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2006/07/30のBlog
[ 10:21 ]
[ 本文以外、その他 ]
序章 ( 1 2)
01_市民ブロガーが市民ジャーナリストに…。( 1 2 3 4 5 6 7 8 )
02_バッシングされる市民 ( 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 )
03_市民参加型ジャーナリズムの誕生 ( 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 )
04_市民参加型ジャーナリズムの揺らぎ ( 1 2 3 4 5 6 7 8 9 )
05_自分たちのメディアをめざす市民記者たち ( 1 2 3 4 5 6 7 8 )
06_日本でも、市民参加型ジャーナリズムは成立する。( 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 )
07_市民参加型ジャーナリズムを成立させるもの。( 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
14 15 )
08_コミュニケーション時代の終焉 ※リンクは次エントリー
01_市民ブロガーが市民ジャーナリストに…。( 1 2 3 4 5 6 7 8 )
02_バッシングされる市民 ( 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 )
03_市民参加型ジャーナリズムの誕生 ( 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 )
04_市民参加型ジャーナリズムの揺らぎ ( 1 2 3 4 5 6 7 8 9 )
05_自分たちのメディアをめざす市民記者たち ( 1 2 3 4 5 6 7 8 )
06_日本でも、市民参加型ジャーナリズムは成立する。( 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 )
07_市民参加型ジャーナリズムを成立させるもの。( 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
14 15 )
08_コミュニケーション時代の終焉 ※リンクは次エントリー
2006/07/24のBlog
[ 20:12 ]
2006/07/12のBlog
[ 10:37 ]
一神教的二元論では線分しかできない。多神教の多元論の世界では、個が三つあれば三角形ができる。個が4つあれば四角形だ。そして、そのような確かな個が無数に増えていけば、限りなく丸に近づいていく。
インターネットによってそのような、まあるい世界が出来上がっていくのが私の望みである。
ただ、いまはまだ個の数が少ないので、私の言説はとてもとがって見える。だが、インターネットで、個が安心して発言できる環境が用意されていけば、私の言説など取るに足らない鈍角の一つになってみえるようになるだろう。
私はそういう時代を思ってやまない。
〔了〕350枚程度
[ 10:36 ]
さまざまな要素が複雑に絡まりあうそのような時代において、何か一番信頼できるかというかといえば、個の視点。何物にも左右されない消費者の視点ということになるだろう。
つまり、人はプロフェショナルになることによって、当事者になっいてしまい、独立した判断を下すことができなくなる。飛行機事故がおきる度に、飛行機オタクでしかない航空評論家たちの言説がマスコミを横溢する。それはそれで仕方のないことだけれど、それでいいのだろうか。
あるべきは、プロフェッショナルである個が、自らの社会的立場とは独立したフェイズで存在することを可能にすること。そして、その立場で社会に対してコメントすることを可能にすればいい。そういう人間を微分するとでもいうようなことができれば、もっとクールな社会でできあがると思うのだ。
そのようにして社会のあらゆるフェイズで、プロフェッショナルたちが、それぞれのユーザー視点でコメントを発するようになる。生産者、行政、法律、学者、それらのプロフェッショナルな鑑識眼がユーザーの立場で発言をはじめたら、世の中はパラダイムシフトとでもいえるような大転換時代を迎えるのではないだろうか。
だが、いまは、個は実名という首輪によって、鎖に縛られたままなのである。
そして、そういう鎖から個を開放する役目が期待できるのが、インターネットであり、そのための手段が、本著で紹介した個人情報エージェントであり、保険制度なのだ。
2006/07/10のBlog
いま企業がブログを商品プロモーションに活用するムーブメントが起きている。それは、商品流通にもコミュニケーションであり、コミュニケーションのまわりにコミュニティーがあることに企業たちが気づいた結果ともいえる。
だが、そうは言っても、不満分子の株主の意見や商品に不満を持った消費者の意見は、そのコミュニティーの中で流通することはない。
私は、そこが一番問題なのであって、そこにこそ、ネットが個を抹殺する。社会が個を抹殺する、その実体があると感じている。
見過ごすと大変なことになるのは、不満を持った株主や商品やサービスに不満を持った消費者たちも、確実にコミュニティーの構成員だということ。これを見過ごせば第二、第三の雪印が登場することになる。
コミュニティーというのは、何らかのアイランド現象を引き起こすのは無理からぬこと。だが、それを見逃して放っておくと、そのいきつく先は、独善と停滞でしかない。そして、そういう状況を切り開いていこうという意志を、経営者の側は持ち合わせていないことはおろか、最初から異分子の排除からはじまっているのでは話にならない。
結果、企業ブログでは、くさいものには蓋的な論理が幅をきかせて、アイランド化をすすめる。意見を封じられた個の側もそれこそ腐ってしまって、口を閉じるか、暴発するほかない。
商品をめぐるコミュニティーが、異分子や不満分子を内包しながら漸進的に進歩していくことが叶わないならば、革命がないと世の中が進んでいかないような近代に逆戻りだ。
精度の高い情報革新技術は、米粒程度の不満分子とて、見逃さないようになり、コミュニティーの純化はすすんでいくだろうから、早いうちに手を打たないととんでもないことになる。
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