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21世紀のリーダー 死活の書
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2008/08/19のBlog
[ 22:59 ] [ 2008.8.15 in 靖国 ]

 8月15日、靖国神社は異様な熱気に包まれる。
 特に我々の注意を引くのが、いたるところに現れる兵士の姿である。
 象徴とは言わないまでも、彼らは現代の靖国を特徴づける要素のひとつだと言えるだろう。
 私個人的には「戦争後遺症が産み出した哀れな”亡霊”そのもの」と、以前彼らを形容したが、果たして彼らは何のために、何処からやってくる、何者なのか?
 そんな彼らの何人かに、私はインタビューを試みた。
 以下はその記録である。
 言い回しなどは、なるべく彼らの発するニュアンスに近づくよう極力ありのままに記述している。
 
 
 
■靖国”兵士”へのインタビュー! その①

 まず最初は、当シリーズ#2においてラッパの音色と共に拝殿へ行進していた兵列の1人である。
 このエントリーでは彼を「兵士A」と呼ばせていただく。


◆不破 :靖国にはいつ頃から来るようになりましたか?

□兵士A :5年ほど前からですね。・・・自然に、こうして集まったんですね。
 何人かの人は偶像参拝をしているんですが、日曜などにね。
 でも、こうして集合してやるのは、やはり終戦記念日ですね。

◆不破 :集合に際しては、インターネットなどで呼びかけたりするのですか?

□兵士A :ご高齢の方も多いので、インターネットなどはあまり使いません。
 集合するのは自然発生的ですね。

◆不破 :では、今日このような格好をして終戦記念日に靖国に来る理由を教えてください。

□兵士A :やはり、戦争があったということを、だんだん風化してゆくので忘れないようにと・・・。
 あとやはり、戦争自体が大変なことありましたよね、たくさん犠牲者が出たり。
 でも、兵隊さん一人ひとりが悪いって言ってるわけじゃないんです。
 嫌々戦ったと言われている人もいますが、本当に国のために真面目に、
 時代ということもありますが、戦った人もいるわけですから。
 そのような人たちがテレビや映画で悪く言われるのは、申し訳ないのではないかと思うんですよ。

 例えば特攻隊の映画なんかでも、本当はお母さんの名前叫んだとか、彼女の名前叫んだとか、
 そういう映画多いじゃないですか。
 でも実際に国のためとか、天皇陛下のためとか「天皇陛下万歳」と言って死なれた方も多いと思うんですね。
 もっと真実を捉えて欲しいなと。そういう方々もいたんですから。

◆不破 :では、そういう方々への思いを込めて、今日こういう格好をして・・・

□兵士A :そうですね。我々なんか本当に何も苦労していないんでね。
 こんな格好させてもらえるだけでもね、本当、申し訳ないっていう気持ちはあるんですけど。
 あとやっぱり実際大東亜戦争に行かれた方などから、こういう伝統は守っていこうという、
 決して軍国主義とか戦争を起こしたいという訳じゃないんですよ。

◆不破 :軍国主義とは違う?

□兵士A :ええ、違いますね!
 あと、他の国をけなしたり、叩いたりするのも自分は好きじゃありませんし。
 他の国を叩く暇あったら、自分の国の良いところをさがしたほうがいいんじゃないかと思います。

◆不破 :これはまた来年もやるのですか?

□兵士A :ええ、できればやりたいですね。

◆不破 :よろしければお名前をいただけますか?

□兵士A :名前は仕事とかあるので・・・。
 千葉県下総の”一等兵”です。自営業の49歳です。

◆不破 :今日はありがとうございます。


 「私の”靖国レポート”はまだまだ続く」




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2008/08/18のBlog
[ 21:23 ] [ 2008.8.15 in 靖国 ]
■法相ら3閣僚が靖国参拝 小泉・安倍氏も

 《保岡興治法相と太田誠一農相、野田聖子消費者行政担当相の3閣僚が終戦記念日の15日、東京・九段北の靖国神社をそれぞれ参拝した。福田康夫首相は参拝せず、同日午前に千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れて献花した。

 福田改造内閣の17人の閣僚のうち、14人は参拝を見送る。町村信孝官房長官は閣議後の記者会見で「各閣僚の見識に委ねるべき性格の話だ」と語った。昨年の安倍内閣での終戦記念日の参拝は、高市早苗少子化担当相(当時)だけだった。

 小泉純一郎元首相は同日朝、靖国神社を参拝した。首相退任直前の2006年から3年連続での終戦記念日の参拝。安倍晋三前首相も午前に参拝した。》
~2008年5月15日 NIKKEI NET~
 
■野田聖子登場

 2008年8月1日。首相福田康夫は就任後初の内閣改造を行った。閣僚17人中13人が交代した大幅な改造であったが、15日の終戦記念日にはこの内、3閣僚が靖国神社を参拝した。
 ちなみに石原東京都知事もこの日、午前に千鳥ケ淵戦没者墓苑を参拝した後、午後靖国神社を訪れている。石原知事が終戦記念日に参拝するのはこれで9年連続となった。
 写真は参拝後、靖国を後にする石原知事だが、本人の姿をはっきりと確認することはできなかった。 
 

 その後、私は閣僚が参拝する際の通用門となっている「到着殿」正面に陣取ったが、午後1時過ぎ、そこへやって来たのは果たして”野田聖子消費者行政担当大臣”であった。
 野田聖子は記者団の質問に、次のように答えている。

 「総理個人のお考えと私個人の考えが、いつもいつも一緒というのもおかしな話で、私は私で色々なことを考えて、いつも通りの生き方を示しただけです」
 
 閣僚の参拝を見るたび常に思うのだが、彼らの靖国についての返答はなぜ故にこうも曖昧で珍妙で、そして幼稚なのだろうか。このような”言葉”で我々国民を納得させられるとでも思っているのだろうか。

 彼女のインタビュー映像を見ると、あたかも保育園の先生に諭されている幼児であるかのような錯覚すら覚えてくる。我々も低いレベルに見なされたものである。
 彼女がそれこそ色々考えているならば、その「色々な考え」をきちんと”大人の言葉”で”明確”に”大臣らしく”語るべきなのではないだろうか。
 このような立ち振る舞いでは、靖国へやって来ることに果たしてどれほどの意味があるというのか。票目的と勘ぐられても仕方があるまい、靖国参拝に確信を持っていないものと察する。 
 そんな野田聖子に対し、「野田さん、ありがとう!日本をよろしく頼みます!」などと絶叫する輩もいたが、私ははっきり言ってこのような大臣に日本を任せたいとは思わない。
 私はかような低次元の言説とそれを発する大臣など、とても受け入れる気にはならないのだ。
 

 ここで気がついた方もおられると思うが、当日彼女が乗り入れてきた車は、トヨタのハイブリッドカー「プリウス」である。
 地球温暖化が叫ばれ、CO2排出が何かと世間を騒がせている昨今である。閣僚の車など黒塗りの高級車と相場が決まっているが、なるほど、敢えて”地球にやさしい”車で登場するあたり、こういうところには気がまわるのだなと、変に感心させられる。これも政治家ならではの偽善的演出なのだろうが、こんなことが意外に功を奏す場合もあるので侮れない。
 それにしても”黒塗りのプリウス”か・・・。 
 <※写真は帰り際、周囲に愛想をふりまく野田聖子消費者行政担当相>


 「私の”靖国レポート”はまだまだ続く」



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2008/08/17のBlog
[ 10:15 ] [ 2008.8.15 in 靖国 ]

 当日の天候は「晴れ」 
 気温はいったい何度だったのだろうか。体感では35度をいうに超えていたように思われた。
 機動隊員はさらに過酷である。
 長袖長ズボン、足にはブーツ胸には重い防弾チョッキ、さらに頭はヘルメットである。
 半そで1枚の私が熱で参っている最中、この装備で終日警備に当たる彼らには、やはり脱帽である。この警備で3,4キロは体重が減るだろう。
 

 靖国正面にたどり着く。
 むせ返るほどの人の群れである。 
 太陽は灼熱の光で重くのしかかり、まさに人々を打ちのめされんと企てているような、そんな終戦記念日の昼である。
 63年前の今日も、このように暑かったのだろうか。
 
 
 

 突如にして”軍隊”登場。
 彼らは靖国神社拝殿へ向けて、ラッパの音色とともに行軍を始める。
 このような、当時を彷彿とさせる兵士の姿は、今や8月15日における靖国の一つの風景とも言える。
 私は以前、自身のエントリーで彼らを「戦争後遺症が産み出した哀れな”亡霊”そのものに他ならない」と書いた。
 そして、実際に現場で目の当たりにし、私の彼らに対する考えはどのように変化したのか。果たして、当初の印象通り、彼らは亡霊であったのか。
 私自身楽しみにしていたこともあり、この件については後述する。
 
 

 第二鳥居を抜けた先にある「神門」の前で、記念写真を撮っていた一行に出くわした。その中の1人に許しをいただき、胸にあるネームプレートを撮影させていただいた。
 そこには、こう記してあった。

 「甲飛12期会 御遺族 広島文武様」

 当日は撮影後、お礼を申し上げて特に会話らしい会話も交わさなかったが、その後、この「甲飛12期会」というものが気になり少し調べてみた。
 
 
■甲飛12期会

 戦時中、日本海軍は飛行兵養成を目的とし、海軍飛行予科練習生(通称”予科練”)を募っていた。これは制度設立当時(昭和5年)から満14歳以上20歳未満を対象とし、試験により練習生を選抜する志願制の制度である。練習生は一定期間の訓練を経て、全国各地の実線の地へ派遣されていった。

 そして、「甲飛12期会」とは、昭和18年8月1日、第12期海軍甲種飛行予科練習生の現在における「同期会、及び遺族会」のことである。
 この会は、平成18年まで毎年全国規模の生存同期生会、戦没同期生の慰霊祭を続けてきたが、諸般の事情により現在では全国規模の会合は断念せざるを得なくなった。経年による生存同期生の減少と、その遺族の会への参加者減少がその主な理由ではないかと想像できる。

 さて、自身のネームプレートの撮影を快く許可してくれた「広島文武氏」とは、いかなる人物なのだろうか。
 広島氏は、かつて自民党の議員として世田谷区議会にも名を連ねていた経歴を持ち、現在は「北沢川文化遺産保存の会」の幹事長を勤めておられる。
 「北沢川文化遺産保存の会」 とは、小田急線と京王線が交差する一帯、すなわち、代田・代沢・北沢といった地域の文化を掘り起こし、その記録や保存を行っているボランティア団体である。この団体は戦時中の資料の収集や啓蒙活動にも力を入れているようだ。
 この広島氏には兄がいた。
 そして、特攻隊員だった氏の兄は金華山沖で米国艦船に突撃、その短い生涯を終えている。その日、昭和20年8月9日。天皇の玉音放送により、一般国民への終戦が周知されたのは、そのわずか6日後のことである。

 出撃命令が下されるのがあと少しだけ遅れていれば、きっと広島氏の兄も亡くならずにすんだかもしれない。同様に、この甲飛12期会には出撃命令を待たずして終戦を迎えた方も在籍している。
 私はこのような方々に対し、意見を述べるつもりは毛頭ない。
 ただ一つだけ言えるだろうことは、かつての日本は終戦間際まで特攻を繰り返しており、その遺族は今もこうして靖国に参集してくるという事実である。


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2008/08/16のBlog
[ 09:30 ] [ 2008.8.15 in 靖国 ]
■天皇のうんち

 2008年8月15日、金曜。
 終戦記念日に靖国神社を訪れたく、休暇を取った私は当日の正午、最寄り駅”市ヶ谷”に降り立った。
 駅構内の人影はまばらだった。
 当日においての騒々しい靖国の映像を何度も目にし、さぞかし駅も大混乱だろうと想像していたのだが、拍子抜けした気がした。

 

 そのような感想を抱きつつ、地上に出た私は、果たして当初想像した靖国の喧騒そのものを目の当たりにした。
 臭い立つばかりの人の波、防弾チョッキに身を守る機動隊員の姿、彼らは警察車輛で交差点そのもを封鎖する陣形を敷いていた。

 もう始まっているのである。
 警察をここまでさせる”靖国”とはなんだろう。
 不謹慎にも私は少し興奮してきた。

 そして、そんな私を挨拶代わりとも言うべきか、
まず最初に迎えてくれたのが「天皇のうんち」である。


 「靖国反対!」を連呼している集団がいた。
 そして、それらに群がるような機動隊の塊。
 そのせいで靖国反対派の姿が完全にかき消されている。
 -あたかも機動隊そのものが「靖国反対」を叫んでいるかのように。
 そして、靖国反対派の振りまわす深紅の旗に書かれていたのが、紛れもなく「天皇のうんち」だったのである。
 群がる機動隊員と共に彼らは彼方に消えていったが、まことに奇妙で滑稽な光景でもあった。
 

 案の定、反米右翼は「天皇のうんち」など許すはずもない。
 特攻服を身にまとった若い衆が”うんち”集団に襲撃を仕掛けんとしていた。
 
 <※写真は機動隊に捕まり、もみ合いとなった反米右翼の若い衆>



 いやはや、オープニングからこの始末である。
 私はこの日は、どこにも属さない者として立ち振る舞うことに決めていた。
 あくまでフラットな視点により、靖国神社を見ようと思う。

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2008/08/14のBlog
[ 23:02 ] [ 2008.8.15 in 靖国 ]

 明日8月15日とは、一般には”終戦記念日”とされている日である。
 ことに靖国神社においては、日頃の閑静な佇まいから一変し、異様までの様相を呈することは映画「YASUKUNI」の映像を通じて、私はその一端を垣間見ることができた。
 しかし、個人的にはどうやら不完全燃焼でもある。
 実際のところ、靖国という現場においてどのような人々がどのようなことをしているのか?
 反米右翼と目される、例えば軍服を着て英霊にこうべを垂れる典型的な靖国信者はもとより、映像に記録されないであろう一般参拝者をも含めた靖国神社すべてのあり様を、私自身実際に見ていないことによるフラストレーションが蓄積しているのは事実である。
 靖国神社に象徴される、靖国陣神社を軸とした「終戦記念日」とは果たしていかなるものか?
 私はそのような靖国を猛烈に知りたくなったのである。

 
 そんな訳で私は8月15日、休暇をとった。
 私は会社の仲間に靖国へ向かうべく高らかに宣言し、8月15日、休暇をとった(爆)
 私は、終戦記念日の8月15日、靖国へ行くことを決断したのだ。
 -靖国のライブ体験である。



 「そうすると、不破さんの立ち位置はどうします?それは非常に微妙ですね」
 会社の同僚が鋭い指摘をした。
 そうなのだ。
 右翼でもなければ、戦没者に対しても日頃は大いなる感慨もない、天皇否定派の僕が一体何しに行くというのか、と言いたげなのだ。
 「まさか手を合わせて参拝するつもりでも?」
 いや、おそらく手を合わせることはないだろう。
 これは戦没者に対する軽視の態度ではない。私も先の大戦で亡くなった方々に対して否定的な発言をするつもりは毛頭ない。

 私はただ、右派・左派、その他様々な立場の壁を乗り越え、フラットな視点により、”靖国”というものを”体感”したくなったのだ。

 ちょうど1年前の8月15日、私は故郷の海水浴場で波間に揺られていた。
 海に浸かりながら”小便”をしていたその矢先、突如にしてサイレンが鳴り響く。そして黙祷をせよとのアナウンス。
 時間はまさに正午。
 そうか、今日は終戦記念日だったな。周囲を見回すとお年寄りは海に腰まで浸かりながらも黙祷を捧げている。若者は全く関心がなかったようだが、騒々しい浜辺にささやかなる静寂が訪れた瞬間でもあった。
 人々をそのような、例えば黙祷といった行動に向かわせるものとはなんだろうと思う。
 国際的には、アメリカ艦船ミズーリ号において敗戦の調印をした9月2日が日本の終戦と見なされてもいるようだ。
 さらにはポツダム宣言を受諾した8月14日や、講和条約が発効し第二次世界大戦が終結した1952年4月28日が終戦とする意見もある。
 でも、やはり日本人にとっては8月15日なのだ。-それは天皇の玉音放送の影響なのだろうか?
 そのような時間の狭間において、小便という私の立ち振る舞いは不届きそのものであったろう。
 少し反省している。

 年配の方であれば8月15日は並々ならぬ感慨があるだろう。 
 ましてやこの日は日本の”お盆”でもある。
 亡くなった方の霊が里帰りする時でもある。
 子供の頃、家に飾られる提灯を見ては、妙に神秘的な、興奮を覚えた記憶がある。そして、そのような感覚はなぜか今でもあまり変らない。これも先祖の霊のなせる業なのか。
 今年のお盆は故郷には帰らないが、明日私が靖国にて遭遇する”霊”とは、はたして誰の”霊”なのだろうか。



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2008/08/13のBlog

 アメリカの「新自由主義経済」など詭弁そのものである。
 それは「経済原理主義」とも言うべく”悪の思想”そのものだ。
 ただ、このような原理主義とは何も経済やイスラム世界における宗教的なそれとは限らない。
 今や中国は「民族原理主義」なる兵器をたずさえ、世界に、そして日本にも挑んできている。
 むしろ袋小路に追いやられているのは、我々日本人なのではなかろうか。

 「中国、加油!(チアユー! <がんばれ!>)」
 彼女たちが敗れた瞬間、観客席は声援に包まれた。
 オグシオなる日本のバトミントンペアの勝敗など、この際どうでもいいことだ。
 中国人民は張り裂けるばかりの喝采と、怒涛のように押し寄せる足踏みにより自国の選手を後押しし、結果、ホームの地の利を生かすがごとく中国ペアを勝利に導く。
 確かに、対戦相手に対する配慮は掛けていたかもしれない。自国一辺倒の応援の様はもしかしたら、民度の低い、開発途上の、我々日本人からすればある種見苦しい立ち振る舞いに見えたかもしれない。
 しかし、彼らの行動はルールを逸脱したものであろうか。どこかの国のサッカーのフーリガンとは違い、暴動を起こすわけでも火事場騒ぎをしでかすわけでもない。このようなぎりぎりのある意味ナショナリズムの発動こそが、実はもっとも厄介で、例えば中国人にすれば最大の武器でもある。

 一度でも中国人と仕事をしたのならば、彼らの”したたかさ”に舌を巻くであろう。
 彼らはたとえ日本語が通じなくとも、英語が下手であろうとも容赦なくたたみかけてくる。言葉が通じないのはあたかも受け手が悪いと言わんばかりの勢いである。
 彼らの目的は明確である。
 ビジネスであれば”金”、スポーツであれば”勝利”、そして学問であれば”成就”である。
 よって、彼らにとっての人との”コミュニケーション”や”コネクション”や”和”といったものはあくまでも手段に過ぎない。だからこそ純粋に目的を達するために人とも握手ができるのである。このような手段と目的を混同しがちな我々日本人とは、かなり民族の感性が異なると言わざるを得ない。「華僑」なるものを産み出したお国柄なのである。
 
 旧ソ連の有人宇宙飛行の報道に際し、毛沢東はこう言った。
 「ソ連は宇宙船を飛ばしているというのに、我々はジャガイモひとつ飛ばせやしない」
 毛沢東を中心とする悪平等社会においては、日本人も確かに左うちわであったろう。しかし時代は変り、鄧小平が「富める者は、富むがいい」と発して以来、中国は大きく変化してきた。かつての華僑的精神の復活である。こうなると日本は危うい。特にビジネスの場面において、まともに戦えば中国に勝てるはずもないからである。

 それでも日本にとってチャンスがなかったわけではない。
 かつての”バブル経済”がそうである。
 アメリカの金融不安によるプラザ合意に端を発した、半ばアメリカの策略的な経済高騰状況ではあったが、あの頃、確かに世界のあらゆる分野の人々が日本に熱い眼差しを向けていたことは間違いない。経済人が、政治家が、そして芸術家までもが日本へ行けば何とかなるのではないかと、大いなる期待を寄せていた。日本が世界のトップランナーに登り詰める千載一遇のチャンスであったのだ。
 しかし、実際に日本人が為したことは何だったか。国を挙げての土地転がしやサラリーマンのマンション転がし、さらにはシーラカンスの剥製や世界の名画に億単位の大枚を叩く馬鹿な企業活動である。そしてそれは全てが泡と消え去った。日本が再び台頭することなど有り得まい。

 古代日本は、中国に並々ならぬ憧れを持っていった。
 よって、中国伝来の仏教を拠りどころにし”大国”中国に存在を担保して貰うべく、遣唐使や遣隋使を派遣したこともあった。
 実際、大陸に立った当時の日本人は度肝を抜かれたであろう。その文化と技術の高度な熟成、そしてそれを支える多様で、そしてこれが肝心なのだが、あまりにも多くの中国人そのものにである。
 島国である日本は文化的にも、そして戦略的にも奥行きがなさ過ぎる。同様な国家はイスラエルが挙げられるが、この国は諜報機関を発展させることで今日でも永らえ、今や不穏な国家に変貌した。日本がそのような歴史的経路を辿らなかったのは幸いであるにせよ、西暦1000年にも満たない時代から脈々と流れ続けてきた国の奥行きのなさは、21世紀を迎えた今、再び我々の眼前に露出してきた。

 日本人は今後、中国の、特にビジネスの場面において面くらうこと多々ありと確信する。
 我々よりも遥かに優秀なビジネスマンと化した中国人と、想像を絶するその人民多層構造においてである。我々がどんながんばろうとも、次々にビジネスライバルが出現する中国。
 これはあたかも司馬遷が記した史記「項羽と劉邦」の逸話、漢民族台頭の火蓋が現代おいても萎えていないように私には見えてならない。
 -これこそが、中国の民族原理主義の本質でもあろう。
 つまりは、今後、世界のメディアが報道するように漢民族が世界を凌駕するという切符を、あたかも中国が切り出したように私には見えるということである。
 我々は、のんきに司馬遼太郎を読んでいる場合ではないのかもしれない。
 我々には、誰も「加油!」とは叫んではくれないのだから。



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2008/08/11のBlog
~週末は突然の身内の不幸に、エントリーをしたためる余裕もなかった。
 今、あらためて長崎の犠牲者の冥福を祈ります~


 《長崎は9日、被爆から63年の原爆の日を迎え、長崎市松山町の平和公園では、市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれた。
 宣言で田上市長は、自身が被災しながら医師として被爆者救護に尽力した永井隆博士の「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」との言葉を引用し、平和の尊さを訴えた。
 「核兵器の廃絶なくして人類の未来はない」と強調。長崎市が世界の都市と結束し核廃絶のアピール活動を展開する考えを明らかにし「核兵器に『ノー』の意志を示そう」と若い世代や非政府組織(NGO)など市民に連帯を呼び掛けた。》

長崎平和宣言骨子

 ▼核保有国に核兵器廃絶の努力を強く求める

 ▼わが国には、被爆国として核兵器廃絶のリーダーシップをとる使命と責務がある

 ▼私たちは世界の都市と結束して、核兵器廃絶のアピール活動を展開していく

 ▼核廃絶なくして未来はない。核兵器にノーの意志を明確に示そう

 ▼日本政府は国内外の被爆者の実態に即した援護を急ぐよう要求する

~2008年8月9日 中日新聞~


◆久間何某も姿をみせた

 この日、「しょうがない」発言で世間を騒がせた久間何某なる元防衛相も姿を見せた。
先の発言については「配慮を欠いていて被爆者に嫌な思いをさせたと思う」と反省の弁を述べたと言う。

◆かつて、昭和天皇様さまはこんなことを言っていた

 「深く悲しみとする不幸な戦争」発言とは、天皇自身が開戦を含め、戦争そのものに責任を感じているという理解でよろしいかという記者の質問に対し、こんな妄言を吐いている。
 「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」

◆そして、朝日新聞は記事すら掲載していなかった

 8月9日、10日の朝日新聞朝刊に目を通してみたのだが、長崎原爆投下や平和式典に関するまともな記事は見当たらなかった・・・。
 そんなにオリンピックが楽しいか?


 週末に亡くなった私の身内M氏は、戦後横浜の地にて運送会社を立ち上げ、最近は体が不自由になったこともあり、長男に会社を任せ静かな余生を過ごしていた。
 戦時中、M氏は中国の最前線に兵士として送られていた。
 他の者同様、自身の意に反し半ば強制的に駆り出された先の戦争に対し、全くをもって「バカバカしいものである」とM氏は考えていた。したがって、彼はどんなことをしてでも、生きて日本に帰るという誓いを立てた。
 彼は上官の命令には従わなかった。
 突撃命令が下っても彼は物陰に隠れ突撃しなかった。場合によっては後退すらした。上官には散々イビられたが、彼は最後まで彼自身の反抗をやめなかった。そのような国家に対するレジスタンスのせいで、M氏は終戦まで2等兵のままであり続けた。
 
 彼を非国民と呼ぶ人もいるかもしれない。戦友が死んでゆく中で、自分だけ生き残ろうとするのはけしからんと言う人もいるかもしれない。
 しかし、私は彼の反抗に非常に共感する。誇りにすら思う。
 忘れてはならないのは「反逆の精神」「不服従の精神」だ。
 M氏からゆっくりと戦争の話を伺いたいと思っていたが、残念なことである。
 M氏は89年の生涯を終えた。
 ここでM氏に対しても冥福を祈りたいと思う。



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2008/08/07のBlog
[ 23:58 ] [ 焼きが回る日本 ~医療問題に想う ]

 これは地球上の、”ある国”で起こっている医療に関する”現実の話”である。
 まずは虚心坦懐にその現実を直視していただきたい。

◆盲腸の手術の場合
 A都市 → 平均費用 1日当たり 243万円
 B都市 → 平均費用 1日当たり 194万円
 C都市 → 平均費用 1日当たり 169万円

◆出産の場合
 入院すると1日約40万円~80万円を請求される。
 入院出産などできるはずもない。よって、出産後、日帰りするケースが後を立たない。
 産後の母親はふらふら状態である。

◆脳卒中の場合
 入院した場合、1日平均約100万円が請求される。
 したがって患者の平均入院日数は約7日を割り込んでいる。

 信じられない話である。
 ここに紹介した地球上の”ある国”とは一体どの国なのか?
 それは言うまでもなく、我々が想像する以上に医療制度が崩壊した、”アメリカ”の現実そのものなのである。


 《ごく普通の電気会社に技師として勤めていたホセも二〇〇五年に破産宣告をされた一人だ。
「原因は医療費です。二〇〇五年の初めに急性虫垂炎で手術を受けました。たった一日入院しただけなのに郵送されてきた請求書は一万二〇〇〇ドル(一三二万円)。会社の保険ではとてもカバーしきれなくてクレジットカードで払っていくうちに、妻の出産と重なってあっていう間に借金が膨れ上がったんです」》

 《市場原理が機能することから技術開発へのインセンティブが働きやすくなり、医療技術の発展を促すと同時に、医療費の高騰や高額な医療機器への支払いで病院側を圧迫する。》

 《公的医療がふくらむほど、大企業の負担する保険料が増えるからだ。そのため政府は、「自己責任」という言葉の下に国民の自己負担率を増大させ、「自由診療」という保険外診療を増やしていった。
 自己負担が増えて医療費が家計を圧迫し始めると、民間の医療保険に入る国民が増えていき、保険会社の市場は拡大して利益は上昇していく。保険外診療範囲が拡大したことで製薬会社や医療機器の会社も儲かり始め、医療改革は大企業を潤わせ経済を活性化するという政府の目的にそっていたかのようにみえた。》
~堤 未果 「ルポ 貧困大国アメリカ」~

 アメリカの唱える「新自由主義経済」とは、言い換えれば「資本原理主義経済」のことである。
 アメリカは本来国が行うべき医療制度を、自由と競争による医療の発展という詭弁の下に医療機関そのものの民営化を促進し、結果、医療費用の高騰を招き保険会社や製薬会社の懐を満たすだけだった。これは、巨大金融資本と化した医療系企業がアメリカ政府と結託した結果に他ならない。
 このアメリカの医療制度の現状は、果たして我々にとって対岸の火事なのだろうか。
 いや、まったくそうではない。
 既に指摘したとおり、現在日本の医療制度はジリ貧の状態である。
 優秀な医師はさらに待遇の良い一部医療機関、もしくはアメリカに流れ、残された医師と看護師は過重労働に苛まれており、国の医療制度の方針も儘ならない状況にある。かつて医師は、ある種ステータスのある職種ではあったが、現在の日本では昔ささやかれていた”3K”の代名詞に落とし込まれているようだ。
 このような状況を踏まえ、日本でも医療機関を民営化しようとする動きが加速度を増している。そしてこれは言うまでもなく、アメリカの要望でもある。
 アメリカは「年次計画要望書」なるものを日本に突きつけ、日本の経済、産業、そして司法までもをも、アメリカの意のままに操ろうとする意図があるのは既に述べた。
 そして、そのような触手は、いよいよ日本の医療機関までにも及んできている。
 では、具体的にアメリカが日本の医療制度に突きつけている要望とは何か?
 それは「病院における株式会社経営参入早期実現」と称する”資本原理経済”導入という、約束手形なのである。そしてそれは、かつての小泉内閣の下での「2003年 骨太の方針」によりその方向性が定められ、日本の医療が冒頭に示した通り”アメリカ化”することは既に現在進行形の事実なのである。
 この”約束手形”の要旨は言うまでもなく、「医療機関の民営化」と「保険外診療」の促進に他ならない。
 これら二つの要因がどのような結果をもたらすのかは、冒頭に記したアメリカの状況そのものである。
 次回のエントリーでは医療機関の民営化の弊害について考えてみたいと思う。
 私自身は、医療の民営化は日本にとって好ましからず、という考えであることは、ここ明示しておきたい。
 実に、ここまで日本は崩壊、焼きが回っているのである。



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[ 23:58 ] [ 焼きが回る日本 ~医療問題に想う ]
銚子私立病院 常勤医2年で1/3

 《千葉県銚子市の岡野俊昭市長は今月七日、市立総合病院の九月末での休院を発表した。「民間譲渡などの道があれば、再開したい」。市長はそう付け加えたが、見通しは立っていない。
 病院は一九五〇年、市立の診療所としてスタート。その後、日大医学部の関連病院となり、同大医局の医師が増加。総合病院へと発展した。ベット数は約四百床。二年前は常勤医が三十五人いた。
 ところが、新しい研修医制度などをきっかけに〇六年四月以降、二十人近い日大医局の常勤医が大学の付属病院や関連病院に引き揚げた。その結果、先月までに常勤医は約三分の一の十二人まで減少した。
 病院ではこの間、産科や呼吸器科を休止。その後も入院患者の制限や診療の縮小を余儀なくされ、患者減による経営悪化が進んだ。》
~2008年7月18日 東京新聞~

 日本の医療機関の崩壊が加速度的に進んでいる。ベットの空きがないために入院を拒否され、産気付いた妊婦は病院をたらい回しにされ、担当医がいないという理由で満足な救急医療も施されないような状況が続いている。
 冒頭に紹介した銚子市立病院の例が決して氷山の一角でないことは、我々一般人の周知するところである。もはや日本の医療制度は音を立てて瓦解している。
 以前から臨床研修制度については問題が指摘されていた。医師免許取得後、医療現場での2年以上の臨床経験を積む規定があり、その反面、過重労働や報酬の問題も取り沙汰され、2004年以降は研修先が選択できるようになった。しかし、結果としては地方医療機関への医師不足を引き起こしたことは皮肉な結果と言う他ない。
 さらに、これは一般にはあまり知られていないことなのだが、日本の医師はどうやらアメリカにかなりの人員が流れているようでもあるらしい。このことは優秀な医師ほど、その傾向は顕著であるようだ。これはあたかも、日本の官僚を目指していた優秀な人材が、外資系企業へとその活躍の場を求めて流出していることにも符合している。優秀な人材、良心的な人材がもはや日本を見限っていることに、この問題の根の深さが窺われる。
 彼らは地方の窮状などにはもはや関心はないのかも知れないが、そんな人々を責めるのはお門違いでもある。こんな日本にしたのは一体誰か?それこそが問題であるからだ。

 そもそも、日本が世界に誇れるアドバンテージとは一体何だったのか。
 一つ目には、勤勉な国民性に裏打ちされた「経済力」であり、
 二つ目には、自動車、電化製品に代表される「技術力」であり、
 そして、三つ目には「高度な医療技術」であったはずだ。
 ことに、日本の医療は世界に冠たる水準を誇っていた。ひとたび患者として運び込まれたからには、日本の”病院”は患者を拒否することなど”絶対に”あり得なかった。たとえ患者が医療費を支払われないホームレスや不法滞在外国人であっても、一般人と全く同じ医療行為を施す「倫理観」が横たわっていた。これこそが、高い水準を誇る日本医療の”確信”であり、”プライド”であり、そして”良心”であったはずだ。”人道的行為”とは、このような立ち振る舞いを指すのである。
 「患者として私たちの病院に来ていただいた以上、私たちはそれを拒否することなどいたしません!」-ある女性の看護師が発した言葉が今でも心に残っている。

 しかしながら、現在の日本の状況はどうだろうか。
 経済面ではアメリカに完全に服従し、サブプライムに象徴される金融破綻に汲々とし、産業界では理科系離れが深刻化し10年先がおぼつかない。
 そして医療問題に到っては冒頭に示したとおりである。「子供を産みたけりゃ病院のある都会に行こう」などとは全くのところ本末転倒、情けなくて涙が出てしまう。
 実に、ここまで日本は崩壊、焼きが回っているのである。



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2008/08/06のBlog
灯籠に込める核廃絶の願い

 《原爆ドーム前の元安川などで6日夜、原爆犠牲者への鎮魂と平和の願いを込めたとうろう流しがあった。川面にたゆたう赤、青、黄などの柔らかなともしび。深い祈りを乗せた約8000個が、ヒロシマを染めた。「安らかにお眠りください」などと書き込まれた5色の灯籠(とうろう)。安佐南区の主婦(71)は、 32歳で被爆死した母に手向けた。
自身も12日後に入市被爆。「母の倍も生きてしまった」と手を合わせた。》
~2008年8月6日 中国新聞~


戦争に勝ち負けなし

 《昨年の平和記念式典では、小学生の代表が「途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、今の私たちがいます。原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を、一人でも多くの人たちに『伝えること』は、私たちの使命です」と訴えました。そして「世界中の人々の心を『平和の灯火』でつなぐことを誓います」と結んでいます。

 私たちは、ヒロシマのこの意思を受け止めなければなりません。

 「伝えたい」気持ちの高まりは、長崎でも同じです。

 「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」》
~2008年8月6日 東京新聞~


天木直人のブログより 「核廃絶と日本の外交力」

米国が率先して核廃絶を行なえば、世界はこれに従う。
その米国が、OBも、次期大統領候補も、核廃絶を言い始めたのだ。
彼らが嘘を言っているとは思えない。
どこかの首相と違って公約をあっさり翻すは思えない。
そんな事をしたら世界から批判されて、たちどころに政治生命を奪われるであろう。
核兵器廃絶は動き出すに違いない。
唯一の被爆国である日本の首相が本気になってその動きを加速させない手はない。

福田首相がこのブログを読むことを切に願う。

そして指導力を発揮する事を願う。
福田首相。支持率の低下や総選挙の勝利に悩む必要はない。
そんな事は取るに足らない瑣末な事だ。
そんな事に人生を消耗するよりも、この地球上から核をなくすことに賭けて見ないか。

おそらく今歴史は100年一度、あるいはそれ以上の転換期にある。

日本が行なわなくても、やがて誰かがそれを行なうに違いない。
唯一の被爆国である日本が先駆けてそれを行なわなくていいはずはない。



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