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2008/07/22のBlog
[ 10:37 ]
プライベートライフのないヨシコさんにとって、休日は鬼門です。
本日はその「鬼門の日」。
メンドリのワタシと特派員のマユコさんがこのところすれちがいの生活をしているせいで、
ヨシコさんに愛鳥の写真が送られず、結果、ヨシコさんの休日は「葡萄と檸檬の日々」になるのです。
15年前、若気の至りゆえ、「自由」に渇望してかなぐり捨てた「家庭の幸せ」。
歳とって、イッキに来ました、その報い、それにつけても、金のほしさよ
冗談はともかく、ヨシコさん、寂しいのだそうです。
「家庭の幸せ」がうらやましい~~
・・・と思う先から、それはただのないものねだり、あったらあったで、わずらわしいだけ・・・
とささやく声が聞こえてきます。
本日はその「鬼門の日」。
メンドリのワタシと特派員のマユコさんがこのところすれちがいの生活をしているせいで、
ヨシコさんに愛鳥の写真が送られず、結果、ヨシコさんの休日は「葡萄と檸檬の日々」になるのです。
15年前、若気の至りゆえ、「自由」に渇望してかなぐり捨てた「家庭の幸せ」。
歳とって、イッキに来ました、その報い、それにつけても、金のほしさよ
冗談はともかく、ヨシコさん、寂しいのだそうです。
「家庭の幸せ」がうらやましい~~
・・・と思う先から、それはただのないものねだり、あったらあったで、わずらわしいだけ・・・
とささやく声が聞こえてきます。
これ、おなじみの、イソップの『すっぱい葡萄』の寓話。
フロイトさんによれば「欲求不満解決のための合理化のひとつ」
と言われるものです。(画像はウィキペディアから拝借しました。)
同じようなものに「甘い檸檬」というのがあって、
「どんなにすっぱいレモンでも、自分のものである限り、甘いと思い込もうとするもの」
ひとり暮らしはお気楽でいいわよ~~
人間って、実にめんどうな、でもすてきなねじれ方をするものなんですね。
で、教育的書物には最後にこう書かれていたりします。
すっぱいブドウに、甘いレモン。できれば負け惜しみなど言わずに、
現実を受け止めていきたいですよね。
ハイ、スンマソン。。
仰せのとおり、現実を受け止めてみましょうか。
2008/07/17のBlog
[ 12:25 ]
ヨシコさんは相変わらず楽しげに仕事をしています。
仕事というのは楽しくあってはいけない、という思い込みがあるため、
気軽に楽しく働けていると、逆に不安になったりします。
こんな状態がいつまでも続くはずがない、いつか壁にぶつかるぞ・・・などと。
でも、楽しめるうちは楽しんでおこう、というのが今のヨシコさんの心境です。
何がそんなに楽しいのか、というと、前にもお伝えしましたように、
国会見学や工場見学にまじって、たま~に、お笑い系のイベントのスタッフ業務が入っているからです。
仕事というのは楽しくあってはいけない、という思い込みがあるため、
気軽に楽しく働けていると、逆に不安になったりします。
こんな状態がいつまでも続くはずがない、いつか壁にぶつかるぞ・・・などと。
でも、楽しめるうちは楽しんでおこう、というのが今のヨシコさんの心境です。
何がそんなに楽しいのか、というと、前にもお伝えしましたように、
国会見学や工場見学にまじって、たま~に、お笑い系のイベントのスタッフ業務が入っているからです。
先日行って来たのは、お笑いの大御所「落語」です。
この方、三遊亭鳳楽(ほうらく)師匠 →→→
三遊亭円生の門下、三遊亭円楽の総領弟子です。
もう、おもしろいのなんのって。しかも、落語の完成度がメチャクチャ高い。
テレビにはほとんど出演せず、全国の寄席でトリを取る(←ギョッ!)ような方です。
ワタシも取られてみた~い

今は亡き橋本龍太郎氏に似た美男子ですし~~



スタッフとしてアテンドしながら、うっトリしたり、涙が出るほど大笑いしたり・・・・
事務所に戻って、興奮しながら「すばらしかった、楽しかった、面白かった」って話していたところ・・・・
若くて、とっても素直な、新人オペレーターさんが、真剣な顔でヨシコさんに尋ねたのです。
「ヨシコさん、ところで、落語って、何ですか?」
ガッツ~~ン
↑
仕事の壁ではなく、世代の壁にぶつかった音。。
2008/07/16のBlog
[ 20:10 ]
2008/07/08のBlog
[ 21:39 ]
・・・と言えば「長十郎」、の時代で育ったのがヨシコさん。
当時は「幸水」も「豊水」もありませんでした。(どれも梨の銘柄です、念のため)
またまたお久しぶりです。ワタシはメンドリ、シャモーヌ・丸山です。
別れて暮らすお母さんのヨシコさんは、お手軽イベントの企画会社で、お手軽なイベントの案内役をしています。
先日はじめて国会議事堂の案内をして、とっても楽しそうでした。
その国会議事堂、1920年に地鎮祭が行われ、1936年に完成するのですが、
これはすっぽり、20世紀のふたつの戦争の合間にあたる時期です。
多くの人がそうであるように、ヨシコさんは近・現代史がとても苦手です。
その理由を好き勝手に列挙すると、
1.中学でも高校でも、なぜだか時間不足で、歴史の授業が近代まで到達できなかった。
2.そもそも教師が近・現代史が苦手で、授業に魅力がなかった。
3.登場人物が多すぎる。
この中で、最後の項目が案外重要だとヨシコさんは感じています。
実は議事堂アテンドのために近代史を勉強しなおそうと、ヨシコさんはたくさんの本を図書館で借りたのです。
でも、どの本も、人が多すぎるためかどうか、途中でわけがわからなくなって、ギブアップ。
考えてみてください。
日本史で最初に固有名詞で登場する卑弥呼さんは、次の主役、聖徳太子が出現するまで、
約600年にわたって日本の歴史をひとりで率いております。
そして聖徳太子の次に現れる英雄は、いろいろご意見はあるでしょうが、
たぶん12世紀の源頼朝です。これまた、その間6世紀。
歴史をイメージしやすいはずです。
ところが近・現代史ときたら、歴史書の1ページ、あるいは1年に何十人もの固有名詞が出てきます。
小説では、読者がストーリーについてゆける登場人物の数には限界があるといわれます。
これはたぶん歴史にもあてはまるはずです。人口密度が高すぎると流れが見えなくなる・・・・
当時は「幸水」も「豊水」もありませんでした。(どれも梨の銘柄です、念のため)
またまたお久しぶりです。ワタシはメンドリ、シャモーヌ・丸山です。
別れて暮らすお母さんのヨシコさんは、お手軽イベントの企画会社で、お手軽なイベントの案内役をしています。
先日はじめて国会議事堂の案内をして、とっても楽しそうでした。
その国会議事堂、1920年に地鎮祭が行われ、1936年に完成するのですが、
これはすっぽり、20世紀のふたつの戦争の合間にあたる時期です。
多くの人がそうであるように、ヨシコさんは近・現代史がとても苦手です。
その理由を好き勝手に列挙すると、
1.中学でも高校でも、なぜだか時間不足で、歴史の授業が近代まで到達できなかった。
2.そもそも教師が近・現代史が苦手で、授業に魅力がなかった。
3.登場人物が多すぎる。
この中で、最後の項目が案外重要だとヨシコさんは感じています。
実は議事堂アテンドのために近代史を勉強しなおそうと、ヨシコさんはたくさんの本を図書館で借りたのです。
でも、どの本も、人が多すぎるためかどうか、途中でわけがわからなくなって、ギブアップ。
考えてみてください。
日本史で最初に固有名詞で登場する卑弥呼さんは、次の主役、聖徳太子が出現するまで、
約600年にわたって日本の歴史をひとりで率いております。
そして聖徳太子の次に現れる英雄は、いろいろご意見はあるでしょうが、
たぶん12世紀の源頼朝です。これまた、その間6世紀。
歴史をイメージしやすいはずです。
ところが近・現代史ときたら、歴史書の1ページ、あるいは1年に何十人もの固有名詞が出てきます。
小説では、読者がストーリーについてゆける登場人物の数には限界があるといわれます。
これはたぶん歴史にもあてはまるはずです。人口密度が高すぎると流れが見えなくなる・・・・
そんななかで見つけたのが、コレ →→
その名もずばり『二十世紀』(橋本治著)!!
で、長十郎・・・・・失礼しました。
(今の人は長十郎を知らないのでしょうね。。)
この本がユニークなのは、普通の歴史の教科書とちがって、
20世紀(ここでは1900年から2000年まで)を1年ごとに区切って、
各年に4ページを割り当て、その年のできごとをエッセー風につづっているところ。
登場人物を極端にけずり、あえて言うなら「アメリカ」「イギリス」「フランス」「ドイツ」「ロシア」「日本」
その他の国がこの本の登場人物。
たとえばこんなふうです。(ちょっと長いので、めんどくさければ飛ばしましょう。)
第一次世界大戦後の世界を作るヴェルサイユ条約の体制は、結局のところ、
「世間知らずのアメリカがイギリスとフランスに引きずりまわされた」
というような結果のもので、イギリスとフランスのエゴは剥き出しになっていた。
「民衆の浄化」を叫ぶナチス・ドイツは、異常に「清潔」と「ノーマル」が好きで・・・
アメリカの禁酒法もまた「清潔」と「ノーマル」への志向によって生まれ・・・・
ナチスが政権を取ったドイツは異常への道をたどり、アメリカは(禁酒法を廃止して)
酒を飲むことによってノーマルへと戻る。
(日露戦争の後)、日本には手に入れたものを意味あるものに変える力がなかった。
勝って得たものは、ただ「勝った」という栄光の記憶だけなのである。
勝って得た「満州」・・それは、軍人たちにとって栄光の記念碑だった。
記念碑を守り、栄光を信じ、そして、脆弱な日本は幻想に押しつぶされた。
それが「満州」という幻想なのである。
人物の固有名詞は、まるでその国のアクセサリーのようなものとして扱われています。
それより何より、ヨシコさんが読んだ印象では、もしかしたらこの本の本当の主人公は
作者の「橋本治」その人ではないか、と思えるのだそうです。
あとがきに「この本は、私がこれまでに書いた本の中で、最も個人的な本です」と書かれてありますし。
つまり1世紀に主人公は治ちゃんひとり。だからストーリーについてゆけたのでしょう。
それでも、6世紀を背負った卑弥呼や聖徳太子には負けてます。
2008/07/03のBlog
[ 20:50 ]
コメント欄閉鎖を宣言して以来、なんだか妙に体裁が悪く、気分的にブログから遠ざかっていたのですが
今日はヨシコさんがちょっとうれしい発見をしたらしいので書かせていただきますね。
ヨシコさんは今、国会議事堂見学案内の準備をしているのですが、
気をゆるめるとつい本題からはなれて、こぼれ話のほうに目が向いてしまいます。
そんな中、本日発見したのは、謎の総理大臣です。
歴代総理の名前を見ていてなつかしがるヨシコさん。
伊藤博文、大隈重信、犬飼毅、東条英機・・・・吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、
三木武夫、橋本龍太郎、小渕恵三・・・・小泉純一郎・・・・・・・な、なつかしい・・・
その中にひとり、正体不明の総理大臣がいたのです。
その名も稔彦王(第43代)。本名「東久邇宮稔彦王」
ヨシコさんは知らなかったそうなのですが、この方って、歴史の教科書に出てこられましたっけ?
もし多くの方が「東久邇宮稔彦王」をご存知ないとすれば、その最大の原因は・・・・
読み方がわからない!
はい、不肖丸山が解説しましょう、この方は「ひがしくにのみやなるひこおう」さんです。
名前からおわかりのとおり皇族出身で、学校を出たあと同じく皇族の女性と結婚し、
そのあとフランスに留学して、かの地で愛人との生活に耽溺して、帰国を拒む。
大正天皇が亡くなったとき秩父宮が迎えに行って、いやがる殿下を無理やり日本に連れ戻しました。
その後なんだかんだあって、なぜだか戦後、総理大臣に任命されちゃいます。
国の最高責任者として戦争の後始末を任されたものの、GHQの要求についてゆけず、
わずか54日でギブアップしてしまったという史上最短の内閣だったということです。
内閣総理大臣をやめたあとがまた波乱万丈で、闇で食料品屋をやったり喫茶店を開いたり、
あげくは「ひがしくに教」という宗教団体を興したりするものの、何ひとつうまくいかない。
晩年は増田きぬさんという女性に戸籍を乗っ取られるという事件に巻き込まれたりしながら・・・・・
おどろいたことに102歳まで生きられたのです。明治に生まれて平成に死す。
最長寿の首相経験者としてギネスブックに載っているのですよ。パチパチパチ!
次の文章を読んで、「こんな人が歴史にいたんだ」と、ヨシコさんはなんだか泣けてきたのだとか。
玉音放送の時点では戦争継続を唱える軍人も少なくなかった中、
非常に困難な時期に総理となったわけで、
皇族でなければこの急場を凌げなかったとも言われる。
十数日で国内を「降伏」で統一し、上陸してきたGHQに誰も危害を加えないようにし、
速やかに日本の武装を解除したことを実績として指摘できる。
(Weblio辞書より)
今日はヨシコさんがちょっとうれしい発見をしたらしいので書かせていただきますね。
ヨシコさんは今、国会議事堂見学案内の準備をしているのですが、
気をゆるめるとつい本題からはなれて、こぼれ話のほうに目が向いてしまいます。
そんな中、本日発見したのは、謎の総理大臣です。
歴代総理の名前を見ていてなつかしがるヨシコさん。
伊藤博文、大隈重信、犬飼毅、東条英機・・・・吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、
三木武夫、橋本龍太郎、小渕恵三・・・・小泉純一郎・・・・・・・な、なつかしい・・・
その中にひとり、正体不明の総理大臣がいたのです。
その名も稔彦王(第43代)。本名「東久邇宮稔彦王」
ヨシコさんは知らなかったそうなのですが、この方って、歴史の教科書に出てこられましたっけ?
もし多くの方が「東久邇宮稔彦王」をご存知ないとすれば、その最大の原因は・・・・
読み方がわからない!
はい、不肖丸山が解説しましょう、この方は「ひがしくにのみやなるひこおう」さんです。
名前からおわかりのとおり皇族出身で、学校を出たあと同じく皇族の女性と結婚し、
そのあとフランスに留学して、かの地で愛人との生活に耽溺して、帰国を拒む。
大正天皇が亡くなったとき秩父宮が迎えに行って、いやがる殿下を無理やり日本に連れ戻しました。
その後なんだかんだあって、なぜだか戦後、総理大臣に任命されちゃいます。
国の最高責任者として戦争の後始末を任されたものの、GHQの要求についてゆけず、
わずか54日でギブアップしてしまったという史上最短の内閣だったということです。
内閣総理大臣をやめたあとがまた波乱万丈で、闇で食料品屋をやったり喫茶店を開いたり、
あげくは「ひがしくに教」という宗教団体を興したりするものの、何ひとつうまくいかない。
晩年は増田きぬさんという女性に戸籍を乗っ取られるという事件に巻き込まれたりしながら・・・・・
おどろいたことに102歳まで生きられたのです。明治に生まれて平成に死す。
最長寿の首相経験者としてギネスブックに載っているのですよ。パチパチパチ!
次の文章を読んで、「こんな人が歴史にいたんだ」と、ヨシコさんはなんだか泣けてきたのだとか。
玉音放送の時点では戦争継続を唱える軍人も少なくなかった中、
非常に困難な時期に総理となったわけで、
皇族でなければこの急場を凌げなかったとも言われる。
十数日で国内を「降伏」で統一し、上陸してきたGHQに誰も危害を加えないようにし、
速やかに日本の武装を解除したことを実績として指摘できる。
(Weblio辞書より)
