ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
Rashita's Style Blog
Blog
[ 総Blog数:1873件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2004/10/18のBlog
探しものは何ですか:ニートという生き方/6止 「就職がこわい」若者へ

一連の連載の形で書いてきたが、とりあえず今回で一区切りにしたいと思う。もし、まとまれば最後にもう一度書いてみたいと思う。

毎日の記事より引用するが、
 「ニートは特別な存在ではない。きっかけはさまざまで、誰でもニートになる可能性がある。」

この認識はまず必要である。どこの家庭にだって十分に起こりうる。もちろん裕福な家庭に起こりやすいというのは、簡単に想像できる。しかし、どのくらいの生活レベルを裕福と呼ぶかはまったくわからない。世界的にみれば日本のかなり多くの家庭が「裕福」であるともいえなくはない。

そして、ニートという存在はさまざまな問題と絡み合っているということだ。

単純に個人の問題、家庭の問題、社会の問題とそれぞれの観点から見ても、それが簡単に解決できないということを示している。

経済がある程度余裕がある状態であれば、社会は若者のそういうスタンスを「モラトリアム」として受け入れることができた。
しかし、現状ではそれに無理がきている。

ニートという存在は、モラトリアムが「普通」の状態になってしまっている。
永遠に続くことはないはずのモラトリアムの輪の中に閉じこもってしまっている。
そして、それを受け入れる余裕は今の社会にはない。

社会にとってもそのような状態は良いとは呼べない。
また、個人にとっても、ニートと呼ばれる状態は何も生みださない。

誰が原因か、何が原因かを知ることは大切である。が、それだけに没頭してしまっていては永遠に解決はつかないであろう。

もし、この状態が続き、そしてニートの数が増え続けるならば、日本という社会は成立しなくなるほどの大事である。少子化が進む中、労働をしない若者が増え続ければ、財政がどのような状態になるのかを想像するのはそれほど難しいことではない。
おそらく、社会保障も破綻を余儀なくされるであろう。
治安の悪化の問題もある。

自分の身の回りを見渡してみても、なかなか怖い状況が広がっている。
中学生や、高校生がどんどん「悪い」方向へ進んでいるのが見える。
そして、彼らに伝えるべき言葉をもたない大人が多い。

コミュニケーションがそもそも成立しないような場合もある。
そんな時私達は何ができるのだろうか。

施設を作って、彼らを放り込めば住むのだろうか。極論者が提唱する、自衛隊に彼らを引き渡して訓練すればよいのか。
どれも、現状のニートの数を減らすことはできるかもしれないが、新たに発生してくるであろうニートに対しては何の解決にもならない。

社会的には、彼らは労働し所得を得ていないことが問題になっている。

が、私からみれば、それは問題の本質でない。

彼らが、そのような状態で「満足」しているという精神構造(あるいは現状認識)が問題なのだ。そのような心でもし仕事をしたとしても長くは続かないであろうし、就職と退職を繰り返すだけかもしれない。あるいは無理をして仕事を続けていくうちに精神に破綻をきたすかもしれない。

「イヤ」なことをし続けている人間はきっとハッピーではいられない。
自分にとって有利なことをしているという認識がない人間も同様だ。

彼らに個人と仕事、あるいは社会と仕事というものの関係をどういった手段で伝えていくのか。それが、私達の課題ではないかと思う。

人間が生きるということはどういうことか、人間が「生きている」と感じられるのはどういうことか。
そういうことを考える上で、「他者の存在」というものは欠かせない存在であると思う。
他者というものはそのまま社会に通じていく。
それをまったく無視して「生き」続けていくことは難しいことだと、私は思う。
2004/10/17のBlog
忙しすぎて、更新できません。明日にはかならず・・・。
2004/10/15のBlog
[関連したBlog]

いままで内緒にしてきたキャッチフレーズを報告して欲しいということなので、
報告させていただきます。

ブログいっきま~す(開始直後)
このブログは通常の三倍重いのだよ(中期)
ブログの性能の違いが、戦力の決定的差ではないという事をおしえてやる(現在)

********************************************************
マニアックすぎましたかね・・・。
今回のは難しい・・・。
探しものは何ですか:ニートという生き方/4 寮出ても自信ない
探しものは何ですか:ニートという生き方/5 「自分にできること」何か

これまでは、ニートを取り巻く環境やニートが社会的にどういう存在であるのかを見てきた。今回はニーとそのものについて見ていこうと思う。
毎日の記事に出てきているが、ニートにはその原因によっていくつかの分類に分けることができるらしい。

簡単に引用しておく。
 労働政策研究・研究機構の小杉礼子・副統括研究員は、ニートを(1)せつなを生きる型(やりたいことがなく、今が楽しければいい)(2)つながり喪失型(人間関係が築けず、殻に閉じこもる)(3)立ちすくみ型(目標を見失う、または見つけられない)(4)自信喪失型(就職したが仕事がこなせず、早期に離職)の4パターンに類型する。

まとめると
1、刹那型
2、つながり喪失型
3、立ちすくみ型
4、自信喪失型
ということになるらしい。
全てに共通して言えることは、未来の自分を設定できないということだ。少し突っ込んで考えれば、現状の自分を肯定できていない、ということになるかもしれない。

そしておそらく1の刹那型以外は生きていくことに楽しみを感じられないのではないだろうか。また、「今が楽しければいい」という考え方では、より深い楽しみを得ることはできないのであろうか。充実感のない、うすっぺらい、退屈をしのぐためだけの「楽しみ」。
そんなものには何の価値もない。それが言い過ぎた表現であるならば、生産的でないと言い換えてもいい。

変な表現だが、楽しくない人生を過ごすことほどつまらないことはない。

そういう部分で彼らは「損」をしている。

同じような心理状況に立たされている人でも、家庭の事情でどうしても働かなくてはいけない人もいるだろう。そういう人たちは少なくとも働いているうちに、社会的な関わりを得て変われるチャンスがある。
家の中と友達の輪の中を往復しているだけでは、おそらく何も変わるチャンスはやってこない。
そして何より問題なのは、彼ら自身が自分のことを「大変だ」と真剣に思っていない場合である。それはおそらく周りの人間が真剣に大変だと思っていないのであろう。
そういう雰囲気はとても強く伝わりやすい。結局しばらくは何とかなると思ってしまう。

ニートと呼ばれる人たちも時間がたてば、いずれ社会に出て行くかもしれない。
しかし、その時期が遅ければ遅いほど、社会では不利である。
すくなくとも、高収入な仕事を得ることは難しい。あるいは仕事を得ることすら難しい時代がやってくるかもしれない。そうなってからでは取り返しがつかない。

冗談抜きで「若いうちの苦労」というのは大変大事だと思う。

構造的な問題の解決方法は、親が子供を適切に突き放すことだ。子供の根っこの部分は守ってあげて、そのほかはぽんと突き放す。そうすることで自立の芽が生えてくるのではないかと思う。あるいはそうしなければ自立の芽は生えてこないのかもしれない。

現在の大人達を見ていると、根っこの部分もまもらないでひたすら突き放すか、あるいは何もかもを守ろうとしすぎていることが多いのではないかと思う。

だからといって、政府が「子供を適度に突き放して育てる基本政策」なんて作ってもまったく無意味だ、というか冗談にもならない。育児のマニュアルとほとんど同じレベルだ。
人生相談が凡庸なことしかいえないように、人間一人一人に同じ方策を当てようとすれば、当たり障りのないことをするしかなくなる。

だったらどうするんだ、といわれれば答えにつまる。少なくとも私ができることは私の子供(できたら、であるが)を一人の大人に育てることである。ということは最低限私が一人の大人として成立していなければいけない。なかなかの難問である。

2004/10/12のBlog
[ 16:35 ] [ ネット・ブログ ]
インターネットが我々の社会にもたらすのは益もあり、害もある。

本日、目に留まった二つの記事を
 集団自殺:ネット心中か? 車内に男女7人の遺体 埼玉

ネットが生まれたから、自殺が生まれたのではないから、集団自殺がおこるのが、ネットのせいであるとはいえない。だが、普通では考えられないネットワークによって、「自信」をもって自殺してしまう人たちがふえているのではないか。

実際に死ぬという行為はかなりのエネルギーを必要とすると思う。
一人では達成できないことを、他者の助力を借りて成し遂げる、というのは一見良いことに見えるが、それは行為の目的しだいでもある。

続いての記事。
 「2ちゃんねる」が生んだ文学、「電車男」22日刊行

ネットの世界ではかなり有名であった「電車男」が本になってしまうらしい。
これはなかなか驚きである。読売の記事では、「『2ちゃんねる』が生んだ文学」という表現になっているが、これはなかなか的を得ていると思う。

話自体は実話ということであるが、それが掲示板というものを通して語られることで、一つの文学的色彩を帯びている「作品」になったのではないか。

上の二つの記事は、ネットというものを媒介して、我々の社会が手に入れた物である。
良いもの、悪いもの、どちらも起こりうる。
ネットは一つのツールであるし、何かを達成するための手段である。

今までかかっていた時間や空間の制限がなく、多くの人々と係わり合いを持つことができる、というこのツールをいかように使っていくか、というのは社会の問題か、個人の問題か。なかなか興味深い問題だ。
2004/10/11のBlog
なかなかタイムリーな記事なのでとりあえず、参照しておく。

 若年雇用対策で「職業訓練券」配布・政府が導入検討へ

これは前回も書いたように、行政の応急処置的な処理である。効果で言えば、おそらくたいした意味はない。

政府は「フリーター」や「ニート」が問題だということを認識していたとしても、その本質を捉え切れていない。あるいは言葉だけが先行してその意味がまったく詰められていないのかもしれない。

はっきりいって、「フリーター」をやっている人間でも、自ら望む人間は職業訓練を受けられる。このような職業訓練券などなくてもだ。逆に政府が提供するような「職業訓練」にどれくらいの効果があるのか、私にはわからない。

単純にそれだけを考えても、お金の無駄遣いな気がする。

さらに加えてこの対応ではまったく「ニート」の問題の解決にはならない。
記事によれば、「職業訓練を希望する若者に『職業訓練券』を直接配る」ということらしいが、「ニート」はそういう事柄をまったく望んでいない、ということがそもそもの問題なのだ。

私自身は、社会の中でフリーターの数が増えていくというのは、経済の構造がそのように動いているのだから、多少仕方がない部分はあると思う。自ら望むフリーター、望まないフリーター、いろいろあるだろうし、一概にフリーター即悪とは言いがたい状況はある。

ただ、ニートという状況は、底に至るまでの経緯は様々であっても、社会的にそして個人的に大きな問題だと思う。

いい加減に、政府の人間はもうすこし頭の方向性がきちんとした人間がついたほうがいいのではないか。デスクワークが主で、現場がわかっていない上司というようなイメージがすごく強く浮かんでくる。
彼らも、真剣にそういう券を配ることでこの国が良い方向に向かうとは思っていないと思う。(思っていたとしたら真剣に引くな)

利権なり、自分の発言権なり、ポジションの確保なり、どこかからの圧力なり、そういうものが働いているのだろう。

大体、「ニート」という問題は、おそらく政府が動いたところで、簡単に解決できる問題ではないだろう。

「ニート」の状態にいる若者が生活できているのは、それを支援している親がいるからだ、だから親が子供を突き放せばこの問題は解決する、というような意見を良く見かける。たしかに、その意見には一理ある。

子供の頃から働かざる得ないような家庭環境で生きてきた人間は、「ニート」になっている余裕はない。
親が、子供を適切に「放置」しておけば、いづれ社会的な自立を望むようになるかもしれない。

が、この意見はおそらく今「ニート」である若者を助けることはできないのではないか、と思う。彼らはもうすでに社会的に不適応な状態になりつつある(あるじはもうなっている)。そういう状態で、急に親が手のひらを返したとしても、社会に溶け込めるかどうかはわからない。

単純に、親がお金を持っているから、働かずにダラダラしている人間も「ニート」だし、他者との関係がうまく築けずに「ニート」になってしまっている人もいる。

おそらく推測するにそのどちらも、原因の大部分は親にあると思う。
子供をいつまでも自分の手の内において、しかるべき時期に手を離す準備にができていなかったのではないか。
子供は確かに親から見たら子供であるが、それとともに一人の人間でもある。
誰の所有物でもない。

親と子供の関係がうまく築けないでいると、そのまま子供が社会との関係を築けない。

今、現状で「ニート」になってしまった若者の両親はどのようにその問題をとらえているのだろうか。問題と思っているのだろうか。


 探しものは何ですか:ニートという生き方/3 何をしたらいいのか(毎日)

この記事の中に「働けといわれたことがない」という言葉が出てくる。
そういう環境で生きてきた人間は、頭の中にいつか働かなければいけないというような「現実」は生まれてこないのではないだろうか。

何もかも親や環境のせいにしてしまうことは、思考の停止につながりかねないのでやめておく。本人の努力しだいでその状態から抜け出せるような人もたくさんいるだろうし、そうでない人もいるころだろう。

とりあえず、一番最初に認識しておきたいことは、けっして「ニート」という状態は良いものではない、ということだ。彼ら(彼女ら)は何も生み出さない。消費し続けるだけだ。

タイトルの「生きる」人間というのは、どういう存在かを考え続けている。
人間が生きているというのは、単純に生命活動が行われているだけではないと思う。
そこに何か少しでも哲学的な意味を込めて、「生きる」という言葉を使いたいと思う。
2004/10/10のBlog
[ 16:25 ] [ ささやかな質問 ]
ささやかな質問です。もしよければ、あるいはサーバーが重くなければお答えください(笑)

「あなたが、”これがなくては生きていけない”、と思うものはなんですか。あるいは、”これがあれば生きていける”、と思うものはなんですか。」

片方だけのお答え、両方のお答え、どちらもない・・・などなどなんでも結構です。
探しものは何ですか:ニートという生き方/1 「正社員は逃げ場がない」(毎日)
探しものは何ですか:ニートという生き方/2 働く気持ち、自然に
毎日新聞のWEBサイトで見つけた連載記事である。

ニートという言葉の定義について、記事から少し引用しておく

 ニート。学生ではない。働いてない。職業訓練もしていない。Not in Education,Employment or Training。

これは、前回でも書いた同様のことだ。
この記事ではニートと呼ばれる人々に個人的なアプローチを試みている。
この回はヒロシ(仮名)という青年がどういう経緯でニートになり、現状をどう考えているかレポートされている。
この記事の中で、記憶に残った言葉がある。それは「正社員だと逃げ場がないんですよ」という言葉である。この言葉に私は強く違和感を覚えた。

逃げ場とはいったいなんであろうか。心理的な退避場所であろうか。責任を取らないでよい事柄であろうか。そのあたりがいまいちわからない。純粋に彼がどういう意味を込めてこの言葉を使っているのかが私には想像がつかない。

彼が思い描く、正社員、社会、社会人、という言葉のイメージが私とはかけ離れているせいなのかもしれない。

今の日本の雇用体系がまったく正常であると私は思わない。特に正社員とフリーター(あるいはパートタイマー)というような区切りわけのなかで、確実に労働条件や雇用条件が著しく食い違っている、ということを強く問題視しないわけには行かない。

日本の「世間の常識」のなかでは、とりあえず「正社員」になることが全てである。
社会人=正社員と言っていいかもしれない。バカじゃないかな~とたまに思う。
そんな肩書きに何一つ人生の保証などないし、仮にあったとしてもそんなものはカリソメでしかない。
また、保証のある人生=幸せな人生ともとても呼べないと思う。

本来なら自分の職業やその体系は自ら考え、自分の形に合ったものを選ぶべきだ。

それを誰かのしいたレールの上を無理やり走ろうとするから、ひずみがでてくる。

仕事に満足感を得られない。プライドをもてない。職業倫理が低い。・・・。

企業が抱える問題もあるが、会社員一人一人が抱える問題もある。

社会を構成する全ての人間が自らがやりたい仕事をできるわけではない。
しかし、自分がこの仕事をすると、自らの手で決断することは、できると思う。

私の周りの20代にさしかかろうとしている人間を見ていても、とりあえず就職という感じである。本当にそれで大丈夫なのか、と思ってしまう。

私なんかは、一、二年フリーターをしてみてから考えるのも悪くないと思っている。
特に、大学時代にアルバイトを経験していない人間には特にそう思う。
しかし、あまりそういう発現は「世間の常識」に即していないので声を大にしては叫ばない。リベラリストのレッテルはあまりうれしいものではない。

私が考えるに、生きるうえで、仕事というのは欠かせないものである。
それは食糧を得るためであるとともに、社会的な自分の位置を作るものだからだ。

単純に充足感を得られるということもある。

しかし、ニートと呼ばれる人々はそういったものから遠く離れた存在である。
食糧を完全に親に頼り、社会的な地位も得られず、充足感も感じられない。

このような生活を続けていけば、ますます自己に対してプライドを持つことは難しくなってくる。そうすると他者と関係を持つことが難しくなる。あとは悪循環だ。

この日本社会が、ニートという存在を抱えているというのは、我々が歩んできた道や現在のシステムに大きな欠点があるということだ。おそらく既存の何かを否定しない限りこの問題を解決することはできないと思う。

ニートが増え続けるというのは、本当に単純に治安の悪化につながると私は懸念する。
彼らが生活できているのは、一部を除けば親の存在があるが故である。
が、それは永遠に続くものではない。もし深い悪循環の中にいる人間が生活の糧を得る手段を失った場合、どのような行動にでるのだろうか。

我々は、自らの雇用にだけ関心を払えばよい時代はとうに過ぎ去ったと思う。
競争化社会の弊害、なんて簡単な問題でもない。

根本的な原因がわからないまま、応急処置的な処理もできていないというのがとりあえずの現状であろう。おそらく行政の対応は、これから応急処置的なものが出てくるだろう。カウンセリングとか、グループをつくるとか、社会とリンクさせていくなどだ。

それは、確かに現状のニートの数を減らしていくかもしれない。
が、新しく増えてくるニートに対してはおそらく何の効果もない。

彼らは社会に絶望しているのか、現代に失望しているのか、自分を定義出てきていないのか、両親に庇護されすぎているのか。
誰の問題なのか。誰が解決できるのだろうか。

資本主義が進むと二極化が進むというのはよく言われることだ。
だが、彼らはどちらにも属さない。というより、そのゲームの土台に乗ることを拒否しているように思えてくる。

しばらくは毎日の記事を追ってみたいと思う。