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幻想の市民参加型ジャーナリズム
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2006/06/16のBlog

05_自分たちのメディアをめざす市民記者たち

05_01【巧妙な嘘よりも、下手な真実を選べ】

 私の尊敬してやまない映画監督にロベール・ブレッソンがいる。彼は言う。
「演技とは大いなる嘘である。ならば、わたしは下手な真実を選ぶ」。
 彼は素人俳優しか使わなかった。
 彼はドミニク・サンダを自分の映画に起用したが、その時の彼女はファッションモデルであって、演技には素人の十代の女の子だった。
 歌手であり俳優しても知られるシャルル・アズナブール氏は、「なんとしてもあなたの演出を受けてみたい」と彼に言った。だが、ベテラン俳優だった彼の名前が、ブレッソンの映画のクレジットを飾ることはなかった。
 ブレッソンは、プロフェッショナルになってしまうと、何物かが失われると感じていたのだろう。
 確証はないが、大量の素人俳優を起用した「影武者」の黒澤明監督は、ブレッソンの影響を受けていると、私は考えている。
 そして、同じことが市民参加型ジャーナリズムについても言えると思う。
 市民記者になることは、市民が市民であることをやめて、ジャーナリストになることではない。市民が市民のまま筆をとり、自分や自分のまわりの情報を発信することに意義があるのだ。わたしは、そのことを花屋が花屋のまま、花屋の現実を語るのが市民ジャーナリズムであると表現した。その耽溺が鼻についた同僚の市民記者は、花屋を魚屋に言い換えた。私もその意見に激しく同意する。

 さて、私も含めて、すべての市民記者は、事実誤認は勿論のこと、誤植や語句の使い方について破綻のない文章をめざしている。しかし、個人の限られたリソースでは、文章力のなさや、調査不足で、アップした記事に疵があることは避けられない。ひとつ言い訳が許されるなら、記事の新鮮さはニュースバリューのひとつでもある…。
 私はかなり経ってから、同じく市民メディア・インターネット新聞のJANJANに登録、記事をアップしたことがあるのだが、そこでの編集部とのやりとりとはかなりの差がある。JANJANに記事を登録すると、担当編集者の名入りで、記事に関するチェック済み原稿がやってくる。
 事実に関する確認は勿論だが、文章そのもののチェックは推敲に近い。そして、その推敲の理由まで担当編集者が言及してくれるので、とても勉強になる。私はそのようなメイルを送ってくる担当者の国語力・分析力を尊敬するとともに、編集部と市民記者の間に、よい記事をつくっていこうという一体感・連帯感が生まれるのを感じた。
 とはいえ、勉強になるなどとは公言してはいけない。担当編集者に稚拙な文章でお手をわずらわせたことを詫びなければならないのが、私の立場だ。
 一方のライブドアといえば、一端投稿してしまったら、市民記者は蚊帳の外。来るのは、記事の間違いに対する読者たちからのクレームばかり、そして、味方だと思っていたニュースセンターからのお叱りだ。

 堀江氏が逮捕され社長を解任された今にして思えば、彼がインタビューでメディアを語り、市民参加型ジャーナリズムについて過激な発言を繰り返したのも、自社の株価をあげることだけが目的だったとの解釈も成立する。
 市民参加型ジャーナリズムという今までにないメディアをスタートさせると発表することで、その日の自社株が少しでも値を上げればよかったので、それ以外はどうでもよかったのかもしれない。
 勿論、資本主義における経営者の本質はそんなものなのだが、それを補佐する役員たちもホリエモンと思いを同じくしていたのだろう。
 結果、こっちの水は甘いぞとばかりに、六本木の高層オフィスに集まった若者たちに人生を貫くような哲学はなく、事業は実体をともなわないまますすめられていく。買った株は売り抜けてしまえばそれでいい。そういう思想が現場にも滲んでいたのだろうから、市民参加型ジャーナリズムの運営をつかさどるニュースセンターのリソースが決定的に不足していたとしても、なんら不思議ではない。

 不足したリソースを埋めるために市民記者たちができるのは、自分たちの文章作成能力を高めるための自主運営の塾であり、もうひとつは、記事管理システムの市民記者へのオープン化を前提とした自主編集システムの構築だ。
2006/06/11のBlog

 私よりもいくぶん年下の女性ではあるが、高校時代から文章を発表し、編集者としても豊富な経験が彼女にはあった。そして、私よりインターネットに詳しかった。
 私はシナリオライターとして原稿も書くし、ディレクターとして映像もつくる。だが、私がそれらの現場で培ってきた職業感覚と、彼女のそれは明確に違っていた。
 私は、倉本聰や橋田須賀子ではないから、自分のシナリオを一字一句変えてもらっちゃあ困るというような了見はない。 さらにいえば、シナリオは所詮机の上の論理であり、それが俳優という肉体を得て変容する。その変化がおもしろいのだし、楽しみたいと思っている。
 それは、シナリオの不備で現場の人たちに迷惑をかけたくないという、無名の私にとっては今後の仕事の発注にも関わる重要な問題も含んでいる。
 だから、ライブドアの編集部に原稿を直されても、文句をつけられようと平気の平でいられる。
 ディレクターをやっていれば、役者から文句を言われることもあるし、プロデューサーから無茶な要求をされることもある。集団作業とはそんなもんだと思っているし、逆に、自分から出て行ってしまった言葉たちを直すのなら、自分のいないところで勝手にやって欲しいという無責任な輩だ。

 だが、彼女は違う。自分でも文章をしたためるし、他人の文章を構成することもある彼女には、ライブドアPJニュースセンターの杜撰な作業が許せないのである。
 
 彼女の専門分野は演劇や舞踏だった。
 終わってしまった過去を自分勝手に表現する私の記事と違って、彼女の手がけるのは、未来のできごとだ。だから、記事のつまらない数字の間違いであってもあっても、観客に無駄足を食らわせたり、主宰者に迷惑をかけることになる。
 そういう職業柄の責任感を持つ彼女は、最終的な校正を終えた原稿を見ることができないのでは関係者に対する責任がまっとうできないし、リンクが確実に機能しているかを市民記者が確認できない。このシステムを早急に改善すべき。そう考えた彼女は、ニュースセンターに出向き、問題の解消を訴えた。
 それでも尚、記事のすべての責任を持つのが市民記者だとするならば、誰も市民記者として記事をあげなくても当然。
 ライブドアPJニュースの惨状をみて、日本に市民参加型ジャーナリズムが成立しないと考えるのは、早計なのだ。
2006/06/10のBlog

 P氏はかなりの時間、ある女性市民記者につかまっていた。そして、ようやく懇親会も中締めになろうとしたとき、彼女はP氏を背後におさえながら、当日の参加者に向けて力説した。
 曰く、ライブドアPJは、メインストリームから拒絶されていた赤瀬川原平を見出した読売アンデパンダン展のようなものをめざせ。と。
 私は、その考えに納得ができなかったので、彼女の言葉をさえぎった。すると、彼女は最後まで話を聞かないのは非礼であると指摘したので、私はしばらく待つことにした。
 彼女の論理をささえる感情は何なのか。きっと何物かへの劣等感なのだろうが、そのときの私には理解できなかった。とはいえ、彼女の高説は基本的な間違い。というか、私の考えと大きく隔たっていたので指摘しないではいられなかった。

 私の主張を端的にいえば、「市民参加型ジャーナリズムは、四流ジャーナリズムではない」ということになる。
 つまり、三流にもなれなかった人たちの受け皿として、市民参加型ジャーナリズムが存在するのではないこと。
 プロとアマチュアという違いはあるが、そこに優劣はない。プロスポーツや将棋の世界では、プロとアマチュアの実力の差は歴然だが、それが一般的なことでもない。たとえば、音楽の演奏家などでは如実だ。プロの技量を超えるアマチュアの存在など枚挙に暇がない。
 もし、市民参加型ジャーナリズムが四流と捉えられたらどういうことになるのだろう。四流ならば、三流、二流、一流と、トップを目指していくことになる。だが、そんな既存のジャーナリズムのお尻を追っかけることに何の意味もない。

 P氏は一貫して、権力の検閲機関としてジャーナリズムは期待されているのに、既存のジャーナリズムのほとんどは堕落してしまっいる。だから、その補完的なものをパブリックジャーナリズムで成し遂げるのだ。というようなことを述べている。
 だが、私はその考えには否定的だ。だったら、一緒にやらなきゃいいじゃないかとの声も聞こえてくるが、同床異夢は世の習いである。
 私の考えは、カウンターカルチャーじゃしょうがないでしょってこと。あるべきはサブカルチャーでしょ…。
 メインのカルチャーがないと、カウンターカルチャーは存在しない。ならば、そのメディアが存在根拠は脆弱だ。
 一方、サブカルチャーは、メインがどうなろうとも独立して存在する。だから、時代が変遷すれば、サブカルチャーが注目され、表舞台に登場することも無きにしもあらず。電車男でブレイクしたアキバ系文化はそういうことだ。
 一方のカウンターカルチャーはどうか。こちらは、メインがないと存在しない。できない。
 このたとえ話が妥当かどうかは疑わしいが次のようになる。
 巨人ファンは野球ファンだが、アンチ巨人(ファン)は野球ファンではない。巨人ファンは東京ドームに足を運ぶが、アンチ巨人ファンはわざわざお金を払って東京ドームで野球を見るような人たちではない。だから、そのような人たちがいたとしても表層的な現象に過ぎず、時代を生み出していく動力にはとうていなりえないのだ。

 私はそこである編集者の女性と出会った。彼女が紹介したアートスフィアのイベント「踊りに行くぜ!!」に興味を持ったのが、彼女の存在を知ったきっかけ。その後、市民記者交流BBSでも、彼女の発言を読んでいた。
 だから、初対面といっても、顔を知らないだけで、旧知の間柄といってもよかった。
 彼女自身、インターネットでバッシングにあった経験ももつから、私の状況を理解してくれてた。どうやら、私の個人ブログの記事のほとんどを読んでくれてもいるようだった。
 身から出た錆以外の何物でもない話だから、私も自嘲気味だし、彼女のほうも私の感情を害さないことに注意深かったし、どこまで足を踏み入れていいのか案じていた。だから、すぐにことの核心をつくような話にはたどり着けない。
 ようやくふたりが打ち解けて本題にはいるかなという頃に、先ほどのアンデパンダンの女史が割り込んできて、彼女と名刺交換をはじめた。
 割り込まれてしまえば、私にはなすすべもない。女同士のパワーに勝てるはずもないし、私に起きていることは、3人で語り合うには、あまりにデリケートな問題を含んでいる。
 新幹線の終電に乗り遅れるので、仕方なく会場を後にする人たちと一緒に、私も会場を後にした。

 その翌日。私は学生街にある彼女のオフィスを訪れた。書籍や雑誌を手がける出版社の共同経営者でもある彼女は小さな事務所を学生街に設けていた。
2006/06/09のBlog

 前後するが4月13日、市民記者を対象にした研修会がひらかれた。費用は無料で、講師はテレビ局の解説委員を予定していた。講義内容は、日本とアメリカにおける、新聞とテレビのジャーナリズムについて、だという。
 ジャーナリズムなんて…。と、思っていた私だったが、同僚の市民記者たちに会えることは魅力だった。そして、実名を強いることで、バッシングされ、襲撃予告をされ、個人ブログを閉鎖しなければならなかったこと事実を知っているのかと、ニュースセンターの人たちに聞きたかった。
 勿論、記事の責任は自分が負う。そう同意書にもサインしている。そんなことは先刻承知。だけど…。そういう愚痴っぽい気持ちの私は、斜めに傾きながら、六本木森タワー38階の人となった。

 その日のことを、私は次のような記事にまとめ、PJニュースに掲載されている。

「始まって数ヶ月。パブリックジャーナリズムの抱える問題が見えてきた。しかし、実は、それらは新しいものではなくて、ひとりの個人が社会と対峙したときに必ず通らなければならない永遠の課題だと思われる」。
 いまとなっては、何を偉そうに…。と、思うのだが、あのときも、そして今も、私の思いは変わっていない。

 ライブドアが言っていることはべつに特別なことじゃない。
 責任をメディアがとらないことは、インターネットでは当然だし、匿名じゃないことも、実世界では当たり前だ。
 思えば、ロッキード事件の「蜂の一刺し」で有名になった榎本三恵子さんにしても、雪印の企業腐敗を暴いた西宮冷蔵の社長にしても、匿名は許されなかった。そして、いかなるメディアも、その後の彼らがそれまでの安逸な生活を取り戻すために力を貸さなかった…。
 だが。だが、である…。
 インターネットがあるから、無名の市民たちも記事を書こうと思えたのだし、ここに集まっているのだ。

 研修は、予定されていた講師の都合がつかなくなり、運営上のトップであるP氏が講義することになった。
 はじめての市民記者向けの研修会とあって、大阪や和歌山から出席した市民記者もいた。私は、登録時の有料研修会で顔見知りになった体育大学の講師の青年を見つけたから、彼と並んで坐ることにした。
 講義の内容は、日本におけるジャーナリスト教育の歴史や、結果として根付いていないジャーナリスト教育。また、諸外国のジャーナリスト教育の現状について。わたしは、自分が立ち上げたメディアの有効性を強調するだけの講義内容にやりきれなさを募らせた。
 私は連日記事をあげていたが、まだまだ一日にアップされる市民記事の数は少ない。多くても5本ぐらいだっただろうか。記事が少ないことは、自分の記事が目立つことで、プライドをくすぐられるが、そのままでは、市民参加型ジャーナリズムがメディアとして成立しない。
 ここに集まった市民たちは、自己責任を承認し、小額の報酬にも不平を言わずに記者活動をしようという奇特な人たちだ。だが、その大部分はまだ記事をあげることができない。
 勿論、彼らがまだ市民参加型ジャーナリズムに対して様子見を決め込んでいる部分もある。だが、私には、これから彼らが本気で記事を書き始めたときに、私と同じような状況が訪れることが予測できる。
 ここに集まった人たちは、薄々私の状況に気づいていて、そういう危険があるのならば…。と、記事を書かないでいるとも考えられる。ならば、その対策をねらなければ、この市民参加型ジャーナリズムの繁栄は永久にない。
 だが、講師には、そのような危機感はまったくないようだ。私の記事は、講師が「個人の連帯」と「勇気」が大切であると語ったことに感銘を受けたと書いてある。だが、実際の私は、もっと具体的な対策を練るべきだと考えていた。勇気だけで突っ走れというのなら、神風特攻隊と同じ。玉砕するほかない。
 市民記者が連帯できるコミュニケーションツール。そして勇気の源泉になる、安心して記事が書ける制度がどうしても必要だと考えていた。

 一時間ちょっとの講義が終わると、懇親会になった。アルコールがはいってしまったら、有効な議論などできない。私は、まわりの参加者たちと差しさわりのない話をして過ごした。
 とはいえ、どこかタイミングでP氏をつかまえて、わたしを取り巻く状況と、それに対するメディア側の対応などについて意見を交換しようと思っていた。
 だが、当日の参加者にとってP氏は話題の中心人物であって、一人占めするのは、大人気ない。最多掲載数を誇り、市民記者交流BBSでも多くの発言をしている私だったが、P氏を遠くから眺めるほかなかった。
2006/06/08のBlog
5月10日に、情報の外部漏洩を理由に市民記者交流BBSは閉鎖された。
 どういう記事をかけばいいのか。どうしたら沢山の市民記者が記事を書くようになるのか。それが交流BBSのテーマだったと思う。その議論が中途半端になったまま途切れてしまったのは残念だった。
 5月16日、BBSは機能をアップして再開されたが、6月6日に再度閉鎖された。
 この一連の対応を見ていると、運営者にとっての境界領域がどこにあるのかと疑問になってくる。「誰もが記事を書く時代」を模索するのが市民参加型ジャーナリズムだとするならば、ニュースセンターが使ったような「外部」という概念はそもそも存在しない。
P氏が行った講義の内容が教室からそのまま2ちゃんねるにアップされるようなこともあったというから、それは異常な状態だったのかもしれない。だが、ライブドアが提供したメディアは、それだけの注目に値するステージだったのだともいえるのだ。