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幻想の市民参加型ジャーナリズム
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2006/06/21のBlog


 市民記者にとって八方塞がりというお先真っ暗状態の中で、
6月24日、次のような記事がライブドアPJニュースを飾った。

PJ招待され、ソウルで世界市民記者フォーラム開かれる
( http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1230169/detail )

 ライブドアに、韓国のオーマイニュース社から、自社が主催する国際フォーラムへの招待があった。
 ニュースセンターは招待の存在を市民記者に知らせるせることもなく、独断で市民記者を選び派遣した。
 同じく招待を受けたJANJANは市民記者登録者に希望者を募り、その中から派遣者を選んでいた。
 JANJANとライブドアの市民記者を兼ねている人も少なからずいたから、てっきりライブドアは、オーマイニュースから無視されたのだと思っていた。それが…。である。

 私は、そのときの思いを個人ブログに書き込み、ライブドアPJニュースの該当記事にトラックバックを打った。それは私にとってはじめてのニュースセンターへの反旗であった。
( http://blog.livedoor.jp/sponta0325/archives/26222968.html )
2006/06/20のBlog

 4月26日、日本テレビの夕方のニュースショーで、ライブドア市民参加型ジャーナリズムのことが特集で紹介された。 番組に登場したのは、和歌山在住の市民記者である。
 そのときのことを市民記者本人が記事を投稿している。
( http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1100614/detail )

 この市民記者に、私は研修会で会っている。柔和な印象の男性で、私と年齢は同じくらいだろうか。
 彼はさびれていく地方都市をなんとかしようと、地域活動に精を出してきた。研修会のときも、名刺代わりに自分の活動を紹介した地方誌の切り抜きをプレゼントしてくれた。
 彼がP氏との間に何らかの摩擦を生じたのは、この取材がきっかけだったようだ。仔細はあえて書かないが、ライブドアのネームバリューに力を得て、地域の活性化に一役買おうという彼の思惑と、そういう売名行為や経済活動を許さないP氏の姿勢のへだたりが根っこにあると感じている。
 私は企業に属する団体が名前を売ることや経済活動を否定するのは愚の骨頂だと思っている。
 P氏は経済活動と決別することがメディアの独立性を保つための条件とし、それが情報の信頼性を生み、結果として、読み手の情報リテラシーにも貢献すると考えているようだ。
 私はそうは思わない。
 どんなメディアであれ、組織の経営や存続に関わる固有の問題は存在する。ならば、それぞれのメディアがそれぞれのメディアの事情を公にすることによって、受け手はメディアリテラシーを得ることができる。
 報知新聞に、巨人を賛美する記事ばかりでつまらないと文句を言う読者はいないだろうし、デイリースポーツで巨人のことを悪く書いていると文句を言う読者もいない。もし、本当のことを知りたければ、利害関係のない第三者の立場の新聞を読んで対照すればいいのだ。

 地方在住市民記者は、ニュースセンターとの摩擦に疲弊し、自ら休筆宣言をすることになる。(5月17日)
 彼は誤解を招いた個人ブログを閉鎖したが、きっとこれらもインターネット上のどこかの保管庫にログとして保存されているのだろう。
 書きたいことがあれば、個人ブログに書いてもいいし、JANJANだってある。その後、同じような状況に陥った私の記事と彼の記事がなかよくJANJANでならんだこともあった。

※スポンタの記事
( http://www.janjan.jp/living/0507/0506298936/1.php )
2006/06/19のBlog

 4月22日。TBSラジオの「アクセス」という金曜日夜の番組にP氏が出演した。
 パーソナリティーは麻木久仁子。スタジオにつめたジャーナリストが二名。下村健一氏と江川紹子氏。
※編集様注:出演ジャーナリストについては要確認※
 P氏は電話での出演だった。私は、当時の個人ブログに次のように書いている。

( http://blog.livedoor.jp/sponta0325/archives/19771443.html )

一般の視聴者からの電話を入れながらの番組なので、話が過激になっていかないという構造。
私が気になったのは、メディアリテラシーとは、正しい情報と間違っている情報を見分けることだという純朴な考え。
メディアリテラシーとは、メディアの都合を読み解くこと。
そして、多くの人はそれをメディアに流れているコンテンツから判断しようととするが、その非効率性に気がついていない。

なぜ、そのメディアはそういう論陣を張るのか。それは、そのメディアが置かれている立場や状況を考察するほうが、余程分かりやすい。
そして、そのようなメディアとしての文脈を明確にすることが、受け手にとって情報を受け取りやすい状況に導くと思うのです。
たとえば、スポーツ報知に巨人軍の記事が満載なのは、同じ読売グループだから…。

PJニュースにおいて私が、しつこく小5の娘の父親であるとか、東京都民と書いているのは、そういう情報の送り手のバイアスを受け手に感じされることが、読み手の情報リテラシーの向上に貢献すると思うから。
無名な私の署名など、ほとんど匿名と同じという判断から…。

発信者が匿名な情報というのは、発信者のバイアスを受け手が推論できない。そこに問題がある。
発信者が匿名記者でも大マスコミのオーソライズがあれば、それが大マスコミという文脈で、受け手も受け取る。

PJについては、そういうPJニュースという文脈をつくるのか、それとも、各PJライターという文脈を尊重していくのか。
編集方針には、さまざまな道があるのだと思う。


 実は、P氏はこの番組で、江川紹子氏の問いに答えるかたちで、報道被害についてのメディアの責任を語っている。
 ライブドアが市民記者に書かせた同意書に反して、彼は、報道被害が起きたときには誠実に対応するとこたえている。
 また、彼が市民記者にその存在を明かさないで欲しいと懇願した市民記者同士が交流するBBSについても、その存在を自ら明かし、市民記者同士が円滑に交流しながら、メディアが運営されていることを印象づけている。
 すでにいろいろな問題が露見していた市民参加型ジャーナリズムだったのだが、それが外からは何も見えない。
 本来、外も中もあるべきでないのが、市民参加型ジャーナリズムのはずで、理想とははるかに遠いところで彷徨っていた。
2006/06/18のBlog


 記事管理システムへの市民記者へのオープン化の提案は、個人事業主として企業の経営コンサルタントをしている女性市民記者が行っていた。
 彼女は、市民記者交流BBSにしても、もうすこし上手いやり方があると、メイルで私に語っていた。BBSが閉鎖されたときも、リソースがないのなら、自分がボランティアで作ってあげるとも提案していた。彼女の手にかかれば丸二日もあれば掲示板の構築などたやすいものだそうだ。
 さすがにIT関係で仕事をする彼女。ネット上のさまざまなところで情報を得ている。彼女は、試写会に足しげく通い、その映画紹介をライブドアPJニュースにたびたびあげていた。個人事業主として日常業務に追われる毎日の中で、週に2~3回試写会出向く彼女のバイタリティーは敬服に値する。
 そんな彼女も、2ちゃんねるの書き込みで自分の記事の不備を発見し、心を痛める。彼女は自分の記事の誤りを修正することに誠実に対応した。ニュースセンターにメイルを打つとともに、電話をかける。だが、彼女のように積極的にニュースセンターに働きかけても、ニュースセンターの対応は鈍い。彼女は自分のブログに弱音を書く。すると、それをおもしろがって2ちゃんねるが書く。そのどうどうめぐりが続いていく。
 彼女は実名で映画評を書いていたし、個人事業主の営業拠点としてホームページと個人ブログを持っていたから、そういう2ちゃんねるによる風説の流布も彼女のビジネスへの影響は必至だった。彼女は、P氏に対してだけでなく、ライブドアニュースのトップにも交渉を挑んだが、状態は何ら改善することもなかった。
 このままでは、試写室に呼んでくれている配給会社にも迷惑をかけるし、本来のビジネスへの影響も必至。彼女は、はじめての登録辞退者となった。
 私はそのことを8月19日の個人ブログに書いた。記事のタイトルは、「同僚PJ撤退す」である。

( http://blog.livedoor.jp/sponta0325/archives/30458771.html )

 私も含めて市民記者たちは一時的に、ネット上の有名人になったのかもしれない。だから、さまざまなバッシングを有名税だと指摘する人がいる。だが、妻は私に不平を言う。 
 あなたが有名になったメリットが何かあるというの。メリットもないのに、デメリットしかない。そんなメディアで記事を書くことの意味がどこにあるの。
 私は彼女に明確な反論ができなかった…。

 編集者でもある市民記者の彼女は、P氏にそのあたりの提案を粘り強く交渉した。だが、取材記者活動においてライブドアの名を語ってはいけない市民記者は、自分たちが集まる場合もライブドアの名前を使ってはいけないと宣言される。
 ライブドアの市民参加型ジャーナリズムの名前が広がることが悪いことではない。 当時の日本的なライブドアの知名度を考えれば無理もないのかもしれないが、どうなんだろう。P氏は、独立したジャーナリズムのためには、いかなる経済活動とも無縁であることが必須だと強調していた。だが、NPOといえども、組織自体が利益を貪ることは許されないが、協力した人たちに人件費を支払うことは許される。
 原則論ばかり言っていては、ホリエモンの抜群の知名度を使って市民参加型ジャーナリズムを一気に成立させてしまう千載一遇のチャンスを逃すことになる。
 だが、市民記者同士が交流するためのBBSも閉じられ、ライブドアの名を使って自主活動もできない市民記者たちになす術はなかった。