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Rashita's Style Blog
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2004/12/22のBlog
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○「生きる」人間ーニートについての考察    

というような記事を以前書いた。もちろん現在も状況は改善されていない。
ただ、NEET(ニート)という言葉はかなり普及したと思う。
ただ、TB先のコメント欄の議論のように、いくつかの種類のNEETをひとくくりにまとめて、その原因を分析しようというのには無理がある。

NEETというものに共通していることは、「働く意思がない」ということである。
ただ、高校中退でふらふらしている人間と、大学を卒業してアイデンティティだなんだなと言いながら仕事先を探さない(探せない)人間を同列に扱い、その対策を考えることは無理がある。

前者には技術的な、後者には精神的なアプローチが必要だろう。
もちろん、それを行えば問題が解決するという単純なものではない。

ただ、この先労働力が不足してきた場合に、海外にその労働力を求めるようにも、その辺に転がっている人材を使わないのは、どう考えても変だと思う。
日本人なら、所得税も払うし、消費税も払うし、住民税も払う。大体の消費は国内で行われるのだから、政府にとって見れば実に結構なことである。

外国人労働者はどうしても、そのお金が国内で循環するというわけにはいかない。
もうけたお金を故郷に送金し、そのお金で日本製品を購入するというのならまあめぐりめぐっているわけだが、最近は中国が強いし・・・。

大学を卒業して、ある程度知識のバックボーンを得ている人間を、もしちょっと背中を押すことで社会に参加してもらえるなら実にコストは安くすむ。まああくまでこれは政府・社会・マクロ的な視点ではある。

そういう社会的な視点で見れば、大量のNEETというのは、働き税金を払っている人間から見れば、潜在的なコストとして捉えることができる。
それは
・税金を払わないで公共サービスを受ける。
・NEET対策の税金が使われる
・将来生活保護に頼らざる得ない状況になる可能性が高い
・最悪の場合、治安が悪化する
ということがあげられると思う。両親がかなりの資産を有しており、それを使って問題なく生活できるような人間がいる場合は、消費税をあげていけばある程度は問題ないが、大量に存在するNEETのうち、それがどのくらいの割合であるかはまったく推測するしかない。そしてそれはあまり多くはないのではないか。

ただ、NEETの問題を考える上でいつも引っかかるのが、「価値観」というものだ。
働くということへの価値観、人生に対する価値観。
こういうミクロな視点がでてくると、とたんに話がややこしくなる。

TB先のコメント欄に
「ニートって将来の不安さえなければ到達点だよね。
仙人とホームレスの関係みたいなものだ」。

という書き込みがあった。

私の価値観からすれば、NEETというのはぜんぜん到達点ではない。
働かないで暮らしていけるというのは、そんなに良いことなのであろうか。
人生の中での面白いことを一つ放棄しているだけな気がする。
「自分」という資源をうまく活用していないようにも思える。

なんだか、「働く」という言葉がすごい狭い意味合いでしか使われていないのかもしれない。
本来「働く」というのはさまざまな形態があって、一人の人間がその先を細部にわたって想像できるものでもない。

変な話、3年後私は自分がどんな仕事をしているかまったく想像できない。
したいことと環境のバランスの中でできることをしていることだろう。

これが、NEETな状態であれば、自分が何をしているか想像することはできる。
実際にその想像が当たっているかは別として、なんとなく「安定感」を得られるのかもしれない。

NEETは社会における新しい価値観の体現者だとか言われれば、あぁそうですかとしか言いようがない。
あるいは、彼らは働かないことで何かしらの主張をしているんだといわれても同じようなことだ。
そういう理屈は一応筋が通っているようで、何かしら薄っぺらい感じがする。

結局のところ、それは働く誰かがいて存在しているのだから。

ある程度の規模を持った社会ならば、その中に働かないで生きていける人間を抱えられるキャパシティーというのは存在する。それが文化的芸術的なものを生み出す「余裕」というものであると思う。

単純にこのままNEETが増えていけばこの社会のキャパシティーを超えてしまうという事態が容易に想像できるから、いま議論が持ち上がっているのだろう。
そういう意味合いにおいて、彼らは「誰かに迷惑をかけていない」とはいえない。
一人一人のNEETが他人に被害を与えていなくても、その数が増加していけば、社会的な「迷惑」に十分なりうる。

だから、すくなくともこの問題はこの社会が解決しなければいけない問題である。
ほっとけば、いずれ何とかなるだろうという甘い見通しは通じないと思う。

不思議な感じがするが、こうしてNEETのことについて考えていると、なんとなく日本政府の状況に似てなくもないなという気がする。
結局将来の危機感を現実にすることができなくて、他人の資産でとりあえず食いつないでいる。将来にビジョンを持てない。自分を変えることができない。
こういうのは日本政府が陥っている状況にそっくりだ。

ある種人間と社会の相関関係なのかもしれないが、それはまた別のお話。
2004/12/21のBlog
今月に入ってひたすら物が壊れる。
先陣を切ったのは、自転車である。

もともとかなりチェーンがさびていたのだが、突然ご臨終。
自転車は私の生活においてライフラインといっても決して過言ではないので仕方なく
即新品購入。

その後、スピーカー(右)から突然音が聞こえなくなった。
あれこれ素人仕事でいじくるもののご臨終。

ある日、録画していたビデオを見ようと、テープをデッキに突っ込んだ瞬間にビデオデッキが沈黙。ご臨終。
これまた即新品購入。

最近はPS2の様子もちょっと変だ。
iPodのイヤホンもなんかゴソゴソしている。

全体的にイヤ~な感じの空気が流れている。
一番気になるのが、このPCである。
確か3年目くらいになるが、もうそろそろヤヴァい感じがする。

これがつぶれても即新品買うんだろうな~。ネットとPCのない生活はもはや考えられない。ちょっと毒されている感じもする。

っと、あと5分で出かけるので、今日はこれまで。
[ 14:16 ] [ ネット・ブログ ]
あんまりこのBLOGではやらないんですが、ちょっと爆笑したので、他のBLOGの紹介を。

成城トランスカレッジ! ―戯言@はてな―

ひさびさに、爆笑させてもらいました。
2004/12/20のBlog
拉致遺骨問題「不誠実な対応とれば、経済制裁」と外相

最後通牒という言葉がある。
これが、交渉の最後でこの線を踏み越えたらもうこっちの思うように行動しちゃいますよという宣言である。

今回の外相の発言は北朝鮮に対する最後通牒と理解してよいのだろうか。

はっきり言って、別人の骨を渡してこれで何とかごまかせるだろうなんて態度がそもそも不誠実な対応なのではないか。もうそれは外交交渉が成立しないと考えて十分なのではないだろうか。

われわれはいつまでバカにされていることに耐え続けなければいけないのだろうか。

別に武器を持って戦うことが正しいというわけではない。
時には辛抱強く我慢し続けることこそ正しい場合もある。

我々は、こちらから直接攻撃をかけることはできない。だからこそ、政府は経済制裁を発動させることができる状況を作ったのだろう。
もう、これが最後ぎりぎりの線であることは確かだ。

まさか、この上でうまい外交なんてものが残っているなんて言うのは絵空事である。

私はすくなくとも第一段階目の経済制裁の発動を実行することは間違っていないと思う。そのことに対して六カ国協議に参加する国々は積極的賛成をしてくれないかもしれない。それをフォローするのが外交手腕というものだろうと私は思う。

少なくとも経済制裁を発動したからといって問題が劇的に解決するわけではない。
日本はより厳しい立場に立たされるかもしれない。しかし、ここでカードを切らなければ、もはやきるべきタイミングなぞ訪れないかもしれない。

あるいは、それが北朝鮮の狙いだとしたらたいしたものだ。日本からの経済制裁の発動をきっかけに何か動き出す機会を待っているのかもしれない。反日感情をさらにあおるつもりかもしれない。ほかの国に更なる援助を求める機なのかも知れない。
だが、どうあっても日本がとるべき行動はとるべきだと思う。
某首相の言葉を皮肉混じりに借りるならば
「しかるべき対応をしかるべきときに」、である。
[ 13:32 ] [ 雑記 ]
昨日、最近さまざまな問題を表面化させているNHKが「NHKに言いたい」という特番をやったらしい。私は見ていないが、新聞系の報道にも話題に上がっているので、つらつらとNHKについて書いてみたい。

出演者ら海老沢会長の責任問う NHK特番(アサヒ)
NHK「謝罪」特番生放送 海老沢会長「信頼損なった」(アサヒ)

大体各紙の立場はそんなに変わらないので、リンクはアサヒだけにしておく。

鳥越俊太郎氏が「この番組はガス抜きするためではないか」と冒頭で発言した。

ということらしいが、こんなものはよほどのことがない限りはガス抜きであることは確かであろう。
この問題を考える場合に、顔も態度も極悪人風の海老沢会長が何もかも悪いんだ、という切り口で考えていっても多分仕方がないのではないかなと思う。
会長のいすに座るような人間は、えてしてこういう人が多い。

結局のところ、NHKというシステムが抱える何かが問題なのであろう。
違う人間がいすに座ったとしても、結局同じようなことになると思う。

受信料が不正に使われていたということに対しても、そういう人間を処罰したとしても、結局そういう不正がわりあい簡単に行えるという状況を改善しない限りはなにも変わりはしない。

誰もがそういうことに気がついているのかもしれないが、この問題がこれ以上あまり大きくならないような気がする。極東ブログさんのところによると現在受信料を払っているのが約3800万世帯らしい。
これはかなり多い数字であろう。しかしながら実際家庭においてNHKが見られている割合はどのくらいなのだろうか。キーとなる特番を抱えていることもあり一定の数字は確保できているだろうが、だからといって日常の番組まで良い数字を稼いでいるとは思えない。

というか、世代が若くなればなるほど、NHKに対する期待というのは薄くなってきているのではないだろうか。

現在のお父さんの世代はおそらく文句を言いながらもなんとなく払い続けるだろう。
現在20代後半の人間がお父さんになるころにはもう払わなくなってしまうかもしれない。
そうなってからでないと改革への枠組みなんてまったく現実味を帯びない気がする。
NHKの上のほうの職員にはほとんど危機感がないのだろう。なんせほとんど適当に予算組めるんだし、政府の言うこと聞いていれば文句も言われないんだから、これは実にお役所仕事である。

だから私は今のところNHKに特に言いたいことはない。

どうせ誰も見なくなるなら、一つのチャンネルを24時間使って、席とマイクとカメラだけセッティングしておいて、出たい政治家が適当に出たり入ったりして、何か議論しているのを流しっぱなしにしておいても面白いかもしれない。
若い政治家はそういうのでもないと名前が売れないしね。
情報  
 太郎
曲 2277
容量 18.5GB
空き 7,3GB
バージョン 2,1

iPodユーザー仲間募集中。
2004/12/19のBlog
ペンは剣よりも強い。
しかし、ペンよりもはるかに笑顔の方が強い。
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別にささやかな質問ではありません。

この質問の立て方自体がすこし誘導的であるということはいなめません。

たとえば、
「現内閣が行う郵政民営化は国民にとって利益を効果的にもたらす方向に動くか」
という質問だったら、大部分がNOと答えるのではないでしょうか。
しかし、そのことに期待するかどうか、なら期待するというほうに答えが動くかもしれません。

しかしながら、「郵政民営化に期待する」という答えが、過半数を超えているとなれば、なんとなくそれを見た人は郵政民営化に対してよいイメージを抱く可能性はあります。

こういうことはアンケートを立てる人間はすべて承知の上で行っていることです。
まあ数字を操るのが、内閣の仕事なんでしょう。それはまあおいておきます。

ただ、純粋に日本国民有権者に郵政民営化についてアンケートをとった場合良い印象を持っている人は多いのではないでしょうか。それとも違うのかな。

小泉総理は、とりあえず曖昧に「郵政民営化は国民のためだ」というメッセージを発し続けていますが、それがなんとなく成功しているような感じもするのだ。
もし、そうなら総理大臣というものの持つ力がいまだに強いということなんでしょう。

実際のところ、国民のための郵政民営化もあり、そうでない郵政民営化もある。
結局は看板ではなく、中身が重要なのだ。

今のような、とりあえず民営化してしまえという方向性だけで話を進めていくことは私は間違っていると思います。これは国民の利益になんて決してつながらないと思います。
国民の利益でないことが行われているということは、どこか別の人間の利益になっているかもしれないと考えると、よほど声を上げて反対したいところです。

しかしながら、郵貯がザブザブと特殊法人に流れていったことを考えるとこの点は改善されなければいけない。やはり郵貯と簡保は切り落としていくしかないだろう。
でも、そういう議論はあんまり行われていないような気がする。

民営化かそれに反対かというレベルでとまっている気がする。

まあ、この問題と北朝鮮への政府の対応が甘ければ、内閣が解散するか、不信任案がでるかもしれない。そうなればもう少し面白くなるんだけれども。