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Rolling 55
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2004/04/02のBlog
新しい社会の門出を迎えた方、おめでとうございます

これから社会人として多くの試練と喜びがあなたを待っていると思います。

私もはるか昔に同じ時期がありました。30数年前ですが、丁度日本経済が長い低迷期を脱し、かなり強い日差しが見えてきた時です。

比較にはなりませんが、今日も多少なりとも明るさが見えた感じがします。

皆さんはこの就職難の時代に勝たれた方です。でも、入社が目的ではないのは自明の理。それぞれの生きがいを新たなフィールドでどう求め実現するかですね。

世の中は多様化の時代、それぞれの生き甲斐を企業も認め、支援する方向に変わりつつあります。それを実現するのはあなたたちですから、是非、その最大の目的に向かってこれからも努力してください。

そしてそれを支えてくれる真の友人を長い目で育てて下さい。社会人の時代は今までの学生生活より遥かに長いのです。利害を超越したところでなあなあでは掴めぬ、互いの価値観を尊重しあえ、共通の物差しと言語で語り合える社内・社外の友人を沢山作ってください。

私の場合、30数年勤めた会社を辞め、新しい分野の仕事に就いて数年が経ちました。その転職から今まで支えてくれているのは30数年前にお会いした社外の友人です。

こういう長いスパンでの友人を是非一人でも多く作られん事を祈ります。

2004/04/01のBlog
一瞬、アーカイブが全てなくなってしまったと報じましたが、月が替わるとMy Doblogの頁が替わるんですね。今それに気付きました。

エープリル・フールの格好の話題になってしまったみたいです。初心者とは言え恥ずかしい。。。
2004/03/31のBlog
魚釣島に不法入国した中国人は強制送還された。一体日本は法がないのかしら?小泉さんは「冷静に」を繰り返していたが、本当に冷静だったのかしら?

捜査も十分行わず、不法入国者のその意図、背景も分からず送り返す。中国をこれ以上刺激しないためという配慮なのか?それにしても中国から無条件即時釈放というのも随分と嘗められたものだ。

中国は日本をまたまた甘いと判断するでしょうね。これで中国の活動分子が治まるのかしら。事前にインターネットで今回の行動を宣伝し、確信犯的に日本の領土に不法に乗り込んだ輩をなぜ許すのか、その判断基準が全く分からない。

政策判断というのもよく分からない。その判断には国益というのが必ず付き纏う筈。この場合は輸出入の巨大な貿易相手国となった中国に対する配慮があったと思われるが、政府はそれならそうとはっきり理由を明確に言うべきである。

既に、第2、第3の動きが伝わってきている。若し、再び彼等が同様の愚挙を繰り返すようであれば、毅然とした態度と措置でこれを取り締まって欲しい。

これが例えば日本人が北方領土に不法入国したらどうなるのか?日本がロシアに大使レベルで抗議したら無事我々を帰してくれるのか?

政府は今回の事件で、逆に尖閣諸島が日本固有の領土だと確認されたと言っているが、不法入国者の中国の領土という主張はどう考えればいいのだろう。彼等はなんら咎を受けないことを帰国後喧伝するに違いない。少なくとも第2、第3の輩の妄動を防ぐために彼等の背景、動機等聞きだすべきであろう。

少し前、北朝鮮の首領様の息子が不法入国した場合もろくに調査もせずに送り返している。その反省が本当に生かされているのか。外交は最上級のネゴだと思うが、自ら最良の判断材料を捨ててネゴが行えるものなのか。

たまには民間会社営業のハイパフォーマーの交渉技術を政府の人間は学んでみてはどうか。50銭の値下げ交渉にどれだけの情報収集をして、どういう思考をして、どういう状況判断をしているか一度聞いてみたらいい。

日本を滅ぼすのに原爆も水爆も中性子爆弾も必要ない。一発の銃声すら必要としないだろう。簡単なことで、彼の国の人口の何パーセントかを数万人単位で間断なく日本に送り届ければよいのだから。


それにしても日本全国で外国人の不法滞在者はどのくらいいるのだろうか?確実に数万は超えているのではないか。こちらも考えると恐ろしい。
2004/03/29のBlog
明日は雨か。昼休みを利用して半蔵門から九段、大手町まで皇居の周りを半周しました。

桜は満開。昨年も同じコースを同じ時期に来ましたが、人出は今年の方が多かった。桜のアーケードの下で思い思いに昼食を取る、酒を飲む姿が殆どないのは時代の反映か。

菜の花の可憐さにうっとり。風が強く、吹く風に煽られ、それぞれてんでの方向に揺れる様も楽しい。
桜はもう直ぐ散る。それに代わって主役は俺たちと鮮やかな黄色が一斉に言っている。同じく土手に紫の帯となっているのはパンジーですか。

どうも花の種類もよく分からない。自宅の庭の植物の名前もよく分からず、奥様にいつも呆れられている。
やはり皇居は千鳥淵の桜ですかね。このボリュームは圧巻。それと水辺がやはりいい。今年はボートの出がそれほど多くは見えなかった。
枝垂桜。
大手門の白鳥。見ていたら突然羽ばたきを繰り返していた。そうか、もう直ぐ旅立ちだね。

桜が散れば君たちは北の空。
2004/03/28のBlog
透き通った少女の頬のような桜の色。そして蕾のピンク

がアクセントになっています。満開の桜もいいですが、

つぼみも可愛いですね。

今日は、奥様と家の近所の「野川」という小川を散策。

都内でこれだけの田舎の景色はないんじゃないかとい

うことで、数年前にこちらに越してきました。毎年桜見物

が夫婦の楽しみになりました。
枝に咲くさくらもいいけど、私は幹にぴたっとくっついて

咲く花も好き。黒い幹をバックに可憐さが際立ちます。
望遠で撮りましたが、後ろの家並みがぼやけその色と

の比較でちょっと面白い雰囲気がでました。
ちょっと見慣れぬ鳥がさくらの蜜をなめていました。これ

は不如帰か鶯か?鳥に詳しくない私にはよく分からな

いのですが。梅に鶯、さくらにはなんでしょう?
ここらが野川花見のメッカでしょうか。桜並木がずっと続

いています。川面にも桜が映り、花の中に埋もれている

感じがします。
2004/03/23のBlog
一つのことに興味を持つと、それに関連する情報が何故か集まってくる。向こうから来るのか、それともそういう興味があるので、関連する情報が目に触れるのか、その因果関係はよく分からないけど、私の場合こういう事はよくあるようだ。

今、情報社会といわれ、インターネットの発達で様々な情報が溢れているが、自分が欲しい情報は結構すくないもの。向こうから質の良い情報がやってくるというのは、やはり自分の動機の強さと常に貪欲な興味を持つ姿勢が必要なのであろう。

さて、3月18日に琵琶湖疎水の水路閣について写真とエッセイを紹介しました。今日の日経新聞の夕刊にこれに関連するエッセイが載っていました。私が考えていたことと同じ内容があり、我が意を得た思いで大変嬉しくなりました。以下、要点を下記します(勝手な要約で著者の方には大変申し訳ありません)。

Qoute

1.不可能といわれたこの大工事の設計施工は、1883年、工部大学校(東大工学部の前身)を卒業したての21歳の技師、田邊朔朗のリーダーシップで始まった。

2.田邊の若さにも驚くが、若い田邊に仕事を任せた当時の人材抜擢の大胆さにも感心する。

3.更に素晴らしいのは120年も前に日本人だけで文字通り昼夜突貫の作業で完成させたこと。

4.この運河は生活や産業の便のために構想されたが、機能だけを重視するのだけでなく、桜や洞門石額(伊藤博文、山縣有朋などの揮毫)あるいは南禅寺水路閣など、美観への配慮が方々に見られる。

2004年3月23日付け日経新聞夕刊(あすへの話題)
「疎水の桜」 経済学者 猪木 武徳 著

Unquote
こちらは琵琶湖疎水。この道を下りて行くと水路閣になります。

しかし、21歳の主任設計者ですか、ん~ん、唸ってしまいます。今、企業では若い人の登用がしきりに叫ばれ、実行されていますが、ここまで出来るか、凄いですね。明治の人達は。その才能を見抜く眼力と説得力!これが礎になって、今の日本が作られているんですよね。
2004/03/20のBlog
NHKの地上波デジタル放送で流れた彼と家族の愛

3月14日にNHK地上波デジタル放送で彼の歌声とアーカイブが流されました。彼の名は木下航志(きしたこうし)君。残念ながら我が家は未だデジタル放送を見られるTVはない。昨年末TVの調子が悪く、大枚をはたいて従来型を液晶TVに置き換えたばかり。当分、デジタル放送は見られない状況。それで、奥様のお友達にビデオを収録してもらった。

というのも2年前に彼と知り合い、関東圏に彼が来たときは欠かさず演奏を聴きに行っている。仕事柄土日は埋まることが多いのだけど、何故か彼と周波数が合うのか、今のところ皆勤賞になっている。

彼を紹介してくれたのが、日本一の彼の「追っかけ」を称している奥様の友人(僕もその通りと思ってます。その行動力には感服)。横浜にお住まいで彼女の友達が追っかけ軍団を組んでいる。これを称して「横浜軍団」。ということで、私はその下部組織の「東京支部」に属している。

僅か8歳で得意のキーボードと歌でストリート・ライブをはじめ、今14歳。

TVのビデオを見て思った。目が不自由であることを感じさせない彼の言葉と行動。チャレンジ精神と人をひきつける”Something Else”。これは一体なんだろうか。歌は聴く人に何かを語りかける。それは技巧から生まれるものではなく、彼の無意識な領域から発せられるもの。ピアノも全くの独学で、なぜあれだけの音が出せるんだろう?「天賦の才」というのはこういうことを言うのかしら。

最近、彼と話せるようになったが、その素直さに驚く。全国的に有名になったが、初めて会った汚れていない少年の姿がいつもある。番組を見て了解。お母さんのべたべたしない厳しさと愛情、これが彼のバランスもとではないかと。

人は幾つになっても自分の存在をどんな形であっても認めて貰いたいと思うもの。それを返す形で表現、行動に結びつく。それも一番身近な人から貰い、返す。これが愛の一部ではないかしら。寧ろ愛の全部かも知れない。

木下航志君は家庭の、そして全国の様々な人の愛を受け、それを自分なりの表現方法で返そうとしている。彼と会うたびに彼のその表現方法が確実に進化していることに驚かされる。

ビデオを見て、実は涙が出てきた。古い映画だが、「サウンド オブ ミュージック」を劇場で見て、冒頭のスイスのパノラマの空撮と流れる歌で自然に泣けてしまった。それと共通するものが彼と会うと僕の裡に流れる。

がんばれ、航志!!!

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写真は昨年12月末に行われた越谷での演奏会の一こま

NHKの再放送(嬉しいことにデジタル・アナログでやってくれるそうです):4月7日(水)11:00-12:30


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もう東京もすっかり春めいてきました。それに比べると雪の京都もちと違和感がありますが、私のホームページに記載した他の写真集等をこちらにご紹介します。もう少し高画質で大きい写真を楽しんで頂ければ幸甚です。

初春の京都(Part I)
初春の京都(Part II)
2004/03/18のBlog
仁和寺山門
仁和寺の五重の塔はとても綺麗な姿ではありましたが、どうも五重の塔に見飽きたせいかそれほどの感動ではありませんでした。今回の京都訪問の収穫はこの山門。荘厳という言葉がぴったりです。聞けば浅草の浅草寺の形はこの姿を真似たとか。スケールが違いすぎてちょっと気付きませんでした。
琵琶湖疎水の「水路閣」
南禅寺の隣に流れている水路。まるでローマの水道遺跡をみるような。レンガ造りの構造物っていいですね。京都の景観を壊さず、目立たず、それでいて風情を醸し出している。明治23年の建設ですって。先人の知見と美的センスが窺われます。今経済優先のこの時代に同じものが同じ発想で作れるか、とても疑問です。小泉政策の一つに都市再開発の規制緩和がありますが、それが何をもたらしたか。沢山の高層ビル、それも遠くから隙間がないほどびっしり建てられる。隣接するビル間に相互の緊張感も融合もない。今日本のあちこちはいびつになりつつあります。

こういう醜悪な景色にあと何十年もお付き合いせねばならぬのかと思うとうんざり。だから、今話題の東京の高層ビル群にもお邪魔したことがありません。何であんなに話題になるのか不思議。

然し、若い日にここで理想の女性と待ち合わせが出来たら最高に幸せだったかなー、なぞと本気で考えてしまった。よく映画やTVのワンシーンに使われていると聞いていますが、なるほど!!!
祇園
夕方食事をするので祇園を訪れました。塀が黒いせいか街灯の光量が少ないせいか、随分と暗い感じがしました。最近は一見さんでも食事が出来る店が増えているそうで、それらしきお店もありましたが、結構高そう。それで、食事は凡斗町まで足を伸ばし、カウンターの居酒屋で湯豆腐と生麩なぞですませました。生麩料理は昨年金沢を旅行したときその美味しさにすっかり参って、京都との食べ比べをしたのですが、私は金沢に軍配をあげますね。

帰りにレジで会計をして財布を広げていたら、店の女の子が財布に挟んでいる定期券を見たらしい、「あら、東京から来られたのですか。寒いでしょう」なぞと声を掛けてくれました。ちょっとそのイントネーションが京都らしくって、嬉しい気分で大阪に戻りました。
2004/03/14のBlog
今、新撰組でブームの京都。でも寒かった!!!
先週、大阪への出張でぽっかり7日の日曜日が暇になりました。大阪は随分出張してますが、大阪城も通天閣もどこにあるのか未だに分からぬ状態で、一日どうしようかなと迷った挙句、「新撰組」でブームになっている京都へ行きました。新撰組の縁(えにし)の地はどうせ混んでいるだろうということで、これを避け金閣、銀閣という小学6年の卒業以来の京都見物でした。
ご存知の通り、当日は全国的な寒さ。案の定、京都に着いたら小雪がちらちら。金閣寺を出て、仁和寺への20分の山道は吹雪の中の行進となりました。
銀閣寺全景
修学旅行の印象では銀閣寺が断然でした。子供心にあの渋さはなんだろうと思ったものです。でも今回の訪問で金閣の評価が上がった。聞けば1990年に金箔を張り替えたと言うことで、その輝きは雪が止んで雲間から刺す力強い初春の太陽の光を浴びて本当に輝いていました。それに比べると銀閣はちと「わび」を通りこしてわびしくなってしまった。
それと銀閣はずっと銀箔を張ったものだと誤解していた。単純な木造だったんですね。修学旅行でも同じ間違いに気付いたと思うけど、イメージは固定されるものですね。
小雪が降る石庭
石庭ではちょうど雪が降っていました。2月に降雪がなかったのに3月に入ってこの雪とは。でも雪の降る石庭なぞ滅多に見られないと喜びました。然し、行ってみて雪のお陰で砂を掃いた文様がよく分からない。これはやはり夏とか秋の強い日差しの中で、細かい陰影を楽しんだほうがよろしいのかも。それと修学旅行の時は自分の身長が違うせいか、もっと大きな庭に見えた。砂の文様に動きを感じたのですが、今回は動きが感じられない。30分ばかり座ってみていたけど。年を取りすぎたかなー。ちょっと「感じない」自分が寂しい。
2004/03/12のBlog
スペインでのテロ。日本もそろそろと思うとちょっと不安。

昨日の書き込みをして何故か脈絡もなく「笑う」ということを考えてしまった。人間の感情表現にはその他に「怒る」「泣く」「嫉妬する」なんていうのがあるのかしら。嫉妬して笑うというのはないだろうけど、他の二つは「笑い」と結びつくんですよね。それと「呆れ」も笑いと結びつく。笑いでリラックスしたり、快感を覚えたりするのと「誤魔化す」というのもあるんでしょうね。「泣き笑い」というのは誤魔化しの権化じゃないですか。でもその状態って嫌だな。嫌だけどそうせざる得ないということじゃないかな。

最近のTVはバラエティばかり。もう直ぐ降板する久米宏さんのお陰でニュースまでバラエティになってしまった。そして関西系のお笑い。もう何が関西で関東(上方と江戸?)か若い人は分からないだろうな。だって江戸の笑いなんてTVに殆ど出てこない。落語で言うと、江戸の落語は伏線があって、それを組み立てて最後に笑いとか涙を誘う。関西は噺家が高座に上がると機関銃のように最初から笑いを取りに行く。江戸が徐々に頂点に持っていくのに対し、上方は最初から波状攻撃を仕掛けるという違いですかね。

客の違いもあるんですよね。関東は先ず雰囲気から、そして徐々に自分の感情を高めて最後にカタルシスを得る。関西は違うんでしょうね。「金はろうたんやからはよおもろくしてや!」てなもんで。最初jから笑わせないとものでも投げつけられる?
更に違いは時間の観念。江戸落語は最初から聴いていないと「おち」だけ聞いても面白くない。その点、上方はどこをとっても「おいしい」のかも知れない。もっとも、上方も古典はじっくり聞かせるのがちゃんとありますが、こういうのはなかなかTVでは聞かせてもらえない。だから同じか。漫才と落語を一緒にしちゃいけないのですが、忙しい現代人のリズムに関西お笑いはぴったりということではないでしょうか。

さて、自分の中にある笑いは「臍がお茶を沸かす」「腸が捩れる」笑い。こういう笑いが家庭にありました。当然高笑いの連続になるから外ではこういう状態にはなれません。大概が外で得た「ネタ」でかなり面白いものがあり、そこで堪えて自宅に持って帰って家族に話す。それまで、笑いたいのを堪えて、堪えて鬱積したのが一挙に爆発するから、そりゃ話した本人が途中から転げまわって笑い出す。それを見ている家族も人が笑いながら苦しんでいるのを見ると楽しいから爆笑の渦が出来る、という構図です。
我が家でもずっとそういう状態がありましたが、子供が20歳を超すと一家団欒の機会も少なくなり、転げまわり犬のようにはあはあいいながら苦しむことはなくなりました。

皆さんにこういう経験はありますか?

TVのバラエティで気になるのはアテレコの笑い声。確か、米国のメディアが開発した手法のようですが、あれ止めて欲しいですよね。つまらんものまで同じトーンの笑いを無邪気に流してる。鼻白むこと鼻白むこと。それにしても深夜番組に出てくる芸人の質の悪いこと。TV業界の知恵のなさを露呈している。それを決定的にしているのがアテレコ笑い。ADも自分でつまらん番組だと確信してるから「笑い屋」まで雇って笑いを流している。映画館で英語の映画を見ていて、突然数人の笑い声が聞こえてくる。暫くして字幕を見て納得。慌てて気付いた瞬間笑いを入れる、そんな自分を見ているようで嫌ですねー。無理やり笑うというのは。でも、映画の冗談を見て直ぐ反応して笑える人は語学の達人です。その国で生活していないとニュアンスは分からないもの。私も海外で暮らして、ビジネスはいいのですがパーティは苦手でした。冗談言われても分からないことが多いもの。恥ずかしいから周りが笑ってその後追従笑いというやつで辛いですね。

ここまで書いてふと思った。そうだ、最近はマイTVの時代。一人で部屋のTVを見ていて、それも深夜に大笑いするのも辛いな。それでそういう人が可哀想だからTVが仲間を作ってやっているという仮説。いやー、そこまでTV業界に優しい人間はいないだろう。さて、皆さんはどちらだと思いますか。
2004/03/10のBlog
先週末は大阪に出張していました。昨日、夕方新大阪駅で見たタブロイド版の日刊新聞のキャプションを見てびっくり。今世間を揺るがせている京都の養鶏場の経営者夫妻の自殺を報じるものでした。そのキャプションは「鳥インフルエンザ禍の元凶」となっていました。

驚きと同時にこのキャプションに怒りも感じました。確かに鳥が大量死したことの報告を怠ったことは、その重大性からして許されるものではありません。特に人の口に入り、安全性を最重視しなければいけない「業(なりわい)」に就かれている組織のトップとして報告義務を怠ったことは、その面で非難されてもしかたない事ではないかと思います。

然し、その責を死であがなった人たちに対して「元凶」というような言葉を送るのは如何なものでしょうか。死者に鞭打つというのに等しく、このキャプションを許した記者や編集長の判断は理解に苦しみます。また小見出しには「これで真相がうやむやに」と言った意味のキャッチが続いていました。これも、何かを守るために自らの口を封じたという意味に取れます。ですけど、夫妻が二人して決意したこと、この重要性はそれだけではない気がするし、更に違う理由があったのではと憶測されます。

勿論、結果として出てきた「報告義務違反」に対して法的解釈が加えられるのは仕方のないことですが、或る意味では彼等も自然の力に負けた被害者とも言えます。

昔、若かった頃所謂デベロッパーという事業に携わり、大規模なマンションを作って販売していた時代が私にありました。当時マンション不況と言われた時代で、500戸のうち、建物が完成しても150戸くらいしか入居していなかった。マンションの汚水の処理水を近くの河川に放流していたのですが、或るとき東京都から主担当者である私のところに電話があり、排水基準が東京都条例に違反した数値になっているとの指摘があった。早速マンションの処理場を管理会社の人間と一緒に調べたが、機械になんら異常がなく改善命令が出されても手が打てぬ状況が続きました。その間、誠意を以って役所には対応していたのですが、役所の若い担当は早く改善具体策を提出しろと言って聞かない。その間の彼の対応は私を犯罪者扱いでした。若かったせいもあり、又法律にも疎く、社会のために一生懸命やっている自分の仕事、その一部とは言え法令違反になっているという実感がなく、その担当者の私への対応は随分私を混乱させました。

最後には、汚泥槽というのですが、流れてきた汚水を貯める槽に管理会社の社長と一緒にアクアラングの装置をつけて一緒に潜ったりもしました。そこまでやらねば自分が救われないという気持ちです。そうこうしているうちに原因が分かりました。もともと500戸の人口の入居を想定した処理場に、150戸の入居しかなかった訳で、所定の設計値の汚水が処理場に流れていないため、栄養の足りないバクテリアが死んだというのが一つの解釈でした。となると、売れない限り法律違反は続く訳で、この解決策のない問題には本当に頭を抱えました。最後に、法律の趣旨は排水濃度の問題ということに気づき、域内から河川に排出する前に水で希釈して流すということで解決しましたが。結局、ある程度の入居率に達するまで、多大な時間と金銭を要求されました。
その時に法の持つ怖さと、仕事には色々なリスクがあるという事を知りましたね。

今回のこの事件でそんなことを思い出しました。普段、普通の市井の人が意図せずに犯罪者的に扱われる。特に売るためとは言え、過激な表現で大衆をミスリードする可能性のあるマスコミは、その扱いに慎重の上に慎重を期すべきと思う。
2004/03/02のBlog
表題の「Rolling 55」。昔、幼い頃(何時ごろか記憶がありません)、TVで「アンタッチャブル」というFBI創設のきっかけとなった時代のシリーズものがありました。その後、後継番組として出てきたのが確か「Rolling 20’s」という題名のTVシリーズです(30’sかも知れない)。内容は「アンタッチャブル」が偉大な番組でしたので、二番煎じという感じで覚えていません。
でも、記憶に残っているのは題名です。なかなかカッコいい。当時の記憶を手繰ると「激動の1920年代」という意味になろうかと思います。この語感が幼な心に染み付いています。

ふと振り返ると今自分は55歳。団塊の世代の中心とも言える年代です。つい最近は消費の動向が見えないこともあり、団塊世代の消費意欲を掻き立てるために、マスコミやら業界やら懸命によいしょをして頂いている感じがします。それもひと段落して、ちょっと寂しと思う今日この頃ではあります。
「転がる石は苔むさず」という諺がありますが、僕らは自分の意思に係らず転がされた、と考えるか、あるいは自ら常に転がっているんだと考えるか。

そう、微妙なお年頃ではあります。

私にとって、丁度5年ほど前に海外駐在中に同じ駐在員の若手から、「貴方の年代は全共闘時代と言われていると思うが、一体あれは何だったのですか」と素直に聞かれました。その時、実は返答が出来なかった。自分自身、「全共闘」という言葉は自分の中で死語になっていたから。
それがずーと心に残っている。そう思ったら、自分で整理出来ていない年代がもう一つあった。「バブル時代」です。

年代で言えば1970年と1990年、この20年違うそれぞれの年が僕らにとってどんな意味があるのか、或いはないのか。これを考えてみようと思うのがこの頁を始めるきっかけです。それで、題名を自分の年を採って「Rolling 55」としました。

因みに写真は昨年福井県の永平寺に行ったとき撮った地蔵様の写真です。素敵なお顔で思わすシャッターを切りました。私の顔ではありません。念のため。

先ずはこのBLOGのご紹介です。
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