が国際法上違憲かどうか聞かれた途端、小池氏の歯切れは悪くなった。米国の原爆投下を「人類への挑戦」と答えたこととは対照的だった。改めて問われると、「準備してくれているので」と事務方が用意した想定問答を見ながら「法律的なこと、これまでの国際的な推移など研究したい」と答えるのが精いっぱいだった。》
~2007年7月5日 朝日新聞~
用意された原稿をしっかり読むあたり、所詮彼女は”女子アナ”でしかなく、それ以上でも以下でもない。彼女は日本の防衛の事など、小指の先ほども知らない。彼女としても参院選までのお飾りであることは重々承知の上だろう。首相補佐官から防衛相に転進したことで、しばしアメリカのライス国務長官を気取ってみようという魂胆だろう。
かつて「風見鶏」と世間から揶揄された改憲派某元首相もいたが、彼女の場合はそんな牧歌的なものではない。一連のこの節操のなさは”政界売春婦”の名にふさわしい。最近はマニアックな御仁が多いことから、50過ぎでも十分に売れるのだ。
「くの一に懲りず飛びつくマスメディア」
「渡り鳥飛んでるうちにタカになる」
「国民の口封じいつもこの女性」
~2007年7月8日 朝日川柳~
”気違いピエロ”と”政界売春婦”が奏でる、日本の軍産複合体。
繰り返すが、安倍首相にとって最大の目的は軍産複合体を形成することにある。したがって、我々国民は最低限、今後の憲法改正の動きを注視してゆかなければならない。改憲が軍産複合体形成のトリガーとなるからである。
最後に、フランシス・フォード・コッポラ監督「地獄の黙示録」の冒頭に流れるドアーズの曲を、彼らに手向けることにしよう。
あなた方は「THE END」だ。
2007/07/06のBlog
[ 21:38 ]
[ 国民投票法に始まる改憲問題 ]
戦争こそが”ビックボーナス”である
アメリカの航空機メーカー「ベル・エアクラフト社」は汎用ヘリコプター”HU-1”の多額の開発費と、社の実権を掌握していた創業者ローレンス・ベルの死去が重なり、倒産寸前まで追い詰められていた。しかし、1960年代のベトナム戦争の拡大に伴い、軍からの発注が急増、ベル・エアクラフト社は生産が追いつかなくなり、24時間シフト体制でこれに応え会社経営は見事なまでに回復した。このHU-1はベトナムで数千機が配備され、まさにベトナム戦争の代名詞となった。
アメリカの航空機メーカー「ベル・エアクラフト社」は汎用ヘリコプター”HU-1”の多額の開発費と、社の実権を掌握していた創業者ローレンス・ベルの死去が重なり、倒産寸前まで追い詰められていた。しかし、1960年代のベトナム戦争の拡大に伴い、軍からの発注が急増、ベル・エアクラフト社は生産が追いつかなくなり、24時間シフト体制でこれに応え会社経営は見事なまでに回復した。このHU-1はベトナムで数千機が配備され、まさにベトナム戦争の代名詞となった。
同じく、ベトナム戦争時代の空軍パイロットの話である。
何度となく北爆に参加した彼の話によると、当時の絨毯爆撃は凄惨を極めたという。彼はファントム104のパイロットだった。
彼の任務はB-52による絨毯爆撃が始まる前、敵の陣地に向けてのロケット弾と機銃を打ち放し、極力敵の抵抗力を弱めることにあった。12機編成のファントム部隊で実行されたこれら下準備により、大量の弾薬が消費される。
これが終わると、いよいよ主役B-52の登場である。1回につき15~20機の編隊でつぎつぎに爆弾を投下してゆく。地上はもはや地獄絵巻さながらである。これが終了すると、同様のB-52の編隊が姿を現し、同様の爆撃を繰り返す。このB-52による波状攻撃は少なくとも5回は繰り返された。
これが一通り完了すると、再度ファントム部隊が登場する。しかし、ターゲットは雑草すら生えていない焼け野原である。しかし、それでも部隊は焦土と化した大地にロケット弾と機銃を打ち込みまくる。これが、かの有名な北爆の1セットである。
この熾烈を極める爆撃が、1971年8月に戦闘終了が発表されるまで実に1年近くも続いたのである。これは、北爆1回で弾薬会社が3年以上のボーナスを獲得した計算になる。
それだけでなく、例えば、アメリカの貨物輸送会社フライング・タイガー社(現在は時計のブランドとしても有名である)などは、株価が急騰した。アメリカ兵の死体を運ぶ注文が殺到したからである。当時は自社便だけでは手が回らず、パン・アメリカンや日航までもがチャーター便を手配し、日に何十便もアメリカ本国に遺体を運んだことさえある。これに派生するかのように、アメリカの葬儀屋も大儲けであった。遺体輸送に際しては、内臓の解体作業までやるからだ。「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」真っ青な世界が繰り広げられていたのである。
一説によると、戦争が1回起れば、軍需産業はその後10年から15年は生き延びられると囁かれている。
このように、軍産複合体にとって”戦争”とは金のなる木に他ならない。パチンコで例えれば、戦争が起っている間は777(スリーセブン)がず~と揃っている状態になっているのだ。経験者なら分かると思うが、これは目をつむっていても玉が留まることなくあふれ出す構造以外の何物でもない。
ベトナムの北爆の映像を何度か目にすることがあったが、これらを見るたび昔から疑問に感じていたことがある。なぜB-52が、草木も生えないような荒野に執拗に爆撃を繰り返すのか、ということである。
「地下にベトコンが潜んでおり、通常の攻撃では彼らを掃討するのはもはや困難」との公式発表であったが、少なくとも映像を見る限りにおいては、ゲリラ戦にて互角以上に大国アメリカと闘っている彼らがこんな場所にいるとも想像できず、なんとも煮え切らない思いが募っていたことは確かである。
しかし、これでようやく謎が解けた。ベトナムの北爆では、アメリカはもはやベトコンなど相手にしておらず、自国の軍産複合体を潤すことのみ走り続けていたということになる。そして、犠牲になったのは名もなき若い米兵であり、ベトナムの子供から大人まで一般の人々なのである。
ベトナム末期においては、軍産複合体と癒着したニクソン大統領が、このようなボーナスをもたらしていた。軍産複合体と閣僚との”悪魔的”な成果である。
さらにアメリカは、日本に原爆を投下した時と同様、その戦争の末期では枯葉剤まで使用するに至っている。この影響については、わざわざ私が書くこともあるまい。いや、書きたくもない!
このように軍産複合体とは、自身の利益のためには一般人をも死の淵に追いやることを厭わない、”狂った集団”なのである。
アメリカの軍産複合体、そしてそれに癒着したアメリカ閣僚達は、万死に値する!
そして、安倍首相のもたらす”美しい国”も、このような軍産複合体が引き起こす地獄絵図なのである。
2007/07/04のBlog