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HAKODADI ・・函館の政治と経済
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2008/02/02のBlog
中国産冷凍ギョーザの中毒問題。函館でも「中毒ではないか」という事例がでたようだ。(写真は問題の”ひとくち餃子”)

昨日2月2日夜、函館市内のあるスーパー。

冷凍食品売り場には欠品が目立つ。中国製の冷凍食品などが大半撤去されたからか。
国内産の冷凍食品もギョーザなどはなんと50%引きで「投売り」状態

1日の新聞はトップに、問題のギョーザを製造した中国・天洋食品製の冷凍食品の自主回収が、11社40種類以上に及んでいることを報道。中には串揚げ、揚げとんかつ、赤身牛すじ肉など、ギョーザ以外にも非常に広範囲の食材が対象となっている。

冷凍食品にこれほど中国産が進出していることにあらためて驚く。
低価格と調理の容易さが、昨今の日本人の食生活の変化にぴったり寄り添って、これだけ多くの食材の中国依存が進んでしまっていたということか。

確かに単身者、高齢者などには、分量が調節できて、調理も簡単、そして個々に食材を買って作るよりもコストが安い。(なぜそんなことができるのか?不思議に思わないところがミソ)冷凍食品が普及する素地は十分だ。

道内でも、学校給食などはこうした「中国産・冷凍食品」の存在がなければ、コスト面、調理面(一律の食事を短時間で調理するには冷凍食品が不可欠)で成り立たないとの声が聞こえる。

大手食品スーパーでは、かねてから「冷凍食品●割引」セールが「常態化」して、客寄せ商品となっていたが、こうした大手スーパーの低価格戦略が、食材の中国シフトを加速したことは否定できない。

(写真は“業務用”の「やわらかヒレカツ」)

そして、もうひとつの問題は「業務用」の食材。今回の自主回収食品も半分は「業務用」とあるが、これらはスーパーなどで一般消費者向けに売られるわけではなく、飲食店や最終加工業者向けという。
一般のレストランなどでも、いまやこうした業務用の「冷凍食品」の採用は当たり前。メニューの種類を増やすには、こうした「業務用」食品の存在はいまや不可欠のようだ。
利用者の側からすれば、レストランで出されるものは厨房ですべて原材料から調理されているものという思い込みがあるが実態は必ずしもそうではない。

食の新鮮さ・うまさが街の魅力として知られるハコダテにおいても、こうした「業務用」「冷凍」食品はじんわりと浸透している。そこに食品の安全に関わるリスクはないのか、こういう機会に総点検をするべきではなかろうか。

関連記事
サンケイの関連記事特集
JTの「食品自主回収」告示
2008/01/27のBlog
函館市議会老人ホーム特別委の実質調査が1月22日、23日の両日開催された。

委員の構成は下記のとおり

委員長
黒島 宇吉郎 (新生クラブ)
副委員長
斉藤 佐知子 (民主・市民ネット)
委 員
石井 満 (民主・市民ネット)
福島 恭二 (民主・市民ネット)
出村 勝彦 (新生クラブ)
浜野 幸子 (新生クラブ)
本間 新 (市民クラブ)
小野沢 猛史 (市民クラブ)
瀬尾 保雄 (公明党)
志賀谷 隆 (公明党)
高橋 佳大 (日本共産党)


新聞各紙に掲載された内容を以下にとりまとめた。< >と(注)は筆者によるもの。


■一日目
9委員のうち志賀谷、本間議員を除く7人が質問。持ち時間は各60分。(ただし30分程度で切り上げる委員もあった)

<業者への対応>
石井氏(民主・市民ネット)、出村勝彦氏(新生クラブ)の質問に対して
岡田福祉部長
「問題となったH社は05年11月4日に福祉部へ1回相談に訪れただけで、06年1月下旬には道に市との事前協議書を提出した。事業者に話をする機会がなく、都市建設部にも相談がなかった。もっと綿密に相談してほしかった」と答えた。(注1)これに対して
石井氏は
 「相談に来なければ責任がないという考えでは問題がある」と指摘。

<内部メモの扱い>
瀬尾氏(公明)は、
 当時の西尾正範助役が福祉部次長に内部メモの作成を命じ、退職後にメモを持ち出した行為の是非を質問。
小柏総務部長
「法的に要保護性のあるものを持ち出したら罰則があるが、この文書に要保護性はないと考える」

<指針の公表について>
福島氏(民主)
 市街化調整区域での老人ホーム建設を認めないとする指針について「条例は(調整区域への立地と認めないとする)内容を定め、公表の義務を規定している」(道新)
「行政手続条例に定められた公表をしておらず、手順、手続きを踏んでいない」(函新)などと市の手続きに問題があったと批判。

岡田部長
 函館市の指針は道の指針に基づき福祉部が整理したもの。指針の公表は複数の者に対し行政指導をする場合とされていることから、「今回は単発的なケース。部内の意思統一が図られ、一貫している」と述べ、問題がない考えを示した。(函新)
「今回のケースは施設を計画する特定の事業者が対象で、(条例が規定するように)行政指導が多数業者に想定されるものでない。条例の規定事項にのっとるまでもない」として、市行政手続条例上、市の対応に問題はなかったとの認識を示した。(道新)
「(考え方を整理した)2003年当時の職員に聞いたが、明確な記録はなく、当時の職員の共通認識だった。決裁はとっていなかった。ただ、都市計画法で立地が制限されている」とも。

<市長からの再検討『指示』の有無> 
高橋氏(共産)
 06年7月20日に市長室で行われた会談について「前市長が認められない施設建設の再検討を指示したと受け止めたのか」(函新)
岡田部長 
 「命令形の言葉での指示はなかった。指示とも、投げかけとも、いずれにもとれる発言だった」(道新)
 「命令形ではなかった。指示とも投げかけとも取れる内容だった」と述べた。なお、市長選前の議会で市の統一見解は「再検討の指示はなかった」だった。(函新)
 「この日に限れば、前市長は明確な命令形ではないが、私には指示とも投げかけとも受け取れる表現だった。そばに居た当時の福祉部長は指示と受け止めたようだった」この問題について昨年の市議会定例会で市側は「前市長の指示はなかった」との見解であった。(朝日)
 「指示とも投げかけともとれる発言があった」、前市長の発言があくまで明確な命令のかたちでなく「100%指示と受け取れなかった」と釈明。昨年2月議会で「指示はなかった」とした自らの答弁内容を修正した。岡田部長が指示を事実上認めたことで、あらためて前市長の主張の信憑性が問われそうだ。(毎日)
(注2)

<H社主張の真実性>
小野沢氏(市民クラブ)
 入手した資料などから「H社の主張の肝心な部分は事実無根。市が道に提出した意見書からも、市の一貫した対応が見られる」(注3)(函新)
岡田部長 
 事業者が「施設計画で、西尾正範助役(当時)らが内諾をしていた」と主張していることに関し、「内諾を与えた事実はない」と否定。

■二日目

本間新氏(市民クラブ)、志賀谷隆氏(公明党)が質問

<福祉部と都市建設部の連携>

本間氏(市民クラブ)
 行政指導の一般原則や事務分掌の立場から、福祉部が都市計画の観点で業者に説明したのは所管事務を超えているのではないのか(函新)
岡田部長
 「相談業務の中で制度的な話をした。それが行政指導となるかは解釈の問題」

志賀谷氏(公明)
 福祉部と都市建設部の連携について質問
岡田福祉部長
 施設を計画した事業者に対する市の対応を「まったく非はなかった」 ただし、2005年11月の事業者からの相談を福祉部単独で受けたことに触れ、「混乱を招くことがないよう、今後、市街化調整区域内での施設建設にかかわる事業者からの相談は、(都市計画に携わる)都市建設部の職員と一緒に受けるよう、職員に指示した」と述べた。(道新)
 「業者に対する対応や事務の執行に非はないと考えているが、端的に言えば当時の連携は弱かった。おなじようなことが起きないよう、市街化調整区域の事案とわかれば都市建設部の職員が必ず同席して対応するように指導している」(函新)

<業者の不当要求はあったのか>
志賀谷氏(公明)
 市が06年2月の事業者側と福祉部長(当時)との電話やりとりの記録を、要求した市議に提出せず、22日の特別委に公文書として提出したことについて、「不信感を抱かせる問題になりかねず、今後、極力こうしたことがないようにしてもらいたい」(注4)と注文。(道新)

 「業者が法律や条例を曲げて不当、不法な要求をした事実はあるのか」
岡田福祉部長
 「当時の西尾正範助役に『政治的判断で認めろ』と迫るようなことがあった」







============
注1)新生、民主、公明の委員の質問では、業者に対する市福祉部の事前相談についての不備、指針の運用のあいまいさ、都市建設部との連携不足を糾すような質問が目に付く。この質問も、業者側が事前説明に一回来たのみで、しかも問題点の指摘をうけているにもかかわらず、それらを無視して道への申請を「強行」するという不可解なやりかたには疑問を投げかけずに、市側がもっと「親切な」対応をすべきであったといっているように聞こえる。

注2)23日の毎日の記事のタイトルはずばり、「前市長の指示認める 福祉部長が答弁内容修正」。朝日もこの部分のみを詳しく報じた。
 ところが、函新、道新も岡田部長の答弁内容はほぼ同じ表現で引用しているのだが、この発言が、前市長在任中の昨年2月議会での同部長の答弁とは明らかに異なるものであり、あらためて前市長・前議長の主張に疑いが強まったということに格別の注意をむけていない。

注3)「H社の主張の肝心な部分は事実無根」という小野沢委員の主張は、たとえば。H社が道への申請にあたって「函館市との事前協議は整っているか」という質問に「済ませている」と嘘を言っていたことなどを指している。そうした業者と道とのやりとりが今回の特別委員会にはあらたな「資料」として提出されているのに、新聞報道ではそうした「新事実」をきちんと取り上げていない。

注4)この志賀谷委員の質問はこの記事だけではなんのことかわからないであろう。
実は、H社が道に申請書を提出し、道から函館市に「意見書」の提出が求められた際に、かのK主筆が(H社の代理人として)当時の福祉部長に対して電話で「意見書の内容をH社の有利になるように書くように」と執拗に迫ったことを指す。この電話メモは当初は「公文書」に」あたらないとして非公表であったものが、今回は「公文書」と認定されて特別委員会に提出されたもの。志賀谷委員は、その電話メモが「業者」の悪質なやりかた(嘘をいって道に申請書を受理させ、その上で意見書を業者寄りに書くように圧力をかける)を証明するものであることには触れず、提出のしかたという手続き問題を専ら批判している。
今回の特別委員会を通じて、
3つの大きな新事実が確認されたと思う。
①H社と道とのやりとりを示すメモが明らかになった。この中でH社が函館市との事前協議を意図的にあいまいなまにして、道には「協議を終えている」と虚偽の説明をして申請をしていたという事実があきらかになった。

②H社の代理人としてK主筆が意見書の内容を業者有利にするよう圧力をかけた事実がK主筆と前福祉部長の間で交わされた電話メモとしてあきらかにされた

③前市長の「再検討指示」の実態がさらにあきらかになった。表現はあくまでもあいまいであるが、部下にとっては、すでに出されている「意見書」の差し替えを求める「指示」ととるしかないようなものであった、という事実である。

さて、委員会は、二日目の質疑の後に「恒例」の休息=密室協議に入った。次回の2月6日の委員会での参考人招致などを協議したとみられるのだが、気になる情報が函新に載っている。
黒島委員長が「公平を期すため招致は(委員の)全会一致でなければならず、難しい面もあるのではないか」(函新)と述べたという。
どうも、委員の中に「参考人招致」に反対する委員がいるようで、どうも参考人招致をしないままで幕引きをするという流れにあるようなのである。

今回指摘された新事実に関してだけでも、直接の当事者から事情を聴取し、究明をしなければならないのではなかろうか。

2008/01/25のBlog
谷村志穂著
講談社
2007.11発行

「海猫」に続く「ロシア」三部作の第二弾は「黒髪」

1930-40年代の函館を舞台に、ロシアからの亡命者 ドミトリーと、その邸宅に女中奉公に来た「さわ」の出会いと恋と愛欲そして悲惨な死までを描いた、「恋愛」小説。

戦前、函館にはロシア革命から逃れてきた亡命ロシア人が多数住んでいたという。30年代には生活もそれなりに安定していたようで、函館の住民との関係も良好だったようだ。ところが、満州・中国での戦火の拡大につれて、潜在敵国ロシアに対する警戒感が強まり、憲兵隊によるスパイ容疑での弾圧なども始まる。住民からも差別・排撃されるようになる。
そうした中で、ロシア人のオトコを愛し、身ごもってしまった「さわ」と、別々の生を生きることになった混血の兄妹の数奇な運命。

そして、一度はさわの元を去ったドミトリーとの再会が果たされる大連。
ヨーロッパ風にしつらえられたという、アジアには稀有なデザインを誇る街、大連の港と当時のひとたちの息遣いが、(多分綿密な取材の成果であろう)よみがえるようだ。

当時は、函館から満州・ロシア方面への船便なども、いまとは比較にならないほど多かったともいう。そして、函館には確かにロシアおよびロシア人との密接な交流・交歓の時代があった。
今でこそ、目にするものとしてはハリストス正教会と旧ロシア領事館くらいしか痕跡の残っていない、函館のにおける「ロシア。
そして2つの大戦のはざまで、ほんのつかの間、ロシア極東をにらむ国際都市であった函館の面影を今に伝えるものもいまや数少なくなっている。

大戦、そして戦後の冷戦下のどこかで、ロシアとの交流のネットワークがきわめてか細いものになった。しかし、その後も何人かの日本人・ロシア人の努力でそのネットワークの糸はつながり続けてきた。日本にある唯一の(多分)ロシアの公立大の日本校の存在もそのつながりの現れのひとつだ。

この本を読み終えると、多分、あらためて函館を歩いてみたくなる、そういう気分を起こさせる要素がこの本には十分詰まっている。「黒髪」の物語はもちろんフィクション。しかし、こういう物語がつむぎだされる「土壌」が確実にいまの函館にも潜んでいるということを教えられる。そして、それを知ることで、見慣れた風景(たとえばドミトリの住まいがあったとされる、幸坂からの港の眺望)が、いまや別ものに見えてくる。

大連の港にも行って、そこの風にあたってみたくなる。そして終章に登場するサンクトペテルスブルクとモスクワの2つの大聖堂でロシア正教の聖歌に包まれてみたくなる。

そういうチカラを持つ小説に出会えることは幸せだ。
2008/01/19のBlog
西尾市長の
「ロシア極東大函館校の市立化を新年度から検討したい」発言が波紋を呼んでいる。

第一報は1月8日の共産党市議団による市長への予算陳情
市議団からの要請(重点項目45)の中に
「ロシア極東大函館校への支援充実」という一項があった。市長の発言は項目全体について、「賛成できる項目が多いが、すぐ実現できるものも、困難なものもある」と応えたという。 (1月9日道新)

同じ日の道新で、今度はテーマが絞られて

ロシア極東大函館校 市長が市立化の意向
というタイトル

西尾市長は「未来永劫(えいごう)続く学校にしたい」と述べ、同校の市立化を新年度から検討したい意向を表明。
 西尾市長は、ロシアとのパイプづくりや人材育成の観点から、同校の意義を重視する考えをかねてから示している。現在は専修学校の位置づけの同校を市立化することで、より安定した学校経営や特色ある学校運営を目指す考えとみられる。
 ただ、市立化した場合には市の財政負担が増すことが予想され、市の財政状況も厳しいことから、今後、曲折がありそうだ。
 函館市はロシア極東大函館校に対し、1998度から年間2000万円、2001年度から年間3000万円を補助金として支出している。


この記事に対する反応が1週間後、おもいがけないところから現れた。

1月17日道新
函館 市長給料 据え置きに審議会が方針 市議の報酬も

という記事の中で

函館市特別職報酬等審議会が市長、市議ら特別職の給料、報酬を現行のまま据え置くことが適当とする
答申内容をまとめた際、

ロシア極東大函館校の市立化の検討に対し「行財政改革を進める中でどういう位置づけなのか」と疑問の声が出されたという。

どういう文脈でこういう「疑問」がでたのか、記事だけではあきらかではないが、上記の文章の前に「不退転の決意で行財政改革に取り組むべき」という注文がでたというから、財政運営が難しい中で予算措置を伴う新しい施策に対して不満の声がでたということであろう。

ロシア極東国際大学は、従来の「専修学校」の位置づけから、「外国大学の日本分校」という認定がえられ、昨年から卒業生の国内の大学院への進学資格が認められた。文科省の許認可を得るにあたっての関係者の努力を多としたい。
ウラジオストックにある本校からの人的支援などもしっかり続いており、地道だが着実な歩みを続けてきている。入学者数が大幅な定員割れを起こしており、経営は楽ではなと聞くが、市として本腰を入れて支援していくべきタイミングではないのか。
函館がその地理的特性を生かして「国際交流・親善」を進めていく相手国としては歴史的背景やすでにできているパイプの太さからしても、ロシアの重要性は依然大きい。

西尾市長もマニフェストの中で、重点項目として

ロシア極東大学函館校の市立大学化と極東地域の情報センター化
を掲げている。

新規の金の話になると、施策の意義や優先度の議論の前に、即座に「反対」「慎重」論が、しかも「審議会」のような公的な場ででるという、この町の独特の政治風土。確か審議会のトップは保守系の議員さんであったと記憶する。

しかも真っ向からの反対ではなく
「どういう位置づけなのか」という表現。
よく耳にする
「いかがなものか」
と同様、まっすぐに議論するのではなく、表現をぼかすというのも特徴的。

市長も「直ちにやる」といっているわけではなく、「検討を始めたい」といっている。「報酬審議会」などという場で曖昧な批判をするよりも、議会という本来の政策審議の場で正々堂々と批判の論陣をはるべきだ。





2008/01/18のBlog

「今日1月17日、、新聞に折り込まれた厚生労働省による政府広報に掲載された汚染血液製剤の納入先医療機関リストで新たに141施設が閉鎖され、連絡が取れなくなっていることが、分かった」という。(MSNサンケイ記事

ちなみに拙宅に配達された広報で函館関係分を仔細にみると、


フィブリノゲン製剤納入施設(ということはもちろん、投与した可能性が高いということ)

として函館市の対象施設は28施設。その大半が総合病院または産婦人科専門病院。

そのうちなんと9施設(うち産婦人科は8施設)が休・廃院している。こうしたケースでは当然ながら古いカルテが保存されていない可能性は高い。つまりはC型肝炎にむすびつく、フィブリノゲン製剤の投与の証明はきわめて困難ということだ。
厚生労働省も、こうしたカルテの保存に積極的に対処した事実はない。前回の公表から3年、その間に休廃院したのが全国で141もあるという。あいかわらずの杜撰・無責任な対応。

それにしても、あらためて、この10年間くらいの間に、いかに産婦人科が劇的に減少したか。あらためて驚く。
少子高齢化、医療過誤訴訟、診療報酬の切り下げ、そして最大は医師の確保の困難。それにしても函館の減り方は尋常ではない。人口規模で5倍の札幌では、休廃院は16。
ますます子供を生みにくい環境へと事態が悪化している。
2008/01/17のBlog
今週発売の月刊誌クオリティに

函館市前市長“口利き問題”再燃 調査特別委員選任めぐる「混乱」
というタイトルで記事が載った。

「市街化調整区域内での有料老人ホーム建設」に絡み、現職市長が “口利き”をしたとされる問題をめぐり争われた07年の函館市長選は、疑惑を糾弾した西尾正範前助役が現職の井上博司氏を大差で破り当選した。
 その後、西尾新市長は口利き問題を究明すべく「調査特別委員会」の設置を決めたが、その委員選任をめぐり市議会は紛糾と空転を繰り返し、市民からも疑問の声が上がっている。内部で何が起きているのかを探った。


多少の誤解はあるが(委員会の設置は市長が決めたわけではない・・など)ことの全貌をおおまかに概観できるような記事である。

新年を迎えて実質審議が再開される「老人ホーム問題調査特別委員会」。次回開催は1月22日10時から。さてどういう展開になるのやら。厳しく見守りたい。



2008/01/16のBlog
つばさよつばさ
浅田次郎
小学館
2007.10
本の紹介@BK1

ご存知「鉄道員(ぽっぽや)」で数多の男女を泣かせた当代きって(とは私の評)のものかき名手、浅田次郎氏の最新刊。「つばさ」とは翼のこと。4年間にわたってJALの機内誌Skywardに連載した同名のエッセイが単行本になったのである。
「旅行作家にあこがれて」いたという浅田氏が各回約2,000字で書き下ろしたエッセイは全部で40編。範囲も台北、エジプト、ノルマンディ、ラスベガスまで世界を縦横に。どの文章にもなにかしら光るものが宿っていて飽きない。

このブログの筆者のお目当ては「函館の夜景」なのだが、「夜の竪琴」と題したエッセイは

一年に2度函館へ行く

という短い、硬質な、しかし期待をもたせる言葉で始まる。以下こんな具合だ。

初めて函館の夜景を見たとき、私はおのれの愚かしさにもきづいた。いわゆる三大夜景のうち、香港もナポリもすでに見ていたのに40を過ぎるまで函館の夜景を知らなかったのである。・・・

世界通の日本知らずが多くなった。いまや地球上のどの国にも例を見ない、国民的矛盾と言えるであろう。・・・

もっともこの矛盾の説明は簡単である。国内を旅するよりも海外のほうが安上がりなのである。具体的には、「思い立って函館の夜景を見たい」と出かければ、航空運賃に湯の川温泉の宿代、朝市の海鮮丼におみやげを買おうとすると、驚くなかれ、「アメリカ西海岸4泊6日グランドキャニオンツアー付」よりも高くなってしまう場合もある。・・・

函館山で抱いた思いがけない感慨が、望郷の思いに姿を変え、長い小説(壬生義士伝)になった。ふるさとはかくも美しいものだよと函館の夜の竪琴(注:浅田氏は函館の夜景を群青色の古代の壁に立てかけられた螺鈿の竪琴に例えている)が、忘れかけた調べにのせて私に諭し聞かせてくれたような気がする。


ところで、このエッセイがSkyWard誌に載った直後に市議会で話題になったことを思い出した。議会の検索システムで調べると確かにH15年2月議会での以下のようなやりとりが見つかった。(要約・ 全文はこちらからキーワード 「浅田次郎」で)

小玉議員
私たちは、函館山の夜景は香港とナポリに並ぶ世界の三大夜景と自覚してまいりましたが、このたび、直木賞作家で有名な作家浅田次郎さんが、日本航空機の機内誌2月号で明快に函館山の夜景は世界一と書いておられ、はこだてっ子として感激いたしました。「香港の夜景はネオンの文字がうるさく、長い海岸線に沿って光の連なるナポリは、平凡な港町の夜景に過ぎない」とし、「その点、南北の海が両側から弧を描き、細やかな町の明かりが宝石をちりばめたように広がる函館山からの夜景は、掛け値なしに美しい。地形そのものが実にユニーク云々」。
日航を利用した多くの人々が函館山の夜景が世界にたぐいのない美しさにあることを知る機会となってのPR効果も満点と存じます。
 これほど当市観光にとっての評価あふれるPR題材はほかにはないものと思うのですが、市長はその点、これを生かすべく対応をどう考えられておられるのか。
 これを契機に、国際観光振興への手法の一つに、これまでの著名なる作家や著名人の方々が記された函館を紹介した随筆文を集めて函館の魅力の紹介に立つ観光ガイドの編集、発行も効果があるものと存じますが、これらのお考えはいかにありますか、お伺いいたします。


井上市長:
日本航空機内誌に掲載された浅田氏の文章は私も読ませていただきましたが、これほど函館山からの夜景に対し温かいエールを送っていただいたことに大変感激し、早速礼状を送らせていただきました。
 小玉議員御提案のこの記述の活用につきましては私も全く同感であり、首都圏や関西圏の旅行雑誌の記者などのマスコミ関係者にもコピーを送り、周知に努めたところでございます。今後とも、この記述は、貴重な財産として函館観光のPRに有効活用させていただきたいと考えております。
 著名な作家などによります函館を紹介した記述は観光函館のイメージアップにつながることから、御提案の著名な作家などの随筆集を集めた観光ガイドブックの発行は魅力的で、観光振興を図る上でも有効と考えられます。これらの函館に関する作品の記述や、函館を舞台に撮影された映画ののグラビアも取り込んだガイドブックの作成など、その活用方法についてはさまざまな手法が考えられますので、今後検討してまいりたいと存じます。
しかし、こういう評価もどうやらその場限りだったようだ。

ガイドブックどころか、このエッセイの文章がその後、函館の観光振興に「活用」されたという事実すら筆者は(寡聞にして!)承知していない。先にこのブログでは触れたが、浅田次郎氏を招いて先日市内で開催された講演会で氏自らが「つばさよつばさ」発刊に絡んでこの話を紹介した。しかし、多分会場を埋めた市民の大半にははじめて聴く話だったのではなかろうか。

函館をPRしてくれる、こうした有名人発の影響力のある情報を最大限活用するという意欲と技をもつ組織も人材もこの街には希薄なようだ。(深刻な自戒をこめてだが・・・・)
箱館戦争
星亮一著
三修社
2006.12

星亮一氏は幕末の歴史を対象とした評伝を数多く書いている。特に戊辰戦争をテーマにしたもの、その中でも会津に関するものが圧倒的。
かつて「榎本艦隊北へ」で箱館戦争にも触れていたという記憶があるが、今回の著は、ずばり「箱館戦争」。いままでの会津もので発揮された史実の発掘・検証・評価の確かさをもってすれば、箱館戦争に新しい光をあててくれるのではとおおいに期待した。

本の帯には「蝦夷共和国は実在した!!」の文字が大書。

しかし、残念ながら期待はほとんど裏切られたといっていい。先行する類書を抜くような史実の発見も特にはなく、史実の評価についても平凡である。たとえば末尾に近い以下の文章。

蝦夷島共和国が存在したか・・・これはある時期榎本政権が存在したと考えるべきである。一時期アメリカもこれを認めた。あながち榎本の錯覚ではない。

榎本「政権」の性格については、当時の明治政権との勢力関係、そして諸外国の対応などが複雑に絡み合っていて、果たして「地方政権」といえるほどの確固たる基盤があったといえるのか、論争が続いている。
上記の程度の理由で「榎本政権」の存在を認めるような表現は、多少の知識のある読者にはとても受け入れられるものではない。
入門書か概説書ならいざしらず、戊辰戦争を江戸の彰義隊あたりから順に書き進めてきて、会津を書いて、それなりの名声を博した星氏が、箱館戦争については相当手を抜いたといわれてもしょうがないのではないか。

帯の裏には解説者の言葉から

箱館戦争とはなんであったのか。
・・・・その描写と構成から著者のライフワークとしての熱い激情が感じられる・・・


とある。激情でよい本が書けるものではない。こういう類の賛辞は、読者を惑わすだけだ。

2008/01/15のBlog
北海道新聞に「はこだて観光未来図」というタイトルの連載記事。1月8日から12日まで連日の5回。(6回連載と予告されていたが、5回で終了)

今年も500万人割れが確実で長期低落傾向が続く函館観光。団体から個人中心への旅行形態の変化に対応できていない、魅力を十分に発信できていない、などの問題点は以前から指摘されてきたところ。そうした中での市内外での意欲的な取り組みを紹介し、函館観光の復権に向けた道筋を探るという企画。

まず、5回分のタイトルと要約。

1.潜在力 不動3要素 どう磨く「売り込むものがない」と旅行エージェントにいわれる「函館観光」。「夜景」「グルメ」
「歴史的建造物」という定番の3つの要素をどう磨くかが鍵。
クリスマスファンタジーなど健闘しているものもあり、一方函館山ロープウェイも初の「年
越しカウントダウン」など新企画に取り組んでいる。

2.話題づくり 創意工夫を積み重ね
地元で話題を創出することが今求められている。
09年の函館開港150周年に向けた「マンスリーグルメマラソン」(箱館会)や8月に予定されている「はこだて国際民俗芸術祭」(ひのき屋)など。

3.体験型 独自企画 次々芽生え
道南は体験型観光への取り組みは出遅れている」と指摘される中、「じゅんさい沼ネイチャーセンター」、「オンパク」、「観光農場」などさまざまな体験観光を目指す動きも活発化している。

4.魅力あるホテル 集客競い個性前面に
空前のホテル新設ラッシュが続く函館、07-08年で10施設が開業。その中でもベイエリアに4月開業予定の「ラビスタ函館ベイ」(市内最多の360室)「海山の眺望や施設内の天然温泉といった付加価値を生かしたい」という。宿泊客獲得競争が激化している中で個性とサービスの独自色がますます求められる。

5.情報発信 個人客にきめ細かく
団体旅行が25%まで縮小、家族やグループ旅行が大半を占めるようになった昨今、函館らしいユニークな旬の情報」提供が求められる。体験観光などの紹介にはHPやフリーペーパーが有効、さらには動画による情報提供も模索されている。

=============

函館観光の課題を要領よく抽出、それぞれに対して最近の取り組みの事例を紹介している。

事例それぞれには興味深いものもあるのだが、函館の「観光」を大きく転換していくだけの「突破」力が感じられるようなものが見つからない、というのが率直な印象。
これは取材側の力量不足なのではなく、「函館観光の活性化」に取り組んでいる側の問題であろう。個々の動きを総合的に捉え、方向付けていく戦略性が感じられないのである。

要は「キャッチフレーズ」がないのである。

もはや行政に何でも旗振り役を期待する時代でもないとは思うのだが、情報収集能力ひとつをとっても、まだまだ(特に函館では)行政の役割は依然として大きい。

新年度からは、商工観光部を観光コンベンション部と経済部に改組するという。観光・コンベンションは市にとっては国内外に向けた「外交」であり。一方、内政としては「産業政策」であり「まちづくり施策」でもある。そして「官民」協働。

民間の現場で苦労しているキーパーソンと行政の間に十分な意思疎通や議論の場を作っていくことがいま喫緊の課題だ。

参考までに道新の記事に登場した函館観光の「現場」を担うキーパーソン。もちろん、もっと裾野は広いのだが。

「函館ベンチャー企画」 大久保彰之代表理事
函館山ロープウェイ 石井直樹社長
「箱館会」、五稜郭タワー 中野晋常務
「はこだて国際民俗芸術祭」「ひのき屋」 ソガ直人代表
「じゅんさい沼ネイチャーセンター」 石渡進理事長
「オンパク」はこだて湯の川温泉泊覧会 河内孝善事務局長
谷観光農場 谷健一代表
HAKODATE男爵倶楽部ホテル&リゾーツ 木村孝二社長
ホテルテトラ 三浦孝司社長
HP「はことれ」 小林功代表
公立はこだて未来大 鈴木克也教授

2008/01/14のBlog



まずは、「函館開港」の定義から


函館の開港は実は「2回」ある。

最初は、ペリーの2度目の来航時、安政元(1854)年3月3日、神奈川(横浜)で幕府との間で日米和親条約が調印された。これにより日本は、伊豆の下田港と松前地の箱館港の両港においてアメリカ船に対し薪水・食料・石炭等の欠乏品を供給し、かつ日本に漂着したアメリカの漂流民を扶助し、両港に護送してアメリカ船に引渡すこととなった。函館の開港は翌年1855年3月とされた。(2005年に150周年)
ペリーが函館開港に同意した背景には「箱館はサンガル(津軽)海峡の東の入口、北緯約42度のところに位置しており、しかもこの地域を巡洋するアメリカの捕鯨船舶の停帆地として、どの点から見ても便利な地理的位置を占めている。その多くは、毎年この海峡を通って、鯨を追跡して日本海へ抜けているのである」という米側の大きな利害と関心があった。

2度目は下田駐在の初代米国領事ハリスが幕府との間で締結した日米通商航海条約によるものである。箱館が貿易港として名実ともに、諸外国と国際的な関係をもつようになるのは、安政6(1859)年6月2日からである。幕府は同年5月28日、横浜、長崎、箱館の開港を命令し、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、オランダの5か国人と交易売買することを許す旨を一般に布告し、箱館は6月2日正式に外国貿易港になったのである。(2009年が150周年)

函館市ではこの2回目の「開港」を市の正式の開港記念の日と定めている。

詳しい内容を函館市史デジタル版ででみることができる。


通説編第1巻 第3編 第5章 箱館開港

第1節 箱館開港の経緯
1 各国との開港条約の締結/2 ペリーの箱館来航
第2節 蝦夷地再直轄と箱館奉行
第3節 弁天岬台場及び五稜郭築造
第4節 箱館開港とその影響
 1 欠乏物資供給の開港/2 貿易港としての箱館/3 居留外人の影響
第5節 開港後の箱館経済
第6節 開港と流通構造の変化
1 貿易開始とその経過/2 貿易商人の成長と沖ノ口の対応

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

序章 世界の中の箱館開港

第1節 安政2年の開港と異国とのつきあい
 1 箱館開港への途/2 黒船渡来/3 開港前後の諸問題と幕府の対応
第2節 箱館奉行の再置と箱館
 1 箱館奉行の「預所」と諸任務/2 五稜郭と弁天台場の築造
第3節 開港と箱館の産業・経済
 1 箱館奉行の経済政策-旧制との相剋/2 箱館奉行の産業開発政策-「百物百工」をめざして/3 箱館の貿易
第4節 異文化との接触
 1 外国人の居留/2 外国船の寄港/3 「通弁御用」と外国語/4 外国人の家作をした人々

14日の朝日朝刊社会面Topで

東電復興マネー全力
柏崎刈羽原発停止半年
補助倍増社員ら7万人が新潟観光 「ありがたいが」・・・地元複雑
(記事の全文

昨年7月の中越地震での刈羽原発の火災などによる観光産業への風評被害に対する対策として、東電社員への福利厚生費を新潟への旅行に限って倍増(最高14万円)したというもの、東電社員は3万人、家族を含めると10万人といわれ、この措置がでてから7万人が新潟観光に訪れたという。
確かに、地震の被害以上に原発停止による「漠然とした不安」で柏崎のみならず新潟全県の観光客は激減したというが・・・

記事によれば、東電は、昨年12月にも創業停止に伴う新潟県の税収減とほぼ同額の30億円を「中越地震見舞金」の名目で新潟県に寄付している。(サンケイ記事)一企業の地震見舞金としては空前の額で、関係者には一種の補償金と受け止められている。

さらに経済産業省も「復興支援」名目で電源三法交付金を41億円上積みするという。

原発建設前の地盤調査で活断層の存在を見逃していたという、国・東電のずさんな原発立地政策が明らかになるなどで、新潟県も再開には慎重な態度を崩していない。そんななかでの「支援」攻勢である。

昨年、沖縄県知事選前後に、沖縄観光に国が「あらゆる」手段で「隠れた」支援をしてぃるという話を関係者から聴いたことがある。たとえば農水省の補助金が回りまわって、農協観光の「沖縄ツアー」の補助に化けているという奇怪なうわさもある。
あのときは、米軍基地の移設問題が焦点であった。

基地と原発。いずれも国の施策でも秘密のベールに包まれることの多いテーマである。隠れた補助金などの姑息な手段によらず、堂々と政策論争をすすめるべきだ。
それにしても、観光も「政治」に巻き込まれる時代。なんともやりきれない。東電の社員も「旅」の楽しさを本当に味わえたのだろう。それにしても7万人とは!いまどき珍しい(?)会社忠誠心の高い社員の多い企業とはいえようが。


2008/01/12のBlog
やや旧聞となってしまったが、日経MJ(流通新聞)の正月4日に

港町に活力 新たな船出
日米修好通商条約150年という 2面ぶちぬきの特集記事が載っている。
条約締結が1858年なので今年が150年目にあたる。もっとも記念行事は、実際の開港時期にあわせて、横浜、函館が来年2009年に「開港150周年」の記念事業を準備中。

さて函館市内で流通新聞を購読しているケースは少ない(筆者も、今日図書館でやっとみつけてきた)と思われるので、簡単に紹介すると。

横浜:開港のシンボル波止場復元。
開港当時の波止場、通称「象の鼻」の復元が進んでいるという話題。06年から始まった、港ヨコハマ発祥の地の工事は開港150周年の09年6月完成予定。MM21から山下公園までの回遊ゾーンの要所としてあらたな名所に。
(記事参照
他に、日本最大の貿易港として、巨大コンテナ埠頭建設着工などさらなる港湾整備計画が進んでいる。
開港150周年記念事業公式サイト

神戸:キャンパス続々 大学も振興一役
ポートアイランドに進出した3つの大学の話題。新たな観光拠点にもなっているという。
また、神戸港は大震災の痛手から復興、いまや中古車・建機の一台オークションの中心地になっているという。

新潟:輸出伸び国際色豊かに
新潟港はロシア・中国・韓国・北朝鮮との輸出入拡大が顕著。特にロシア向け中古車輸出の伸びが目立つという、そしてこの拡大の担い手がなんと在留パキスタン人。回教寺院(モスク)の建設計画もあるという

長崎:町歩き・伝統芸能 市民がもてなし
まち歩きイベント「長崎さるく」による観光客へのおもてなし。国際観光船のクルーズ増加(昨年は全国1)、外国人観光客(東南アジア)の増加、そしてユネスコ文化遺産への暫定リスト登録など多彩な話題

函館:ハコモノよりイベント
昨年の市長選で「水族館建設断念」を主張した新市長誕生に触れ、これからは市民参加型・全国発信のできるイベントをを中心にまちの活性化を図る方向に転換。
150周年記念事業への取り組みも昨年11月スタート、150周年のプレイベント開催など、豊富な「遺産」を活用した取り組みが始まっている。

わが函館関連の記事は具体性が不足していて、アピール度はやや物足りないが、これからの努力でキャッチアップしていってほしいもの。
(注:左のロゴは筆者が制作した「私的」なものです。公式ロゴは近日中に公募?)

ちなみに、記事には各港の現況が載っているがこれが意外に興味深かった。(人口のみは筆者が付け加えた)

①開港年 ②入港船舶数 ③外貿コンテナ数(TEU)④クルーズ客船寄航数 ⑤人口

横浜 ①1859 ②43千 ③298万 ④140 ⑤3,630千
神戸 ①1868 ②40千 ③198万 ④93 ⑤1,531千
新潟 ①1868 ②43千 ③16万 ④9 ⑤805千
長崎 ①1859 ②14千 ③0.6万 ④63 ⑤448千
函館 ①1859 ②16千 ③0.2万 ④17 ⑤290千

残念だが、港の実力では函館は5港中総合点で5位に甘んじている。

こういう客観的な数値で実態をきちんとおさえることも必要なことだ。




2008/01/11のBlog
[ 08:22 ] [ 情報・IT・関連ブログ&サイト ]
最近書かれた、函館についての「文章」を紹介します。

最初は、このブログへのコメントで教えていただいた、

●タテ・ヨコ・ナナメの世界と日本
函館見学録」 
 
これを書かれた河東哲夫氏は元外交官で在ロシア大使館公使、在ウズベキスタン・タジキスタン大使も勤め、いまは東京財団というシンクタンクの研究員。

最近函館のロシア極東国立総合大学に講演で招聘されたとのこと。ご自身の父上が函館で育ったという縁があるものの、どうも函館には初めての来訪であったようだ。ロシア研究家らしく、函館と北方史の話に始まり、北極航路!(温暖化で北極の氷が解けると、北極回りでヨーロッパや米国東海岸への航路が可能になり、そのときは函館が「ハブ」として再登場・・・という豪快な話にも発展。ともあれ一読に値する。

●北杜の窓
以前から、北海道(そして函館)の旅行関連のニュース紹介やコメントを書き続けてきたこのブログ。最近の函館の話題はナッチャンRelaとエアトランセが2大テーマだ。

エアトランセ、ロング遊覧飛行や都市間貸切に活路か

高速バス&「なっちゃんRera」で行く北海道

確かな情報源と冷静な分析で読ませる、数少ない高品質の「旅」ブログ

東北新幹線の新青森延伸:2010年末
北海道新幹線:新函館までの延伸:2015年

今年は178億円の工事費予算がつき、北海道新幹線開業への建設工事も本格化している。さて、最終目標である札幌延伸については、巨額の工事費をどう手当てするのか、財政問題に見通しがたたず、開業時期を巡る関係者の動きが慌しくなっている。

そんな中で飛び出したのが、防衛疑惑ですっかり有名になった額賀財務相(写真)の問題発言。
昨年(12月19日)のことだが、新幹線札幌延伸の陳情に上京した札幌市議会の与党議員に対して、
 「道内全選挙区で勝たせてくれたら- 新幹線札幌延伸は一発で決まる」
といったという。(道新記事 07.12.20)

もともと、道内の選挙区では民主党が強く、自民が圧勝の前回の衆院郵政選挙(05年のときでさえ、12の小選挙区では 民主8 自民4という結果。特に新幹線の沿線の選挙区である1区、4区、8区では民主が全勝している。

それにしても、一議員ならいざしらず、財政運営の枢要な立場にある財務相が「新幹線を通したければ自民党議員を当選させろ」というのは露骨な利益誘導ではなかろうか。
(民主党もさすがに、「政権与党をかさに着た国民無視の横暴極まる発言。閣僚としてあるまじき不適格な態度」と早速批判したと伝えられる。

 もっとも、昨年の統一地方選の際には自民前幹事長の武部勤氏が函館市内の道義選の自民候補者の応援に訪れた際に 定数6に対し自民党が1議席にとどまっている函館市選挙区に言及
 「一議席のままでは『何で函館に新幹線を伸ばすんだ』となる」と語気を強め、党勢拡大を訴えた、という。(道新記事07.3.11)

新幹線建設に絡む政治家の干渉はなにもいまに始まったことではない。古くは岐阜羽島駅のケースなど、政治路線・政治駅は連綿と続いている。それにしても、自民の政治家のセンスはいっこうに近代化されないのはどうしてだろうか。

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