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2005/02/18のBlog
[ 01:17 ]
[ 京都 ]
2005/02/17のBlog
[ 19:29 ]
[ 環境 ]
どぶろぐたんの京都議定書発効に関する[関連したBlog]にトラックバック
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ここでご紹介するのは残念ながら既に掲載した記事の焼き直しで
あります。昨年集めた写真を中心に、「えっ」と思うものをこの機会
ですので再度ご紹介させて戴きます。
実はこういう現象を見て、それが全て「温暖化」によってきたるもの
だと断定するには、風邪の原因が分からないのと同じように困難
を伴うものだという前提でご覧戴ければ幸甚です。
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ここでご紹介するのは残念ながら既に掲載した記事の焼き直しで
あります。昨年集めた写真を中心に、「えっ」と思うものをこの機会
ですので再度ご紹介させて戴きます。
実はこういう現象を見て、それが全て「温暖化」によってきたるもの
だと断定するには、風邪の原因が分からないのと同じように困難
を伴うものだという前提でご覧戴ければ幸甚です。
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(事例1) 朝顔
なんの変哲もない絵です。でも、これの撮影は昨年12月20日です。
もしかしたら、クリスマス、正月も越すんじゃないかと昨年11月くらい
から定点観測をしていたものです。
残念ながらクリスマス前に東京は大雪が降って、立派な蕾も全滅
しました。
また今年も定点観測をする積りです。
場所は調布市の我家のご近所さん。
なんの変哲もない絵です。でも、これの撮影は昨年12月20日です。
もしかしたら、クリスマス、正月も越すんじゃないかと昨年11月くらい
から定点観測をしていたものです。
残念ながらクリスマス前に東京は大雪が降って、立派な蕾も全滅
しました。
また今年も定点観測をする積りです。
場所は調布市の我家のご近所さん。
(事例2) ブラシの木
ふふ、素敵な花でしょう。昨年11月10日に東京都武蔵野市の
農家の庭先で発見。この農家のおばちゃんとお話をさせて
戴きましたが、昨年春に一度咲いて、また咲いたと笑っていま
した。狂い咲き現象。植物の体内時計が昨夏の猛暑で狂った
と推測されます。
オーストラリア原産です。
ふふ、素敵な花でしょう。昨年11月10日に東京都武蔵野市の
農家の庭先で発見。この農家のおばちゃんとお話をさせて
戴きましたが、昨年春に一度咲いて、また咲いたと笑っていま
した。狂い咲き現象。植物の体内時計が昨夏の猛暑で狂った
と推測されます。
オーストラリア原産です。
(事例3) 紅梅
まあ、この季節当たり前の花です。これも我家のご近所で
あります。然し、撮影は今年の1月1日。むむっ、でしょう。
これで驚いてはいけません。実は、この梅の開花を発見
したのは昨年の12月25日です。開花状況はこの写真と
殆ど変化はありませんでした。
二年も連続で梅を見られて大変幸せでありました。
まあ、この季節当たり前の花です。これも我家のご近所で
あります。然し、撮影は今年の1月1日。むむっ、でしょう。
これで驚いてはいけません。実は、この梅の開花を発見
したのは昨年の12月25日です。開花状況はこの写真と
殆ど変化はありませんでした。
二年も連続で梅を見られて大変幸せでありました。
[ 12:55 ]
[ 京都 ]
[ 10:46 ]
[ 京都 ]
やはり 京都の代名詞であります
数年前 金箔を貼りなおして ますます輝きを増して
実は 雪の金閣寺を 撮るのが最大の 目的で
ありました
残念ながら 数日前に降った雪は この通り
まあ 池に映った姿を 納めたということで
よしとせねば いかんですね
数年前 金箔を貼りなおして ますます輝きを増して
実は 雪の金閣寺を 撮るのが最大の 目的で
ありました
残念ながら 数日前に降った雪は この通り
まあ 池に映った姿を 納めたということで
よしとせねば いかんですね
中学の卒業旅行以来 これで三度目の 京都
小さいときは 先生の影響でしょうか 「侘びさび」なぞと
いう言葉に 惹かれて
金閣よりは 銀閣でありましょう なぞと 一丁前の言葉を
自慢げに 喋った記憶があったりして
でも今 この年になり 双方を見比べると
やはり この建物の豪華絢爛さに 何故か惹かれてしまう
小さいときは 先生の影響でしょうか 「侘びさび」なぞと
いう言葉に 惹かれて
金閣よりは 銀閣でありましょう なぞと 一丁前の言葉を
自慢げに 喋った記憶があったりして
でも今 この年になり 双方を見比べると
やはり この建物の豪華絢爛さに 何故か惹かれてしまう
何故だろうと 思うのですが その答えは戻ってきません
銀閣が 寧ろみすぼらしく 見えてきている
侘びさびを 通り抜けて 「滅び」というような そんな
感覚が 見えるのが嫌なのかも
絵でもそうですが あれほど好きだった ものが
ある日を境に 感慨をなくしていく そういうことって
ある
男女の仲なら もっと頻繁にあるのかも
愛でる 愛するって 本当に難しい
銀閣が 寧ろみすぼらしく 見えてきている
侘びさびを 通り抜けて 「滅び」というような そんな
感覚が 見えるのが嫌なのかも
絵でもそうですが あれほど好きだった ものが
ある日を境に 感慨をなくしていく そういうことって
ある
男女の仲なら もっと頻繁にあるのかも
愛でる 愛するって 本当に難しい
[ 09:18 ]
[ 京都 ]
[ 01:39 ]
[ どぶろぐたん ]
いやぁー、昨日は酷かったですね。午後から全く繋がらず。
なにやら緊急メンテナンスをやっておりましたが、何がどうしたのかと思ったらトップページの表示にマイナーな変更があったようですね。相変わらず自分の頁に繋がらない、繋がってもコメントは発信できないということなので、このトップページ変更だけがそのメンテの目的ですかね。
変わったひとつは私のぶろぐでも紹介した「地球温暖化」に関するサイトの紹介バナーが新設されたこと。もうひとつはランキングのブックマークランキングの表示方法が月間のランキングになったこと。
まあ、数多くのブログを色々な形で紹介しようという考え方は理解できるけど、月刊BMランキングがトップページに必要かどうかはちょっと議論が分かれるところかも知れません。新しくブログを始めた方には励みになるかもしれないけど、長期に亘り「どぶろぐ村」の住民に支持を得ているブログということになると、やはり従来の表示がトップにあるべきではないでしょうか。そのぐらいの敬意はどぶろぐたんも表していいと思いますが。要は表示の順番が逆であるということ。常に見えるのは長期のほうを出すべきであるということです。使うほうの身になるとそのほうがいいと思うのですが如何でしょうか。
それと、人気ブログランキングのほうを考えて欲しいですね。例えばどぶろぐ村の住人によるヒット数のランキングを一番に持ってくるとか。私自身、何回かトップ20に入ったことがあるけど、このヒット数は全く信頼しておりません。大体数千もあったヒット数が翌日には数百にどんと落ち込む、長いこと更新もしていないぶろぐがランキングされるということ自体、信頼性のない裏返しだろうと思っています。寧ろこんな数が上がった下がったと心配するより、確実な「どぶろぐ村」でのランキングを表示してもらったほうが宜しいかとおもうのですが。
これにより、もし徒にランキングを上げるための何らかの機械的な操作があるとすれば、それによって自分のブログに接続が出来なくなるような状態を醸し出しているのであれば、かなりこういう弊害が取り除かれるように思われるのですが。是非ご一考願いたいですね。
それと正直言ってどぶろぐの会員が、どういうブログに興味を持って日々閲覧しているかというのを知りたいという興味があるのです。
是非是非、見直しをお願いしたいですね。
くどくなりますが、ヒット数のランキングというのは会社で言えば「売上」というフローを表していると思うのですね。そしてブックマーク数のランキングは「資産」というストックを表していると看做せます。ストックをフローのように表そうと言うのが今回の試みなのでしょうが、この面では短期にものを見るべきではない、意味のあるランキングとは言い難いと思います。色々試行錯誤はあるんだろうけど、数字の扱いはきちんとした定見を持ってやるべきでありましょう。
ああ、それにしても重いなぁ。。。もっとやることあるはずなんだけどなぁ。
なにやら緊急メンテナンスをやっておりましたが、何がどうしたのかと思ったらトップページの表示にマイナーな変更があったようですね。相変わらず自分の頁に繋がらない、繋がってもコメントは発信できないということなので、このトップページ変更だけがそのメンテの目的ですかね。
変わったひとつは私のぶろぐでも紹介した「地球温暖化」に関するサイトの紹介バナーが新設されたこと。もうひとつはランキングのブックマークランキングの表示方法が月間のランキングになったこと。
まあ、数多くのブログを色々な形で紹介しようという考え方は理解できるけど、月刊BMランキングがトップページに必要かどうかはちょっと議論が分かれるところかも知れません。新しくブログを始めた方には励みになるかもしれないけど、長期に亘り「どぶろぐ村」の住民に支持を得ているブログということになると、やはり従来の表示がトップにあるべきではないでしょうか。そのぐらいの敬意はどぶろぐたんも表していいと思いますが。要は表示の順番が逆であるということ。常に見えるのは長期のほうを出すべきであるということです。使うほうの身になるとそのほうがいいと思うのですが如何でしょうか。
それと、人気ブログランキングのほうを考えて欲しいですね。例えばどぶろぐ村の住人によるヒット数のランキングを一番に持ってくるとか。私自身、何回かトップ20に入ったことがあるけど、このヒット数は全く信頼しておりません。大体数千もあったヒット数が翌日には数百にどんと落ち込む、長いこと更新もしていないぶろぐがランキングされるということ自体、信頼性のない裏返しだろうと思っています。寧ろこんな数が上がった下がったと心配するより、確実な「どぶろぐ村」でのランキングを表示してもらったほうが宜しいかとおもうのですが。
これにより、もし徒にランキングを上げるための何らかの機械的な操作があるとすれば、それによって自分のブログに接続が出来なくなるような状態を醸し出しているのであれば、かなりこういう弊害が取り除かれるように思われるのですが。是非ご一考願いたいですね。
それと正直言ってどぶろぐの会員が、どういうブログに興味を持って日々閲覧しているかというのを知りたいという興味があるのです。
是非是非、見直しをお願いしたいですね。
くどくなりますが、ヒット数のランキングというのは会社で言えば「売上」というフローを表していると思うのですね。そしてブックマーク数のランキングは「資産」というストックを表していると看做せます。ストックをフローのように表そうと言うのが今回の試みなのでしょうが、この面では短期にものを見るべきではない、意味のあるランキングとは言い難いと思います。色々試行錯誤はあるんだろうけど、数字の扱いはきちんとした定見を持ってやるべきでありましょう。
ああ、それにしても重いなぁ。。。もっとやることあるはずなんだけどなぁ。
2005/02/16のBlog
[ 16:13 ]
[ 京都 ]
[ 12:42 ]
[ 京都 ]
[ 09:09 ]
[ 環境 ]
Doblogスタッフブログの[プレスリリースをおこないました]にトラックバック
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今度の企画はぶろぐの持つTB企画機能と今度正式発足する京都議定書の環境問題を会員の中で考えていこうという大変時宜を得た企画であろうと、その趣旨に賛同し、エールを送らせて戴くものです。
日本の場合6%CO2削減と言う過酷な自立条件を設定して船出する訳で、一番の排出源である企業もさることながら、我々民間人の協力もなくしてグローバルな公約のクリアは出来ないと考えられます。
環境問題はまさに身近なところから、隗よりはじめよという言葉の通りですが、一人ひとりが意識することで、より安全な世界を構築できるものだと思っています。
一部ではなんと大胆な、なんと無謀な目標設定だという向きもあります。既に日本の産業界は雑巾を絞りに絞って、もうこれ以上鼻血もでないくらいの状況下で、これ以上の努力のしようがないという意見もありましょう。
翻ってみると、およそ30年くらい前になりますか、米国でマスキー法という当時世界で一番環境に厳しい自動車排気ガス規正法が成立しました。これは当時の日本の自動車産業にとり江戸末期の黒船来襲に匹敵するインパクトがあったと思います。当時、この法律をクリアするのは至難の業と言われていました。
またそれに前後して東京都は新しい大気汚染防止法に基づく東京都条例を施行させました。当時、空気、水に関する規制では世界で一番厳しい法規制であったと記憶しています。
実は日本は個々人のレベルまで含めて官民一体となってこの高いハードルをクリアした訳です。その結果得られたことは何でしょう。東京都条例の例で言えば、あの汚臭漂う隅田川は今では漸く鮎の稚魚が認められるようになり、川崎や環状7号線沿線の光化学スモッグやスモン病は影を潜め、自動車の世界ではトヨタを始め日本の自動車産業があの米国で市民権を得て、現在では世界で通用するグローバル企業になった訳です。この結果、80年代では日本は世界の中で環境問題の大家として評価されていたのです。
実はその後大気汚染の問題で行くと、日本はバブル期に中だるみとなっています。車の世界でいきますとその後、ユーローが大きな巻き返しを図ったわけです。その規制はEURO1、EURO2という言葉で表現されていますが、今もこれが世界の大気汚染防止規制のスタンダードになっております。
環境と言うと「水」「空気(大気)」「ごみ」というのが三大分野でありますが、いまここで京都議定書の発効を見るに当たり、新たなグローバル・スタンダード或いは再び「環境立国」として日本の技術が試され、生かされるチャンスであります。ひいては、総合的な技術革新とそれから派生する様々な技術が次の日本を作るものであると確信していますが、もう一方で我々一般庶民の更なるモラルの向上も必要なことであります。この技術革新とモラルで新しい日本イニシアティブが世界に発信されることを夢見て、改めて今回のどぶろぐたんの企画にエールを送りたいと思います。
どぶろぐたんの試みの概要を見ましたが、皆さんに殊更難しいことをお願いする内容ではないようです。今日から発足のようですが、私としては第一弾としてこの文章をお届けする次第です。皆さんもご興味のある方は是非参加されては如何でしょうか。
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今度の企画はぶろぐの持つTB企画機能と今度正式発足する京都議定書の環境問題を会員の中で考えていこうという大変時宜を得た企画であろうと、その趣旨に賛同し、エールを送らせて戴くものです。
日本の場合6%CO2削減と言う過酷な自立条件を設定して船出する訳で、一番の排出源である企業もさることながら、我々民間人の協力もなくしてグローバルな公約のクリアは出来ないと考えられます。
環境問題はまさに身近なところから、隗よりはじめよという言葉の通りですが、一人ひとりが意識することで、より安全な世界を構築できるものだと思っています。
一部ではなんと大胆な、なんと無謀な目標設定だという向きもあります。既に日本の産業界は雑巾を絞りに絞って、もうこれ以上鼻血もでないくらいの状況下で、これ以上の努力のしようがないという意見もありましょう。
翻ってみると、およそ30年くらい前になりますか、米国でマスキー法という当時世界で一番環境に厳しい自動車排気ガス規正法が成立しました。これは当時の日本の自動車産業にとり江戸末期の黒船来襲に匹敵するインパクトがあったと思います。当時、この法律をクリアするのは至難の業と言われていました。
またそれに前後して東京都は新しい大気汚染防止法に基づく東京都条例を施行させました。当時、空気、水に関する規制では世界で一番厳しい法規制であったと記憶しています。
実は日本は個々人のレベルまで含めて官民一体となってこの高いハードルをクリアした訳です。その結果得られたことは何でしょう。東京都条例の例で言えば、あの汚臭漂う隅田川は今では漸く鮎の稚魚が認められるようになり、川崎や環状7号線沿線の光化学スモッグやスモン病は影を潜め、自動車の世界ではトヨタを始め日本の自動車産業があの米国で市民権を得て、現在では世界で通用するグローバル企業になった訳です。この結果、80年代では日本は世界の中で環境問題の大家として評価されていたのです。
実はその後大気汚染の問題で行くと、日本はバブル期に中だるみとなっています。車の世界でいきますとその後、ユーローが大きな巻き返しを図ったわけです。その規制はEURO1、EURO2という言葉で表現されていますが、今もこれが世界の大気汚染防止規制のスタンダードになっております。
環境と言うと「水」「空気(大気)」「ごみ」というのが三大分野でありますが、いまここで京都議定書の発効を見るに当たり、新たなグローバル・スタンダード或いは再び「環境立国」として日本の技術が試され、生かされるチャンスであります。ひいては、総合的な技術革新とそれから派生する様々な技術が次の日本を作るものであると確信していますが、もう一方で我々一般庶民の更なるモラルの向上も必要なことであります。この技術革新とモラルで新しい日本イニシアティブが世界に発信されることを夢見て、改めて今回のどぶろぐたんの企画にエールを送りたいと思います。
どぶろぐたんの試みの概要を見ましたが、皆さんに殊更難しいことをお願いする内容ではないようです。今日から発足のようですが、私としては第一弾としてこの文章をお届けする次第です。皆さんもご興味のある方は是非参加されては如何でしょうか。
[ 03:06 ]
[ 京都 ]
2005/02/15のBlog
[ 23:02 ]
[ ??? ]
最近二人の息子が車を運転するようになり、愛車も徐々にというか大胆にその容積を減らして、あと一年もすると五人乗りがツーシーターになりそうな勢いです。
所謂「板金屋」さんに持ち込んで直してもらおうとも思うのですが、よくTV等でコマーシャルを流している短時間で直してくれるチェーン店(スイフトの小説の冒険者の名前の)が
在るようなんですが、技術的にはどんな感じなんでしょうか。
ディーラーに持ち込むと時間が掛かると言うのが嫌なんですが。ああ、それと外車でも対応可能でしょうか(因みに車はBMWの標準のブルーカラーです)。もし、試された方がいらっしゃったら出来栄えを教えて戴けると有難いのですが。
多少の色むらが出来るのは余り気にしてはおりません。体積が復活できればそれでよしなのですが。日本全体がスリム化する中、これだけは現状維持でありたいとは思っております。
所謂「板金屋」さんに持ち込んで直してもらおうとも思うのですが、よくTV等でコマーシャルを流している短時間で直してくれるチェーン店(スイフトの小説の冒険者の名前の)が
在るようなんですが、技術的にはどんな感じなんでしょうか。
ディーラーに持ち込むと時間が掛かると言うのが嫌なんですが。ああ、それと外車でも対応可能でしょうか(因みに車はBMWの標準のブルーカラーです)。もし、試された方がいらっしゃったら出来栄えを教えて戴けると有難いのですが。
多少の色むらが出来るのは余り気にしてはおりません。体積が復活できればそれでよしなのですが。日本全体がスリム化する中、これだけは現状維持でありたいとは思っております。
[ 12:09 ]
[ 社会 ]
昨日の再放送ですか。たまたまどぶろぐたんの調子がわるいので、ぼんやりTVを見ておりましたら、昨日見損なったこの番組を見てしまいました。
昨年にもこの問題に言及したことがありましたが、今回のこの番組は時宜を得たなかなかの好番組でありました。
ドラマ仕立てでありますので、ご都合主義的なところは否めませんが、今回の司法制度の改革の焦点は浮き彫りになっていると思います。
前回の時もそうですが、量刑の判断基準が知りたかったのですが、執行猶予付きか実刑かという論点でしか紹介されていなかったので、私が知りたかった「何年何ヶ月」という判断基準については分からぬままでありました。
もう少し深堀したところを見せてくれるといいのですが。でも、陪審員制度の大体の雰囲気は分かった感じがします。基本的には裁判長或いは裁判所側が疑問点を解説してくれる訳ですね。
でも、民間のそれぞれよってきたる価値観の違う人が、人の罪を裁くというのは本当に難しいと思います。ドラマでは議論がひとつの流れとなって収斂していくのですが、実際にあそこまで民間人同士が議論を深めることが出来るのでしょうか。
同じ日本語という共通言語を使っていても、受け止め方が全く違うというのは実生活でも多々見られることであります。少なくとも従来の法廷では専門用語というのがあって、検事、弁護士がそれぞれ共通認識の下に証拠の検証をするのが裁判の過程であると私は理解していますが、言葉の認識がそれぞれ違う民間人が議論して、本当に同じことを同じ土俵で喋れるのかと不安に思いました。
私の経験で、マンションの理事長というのをやったことがあります。理事会で住民の共益費の使途について延々2年間揉んだことがあります。その時、同じ日本語を喋っているのに、何で違うニュアンスでそれぞれが受け止めるのかと絶望的になったことがあります。「山」「川」と言っても、それぞれ自分の持っているイメージは全然違うのでですね。ある人は神田川クラスの川をイメージして、ある人は揚子江あたりをイメージしていたりして。まとまる話が最後は全然違う話をしていたとか。
更に、民間陪審員のある人の力量で全員の方向が変わる可能性がある恐れがあるのではないかという問題。ドラマでは主人公の方の人生が被告人に投影されて執行猶予となった訳ですが、そういうある意味感情移入が許されていいのかという問題点もある訳です。
人が人を裁く。こんな難しいことはないというのがTVを見終わった感想で、相変わらず進歩なしの私でありました。
最後にドラマの中で、偶然というストーリー展開ですが陪審員同士が会って数時間接触していました。これって許されるものなんでしょうか。本来、陪審員同士は判決まで会ってはいけないと思うのですが。これは重要な問題で、判決が談合で行われる可能性を示唆してしまいます。私はこの設定には大変違和感を覚えましたが、如何なものでしょうか。
昨年にもこの問題に言及したことがありましたが、今回のこの番組は時宜を得たなかなかの好番組でありました。
ドラマ仕立てでありますので、ご都合主義的なところは否めませんが、今回の司法制度の改革の焦点は浮き彫りになっていると思います。
前回の時もそうですが、量刑の判断基準が知りたかったのですが、執行猶予付きか実刑かという論点でしか紹介されていなかったので、私が知りたかった「何年何ヶ月」という判断基準については分からぬままでありました。
もう少し深堀したところを見せてくれるといいのですが。でも、陪審員制度の大体の雰囲気は分かった感じがします。基本的には裁判長或いは裁判所側が疑問点を解説してくれる訳ですね。
でも、民間のそれぞれよってきたる価値観の違う人が、人の罪を裁くというのは本当に難しいと思います。ドラマでは議論がひとつの流れとなって収斂していくのですが、実際にあそこまで民間人同士が議論を深めることが出来るのでしょうか。
同じ日本語という共通言語を使っていても、受け止め方が全く違うというのは実生活でも多々見られることであります。少なくとも従来の法廷では専門用語というのがあって、検事、弁護士がそれぞれ共通認識の下に証拠の検証をするのが裁判の過程であると私は理解していますが、言葉の認識がそれぞれ違う民間人が議論して、本当に同じことを同じ土俵で喋れるのかと不安に思いました。
私の経験で、マンションの理事長というのをやったことがあります。理事会で住民の共益費の使途について延々2年間揉んだことがあります。その時、同じ日本語を喋っているのに、何で違うニュアンスでそれぞれが受け止めるのかと絶望的になったことがあります。「山」「川」と言っても、それぞれ自分の持っているイメージは全然違うのでですね。ある人は神田川クラスの川をイメージして、ある人は揚子江あたりをイメージしていたりして。まとまる話が最後は全然違う話をしていたとか。
更に、民間陪審員のある人の力量で全員の方向が変わる可能性がある恐れがあるのではないかという問題。ドラマでは主人公の方の人生が被告人に投影されて執行猶予となった訳ですが、そういうある意味感情移入が許されていいのかという問題点もある訳です。
人が人を裁く。こんな難しいことはないというのがTVを見終わった感想で、相変わらず進歩なしの私でありました。
最後にドラマの中で、偶然というストーリー展開ですが陪審員同士が会って数時間接触していました。これって許されるものなんでしょうか。本来、陪審員同士は判決まで会ってはいけないと思うのですが。これは重要な問題で、判決が談合で行われる可能性を示唆してしまいます。私はこの設定には大変違和感を覚えましたが、如何なものでしょうか。
[ 03:00 ]
[ 京都 ]
[ 00:54 ]
[ 京都 ]