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2004/04/04のBlog
[ 17:12 ]
[ Match Review ]
【ガンバ大阪 4-0 清水エスパルス】
ガンバがよかったわけではなく、清水がダメだった試合。
清水は何をやりたいのかよくわからない。
【サンフレッチェ広島 1-3 JEF市原】
戦術的な判断力が伸びてきた市原と、選手の疲労とケガでまだチームの戦術が落ち着かない広島。
んー、サンフレはかなりちぐはぐだなあ・・・。特に中盤と最終ラインの連携というか意識の差が埋まってない。
後半の同点ゴールは市原のプレーは素晴らしいんだけど、広島の連携の悪さも見えたシーンだった。
【ジュビロ磐田 3-1 浦和レッズ】
審判がぶち壊した試合。どうも浦和はサポも選手も悪い印象をもたれているような気がする。
最初のカードは出す必要がまったくないと思うし、審判にカードを要求したシーンも2枚目であることを考えれば、ゲームをぶち壊してまで処分しなくてもいいのでは。
それにしてもジュビロ・グラウの決定力は驚異的。大崩れしない中盤に信用できるFW、やはりこのクラブは強い。
【ヴィッセル神戸 0-0 大分トリニータ】
今期の外れ外国人のトップ当選を果たしそうなビチュヘが退場。大分は中盤の構成に悩みが続く。
この大分に勝てない神戸はチーム、サポ、フロントの間にある問題が解決しないと「快進撃」にはつながらない気がします。ユニフォームの色なんかより、やることが先にあるんじゃないでしょうか。日本のチェルスキーと言われているけど、実際のチェルシーとは事情が大分違いますね。
【FC東京 3-2 東京ヴェルディ】
FC東京のサポーターはホントにサポーターだな、というブーイング。(・∀・)イイ
試合内容はいいとは言えないんですけど、スペインのような攻撃サッカーを提唱する原さんはこのまま押し切るんでしょう。それもまたサッカーです(笑)ヴェルディは中盤の選手が周りを見えてない気がしますし、ボールを前に運ぶために動けてないです。それでもスコア的に優位に立ったこの試合を落としたのはちょっと痛すぎます。
【横浜Fマリノス 2-1 セレッソ大阪】
落ち着きと視野の広さを持ち始めて、身体能力バカから危険なFWへ進化した久保をセットプレーでフリーにしてしまうあたり、3連敗のチームだな、というセレッソ。精神的にもフィジカル面でも落ち着いてきた大久保にキレが戻ってきただけに、久保のゴールは余計ですね。
厳しい日程をこなしているマリノスがこういう試合をモノにしていくと、去年のセカンドステージのようにスルスルと上がってきていそうで怖い。
ガンバがよかったわけではなく、清水がダメだった試合。
清水は何をやりたいのかよくわからない。
【サンフレッチェ広島 1-3 JEF市原】
戦術的な判断力が伸びてきた市原と、選手の疲労とケガでまだチームの戦術が落ち着かない広島。
んー、サンフレはかなりちぐはぐだなあ・・・。特に中盤と最終ラインの連携というか意識の差が埋まってない。
後半の同点ゴールは市原のプレーは素晴らしいんだけど、広島の連携の悪さも見えたシーンだった。
【ジュビロ磐田 3-1 浦和レッズ】
審判がぶち壊した試合。どうも浦和はサポも選手も悪い印象をもたれているような気がする。
最初のカードは出す必要がまったくないと思うし、審判にカードを要求したシーンも2枚目であることを考えれば、ゲームをぶち壊してまで処分しなくてもいいのでは。
それにしてもジュビロ・グラウの決定力は驚異的。大崩れしない中盤に信用できるFW、やはりこのクラブは強い。
【ヴィッセル神戸 0-0 大分トリニータ】
今期の外れ外国人のトップ当選を果たしそうなビチュヘが退場。大分は中盤の構成に悩みが続く。
この大分に勝てない神戸はチーム、サポ、フロントの間にある問題が解決しないと「快進撃」にはつながらない気がします。ユニフォームの色なんかより、やることが先にあるんじゃないでしょうか。日本のチェルスキーと言われているけど、実際のチェルシーとは事情が大分違いますね。
【FC東京 3-2 東京ヴェルディ】
FC東京のサポーターはホントにサポーターだな、というブーイング。(・∀・)イイ
試合内容はいいとは言えないんですけど、スペインのような攻撃サッカーを提唱する原さんはこのまま押し切るんでしょう。それもまたサッカーです(笑)ヴェルディは中盤の選手が周りを見えてない気がしますし、ボールを前に運ぶために動けてないです。それでもスコア的に優位に立ったこの試合を落としたのはちょっと痛すぎます。
【横浜Fマリノス 2-1 セレッソ大阪】
落ち着きと視野の広さを持ち始めて、身体能力バカから危険なFWへ進化した久保をセットプレーでフリーにしてしまうあたり、3連敗のチームだな、というセレッソ。精神的にもフィジカル面でも落ち着いてきた大久保にキレが戻ってきただけに、久保のゴールは余計ですね。
厳しい日程をこなしているマリノスがこういう試合をモノにしていくと、去年のセカンドステージのようにスルスルと上がってきていそうで怖い。
2004/04/03のBlog
[ 20:17 ]
[ JEF United 市原 ]
まずは【私信】から。
んー、やっぱ勝ち点3は来週までお預けでしたね。
「勝ち点3のお引き落とし、ありがとうございました~」
って感じですね。
そんな簡単な試合じゃなかったですけど、おそらく見ている広島サポが地団駄踏むだろうから書いてやれ。
フィットし始めるとちょっとやばそうなチアゴがいなかったのもあるけど、ウチもマルキーニョスとうなぎ(村井)がいなかったから、やっぱ総合的にウチの方が強いということだな、うむ。
オシム監督は自分たちが考えて戦術をピッチ上に体現することを常に意識させていて、非常にアヤックス的な「戦術意識の高いサッカー」(システマティックなサッカーとは違う。)を求めている。犬たちもそれに応えているようだし、今年も安心してみていられそうだ。
それにしても、かつては浦和から「Jリーグのお荷物」のレッテルを引き継いでネタクラブとして存在していたけど、最近は賞賛されることが増えてきて、寂しいというか、どう反応したものかよくわからなくなりますね。なんか会計に5千円出して、お釣にもなぜか5千円が返ってきちゃったような「いいのかな」みたいな気持ちも少なからずあります。他の犬サポはどうなんだろ・・・。
あとはクラブの運営がもっとレベルアップしていくことを期待したいですね。
クラブ会報の送料とか、入会を拒否しているかのような受付の対応の鈍さとか、改善されるといいんですけど。
んー、やっぱ勝ち点3は来週までお預けでしたね。
「勝ち点3のお引き落とし、ありがとうございました~」
って感じですね。
そんな簡単な試合じゃなかったですけど、おそらく見ている広島サポが地団駄踏むだろうから書いてやれ。
フィットし始めるとちょっとやばそうなチアゴがいなかったのもあるけど、ウチもマルキーニョスとうなぎ(村井)がいなかったから、やっぱ総合的にウチの方が強いということだな、うむ。
オシム監督は自分たちが考えて戦術をピッチ上に体現することを常に意識させていて、非常にアヤックス的な「戦術意識の高いサッカー」(システマティックなサッカーとは違う。)を求めている。犬たちもそれに応えているようだし、今年も安心してみていられそうだ。
それにしても、かつては浦和から「Jリーグのお荷物」のレッテルを引き継いでネタクラブとして存在していたけど、最近は賞賛されることが増えてきて、寂しいというか、どう反応したものかよくわからなくなりますね。なんか会計に5千円出して、お釣にもなぜか5千円が返ってきちゃったような「いいのかな」みたいな気持ちも少なからずあります。他の犬サポはどうなんだろ・・・。
あとはクラブの運営がもっとレベルアップしていくことを期待したいですね。
クラブ会報の送料とか、入会を拒否しているかのような受付の対応の鈍さとか、改善されるといいんですけど。
[ 08:55 ]
[ 日本代表 ]
多分この人はボクのブログなんか読んでないと思うので、ここでこんなに書くことにやや抵抗があるのですけど。
ダバディさんに物申す
まあ、それに対してやりあってるのはコッチのブログなんでしょうが、まあきちんと流れを掴んでいるのはどう考えてもこちらのブログの方でしょう。
で、完全にずれてしまっているのは「ナショナリズム」という言葉の使い方なんでしょう。
そもそも、「ナショナリズム」とは文化・民族的な共同体が自主性、独立性を持つことであって、国家としての独立あるいは国家主義(ネーション・ステート)だけを指し示すものではありません。
ダバディ氏が警告というか指摘しているのは、この国家主義(ネーション・ステート)といわれるナショナリズムのもつ危険性であるわけですけど、このあたりについてはますたろう氏は何も語っていません(なんか引き出しに隠してるみたいですが)
んで、ダバディ氏のいう「コスモポリタニズム」とますたろう氏のいう「欧州サッカーにおけるナショナリズム」は基本的な発想の部分では同じじゃないですかね。つまり、「身近にある文化」あるいは「血脈などから意識される民族」という観点から形成される共同体、あるいは文化圏こそが人にとって意味合いのある「心の国境」なのだ、という考え方です。ダバディ氏はそこから更に、通信や情報社会の充実によって互いに接近しあった社会が構成されることでより大きな共同体が出来るのではないか(当然その最大値は現在のところ地球ということになるわけだけど)、見たいな考察をしていくみたいです。
一方、ますたろう氏は別に共同体の拡大なんかしても違いを楽しむことが出来なくなるので、その辺は流れに任せてしまえ、ただその流れだけは理解しとけ、という感じでしょうか。
ますたろう氏がトロネイ氏に「浅学」といった部分は、おそらくこう言った本来の「ナショナリズム」というものの意識が、トロネイ氏の中では単に「国家主義的なもの」から逸脱しない非常に狭い意味で捉えているだろう、ということの指摘ではなのではないかと思われます。
しかし、この違いはかなり決定的で、その後のやり取りに支障が出てますね。
ここからはサッカーの話を交えて書きますけどね、うまく書けるかなー。暴言なしって難しいな。
トロネイ氏の文章からの引用
>それってヨーロッパで、いまEUに統合して自分たちの国がもうすぐなくなっていこととか
>に直面している人達の勝手な意見だなという、政治的というか思想的な言い回しも出来ま
>すが、それよりももっと低レベルにあえて話しを落とすと、『もう俺たち国家代表同士の
>サッカーの試合って飽きちゃった~、これからのムーヴメントはクラブマッチがオシャレ
>だぜベイベー』といってる欧州の人達がいる。
先ほどの「ナショナリズム」の話を踏まえると、この部分は大きな勘違いというか、この人たちの心情に近寄ろうとしてないんじゃないですかね。
というのは、そもそも欧州の人たちは別に「国家代表同士のサッカー」に飽きたりはしていなくて、単に自分たちの生活・文化により近い(というよりも、文化そのもの、と言ってもいい)クラブ同士の戦いが見れるようになった、だけの話なのです。
例えば、イギリスがワールドカップに出場してなくって、「イングランド」「ウェールズ」といった「地方単位」で出場してきます。イングランド人のナショナリズムは「イギリス」よりも身近なところに「イングランド」があるんだろうと。
「アメリカ領サモア」の方がわかりやすいかもな・・・。
遠く海の離れたアメリカ本土よりも、彼らは自分たちの島自体を一つの文化圏として意識している(太平洋を間に挟んで、お互いを一つの文化圏と意識するなんてムリ)から、「アメリカ領サモア」という地域で出場してくる。
逆にスペインなんか、バスクだ、カタルーニャだ、アンダルシアだ、と地方によって文化が違い、「イングランド」や「アメリカ領サモア」のような例に倣って地方で出てくればいいだろ、と言う気もしますけど(個人的にはちょっと面白そうだと思うけどね)、スペインの中で彼らには自治権があり、また第二次世界大戦以降の混乱などもあって「スペイン」という国で出場してくる(カタルーニャ代表なんてのを結成したりもするなあ・・・)しかし、「自治権もってます」、なんて言っても文化圏の違いを意識する気持ちを消すことが出来るわけではないので、スペイン代表に対するスペイン国民の関心は非常に薄かったりする。
ただ、「イングランド」や「アメリカ領サモア」は「ネーション・ステート」という意識からサッカーの世界においては独立を果たしていて、「スペイン」は果たしていない、ってことはハッキリしてると思う。
じゃあ、「イングランド」というものが「文化・民族」的な最小単位か、と言うとそれはまた違うわけで、「イングランド」から「マージーサイド」とか「ノースロンドン」といった「より身近に意識できる文化圏=文化的ナショナリズム」があり、その代表こそが「クラブ」なのだ。
そして、そのクラブ同士が対抗戦を行うチャンピオンズリーグやUEFAカップが整備されてきて、盛り上がってきた。より「身近なナショナリズムが反映された方が、興奮も喜びもある」事は容易に想像がつくと思うのだが、これこそがダバディ氏の
『そのうちワールドカップはなくなるだろう、ビッグクラブの方がお金もあっておもしろいサッカーをやっているんだから、世界クラブ選手権をやればいい、サッカーは無国籍な物になって行けばいい』
という発言であり、やますたろう氏のいう
「あのさ、クラブチーム優先の欧州の論理って、それがそもそも立派な「ナショナリズム」なの。」
という言葉の真意ではなかろうか。
ますたろう氏の引用に味付けして書いてみれば「(高校野球において)県代表はなんとなく応援してしまうけど、自分の出身校が出場できるならそっちの方が肩入れするでしょ」ってことですかね・・・。んー、ここまで解説してきてまったくの見当違いだったらどうしよう・・・。
でも実際には日本やアフリカはそうじゃない。
そもそも、日本やアフリカにはそういった「サッカー文化」そのものがないわけで(ナショナリズムがない、のではないことは確認して欲しい)、一番最初にインパクトを持って飛び込んできたのは「代表戦」なのはおそらく間違いないだろうと思う。
だから、トロネイ氏が日本やアフリカのように「代表戦ありき」な文化があってもおかしくないはずだ、的は話はわからなくないし、『自分のナショナリティは国ではなくクラブにあり』とか、それは人それぞれ的なこともわかる。
ただ、ここでもますたろう氏やダバディ氏は思考を先に進めていて、①まず、そもそもJリーグは地域密着の理念を持って活動しているのであり、②地域の人たちはその活動に(積極的に)参加しているわけで、③クラブ単位の文化圏になり、その愛着がナショナリティそのものだろう、ということである。そしてボクはコレに賛成する。サイトの名前のとおりボクは犬サポであるけど、地域にあるクラブに対する愛着ってのは、かかわれば出てきてしまうと思うんだけどなあ。
例えば、子供が出来て成長してサッカーやりたいってなったら地元のサッカークラブに入れるんじゃないかなあ。で、時間があれば応援に行ったり、差し入れしたりとかしてるとやっぱり愛着は出てくると思うし、クラブに対するきつい発言も愛着の裏返し的なものになっていくと思うんですよ。こういう生活とかに結びついたサッカー文化を考えたら、そこにあるのは代表じゃなくてクラブじゃないかなあ。
そうでなくちゃいけない、といいたいわけじゃなくて、欧州とか南米には、もう1世紀以上そういう「サッカーのある生活」があって、そしたらサッカーのナショナリズムとかサッカー文化ってのはこの辺に行き着いちゃったんだと思う。
トロネイ氏が言うような、『もうそれは時代遅れなんだよ』とか、『これからのムーヴメントはクラブマッチがオシャレだぜベイベー』という感覚は欧州の人間には元々なくて、より身近で愛着のあるクラブの対抗戦になったことで感情移入しやすい、というのが言い方として正しいんじゃないだろうか。
ここには「コスモポリタン」とかそういう思想は深く入り込んでこない。
もし入り込んでくるとすれば、「より多くの文化圏が個性を強調する」ということであり、それは別段ナショナリズムとは抵触しないし、当たり前のことながら「ネーション・ステート」の入り込む余地は少ないのだ。
そして、地域密着という活動を踏まえていけば、「代表」という枠組みはやや広く、より愛着のわく「クラブ」に流れていくのはそれほど不思議なことではなくて、それは「代表へのプライオリティ」を失ってしまうことではない、といえるんじゃないかな(失ってしまうかもしれないが)
なんかこんな文章を書いてどうするんだろうなー。
ダバディさんに物申す
まあ、それに対してやりあってるのはコッチのブログなんでしょうが、まあきちんと流れを掴んでいるのはどう考えてもこちらのブログの方でしょう。
で、完全にずれてしまっているのは「ナショナリズム」という言葉の使い方なんでしょう。
そもそも、「ナショナリズム」とは文化・民族的な共同体が自主性、独立性を持つことであって、国家としての独立あるいは国家主義(ネーション・ステート)だけを指し示すものではありません。
ダバディ氏が警告というか指摘しているのは、この国家主義(ネーション・ステート)といわれるナショナリズムのもつ危険性であるわけですけど、このあたりについてはますたろう氏は何も語っていません(なんか引き出しに隠してるみたいですが)
んで、ダバディ氏のいう「コスモポリタニズム」とますたろう氏のいう「欧州サッカーにおけるナショナリズム」は基本的な発想の部分では同じじゃないですかね。つまり、「身近にある文化」あるいは「血脈などから意識される民族」という観点から形成される共同体、あるいは文化圏こそが人にとって意味合いのある「心の国境」なのだ、という考え方です。ダバディ氏はそこから更に、通信や情報社会の充実によって互いに接近しあった社会が構成されることでより大きな共同体が出来るのではないか(当然その最大値は現在のところ地球ということになるわけだけど)、見たいな考察をしていくみたいです。
一方、ますたろう氏は別に共同体の拡大なんかしても違いを楽しむことが出来なくなるので、その辺は流れに任せてしまえ、ただその流れだけは理解しとけ、という感じでしょうか。
ますたろう氏がトロネイ氏に「浅学」といった部分は、おそらくこう言った本来の「ナショナリズム」というものの意識が、トロネイ氏の中では単に「国家主義的なもの」から逸脱しない非常に狭い意味で捉えているだろう、ということの指摘ではなのではないかと思われます。
しかし、この違いはかなり決定的で、その後のやり取りに支障が出てますね。
ここからはサッカーの話を交えて書きますけどね、うまく書けるかなー。暴言なしって難しいな。
トロネイ氏の文章からの引用
>それってヨーロッパで、いまEUに統合して自分たちの国がもうすぐなくなっていこととか
>に直面している人達の勝手な意見だなという、政治的というか思想的な言い回しも出来ま
>すが、それよりももっと低レベルにあえて話しを落とすと、『もう俺たち国家代表同士の
>サッカーの試合って飽きちゃった~、これからのムーヴメントはクラブマッチがオシャレ
>だぜベイベー』といってる欧州の人達がいる。
先ほどの「ナショナリズム」の話を踏まえると、この部分は大きな勘違いというか、この人たちの心情に近寄ろうとしてないんじゃないですかね。
というのは、そもそも欧州の人たちは別に「国家代表同士のサッカー」に飽きたりはしていなくて、単に自分たちの生活・文化により近い(というよりも、文化そのもの、と言ってもいい)クラブ同士の戦いが見れるようになった、だけの話なのです。
例えば、イギリスがワールドカップに出場してなくって、「イングランド」「ウェールズ」といった「地方単位」で出場してきます。イングランド人のナショナリズムは「イギリス」よりも身近なところに「イングランド」があるんだろうと。
「アメリカ領サモア」の方がわかりやすいかもな・・・。
遠く海の離れたアメリカ本土よりも、彼らは自分たちの島自体を一つの文化圏として意識している(太平洋を間に挟んで、お互いを一つの文化圏と意識するなんてムリ)から、「アメリカ領サモア」という地域で出場してくる。
逆にスペインなんか、バスクだ、カタルーニャだ、アンダルシアだ、と地方によって文化が違い、「イングランド」や「アメリカ領サモア」のような例に倣って地方で出てくればいいだろ、と言う気もしますけど(個人的にはちょっと面白そうだと思うけどね)、スペインの中で彼らには自治権があり、また第二次世界大戦以降の混乱などもあって「スペイン」という国で出場してくる(カタルーニャ代表なんてのを結成したりもするなあ・・・)しかし、「自治権もってます」、なんて言っても文化圏の違いを意識する気持ちを消すことが出来るわけではないので、スペイン代表に対するスペイン国民の関心は非常に薄かったりする。
ただ、「イングランド」や「アメリカ領サモア」は「ネーション・ステート」という意識からサッカーの世界においては独立を果たしていて、「スペイン」は果たしていない、ってことはハッキリしてると思う。
じゃあ、「イングランド」というものが「文化・民族」的な最小単位か、と言うとそれはまた違うわけで、「イングランド」から「マージーサイド」とか「ノースロンドン」といった「より身近に意識できる文化圏=文化的ナショナリズム」があり、その代表こそが「クラブ」なのだ。
そして、そのクラブ同士が対抗戦を行うチャンピオンズリーグやUEFAカップが整備されてきて、盛り上がってきた。より「身近なナショナリズムが反映された方が、興奮も喜びもある」事は容易に想像がつくと思うのだが、これこそがダバディ氏の
『そのうちワールドカップはなくなるだろう、ビッグクラブの方がお金もあっておもしろいサッカーをやっているんだから、世界クラブ選手権をやればいい、サッカーは無国籍な物になって行けばいい』
という発言であり、やますたろう氏のいう
「あのさ、クラブチーム優先の欧州の論理って、それがそもそも立派な「ナショナリズム」なの。」
という言葉の真意ではなかろうか。
ますたろう氏の引用に味付けして書いてみれば「(高校野球において)県代表はなんとなく応援してしまうけど、自分の出身校が出場できるならそっちの方が肩入れするでしょ」ってことですかね・・・。んー、ここまで解説してきてまったくの見当違いだったらどうしよう・・・。
でも実際には日本やアフリカはそうじゃない。
そもそも、日本やアフリカにはそういった「サッカー文化」そのものがないわけで(ナショナリズムがない、のではないことは確認して欲しい)、一番最初にインパクトを持って飛び込んできたのは「代表戦」なのはおそらく間違いないだろうと思う。
だから、トロネイ氏が日本やアフリカのように「代表戦ありき」な文化があってもおかしくないはずだ、的は話はわからなくないし、『自分のナショナリティは国ではなくクラブにあり』とか、それは人それぞれ的なこともわかる。
ただ、ここでもますたろう氏やダバディ氏は思考を先に進めていて、①まず、そもそもJリーグは地域密着の理念を持って活動しているのであり、②地域の人たちはその活動に(積極的に)参加しているわけで、③クラブ単位の文化圏になり、その愛着がナショナリティそのものだろう、ということである。そしてボクはコレに賛成する。サイトの名前のとおりボクは犬サポであるけど、地域にあるクラブに対する愛着ってのは、かかわれば出てきてしまうと思うんだけどなあ。
例えば、子供が出来て成長してサッカーやりたいってなったら地元のサッカークラブに入れるんじゃないかなあ。で、時間があれば応援に行ったり、差し入れしたりとかしてるとやっぱり愛着は出てくると思うし、クラブに対するきつい発言も愛着の裏返し的なものになっていくと思うんですよ。こういう生活とかに結びついたサッカー文化を考えたら、そこにあるのは代表じゃなくてクラブじゃないかなあ。
そうでなくちゃいけない、といいたいわけじゃなくて、欧州とか南米には、もう1世紀以上そういう「サッカーのある生活」があって、そしたらサッカーのナショナリズムとかサッカー文化ってのはこの辺に行き着いちゃったんだと思う。
トロネイ氏が言うような、『もうそれは時代遅れなんだよ』とか、『これからのムーヴメントはクラブマッチがオシャレだぜベイベー』という感覚は欧州の人間には元々なくて、より身近で愛着のあるクラブの対抗戦になったことで感情移入しやすい、というのが言い方として正しいんじゃないだろうか。
ここには「コスモポリタン」とかそういう思想は深く入り込んでこない。
もし入り込んでくるとすれば、「より多くの文化圏が個性を強調する」ということであり、それは別段ナショナリズムとは抵触しないし、当たり前のことながら「ネーション・ステート」の入り込む余地は少ないのだ。
そして、地域密着という活動を踏まえていけば、「代表」という枠組みはやや広く、より愛着のわく「クラブ」に流れていくのはそれほど不思議なことではなくて、それは「代表へのプライオリティ」を失ってしまうことではない、といえるんじゃないかな(失ってしまうかもしれないが)
なんかこんな文章を書いてどうするんだろうなー。
2004/04/02のBlog
[ 14:18 ]
[ 日本代表 ]
もちろん選手個人個人を見て召集を判断しないとか、オマーン戦の柳沢、山田みたいな、コンディションを崩してしまうような選手起用や、控え選手、バックアッパーへの配慮が足りない、などなど、ジーコには批判されるべき要素を山のように抱えている。
熱さ対策をしないとか、準備の面でも至らないところがたくさんある。
解任要求には賛成なのだ。
しかし、ジーコの母国ブラジルのように、アルゼンチン戦以外では積極的に欧州クラブ所属の選手を招集せず国内選手を中心に代表を編成し、ファンはそれを理解しつつ単に「試合の勝敗・内容」を持って批判するようなサッカー文化が、日本にあるのだろうか。
例えば、オマーン戦で再三エリア付近でフリーキックを獲得した時に「中村を何で呼んでおかなかったんだ」なんて話は出ないと言い切れるだろうか?
例えば、シンガポール戦で「シンガポールなんかに海外選手を招集できるか」というイングランド張りの意味不明で自信過剰な発言を出来るだろうか?
そういうことである。
先にも書いたが「日本サッカーが世界のサッカーシーンに踏み込み、文化を築いていく」という観点を持ちながら批判をするジャーナリストはほとんどいない。目先の結果や事象を批判しているだけだ。
トルシエのときにはそれでもよかった。
自国開催のワールドカップで何よりも結果が求められたのだから。
しかし、今は違うだろう。
「日本代表を強くする」ことが第一義的な目標であった時代から、日韓共催のワールドカップを経て世界のサッカーシーンの中に日本サッカーがどう踏み込んでいくのかを考えなくてはならない時代になったのではなかったか。
熱さ対策をしないとか、準備の面でも至らないところがたくさんある。
解任要求には賛成なのだ。
しかし、ジーコの母国ブラジルのように、アルゼンチン戦以外では積極的に欧州クラブ所属の選手を招集せず国内選手を中心に代表を編成し、ファンはそれを理解しつつ単に「試合の勝敗・内容」を持って批判するようなサッカー文化が、日本にあるのだろうか。
例えば、オマーン戦で再三エリア付近でフリーキックを獲得した時に「中村を何で呼んでおかなかったんだ」なんて話は出ないと言い切れるだろうか?
例えば、シンガポール戦で「シンガポールなんかに海外選手を招集できるか」というイングランド張りの意味不明で自信過剰な発言を出来るだろうか?
そういうことである。
先にも書いたが「日本サッカーが世界のサッカーシーンに踏み込み、文化を築いていく」という観点を持ちながら批判をするジャーナリストはほとんどいない。目先の結果や事象を批判しているだけだ。
トルシエのときにはそれでもよかった。
自国開催のワールドカップで何よりも結果が求められたのだから。
しかし、今は違うだろう。
「日本代表を強くする」ことが第一義的な目標であった時代から、日韓共催のワールドカップを経て世界のサッカーシーンの中に日本サッカーがどう踏み込んでいくのかを考えなくてはならない時代になったのではなかったか。
[ 14:00 ]
[ 日本代表 ]
さて、この時から日本代表・日本サッカー界は選手を世界各国に送り出す存在になり、サッカークラブシーンの中でどうやって「代表のクオリティ」を維持していくのか考えなくてはならなくなったはずである。「今までの代表至上主義を貫き召集していく」のか、南米で見られるように「国内選手でクオリティを上げつつ、海外の選手の召集を視野に入れるのか」、あるいはロシアやある意味でイタリアのように「国内選手だけで戦っていく」のか。
そして、ジーコは自分の方針として積極的に海外クラブの選手を招集することを明言していた。「黄金の中盤」はネーミングセンスのないマスコミの造語だが、ジーコがこの4人を意識していなかったはずはない。
ボクはこのやり方に懐疑的というか、批判的な態度を取る。積極的に海外移籍をすることをジーコも勧めていた筈だが、ジーコのように親善試合をはじめ代表戦に各国に散って行った選手を招集することは海外クラブに「日本人選手は代表戦を重視しすぎて、戦力として計算しにくい」という疑念を抱かせてしまうと思えたからだ。現に代表監督だったトルシエと当時中田が所属していたASローマのファビオ・カペッロ監督の間で揉め、コンフェデレーションズカップ決勝を前にエース中田がチームを離れるという事態があった。ジーコジャパンになってもサンプドリアは柳沢を信用しなくなったし、中村の代表召集に対して理解を示していたレッジーナも最近では難色を示すことが多くなった。
また、新たな選手を海外クラブに送るには国際親善試合での出場経験、つまり「パフォーマンスを披露する機会」が必要だと思うのだが、その機会を減らしてしまうことになりかねないからでもある。
ただ、代表のクオリティを常に維持することを考えれば、この時点では「海外クラブ所属の選手」を召集することは一つの手法である。ジーコの母国ブラジル、アルゼンチンなどはこのやり方であるし、クラブとの関係が良好に保たれるのであればこの手法も一つの選択肢であると思う。現にブラジルは国内選手を中心に南米予選の半数の試合をこなすのである。
何が言いたいのかというと、海外所属選手を優遇する体制はジーコが監督に就任当初早くから決まっていたのであり、ジーコはそれを一貫して続けているに過ぎないということだ。海外移籍を奨励する方針と相容れない部分はあるけれども、一つの手法としてジーコの方針はあるはずである(もちろん、コンディション不良でも起用するとか、選手と戦術があってないとか、そういう批判とは別の次元においてのはなしではあるのだが)
こういう事情を踏まえて考えると、「国内選手が起用されにくいことでモチベーションを下げている」なんてことは初めからわかっていたことではないのだろうか。「モチベーションを保つのも監督の役目」ではあると思うのだが、そもそも「選手召集」の査定基準をジーコは一貫して変えておらず、その基準を勝手に変えて彼を批判しているのはマスコミなのである。
そもそも代表レギュラーは11人しかいないわけで、それに選ばれないからといって彼らの心情を察するのはともかく、彼らがモチベーションを下げてしまうのはおかしな話で、そんな選手が欧州の各国代表を揃えるようなビッグクラブに行ったらどうなるんだか想像してみるべきだろう。
ここで一言いっておきたいのは積極的に海外に行く方針にJFAがあまりにも無関心に見えること、そしてその反対にクラブサイドでは懸命に対応をしている、ということである。
特に「海外移籍・契約」というものの経験値をつんでいないはずの磐田や鹿島が、藤田、柳沢、鈴木を海外に送り出す際に用意周到な契約条件を用意しつつ相手クラブと対応したことは評価したい。特に代表召集されるかわからない藤田を送り出した磐田は、相手(ユトレヒト)との間に金銭だけでなく、選手待遇の面についても条件をつけることを忘れなかった。
話を元に戻しつつ、一休み。
そして、ジーコは自分の方針として積極的に海外クラブの選手を招集することを明言していた。「黄金の中盤」はネーミングセンスのないマスコミの造語だが、ジーコがこの4人を意識していなかったはずはない。
ボクはこのやり方に懐疑的というか、批判的な態度を取る。積極的に海外移籍をすることをジーコも勧めていた筈だが、ジーコのように親善試合をはじめ代表戦に各国に散って行った選手を招集することは海外クラブに「日本人選手は代表戦を重視しすぎて、戦力として計算しにくい」という疑念を抱かせてしまうと思えたからだ。現に代表監督だったトルシエと当時中田が所属していたASローマのファビオ・カペッロ監督の間で揉め、コンフェデレーションズカップ決勝を前にエース中田がチームを離れるという事態があった。ジーコジャパンになってもサンプドリアは柳沢を信用しなくなったし、中村の代表召集に対して理解を示していたレッジーナも最近では難色を示すことが多くなった。
また、新たな選手を海外クラブに送るには国際親善試合での出場経験、つまり「パフォーマンスを披露する機会」が必要だと思うのだが、その機会を減らしてしまうことになりかねないからでもある。
ただ、代表のクオリティを常に維持することを考えれば、この時点では「海外クラブ所属の選手」を召集することは一つの手法である。ジーコの母国ブラジル、アルゼンチンなどはこのやり方であるし、クラブとの関係が良好に保たれるのであればこの手法も一つの選択肢であると思う。現にブラジルは国内選手を中心に南米予選の半数の試合をこなすのである。
何が言いたいのかというと、海外所属選手を優遇する体制はジーコが監督に就任当初早くから決まっていたのであり、ジーコはそれを一貫して続けているに過ぎないということだ。海外移籍を奨励する方針と相容れない部分はあるけれども、一つの手法としてジーコの方針はあるはずである(もちろん、コンディション不良でも起用するとか、選手と戦術があってないとか、そういう批判とは別の次元においてのはなしではあるのだが)
こういう事情を踏まえて考えると、「国内選手が起用されにくいことでモチベーションを下げている」なんてことは初めからわかっていたことではないのだろうか。「モチベーションを保つのも監督の役目」ではあると思うのだが、そもそも「選手召集」の査定基準をジーコは一貫して変えておらず、その基準を勝手に変えて彼を批判しているのはマスコミなのである。
そもそも代表レギュラーは11人しかいないわけで、それに選ばれないからといって彼らの心情を察するのはともかく、彼らがモチベーションを下げてしまうのはおかしな話で、そんな選手が欧州の各国代表を揃えるようなビッグクラブに行ったらどうなるんだか想像してみるべきだろう。
ここで一言いっておきたいのは積極的に海外に行く方針にJFAがあまりにも無関心に見えること、そしてその反対にクラブサイドでは懸命に対応をしている、ということである。
特に「海外移籍・契約」というものの経験値をつんでいないはずの磐田や鹿島が、藤田、柳沢、鈴木を海外に送り出す際に用意周到な契約条件を用意しつつ相手クラブと対応したことは評価したい。特に代表召集されるかわからない藤田を送り出した磐田は、相手(ユトレヒト)との間に金銭だけでなく、選手待遇の面についても条件をつけることを忘れなかった。
話を元に戻しつつ、一休み。
[ 02:12 ]
[ 日本代表 ]
アジア一次予選のシンガポール戦でまたも苦しい戦いを強いられたジーコジャパン。その試合内容からマスメディアは辛らつな言葉でジーコの監督としての能力と問い、ファンは解任を求めている。しかし、その疑念や要求がどこまで本質的なものなのか、ボクは非常に疑問を感じている。
最初に言っておくと、ボクはジーコの解任には大賛成である。
ジーコジャパンと現在のJFAの対応にはずっと疑問を抱いてきたし、先日のジーコ監督解任要求のデモにも参加した。しかし、あのデモ以降の日本のマスメディアや多くのサポーターが描き出す解任要求の趣旨はボクの考えているようなものではなくなってきた。今更ジーコが日本代表監督になってからボクが批判してきたことなどはただの自慢にしかならないので書かないが、あのデモ以降感じていた「解任騒動」への疑問はハッキリ書き残しておこうと思う・・・。
ジーコ解任を要求する声の中からよく聞かれるのは「海外選手重視」の体制だ。
コレはボクも否定しない。ジーコは海外の選手を重宝しすぎる。だが、それも整理してみよう。
日韓共催のワールドカップが始まる以前から「日本人選手は積極的に海外クラブに行くべきだ」という論調はあって、ワールドカップで日本が決勝トーナメントに出場したことは海外に門戸を開く大きなきっかけとなったことは疑いえないと思う。前日本代表監督のフィリップ・トルシエは「海外のビッグクラブ、リーグでなくても出て行くべきだ」と述べている。
中田英寿に続いて稲本、川口らも海外クラブに移籍していく。特に稲本はイングランドのビッグクラブ、アーセナルへの移籍であり、スタメンどころかベンチ入りすら保証されないままの移籍であった。それでも「海外クラブへの移籍は選手に大きなプラスになる」という意見は大勢を占めていたし、積極的に海外に行くべきだ、という論調はこの後も続く。再びトルシエの言葉を借りれば「海外クラブで選手生活をするだけでも大きなプラスになるはずだ」ということではなかったか。
ここまではボクの意見でもある。そして、出場試合数が減ることを考えても「海外クラブに移籍する」のは「選手の能力が伸びる」ということ以上に、「メンタリティ」やチームに早く慣れる「経験」や「戦術理解力」を求めていたのではなかったか、という点である。出場試合数が減ることはこの当時から想像できることであって、それでも海外移籍を積極的にするべきだ、という論調が体勢を占めていたのは、こういう目的意識があったからではなかったのか。
それはそのまま「日本サッカーが世界のサッカーシーンにどう踏み込んでいくのか」という文化的な問題であったとボクは認識していて、これは重要なポイントだと思う。
疲れたので一休み。
最初に言っておくと、ボクはジーコの解任には大賛成である。
ジーコジャパンと現在のJFAの対応にはずっと疑問を抱いてきたし、先日のジーコ監督解任要求のデモにも参加した。しかし、あのデモ以降の日本のマスメディアや多くのサポーターが描き出す解任要求の趣旨はボクの考えているようなものではなくなってきた。今更ジーコが日本代表監督になってからボクが批判してきたことなどはただの自慢にしかならないので書かないが、あのデモ以降感じていた「解任騒動」への疑問はハッキリ書き残しておこうと思う・・・。
ジーコ解任を要求する声の中からよく聞かれるのは「海外選手重視」の体制だ。
コレはボクも否定しない。ジーコは海外の選手を重宝しすぎる。だが、それも整理してみよう。
日韓共催のワールドカップが始まる以前から「日本人選手は積極的に海外クラブに行くべきだ」という論調はあって、ワールドカップで日本が決勝トーナメントに出場したことは海外に門戸を開く大きなきっかけとなったことは疑いえないと思う。前日本代表監督のフィリップ・トルシエは「海外のビッグクラブ、リーグでなくても出て行くべきだ」と述べている。
中田英寿に続いて稲本、川口らも海外クラブに移籍していく。特に稲本はイングランドのビッグクラブ、アーセナルへの移籍であり、スタメンどころかベンチ入りすら保証されないままの移籍であった。それでも「海外クラブへの移籍は選手に大きなプラスになる」という意見は大勢を占めていたし、積極的に海外に行くべきだ、という論調はこの後も続く。再びトルシエの言葉を借りれば「海外クラブで選手生活をするだけでも大きなプラスになるはずだ」ということではなかったか。
ここまではボクの意見でもある。そして、出場試合数が減ることを考えても「海外クラブに移籍する」のは「選手の能力が伸びる」ということ以上に、「メンタリティ」やチームに早く慣れる「経験」や「戦術理解力」を求めていたのではなかったか、という点である。出場試合数が減ることはこの当時から想像できることであって、それでも海外移籍を積極的にするべきだ、という論調が体勢を占めていたのは、こういう目的意識があったからではなかったのか。
それはそのまま「日本サッカーが世界のサッカーシーンにどう踏み込んでいくのか」という文化的な問題であったとボクは認識していて、これは重要なポイントだと思う。
疲れたので一休み。
2004/04/01のBlog
[ 00:41 ]
[ 日本代表 ]
確かに暑さ対策をろくに考えてない発言をするなどジーコ自身がアジアを舐めてるような気がして、試合後のインタビューで「あんたの寂しくなった額(頭部なのか・・・)にういた汗はなんだよ」と突っ込みたくなったりはするのだけど。
まあ、その辺は他のサイトが細かく書いてくれると思うのでそっちをみてください。
ボクが気になるのは、やはり日本人選手は個人技術は高くても戦術理解度はそれほど高くないんだな、ということです。コンディションの問題もあって、機動性の確保を要求することが過酷なことはわかっていても、ラインにべったり張り付いたままで上下運動は相手に合わせてするだけのサイドハーフや、追い越すプレーをすることがない中盤。埋めるべきスペースを埋められず、ポゼッションがあがると人数過多になってエリア内に侵入するなど、非常にバランスが悪いのが目に付きました。
そういうバランス取りのうまい藤田の投入は多くのファンが期待したところだと思うのですけど、こういう選手を起用したり、選手自身も伸ばしていかないと短期合宿を経て試合に臨んでいく今後の代表戦はかなり厳しいものになるんじゃないでしょうか。
ジーコはかなり批判されていますが、ボクはジーコだけじゃなく、ピッチ上で自主的な判断をしていかない選手にも責任があるんじゃないかと思うのですが。
まあ、その辺は他のサイトが細かく書いてくれると思うのでそっちをみてください。
ボクが気になるのは、やはり日本人選手は個人技術は高くても戦術理解度はそれほど高くないんだな、ということです。コンディションの問題もあって、機動性の確保を要求することが過酷なことはわかっていても、ラインにべったり張り付いたままで上下運動は相手に合わせてするだけのサイドハーフや、追い越すプレーをすることがない中盤。埋めるべきスペースを埋められず、ポゼッションがあがると人数過多になってエリア内に侵入するなど、非常にバランスが悪いのが目に付きました。
そういうバランス取りのうまい藤田の投入は多くのファンが期待したところだと思うのですけど、こういう選手を起用したり、選手自身も伸ばしていかないと短期合宿を経て試合に臨んでいく今後の代表戦はかなり厳しいものになるんじゃないでしょうか。
ジーコはかなり批判されていますが、ボクはジーコだけじゃなく、ピッチ上で自主的な判断をしていかない選手にも責任があるんじゃないかと思うのですが。