Blog
2007/06/03のBlog
[ 14:06 ]
[ 大阪 上町寺社巡り ]
大阪 上町寺社巡り
大阪上町台の一心寺から安居天満宮、大江神社、愛染さん、生国魂神社を巡りました、この上町界隈には有名な逢坂七坂がありますが、これは別ページで掲載します。
一心寺は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺であり、正式名称は坂松山高岳院一心寺。骨仏の寺としてよく知られている。天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、緑の多い広い境内を有している。法然上人二十五霊場第七番札所。
安居神社は、菅原道真が大宰府へ旅立った場所で、大阪・夏の陣では、真田幸村
の戦死の地でもあります。ここには真田幸村の戦死の地碑が立っています。
上町寺社巡りへ
大阪上町台の一心寺から安居天満宮、大江神社、愛染さん、生国魂神社を巡りました、この上町界隈には有名な逢坂七坂がありますが、これは別ページで掲載します。
一心寺は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺であり、正式名称は坂松山高岳院一心寺。骨仏の寺としてよく知られている。天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、緑の多い広い境内を有している。法然上人二十五霊場第七番札所。
安居神社は、菅原道真が大宰府へ旅立った場所で、大阪・夏の陣では、真田幸村
の戦死の地でもあります。ここには真田幸村の戦死の地碑が立っています。
上町寺社巡りへ
2007/06/02のBlog
[ 08:20 ]
[ 勝間家アルバム ]
富田林寺内町勝間家アルバム
勝間家住宅は江戸時代の末期に富田林寺内町に建てられた。寺内町の南の
守りとして高野街道の主要位置にあり、石川と金剛山を一望に見渡せる景勝地
で城塞化されていたという。ここでは明治・大正の生活が垣間見れます。
勝間家アルバムへ
勝間家住宅は江戸時代の末期に富田林寺内町に建てられた。寺内町の南の
守りとして高野街道の主要位置にあり、石川と金剛山を一望に見渡せる景勝地
で城塞化されていたという。ここでは明治・大正の生活が垣間見れます。
勝間家アルバムへ
2007/06/01のBlog
[ 19:52 ]
[ 牧志市場 ]
オキナワ・シリーズⅣ 牧志市場
豚頭から豚足まですべて食べます
マングローブガニ
豚の顔皮 おいしいよ
ハリセンボン も皮をはぐと痛くない
大きな夜光貝
ゴーヤ NHKアサドラで一躍有名に
トロピカル魚 アオブダイ
沖縄独特の珍しい食材が
こちらから牧志市場へ
豚頭から豚足まですべて食べます
マングローブガニ
豚の顔皮 おいしいよ
ハリセンボン も皮をはぐと痛くない
大きな夜光貝
ゴーヤ NHKアサドラで一躍有名に
トロピカル魚 アオブダイ
沖縄独特の珍しい食材が
こちらから牧志市場へ
2007/05/31のBlog
[ 18:56 ]
[ 上海・蘇州アルバム ]
上海・蘇州アルバム
上海・外灘
黄浦江の西岸沿い、外白橋から中山東二路の南端まで長さ約1.5kmにわたり緑地帯が続く。かつてイギリスが租界を築き、バンドと呼ばれた一帯には当時の欧風建築物が建並ぶ。黄浦江の遊覧船からの眺めは素晴らしく、また夜はライトアップされ 幻想的な雰囲気に包まれる。
上海・蘇州アルバムへ
上海・外灘
黄浦江の西岸沿い、外白橋から中山東二路の南端まで長さ約1.5kmにわたり緑地帯が続く。かつてイギリスが租界を築き、バンドと呼ばれた一帯には当時の欧風建築物が建並ぶ。黄浦江の遊覧船からの眺めは素晴らしく、また夜はライトアップされ 幻想的な雰囲気に包まれる。
上海・蘇州アルバムへ
[ 08:17 ]
[ 京都霊山護国神社 ]
京都霊山護国神社
京都霊山護国神社は、明治元年5月に、明治維新の実現のために倒れた志士たちの霊を慰めるために、明治天皇の発案で創建された神社です。この地に築かれたのは、既に幕末期において尊王派の志士達の聖地とされていたためであり、当初の社号は特に官祭の二字を冠して霊山官祭招魂社と称していました。ここには、1043の志士たちの御霊が祀られています。主な志士は、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村寅太郎、武市半平太、木戸孝允、久坂玄瑞、梁川星巌、徳川斉昭、梅田雲浜、真木和泉守、平野国臣、橋本左内、頼三樹三郎、中山忠光などです。。(http://www.digimake.co.jp/webtown/higashiyama/gokoka/gokoka.html より)
こちらから京都霊山護国神社へ
京都霊山護国神社は、明治元年5月に、明治維新の実現のために倒れた志士たちの霊を慰めるために、明治天皇の発案で創建された神社です。この地に築かれたのは、既に幕末期において尊王派の志士達の聖地とされていたためであり、当初の社号は特に官祭の二字を冠して霊山官祭招魂社と称していました。ここには、1043の志士たちの御霊が祀られています。主な志士は、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村寅太郎、武市半平太、木戸孝允、久坂玄瑞、梁川星巌、徳川斉昭、梅田雲浜、真木和泉守、平野国臣、橋本左内、頼三樹三郎、中山忠光などです。。(http://www.digimake.co.jp/webtown/higashiyama/gokoka/gokoka.html より)
こちらから京都霊山護国神社へ
2007/05/30のBlog
[ 20:15 ]
[ ポルトガルの町マカオ ]
ポルトガルの町マカオ
1999年までポルトガルの植民地であったマカオは、中国のヨーロッパの植民地の中ではもっとも古い。植民地時代の遺構もあるが、マカオでもっとも大きな集客力を有するのはカジノであり、『東洋のラスベガス』とも言われている。
こちらからマカオへ
1999年までポルトガルの植民地であったマカオは、中国のヨーロッパの植民地の中ではもっとも古い。植民地時代の遺構もあるが、マカオでもっとも大きな集客力を有するのはカジノであり、『東洋のラスベガス』とも言われている。
こちらからマカオへ
2007/05/29のBlog
[ 08:39 ]
[ 奈良町を往く ]
奈良町を往く
奈良町は、中近世の街並みの面影を残す町である。宝徳3年(1451)に元興寺は、伽藍の殆どを消失し、境内地に町並みが形成された。奈良町で作られる奈良晒しと呼ばれる麻織物は、江戸時代には御用品とされ、また全国にも出荷された。路地の町家の軒先には、現在も奈良町に息づく庶民信仰のひとつ、庚申信仰の「身代り猿」がつるされている。(http://www.pref.nara.jp/nara/kaido/spot/k24.htmより)
奈良町へ
http://www.geocities.jp/gontahome06/naramati/index.htm
奈良町は、中近世の街並みの面影を残す町である。宝徳3年(1451)に元興寺は、伽藍の殆どを消失し、境内地に町並みが形成された。奈良町で作られる奈良晒しと呼ばれる麻織物は、江戸時代には御用品とされ、また全国にも出荷された。路地の町家の軒先には、現在も奈良町に息づく庶民信仰のひとつ、庚申信仰の「身代り猿」がつるされている。(http://www.pref.nara.jp/nara/kaido/spot/k24.htmより)
奈良町へ
http://www.geocities.jp/gontahome06/naramati/index.htm
2007/05/28のBlog
[ 08:17 ]
[ 談山神社 ]
大化改新談い山 談山神社
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。
たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会があったとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。藤原の姓はここに始まります。鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立した。大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。(談山神社公式サイトより)
談山神社へ
http://akihp.web.infoseek.co.jp/tanzanjinjya/tandan.htm
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。
たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会があったとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。藤原の姓はここに始まります。鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立した。大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。(談山神社公式サイトより)
談山神社へ
http://akihp.web.infoseek.co.jp/tanzanjinjya/tandan.htm
2007/05/27のBlog
[ 14:54 ]
[ きれいなレンチング湖 ]
きれいなレンチング湖
オーストリアで最も大きい湖であるAttersee湖
きれいな湖岸に沿うように道があり、歩行にハイキングを楽しめます。
湖のまわりには美しいホテルを見つけることができます。
古い城を改造したホテルもあります。
リッチですな、ヨットが
こちらからアルバムへ
http://www.geocities.jp/gontahome06/lenzing/lenz.htm
オーストリアで最も大きい湖であるAttersee湖
きれいな湖岸に沿うように道があり、歩行にハイキングを楽しめます。
湖のまわりには美しいホテルを見つけることができます。
古い城を改造したホテルもあります。
リッチですな、ヨットが
こちらからアルバムへ
http://www.geocities.jp/gontahome06/lenzing/lenz.htm
2007/05/26のBlog
[ 09:32 ]
[ 山背(やましろ)古道を歩く ]
山背(やましろ)古道を歩く
山背古道、ここは京都から5里奈良からも5里で5里5里の里と呼ばれる。自然の恵み豊かな地に点在する
村と村、京都と奈良の都を繋ぐ道として昔から往来が盛んで京の貴族の長谷詣でや伊勢参拝の道であったが、
歴史の上では名が残らず、1995年に近隣の市町が協力整備した「新しい古道」として訪れる人々が多い。
山背(やましろ)古道を歩くアルバムへ
http://www.geocities.jp/gontahome06/jyouyou/album.htm
山背古道、ここは京都から5里奈良からも5里で5里5里の里と呼ばれる。自然の恵み豊かな地に点在する
村と村、京都と奈良の都を繋ぐ道として昔から往来が盛んで京の貴族の長谷詣でや伊勢参拝の道であったが、
歴史の上では名が残らず、1995年に近隣の市町が協力整備した「新しい古道」として訪れる人々が多い。
山背(やましろ)古道を歩くアルバムへ
http://www.geocities.jp/gontahome06/jyouyou/album.htm
2007/05/25のBlog
[ 12:35 ]
[ 岩涌の森 ]
岩涌の森
河内長野からサイクルセンターへの途中を左折、住宅地を抜け、車一台がやっと通れる道を4キロほど入ると、岩涌の森へ
しゃくなげ・ぼたん・もくれん・やまぶき・どうざんつつじなどが咲き、めずらしく"ポポー”の花が、また野草が多く花をつけています。
岩涌の森へ
http://www.geocities.jp/bkiguchi/iwawakusan/iwawaku.html
河内長野からサイクルセンターへの途中を左折、住宅地を抜け、車一台がやっと通れる道を4キロほど入ると、岩涌の森へ
しゃくなげ・ぼたん・もくれん・やまぶき・どうざんつつじなどが咲き、めずらしく"ポポー”の花が、また野草が多く花をつけています。
岩涌の森へ
http://www.geocities.jp/bkiguchi/iwawakusan/iwawaku.html
2007/05/24のBlog
[ 19:39 ]
[ 牡丹と花の 長谷寺 ]
牡丹と花の 長谷寺
現在長谷寺は真言宗豊山派の総本山として、 また西国三十三観音霊場第八番札所として、全国に末寺三千余ヶ寺、檀信徒はおよそ三百万人といわれ、 四季を通じ「花の寺」として多くの人々の信仰をあつめています。
いまぼたん祭りが行われていましたが、八重桜、石楠花、ふじ、つつじ、菖蒲などが花開き、花水木が白・ピンクと綺麗な花をつけていました。
こちらから長谷寺へ
http://akihp.web.infoseek.co.jp/hasebotan/hasedera.html
現在長谷寺は真言宗豊山派の総本山として、 また西国三十三観音霊場第八番札所として、全国に末寺三千余ヶ寺、檀信徒はおよそ三百万人といわれ、 四季を通じ「花の寺」として多くの人々の信仰をあつめています。
いまぼたん祭りが行われていましたが、八重桜、石楠花、ふじ、つつじ、菖蒲などが花開き、花水木が白・ピンクと綺麗な花をつけていました。
こちらから長谷寺へ
http://akihp.web.infoseek.co.jp/hasebotan/hasedera.html
2007/05/22のBlog
[ 14:08 ]
[ コスモポリタン 香港 ]