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2004/06/14のBlog
[ 09:04 ]
今日、自分のホームページを久しぶりに見ていたらこんなアーティクルを書いていました。丁度1年前の今頃上梓したものなのです。中段の記事ですが、皆さん余りに今の出来事と似ているので驚かれるんじゃないかと思い、失礼ながらここに転載させて戴きます(自分のHPは非公開にしてますので)。
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今回、出張で大阪へ行ってきました。地下鉄「谷町線」の東梅田駅の傍のホテルに何気なく泊まりました(最近は、日本のホテル事情もかなり良くなったので、予約をしないでふらりと泊まるケースが増えました)。
夕食をとるため付近をふらふらしたのですが、直ぐそばに小さな神社が見えたのでそちらに入りましたら、丁度今月催される夏祭りの準備で小中学生でしょうか、子供たちが熱心に稽古をしている姿が目に入りました。指導者は30歳くらいの青年が一人いるだけで、後は子供たちが「ため口」一つ吐かず、熱心に同じ動作を繰り返す様を、そうですね、30分ぐらい見続けておりました。
そのうちに所謂「既視感覚」というのに襲われたのですが、そう、昔自分にもこんな姿があったのかなという思いです。でも、当時の自分たちよりずっと組織的な、もっと真剣なまなざしに惹かれるものがありました。
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今回、出張で大阪へ行ってきました。地下鉄「谷町線」の東梅田駅の傍のホテルに何気なく泊まりました(最近は、日本のホテル事情もかなり良くなったので、予約をしないでふらりと泊まるケースが増えました)。
夕食をとるため付近をふらふらしたのですが、直ぐそばに小さな神社が見えたのでそちらに入りましたら、丁度今月催される夏祭りの準備で小中学生でしょうか、子供たちが熱心に稽古をしている姿が目に入りました。指導者は30歳くらいの青年が一人いるだけで、後は子供たちが「ため口」一つ吐かず、熱心に同じ動作を繰り返す様を、そうですね、30分ぐらい見続けておりました。
そのうちに所謂「既視感覚」というのに襲われたのですが、そう、昔自分にもこんな姿があったのかなという思いです。でも、当時の自分たちよりずっと組織的な、もっと真剣なまなざしに惹かれるものがありました。
丁度、先週でしたか長崎で中学1年生の少年が小学生を駐車場の高層部から突き落とし、町の防犯カメラで姿が割り出されたという痛ましい事件がありましたが、熱心に祭りの準備をしている彼らと余りに違う姿に、ちょっと複雑な思いもしました。
マスコミは当然この話で持ちきりで、如何に手を下した少年の異常性を探すかにやっきになっているように思えます。それは、何らかの理由付けは必要なのでしょうが、今の段階から憶測半分で情報を流す姿勢に頷けるものは少ないと思います。
私が一番気に入らないのは、結構多数のマスコミで、彼が小学生の時に十数巻ある「三国志」を読了していたという点をかなり取り上げていることです。実は私も小学生の時には吉川英二さんの作品は三国志をはじめ宮本武蔵も全巻読んでおりましたが、三銃士も、エラリー・クイーンの推理小説全巻も読んでおりました。が、話題の中学生のような真似をしようと思ったことは一回もありません。小学6年の時に父親と本屋に行き、親父の一番感銘を受けた本はと聞いたらドフトエフスキーの「罪と罰」といわれ、早速それを買って帰りましたが、最初の1頁でギブアップしました。これは高校時代にふと思い出して読み返しましたが、その時は徹夜で読み終え、あの時読まなくて良かったと妙に納得した思い出があります。そう、三国志。三国志はその後も大好きなテーマの一つであり、日本語のものは大体読んでいると思います。今でもPCには「三国志」のゲーム・ソフトを常駐させています(「信長の野望」も当然好きです)。
長崎の事件の後、奥様に「似てるんじゃない?」と言われなんの事かと思った次第です。
でも、同じ年頃のお子さんを持つ親は不安でしょうね。まして、馬鹿な某大臣がその少年の両親を「市中引き回しの刑に処すべし」なぞと言ったり、一体この国の政治家は常識があるのかと惨憺たる気分になってしまいます。又、政治家も選挙民におもねるところがあるからこういう話をするのでしょうが政治家が選挙民を馬鹿にしているのか、それともその程度の選挙民なのか、はてどちらなんでしょう?
マスコミは当然この話で持ちきりで、如何に手を下した少年の異常性を探すかにやっきになっているように思えます。それは、何らかの理由付けは必要なのでしょうが、今の段階から憶測半分で情報を流す姿勢に頷けるものは少ないと思います。
私が一番気に入らないのは、結構多数のマスコミで、彼が小学生の時に十数巻ある「三国志」を読了していたという点をかなり取り上げていることです。実は私も小学生の時には吉川英二さんの作品は三国志をはじめ宮本武蔵も全巻読んでおりましたが、三銃士も、エラリー・クイーンの推理小説全巻も読んでおりました。が、話題の中学生のような真似をしようと思ったことは一回もありません。小学6年の時に父親と本屋に行き、親父の一番感銘を受けた本はと聞いたらドフトエフスキーの「罪と罰」といわれ、早速それを買って帰りましたが、最初の1頁でギブアップしました。これは高校時代にふと思い出して読み返しましたが、その時は徹夜で読み終え、あの時読まなくて良かったと妙に納得した思い出があります。そう、三国志。三国志はその後も大好きなテーマの一つであり、日本語のものは大体読んでいると思います。今でもPCには「三国志」のゲーム・ソフトを常駐させています(「信長の野望」も当然好きです)。
長崎の事件の後、奥様に「似てるんじゃない?」と言われなんの事かと思った次第です。
でも、同じ年頃のお子さんを持つ親は不安でしょうね。まして、馬鹿な某大臣がその少年の両親を「市中引き回しの刑に処すべし」なぞと言ったり、一体この国の政治家は常識があるのかと惨憺たる気分になってしまいます。又、政治家も選挙民におもねるところがあるからこういう話をするのでしょうが政治家が選挙民を馬鹿にしているのか、それともその程度の選挙民なのか、はてどちらなんでしょう?
そんな中で、今回祭りの練習に打ち込む子供たちの姿は、まさに一服の清涼剤になりました。恐らく彼らは晴れ舞台を経験してまたひとつ成長するのでしょうね。
因みのこの神社の名前は「お初天神(露天神社)」です。あの近松門左衛門の「曽根崎心中」で有名な神社であります。神社の正面の隣には「曽根崎2丁目交番」があり、周りは飲み屋街、かなり面白いところでありました。練習の笛や太鼓に誘われて勤め帰りの通勤者が足早に境内を覗いていきます。皆、「ああ、夏祭りの練習をしている。もう直ぐ夏祭りか」と呟く姿は「村、町」という共同体をなくした私には非常に新鮮に映りました。そう、共同体という社会の中で、子供たちが成長でき、その「証」を得られる場、社会に認められて成長していく場というのをもっと広げなければいけないかもしれません。そんなことを痛感した出張でした。
因みのこの神社の名前は「お初天神(露天神社)」です。あの近松門左衛門の「曽根崎心中」で有名な神社であります。神社の正面の隣には「曽根崎2丁目交番」があり、周りは飲み屋街、かなり面白いところでありました。練習の笛や太鼓に誘われて勤め帰りの通勤者が足早に境内を覗いていきます。皆、「ああ、夏祭りの練習をしている。もう直ぐ夏祭りか」と呟く姿は「村、町」という共同体をなくした私には非常に新鮮に映りました。そう、共同体という社会の中で、子供たちが成長でき、その「証」を得られる場、社会に認められて成長していく場というのをもっと広げなければいけないかもしれません。そんなことを痛感した出張でした。
[ 09:03 ]
昨日はお仕事で下町の方へ(茅場町)。お昼に食事に出かけたら御輿が路地裏で「せーや」「せーや」とやっていました。私の時代は掛け声は「わっしょい」「わっしょい」でしたが、最近は色々と違っているようです。
やはり、時代感覚というのが反映されているのでしょう。
祭りは夏と秋が定番で、近所の神社や寺にその季節になると毎週場所を変えてはしごをしたものです。今から考えると子供の行動範囲が相当広かったと思います。小学校時代が祭りを楽しんだピークかと思いますが、自宅から1時間以上歩いて方々の祭りを楽しんだものです。時にはハーメルンの笛吹きよろしく山車の後をついて行き、見知らぬ土地に行って、帰り道が分からず途方に暮れたり。
今では、祭りは「フェスタ」とか「イベント」とかカタカナに置き換わり、日本全国毎日お祭りと言っても過言ではなく、日常の中に組み込まれてしまいました。
勿論、「祭」そのものも本来は五穀豊穣を祈念した宗教(原始宗教)的なものであったはずでが、私の幼年期にはその意味合いを認めることは出来なくなっていました。夏祭りは田植えの前に無事稲が育ち、豊作になりますようにと。秋祭りは今年も一杯稲穂が実りましたと神に向けたものであったのでしょう。
では、何であれだけ「祭」を楽しみにしていたかというと、笛や太鼓のお囃子、普段は見られぬ「奉納神楽」、それより境内を埋め尽くした夜店の数々の賑々(にぎにぎ)しさ。同級生の浴衣姿の眩しさ、そんな非日常がまるで絵巻のように一挙に現出する、それに惹かれたんだろうと思います。
そういえば、寺とか神社というのは子供たちのコミュニティの場であった。子供にとって一番重要なのは学校で、その次が寺とか神社であったような気がする。表と裏との関係のようで。広い(今から見ると随分狭いのだけれど)境内で、行けば必ず誰か知り合いがいて、そこで他愛もない話をしたり遊んだり。年上の子、同学年の子、年下の子が境内の中でそれぞれのテリトリーを自然に守りながら飽きもせず遊んでいた。今では境内でたむろしているのは、ちょっと引いてしまうような、そういう雰囲気のある子供たちじゃないかしら。我家の息子達なぞは多分、地域の神社、寺なぞ生まれて一度も行っていないんじゃないか。
そうそう、子供心に地域の氏神さまの神社や寺には気楽に行けたけど、他所の地域のそれにはちょっと足を踏み入れるのは躊躇いがあった。やはり気楽には入れない、「村社会」的な何かがあったんだろうと思う。逆に自分の場所には、やはり気安い、そこに入れば安心という「結界」に似た何かを無意識に感じていたんじゃないか。
コミュニティの場が本質的に変わってしまった感じがする。
いまや、自分もこのBlogというコミュニティの中にいるのだが、隔世の感がするといったら大げさだろうか。そしてトラック・バックとか「なになに企画」という祭りが時々出現する。更には「なになに倶楽部」を作ったりと、コミュニティが大きくなるとやはりそこにテリトリー(村)をつくろうとするのは実社会と同じか。
更なる「安らぎ」を求める所為かしら。人と人の連帯を強めるある種の「装置」なんだろうなと思う。
やはり、時代感覚というのが反映されているのでしょう。
祭りは夏と秋が定番で、近所の神社や寺にその季節になると毎週場所を変えてはしごをしたものです。今から考えると子供の行動範囲が相当広かったと思います。小学校時代が祭りを楽しんだピークかと思いますが、自宅から1時間以上歩いて方々の祭りを楽しんだものです。時にはハーメルンの笛吹きよろしく山車の後をついて行き、見知らぬ土地に行って、帰り道が分からず途方に暮れたり。
今では、祭りは「フェスタ」とか「イベント」とかカタカナに置き換わり、日本全国毎日お祭りと言っても過言ではなく、日常の中に組み込まれてしまいました。
勿論、「祭」そのものも本来は五穀豊穣を祈念した宗教(原始宗教)的なものであったはずでが、私の幼年期にはその意味合いを認めることは出来なくなっていました。夏祭りは田植えの前に無事稲が育ち、豊作になりますようにと。秋祭りは今年も一杯稲穂が実りましたと神に向けたものであったのでしょう。
では、何であれだけ「祭」を楽しみにしていたかというと、笛や太鼓のお囃子、普段は見られぬ「奉納神楽」、それより境内を埋め尽くした夜店の数々の賑々(にぎにぎ)しさ。同級生の浴衣姿の眩しさ、そんな非日常がまるで絵巻のように一挙に現出する、それに惹かれたんだろうと思います。
そういえば、寺とか神社というのは子供たちのコミュニティの場であった。子供にとって一番重要なのは学校で、その次が寺とか神社であったような気がする。表と裏との関係のようで。広い(今から見ると随分狭いのだけれど)境内で、行けば必ず誰か知り合いがいて、そこで他愛もない話をしたり遊んだり。年上の子、同学年の子、年下の子が境内の中でそれぞれのテリトリーを自然に守りながら飽きもせず遊んでいた。今では境内でたむろしているのは、ちょっと引いてしまうような、そういう雰囲気のある子供たちじゃないかしら。我家の息子達なぞは多分、地域の神社、寺なぞ生まれて一度も行っていないんじゃないか。
そうそう、子供心に地域の氏神さまの神社や寺には気楽に行けたけど、他所の地域のそれにはちょっと足を踏み入れるのは躊躇いがあった。やはり気楽には入れない、「村社会」的な何かがあったんだろうと思う。逆に自分の場所には、やはり気安い、そこに入れば安心という「結界」に似た何かを無意識に感じていたんじゃないか。
コミュニティの場が本質的に変わってしまった感じがする。
いまや、自分もこのBlogというコミュニティの中にいるのだが、隔世の感がするといったら大げさだろうか。そしてトラック・バックとか「なになに企画」という祭りが時々出現する。更には「なになに倶楽部」を作ったりと、コミュニティが大きくなるとやはりそこにテリトリー(村)をつくろうとするのは実社会と同じか。
更なる「安らぎ」を求める所為かしら。人と人の連帯を強めるある種の「装置」なんだろうなと思う。
2004/06/13のBlog
[関連したBlog]Cliffordさんの「カリフォルニアロールに見る米国食事情」にトッラク・バック
「カリフォルニアロール」を初めて見たのは20年以上前かしら。ロスのニューオータニのすし屋(当時はホテルのすし屋にしては安かった)で。アメリカ人らしき人間(海外に行くと何人という言い方が非常に難しい。日本と違い「外人」とは言えないし)がこれをぱくついているのを見て、非常に怪訝な思いがしたものです。
だってアボガドも魚ほどじゃないけどちょっと生臭いでしょう。それにすし屋で魚ネタ以外のものは、「だしまき(玉)」位でそれ以外は外道という気持ちが日本人にはあるじゃないですか。
でも、勧められて食べて。「?」でした。決してまずくはないですね。それ以来、海外に出て、時としてマグロが無性に食べたくなる、そんな時にはアボガドを買ってきて、刺身のように切り、チューブのわさびを沢山ひねり出し、醤油をたっぷり漬けて温かいご飯と一緒に食べる。結構これがいけちゃう。
そう思うとアメリカ人もなかなか粋なことをするじゃんとなるわけです。
食ってそういうものだなーと最近実感してます。その土地の気候風土に合わせ、輸入された文化を新しいものに置き換えていく。本来、それは日本人の特許だと思っていたけど、決してそうではないですね。
例えばパリに行ったとする。私はフランス料理はあまり好きじゃないので、もっぱら場末の中華料理屋とかベトナム料理とかアフリカ料理屋に行くのが好き。これが驚きなのです。中華とかその他の料理も全て顔かたちはそうなんですが、味が別物。それぞれのオリジナルな味を保って、立派なフランス料理になっているんです。これも立派な新しい文化ですよね。
さて、問題の「海苔」です。海苔を使っているのは私の経験でいうと韓国が一般的だと思いますが。でも、韓国の海苔巻きも内側にのりを巻いているのが多かった記憶があります。のりを外に巻く様になったのは最近じゃないかな(思い違いがあるかも知れません)。中国はどうかというと、海苔巻きは見たことがないですね。大体彼らの食生活は冷や飯を食べない習慣ですので、それが影響してるかもしれません。
因みに中国でも寿司、刺身は大人気。ここ5~6年のことです。例のチューブ入りのわさび、それも業務用のばかでかいものを中国のお友達に土産で持っていくと非常に喜ばれます。韓国の方もそうですが、わさびをばかって沢山口に入れて、凄いうれしそうな顔を見るのは微笑ましいですね。
昔、家族で中東に居た時、インターナショナル・スクールに通っていた子供たちの為にホームパーティをよくやりました。日本文化を伝えたいと、色々食材のないところで工夫して日本料理を作って、友達の子供達に食べさせるのですが、殆ど平らげてくれるのですが、この海苔巻きだけは誰も見た瞬間凍ってましたね。
もう、こうなるとこちらも意地で、その子たちの親を家に呼んで同じものを食べさせる(こういう活動に外務省から表彰状をもらいたいくらい)。大人だから最初の一口位はちょこっと手をつけるんだけど、後は駄目でしたね。それ以上やると訴えられそうなのでやめましたが。
口々に「きも~い」とか「きたな~い」とか言うんです。おにぎりなんか見せると逃げていくのがいたり。子供って正直だから、わざと目の前でばりばり海苔を食べてあげたりして。因みに子供達の国籍は、アメリカ、イエメン、モロッコ、エジプト、イギリス、オランダ等々雑多でありましたが。
やはりこれだけは市民権を得るまで相当時間が掛かるでしょうね。
醤油がアメリカの市民権を得るまでにかなりの時間を要したようです。この物語はいままで様々な形で広く伝えられていますが、今では世界の殆どの国で作られ、売られているんじゃないでしょうか。
味を知る、ということはその国の文化を知ることだと思います。もっとも私は相当大きくなるまで、スパゲッティはナポリタンしかないと思っていましたが。ナポリに行ってナポリタンが食べたいと思ったら、そんなものメニューになかった。すごいがっかりしましたが。でも、うにスパがあったのには驚いたですね。
最近、なじみの蕎麦屋で蕎麦を食べていましたら、外人さんが一人で入ってきて綺麗な日本語で「もりそばをお願いします」なんて言っている。興味を持って眺めていたら、箸を器用に使ってそばをちょこ口の出汁につけて上手に食べている。続けて次の日もまた違う外人さんがもりそばを、やはり上手に食べているのを見て、はー蕎麦もついにグローバルになったとびっくりしました。流石に二人とも「ずるずる」という音はたてていませんでしたね。
今度お会いしたら絶対にすし屋に連れて行って手巻きでもご馳走してやろうかなと思ったりします。ついでに音を立てて蕎麦を食べる練習もさせちゃおうかな。。。
「カリフォルニアロール」を初めて見たのは20年以上前かしら。ロスのニューオータニのすし屋(当時はホテルのすし屋にしては安かった)で。アメリカ人らしき人間(海外に行くと何人という言い方が非常に難しい。日本と違い「外人」とは言えないし)がこれをぱくついているのを見て、非常に怪訝な思いがしたものです。
だってアボガドも魚ほどじゃないけどちょっと生臭いでしょう。それにすし屋で魚ネタ以外のものは、「だしまき(玉)」位でそれ以外は外道という気持ちが日本人にはあるじゃないですか。
でも、勧められて食べて。「?」でした。決してまずくはないですね。それ以来、海外に出て、時としてマグロが無性に食べたくなる、そんな時にはアボガドを買ってきて、刺身のように切り、チューブのわさびを沢山ひねり出し、醤油をたっぷり漬けて温かいご飯と一緒に食べる。結構これがいけちゃう。
そう思うとアメリカ人もなかなか粋なことをするじゃんとなるわけです。
食ってそういうものだなーと最近実感してます。その土地の気候風土に合わせ、輸入された文化を新しいものに置き換えていく。本来、それは日本人の特許だと思っていたけど、決してそうではないですね。
例えばパリに行ったとする。私はフランス料理はあまり好きじゃないので、もっぱら場末の中華料理屋とかベトナム料理とかアフリカ料理屋に行くのが好き。これが驚きなのです。中華とかその他の料理も全て顔かたちはそうなんですが、味が別物。それぞれのオリジナルな味を保って、立派なフランス料理になっているんです。これも立派な新しい文化ですよね。
さて、問題の「海苔」です。海苔を使っているのは私の経験でいうと韓国が一般的だと思いますが。でも、韓国の海苔巻きも内側にのりを巻いているのが多かった記憶があります。のりを外に巻く様になったのは最近じゃないかな(思い違いがあるかも知れません)。中国はどうかというと、海苔巻きは見たことがないですね。大体彼らの食生活は冷や飯を食べない習慣ですので、それが影響してるかもしれません。
因みに中国でも寿司、刺身は大人気。ここ5~6年のことです。例のチューブ入りのわさび、それも業務用のばかでかいものを中国のお友達に土産で持っていくと非常に喜ばれます。韓国の方もそうですが、わさびをばかって沢山口に入れて、凄いうれしそうな顔を見るのは微笑ましいですね。
昔、家族で中東に居た時、インターナショナル・スクールに通っていた子供たちの為にホームパーティをよくやりました。日本文化を伝えたいと、色々食材のないところで工夫して日本料理を作って、友達の子供達に食べさせるのですが、殆ど平らげてくれるのですが、この海苔巻きだけは誰も見た瞬間凍ってましたね。
もう、こうなるとこちらも意地で、その子たちの親を家に呼んで同じものを食べさせる(こういう活動に外務省から表彰状をもらいたいくらい)。大人だから最初の一口位はちょこっと手をつけるんだけど、後は駄目でしたね。それ以上やると訴えられそうなのでやめましたが。
口々に「きも~い」とか「きたな~い」とか言うんです。おにぎりなんか見せると逃げていくのがいたり。子供って正直だから、わざと目の前でばりばり海苔を食べてあげたりして。因みに子供達の国籍は、アメリカ、イエメン、モロッコ、エジプト、イギリス、オランダ等々雑多でありましたが。
やはりこれだけは市民権を得るまで相当時間が掛かるでしょうね。
醤油がアメリカの市民権を得るまでにかなりの時間を要したようです。この物語はいままで様々な形で広く伝えられていますが、今では世界の殆どの国で作られ、売られているんじゃないでしょうか。
味を知る、ということはその国の文化を知ることだと思います。もっとも私は相当大きくなるまで、スパゲッティはナポリタンしかないと思っていましたが。ナポリに行ってナポリタンが食べたいと思ったら、そんなものメニューになかった。すごいがっかりしましたが。でも、うにスパがあったのには驚いたですね。
最近、なじみの蕎麦屋で蕎麦を食べていましたら、外人さんが一人で入ってきて綺麗な日本語で「もりそばをお願いします」なんて言っている。興味を持って眺めていたら、箸を器用に使ってそばをちょこ口の出汁につけて上手に食べている。続けて次の日もまた違う外人さんがもりそばを、やはり上手に食べているのを見て、はー蕎麦もついにグローバルになったとびっくりしました。流石に二人とも「ずるずる」という音はたてていませんでしたね。
今度お会いしたら絶対にすし屋に連れて行って手巻きでもご馳走してやろうかなと思ったりします。ついでに音を立てて蕎麦を食べる練習もさせちゃおうかな。。。
[ 15:44 ]
[ 00:25 ]
nanaさんは素敵な写真とセンスある目で選んだ短歌を、その折々の気持ちを籠め写真をつけ心温まるコメントを書かれています。また、アーヴインさんは ご自身を毎日褒めるという清々しいBlogを作られています。今月の写真は秀逸です。
私は日々平々凡々と駄文を垂れ流していますが、ここで一念発起。やれば出来るの精神で(自爆精神ともいわれるかもしれません)、歌をものにして尚且つそれを自分で褒めてしまおうと言う両氏の良いとこ取りを敢行するという愚挙に出たわけであります。
さて、季(とき)は六月、六月といえばアジサイ、これを御題にして、では、みなさま、まいりますぞ。
「海越えし きみを偲びつ あじさいの 雨だれ集め 色はうつろい 」
(知~多べラージ 作)
<この歌の解説>
いやあ、実にいい歌ですね。。知~多さんの最初にして最後の最高傑作だとおもわれます。
まさに演歌、艶歌、怨歌ですね。この歌を見た時わたしぞぞーってしました。
アジサイの色は最初は白、黄色、ピンク、青、紫と一雨ごとにその姿を変えていきます。少し前ですと「女心と秋の空」という言葉がありましたが、いまや「女心と梅雨の空」で、一年中うつろいやすい性となってしまいました。更に、最近では「おんな」は「おとこ」に読み替えるべきという声がおおきくなってきています。そうすると全人類、みなうつろっちゃうのかなと心配してます。
海外に出た貴女(きみ)を思い焦がれ、ずっとわたしは便りをまっているのですが、なしの礫。ふと雨上がりのアジサイに目を転じると白と思っていたガクがいつの間にか見事な群青色に変わった。ああ、きみもきっと向こうでいい男(女)を見つけて私のことはもうわすれてしまったのね。心臓も青くなりガクガクです。これが遠距離恋愛のさだめなのね。よよよと泣き崩れる男心(女心)を見事にアジサイに託して歌ってらっしゃいます。
私は自分でこれを作って、思わず胸が締め付けられ涙を枕にまるで五月雨の如くながしたものです。朝起きて、まさかこの歳でおねしょではないだろうなと一応うたぐってみましたが。寝相はいいほうなので、まさか天地がひっくり返るような大移動はしていないはず。
青春とは苦い、苦い思い出の塊ではあります。青春出発進行ー中!?
はいBelage風に戻りました。
(nanaさん、アーヴインさん、こんな利用をして申し訳ありません)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(大部訂正:アーヴィンさんの名前を間違えておりました。あってはならぬこと本当に申し訳ありません。また粗忽長屋を一軒増設しました。)
私は日々平々凡々と駄文を垂れ流していますが、ここで一念発起。やれば出来るの精神で(自爆精神ともいわれるかもしれません)、歌をものにして尚且つそれを自分で褒めてしまおうと言う両氏の良いとこ取りを敢行するという愚挙に出たわけであります。
さて、季(とき)は六月、六月といえばアジサイ、これを御題にして、では、みなさま、まいりますぞ。
「海越えし きみを偲びつ あじさいの 雨だれ集め 色はうつろい 」
(知~多べラージ 作)
<この歌の解説>
いやあ、実にいい歌ですね。。知~多さんの最初にして最後の最高傑作だとおもわれます。
まさに演歌、艶歌、怨歌ですね。この歌を見た時わたしぞぞーってしました。
アジサイの色は最初は白、黄色、ピンク、青、紫と一雨ごとにその姿を変えていきます。少し前ですと「女心と秋の空」という言葉がありましたが、いまや「女心と梅雨の空」で、一年中うつろいやすい性となってしまいました。更に、最近では「おんな」は「おとこ」に読み替えるべきという声がおおきくなってきています。そうすると全人類、みなうつろっちゃうのかなと心配してます。
海外に出た貴女(きみ)を思い焦がれ、ずっとわたしは便りをまっているのですが、なしの礫。ふと雨上がりのアジサイに目を転じると白と思っていたガクがいつの間にか見事な群青色に変わった。ああ、きみもきっと向こうでいい男(女)を見つけて私のことはもうわすれてしまったのね。心臓も青くなりガクガクです。これが遠距離恋愛のさだめなのね。よよよと泣き崩れる男心(女心)を見事にアジサイに託して歌ってらっしゃいます。
私は自分でこれを作って、思わず胸が締め付けられ涙を枕にまるで五月雨の如くながしたものです。朝起きて、まさかこの歳でおねしょではないだろうなと一応うたぐってみましたが。寝相はいいほうなので、まさか天地がひっくり返るような大移動はしていないはず。
青春とは苦い、苦い思い出の塊ではあります。青春出発進行ー中!?
はいBelage風に戻りました。
(nanaさん、アーヴインさん、こんな利用をして申し訳ありません)
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(大部訂正:アーヴィンさんの名前を間違えておりました。あってはならぬこと本当に申し訳ありません。また粗忽長屋を一軒増設しました。)
2004/06/12のBlog
[ 14:28 ]
このところ大声で笑ったり、大声上げて泣いたりと五感をフル稼働したという記憶がありません。TVを見てるとアテレコで私より先にTVの向こうから品のないオヤジやらオバチャンがげろげろ笑ってくれるものだから、なんかこちらが笑う気勢を殺がれたりして。
(ここらについては私のこちらをご参照ください)
てなことで、皆様から落語の「そこつ長屋」に入居される方を募集します。私はこの間、このBlogで、下書き保存を間違えて公開したり、公開せにゃならぬものを下書きにしていたり、ともかく粗忽者(おっちょこちょいとも言います)。そんなアホさを徹底的に笑って戴こうと思った次第です。前回も書きましたが「心の筋肉を鍛える」ためにも。
もし、私に負けず劣らず私もそうだ、積極的に人様に笑っていただきたいという方、是非こぞってTBしてくださいませませ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ご入居の皆様のご紹介です」
●rintarouさん 「飛べる可能性についての一考察」
こちらは何故か沢山の県人会がお集まりになっていらっしゃるようです。結構さびの効いた内容のエッセイが中心です。今回は「パンツ」じゃなくて「靴下」が御題でございます。
●けいさん「あおのしずく」
こちらのBlogはけいさんとかっちゃんさんのDuoで運営されています。似ているようで似ていないお二人の日常が清々しく活写されています。今回は「帽子」が御題で、私の帽子の似合う女に弱いという点を鋭く突かれました。
●Belage「Rolling 55」
(ここらについては私のこちらをご参照ください)
てなことで、皆様から落語の「そこつ長屋」に入居される方を募集します。私はこの間、このBlogで、下書き保存を間違えて公開したり、公開せにゃならぬものを下書きにしていたり、ともかく粗忽者(おっちょこちょいとも言います)。そんなアホさを徹底的に笑って戴こうと思った次第です。前回も書きましたが「心の筋肉を鍛える」ためにも。
もし、私に負けず劣らず私もそうだ、積極的に人様に笑っていただきたいという方、是非こぞってTBしてくださいませませ。
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「ご入居の皆様のご紹介です」
●rintarouさん 「飛べる可能性についての一考察」
こちらは何故か沢山の県人会がお集まりになっていらっしゃるようです。結構さびの効いた内容のエッセイが中心です。今回は「パンツ」じゃなくて「靴下」が御題でございます。
●けいさん「あおのしずく」
こちらのBlogはけいさんとかっちゃんさんのDuoで運営されています。似ているようで似ていないお二人の日常が清々しく活写されています。今回は「帽子」が御題で、私の帽子の似合う女に弱いという点を鋭く突かれました。
●Belage「Rolling 55」
[ 06:58 ]
今週は朝から夜遅くまでまでお客様とのワークショップ。昼休みもなしで、皆様のところへのご訪問もままならずという状態が続いており、申し訳ございません。
そんな中、ふと気がつきましたらなんと5000ヒットを越せさせて戴いてるじゃありませんか。
あんれまあ、定期預金もこんな風に増えていただければ安らかな余生を過ごせるのですが。。。
まあ、なんと皆様に失礼な独り言。お許し下さい。
これも偏に皆様の愛情と情熱のお蔭でございます。厚く御礼申し上げます。今後も粗忽者ではございますが、なにとぞ可愛がってやって下さいませ。
Belage 拝
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こりもせず、記念に作ってしまいました。本日のBlogのキャッチコピーです。そう見えるかもしれませんが、決して短歌ではありませんので。キャッチですよ。
この評は皆様にお願い致しましょう。
「梅雨」と「Doblog」の調和と融合を考えてみました。
誘われて フラメンコよりも ドブロック 雨音肴に ドブロク重ね
そんな中、ふと気がつきましたらなんと5000ヒットを越せさせて戴いてるじゃありませんか。
あんれまあ、定期預金もこんな風に増えていただければ安らかな余生を過ごせるのですが。。。
まあ、なんと皆様に失礼な独り言。お許し下さい。
これも偏に皆様の愛情と情熱のお蔭でございます。厚く御礼申し上げます。今後も粗忽者ではございますが、なにとぞ可愛がってやって下さいませ。
Belage 拝
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こりもせず、記念に作ってしまいました。本日のBlogのキャッチコピーです。そう見えるかもしれませんが、決して短歌ではありませんので。キャッチですよ。
この評は皆様にお願い致しましょう。
「梅雨」と「Doblog」の調和と融合を考えてみました。
誘われて フラメンコよりも ドブロック 雨音肴に ドブロク重ね
2004/06/11のBlog
[ 23:17 ]
小椋佳さんの「六月の雨」
という歌がある
「六月の雨には 六月の花咲く」
という出だしだったか。
やはり
六月の花の代表は
アジサイですか
日本のアジサイは
江戸時代までは殆どが山アジサイだったと
聞いたが
現代では都会で見るものは変種、外来種という
桜も江戸時代までは山桜(八重)が花見の対象
時代の心もうつろう筈
という歌がある
「六月の雨には 六月の花咲く」
という出だしだったか。
やはり
六月の花の代表は
アジサイですか
日本のアジサイは
江戸時代までは殆どが山アジサイだったと
聞いたが
現代では都会で見るものは変種、外来種という
桜も江戸時代までは山桜(八重)が花見の対象
時代の心もうつろう筈
2004/06/10のBlog
[ 07:51 ]
ひょえー、今日もむしむし。お暑つうございます。
これから暫くはこういう季節が、いやいやそんな甘いもんじゃございませんよ、不快指数120%の世界が待っているわけでございます。
このところ大声で笑ったり、大声上げて泣いたりと五感をフル稼働したという記憶がありません。TVを見てるとアテレコで私より先にTVの向こうから品のないオヤジやらオバチャンがげろげろ笑ってくれるものだから、なんかこちらが笑う気勢を殺がれたりして。
(ここらについては私のこちらをご参照ください)
てなことで、皆様から落語の「そこつ長屋」に入居される方を募集します。私はこの間、このBlogで、下書き保存を間違えて公開したり、公開せにゃならぬものを下書きにしていたり、ともかく粗忽者(おっちょこちょいとも言います)。そんなアホさを徹底的に笑って戴こうと思った次第です。前回も書きましたが「心の筋肉を鍛える」ためにも。
もし、私に負けず劣らず私もそうだ、積極的に人様に笑っていただきたいという方、是非こぞってTBしてくださいませませ。
そんでは、私のおろかさからどうぞ。。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は目が悪い。
と人様にいえるほど悪くはない。左が0.8、右が0.6くらいでしょうか。近視で、実は乱視がひどいのです(誰ですか、淫乱視なんて与太とばしてるのは)。それと最近は残念ながら老眼。この(近視+老眼)x乱視=というのは始末に負えない。眼鏡を掛けても、外してもどこにも焦点が合わないという大変不便な生活を送っています。でも美人は直ぐ見えるんですね、不思議です。
そんな訳で眼鏡はずっとお世話になっているわけです。でも、ここだけの話、身体的弱点を晒すのですが、鼻が典型的な日本人であるが故に、どうしても重たい眼鏡ですと直ぐずりおちちゃうのですね。ジョン・レノンのように立派な鼻なら途中で眼鏡が下がっても様になるのでしょうが、私のようなものですと眼鏡が一挙に口にぶら下がる状態というのはとても人様の前には出られません。
という訳で軽い眼鏡が必要になるのです。それでプラスティック・レンズが出た時は、これだと早速購入。又視野を広げるためにちょっと大きめなフレームのものを買いました。
これは快適でしたね。軽いので眼鏡がずり下がらないし、鼻に掛かる負担が少ない。大体眼鏡を掛けている感じがしない。フレームが大きいから、今まで首を振って視野を広げていたのですが、その必要もない。いいことづくめであります。
さて、私は酒を飲むとそのままリビングのソファーで一晩明かしてしまうという習性があり、或る日もそのまま寝入ってしまいました。
朝、「早くおきなさいっ、遅刻するわよ!」という奥様の怒りの声に起こされ、慌てて飛び起きます。あんれ、もう時間がない。直ぐ身づくろい。Y-シャツを着て、スーツを着て、財布と定期と家の鍵をポッケにいれ、あれ、その時眼鏡がないのに気付きました。早く顔を洗わにゃいかん。リビングの周り、昨日は行っていないのだが寝室のベッドの周り、未だ行っていない洗面所の周りを相当探しました。
キッチンにいる奥様も呼び出して、一緒に探させるのですが、彼女一向に協力する様子がない。今日の朝はちょっと重要な会議があり、遅刻するとまずい。私も彼女の非協力的な態度にちょっとお冠り。のほほんとしている彼女の姿にむかっ腹が立ってきた。
「そりゃ、なくした俺が悪いよ」
「でも、もう少し真剣に探してくれたっていいじゃないかっ」
と彼女の正面に回ってちょっと怒気を含んだ声で言ってしまった(言ってからちょっと後悔したが、後の祭り)。彼女怒るかなと思ったら、怒ってる、怒ってる、こわー。
奥様はつかつかと私の前に歩み寄ってきます。そしてまるで、私にキスする近さまで歩み寄って(お前よせよ、俺は急いでいるんだ、それと朝からなんだ、はしたない。。。)、ジャッキーチェンのあの仕草で、指を目の前で振って言うんです。
「また、朝から冗談を言っているのかと思ったら、私も忙しいんだから!あんた頭大丈夫!ずっと冗談言ってるのかとおもったらー」
(おお、言うじゃん、まずい本気で怒ってる)
「あのねー、あなたの鼻にちょこんと乗っているこれはなんなのよ!!!」
「???。。。。。。。。」
えー、私はこれに懲りず、先日は眼鏡をかけたまま、顔を洗ってしまいました。最近の眼鏡は軽くて、明るくて、本当に掛けてる感じがしないですよねっ、皆さん。
これから暫くはこういう季節が、いやいやそんな甘いもんじゃございませんよ、不快指数120%の世界が待っているわけでございます。
このところ大声で笑ったり、大声上げて泣いたりと五感をフル稼働したという記憶がありません。TVを見てるとアテレコで私より先にTVの向こうから品のないオヤジやらオバチャンがげろげろ笑ってくれるものだから、なんかこちらが笑う気勢を殺がれたりして。
(ここらについては私のこちらをご参照ください)
てなことで、皆様から落語の「そこつ長屋」に入居される方を募集します。私はこの間、このBlogで、下書き保存を間違えて公開したり、公開せにゃならぬものを下書きにしていたり、ともかく粗忽者(おっちょこちょいとも言います)。そんなアホさを徹底的に笑って戴こうと思った次第です。前回も書きましたが「心の筋肉を鍛える」ためにも。
もし、私に負けず劣らず私もそうだ、積極的に人様に笑っていただきたいという方、是非こぞってTBしてくださいませませ。
そんでは、私のおろかさからどうぞ。。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は目が悪い。
と人様にいえるほど悪くはない。左が0.8、右が0.6くらいでしょうか。近視で、実は乱視がひどいのです(誰ですか、淫乱視なんて与太とばしてるのは)。それと最近は残念ながら老眼。この(近視+老眼)x乱視=というのは始末に負えない。眼鏡を掛けても、外してもどこにも焦点が合わないという大変不便な生活を送っています。でも美人は直ぐ見えるんですね、不思議です。
そんな訳で眼鏡はずっとお世話になっているわけです。でも、ここだけの話、身体的弱点を晒すのですが、鼻が典型的な日本人であるが故に、どうしても重たい眼鏡ですと直ぐずりおちちゃうのですね。ジョン・レノンのように立派な鼻なら途中で眼鏡が下がっても様になるのでしょうが、私のようなものですと眼鏡が一挙に口にぶら下がる状態というのはとても人様の前には出られません。
という訳で軽い眼鏡が必要になるのです。それでプラスティック・レンズが出た時は、これだと早速購入。又視野を広げるためにちょっと大きめなフレームのものを買いました。
これは快適でしたね。軽いので眼鏡がずり下がらないし、鼻に掛かる負担が少ない。大体眼鏡を掛けている感じがしない。フレームが大きいから、今まで首を振って視野を広げていたのですが、その必要もない。いいことづくめであります。
さて、私は酒を飲むとそのままリビングのソファーで一晩明かしてしまうという習性があり、或る日もそのまま寝入ってしまいました。
朝、「早くおきなさいっ、遅刻するわよ!」という奥様の怒りの声に起こされ、慌てて飛び起きます。あんれ、もう時間がない。直ぐ身づくろい。Y-シャツを着て、スーツを着て、財布と定期と家の鍵をポッケにいれ、あれ、その時眼鏡がないのに気付きました。早く顔を洗わにゃいかん。リビングの周り、昨日は行っていないのだが寝室のベッドの周り、未だ行っていない洗面所の周りを相当探しました。
キッチンにいる奥様も呼び出して、一緒に探させるのですが、彼女一向に協力する様子がない。今日の朝はちょっと重要な会議があり、遅刻するとまずい。私も彼女の非協力的な態度にちょっとお冠り。のほほんとしている彼女の姿にむかっ腹が立ってきた。
「そりゃ、なくした俺が悪いよ」
「でも、もう少し真剣に探してくれたっていいじゃないかっ」
と彼女の正面に回ってちょっと怒気を含んだ声で言ってしまった(言ってからちょっと後悔したが、後の祭り)。彼女怒るかなと思ったら、怒ってる、怒ってる、こわー。
奥様はつかつかと私の前に歩み寄ってきます。そしてまるで、私にキスする近さまで歩み寄って(お前よせよ、俺は急いでいるんだ、それと朝からなんだ、はしたない。。。)、ジャッキーチェンのあの仕草で、指を目の前で振って言うんです。
「また、朝から冗談を言っているのかと思ったら、私も忙しいんだから!あんた頭大丈夫!ずっと冗談言ってるのかとおもったらー」
(おお、言うじゃん、まずい本気で怒ってる)
「あのねー、あなたの鼻にちょこんと乗っているこれはなんなのよ!!!」
「???。。。。。。。。」
えー、私はこれに懲りず、先日は眼鏡をかけたまま、顔を洗ってしまいました。最近の眼鏡は軽くて、明るくて、本当に掛けてる感じがしないですよねっ、皆さん。
[ 07:50 ]
2004/06/09のBlog
[ 12:11 ]
2004/06/08のBlog
[ 12:13 ]
[ 08:51 ]
昨日の日経新聞夕刊4版「人間発見」という囲み欄があります。そこに載ったディスクジョッキーの小林克也さんのインタビュー記事に触れ、全くこれだ!と思わずひざを叩いてしまいました。
小林さんといえばディスクジョッキーの草分けとして良く知られており、私も青春時代は彼の案内に乗り、様々な音楽を聴いたものです。兎も角、流暢な英語、子供心にこれだけ喋れる人なら、きっと海外留学経験者或いは二世ではないかと思っておりました。
この記事によれば彼の海外経験は日野皓正さんの通訳で19日間ニューヨークで過ごしたのが後にも先にも最長不倒距離というんです。まったくびっくりです。
そして最近の小学校から英語を、という風潮について二つ条件を出されています。ひとつはその時間に日本語を使わないこと、ふたつ目はテストをしないことと彼は言います。幼稚園児の登校拒否がないのはテストがないからじゃないかと。
これは真理でしょうね。確かに自分の経験でも幼稚園は楽しかったですね。お勉強の時間はあれなりにあったけど、テストなんて確かになかった。ん~ん、考えさせられますね。
続けて彼は言います。英語は道具でしょう。英語がうまくなることを最終目標にするのではなく、それを使って自分の好きな仕事や趣味に取り組むことを考えて欲しいと。その過程で「心の筋肉を鍛えてほしい」と。
更に「心の筋肉を鍛えると」いままで「事実と評価」でしか判断しなかった日本人の傾向が、対象物に対して「あなたがどう思うか」即ち自分がどう思うかというように変わる、日本の社会自体が変わると付言されています。
なかなか素敵な言葉ですね。「心の筋肉を鍛える」
確かに私の場合も、中学時代はじめて英語に触れた時、発音をクラスメートに馬鹿にされそれ以来英語嫌いになりました。やっと大学に入って、好きな学科を勉強しようとその時に原書を読んだことが英語に慣れるようになったきっかけでした。小林さんが言うとおり、英語を道具として認識した時初めて対等になった感じがしたものです。
しかし、そうですよね。もし、小学校で英語を教えるとしたら6年間一切テストをしないというドラスティックな教育方針を持つと面白いでしょうね。きっと皆上達しますよ。
我愚息が、海外でインターナショナル・スクールに行っておりましたが、その英語の授業は面白かったですね。歌を歌ったり、年に一度の発表会に向けお芝居の稽古だったり、詩の朗読だったりで、子供は結構楽しげにやっておりました。1年を過ぎたら私より発音なんかは上手になりました。その発表会で、小学1年の下の息子が全校生と父兄の前で詩の朗読をして、ご褒美の金賞のリボンをセンセイにつけてもらったのを見て、思わす目頭が熱くなりました。
その彼も2年の海外生活から日本に戻ったら完璧に全てを忘れてしまったのは返す返すも残念ではありましたが。
しかし、「心の筋肉」かー。私も鍛えねば。
とっても素敵な記事でしたので、ご紹介しました。
(小林さん、勝手に要約して正確に「こころ」が伝わっていないかも知れません。平にご容赦を)
小林さんといえばディスクジョッキーの草分けとして良く知られており、私も青春時代は彼の案内に乗り、様々な音楽を聴いたものです。兎も角、流暢な英語、子供心にこれだけ喋れる人なら、きっと海外留学経験者或いは二世ではないかと思っておりました。
この記事によれば彼の海外経験は日野皓正さんの通訳で19日間ニューヨークで過ごしたのが後にも先にも最長不倒距離というんです。まったくびっくりです。
そして最近の小学校から英語を、という風潮について二つ条件を出されています。ひとつはその時間に日本語を使わないこと、ふたつ目はテストをしないことと彼は言います。幼稚園児の登校拒否がないのはテストがないからじゃないかと。
これは真理でしょうね。確かに自分の経験でも幼稚園は楽しかったですね。お勉強の時間はあれなりにあったけど、テストなんて確かになかった。ん~ん、考えさせられますね。
続けて彼は言います。英語は道具でしょう。英語がうまくなることを最終目標にするのではなく、それを使って自分の好きな仕事や趣味に取り組むことを考えて欲しいと。その過程で「心の筋肉を鍛えてほしい」と。
更に「心の筋肉を鍛えると」いままで「事実と評価」でしか判断しなかった日本人の傾向が、対象物に対して「あなたがどう思うか」即ち自分がどう思うかというように変わる、日本の社会自体が変わると付言されています。
なかなか素敵な言葉ですね。「心の筋肉を鍛える」
確かに私の場合も、中学時代はじめて英語に触れた時、発音をクラスメートに馬鹿にされそれ以来英語嫌いになりました。やっと大学に入って、好きな学科を勉強しようとその時に原書を読んだことが英語に慣れるようになったきっかけでした。小林さんが言うとおり、英語を道具として認識した時初めて対等になった感じがしたものです。
しかし、そうですよね。もし、小学校で英語を教えるとしたら6年間一切テストをしないというドラスティックな教育方針を持つと面白いでしょうね。きっと皆上達しますよ。
我愚息が、海外でインターナショナル・スクールに行っておりましたが、その英語の授業は面白かったですね。歌を歌ったり、年に一度の発表会に向けお芝居の稽古だったり、詩の朗読だったりで、子供は結構楽しげにやっておりました。1年を過ぎたら私より発音なんかは上手になりました。その発表会で、小学1年の下の息子が全校生と父兄の前で詩の朗読をして、ご褒美の金賞のリボンをセンセイにつけてもらったのを見て、思わす目頭が熱くなりました。
その彼も2年の海外生活から日本に戻ったら完璧に全てを忘れてしまったのは返す返すも残念ではありましたが。
しかし、「心の筋肉」かー。私も鍛えねば。
とっても素敵な記事でしたので、ご紹介しました。
(小林さん、勝手に要約して正確に「こころ」が伝わっていないかも知れません。平にご容赦を)
2004/06/07のBlog
[ 11:27 ]
携帯電話にカメラ機能がつき、その画質も飛躍的に進歩した。このBlogにも数多くの携帯写真家(もうそういうジャンルすら出来ているのではと思うくらい)の撮る、デジカメに勝るとも劣らない力作を見るようになった。もともとDoblogの写真容量はこの携帯の写真に合せているのではと思うくらいはまっている(私なぞはもうすこし重い容量の写真を貼り付けられたらといつも思うのだが、常に縮小・圧縮しているのは辛い)。
私がデジカメを持ち歩いたのはシャープのPDAの原型みたいなお弁当箱に付属した30万画素のもの。これを持って海外で写真を撮っていたら人だかりが出来たのがほんの10年前くらいだから、随分この世界の進歩は著しい。
さて、携帯電話だがいまや第3世代から第4世代のあり方が模索されている。考えられている機能の中で、電車の定期機能、財布機能とか家の鍵機能とか先般TVで紹介されていた。TV、ラジオがついたものは今年中に発売になるらしい。
しかし、TV,ラジオにしても情報という機能で、通信という概念からは外れてしまう。まして定期、財布、家の鍵なんていうと一体既存の電話会社にとってその付加価値をつけたとたん、自らの存在理由を希薄にするとも言える諸刃の剣に違いない。
更に、その付加価値が内在するリスク(情報操作、機密漏洩)という問題をどう解決するかという大問題がある。ひとつの携帯という端末にあなたの全てを託すことができますかという命題をこれから消費者も問われることになる。
思えば、昔パチンコのプリペイド・カードという当時の先端技術があった。これの最大の目的はパチンコ業界の税務申告を適正化するという大義名分であり、まさしくそれは成功した。業界の売上はコンピューターにより逐一正確に把握されたが、これを推進した企業は或る日、偽のカードの乱発により大変な大混乱に陥り、先駆的役割りを果たした企業は巨額の欠損を抱え撤退した。それを推進したのが日本の巨大企業であったため、社会的混乱にまでは至らなかったが。
今、携帯で種々の機能を開発しているのはそれに比すと所謂ベンチャー的企業が多いように見受けられる。当たれば、それこそ世界的に業界をリードする企業に変わる可能性を持っているが、それに付随するリスクを負担し切れるであろうか。又、世界的競争に晒されている通信業界でも、本当にそのリスクを負担しきれるかはなはだ疑問の余地はある。ここまで個人の情報を凝縮すると、その抱えるリスクは膨大なものになるであろう。パチンコのプリペイド・カードが生じた損害と、携帯所有者の財産の総和は遥かに比べ物にならない量の問題を抱えている。
この点ではコンサバティブな私にとって、携帯が多くの機能を持つことに全く興味がない。余りに多い機能を使いこなせないという背景があるのだが。それ以上に新たな問題が派生しないかとそれを危惧する今日この頃ではある。
私がデジカメを持ち歩いたのはシャープのPDAの原型みたいなお弁当箱に付属した30万画素のもの。これを持って海外で写真を撮っていたら人だかりが出来たのがほんの10年前くらいだから、随分この世界の進歩は著しい。
さて、携帯電話だがいまや第3世代から第4世代のあり方が模索されている。考えられている機能の中で、電車の定期機能、財布機能とか家の鍵機能とか先般TVで紹介されていた。TV、ラジオがついたものは今年中に発売になるらしい。
しかし、TV,ラジオにしても情報という機能で、通信という概念からは外れてしまう。まして定期、財布、家の鍵なんていうと一体既存の電話会社にとってその付加価値をつけたとたん、自らの存在理由を希薄にするとも言える諸刃の剣に違いない。
更に、その付加価値が内在するリスク(情報操作、機密漏洩)という問題をどう解決するかという大問題がある。ひとつの携帯という端末にあなたの全てを託すことができますかという命題をこれから消費者も問われることになる。
思えば、昔パチンコのプリペイド・カードという当時の先端技術があった。これの最大の目的はパチンコ業界の税務申告を適正化するという大義名分であり、まさしくそれは成功した。業界の売上はコンピューターにより逐一正確に把握されたが、これを推進した企業は或る日、偽のカードの乱発により大変な大混乱に陥り、先駆的役割りを果たした企業は巨額の欠損を抱え撤退した。それを推進したのが日本の巨大企業であったため、社会的混乱にまでは至らなかったが。
今、携帯で種々の機能を開発しているのはそれに比すと所謂ベンチャー的企業が多いように見受けられる。当たれば、それこそ世界的に業界をリードする企業に変わる可能性を持っているが、それに付随するリスクを負担し切れるであろうか。又、世界的競争に晒されている通信業界でも、本当にそのリスクを負担しきれるかはなはだ疑問の余地はある。ここまで個人の情報を凝縮すると、その抱えるリスクは膨大なものになるであろう。パチンコのプリペイド・カードが生じた損害と、携帯所有者の財産の総和は遥かに比べ物にならない量の問題を抱えている。
この点ではコンサバティブな私にとって、携帯が多くの機能を持つことに全く興味がない。余りに多い機能を使いこなせないという背景があるのだが。それ以上に新たな問題が派生しないかとそれを危惧する今日この頃ではある。
[ 08:14 ]