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HAKODADI ・・函館の政治と経済
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2008/02/08のBlog
講演の要旨が市役所・都市建設部のサイトに掲載されました。素晴らしいシゴトです!
講演記録

1月30日、市内で「北海道新幹線に向けたまちづくり」と題しての講演会(案内)が開かれた。講師は日本政策投資銀行調査役の藻谷浩介氏。最近「日本の地域力」(日本経済新聞出版社)と題した著を刊行している地域経済専門家。各地の実情に非常に詳しく、統計資料を駆使しての「鋭い」論評には定評がある。

今回の講演で集まった聴衆の最大の関心事「新幹線開業効果」についての発言を以下要約。

新幹線函館開業後
①函館の市民には新幹線により他地域との利便性が飛躍的に改善するという大きなメリット。ただし、買い物などで首都圏(札幌開業後は札幌)への消費者の流出は強まるだろう。
②観光客は開業後1-2年は「開業効果」で大幅な増加が期待されるが、それ以降は大きく落ち込み、以前の水準へ。「一度は行ってみたい」という弱い動機の客が一時のブームで函館観光に来るだろうが、リピータにはならない。
③首都圏からの観光客、ビジネス客の大量の新幹線シフトは起こらない。新函館駅が函館中心部から遠すぎる(新幹線の駅の中で空港より遠い場所に新駅ができる唯一のケース)こと、乗換えが生じることが最大の難点
④20時台でも首都圏への帰れることから、夜景観光=宿泊のパターンが減って、日帰り客の割合が増える。(札幌開業後はさらにその傾向は強まり、いまの小樽のように、「札幌からの日帰り」が増えるだろう。)
函館観光の今後への提言
⑤新函館駅から3線軌条で新幹線の函館駅延伸をはかるべきだ
⑥宿泊客、高単価の客の誘致を強めるためには、食に磨きをかける(よい素材をどう調理するかなど)とか2-3日滞在しても飽きさせない魅力あるスポットを開発するべき。
⑦西部地区の景観を壊さない積極的施策が不可欠。

全国各地の「成功事例」に学ぶ必要
⑦沖縄は平均宿泊日数が北海道などより1日程度長い、従ってひとりあたりの観光消費額も高い。それだけの魅力作りに成功している。
⑧新幹線ができたら観光が伸びるというのは幻想。新幹線駅に近い水上温泉と草津温泉の動向がいい例。前者は宿泊客が激減したが、草津は地域をあげての「魅力」発掘に成功
⑨軽井沢は建築の高さ規制などで良好な景観・環境を維持、越後湯沢がマンションなどの乱開発でその後急速に衰微したのと対照的。

ちなみに、150人定員がほぼ埋まった聴衆は圧倒的に背広姿の役人・観光団体関係者などで、まちづくりNPOなどの民間人が相対的に少ない印象。主催者側は、こういう貴重な講演内容を事後にまとめて広報するなどしてほしいもの。

参考書
「日本の地域力」(日本経済新聞出版社)
参考
■我的勝手日記 「北海道新幹線に向けたまちづくり
講演会の全体の印象、総論部分の要約
■函館のニュースな出来事。。とか。「北海道新幹線に向けたまちづくり
あいかわらず、手抜きの少ない簡潔&要領をえた要約


2008/02/06のBlog
[ 18:09 ] [ 市議会 ]
今朝の道新では「調査、実質的に幕 参考人招致せず」
と報道されましたが、「公開」の「調査特別委員会」はたんたんと進行し、波乱もなくあっけない幕切れとなりました。

10:00開会の委員会では、事前に「追加質問」を意思表示していた本間・小野沢(市民クラブ)委員がいずれも「質問なし」
福島議員も、「市街化調整区域を決めたのはいつ?なぜ市長に報告していなかったの?」というような、すでに何度もなされた質問を繰り返すのみで予定の30分が終わらないうちに質問を終了。
志賀谷委員(公明)は、「市役所の側にも対応に不十分な点があった。今後の教訓として生かすべき」「議員も行政に対しての働きかけでは注意すべき点も(口利きのことか)」といった発言で約10分。

合計40分で、追加質問は終了。

「参考人招致など、今後のことを協議する」として、暫時休憩。委員長からは「傍聴者には申し訳ないが、いつ再開できるかはわからないので悪しからず」ということで、6-7人の傍聴者からはブーイングも。

結局再開は13:00 傍聴者は4人に(うち現職議員2名)
委員長から「参考人招致は、委員の全員一致が原則ですが、全員一致する参考人がなかったので、招致ができないことになった。したがって参考人招致は行わない」という宣言。

結局、理事者(市役所の関係部局)に対する質問のみ、それ以外の当事者の参考人招致はまったく行わないで今回の「調査」は終了という結末となった。
最後に委員長から「各委員はこれでご異議ありませんね」と念押しがあり、全員が「異議なし・・・」 これで、「前市長からの再検討指示の有無をめぐっての『18年7月20日市長室関係分』についての全議事は終了。

その後ただちにもうひとつの調査項目とされた「17年6月の議長室関係」(他の福祉施設の認可に絡んで前議長が「どうせえんぴつなめなめなのだから何とか認めてやれ」と市職員に圧力をかけたとされる事案)に入った。
ところがこちらは「質疑なし」「参考人招致なし」
であっけなく終了。
なんのために調査項目にあげたのか、なぜ質疑も何もなしでいいのか、一切の説明もなく突然の幕引き。

再開後の所要時間は10分。

2月定例議会に「特別委員会」の報告書がでるとのことだが、こういう審議経過で果たして中身のある「報告書」が書けるものか、疑問。




:


市議会の有料老人ホーム問題調査特別委員会(黒島宇吉郎委員長)の第7回が本日2月6日10:00から開催される。

前回(第6回 1月23日)に全委員による質疑が一巡、今日は前回の質問で時間が不足(各委員の持ち時間60分)した委員(福島、志賀谷、本間議員ら)による補充質問30分以内)を行う予定。
なお、前回の委員会の最後には委員長から「参考人の招致」が触れられていたが、その後の議論の中ではどうも「委員の全員一致の賛同がえられない」ため参考人招致は行わない方向が決まったようだ。

本ブログでもすでに触れてきたことだが、今回の特別委員会が「真相究明」を徹底するためには関係者の参考人招致は不可欠である。いままでに議会本会議、各委員会、監査委員会などでこの問題は再三取り上げられてきたが、そのいずれの場合にも、答弁に立ったのは市の幹部(前市長、福祉部長、総務部長、都市建設部長(いずれも現職))であり、今回の特別委員会でも前2回の質疑は上記3部長と担当課長が対応している。唯一の例外が監査委員会で、ここにはホームの許可を申請した当事者であるH社の元幹部が監査の申立人として意見陳述をし、監査委員からの質問にも答えている。
上記以外の関係者はそれぞれ文書あるいは記者会見などで意見を表明している場合もあるが、記者会見の場合を除き、公の場での説明・釈明を行っていない。
この事件の関係者は以下のように多数存在する。

●上記の行政側の責任者 福祉部長、都市建設部長、総務部長 そのスタッフ
●事件当時の行政側責任者担当者 前市長、前福祉部長、同次長、前都市建設部長
●許可申請者 H社幹部 O氏、N氏
●「H社顧問」=情報誌主宰者 K氏
●前議長=市会議員、特別委員会委員
●前助役=現市長
●道の所管部局(保健福祉部)

K氏などは監査委員会、特別委員会には毎回必ず傍聴に現れ、自ら発言の場を求めて「参考人招致に応じる」旨の意思表示もしていると聞く。
前議長も、自ら特別委員会の設置を強く求めたのだから、真相究明のためにも自らが参考人として質問に応じるのは当然ではなかろうか。特別委員会でも「事実無根のことで一方的に攻撃され、名誉を傷つけられたのに反論の機会も与えられなかった」と述べているわけだから、むしろ望んでその席につくべきであろう。

休息中の会派懇談会(という名の密室協議)では参考人招致を巡っては相当熾烈な応酬があり、参考人として名の挙がった候補者のいずれも「全員一致」の賛同が得られなかったという。特定の誰かが参考人となると不利になるような事情を抱えた側?がその人物の招致に反対し、それならと、その側の提案する参考人の招致に逆の立場から反対がでるというような堂々巡りの議論になったようだ。

それにしても、行政の側の責任部局の答弁のみで特別委員会としての「調査」が終わってしまうというのはなんとも不可解、かつ異常である。

前2回の特別委員会では、多数の委員が「申請者に対する行政側の対応に不十分な点があったのではないか」という点を質している。

たとえば石井委員。
H社が福祉部に協議にきたのは一回きりで、十分な協議もしていないのにH社が道に事前協議書を出したというが、別の見方をすれば「相談にのってもらえなかった」ということではないのか。「市民は行政よりも手続きにはうといのだから、ここ(都市建設部)にも行ってきちんと相談をしなさいというような指導も必要ではなかったのか。」と。

行政の側にも対応に万全でなかった部分があり、当時、こうしたケースで「福祉部と都市建設部の連携が不足していた」(福祉部長)などの発言も引き出されてはいる。

しかし問題の本質は、福祉分野などが急拡大し、民間に開放され、一方で行政の許認可権の再編、変更などが進む中、行政の「盲点」をついて特定の業者がルール無視と不当な圧力を通じて格別の利益を享受しようとしたという点にあるのではなかろうか。

究明すべき課題は少なくとも下記の3点

①H社が必要な事前協議を飛ばして道に対して虚偽の説明(市との事前協議は済ませている)に基づいて「事前協議書」を提出した経緯
②道からの意見書提出を求められた市の福祉部長(当時)に対してK氏が電話で執拗に「H社に有利な内容で書くように」迫った事実

以上2点は小野沢委員の質疑ででてきている。

③前市長から「意見書について市長(当時)から再検討の指示があったかという点」について、福祉部長が「20日に限っていえば『指示とも投げかけとも取れる』ものであった」と発言したこと。

これは高橋委員の質疑

今回の特別委員会で初めて文書が提出された上①②、そして2月議会での答弁が事実上修正された③については、あらためて当事者を呼んで事実をただす必要があるではなかろうか。



2008/02/03のBlog
前に、商標登録について少し書いたが、今回はネット上の「商標登録」ともいえるドメインについて。

最近必要があって、hakodate を使ったドメインの実情を調べてみた。結果は驚愕もの。
com,net,org,info,biz,tv,jp
汎用ドメインとよばれるこれら7種類のドメインはすべて登録されている。(つまり独占使用権がだれかに確保されている)。それはいいとして、さて実際に使われているのがどれだけあるか?

答えはなんと、事実上稼動しているのは1個だけという悲惨な結果

http://www.hakodate.com =「函館インターネット」というトップページが出るが中身がない。
http://www.hakodate.net = サイトは一応あるが、なかみはなく、どうやら転売目的。所有者は東大阪市在住。
http://www.hakodate.org = ドメインは「転売先受付中」 所有者は所沢市在住
http://www.hakodate.info = サイト存在せず。所有者は市内在住のM氏
http://www.hakodate.biz = サイト存在せず。所有者は市内在住のK氏
http://www.hakodate.tv = 「函館観光情報」というサイトだが・・・・
http://www.hakodate.jp =サイト存在せず。ただし、所有者は函館インフォメーションネットワーク(Hinet)

所有はされているが活用されない(転売目的?)というあたりは、商標登録の場合にも似た状態。悲惨を通り越して滑稽といってもよい事態である。


ちなみに属性型ドメインとよばれる以下の4つは

http://www.hakodate.co.jp = カニのマルキタ (北村商店)
http://www.hakodate.or.jp = HINET:函館インフォメーションネットワーク
http://www.hakodate.ne.jp = 函館ネットレビュー (アクセス社)
http://www.hakodate.gr.jp = HAKODATE.GR.JP (ネット業者?)

でそれぞれ運用されている。

実は lg.jp という属性型ドメインは地方自治体専用で用意されていて、
たとえば
http://www.pref.hokkaido.lg.jp
http://www.city.fukui.lg.jp
のように使われているのだが・・・


ちなみに 
函館市公式サイトは
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp
なんでいちいちhokkaido まで打ち込まされるのか・・・

函館観光コンベンション協会
http://www,hakodate-kankou.com

いずれも長くて覚えにくいアドレスとなっている。

結論として、hakodate を使った短いアドレスの使用は、ドメイン取得のタイミングを逸したためにもはやあらかた封じられているというわけだ。


函館山ロープウェイの見学会に行ってきました。
夜景で有名な函館山ですが、実は日中の市街の眺めも一見の価値があります。特に冬は空気が澄んでいて、特に今日のような新雪の直後の市街地は、寒い中を上ってきたあとの爽快な気分を満喫できます。

冬は観光客の来函は全体として夏場の50%程度になるのですが、ロープウェイの場合はバスの運行が休止になるので、それほどの落ち込みにはならないそうです。それでも、日中の展望台は閑散。4時半頃からは日没~夜景を狙うお客様でかなり込み合ってきます。







そして、今日は特別に、ロープウェイの機械室の見学をさせていただきました。334mの山頂まで、836メートルのロープウェイ、定員125人のゴンドラを時速25KMで運ぶための動力部は815馬力のモータ2基。動き出した2つの巨大な車輪は迫力満点。













そして、山頂部でも巨大な車輪がしっかりと強力なテンションを支えています。運転の制御系等も、シンプルですが非常に高度なシステム。さらに安全確保のための多くの対策がとられていることにも驚かされます。

意外に注目されることのない、こういうシステムを支える裏方の機械設備ももっと積極的に公開していけばロープウェイの魅力つくりには有効なのでは。

2008/02/02のBlog
前に触れた藻谷氏(政策投資銀行)の講演の中で触れられていた、「北海道観光で不満を感じた内容」
同行のサイトで探し当てました。


政策投資銀行レポート
このレポートは北海道観光に訪れたお客に「北海道観光の中で宿泊施設についてでどういう点が不満であったか」を問うもの。

1位 お仕着せの食事内容 27%
2位 地元の旬な素材を生かした料理でなく、どの宿泊施設もカニなど似たような料理が主体 26%

と食に対する不満が1-2位を占めています。北海道といえば「食」のイメージ。期待感がおおきいだけに現実には失望感がおおきいのでしょう。

3位 施設が古びていたり清潔さに欠ける 16%
4位 バイキング形式の夕食 14%
5位 料金、料理や部屋のレベルを自由に選択できない 12%

と続く。確かに、食事への不満はよく聞く。皿数とボリュームでは全国でも多分有数なのだろうが、昨今の旅行者(特に年配者)には、少量でも選りすぐりの味を好む傾向は強まっている。宿の食事をとらずに外のレストランを選ぶというケースも多い(特に食事つきの格安パックの場合にその傾向が強い)
藻谷氏も「素材は一流だが、それをどうさばいて、美味しく食べさせるか」という工夫・努力が決定的に足りないと力説していた。
北海道全体の調査ではあるが、わが函館にも十分あてはまりそうだ。
中国産冷凍ギョーザの中毒問題。函館でも「中毒ではないか」という事例がでたようだ。(写真は問題の”ひとくち餃子”)

昨日2月2日夜、函館市内のあるスーパー。

冷凍食品売り場には欠品が目立つ。中国製の冷凍食品などが大半撤去されたからか。
国内産の冷凍食品もギョーザなどはなんと50%引きで「投売り」状態

1日の新聞はトップに、問題のギョーザを製造した中国・天洋食品製の冷凍食品の自主回収が、11社40種類以上に及んでいることを報道。中には串揚げ、揚げとんかつ、赤身牛すじ肉など、ギョーザ以外にも非常に広範囲の食材が対象となっている。

冷凍食品にこれほど中国産が進出していることにあらためて驚く。
低価格と調理の容易さが、昨今の日本人の食生活の変化にぴったり寄り添って、これだけ多くの食材の中国依存が進んでしまっていたということか。

確かに単身者、高齢者などには、分量が調節できて、調理も簡単、そして個々に食材を買って作るよりもコストが安い。(なぜそんなことができるのか?不思議に思わないところがミソ)冷凍食品が普及する素地は十分だ。

道内でも、学校給食などはこうした「中国産・冷凍食品」の存在がなければ、コスト面、調理面(一律の食事を短時間で調理するには冷凍食品が不可欠)で成り立たないとの声が聞こえる。

大手食品スーパーでは、かねてから「冷凍食品●割引」セールが「常態化」して、客寄せ商品となっていたが、こうした大手スーパーの低価格戦略が、食材の中国シフトを加速したことは否定できない。

(写真は“業務用”の「やわらかヒレカツ」)

そして、もうひとつの問題は「業務用」の食材。今回の自主回収食品も半分は「業務用」とあるが、これらはスーパーなどで一般消費者向けに売られるわけではなく、飲食店や最終加工業者向けという。
一般のレストランなどでも、いまやこうした業務用の「冷凍食品」の採用は当たり前。メニューの種類を増やすには、こうした「業務用」食品の存在はいまや不可欠のようだ。
利用者の側からすれば、レストランで出されるものは厨房ですべて原材料から調理されているものという思い込みがあるが実態は必ずしもそうではない。

食の新鮮さ・うまさが街の魅力として知られるハコダテにおいても、こうした「業務用」「冷凍」食品はじんわりと浸透している。そこに食品の安全に関わるリスクはないのか、こういう機会に総点検をするべきではなかろうか。

関連記事
サンケイの関連記事特集
JTの「食品自主回収」告示
2008/01/27のBlog
函館市議会老人ホーム特別委の実質調査が1月22日、23日の両日開催された。

委員の構成は下記のとおり

委員長
黒島 宇吉郎 (新生クラブ)
副委員長
斉藤 佐知子 (民主・市民ネット)
委 員
石井 満 (民主・市民ネット)
福島 恭二 (民主・市民ネット)
出村 勝彦 (新生クラブ)
浜野 幸子 (新生クラブ)
本間 新 (市民クラブ)
小野沢 猛史 (市民クラブ)
瀬尾 保雄 (公明党)
志賀谷 隆 (公明党)
高橋 佳大 (日本共産党)


新聞各紙に掲載された内容を以下にとりまとめた。< >と(注)は筆者によるもの。


■一日目
9委員のうち志賀谷、本間議員を除く7人が質問。持ち時間は各60分。(ただし30分程度で切り上げる委員もあった)

<業者への対応>
石井氏(民主・市民ネット)、出村勝彦氏(新生クラブ)の質問に対して
岡田福祉部長
「問題となったH社は05年11月4日に福祉部へ1回相談に訪れただけで、06年1月下旬には道に市との事前協議書を提出した。事業者に話をする機会がなく、都市建設部にも相談がなかった。もっと綿密に相談してほしかった」と答えた。(注1)これに対して
石井氏は
 「相談に来なければ責任がないという考えでは問題がある」と指摘。

<内部メモの扱い>
瀬尾氏(公明)は、
 当時の西尾正範助役が福祉部次長に内部メモの作成を命じ、退職後にメモを持ち出した行為の是非を質問。
小柏総務部長
「法的に要保護性のあるものを持ち出したら罰則があるが、この文書に要保護性はないと考える」

<指針の公表について>
福島氏(民主)
 市街化調整区域での老人ホーム建設を認めないとする指針について「条例は(調整区域への立地と認めないとする)内容を定め、公表の義務を規定している」(道新)
「行政手続条例に定められた公表をしておらず、手順、手続きを踏んでいない」(函新)などと市の手続きに問題があったと批判。

岡田部長
 函館市の指針は道の指針に基づき福祉部が整理したもの。指針の公表は複数の者に対し行政指導をする場合とされていることから、「今回は単発的なケース。部内の意思統一が図られ、一貫している」と述べ、問題がない考えを示した。(函新)
「今回のケースは施設を計画する特定の事業者が対象で、(条例が規定するように)行政指導が多数業者に想定されるものでない。条例の規定事項にのっとるまでもない」として、市行政手続条例上、市の対応に問題はなかったとの認識を示した。(道新)
「(考え方を整理した)2003年当時の職員に聞いたが、明確な記録はなく、当時の職員の共通認識だった。決裁はとっていなかった。ただ、都市計画法で立地が制限されている」とも。

<市長からの再検討『指示』の有無> 
高橋氏(共産)
 06年7月20日に市長室で行われた会談について「前市長が認められない施設建設の再検討を指示したと受け止めたのか」(函新)
岡田部長 
 「命令形の言葉での指示はなかった。指示とも、投げかけとも、いずれにもとれる発言だった」(道新)
 「命令形ではなかった。指示とも投げかけとも取れる内容だった」と述べた。なお、市長選前の議会で市の統一見解は「再検討の指示はなかった」だった。(函新)
 「この日に限れば、前市長は明確な命令形ではないが、私には指示とも投げかけとも受け取れる表現だった。そばに居た当時の福祉部長は指示と受け止めたようだった」この問題について昨年の市議会定例会で市側は「前市長の指示はなかった」との見解であった。(朝日)
 「指示とも投げかけともとれる発言があった」、前市長の発言があくまで明確な命令のかたちでなく「100%指示と受け取れなかった」と釈明。昨年2月議会で「指示はなかった」とした自らの答弁内容を修正した。岡田部長が指示を事実上認めたことで、あらためて前市長の主張の信憑性が問われそうだ。(毎日)
(注2)

<H社主張の真実性>
小野沢氏(市民クラブ)
 入手した資料などから「H社の主張の肝心な部分は事実無根。市が道に提出した意見書からも、市の一貫した対応が見られる」(注3)(函新)
岡田部長 
 事業者が「施設計画で、西尾正範助役(当時)らが内諾をしていた」と主張していることに関し、「内諾を与えた事実はない」と否定。

■二日目

本間新氏(市民クラブ)、志賀谷隆氏(公明党)が質問

<福祉部と都市建設部の連携>

本間氏(市民クラブ)
 行政指導の一般原則や事務分掌の立場から、福祉部が都市計画の観点で業者に説明したのは所管事務を超えているのではないのか(函新)
岡田部長
 「相談業務の中で制度的な話をした。それが行政指導となるかは解釈の問題」

志賀谷氏(公明)
 福祉部と都市建設部の連携について質問
岡田福祉部長
 施設を計画した事業者に対する市の対応を「まったく非はなかった」 ただし、2005年11月の事業者からの相談を福祉部単独で受けたことに触れ、「混乱を招くことがないよう、今後、市街化調整区域内での施設建設にかかわる事業者からの相談は、(都市計画に携わる)都市建設部の職員と一緒に受けるよう、職員に指示した」と述べた。(道新)
 「業者に対する対応や事務の執行に非はないと考えているが、端的に言えば当時の連携は弱かった。おなじようなことが起きないよう、市街化調整区域の事案とわかれば都市建設部の職員が必ず同席して対応するように指導している」(函新)

<業者の不当要求はあったのか>
志賀谷氏(公明)
 市が06年2月の事業者側と福祉部長(当時)との電話やりとりの記録を、要求した市議に提出せず、22日の特別委に公文書として提出したことについて、「不信感を抱かせる問題になりかねず、今後、極力こうしたことがないようにしてもらいたい」(注4)と注文。(道新)

 「業者が法律や条例を曲げて不当、不法な要求をした事実はあるのか」
岡田福祉部長
 「当時の西尾正範助役に『政治的判断で認めろ』と迫るようなことがあった」







============
注1)新生、民主、公明の委員の質問では、業者に対する市福祉部の事前相談についての不備、指針の運用のあいまいさ、都市建設部との連携不足を糾すような質問が目に付く。この質問も、業者側が事前説明に一回来たのみで、しかも問題点の指摘をうけているにもかかわらず、それらを無視して道への申請を「強行」するという不可解なやりかたには疑問を投げかけずに、市側がもっと「親切な」対応をすべきであったといっているように聞こえる。

注2)23日の毎日の記事のタイトルはずばり、「前市長の指示認める 福祉部長が答弁内容修正」。朝日もこの部分のみを詳しく報じた。
 ところが、函新、道新も岡田部長の答弁内容はほぼ同じ表現で引用しているのだが、この発言が、前市長在任中の昨年2月議会での同部長の答弁とは明らかに異なるものであり、あらためて前市長・前議長の主張に疑いが強まったということに格別の注意をむけていない。

注3)「H社の主張の肝心な部分は事実無根」という小野沢委員の主張は、たとえば。H社が道への申請にあたって「函館市との事前協議は整っているか」という質問に「済ませている」と嘘を言っていたことなどを指している。そうした業者と道とのやりとりが今回の特別委員会にはあらたな「資料」として提出されているのに、新聞報道ではそうした「新事実」をきちんと取り上げていない。

注4)この志賀谷委員の質問はこの記事だけではなんのことかわからないであろう。
実は、H社が道に申請書を提出し、道から函館市に「意見書」の提出が求められた際に、かのK主筆が(H社の代理人として)当時の福祉部長に対して電話で「意見書の内容をH社の有利になるように書くように」と執拗に迫ったことを指す。この電話メモは当初は「公文書」に」あたらないとして非公表であったものが、今回は「公文書」と認定されて特別委員会に提出されたもの。志賀谷委員は、その電話メモが「業者」の悪質なやりかた(嘘をいって道に申請書を受理させ、その上で意見書を業者寄りに書くように圧力をかける)を証明するものであることには触れず、提出のしかたという手続き問題を専ら批判している。
今回の特別委員会を通じて、
3つの大きな新事実が確認されたと思う。
①H社と道とのやりとりを示すメモが明らかになった。この中でH社が函館市との事前協議を意図的にあいまいなまにして、道には「協議を終えている」と虚偽の説明をして申請をしていたという事実があきらかになった。

②H社の代理人としてK主筆が意見書の内容を業者有利にするよう圧力をかけた事実がK主筆と前福祉部長の間で交わされた電話メモとしてあきらかにされた

③前市長の「再検討指示」の実態がさらにあきらかになった。表現はあくまでもあいまいであるが、部下にとっては、すでに出されている「意見書」の差し替えを求める「指示」ととるしかないようなものであった、という事実である。

さて、委員会は、二日目の質疑の後に「恒例」の休息=密室協議に入った。次回の2月6日の委員会での参考人招致などを協議したとみられるのだが、気になる情報が函新に載っている。
黒島委員長が「公平を期すため招致は(委員の)全会一致でなければならず、難しい面もあるのではないか」(函新)と述べたという。
どうも、委員の中に「参考人招致」に反対する委員がいるようで、どうも参考人招致をしないままで幕引きをするという流れにあるようなのである。

今回指摘された新事実に関してだけでも、直接の当事者から事情を聴取し、究明をしなければならないのではなかろうか。

2008/01/25のBlog
谷村志穂著
講談社
2007.11発行

「海猫」に続く「ロシア」三部作の第二弾は「黒髪」

1930-40年代の函館を舞台に、ロシアからの亡命者 ドミトリーと、その邸宅に女中奉公に来た「さわ」の出会いと恋と愛欲そして悲惨な死までを描いた、「恋愛」小説。

戦前、函館にはロシア革命から逃れてきた亡命ロシア人が多数住んでいたという。30年代には生活もそれなりに安定していたようで、函館の住民との関係も良好だったようだ。ところが、満州・中国での戦火の拡大につれて、潜在敵国ロシアに対する警戒感が強まり、憲兵隊によるスパイ容疑での弾圧なども始まる。住民からも差別・排撃されるようになる。
そうした中で、ロシア人のオトコを愛し、身ごもってしまった「さわ」と、別々の生を生きることになった混血の兄妹の数奇な運命。

そして、一度はさわの元を去ったドミトリーとの再会が果たされる大連。
ヨーロッパ風にしつらえられたという、アジアには稀有なデザインを誇る街、大連の港と当時のひとたちの息遣いが、(多分綿密な取材の成果であろう)よみがえるようだ。

当時は、函館から満州・ロシア方面への船便なども、いまとは比較にならないほど多かったともいう。そして、函館には確かにロシアおよびロシア人との密接な交流・交歓の時代があった。
今でこそ、目にするものとしてはハリストス正教会と旧ロシア領事館くらいしか痕跡の残っていない、函館のにおける「ロシア。
そして2つの大戦のはざまで、ほんのつかの間、ロシア極東をにらむ国際都市であった函館の面影を今に伝えるものもいまや数少なくなっている。

大戦、そして戦後の冷戦下のどこかで、ロシアとの交流のネットワークがきわめてか細いものになった。しかし、その後も何人かの日本人・ロシア人の努力でそのネットワークの糸はつながり続けてきた。日本にある唯一の(多分)ロシアの公立大の日本校の存在もそのつながりの現れのひとつだ。

この本を読み終えると、多分、あらためて函館を歩いてみたくなる、そういう気分を起こさせる要素がこの本には十分詰まっている。「黒髪」の物語はもちろんフィクション。しかし、こういう物語がつむぎだされる「土壌」が確実にいまの函館にも潜んでいるということを教えられる。そして、それを知ることで、見慣れた風景(たとえばドミトリの住まいがあったとされる、幸坂からの港の眺望)が、いまや別ものに見えてくる。

大連の港にも行って、そこの風にあたってみたくなる。そして終章に登場するサンクトペテルスブルクとモスクワの2つの大聖堂でロシア正教の聖歌に包まれてみたくなる。

そういうチカラを持つ小説に出会えることは幸せだ。
2008/01/19のBlog
西尾市長の
「ロシア極東大函館校の市立化を新年度から検討したい」発言が波紋を呼んでいる。

第一報は1月8日の共産党市議団による市長への予算陳情
市議団からの要請(重点項目45)の中に
「ロシア極東大函館校への支援充実」という一項があった。市長の発言は項目全体について、「賛成できる項目が多いが、すぐ実現できるものも、困難なものもある」と応えたという。 (1月9日道新)

同じ日の道新で、今度はテーマが絞られて

ロシア極東大函館校 市長が市立化の意向
というタイトル

西尾市長は「未来永劫(えいごう)続く学校にしたい」と述べ、同校の市立化を新年度から検討したい意向を表明。
 西尾市長は、ロシアとのパイプづくりや人材育成の観点から、同校の意義を重視する考えをかねてから示している。現在は専修学校の位置づけの同校を市立化することで、より安定した学校経営や特色ある学校運営を目指す考えとみられる。
 ただ、市立化した場合には市の財政負担が増すことが予想され、市の財政状況も厳しいことから、今後、曲折がありそうだ。
 函館市はロシア極東大函館校に対し、1998度から年間2000万円、2001年度から年間3000万円を補助金として支出している。


この記事に対する反応が1週間後、おもいがけないところから現れた。

1月17日道新
函館 市長給料 据え置きに審議会が方針 市議の報酬も

という記事の中で

函館市特別職報酬等審議会が市長、市議ら特別職の給料、報酬を現行のまま据え置くことが適当とする
答申内容をまとめた際、

ロシア極東大函館校の市立化の検討に対し「行財政改革を進める中でどういう位置づけなのか」と疑問の声が出されたという。

どういう文脈でこういう「疑問」がでたのか、記事だけではあきらかではないが、上記の文章の前に「不退転の決意で行財政改革に取り組むべき」という注文がでたというから、財政運営が難しい中で予算措置を伴う新しい施策に対して不満の声がでたということであろう。

ロシア極東国際大学は、従来の「専修学校」の位置づけから、「外国大学の日本分校」という認定がえられ、昨年から卒業生の国内の大学院への進学資格が認められた。文科省の許認可を得るにあたっての関係者の努力を多としたい。
ウラジオストックにある本校からの人的支援などもしっかり続いており、地道だが着実な歩みを続けてきている。入学者数が大幅な定員割れを起こしており、経営は楽ではなと聞くが、市として本腰を入れて支援していくべきタイミングではないのか。
函館がその地理的特性を生かして「国際交流・親善」を進めていく相手国としては歴史的背景やすでにできているパイプの太さからしても、ロシアの重要性は依然大きい。

西尾市長もマニフェストの中で、重点項目として

ロシア極東大学函館校の市立大学化と極東地域の情報センター化
を掲げている。

新規の金の話になると、施策の意義や優先度の議論の前に、即座に「反対」「慎重」論が、しかも「審議会」のような公的な場ででるという、この町の独特の政治風土。確か審議会のトップは保守系の議員さんであったと記憶する。

しかも真っ向からの反対ではなく
「どういう位置づけなのか」という表現。
よく耳にする
「いかがなものか」
と同様、まっすぐに議論するのではなく、表現をぼかすというのも特徴的。

市長も「直ちにやる」といっているわけではなく、「検討を始めたい」といっている。「報酬審議会」などという場で曖昧な批判をするよりも、議会という本来の政策審議の場で正々堂々と批判の論陣をはるべきだ。





2008/01/18のBlog

「今日1月17日、、新聞に折り込まれた厚生労働省による政府広報に掲載された汚染血液製剤の納入先医療機関リストで新たに141施設が閉鎖され、連絡が取れなくなっていることが、分かった」という。(MSNサンケイ記事

ちなみに拙宅に配達された広報で函館関係分を仔細にみると、


フィブリノゲン製剤納入施設(ということはもちろん、投与した可能性が高いということ)

として函館市の対象施設は28施設。その大半が総合病院または産婦人科専門病院。

そのうちなんと9施設(うち産婦人科は8施設)が休・廃院している。こうしたケースでは当然ながら古いカルテが保存されていない可能性は高い。つまりはC型肝炎にむすびつく、フィブリノゲン製剤の投与の証明はきわめて困難ということだ。
厚生労働省も、こうしたカルテの保存に積極的に対処した事実はない。前回の公表から3年、その間に休廃院したのが全国で141もあるという。あいかわらずの杜撰・無責任な対応。

それにしても、あらためて、この10年間くらいの間に、いかに産婦人科が劇的に減少したか。あらためて驚く。
少子高齢化、医療過誤訴訟、診療報酬の切り下げ、そして最大は医師の確保の困難。それにしても函館の減り方は尋常ではない。人口規模で5倍の札幌では、休廃院は16。
ますます子供を生みにくい環境へと事態が悪化している。
2008/01/17のBlog
今週発売の月刊誌クオリティに

函館市前市長“口利き問題”再燃 調査特別委員選任めぐる「混乱」
というタイトルで記事が載った。

「市街化調整区域内での有料老人ホーム建設」に絡み、現職市長が “口利き”をしたとされる問題をめぐり争われた07年の函館市長選は、疑惑を糾弾した西尾正範前助役が現職の井上博司氏を大差で破り当選した。
 その後、西尾新市長は口利き問題を究明すべく「調査特別委員会」の設置を決めたが、その委員選任をめぐり市議会は紛糾と空転を繰り返し、市民からも疑問の声が上がっている。内部で何が起きているのかを探った。


多少の誤解はあるが(委員会の設置は市長が決めたわけではない・・など)ことの全貌をおおまかに概観できるような記事である。

新年を迎えて実質審議が再開される「老人ホーム問題調査特別委員会」。次回開催は1月22日10時から。さてどういう展開になるのやら。厳しく見守りたい。



2008/01/16のBlog
つばさよつばさ
浅田次郎
小学館
2007.10
本の紹介@BK1

ご存知「鉄道員(ぽっぽや)」で数多の男女を泣かせた当代きって(とは私の評)のものかき名手、浅田次郎氏の最新刊。「つばさ」とは翼のこと。4年間にわたってJALの機内誌Skywardに連載した同名のエッセイが単行本になったのである。
「旅行作家にあこがれて」いたという浅田氏が各回約2,000字で書き下ろしたエッセイは全部で40編。範囲も台北、エジプト、ノルマンディ、ラスベガスまで世界を縦横に。どの文章にもなにかしら光るものが宿っていて飽きない。

このブログの筆者のお目当ては「函館の夜景」なのだが、「夜の竪琴」と題したエッセイは

一年に2度函館へ行く

という短い、硬質な、しかし期待をもたせる言葉で始まる。以下こんな具合だ。

初めて函館の夜景を見たとき、私はおのれの愚かしさにもきづいた。いわゆる三大夜景のうち、香港もナポリもすでに見ていたのに40を過ぎるまで函館の夜景を知らなかったのである。・・・

世界通の日本知らずが多くなった。いまや地球上のどの国にも例を見ない、国民的矛盾と言えるであろう。・・・

もっともこの矛盾の説明は簡単である。国内を旅するよりも海外のほうが安上がりなのである。具体的には、「思い立って函館の夜景を見たい」と出かければ、航空運賃に湯の川温泉の宿代、朝市の海鮮丼におみやげを買おうとすると、驚くなかれ、「アメリカ西海岸4泊6日グランドキャニオンツアー付」よりも高くなってしまう場合もある。・・・

函館山で抱いた思いがけない感慨が、望郷の思いに姿を変え、長い小説(壬生義士伝)になった。ふるさとはかくも美しいものだよと函館の夜の竪琴(注:浅田氏は函館の夜景を群青色の古代の壁に立てかけられた螺鈿の竪琴に例えている)が、忘れかけた調べにのせて私に諭し聞かせてくれたような気がする。


ところで、このエッセイがSkyWard誌に載った直後に市議会で話題になったことを思い出した。議会の検索システムで調べると確かにH15年2月議会での以下のようなやりとりが見つかった。(要約・ 全文はこちらからキーワード 「浅田次郎」で)

小玉議員
私たちは、函館山の夜景は香港とナポリに並ぶ世界の三大夜景と自覚してまいりましたが、このたび、直木賞作家で有名な作家浅田次郎さんが、日本航空機の機内誌2月号で明快に函館山の夜景は世界一と書いておられ、はこだてっ子として感激いたしました。「香港の夜景はネオンの文字がうるさく、長い海岸線に沿って光の連なるナポリは、平凡な港町の夜景に過ぎない」とし、「その点、南北の海が両側から弧を描き、細やかな町の明かりが宝石をちりばめたように広がる函館山からの夜景は、掛け値なしに美しい。地形そのものが実にユニーク云々」。
日航を利用した多くの人々が函館山の夜景が世界にたぐいのない美しさにあることを知る機会となってのPR効果も満点と存じます。
 これほど当市観光にとっての評価あふれるPR題材はほかにはないものと思うのですが、市長はその点、これを生かすべく対応をどう考えられておられるのか。
 これを契機に、国際観光振興への手法の一つに、これまでの著名なる作家や著名人の方々が記された函館を紹介した随筆文を集めて函館の魅力の紹介に立つ観光ガイドの編集、発行も効果があるものと存じますが、これらのお考えはいかにありますか、お伺いいたします。


井上市長:
日本航空機内誌に掲載された浅田氏の文章は私も読ませていただきましたが、これほど函館山からの夜景に対し温かいエールを送っていただいたことに大変感激し、早速礼状を送らせていただきました。
 小玉議員御提案のこの記述の活用につきましては私も全く同感であり、首都圏や関西圏の旅行雑誌の記者などのマスコミ関係者にもコピーを送り、周知に努めたところでございます。今後とも、この記述は、貴重な財産として函館観光のPRに有効活用させていただきたいと考えております。
 著名な作家などによります函館を紹介した記述は観光函館のイメージアップにつながることから、御提案の著名な作家などの随筆集を集めた観光ガイドブックの発行は魅力的で、観光振興を図る上でも有効と考えられます。これらの函館に関する作品の記述や、函館を舞台に撮影された映画ののグラビアも取り込んだガイドブックの作成など、その活用方法についてはさまざまな手法が考えられますので、今後検討してまいりたいと存じます。
しかし、こういう評価もどうやらその場限りだったようだ。

ガイドブックどころか、このエッセイの文章がその後、函館の観光振興に「活用」されたという事実すら筆者は(寡聞にして!)承知していない。先にこのブログでは触れたが、浅田次郎氏を招いて先日市内で開催された講演会で氏自らが「つばさよつばさ」発刊に絡んでこの話を紹介した。しかし、多分会場を埋めた市民の大半にははじめて聴く話だったのではなかろうか。

函館をPRしてくれる、こうした有名人発の影響力のある情報を最大限活用するという意欲と技をもつ組織も人材もこの街には希薄なようだ。(深刻な自戒をこめてだが・・・・)
箱館戦争
星亮一著
三修社
2006.12

星亮一氏は幕末の歴史を対象とした評伝を数多く書いている。特に戊辰戦争をテーマにしたもの、その中でも会津に関するものが圧倒的。
かつて「榎本艦隊北へ」で箱館戦争にも触れていたという記憶があるが、今回の著は、ずばり「箱館戦争」。いままでの会津もので発揮された史実の発掘・検証・評価の確かさをもってすれば、箱館戦争に新しい光をあててくれるのではとおおいに期待した。

本の帯には「蝦夷共和国は実在した!!」の文字が大書。

しかし、残念ながら期待はほとんど裏切られたといっていい。先行する類書を抜くような史実の発見も特にはなく、史実の評価についても平凡である。たとえば末尾に近い以下の文章。

蝦夷島共和国が存在したか・・・これはある時期榎本政権が存在したと考えるべきである。一時期アメリカもこれを認めた。あながち榎本の錯覚ではない。

榎本「政権」の性格については、当時の明治政権との勢力関係、そして諸外国の対応などが複雑に絡み合っていて、果たして「地方政権」といえるほどの確固たる基盤があったといえるのか、論争が続いている。
上記の程度の理由で「榎本政権」の存在を認めるような表現は、多少の知識のある読者にはとても受け入れられるものではない。
入門書か概説書ならいざしらず、戊辰戦争を江戸の彰義隊あたりから順に書き進めてきて、会津を書いて、それなりの名声を博した星氏が、箱館戦争については相当手を抜いたといわれてもしょうがないのではないか。

帯の裏には解説者の言葉から

箱館戦争とはなんであったのか。
・・・・その描写と構成から