ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
www.tansui.com
Blog
[ 総Blog数:182件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2006/04/20のBlog
あなたには、元気が出る曲がありますか?

ヤイコのCM見てたら、私にとっての元気が出る歌って「コレ!」って
のがあるなって思って。

露崎春女 『Break on out』(1999)

もう1度やりなおせるなら
私もそうしたいくらいよ
でも好きなことばっか気にしてたら
進めない 動けない 歩き出せない


露崎春女よりLyricoって名前のほうが有名になってしまったけど、まだ彼女が
露崎春女だった時の曲。
当時大学生だった私にとってものすごい衝撃だったのだ。このメッセージが。
なんか間違ってんじゃないかと思ったり迷ったり戸惑ったりしまくってて、それで
後悔して人のせいにばっかりしてた頃に出会った曲なだけに。

Break on out 壊さなくちゃ
今までの 自分にはSay good-by
Break on out 覚悟したら
辛くて泣いても絶対 諦めない


私が大学の頃って、何となく大学に行くって人がものすごく多かった。
私は違うんだって思ってても、そういう周りの、遊んだりとかするような友達に
流されて、いつの間にか目的を失ってただ日々を過ごすだけになっていった。
「別にええんちゃう~?」って、本当に思って言うんじゃなくて、それを言えばその場を
ごまかせるから、そういう免罪符みたいになった言葉が口癖になっていた。
その時にこの歌を聞いて、頭殴られたような気分だった。
心のどこかで「ほんまにそれでええんかい」って思ってた自分がいただけに。

涙の数は いつの日にかきっと強さになる
ためらわないで
少しずつでいい 動き出すの 自分を信じて


多分、露崎春女が有言不実行の人なら何も感じなかっただろうと思う。
でも、彼女は心機一転Lyricoに改名して、今やR&Bでは欠かせない人となった。
ほんまに全くと言って良いほど売れてなかったのだ、露崎春女。
音楽好きの子は知ってたけど、他の人は「誰それ」って感じで。
絶大な歌唱力とは裏腹に、若干華がなかったのだ。
でも彼女はそんなことではくじけなかった。ほんとにすごい。
それから、戸惑ったり、迷ったり、落ち込んだり、失恋したり、何かあるたびにこの曲を
聞くようになった。
アップテンポで体の中がリズミカルになる。

で、皆さんの元気が出る曲を知りたくなりました。
TBでもリンクでもコメントでもいいんで、是非是非教えてください。



爽健美茶 元気ログ:http://blog.excite.co.jp/genki-log/
♪りおちゃん『約束の丘』 福山雅治
♪optiさん『maybe』 中島みゆき
♪Lugさん『どんなときも。』 槇原敬之
♪KANAさん『ジターバグ』 ELLEGARDEN/佐野元春
♪Blanky☆さんブライアンセッツァー
♪フミタケさん
『サンボマスターは君に語りかける』 サンボマスター/『フリーソウル』 和田アキ子
♪えんさん『元気を出して』 竹内まりあ
♪チェストさん『オリジナルスマイル』『君は君だよ』 SMAP
♪魔女っ子おばばさん『GOAL』 安良城 紅
♪なっちんさん『1/6の夢旅人2002』 樋口了一
♪こばやん^^さん
『素敵なルネッサンス』 平松愛理/『RUNNER』 爆風スランプ
♪Red_Penguinさん『風に折れない花』 鈴木祥子
♪ぼくさん『世界でいちばん頑張ってる君に』 HARCO
♪kohaduさん『どんなときも。』 槇原敬之
♪tompaさん『涙』 ケツメイシ
♪花菊さん『深呼吸』 Polaris
♪ノアさん『チェリー』 スピッツ
♪klrlandさん『たぶんオーライ』 下川みくに
♪★★MagnoliA★★さん『あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ。』 CKB
♪zerospaceさん『旅立ちの歌』 AKIRA
♪こなつちゃん『栄光の架け橋』 ゆず
♪呑呑さん『READY STEADY GO』 L'Arc~en~Ciel
♪オンドリさん『to U』 apbank
♪美爾依さん『Butterfly』 倖田來未
♪booさん『WATERMELON MAN』 Mongo Santamaria
♪羽衣さん『明日があるさ』 ウルフルズ
♪やぎさん『モルダウ』 スメタナ
2006/04/19のBlog
[ 01:24 ] [ LIFE ]
すっかり忘れてたけど、某氏が祖父母の家に電話をかけてきてくれた。
私は不在だった上に携帯を不携帯だったのだ。
2日にいっぺんぐらい電話くれるんやけど、どうやらあっちでの仕事がゴタゴタしちゃって
出張が長引きそうなんだと。アタクシのノートパソコン持ってってんのになんで更新しな
いのさって聞いたんですけど、
「あ~、あれね~・・・エロサイト見てたらなんか変になっちゃった~・・・」

サヨナラ、アタクシのMURAMASA・・・
仇は必ず取るから・・・!!必ず取るから!!


ひとしきり怒ったんやけど、壊した挙句逆切れしやがった。
「だって金髪はアカンねん俺!!」
うん、命は惜しくないようやね。

んで、オババと30分ぐらい喋くりまくったんだそうだ。
更にオジジと話が盛り上がって、盆栽をもらうことになったそうだ。
今までカタクナに拒み続けてきたオジジの盆栽なのだが、ついに我が家に来ることに
なってしまった。
最近オジジは私に言っても「ヤダ」って言われるのがわかったもんだから、ちょこざいな
手を使って某氏をおだてて押し付けようとしている。
オババが「また丹水が怒る」って注意したらしいんやけど、
「あたしゃ丹水にあげるんとちがいます!」
って言うんだそうだ。
結局同じことなのに最近ヘリクツをこねるようになってきた。ナマイキな。
イイカンジの盆栽なんだそうだ。
見てもさっぱりその価値がわからない。
でも持って帰るのはアタクシなわけ。

GW終わった頃ぐらいに、新大阪発東京行きのぞみの中で盆栽抱えてる女がいたら、
そっとしておいてやってください。マジで。


で、オジジとオババに東京に遊びに来てよって誘ったんやけど、オババはあんまり乗り
気じゃなくてオジジのほうが乗り気。
オジジどこ行きたい?って聞いたら、

「あのほれあの、あれですわなあの、熊野の、熊野街道の、おっきいおっきいビルできた
言うとったやろ。若い子の行くとこの」

それが表参道ヒルズのことだって気づくのに15分ぐらいかかった。
参道と街道がごっちゃになったんやなってのはなんとなくわかった。
祖父母と学校へ行こうMAXをなにげなーく見てた。
東大受験生の合格までのやつをやってたんやけど、それを見て自分の合格発表
のことを思い出してしまった。

行かなかったんだな私、合格発表。
というよりも行けなかったのだ、インフルエンザで。
試験が終わったその日の午後から何となく頭がだるいな~とか思ってて、夜には
高熱ボボーンって出て、そういえば後ろの席の男子がケホンケホンどころかもう、
ウェッホ!!グヘエッホ!!ゲボッ!!
って感じの咳してたなぁ~・・・なんて漠然と考えてたらそのまま肺炎になったのだ。
んで入院してて合格発表はオジジに見に行ってもらったのだ。
「番号あったわ~」ってのんびりした声で言われて、おめでとうも何もなかったから、
「あーほんまにー、わざわざおおきに~」言うて電話を切ったのだ。
気づいたら入学の準備やら何やら、私がぶっ倒れてるもんやから両親がしてくれた。
熱がひいた翌日には祖父母の家へお引越し。
だから、合格の時のあの感動ってのを全く味わってないのだ。
入学してからも「なんで私ここにおるんやろ」って感じでしばらくは実感が掴めなかった。

でね、何が言いたいかっていうと別に合格発表のことじゃないわけよ。
咳のこと、咳。くしゃみ鼻水鼻づまり。
今日はお昼に順正に行ったのだ。
南禅寺にある湯豆腐のお店。
南禅寺の湯豆腐ゆーたら奥丹が有名なんかもしれんし、今の
季節は床机で新緑見ながら食べられるから良いのかもしれん
けど、今の季節だからこそ実は避けたのだ。
池の近くにあるもんやから、小さい虫がね、飛んでくるのだ。
ちょっと寒いの我慢しながら桜の季節、もしくは落葉の時期の
ほうが良いと思う。
んで、さらに奥丹は、言うほどたいしてうまくない。
あ、これ爆弾?地雷?ダメ?

でも歴史はすごいらしい。
元々の名前は丹後屋で瓢亭と並んで旧参道にあったんやけど、口丹・中丹・奥丹
にわかれて、結局明治に聴松院の境内にある奥丹だけが残ったのだそうだ。
創業360年。総本家って書かれてるけど、そりゃすごいプライドやろうし総本家って
言われたら大手を振って「さよでございます!」って言いたくなる。
で、そんなすごい奥丹で食べずに順正さんに行ったわけですけど
も、隣の席の、多分観光できたはるおじさんがもんのすごい咳。
花粉症なんか風邪なんか知らんねんけど、店中に聞こえるぐらい
の大きい咳で。
んでズビーン!ズビズビーン!!って鼻水をかむ。
かんだ後は「あ゛~~~~~・・・グズグズ」って感じ。
せめて手で覆うとかね、それぐらいはしてほしいわけよ、普通に。
一緒にいたおばさんはなーーんにも言わない。なんか言えよ。
大変なんはわかるけど、それでもそれなりのマナーは守ってもらいたい。
湯豆腐ってのは微かなかほり(香じゃないっす、か・ほ・り!)が楽しいのもあるんやし、
そういうのの情緒ってのも大事にしようぜって思うのだ。

ていうか、最近そーゆー人が増えてる気がする。
しかも決まってそれは男性だったりするのは私の思い込みじゃないと思うのだ。
2006/04/18のBlog
[関連したBlog:ぼくさん「あなたは1日に何度鏡を見ますか?」]

私が鏡を見る回数は、トイレに行く回数+5回。
トイレは昼間5回は確実に行くから、1日10回前後。
トイレ以外ではいつ見るかっていうと、朝顔を洗う前、化粧をする
時、それから化粧を落とした後、寝る前に顔を洗った後、で4回。
トイレに行く時は必ずそこでお化粧してたらチェックするし、顔色が
悪くなってたりしないかどうかも確かめる。
肌色が悪くて元気のない顔のまま誰かに会うのは、失礼だしね。
朝顔を洗う前には、必ずその日の肌の健康状態を確かめるように
してる。そこで化粧の仕方も違ってくる。
というより、それ以上見る必要がないように気をつけているつもりだ。

女は化粧をする。
スッピンの人もいるだろうけど、私もさすがに28なので勿論する。
外に出るとテカったりすることもあるだろうし、乾燥して粉を吹くこともあるだろう。
でも、極力そうならないように普段からのスキンケアが大事なのだ。
女性の場合は鏡を見る回数が多い=普段のスキンケア及び食生活への自信のなさ。
地肌に自信があれば、鏡を見る回数だって徐々に減るはずだ。
もちろんアトピーなんかの病気の人は別だけど。
でも、アトピーなのに如何にも体に悪そうなものを食べながら「アトピーだから」って言葉を
免罪符に自分を甘やかしてる人は尚更別。
顔洗って出直して来いって感じですな。
別にタバコを吸うなとは言わないけど、その分ビタミンCを摂取すべきだしね。
それをしないで外側から塗りたくったって無駄っすよ。
素肌の基本は食生活と内面から。

私は絶対心に決めてることがある。
化粧をしている時や外なんかでは、人前では絶対鏡を見ないってことだ。
時々電車の中で鏡を見て化粧をしてる若人を見かける。
私からすれば、人前で鏡を見ながら化粧をなおすことは、女としての敗北だ。
手品の種明かしをするようなもんだ。
彼氏や旦那の前でスッピンをさらせないのもそう。
小学生中学生までは誰だってスッピンだったのだ。
見られなくしてるのは、自分自身なんだってことに気づいてない女性のなんて多いこと
だろうって時々思う。
より美しくなろうって心意気やよし、でもわざわざ目の上にぶっとい真っ黒なラインを
引いたり、わざと日焼けしたり、そういうのはどーなんだかね。

心の中ってのは、顔に現れる。
すさんだ気持ちになってたらお肌の調子だって良くなるはずない。
恋をしたら女性ホルモンが分泌されて女の子が綺麗になるってのはそこ。
だから自分を強く、そして真っ直ぐ前を向いてたら良いのだ。
美しさってのは顔のカタチやなんかじゃない。
強さ、逞しさ、優しさ、しなやかさ、母性、自信、少しの儚さ。
それらが融合されたのが美。

・・・って私は思うわけです、はい。
まだまだっす、アタクシは。

ちなみに私が芸能人で美しいって思う人は、緒川たまきさん。
一時期緒川たまきさんに憧れて、同じ髪型にしてたことがあるぐらいだ。
彼女の美しさは、顔の美しさだけじゃない。
知性、教養、思慮深さ、それらを兼ね備えた強い眼差しをしてると思う。
彼女の写真を見れば、彼女の優しさがわかるし、持ってる目線もわかる。
憧れと真似をするのは違うんだな~ってのを考えさせてくれたのも彼女だしね。

でも彼女がナンバーワンなわけじゃない。
それも決して、美化じゃない。
私の中でのナンバーワンって、やっぱり某お嬢なのだ。
性格やなんかは勿論人それぞれ合う合わないあるやろうけど、何より彼女は肌が卵の
剥いたやつみたいにチュッルーーンってしてた。
毛穴レスなわけじゃなかろうに、ほんまにチュッルーンって。
本人はアトピーだったから色黒い・・・って気にしてたけど、それ以上に努力した結果が
あの肌やったんやろうなって思う。
小学生の頃、彼女のアトピーはすごい酷かったのだ。
それでいじめられてたことがあるぐらいだったのに、15過ぎてからその片鱗もなかった。
一切添加物の入ったお菓子を口にすることもなくて、頭が下がるほどの努力だった。

だから私も彼女を見習おうって思ったのだ。
ハードルって高ければ高いほど燃えるっしょ。
ブブカぐらいだと萎えるけど。
2006/04/17のBlog
[ 18:17 ] [ LIFE ]
鎌倉霊園にある川端康成の墓。
白い御影石の墓石に書かれる「川端康成之墓」という文字は、
東山魁夷筆なのだそうだ。
川端康成所有の、数々の美術品の中には、東山魁夷の
「北山初雪」がある。
著作『古都』の舞台ともなった京都北山の景色。
様々な美しさが失われ逝く中で、川端康成は自ら命を絶った。

「京都を描くなら今のうちですよ」
東山魁夷が川端康成にそう言われたのは、昭和30年に入った頃だったそうだ。
彼の死後、その言葉通りの驚くほどの都市の急成長を目の当たりにした東山魁夷は、
無心になって『京洛四季』シリーズを描いたのだそうだ。

私は東山魁夷が好きだ。
というよりも、私の中では「やさしいおじいちゃん」なのだ。
元々東山魁夷が好な祖父に連れられて、京都近代美術館で
開かれた「東山魁夷展」に行った時のことだった。
祖父の手を離して1人でトコトコ歩き出してしまった私は、祖父の
姿を見失いワンワン泣いていた。
その時声をかけてくれたおじいさん。
祖父を見つけるまで一緒にいてくれた、着物姿のおじいさん。
その人が東山魁夷だったのだということを知ったのは、随分後に
なってからだった。

そのおじいさんに、どの絵が一番好きかと聞かれ、私は迷わず枝垂桜を指した。
あの絵の枝垂れ桜が円山公園の桜であると知ったのも、これまた随分後からだ。
月明かりの下での桜は、妖しいまでに美しくて、微塵も今感じるようなオドロオドロしさ
は感じられず、むしろ慈愛さえ感じられたからだ。
それは桜の魅力ではなく、画家の魅力だったのかもしれないと思う。
「今になって思えば」って言葉が、私にはものすごく寂しい言葉に感じられる。
私は、円山公園の枝垂桜が嫌いなのではなく、本当は「今の枝垂桜」が嫌いなのだろう。

笑い話というか、何というか。
いまだに祖父はあの時どれだけ焦ったかを良く話してくれる。
私を抱き上げあやしてくれていたのが東山魁夷その人だということを、祖父はすぐに
気づいたんだそうだ。
その時、いつもは混んでいる美術館はやけに空いていたのだそうだ。
そしてそこにいる人は、誰も東山魁夷本人がそこにいるとは、気付かなかったんだそうだ。
祖父は画集を買い上げ、サインをお願いしたのだそうだ。
今も祖父の家にあるその画集には、祖父の名前ではなく私の名前が書かれてある。
いつか私が大きくなり、東山魁夷がどういう人かをわかった時に渡そうと思ったのだそうだ。

某お嬢は、谷崎潤一郎をこよなく愛していた。
彼女が彼女のパパさんからもらった吉野葛の版画。
宮田雅之さんという方が描いたものだ。
30枚しか刷られていなかった1枚目は宮田さんが、2枚目は彼女が。
そして、3枚目を所有していたのは、川端康成だったのだそうだ。