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幻想の市民参加型ジャーナリズム
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2006/06/24のBlog

 文芸春秋を読みながら私は思った。
 日本を代表する英知の塊である立花隆氏は、自らの高みにおいて、市民記者たちを鑑別したといえないだろうか。あの圧倒的な知の持ち主にしても、市民記者の誕生を喜んでいない。
 自分たちが市民記事の拙さを補い、擁護することで、国語力・論理力エリートたちの牙城となっている言論界を是正しようと、どうして考えないのだろうか。
 勿論、私の推論の根拠となった彼の文章は、平成ホリエモン事件という特集の中のコラムであり、特集の主旨はセンセーショナリズムであり、現象を批判する文脈で貫かれている。ただ、自省的でもある彼が、「ライブドア記者制度の失敗」などと小見出しをつけて、早々と結論を出し、文の最後を、「堀江が豪語したような、いずれインターネットが旧来メディアを全部死滅させるなどという日は当分来そうもない」と結んでいる。その言葉の底にある立花氏の激情の度合いというものを私は感じるし、無名のジャーナリストならば、そのような抵抗はもっと強いと確信する。

 プロフェッショナルであるべきライブドアの編集能力に問題があるのはこちらにおいていくとしても、一般の市民は本格的なジャーナリスト教育を受けているはずはないし、文章作成能力も素人であることは自明。それでも、トラックバックされたブログや掲示板などのコメントのバッシングは容赦がない。
 ライブドアは、記者が実名で投稿することを基本としているので、記者活動が市民生活に影響を及ぼしかねない。
 だが、市民記者活動がただただ批判にさらされるだけで、記事を書くことが批判の対象にしかならず、尊敬を集められないならば、市民記者は百害あって一利なしだ。
 これでは、開始早々市民記者であることをあきらめ、個人ブロガーに戻っていく人も現れるのも当然だ。

 世の中には多様な意見が存在してあたりまえ。だから、いかに正当な理論を記述しても、必ず反論は出るもの。また、文章術に関しても、文章のスタイルというのは人それぞれだから、批判の対象からは逃れられない。
 一方、クレームする方はたとえその数は少なくても、何度もトラックバックしてコメントをすることができる。そして、市民記者の側の良識や思想はインターネット上で精査されていくのに、匿名である場合がほとんどのクレームする側の良識は精査されない。私は批判にさらされることは表現者として避けられないことだから、書くことをやめない。だが、私のような考えの持ち主は皆無といってよく、一般の人はなかなか市民記者を続けられない。結果、記事は集まらなかった。


06_日本でも、市民参加型ジャーナリズムは成立する。

06_01〔ホリエモンとともにあったパブリックジャーナリズム〕

 2005年のはじめ。
 東京の老舗ラジオ局の株の大量取得をきっかけに、ライブドア&堀江貴文氏が注目を集めていた。ほとんど同じタイミングで、ライブドアが運営するインターネット上のニュースサイトが市民参加型ジャーナリズム・パブリックジャーナリズムというのを始めている。
 3月上旬、私はその組織に登録、市民記者をはじめることにした。市民参加型ジャーナリズムはあるが、1日2万アクセスを集めるのはライブドアしかない。
 開始当初は記事が少ないこともあり、最多記事掲載数を記録。さまざまな問題をわが身を持って経験しすることになった。

 まず最初に起こった現象は、トラックバックおよびトラックバック先のブログのコメント欄で展開する記事への国語力バッシンク。
 次に現れた現象は、裏サイトを中心にはじまる市民記者個人に対するバッシング。個人ブロガーでもある私やパブリックジャーナリズムの提唱者であるニュースセンター長補佐がまっさきに標的にされた。ゴシップ、批判、中傷、そして、私に対しては襲撃声明もあった…。
 そして、裏サイトの影響かは分からないが、既存のジャーナリストからの蔑視も…。
 ライブドアの市民参加型ジャーナリズムは批判すべきレベルにも達していないというという評価。それは、ホリエモンへの社会的注目度があったからの出来事で、本来ならば無視されておしまいだったろう。
 文芸春秋(2005.5月号)の平成ホリエモン事件という特集で、立花隆氏は「ネットはメディアを殺せない」というタイトルで、ライブドアのパブリックジャーナリズムに言及している。これは湯川氏の前著を意識したタイトルに違いない。文面では、ライブドアPJ ニュースの現状を詳らかにし、予想される当然な未来を語っていた。
2006/06/23のBlog


 私の記事が最後にライブドアPJニュースをにぎわせたのは、7月17日の記事である。

夏祭り早くも始まる、東京・世田谷の団地祭り
( http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1285947/detail )


 「あなたが批判するメディアに投稿するのは何故ですか?」 この頃、P氏との間で、掲載・非掲載の基準について、何度かのメイルのやり取りをしている。
 私は、ギター侍のように、他人を批判するなら、自分のことを批判してみせることが身だしなみだと考えている。
「逝ってよろしい」「お前もな」という2ちゃんねるの定例句もまさにそれで、人間の心の道理を踏まえた、とてもリアリスティックなやりとりだと思う。
 自分たちに対する批判を乗り越えてこそ、他者を批判するに足る資格を得るし、そのことがその批判の説得力につながる。
 ライブドア批判は許容するが、ライブドアニュースセンター批判は許されない。それでは、パブリックジャーナリズムという輝かしい名前は有名無実だ。
 
 その後も、堀江氏が衆議院議員選挙に出馬したり、獄中の人となるたびに、私はライブドアPJニュースに投稿している。
 何故なら、ライブドアに関わる状況は極めて流動的であり、ニュースセンターの体制も変化しているかもしれないと期待していたのである。ホリエモンが選挙に出る。国民の意見を代弁する立場になる。ならば、国民の意見を吸い取るために、自分のメディアの改革に乗り出すことを期待するのは、当然のことだろう。
 だが、一度も記事が掲載されることはなかった。その理由は明らかであり、それが市民参加型ジャーナリズムのメディアとして失格であることは疑いようもない。

 とはいえ、ライブドアPJニュースは日本の市民参加型ジャーナリズムの未来を語るうえで、貴重なソシアル・トライアルでもあった。
 その重要性は、日本のジャーナリズムの歴史にとっての金字塔であり、かならずしもP氏の不名誉を意味しないと考えている。
2006/06/22のBlog

タイトル:PJが招待されて、M氏がソウルに飛んだ。

本文:PJニュースに、「PJ招待され、ソウルで世界市民記者フォーラム開かれる」という記事が載っている。

本文を書いたPJ氏は、記事本文でそのことを語っていないから詳細は明らかではないが、市民記者活動で世界的に有名なオーマイニュースがライブドアPJに注目し、市民記者の派遣を呼びかけたのだろう。

私は、PJとして人並み以上の記事をあげてきた自負がある。そして今、さまざまな提案をしながら、パブリックジャーナリズムを盛り上げようと、PJ有志とコミュニケーションを図っている。
PJ有志たちと練り上げたプランを運営者側に提案していくことで、巨大掲示板などで指摘されている問題の多くを、運営者側のリソースの欠如といった要因に左右されることなく、PJ側の知恵と努力によって改善できると信じている。

今、PJの記者同士が互いに情報交換をする掲示板は閉鎖されている。
したがって、個々のPJが意見交換することもできない。
そして、疑問や相談などが生じたときには、個別のPJ記者は運営者にメールを打つなどしてコミュニケーションをとっている。
そうした場合の運営者の対応はほとんどが冷たく、「体制に文句があるのならば、記事を書かなくてかまいません」などと、暗に退会を促すような言動にぶち当たる。

パブリックジャーナリストと銘打ってはいるものの、実際は、発案者が市民記者たちの上に君臨し運営しているにすぎない。
もちろん、これまでに沢山記事をあげてきた人間として嫉妬もある。私よりも記事をあげていない人間が推薦を受け、ソウルに行った。そのことに私の感情が乱れていることは否定しない。
しかし、それよりも尚、私が危惧するのは、いま、六本木のビルの中で行われていることが、あるべき日本の市民記者運動とは程遠い存在であるにもかかわらず、それが日本の市民記者運動であると誤解されること。



今、オ・ヨンホ氏は市民記者活動を世界的に広げようとしている。
そのムーブメントを支えるアライアンス先として、もし、我らがライブドア・PJニュースを選んだならば、日本の市民記者運動について致命的な打撃を与えかねないということである。
下卑た言い方かもしれないが、今、六本木で行われている編集活動は、透明性もなく、編集指針もなく、運営者個人の独裁体制によって行われている。
つまり、パブリックという冠はしていても、その実は絶対主義。それが、世界的ムーブメントのなかで日本の代表のように外国から捉えられてしまうと、まるで、金日成をオーソライズした北朝鮮のような形になってしまう。

わたしの記事が掲載されないことはそれでかまわない。しかし、市民記者運動の渦中にいる人間として、今起こっていることを知ってもらうこと。そのことが市民記者としてなすべきことだと信じている。

いま、日本の市民記者運動に何が起きているのか。
わたしに取材を申し込んで頂ければ、わたしは誠意を持って回答します。みなさまからのご依頼を待っております。


 私の個人ブログに興味を持った、時事通信社の湯川氏も、6月28日、自らのブログ「ネットは新聞を殺すのか」で、「ライブドアPJに不協和音」とのエントリーをあげた。

( http://kusanone.exblog.jp/2054522 )

 中村さんは、ライブドアPJの中でも積極的に記事を書かれていた一人だ。これまでも外部との衝突が何度かあったライブドアPJだが、ついに内部からも批判が出た。
 参加型ジャーナリズムは一般市民の多くの支持を得て、既存ジャーナリズムを超える存在になるのだと思う。ここまで多方面と衝突しながら目指すパブリックジャーナリズムとはどういうものなのだろうか。


 私とP氏ならびに、ニュースセンターとの対立が表面化した7月。
 その7月5日に、ホットワイアードというサイトが、P氏にインタビューをしている。
( http://hotwired.goo.ne.jp/original/sasaki_it/050705/ )

よせばいいのに、最後通告とばかりに私はコメントを残している。
( http://hotwired.goo.ne.jp/webvoter/index.html?id=6&p=4#comment )

sponta/46歳/男性 投票 7月20日
Q:パブリックジャーナリズムに期待しますか?: [YES]
コメント:
ライブドアPJの暴挙は、情報をオーソライズするための機構だということ。問題は、そのオーソライズする基準に透明性がないこと。これでは、パブリックを名乗る資格はない。 自然増殖が可能なインターネットで、オーソライズなどという馬鹿げた考えを実行したPJには、先見性があり、この暴挙から新しい何かが生まれると信じる。(研修会に出席したときに、私はブログをリンクすればいいじゃないかと思っていた…。) 私がYesに投票したのは、P氏が去った場合のこと。とはいえ、後継者が既存のメディア人だったら、未来はないが…。


※今注:当時の記述を振り返ってみると、文章がささくれ立っていることを反省しています。