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Rashita's Style Blog
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2004/10/20のBlog
[ 14:18 ] [ 政治・社会 ]
日本が本格的な改革を進めていく上で、どうしても地方分権という考え方は必要になってくると思う。現在の社会制度ではあまりにも首都東京に機能や権限が集中しすぎて、いろいろなものの温床になっていることは否めない。

また、国が全ての地域を満遍なくサポートすることなども不可能だ。
それぞれに地域ごとに求められているものは違い、それをどこかの官僚のやりたいだけの政策を押し付けているだけでは、効率が悪いだけでなく、意味もない。

地方が地方の自治をする、ということを実現する上でネックになるのは、権限と税金である。

まず、現在はかなりの部分、省庁が強い発言力を持っている。役人だ。
なぜ、発言力があるか、それはお金を回すことができるからだ。

 閣僚と地方代表協議会、補助金取り扱いで平行線(読売)

 地方側がまとめた総額3・2兆円の補助金削減案のうち、農水、経済産業、厚生労働の各省と沖縄関連の補助金の取り扱いを議論したが、国と地方の主張は平行線をたどった。

 島村農相と小池沖縄相は地方案に対する代替案として、使途が細かく決められている「補助金」を、ある程度、地方が自由に使える「交付金」に切り替える措置を検討していると説明した。尾辻厚労相は補助金の補助率を引き下げる代替案を改めて説明した。

 だが、いずれも省庁の影響力が残るため、地方側は「交付金化は代替案ではない。各省と財務省で(予算額を)決めて地方に分ける構造は変わらない」(浅野史郎・宮城県知事)などと反論した。中川経産相は代替案を示さなかった。


というようなことがあるが、地方側と国側では圧倒的に意見が違う。
やりたいことをやりたい人と、やらせたくない人が平行の意見を交わしているのが現状である。

この国の補助なしでは地方の財政は絶対的に厳しい状況である。(参照

現在国を経由して地方に分配されている税金を直接、地方がその使い方を決めて、使えるようになれば、何かが変わるのだろうか。

おそらく、変わる地域もあれば変わらない地域もあるという状況になるだろう。
全ての知事や自治体が意欲的に動くとは限らない。
効率よいサービスを提供する地域には住民が集まり、さらに住民税が徴収され、さらに良いサービスが提供される、ということが好循環になり、またそれができない地方は逆の悪循環に陥るということが起こりうるかもしれない。

おそらく、そういうような状況になれば、住民は地方自治に目を向けざる得ない。
選挙に対する関心も高まるだろう。

国政選挙に比べれば、地方の選挙は自分の一票の重みが感じられやすい。
また、実際に直接的に影響がわかるというもの、特徴である。

そういう状況が訪れるのは、私から見れば良いことのように思える。
が、すくなくとも全ての自治体が満遍なくよくなる、ということはほとんどありえないように思える。そのことは忘れてはいけないと思う。

また、地方の発言力が増してゆけば、米軍基地の問題もさらに大きく取り扱われるようになるであろう。

なんにしろ、自民党を壊してゆくのは小泉総理ではない、ということだけは素直に断言できそうだ。
というわけで、このサイトで有名なほぼ日手帳2005がとうとう我が家に配送されてきました。
台風の中、カンガルー便のドライバーさんお疲れ様です。

これが箱。

とりあえずあけてみる。
じゃん、といろいろ入っている模様。
一番上には請求書、4000円です。早速コンビニで支払わなければ(笑)。

さらに、あさってみる。
手帳登場!
色は、ブルーブラック
いいですね、大人な色合いです。来年はこの色が似合うような大人になりたいです(笑)

さらに、透明のビニールのカバーもついている。普通のカバーの上から装着していろいろ楽しめるらしい。

とりあえず、装着。
こんな感じになりました(ついていたはがきを装着してみた)

こういう風に中にいろいろなものをはさんで、オリジナルの手帳の雰囲気を作り出すことができるんですよ。楽しそうだ。

チューわけで、手帳の報告(自慢?)でした。

お買い上げになられた皆さんの、色自慢、カバーオンカバーの提案など、ご報告お待ちしております。
2004/10/19のBlog
[関連したBlog]

何を隠そう、私は5月生まれなんですね。隠すほどのことでもないんですが(笑)。

で、5月30日生まれの有名人ということで、このページをご覧ください。
5月30日

基本的にメディアには疎いので、こいつ誰やねん!という人ばっかりなんですが、
一応知っている人を上げると、

保志 総一朗
渡辺 恒雄
北村 龍平
ベニー=グッドマン

・・・。ジャンルがすごいバラバラだ。まぁ、渡辺さんはすっごく有名なんですが、ランキングトップに来ている方を知ってるあたりが、実にマニアックでイヤですね。

ちなみに、一応解説しておくと
保志 総一朗 (声優)
渡辺 恒雄 (偉人?)
北村 龍平 (映画監督)
ベニー=グッドマン (ジャズミュージシャン)

ということです。
2004/10/18のBlog
[ 16:48 ] [ 政治・社会 ]
18日の国会議論をウォッチしてみた。

いくつか特徴的だったのが、民主党と共産党である。

ともに野党であるがそのスタンスは大きく違う。それは政党の方針が色濃く出ている聖であろう。(主義主張の違いではなく)

民主党は、とにかく与党(または総理)への攻撃が目立った。
もちろん政権を狙う政党としては当然のやり方かもしれないが、そのあたりは総理お得意ののらりくらりとした答弁で、議論がかみ合っているような印象はなかった。

この質問で民主党が特にポイントを上げたような印象はなかった。
というか、民主党自体が、何を目指し、どういう政策を具体的に主張したいのかが見えてこず、ただ総理への当てこすりであったり、足を引っ張る目的のものが多かった。

たしかに、不正を行っている政治家を正すことは大切である。が、民主党はこういう政党だというアピールが少々足りないような感じがする。そのあたりが残念であった。

逆にみていて私が評価できたのは、共産党である。彼らは傍から見ても、何を主張したいのかがはっきりしている。その主張が正しいものかは置いておいて、彼らが何を主張し、何を求めているのかが、非常にわかりやすい。総理が意味のない答弁をしていても、それがすぐにわかる。
こういうのは、みている人間にとっては非常にわかりやすくて良い。

もちろん、それだから共産党はよい、と言いたいわけでない。

ただ、TVにも映ってるんだし、全体的に意味のある議論を行うというのは、政治家の一つの仕事ではないかな、と思う。わかりにくい議論と、意味のない答えだけが永遠と繰り返されているだけでは、視聴する価値などほとんどない(もちろんもともとないという意見もないではないが)。

探しものは何ですか:ニートという生き方/6止 「就職がこわい」若者へ

一連の連載の形で書いてきたが、とりあえず今回で一区切りにしたいと思う。もし、まとまれば最後にもう一度書いてみたいと思う。

毎日の記事より引用するが、
 「ニートは特別な存在ではない。きっかけはさまざまで、誰でもニートになる可能性がある。」

この認識はまず必要である。どこの家庭にだって十分に起こりうる。もちろん裕福な家庭に起こりやすいというのは、簡単に想像できる。しかし、どのくらいの生活レベルを裕福と呼ぶかはまったくわからない。世界的にみれば日本のかなり多くの家庭が「裕福」であるともいえなくはない。

そして、ニートという存在はさまざまな問題と絡み合っているということだ。

単純に個人の問題、家庭の問題、社会の問題とそれぞれの観点から見ても、それが簡単に解決できないということを示している。

経済がある程度余裕がある状態であれば、社会は若者のそういうスタンスを「モラトリアム」として受け入れることができた。
しかし、現状ではそれに無理がきている。

ニートという存在は、モラトリアムが「普通」の状態になってしまっている。
永遠に続くことはないはずのモラトリアムの輪の中に閉じこもってしまっている。
そして、それを受け入れる余裕は今の社会にはない。

社会にとってもそのような状態は良いとは呼べない。
また、個人にとっても、ニートと呼ばれる状態は何も生みださない。

誰が原因か、何が原因かを知ることは大切である。が、それだけに没頭してしまっていては永遠に解決はつかないであろう。

もし、この状態が続き、そしてニートの数が増え続けるならば、日本という社会は成立しなくなるほどの大事である。少子化が進む中、労働をしない若者が増え続ければ、財政がどのような状態になるのかを想像するのはそれほど難しいことではない。
おそらく、社会保障も破綻を余儀なくされるであろう。
治安の悪化の問題もある。

自分の身の回りを見渡してみても、なかなか怖い状況が広がっている。
中学生や、高校生がどんどん「悪い」方向へ進んでいるのが見える。
そして、彼らに伝えるべき言葉をもたない大人が多い。

コミュニケーションがそもそも成立しないような場合もある。
そんな時私達は何ができるのだろうか。

施設を作って、彼らを放り込めば住むのだろうか。極論者が提唱する、自衛隊に彼らを引き渡して訓練すればよいのか。
どれも、現状のニートの数を減らすことはできるかもしれないが、新たに発生してくるであろうニートに対しては何の解決にもならない。

社会的には、彼らは労働し所得を得ていないことが問題になっている。

が、私からみれば、それは問題の本質でない。

彼らが、そのような状態で「満足」しているという精神構造(あるいは現状認識)が問題なのだ。そのような心でもし仕事をしたとしても長くは続かないであろうし、就職と退職を繰り返すだけかもしれない。あるいは無理をして仕事を続けていくうちに精神に破綻をきたすかもしれない。

「イヤ」なことをし続けている人間はきっとハッピーではいられない。
自分にとって有利なことをしているという認識がない人間も同様だ。

彼らに個人と仕事、あるいは社会と仕事というものの関係をどういった手段で伝えていくのか。それが、私達の課題ではないかと思う。

人間が生きるということはどういうことか、人間が「生きている」と感じられるのはどういうことか。
そういうことを考える上で、「他者の存在」というものは欠かせない存在であると思う。
他者というものはそのまま社会に通じていく。
それをまったく無視して「生き」続けていくことは難しいことだと、私は思う。
2004/10/17のBlog
忙しすぎて、更新できません。明日にはかならず・・・。
2004/10/15のBlog
[関連したBlog]

いままで内緒にしてきたキャッチフレーズを報告して欲しいということなので、
報告させていただきます。

ブログいっきま~す(開始直後)
このブログは通常の三倍重いのだよ(中期)
ブログの性能の違いが、戦力の決定的差ではないという事をおしえてやる(現在)

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マニアックすぎましたかね・・・。
今回のは難しい・・・。
探しものは何ですか:ニートという生き方/4 寮出ても自信ない
探しものは何ですか:ニートという生き方/5 「自分にできること」何か

これまでは、ニートを取り巻く環境やニートが社会的にどういう存在であるのかを見てきた。今回はニーとそのものについて見ていこうと思う。
毎日の記事に出てきているが、ニートにはその原因によっていくつかの分類に分けることができるらしい。

簡単に引用しておく。
 労働政策研究・研究機構の小杉礼子・副統括研究員は、ニートを(1)せつなを生きる型(やりたいことがなく、今が楽しければいい)(2)つながり喪失型(人間関係が築けず、殻に閉じこもる)(3)立ちすくみ型(目標を見失う、または見つけられない)(4)自信喪失型(就職したが仕事がこなせず、早期に離職)の4パターンに類型する。

まとめると
1、刹那型
2、つながり喪失型
3、立ちすくみ型
4、自信喪失型
ということになるらしい。
全てに共通して言えることは、未来の自分を設定できないということだ。少し突っ込んで考えれば、現状の自分を肯定できていない、ということになるかもしれない。

そしておそらく1の刹那型以外は生きていくことに楽しみを感じられないのではないだろうか。また、「今が楽しければいい」という考え方では、より深い楽しみを得ることはできないのであろうか。充実感のない、うすっぺらい、退屈をしのぐためだけの「楽しみ」。
そんなものには何の価値もない。それが言い過ぎた表現であるならば、生産的でないと言い換えてもいい。

変な表現だが、楽しくない人生を過ごすことほどつまらないことはない。

そういう部分で彼らは「損」をしている。

同じような心理状況に立たされている人でも、家庭の事情でどうしても働かなくてはいけない人もいるだろう。そういう人たちは少なくとも働いているうちに、社会的な関わりを得て変われるチャンスがある。
家の中と友達の輪の中を往復しているだけでは、おそらく何も変わるチャンスはやってこない。
そして何より問題なのは、彼ら自身が自分のことを「大変だ」と真剣に思っていない場合である。それはおそらく周りの人間が真剣に大変だと思っていないのであろう。
そういう雰囲気はとても強く伝わりやすい。結局しばらくは何とかなると思ってしまう。

ニートと呼ばれる人たちも時間がたてば、いずれ社会に出て行くかもしれない。
しかし、その時期が遅ければ遅いほど、社会では不利である。
すくなくとも、高収入な仕事を得ることは難しい。あるいは仕事を得ることすら難しい時代がやってくるかもしれない。そうなってからでは取り返しがつかない。

冗談抜きで「若いうちの苦労」というのは大変大事だと思う。

構造的な問題の解決方法は、親が子供を適切に突き放すことだ。子供の根っこの部分は守ってあげて、そのほかはぽんと突き放す。そうすることで自立の芽が生えてくるのではないかと思う。あるいはそうしなければ自立の芽は生えてこないのかもしれない。

現在の大人達を見ていると、根っこの部分もまもらないでひたすら突き放すか、あるいは何もかもを守ろうとしすぎていることが多いのではないかと思う。

だからといって、政府が「子供を適度に突き放して育てる基本政策」なんて作ってもまったく無意味だ、というか冗談にもならない。育児のマニュアルとほとんど同じレベルだ。
人生相談が凡庸なことしかいえないように、人間一人一人に同じ方策を当てようとすれば、当たり障りのないことをするしかなくなる。

だったらどうするんだ、といわれれば答えにつまる。少なくとも私ができることは私の子供(できたら、であるが)を一人の大人に育てることである。ということは最低限私が一人の大人として成立していなければいけない。なかなかの難問である。