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幻想の市民参加型ジャーナリズム
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2006/05/19のBlog
当日の講師は、先のパブリックジャーナリスト宣言を出したP氏である。(実名は、探せばすぐに分かるが、直接引用されることで、いらぬ摩擦が起きることを避けるためパブリックジャーナリスト氏という意味もこめてP氏とする)
P氏は、アメリカの通信社で活動をした後、東京大学の大学院で新聞学に関わっているそうだ。
もうひとりの講師は、ライブドアニュースセンターのセンター長であるS氏。
 ライブドアニュースのトップは、通信社の写真部デスクをつとめあげたS氏で、そのもとで、ニュースセンター長補佐の肩書きを持つP氏が市民記者メディアを担当しているようだ。P氏は、大学との関係もきれていないようだから、ライブドアの社員でないのかもしれない。

 講義ではまず、新潟中越地震のときに市民ブログ「たむぎやま日日新聞」が、被災した十日町新聞に代わって、地域紙としての役割を果たしたことを紹介した。
 つづいて、パブリックジャーナリストの定義やシステムに関する説明がつづく…。
 人に何かを学ぶことから離れている私にとって、一日をかけての講義は苦痛だった。隣の席には体育大学の講師という青年が坐っていたが、彼を相手にノートに講師の論理に突っ込みを入れて溜飲を下げていた。
 そのときのノートを見ると、私が一番に感じた疑問が書いてあった。

パブリック・ジャーナリズムというが、パブリックとは、パブの…、という意味だろう。それを日本語では公のと翻訳するのかもしれないが、所詮イギリスのパブのということだ。つまり、パブで繰り広げられたのは市民ではなく、パブに行くだけの余剰資金を持ち、生活時間にも余裕のあった都市市民の…、という意味しかもたない。

その意味では、ライブドアが提供するパブリック・ジャーナリズムにおけるパブリックという概念も、8000円を払う経済力があった人たちのという意味しかもたぬのではないか。
 すべての市民を記者にするという志があってこそ、パブリックのタイトルを冠する資格があるのだろうが、果たしてこのメディアにパブリックを名乗る資格があるのか…。
 もうひとつの疑問は、ジャーナリズムについてである。

 市民とは自らを語るものであって、他者を語る市民がいるとしたら、それは不誠実である。と。もし、市民が他者を語るとしても、それは他者の悲しみさえも、自分の悲しみとする市民の心根の暖かさゆえのもの。
 取材対象との独立などという禁欲主義で市民たちが世の中を語るようになれば、たとえ市民たちが中立を意図して行ったとしても、それは読者にとっては傲慢に感じられるだろう。


 大学で新聞学を学んできた講師の論点は、私のそうした思いとはまったくかみ合わない。彼が主眼たる論点は、権力の検閲機関としての機能がジャーナリズムに期待されているが、それが果たされていないことだった。彼は、14世紀のグーテンベルグの活版印刷の発明からジャーナリズムと言論、そして、新聞、報道に関する変遷をかいつまんで紹介していった。
 そして、ジャーナリストの目的や行動原則、追うべき責任、守るべき規律を紹介することで結論づけた。
 その日に私が印象付けられたものは、ジャーナリストにはいかなるものからも独立することが重要であること(不偏不党の原則)。そして、どんな場合でも真実であらねばならぬということ(事実性の原則)。もちろん、独立性の保持は難しく、記者であることは否応もなくひとつの立場であるのだから、究極の意味では客観報道はありえないとの補足も加えていた。
2006/05/18のBlog

3月とはいえ、薄ら寒い朝だった。六本木ヒルズのビルは入館手続きが厄介である。入館ゲートに程近い喫茶店の前に立っていると、私と同じく研修目的に集まったであろう人たちとであった。
その感想は、その直後にアップされた私の最初の市民記者としての記事で今も読むことができる。 ( http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1020849/detail )
 その中で、今も色あせず、そのときの私の気持ちを語っているのは次の一節である。

「インターネットの未来を構築したい人間と、今の従来のメディアの腐敗を許せなくなった人が手を組む。それがとりあえず2005年3月のパブリック・ジャーナリズムということなのだと思うのです」

 そして、最後を次のように締めくくっている。

「問題はビジネスとして成立するかではない。いかに個として21世紀に生き、社会とどう関わっていくかだ。21世紀は傍観者であることを許さない。そういう厳しい時代がやってきているのだと思う」

 そう書いたのには事情がある。研修時の質疑応答では、記事に関する責任の一切をライブドアは保障しないし、記事に対する報酬も、ライブドアマネーで支払われる。ページビューが伸びたとしても、その金額は1000円以下。これでは、セミプロのライターたちが市民記者として記事をアップするはずもない。そのことを知った多くの参加者は落胆の色を隠さなかった。そして、ライブドアが提示したジャーナリスト規約の同意書にもサインをせず、会場を去っていった。
2006/05/14のBlog
03_市民参加型ジャーナリズムの誕生

 私は、ブロードバンド元年の2000年から週刊アスキーを読んでいる。インターネットを扱った週刊誌に週刊アスキーがある。私がその雑誌をはじめて読んだのは、ストリーミング番組「インターネットウォッチプラス」のディレクターをしていた頃だ。インターネットウォッチはインプレスTVというサイトで発信されていた。勿論、その仕事は麹町のインプレスのビルで行われていた。インプレスでは、インターネットマガジンという月刊誌を発行していたが、通信技術に詳しくない私にとっては敷居が高かったので、エンターテイメント性を加味した週刊アスキーは、わたしのインターネットへの扉をひらく入門書として機能していた。
 その雑誌に歌田明弘氏が連載する仮想報道というコラムがある。(彼は現在、そのコラムを歌田明弘の『地球村の事件簿』というブログに採録している。 http://blog.a-utada.com/chikyu/ )
 2005年ライブドアのニッポン放送株大量取得騒動のまっ最中、彼はひとつのサイトを話題にした。それは、2月7日にライブドアPJニュース上に発せられた文章だった。もちろん、それは、ライブドアのメディア戦略の一環として市民参加型ジャーナリズムがあるという指摘である。
 当時、ホリエモンは、メディアに対して挑発的な発言を繰り返していた。
 ニュースなんて買えばいいし、市民から安く集めればいい。そして、アクセス数によって記事の人気ランキングで、メディアにニュースを並べることがいいと主張する。
 新聞出身のテレビコメンテータたちは、それでは調査報道は成り立たない。と反論する。
 その流れの中で、オウム報道で有名になったジャーナリストの江川紹子さんが、前年末にホリエモンにインタビューした感想を自らのホームページにアップしていた。 
http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html
 そのあたりの事情はガ島通信(2005.02.23付)でも、うかがうことができる。( http://blog.livedoor.jp/zentoku2246/archives/14914413.html )
パブリックジャーナリスト宣言。
 ( http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__976981/detail )
いまでもその文章を検索できるが、その小項目を拾ってみる。
 ・市民参加型ジャーナリズムの出現
 ・『マスコミ』というジャーナリズム界の異質者
 ・「プレスの自由はパブリックのもの」
 ・パブリック・ジャーナリズムというレコンキスタ
 ・パブリック・ジャーナリスト宣言
 当時も、そして今も、私はジャーナリストというものにある種の胡散臭さを感じている。その直接の原因は、インプレスTVでの出来事である。企業の新製品発表会やイベントに記者と同時取材をすることが多々あった。映像ではすべてを語ることは難しい場合が多かったし、その映像を受けてスタジオでフォローするのでは臨場感に欠ける。そこで、私は記者たちにカメラの前に立って、自分の感想を述べて欲しいと依頼した。
 だが、そのほとんどは拒絶された。私は、その理由を、取材対象への意見を明確にしないことが客観報道であり、職業モラルに反することという意識が働いていたのではないかと推察する。まぁ、現場で取材協力を拒否されたディレクターの私怨といってしまえばそれまでだが…。
 とはいえ、今話題のライブドアである。研修費用の8000円はちと辛いが、回転ドアが男の子を死亡させた六本木ヒルズもまだ見ていない。社会科見学と考えればけっして高価ではない。ライブドアという旬の企業と知り合いになれば、インプレスTVのときのような仕事の発注が舞い込むかもしれない。その営業経費とも捉えることもできる。
 私は、ライブドアに8000円を振り込み、パブリック・ジャーナリスト研修に参加した。
2006/05/13のBlog
その結果に行ったのは、個人ブログにおける関連記事の削除。プロフィールの削除。ホームページ上のアドレスの変更。掲示板の閉鎖。等々である。勿論、そういう作業を行っても、検索エンジンにキャッシュは残るから、不毛な作業でもある。そして、何よりも私専用のデータベースが、私の知らないところにに完成しているのだから意味がないのかもしれない。
 ただ、その行動には明確な意味づけがあった。どんなに批判や抽象が起きようと、メディアの信頼性がなければ、その言説は評価されないということ。つまり、噂の真相を飾った記事が4大新聞の紙面を飾ることはないし、そういうところの発言を引用することは、その引用者の信用も汚すということ。その文脈で、私がブログの中で意見を述べた対象の人たちが批判を浴びることを阻止したかったのだ。偉そうにいえば、罪を憎んで人を憎まずということか。なかなかそういうことの実践は難しいし、私のそういう微妙なニュアンスが伝わっていなかったのがすべての原因でもあるのだが…。

 あれから1年近く経ったいるが、いまだに我が家は襲撃されていない。もちろん、インターネット上の私に関する記載もその多くが残っているし、ある意味状況は変わっていないのかもしれない。だが、今になって考えれば、何万という記事の多さに比べれば、書いた人間の数は比べるほどでもない程少ないと理解できる。どんなにヒートアップしたといっても、所詮インターネット上のバーチャルなできごとであると、気を静めることもできる。
 だが、その一方で、当時も、そして今でも、インターネットに犯行予告があることは珍しいことではない。そう気を引き締めて日々を暮らすべきなのだろう。
2006/05/12のBlog

「いやぁ、たいへんなんですよ…」
 自分のさまざまな思いをのせて短いセリフをはいたつもりだったが、その通りに伝わったのだろうか。とりあえず、自分のうろたえを隠すのが大人の態度でしょ。との思いから、私も苦笑いで返した。そして、深刻な悩みについて、打ち明けていった。
 彼は、プログラミングの仕事の合間に、スポンタで検索をかけ、いくつかの2ちゃんねるのスレッドを斜め読みしただけのようだった。
「何で、あんなに叩かれているんですか?」
 彼は叩かれている事実は把握しているが、叩かれている原因については分かっていないようだ。
 その仔細を説明するには、500を上まわる私のブログの記事を読んでもらわなければならないし、それそれ口頭では伝わらない内容だからブログで書き始めたのだ。私は口を濁すしかなかった。
「別に2ちゃんねると言っても悪い奴らじゃないし、きちんと説明をすれば納得してもらえることもある。私はそういう事例を見てきましたから」
 私はさまざまな経緯から、2ちゃんねるで発言することは火に油を注ぐことにしかならないと確信していた。ほとんど無名の私が同業と言うのもはばかられるが、シナリオライターの野沢尚氏がインターネットでの議論により精神的にまいってしまい将来を嘱望されながらも自殺してしまったことも記憶に新しい。
「降臨というんですよ」
 私はコアな2ちゃんねる愛好家ではないから、2ちゃんねるについての質問を彼に浴びせた。そもそも、2ちゃんねるブラウザーというのも分からない。モリタポというのもどういうことなのか。私は、「逝ってよろしい」「お前もな」という屈折したダンディズムに共感していたが、それは文学としての文脈であって、情報工学的にはほとんど無知だった。
 それにそのとき、そして今でも、ほんとうのところを言えば、私は私に対する罵詈雑言のすべてを把握している訳ではない。あくまでも妻からの間接的なものであり、彼女なりのやさしさと冷たさのフィルターが加味されたものだった。その意味では私は当事者でありながらも、当事者である資格を持っていなかった。そして、私のことを心配そうにしてくれた彼の同僚である女性プログラマーに私の妻の相談に乗ってくれることをお願いして、事務所を去った。
 女性プログラマーは親身になって、妻の話を聞いてくれ、相談に乗ってくれた。