Blog
前のページ
|
次のページ
2008/05/14のBlog
[ 22:18 ]
[ 【社会問題】 ]
[関連したBlog]
大澤真幸(おおさわ まさち)という気鋭の社会学者がいる。
念のために言っておくが、”ばんばひろふみ”の兄弟ではない。
現在『不可能性の時代』(岩波新書)、『逆説の民主主義』(角川oneテーマ21)が好評であり、特に『不可能性の時代』については朝日新聞2008年5月11日朝刊、読書欄において八重洲ブックセンター本店調べの週間売り上げベスト10に、『金融権力』『反貧困』(共に岩波新書)と並びランクインしていることが紹介されている。
この『金融権力』『反貧困』、そして『不可能性の時代』は全く同じタイミングで、しかも3冊セットの大々的広告で岩波が売り込みをかけていたのは、つい最近のことである。
昨今のケータイによる”小説もどき”の興隆からしてみれば、これらの社会的新書の伸びといった動向は、とりあえず歓迎すべきことであろう。当然のこととして、これら岩波新書3点セットは買うべき本として、個人的にリストアップされていることは言うまでもない。
大澤真幸(おおさわ まさち)という気鋭の社会学者がいる。
念のために言っておくが、”ばんばひろふみ”の兄弟ではない。
現在『不可能性の時代』(岩波新書)、『逆説の民主主義』(角川oneテーマ21)が好評であり、特に『不可能性の時代』については朝日新聞2008年5月11日朝刊、読書欄において八重洲ブックセンター本店調べの週間売り上げベスト10に、『金融権力』『反貧困』(共に岩波新書)と並びランクインしていることが紹介されている。
この『金融権力』『反貧困』、そして『不可能性の時代』は全く同じタイミングで、しかも3冊セットの大々的広告で岩波が売り込みをかけていたのは、つい最近のことである。
昨今のケータイによる”小説もどき”の興隆からしてみれば、これらの社会的新書の伸びといった動向は、とりあえず歓迎すべきことであろう。当然のこととして、これら岩波新書3点セットは買うべき本として、個人的にリストアップされていることは言うまでもない。
実を言うと、これら書籍が俎上に載る前に、ことに大澤真幸については『文明の内なる衝突』なるものを、秘かに読んでいたりもしていたわけなのである。
あの”9.11”の衝撃のもとで書かれた、世界を震撼とさせた”9.11”を社会学的に検証し、現代世界の深層なるものを探り出す試みの書である、という触れ込みだ。
誰もが知るあの大惨事をテーマにした書物を選ぶことにより、むしろ大澤真幸なる人物に入りやすくなるのではという、私の勝手な期待もあった。
筆者は言う。
夢を「忘れないための最も効果的な方法は、それをできるだけ早く言葉にしてしまうことである」と。
「われわれは、あの出来事を忘れるべきではない。あの出来事に遭遇したときの驚きや悲しさや困惑を忘れてはならない」
そして、「あのテロは、この忘れやすい夢のようなものである」と形容する。
だからこそ、筆者・大澤真幸はこの書を急いで書いたことを”あとがき”に記している。”9.11”が忘れてはならない悪夢であることは私も同感である。
しかしである。
”9.11”についてはもはや様々な角度で取り沙汰され、ついにはアメリカ国家自身による自作自演の陰謀論まで吹き出している状況に対し、大澤氏が語るような「社会学」とはあまりにも無力なのではないか、そんな想いが頭をよぎり、さらには痛感すらしている自分がいたのだ。
そう、『文明の内なる衝突』を途中まで読み、その時点の感想としては、私がピンとくるようなものは何一つとして得られなかったということなのである。”9.11”が私に全く迫ってこない!
大澤氏の言説は社会学の理論上の実験でしかないような気がして、さらに悪く言えば言葉の辻褄合わせをしているようで、どうも”9.11”の本質(それがあればという仮定の上においてだが)を捉えているとは言い難いように思われた。”9.11”を忘却する前の、忘れないための言語化作業であったのにも関わらずだ。
これを読む限りにおいて、”9.11”とは何やら遠い異国で起こった事件であり、私は傍観者ですらなかったのだ。
このことについては、あたかも布石を打つように、大澤真幸は本の冒頭で”9.11”に対する社会学の”無力感”を素直に認めてしまってもいる。
私はまさに、この書の5合目付近で立ち往生したことになる。
《われわれの問題は資本主義と原理主義の関係にあった。資本主義と原理主義の間の(原理主義者にとって)代替関係にあった。この問題にアプローチするために、ここで、資本主義をあらためて定義しなおしておかなくてはならない。資本主義の拡張された定義が必要なのだ。既に第一章で、資本主義は、それ自身、宗教的な現象だ、と述べておいた。資本主義のこうしたアスペクトが、資本主義の本質的な-付随的ではなく本質的な-契機であることが明らかになるような、資本主義の捉え方が必要である。》
→第一章は読んだが、資本主義と宗教性について、私は全くピンときていない(笑)。つまりこの書で言うところの”資本主義”を、例えば、私は捉え損なってしまっていた。
もっとも、この読書体験で得てしまった私に関する”自己発見”も、ここで言っておかねばなるまい。
思想や社会学、もしかしたら哲学なども含まれるかもしれないが、これらの思索的な分野に、私は決定的に弱いかもしれないということだ!(爆)
今回の大澤真幸感は、こんな私の思索の脆弱性が引き起こした可能性も当然捨てきれない。
そう言えば、そう言えばである。
大澤本を途中で放り出し、自身に対する疑念が晴れぬままに手にした書物、『共同幻想論』(吉本隆明著)、ジャンル的には類似のものと思われるこの書にしても、何やら私にとって”アナーザー・ワールド”のような感覚が拭いきれない(これは眺めただけで再び本棚に戻す・・・)
さて、本当に私はこの分野に弱いのか否か?それが問題だ。
この弱点が真実ならば、これを補うために私は何をすべきが?それが問題だ。
少し壁に当たってしまった気もする。これは些細な問題か?
はてまた、今回の大澤本は「ハズレ」だったのか?
どうも『文明の内なる衝突』は少し難しいようにも思えるのだが・・・。
トラックバック元であるwarmgun氏のここ最近、大澤真幸の入れ込みようには尋常ならざるものを感じる(笑)
私自身、こんなところで大澤真幸をはずしてしまうことは何だか出遅れてしまうようで、少し「怖いな」と思っているのであろう(笑)。一方、warmgun氏はかなり直裁的に大澤真幸を「読め!」と言っているのである。
ええ、読みますとも!(笑)
次はいよいよ『逆説の民主主義』に挑戦だ。
私は大澤真幸について、取り敢えずまだ諦めてはいない。
『逆説の民主主義』に期待するところ”大”なのである。
【大澤真幸に少し興味を持った方は、ワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
2008/05/08のBlog
[ 00:44 ]
[ 【番外編】 ]
先日受けたレーシック手術についてだが、今のところ特に大きな問題もなく順調である。つまり良く見えている!という一言に尽きる。普通の旧型ブラウン管テレビから突如ハイビジョンになった、というのは言い過ぎだろうか?(笑)
そのような折、ツナミン氏からレーシックについて至極もっともな質問のコメントをいただき、返事をしたためているうちに長文となったこともあり、また他の方もレーシックについては同様な疑問を持っているのではないか?であるならば、余計なお世話と思いつつもこれに答えてみようかという、ある種の老婆心のような感慨も湧き出でてきたのを機に、レーシックについての若干の解説をここに記してみようと思う。
まさに「不破2.0」からの回答である(爆)
これも何かの参考になれば筆者としては望外の喜びでもある。
1.痛みについて
目薬タイプの麻酔をするので、痛みはほとんどありません。
ただ、手術をする際に眼の周りや眼の上に施される器具で、かなり眼球が圧迫されます。この圧迫感はかなりのものです(苦笑)。僕にはそれなりに辛いものでした。
また、手術をした当日、麻酔が切れてくると痛くて、沁みて、ヒリヒリして相当苦しみます!これは覚悟しておいてください。勿論、これには個人差、性差はあります。意外にも女性の方がさばさばしているように見受けられます。これは子どもを産むための、女性特有の痛みに強い肉体的アドバンテージだと思われます。
手術後は日帰りとなりますが、そのようなこともあり、帰りは必ず誰かに付き添ってもらうようにして下さい。
幸いにも、これらの症状は2日目以降から急激な回復を見せます(これもある意味不思議ね!)
2.失敗について
失敗する可能性はほとんどありません。
レーシックは他の手術とは異なり、医師の腕の良し悪しはあまり関係がありません。
極論を言えば、レーシックは基本的に機械がすべてを行います。
したがって最新のマシーンを導入した、症例の多い病院を選ぶのがよろしいかと思われます(あたかもベルトコンベアに乗せられた感はありますが)
レーシックはアメリカで数百万、日本でも数十万の症例があります。そして、レーシックが直接の原因となって失明したという事例は基本的にありません。ちなみにアメリカでは10年ほど前からレーシックを実施していましたが、突如失明!ということは無いようです。
手術といっても、要は角膜の表面をガリガリ削っているだけの突貫工事のようなものなので(笑)、あまり心配はないように思われます。
ノリとしては歯医者に少し似ているかもしれません(苦笑)
3.費用について
僕の場合は最新型のマシーンで行ったので少し高めでした。
しめて24万円、といったところです。
ただし、工夫すればかなり安くなります。
まず、お約束として「紹介者割引」を使ってください。これで5万円引き。
次に生命保険の「手術給付金」を確認してください。
もし、これが付帯されていれば最低でも5万円は支払われるはずです。商品によっては10~20万も支払われる場合があるので、これは絶対にチェックです。
ちなみに僕の場合は”第一生命”から5万円、加えて親が掛けていたJAの保険からも、額は未確認ですが給付される予定です(おそらくは5万円)
5万円 + 5万円 + 5万円 = これで15万円の割引。
つまり「9万円」で手術を受けられることになるわけです。
僕はこの値段を見て「やってみる価値あり」と判断しました。眼鏡だって良い物を買えば5、6万なんて簡単に吹っ飛ぶわけですから・・・。
さらに、自治体によっては医療費控除の対象にもなります(これは微々たるものですが)
いかがなものでしょう?
基本的にレーシックは安全に視力回復を図る一つの手段だと思いますが、まれに想定したほど視力が回復しなかったり、重度のドライアイになってしまう場合もあります。
個人的には、眼鏡やコンタクトに特に支障を感じていなければ全くやる必要はないと思います。
逆に、いい加減”うんざり”であれば、レーシックによって労苦から解放されると言えるでしょう。
ありきたりの結論ですが、レーシックは個人の価値観にかなり左右されるものだと考える次第です。
加えて、僕は業者からの回し者でもありません(笑)
質問はいつでもウエルカムです。
【レーシックの概要についてだいたい分かった方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
[ 00:42 ]
[ 【番外編】 ]
ベッドに体を横たえると、顔の上に布が被せられた。
眼の部分だけが開いている。
青白いライトが顔面に近づいてくる。
中心部には緑の発光体。
-レーザー照射が始まる。
視界の中心部に捉えていたはずの緑色発光体がしだいに輪郭を失い、視界に霞がかかり、ついには辺り一面グレー色の世界と化してしまう。
角膜にレーザーを照射するパチパチという音、-こんな経験は一生に一度もあるまいな・・・。
まさにこれこそ”SF”である!「ブレード・ランナー」だよ!
21世紀テクノロジーの産物に違いない・・・。
それにしても凄まじい体験であった。
手術を受けたのが5月3日。
そして、翌日の4日の夜にこうして裸眼でパソコンをしている自分が信じられない。
(まだ長時間はできません)
実際問題、どれほど視力が回復したのか?
手術前の視力をもう一度おさらいしてみる。
◇右目:0.06
◇左目:0.05
◇乱視:左右とも-1.00
それが手術翌日の今日、検査で視力を測ったところ、とんでもない数値を叩き出していた!
結果をご覧あれ!
◇右目:2.0!
◇左目:2.0!
◇乱視:そんなもん消滅したよ!
手術翌日で、まだ軽い痛みと違和感が残る状態でこの数値である!
なんだかよく見えるようになったなあ~と思いつつ、視力検査の一番したの記号までなんとか識別できたのには、さすがに僕も驚愕したよ。
手術をした病院は高層ビルの35階に位置しているのだが、その窓から見えるビル群の輪郭、その窓の粒立ち、さらには彼方にある山々の稜線までも、はっきり確認できたことにしばし呆然と僕は見惚れてしまっていた。
「世界はかようにも美しかったんだ(笑)」
このように視界のシャッキリ感を取り戻し、今回のレーシック手術には十分に満足した次第である。
Web2.0ならぬ、「不破2.0」をここに高らかに宣言する!
【私もレーシックをやるぞ!と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
2008/05/05のBlog
[ 12:57 ]
[ 【国際問題】 ]
「9条酒」という日本酒を発見した(笑)
◆向かって左 :「憲法九条」
(醸造元:石川県金沢市・やちや酒造)
◆真ん中の2本 :「九条酒」
(醸造元:岡山県真庭市・御前酒蔵元辻本店)
※左が第1項、右が第2項、憲法9条は「2本一緒で1セット」という仕掛け。
◆向かって右 :「九条」(醸造元:京都府佐々木酒造)
既に紹介したように「9条世界会議」は、5月5日の今日、ピークを迎えていることだろう。
またイベントの模様は、オフィシャルサイトでライブ映像が発信されてもいる。興味ある方は早速アクセスしてみよう。
さて、この「9条世界会議」については、朝日新聞2008年4月25日朝刊、読者投稿欄「声」に掲載されている文面が私の眼を引いた。
山形県山形市に在住する主婦、遠藤和子さん(73歳)の「連休の幕張で9条を学ぼう」と題する投稿である。非常に実直で真面目なこの投稿に敬意を表するためにも、ここに全文を掲載する。
■連休の幕張で9条を学ぼう
主婦 遠藤和子 (山形市 73)
連休中の来る5月4~6日、千葉の幕張メッセで「武力によらず平和をつくる」という憲法9条の理念を世界に広める「9条世界会議」が開かれます。ノーベル平和賞受賞者らの講演やUA、加藤登紀子さんらの音楽ライブもあります。
この会議のプレイベントとして幕張に向け平和行進が進行中です。山形でも4日に賛同者たちが行進し集会を持ちました。幕張まで行進する7人のお坊さんが読経と太鼓の力強い響きで私たちに力を与え、沿道の人々も応えていました。
集会所を提供してくださったのは街の協会。そこの牧師様の「仏教徒の方々をお迎えしたのは初めて」の言葉に9条のおおらかさを感じました。
私たちは日頃、水や空気を意識しません。戦後63年、戦争で殺した、殺されたが無いのは9条のおかげです。水や空気が無ければ、即、生存の危機です。9条も同じく生存とかかわりがあるのに気にもとめないのは、9条に申し訳ないです。
それどころか、昨今は憲法の精神に背く事態が起きています。世界の良識が9条を見習おうという時、我が国は自衛隊海外派遣の恒久法を成立させようとしています。
どんな口実であれ正義の戦争なんてありません。まもなく憲法記念日です。世界の宝・9条の精神をじっくり勉強しようではありませんか。
◆我々はこのような人生の先輩方の声に耳を傾け、それに続いてゆく必要があるであろう。
9条を守る活動の弱点のひとつに、賛同者の”高齢化”が挙げられるからだ。
今、本当に求められているのは”若い力”である。
【9条世界会議は何だか面白そう、と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
2008/05/02のBlog
[ 23:02 ]
[ 【番外編】 ]
ぜ~んぜん関係ないエントリーをしたためてみる(笑)
5月3日は”憲法記念日”なのだが、
それとは全く関係なく、僕はこの日「レーシック手術」、
要するに「コンチェルト・イントラレーシック手術」、
正式手術名は「レーザー角膜屈折補正手術」を受けることになっている。
これはレーザー光線で眼の角膜を削り、角膜の屈折率を変えることで視力回復を図るものだ。
最近はかなりの人が体験しているのでご存知の方も多いだろう。
私の会社でも既に3人ほどがこの手術の恩恵に浴している。
私の後輩も近々受ける予定だ。
今後レーシック人口はねずみ算的に増えると思われる。
思えば僕の近眼の歴史は中学2年生に始まる。
一番前の席に座っていながら黒板の文字がよく見えていないことに、ある日はたと気がついた。
そこで早速眼鏡を作ったのだが、以来坂道を転げるように視力は下がり、現在の強度の近視と言われるまでに到ったのである。
そんなわけで、僕は人生の半分以上を眼鏡とコンタクトと共に過ごしてきたのである。
それもいよいよ明日からは、そんな補正器具とはおさらばだ。
少年の日の、裸眼で見る快感が蘇るであろうということだ。
いやはや、長かった。
参考までに僕の裸眼視力は次の通り。
◇右目:0.06
◇左目:0.05
◇乱視:左右とも-1.00
ちなみに、既に手術を受けた会社の先輩は、視力・乱視共に僕より悪いものであった。
その先輩が現在視力1.2で推移していることからすれば、これは驚異的なことである。
僕の場合も、おそらく同様の結果が期待できるであろう。
世の中、進歩したものね・・・(笑)
そんな訳で今日はもう寝ます。
【私もレーシックを受けてみたい、と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
2008/04/30のBlog
[ 21:57 ]
[ 【憲法問題】 ]
1993年以降、アメリカは理不尽とも言える要望書を日本に突きつけ、司法制度を始めとする日本の内政に干渉してきたことは既に書いた。このことは戦後日本に駐留して以来、脈々と続いてきたアメリカによる日本の植民地化の一環であろうとの疑念を我々に抱かせるに十分な材料でもある。そして、このことを裏付ける資料が先日アメリカ公文書館で発見されたのである。
それは、当時米軍立川基地の拡張に反対する住民が、基地内に侵入したことに端を発した「砂川事件」の最高裁判決を巡る機密文書である。
機密解除されたこの文書によると、基地の存在を違憲とし住民を無罪とした東京地裁の1審判決を巡り、当時の駐日アメリカ大使と最高裁長官が密談していたというものである。この密談により1審の判決は破棄され、基地が合憲とされる判決が1959年に確定した。
これは日本の司法制度が政府と癒着し、さらにはアメリカの圧力下にあることの明白な証拠でもある。
もはや”三権分立”は教科書に記されるだけの空疎なお題目に過ぎない。学校で社会を学ぶ学生たちもこのような”詭弁”はとうにお見通しだろう。
-日本の司法制度は一体どこに向かおうとしているのだろうか?
■2008年4月30日 毎日新聞朝刊より
米大使 最高裁長官と密談
《国際問題研究者の新原昭治さん(76)が、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した。大使は、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のおいであるダグラス・マッカーサー2世。最高裁長官は、上告審担当裁判長の田中耕太郎氏だ。
文書は、59年4月24日に大使から国務長官にあてた電報。「内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数ヶ月掛かると語った」と記載している。
電報は、米軍存在の根拠となる日米安保条約を違憲などとした59年3月30日の1審判決からほぼ1ヵ月後。跳躍上告による最高裁での審議の時期などについて、田中裁判長に非公式に問い合わせていたことが分かる内容。
これとは別に、判決翌日の3月31日に大使から国務長官にあてた電報では、大使が同日の閣議の1時間前に、藤山愛一郎外相を訪ね、日本政府に最高裁への跳躍上告を勧めたところ、外相が全面的に同意し、閣議での承認を勧めることを了解する趣旨の発言があったことを詳細に報告していた。
新原さんは「外国政府の公式代表者が、日本の司法のトップである、担当裁判長に接触したのは、内政干渉であり、三権分立を侵すものだ」と話している。
【足立旬子】》
東京新聞の記事は単刀直入で分かりやすい。
米大使 最高裁長官と密談
《国際問題研究者の新原昭治さん(76)が、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した。大使は、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のおいであるダグラス・マッカーサー2世。最高裁長官は、上告審担当裁判長の田中耕太郎氏だ。
文書は、59年4月24日に大使から国務長官にあてた電報。「内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数ヶ月掛かると語った」と記載している。
電報は、米軍存在の根拠となる日米安保条約を違憲などとした59年3月30日の1審判決からほぼ1ヵ月後。跳躍上告による最高裁での審議の時期などについて、田中裁判長に非公式に問い合わせていたことが分かる内容。
これとは別に、判決翌日の3月31日に大使から国務長官にあてた電報では、大使が同日の閣議の1時間前に、藤山愛一郎外相を訪ね、日本政府に最高裁への跳躍上告を勧めたところ、外相が全面的に同意し、閣議での承認を勧めることを了解する趣旨の発言があったことを詳細に報告していた。
新原さんは「外国政府の公式代表者が、日本の司法のトップである、担当裁判長に接触したのは、内政干渉であり、三権分立を侵すものだ」と話している。
【足立旬子】》
東京新聞の記事は単刀直入で分かりやすい。
■2008年4月30日 東京新聞朝刊より
判決破棄へ米露骨介入
《「米軍駐留判決」を受け、米政府が破棄へ向けた秘密工作を進めていた真相が初めて明らかになった。内政干渉の疑いが色濃く、当時のいびつな日米関係の内実を示している。最高裁はこの後、審理を行い、同年十二月十六日に一審判決を破棄、差し戻す判決を下した。公文書は日米関係史を長年研究する専門家の新原昭治氏が今月、米国立公文書館で発見した。
「伊達判決」が出た翌日に当たる五九年三月三十一日付のマッカーサー大使の国務省あて公電によると、大使は藤山外相と同日会談し、「日本政府が判決を正すために迅速な行動をとる重要性」を強調。東京高裁に控訴するのではなく、地裁から即座に最高裁に上告する手続きである跳躍上告をすべきだと訴えた。
高裁を経由すれば判決破棄までに時間がかかると主張した大使に対し、外相は賛意を表明。同日の閣議で跳躍上告を提案する意向を示した。
同年四月二十四日付大使の国務省あて公電は、上告審の裁判長を務めた田中耕太郎・最高裁長官が大使と接触した事実を明記。長官は「非公式なやりとり」の中で、本件を「優先的」に扱うとの見解を表明した。
上告審では、日本を拠点とする米艦船が五八年の台湾海峡危機に出勤した事実関係が争点となったが、五九年九月十四日付の国務省公電は、作戦参加をにらんだ第五空軍の部隊や海兵隊の航空団が日本の基地から台湾や本土復帰前の沖縄に移動していた事実を記している。》
※「砂川事件と伊達判決」
1957年7月8日、東京調達局が東京都砂川町(現・立川市)にある米軍立川基地拡張のため測量を始めた際、拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入ったとして、刑事特別法違反の罪でデモ隊のうち7人が起訴された事件。
東京地裁(伊達秋雄裁判長)は59年3月30日、駐留米軍を憲法9条違反の「戦力の保持」に当たるとして無罪判決を言い渡した。これに対し、検察側は最高裁に跳躍上告。最高裁は同年12月16日、「憲法の平和主義は無防備、無抵抗を定めたものではなく、他国による安全保障も禁じていない。安保条約はわが国の存立にかかわる高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」と一審判決(伊達判決)を破棄し、差し戻した。
後に有罪確定。
”新聞”は、言うまでもなく司法以上に政府・アメリカと癒着し、「もはや役割は終わった」と囁かれるように、自壊自滅したメディアであると個人的には考えている。もはや新聞を読んだとて世の中の何も見えてはこない。いや、下手に洗脳される恐れがある分、むしろ”見ないほうがよい”メディアといっても過言ではあるまい。
それでも各紙、自壊自滅の温度差というものはあるだろう。
今回比較的リベラルだとされる(あくまでも比較的だが)「毎日新聞」と、これも比較的反政府的(あくまでも比較的だが)「東京新聞」だけが、メジャー紙の中でこの記事を掲載しているのは大変興味深い。
朝日、読売、日経、産経は一体何をしているのだろうか?
読売、日経、産経といった政府の御用新聞、ちょうちん記事を量産する新聞にはもはや望むべくもない。
先の名古屋高裁での違憲判断において、さもこの判決を支持する社説を展開した朝日は何をしているのか。本来ならは当然この介入記事について論を展開するのが筋ではなかろうか。やはりインターネット紙「あらたにす」に象徴されるように、読売・ナベツネ陣営に組したと見るのが妥当なのであろう。
日本に介入し続けるアメリカ。
そしてそれを報道せず、権力を監視するという役目を放棄し、だんまりを決め込む新聞。
「司法の独立」の虚構性を再認識し、新聞というメディアの崩壊を確信した「アメリカ司法介入記事」であった。
※この件に関して、さらなる詳しい解説をお求めの方は、ツナミン氏のエントリー「尊敬すべき裁判官たち」をぜひとも参照されたし!
【司法はヤバイ、新聞もヤバイ、そして何より日本がヤバイ、と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
判決破棄へ米露骨介入
《「米軍駐留判決」を受け、米政府が破棄へ向けた秘密工作を進めていた真相が初めて明らかになった。内政干渉の疑いが色濃く、当時のいびつな日米関係の内実を示している。最高裁はこの後、審理を行い、同年十二月十六日に一審判決を破棄、差し戻す判決を下した。公文書は日米関係史を長年研究する専門家の新原昭治氏が今月、米国立公文書館で発見した。
「伊達判決」が出た翌日に当たる五九年三月三十一日付のマッカーサー大使の国務省あて公電によると、大使は藤山外相と同日会談し、「日本政府が判決を正すために迅速な行動をとる重要性」を強調。東京高裁に控訴するのではなく、地裁から即座に最高裁に上告する手続きである跳躍上告をすべきだと訴えた。
高裁を経由すれば判決破棄までに時間がかかると主張した大使に対し、外相は賛意を表明。同日の閣議で跳躍上告を提案する意向を示した。
同年四月二十四日付大使の国務省あて公電は、上告審の裁判長を務めた田中耕太郎・最高裁長官が大使と接触した事実を明記。長官は「非公式なやりとり」の中で、本件を「優先的」に扱うとの見解を表明した。
上告審では、日本を拠点とする米艦船が五八年の台湾海峡危機に出勤した事実関係が争点となったが、五九年九月十四日付の国務省公電は、作戦参加をにらんだ第五空軍の部隊や海兵隊の航空団が日本の基地から台湾や本土復帰前の沖縄に移動していた事実を記している。》
※「砂川事件と伊達判決」
1957年7月8日、東京調達局が東京都砂川町(現・立川市)にある米軍立川基地拡張のため測量を始めた際、拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入ったとして、刑事特別法違反の罪でデモ隊のうち7人が起訴された事件。
東京地裁(伊達秋雄裁判長)は59年3月30日、駐留米軍を憲法9条違反の「戦力の保持」に当たるとして無罪判決を言い渡した。これに対し、検察側は最高裁に跳躍上告。最高裁は同年12月16日、「憲法の平和主義は無防備、無抵抗を定めたものではなく、他国による安全保障も禁じていない。安保条約はわが国の存立にかかわる高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」と一審判決(伊達判決)を破棄し、差し戻した。
後に有罪確定。
”新聞”は、言うまでもなく司法以上に政府・アメリカと癒着し、「もはや役割は終わった」と囁かれるように、自壊自滅したメディアであると個人的には考えている。もはや新聞を読んだとて世の中の何も見えてはこない。いや、下手に洗脳される恐れがある分、むしろ”見ないほうがよい”メディアといっても過言ではあるまい。
それでも各紙、自壊自滅の温度差というものはあるだろう。
今回比較的リベラルだとされる(あくまでも比較的だが)「毎日新聞」と、これも比較的反政府的(あくまでも比較的だが)「東京新聞」だけが、メジャー紙の中でこの記事を掲載しているのは大変興味深い。
朝日、読売、日経、産経は一体何をしているのだろうか?
読売、日経、産経といった政府の御用新聞、ちょうちん記事を量産する新聞にはもはや望むべくもない。
先の名古屋高裁での違憲判断において、さもこの判決を支持する社説を展開した朝日は何をしているのか。本来ならは当然この介入記事について論を展開するのが筋ではなかろうか。やはりインターネット紙「あらたにす」に象徴されるように、読売・ナベツネ陣営に組したと見るのが妥当なのであろう。
日本に介入し続けるアメリカ。
そしてそれを報道せず、権力を監視するという役目を放棄し、だんまりを決め込む新聞。
「司法の独立」の虚構性を再認識し、新聞というメディアの崩壊を確信した「アメリカ司法介入記事」であった。
※この件に関して、さらなる詳しい解説をお求めの方は、ツナミン氏のエントリー「尊敬すべき裁判官たち」をぜひとも参照されたし!
【司法はヤバイ、新聞もヤバイ、そして何より日本がヤバイ、と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
2008/04/27のBlog
[ 21:21 ]
[ 【国際問題】 ]
日本国憲法9条とは何か、という単純かもしれないし実は非常に深い命題をあらためて考えてみる。
それは言わずと知れた「軍隊の保持を否定」し、「国権の発動による武力の威嚇・行使を放棄」し、「国際平和を追求する」憲法であることには間違いない。
しかし、このような世界に冠たる憲法を持ちながら、なぜ故に日本の為政者はこれを尊重しないのか、私にとっては甚だ疑問なのである。
例えば、日本のイラク派兵が本当に真の「国際平和」に貢献しているのだろうか?
そのことにより世界は日本を本当に評価しているのだろうか?
日本が武装し、世界でも指折りの”軍隊”を保有することで世界の平和が実現し、我々は豊かな生活を送っているのだろうか?
-答えはすべて「否」であろう。
つまりは、日本の政治家の言うところの「国際貢献」は、ことごとく詭弁というしかあるまい。
日本はアメリカの言うがままに法外な価格のパトリオットミサイルを購入し、こともあろうに新宿御苑にまでそれを持ち込み、イラクにおいては多大な税金を投入した軍隊が無料で他国の軍用艦船に燃料を補給しているありさまである。さらに1隻1400億円もするイージス艦は結局のところ罪もない漁師親子を殺すだけだった。
先の名古屋高裁では「イラク派兵は明らかに憲法違反である」との判断を我々に示している。
私は死刑廃止論者であるが、それでもどうしても”死刑”を存続させたいのであれば、これまで多大な出費を国民に負わせ、さらに死者という犠牲者までだした日本の政治家にこそ”死刑”という断罪を下したいと、私は思うのである。
光市母子殺人事件の死刑判決が、感情論によって死刑という道すじを切り開いたとするならば、私は敢えて私の”感情論”により政治家達を奈落の底に落としいれたいとも思う。これも一つの国民的判断なのではなかろうか?
きたるゴールデンウイークの5月4~6日、「9条世界会議」が幕張メッセにて開催される。
これは憲法9条の意義を世界的視野から考察しようとする、画期的な試みでもある。私は日本よりはむしろ世界が9条に注目し、さらには9条こそが今や世界的な潮流にならんとすることを秘かに期待している一人でもある。
そう、「世界は9条を志向している」のである。
《世界中で紛争が絶えず、武器が次々と作られるなか、地球環境の変化が人々の生存を脅かしています。
そんな世界でいま人々が注目し始めているのが、日本の憲法9条です。
「武力によらない平和」という9条の考え方を、世界共通のものにしたい。
「9条世界会議」は、ノーベル平和賞受賞者や、イラク、アフリカなどからゲストを招き、音楽ライブらパネル展も多彩な平和の祭典です。
戦争のない未来への扉を開きます。》
【9条世界会議のサイトはこちら!】
■5月4日のプログラム
◇映画「火垂るの墓」(実写版) @国際会議場201
◇【全体会】「9条を考える」 @イベントホール
◇【基調講演】マイレッド・マグワイア(北アイルランド/1976年ノーベル平和賞受賞)
◇【ビデオメッセージ】ワンガリ・マータイ (ケニア/2004年ノーベル平和賞受賞)
◇【ビデオメッセージ】ジョディ・ウィリアムズ(予定)(アメリカ/1997年ノーベル平和賞受賞)
◇「戦争のない世界をつくる」川崎 哲 (「9条世界会議」日本実行委員会事務局長)
◇【講演】エマニュエル・ボンバンデ (ガーナ/西アフリカ平和構築ネットワーク)
◇【トーク】雨宮処凜 (日本/作家)
◇【ライブ】 UA、 FUNKIST、 原田真二(懐かしい!)、 加藤登紀子
その他、多数のイベントあり!
■5月5日のプログラム
◇【シンポジウム1】「世界の紛争と非暴力」@コンベンションB
◇【シンポジウム2】「アジアのなかの9条」@国際会議室
◇【シンポジウム3】「平和を創る女性パワー」@コンベンションB
◇【シンポジウム4】「環境と平和をつなぐ」@国際会議室
◇【シンポジウム5】「核時代と9条」@コンベンションB 浅井基文 (日本/広島平和研究所)出演!
◇【シンポジウム6】「9条の危機と未来」 香山リカ (精神科医)、伊藤真 (伊藤塾塾長)出演!
◇【特別フォーラム】 「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」
◇【パネル討論】「グローバリゼーションと戦争」
◇【自主映画】「世界に広がる9条の会」
◇【ライブハウス】「音楽のパワーで憲法9条を守ろう!」ピーター・バラカン出演!
◇【ミニステージ】「歌・命の輝き」
◇【シネマ】きくちゆみさんと観る「テロリストは誰?」
■5月6日のプログラム
◇「まとめの総会」 @国際会議場
ここに紹介したのは予定されているイベントのほんの一部である。
これほど大規模な9条に関するイベントがこれまでにあったろうか?
GWは、大抵の人は旅行や家族サービスといったバカンスに夢中になる時期でもあろう。しかし、私としてはこのようなイベントにぜひとも参加していただきたいと思う次第である。なぜなら、ひとたび間違えればGWに「お遊び」をするどころではない荒んだ世の中が、近い将来やってくるかも知れないからだ。その時では遅すぎる。
我々は、今から9条に関する何らかの意識を持ち合わせるべきだと私は痛感しているのである。
かくいう私はどうか?
このイベントにはぜひとも!ぜひとも!ぜひとも!参加したいと思っている。
しかし、参加できない。
実は5月3日に眼の手術を予定しており、連休中は安静でいなければならないからだ。
だからこそ、みんなに呼びかける。
「私に代わって参加して欲しい!」
そして、参加した感想を私に聞かせて欲しいのだ。自慢して欲しいのだ。
よろしくお頼み申します。
【私も9条世界会議に参加したい、と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
2008/04/24のBlog
[ 00:32 ]
[ 【社会問題】 ]
■裁判員制度により、社会は凶暴化する
結局のところ、司法制度の問題とは何か。
今、司法制度には何が求められているのか。
そして、司法制度によって決定される「死刑」について、我々は今後どのように捉えてゆくべきなのか。
ここ最近、死刑判決、並びに死刑執行数がにわかに増加している。
-何が死刑を加速させるのだろうか?
非常に分かりにくいとされている日本の裁判。刑事事件においては9割以上が有罪になるとも言われ、政治との癒着やその圧力に屈しているとの疑念は晴れることがない。
そして、長期化する公判審理-原告も被告も肉体的・精神的に疲弊する裁判。
司法制度を考える際、すぐにこれらの問題が浮かんでくるほど日本の司法制度が抱える問題は大きいと言わざるを得ない。
裁判員制度とは、裁判を分かりやすいものにし、裁判の迅速化を図るというのがその謳い文句だが、くじ引きで選ばれた一般市民による裁判員が果たしてこれらの問題を解消する原動力と成り得るのだろうか。甚だ疑問である。結局は問題をクリアするどころか、更なる問題を一つ積み上げるだけなのではないだろうか。
確かに、市民の感覚というものは今まで以上に裁判に反映されるかもしれない。しかし、「勝ち組・負け組」「ワーキングプア」「年金問題」「老人医療保険問題」といったキーワードに象徴される、いわば不安定な格差社会へと変貌を遂げつつある我々の社会において、”市民感覚”は裁判を進める上では非常に危険な感性でもある。
つまり、裁判員制度が一般市民に「ガス抜き」効果をもたらす装置として作用することは、十分にありうるだろうと言うことだ。
人間とは錯覚しやすい生き物である。
大手新聞社の記者が電話一つで時の大物とアポイントメントが取れてしまうことに、それを自分の力だと錯覚してしまう。同様に、掲載された記事の反響の大きさに、自分の能力を過大に評価してしまう。
殺人行為を取り締まるはずの国家が、死刑というこれも殺人を正当化するのなら、それは”国権の発動”以外の何ものでもないことは辺見庸氏の指摘であり、私も既に記事に書いた。
多数の市民の要望に後押しされ、また、自身の怒りの感情をよりどころに”犯罪者”を断罪することは、それに関与する裁判員にとってさぞかし痛快なものになるだろう。彼らの行為は、紛れもなく世間では”正義”なのであるから。
正義はさらなる正義を呼ぶ。
「大罪人は絶対に死刑」という風潮が世にはびこることにも繋がろう。やがて世間はかつてのヨーロッパのように”魔女狩り”を始めたとしても決しておかしくはない。
裁判員に選ばれれば、法の知識がなくとも原則としてそれを断ることはできない。しかも、今年末までには、事件の被害者や遺族が法廷に参加し、被告への質問や、「求刑」を意見として述べることも可能となる。
かつてないほどに被害者の思いが伝わる仕組みである。
だが、逆に裁判員や裁判官が”被害者感情”に流される土壌を醸成したとも言える。裁判においての”感情論”とは、”魔女裁判”の感性そのものである。
《90%ぐらいの方が支持という感触を持っています。
先日、欧州連合(EU)27カ国の大使を前に講演しました。そのときにも語ったのですが、日本文明は、歴史的に自然との共生を体現しており、命をすごく大切にする。だからこそ、命を奪うことへの怒りも強い。死をもって報いるという文化があるのです。私は、そこに生きていることに誇りを感じます。
逆に、何人殺しても死刑でなく終身刑というのはドライな考え方でしょう。》
~週刊朝日 2008年5月2日号 「鳩山邦夫の死刑執行論」より~
正義を尊ぶ一般市民による魔女狩り裁判が現実のものになった時、パラノイア法相の感情的、詭弁的、支離滅裂、そしてクレイジーなこのような発言も賛辞をもって受け入れらえてしまうのか?
このような人間が法相であること自体、怒りを通り越し、情けなさと脱力感のみが体全体を覆ってゆくことをはっきり感じとれるのだ。
このように、「裁判員制度」とは”国権の発動”を市民に”体現化”させることにその意図はあるのではないだろうか?
正義の名のもと、大罪人に極刑を言い渡す裁判員は世間の喝采を浴び、そのような裁判員は次々と現れるだろう。国権の発動を体現する裁判員は自身の力を過信し、やがて凶暴化してゆく。常に極刑を追い求めるようにもなる。
「裁判員制度」とは、アメリカの要請でもあったことは既述したとおりである。しかし、これは同時に日本の要望でもあったと言える。植民地とその宗主国の利害が一致したとき、裁判員制度は実現する運びとなった。
凶暴化した社会は、例えば「テロ特措法」といった法案にかつてほどの抵抗を感じなくなるだろうし、また政府与党の”強行採決”も容易く受け入れるであろう。もしかしたら、憲法9条改正の大きなうねりが国民の中から生まれてくるかもしれない。
「裁判員制度」とは、日本が戦争に向かうための”加速装置”である。
その意味においては、死刑を加速させる要因の一つが裁判員制度であり、その要因を作り出しているのが政府与党の裁判員制度を通じた国民の”凶暴化”策、一種のマインドコントロールであると、私は考える。
その先には「戦争」という文字が、その影が、視野の中にはっきりと見て取れる。日本の戦争、換言すれば宗主国アメリカのがはっきりと見て取れるのだ。
将来、そんな戦争への水先案内人が、目的を失った先の殺人事件の被害者遺族・本村洋氏でないことを願うとともに、亡くなった方の冥福を心から祈る次第である。
被害者は、一体何人なのだろうか・・・。
【終わり】
【裁判員制度なんて絶対に嫌だ!と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
結局のところ、司法制度の問題とは何か。
今、司法制度には何が求められているのか。
そして、司法制度によって決定される「死刑」について、我々は今後どのように捉えてゆくべきなのか。
ここ最近、死刑判決、並びに死刑執行数がにわかに増加している。
-何が死刑を加速させるのだろうか?
非常に分かりにくいとされている日本の裁判。刑事事件においては9割以上が有罪になるとも言われ、政治との癒着やその圧力に屈しているとの疑念は晴れることがない。
そして、長期化する公判審理-原告も被告も肉体的・精神的に疲弊する裁判。
司法制度を考える際、すぐにこれらの問題が浮かんでくるほど日本の司法制度が抱える問題は大きいと言わざるを得ない。
裁判員制度とは、裁判を分かりやすいものにし、裁判の迅速化を図るというのがその謳い文句だが、くじ引きで選ばれた一般市民による裁判員が果たしてこれらの問題を解消する原動力と成り得るのだろうか。甚だ疑問である。結局は問題をクリアするどころか、更なる問題を一つ積み上げるだけなのではないだろうか。
確かに、市民の感覚というものは今まで以上に裁判に反映されるかもしれない。しかし、「勝ち組・負け組」「ワーキングプア」「年金問題」「老人医療保険問題」といったキーワードに象徴される、いわば不安定な格差社会へと変貌を遂げつつある我々の社会において、”市民感覚”は裁判を進める上では非常に危険な感性でもある。
つまり、裁判員制度が一般市民に「ガス抜き」効果をもたらす装置として作用することは、十分にありうるだろうと言うことだ。
人間とは錯覚しやすい生き物である。
大手新聞社の記者が電話一つで時の大物とアポイントメントが取れてしまうことに、それを自分の力だと錯覚してしまう。同様に、掲載された記事の反響の大きさに、自分の能力を過大に評価してしまう。
殺人行為を取り締まるはずの国家が、死刑というこれも殺人を正当化するのなら、それは”国権の発動”以外の何ものでもないことは辺見庸氏の指摘であり、私も既に記事に書いた。
多数の市民の要望に後押しされ、また、自身の怒りの感情をよりどころに”犯罪者”を断罪することは、それに関与する裁判員にとってさぞかし痛快なものになるだろう。彼らの行為は、紛れもなく世間では”正義”なのであるから。
正義はさらなる正義を呼ぶ。
「大罪人は絶対に死刑」という風潮が世にはびこることにも繋がろう。やがて世間はかつてのヨーロッパのように”魔女狩り”を始めたとしても決しておかしくはない。
裁判員に選ばれれば、法の知識がなくとも原則としてそれを断ることはできない。しかも、今年末までには、事件の被害者や遺族が法廷に参加し、被告への質問や、「求刑」を意見として述べることも可能となる。
かつてないほどに被害者の思いが伝わる仕組みである。
だが、逆に裁判員や裁判官が”被害者感情”に流される土壌を醸成したとも言える。裁判においての”感情論”とは、”魔女裁判”の感性そのものである。
《90%ぐらいの方が支持という感触を持っています。
先日、欧州連合(EU)27カ国の大使を前に講演しました。そのときにも語ったのですが、日本文明は、歴史的に自然との共生を体現しており、命をすごく大切にする。だからこそ、命を奪うことへの怒りも強い。死をもって報いるという文化があるのです。私は、そこに生きていることに誇りを感じます。
逆に、何人殺しても死刑でなく終身刑というのはドライな考え方でしょう。》
~週刊朝日 2008年5月2日号 「鳩山邦夫の死刑執行論」より~
正義を尊ぶ一般市民による魔女狩り裁判が現実のものになった時、パラノイア法相の感情的、詭弁的、支離滅裂、そしてクレイジーなこのような発言も賛辞をもって受け入れらえてしまうのか?
このような人間が法相であること自体、怒りを通り越し、情けなさと脱力感のみが体全体を覆ってゆくことをはっきり感じとれるのだ。
このように、「裁判員制度」とは”国権の発動”を市民に”体現化”させることにその意図はあるのではないだろうか?
正義の名のもと、大罪人に極刑を言い渡す裁判員は世間の喝采を浴び、そのような裁判員は次々と現れるだろう。国権の発動を体現する裁判員は自身の力を過信し、やがて凶暴化してゆく。常に極刑を追い求めるようにもなる。
「裁判員制度」とは、アメリカの要請でもあったことは既述したとおりである。しかし、これは同時に日本の要望でもあったと言える。植民地とその宗主国の利害が一致したとき、裁判員制度は実現する運びとなった。
凶暴化した社会は、例えば「テロ特措法」といった法案にかつてほどの抵抗を感じなくなるだろうし、また政府与党の”強行採決”も容易く受け入れるであろう。もしかしたら、憲法9条改正の大きなうねりが国民の中から生まれてくるかもしれない。
「裁判員制度」とは、日本が戦争に向かうための”加速装置”である。
その意味においては、死刑を加速させる要因の一つが裁判員制度であり、その要因を作り出しているのが政府与党の裁判員制度を通じた国民の”凶暴化”策、一種のマインドコントロールであると、私は考える。
その先には「戦争」という文字が、その影が、視野の中にはっきりと見て取れる。日本の戦争、換言すれば宗主国アメリカのがはっきりと見て取れるのだ。
将来、そんな戦争への水先案内人が、目的を失った先の殺人事件の被害者遺族・本村洋氏でないことを願うとともに、亡くなった方の冥福を心から祈る次第である。
被害者は、一体何人なのだろうか・・・。
【終わり】
【裁判員制度なんて絶対に嫌だ!と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
2008/04/23のBlog
[ 22:04 ]
[ 【社会問題】 ]
■現代のWitch hunt(魔女狩り)
キリスト教社会においては、異教を信仰するものは「異端審問」により拷問にかけられた時代がある。12世紀頃のヨーロッパ諸国での話だ。
これがある種の「魔女狩り」の下地となったと想像できると思うが、魔女狩りの起源は意外に新しく15世紀に入ってからのことだ。この魔女狩りを公認したのはローマ教皇のインノケンティウス8世で、1484年のことである。以降、罪もない女性が魔女裁判により拷問を受け殺されていった。
魔女狩りが最も盛んに行われたのは1450年頃から1700年頃にかけてであり、宗教改革の時期とも重なっている。そして、ヨーロッパ全体で約35,000~55,000人もの人々が魔女裁判により「死刑」になったと言われている。
ちなみに、インノケンティウス8世は魔女狩りに反対する者すら”異端”と見なし、処刑したこともある。したがって魔女裁判の犠牲者は女性だけとは限らない。その内の何割かは男性である(これは、同性愛者も同時に処刑されたことにも起因する)
魔女狩りの何が恐ろしいのかと言えば、その”魔女裁判”自体が全く裁判の体を成していなかったであろうことである。つまり、世間の噂や密告だけで死刑判決が下されることが非常に多かった、ということである。
魔女裁判には陪審員が参加することもあり、一説にはこの陪審員制度が犠牲者数を軽減したとも言われているが、私個人的にはその真意は定かではないと思う。それよりもやはり気になるのが、この「世間」という魔物である。
「気に入らない者は殺してしまえ」
「妖しい者は殺してしまえ」
「罪深い者は、当然殺してしまえ」
「魔女狩り」とは究極の異端排除の感性である。
この異端排除の思考性が偏見という名の触媒のもと「世間」と化学反応を起こすとき、この世間は巨大な殺人装置に変容してしまうのであろう。
「魔女狩り」とはかつてのヨーロッパの暗い側面であった訳だが、私は現代の日本にこそむしろ「魔女狩り」は適合しているのではないかと錯覚してしまう。
ここ最近、日本の死刑基準は大逆転している。
「やむなく死刑」という方向性が、「積極的に死刑」といった方向性に大転換を示しているのは明らかである。そしてこれを支えてるのが、多数の国民の意識、まさに世間である。凶悪犯については躊躇なく死刑に処すべし、といった考えをもつ日本人が急激に増えてきているのは事実だろう。
日本はムラ社会とよく言われる(少なくとも言われていた)
それでも日本が金持ちの頃はまだよかった。
ムラからマチへ格上げになったかのように見えたからだ。
ところが、現在のように社会が荒んでくると、日本人はその馬脚をにわかにあらわにするようになる。-ムラ人根性の露出である。
ムラ人根性とは結局、異端排除の根性であると思う。
外からの新参者をジロジロ眺め、値踏みをし、何かしでかそうなら集団で糾弾する根性である。
つくづく日本は何も変ってはいなかったのだと思う。
そうなのだ。日本人は何一つ変ってはいないのだ。
どんなに金持ちになろうと、どんなに貧乏になろうと、勝ち組と負け組みの格差社会が進行しようと、日本人は大昔からムラ人でしかなかったのであろう。
このような、ムラ社会がこれからの死刑制度を支え、ムラ人が死刑制度を担保してゆく。今の日本の「世間」は恐ろしい。
「異端者は全て排除してしまえ」なのだから。
【続く】
【魔女狩りなんて嫌だ、と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
キリスト教社会においては、異教を信仰するものは「異端審問」により拷問にかけられた時代がある。12世紀頃のヨーロッパ諸国での話だ。
これがある種の「魔女狩り」の下地となったと想像できると思うが、魔女狩りの起源は意外に新しく15世紀に入ってからのことだ。この魔女狩りを公認したのはローマ教皇のインノケンティウス8世で、1484年のことである。以降、罪もない女性が魔女裁判により拷問を受け殺されていった。
魔女狩りが最も盛んに行われたのは1450年頃から1700年頃にかけてであり、宗教改革の時期とも重なっている。そして、ヨーロッパ全体で約35,000~55,000人もの人々が魔女裁判により「死刑」になったと言われている。
ちなみに、インノケンティウス8世は魔女狩りに反対する者すら”異端”と見なし、処刑したこともある。したがって魔女裁判の犠牲者は女性だけとは限らない。その内の何割かは男性である(これは、同性愛者も同時に処刑されたことにも起因する)
魔女狩りの何が恐ろしいのかと言えば、その”魔女裁判”自体が全く裁判の体を成していなかったであろうことである。つまり、世間の噂や密告だけで死刑判決が下されることが非常に多かった、ということである。
魔女裁判には陪審員が参加することもあり、一説にはこの陪審員制度が犠牲者数を軽減したとも言われているが、私個人的にはその真意は定かではないと思う。それよりもやはり気になるのが、この「世間」という魔物である。
「気に入らない者は殺してしまえ」
「妖しい者は殺してしまえ」
「罪深い者は、当然殺してしまえ」
「魔女狩り」とは究極の異端排除の感性である。
この異端排除の思考性が偏見という名の触媒のもと「世間」と化学反応を起こすとき、この世間は巨大な殺人装置に変容してしまうのであろう。
「魔女狩り」とはかつてのヨーロッパの暗い側面であった訳だが、私は現代の日本にこそむしろ「魔女狩り」は適合しているのではないかと錯覚してしまう。
ここ最近、日本の死刑基準は大逆転している。
「やむなく死刑」という方向性が、「積極的に死刑」といった方向性に大転換を示しているのは明らかである。そしてこれを支えてるのが、多数の国民の意識、まさに世間である。凶悪犯については躊躇なく死刑に処すべし、といった考えをもつ日本人が急激に増えてきているのは事実だろう。
日本はムラ社会とよく言われる(少なくとも言われていた)
それでも日本が金持ちの頃はまだよかった。
ムラからマチへ格上げになったかのように見えたからだ。
ところが、現在のように社会が荒んでくると、日本人はその馬脚をにわかにあらわにするようになる。-ムラ人根性の露出である。
ムラ人根性とは結局、異端排除の根性であると思う。
外からの新参者をジロジロ眺め、値踏みをし、何かしでかそうなら集団で糾弾する根性である。
つくづく日本は何も変ってはいなかったのだと思う。
そうなのだ。日本人は何一つ変ってはいないのだ。
どんなに金持ちになろうと、どんなに貧乏になろうと、勝ち組と負け組みの格差社会が進行しようと、日本人は大昔からムラ人でしかなかったのであろう。
このような、ムラ社会がこれからの死刑制度を支え、ムラ人が死刑制度を担保してゆく。今の日本の「世間」は恐ろしい。
「異端者は全て排除してしまえ」なのだから。
【続く】
【魔女狩りなんて嫌だ、と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
2008/04/22のBlog
[ 00:51 ]
[ 【国際問題】 ]
[関連したBlog]
以前、拙ブログで紹介した、フォトジャーナリスト・広河隆一氏によるドキュメンタリー映画「NAKBA(ナクバ)」が好評である。
「Yahoo!映画」のレビューにおいても未だトップの座を明け渡してはいない。
まだこの作品を観ていない方々にに告ぐ。
今すぐ、渋谷・ユーロスペースに走るのだ!
公開は4月25日(金)までである。
**************************************
【NAKBAのHPより】
Yahoo!映画のレビュー採点(観賞後のお客様による感想&採点)にてなんと「1位」を獲得しました!
※2008年4月21日(月)現在。ランキングは常に変動がございます。
ユーロスペース公開開始から約1ヶ月、確実に皆さまに“届いている”のだとスタッフ一同喜んでおります。
どうぞ引き続き『パレスチナ1948・NAKBA』をよろしくお願い申し上げます。
「Yahoo!映画 レビュー採点」
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyove/mnow/
**************************************
ちなみに、この作品「NAKBA」におけるYahoo!の「作品ユーザーレビュー」では、
私、不破利晴の記した「我々は何を見、何を見ていないのか?」が「役立ち度:16人」でこれまたトップである(4月24日現在)
このレビューについても、皆さんどうぞよろしく!
【私も「NAKBA」を観てみたい、と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
以前、拙ブログで紹介した、フォトジャーナリスト・広河隆一氏によるドキュメンタリー映画「NAKBA(ナクバ)」が好評である。
「Yahoo!映画」のレビューにおいても未だトップの座を明け渡してはいない。
まだこの作品を観ていない方々にに告ぐ。
今すぐ、渋谷・ユーロスペースに走るのだ!
公開は4月25日(金)までである。
**************************************
【NAKBAのHPより】
Yahoo!映画のレビュー採点(観賞後のお客様による感想&採点)にてなんと「1位」を獲得しました!
※2008年4月21日(月)現在。ランキングは常に変動がございます。
ユーロスペース公開開始から約1ヶ月、確実に皆さまに“届いている”のだとスタッフ一同喜んでおります。
どうぞ引き続き『パレスチナ1948・NAKBA』をよろしくお願い申し上げます。
「Yahoo!映画 レビュー採点」
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyove/mnow/
**************************************
ちなみに、この作品「NAKBA」におけるYahoo!の「作品ユーザーレビュー」では、
私、不破利晴の記した「我々は何を見、何を見ていないのか?」が「役立ち度:16人」でこれまたトップである(4月24日現在)
このレビューについても、皆さんどうぞよろしく!
【私も「NAKBA」を観てみたい、と思った方はワンクリック! ⇒人気ブログランキングへ】
前のページ
|
次のページ