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~ 親爺の徒然ぶろぐ ~
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2008/02/22のBlog
ホルステン門は「内には団結、外には平和」をモットーにリューベックを守るべく建造されたらしい。
まあ、町のシンボルです。
で、凄いのは重すぎて地面にめり込んでいるとのことです。(w
確かに絵はがきなどではめり込んだ様子も伺えますが、残念ながら工事中なのでそれを感じることは出来ませんでした。

また、写真でも分かるとおり、工事をしていなければ内部は博物館らしいです。(泣
ヨーロッパでは修理中によく見られるカバーシートのペインティング。
折角来たのに何も見られず(青いシートだけ見て)帰っていくのもむなしいと思いますが、このシートを見せられるのも虚しいとおもいます。
町に近付く途中に見えてくるホルステン門はこんな感じで、工事中とは分からずこれくらいの距離が丁度良いのでしょうか。(泣

ホルステン門(Holstentor)はドイツリューベックにある歴史的建造物。1469年-1477年にかけて造られた。ユーロ導入以前の旧50ドイツマルク紙幣の図柄にも採用されている。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2008/02/17 16:56)
ホルステン門はリューベック旧市街の入り口に立っているリューベックの象徴とも言われる建造物である。北ドイツ特有の煉瓦造りで、門の両端に立つ塔は現在は博物館として利用されており、17世紀当初の都市の姿を再現した模型などが展示されている。しかし、レンガの重みに耐え切れずに建物の一部が陥没し、塔が傾いている。

門の上部にはラテン語でCONCORDIA DOMI FORIS PAX(内に結束、外に平和を)という文字が掲げられている。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2008/02/17 16:56)
2008/02/21のBlog
入口は駅か空港ですよね。
今回はバスを使って駅のバスターミナルに到着したので、駅舎とは直接縁はありませんでした。

でも、小さな町の割には趣のある駅舎です。
いずこも同じく自転車が放置されているのも駅ですよね。(w
路地って結構気になりませんか?
特に歴史のある町では路地に歴史が残っているような気がします。
きっと何かの意味があるのでしょうが・・・。
路肩には整然と車が駐車されていて良い感じの町です。
厭な雰囲気も変な場末の臭いもありません。

観光地として整備しているのか、もともとの気質なのかは分かりませんがきもちいいですよね。
散歩では川の外側も歩いてみました。なにせ小さな町ですから。
ちなみに、川の外側は近代的な建物の散見されます。(w
2008/02/18のBlog
[ 14:55 ] [ Germany ]
初日の仕事はキャンセルになったとのメールが入っていた。
日曜日だし市内観光に出掛けることにした。
ドイツの日曜日はその昔、いやな思い出がある。
雪の降り積もった田舎町、ホテルからタクシーで市街に出掛けた。
田舎町で日曜日には開いている店はほとんど無い。そういう環境下でも人が集まっている建物が一つだけあった。近付いてみると協会。残念ながら、協会には用がない。
仕方なくホテルに帰ることにしたが、タクシー乗り場にタクシーはいない。
駅まで行けばタクシーがいるだろうと、同僚が歩き出す。
そいつに任せたのが間違い、雪の積もった林の中を数時間歩かされてしまった。
途中、なにも無かった。尋ねるチャンスもなかった。ただ、歩いた。
暫くして、歩いている人に出会った。
助かった。
「すみません」
と遠くから大きな声で話しかけてくる。
「ん?(日本語?)」
別のパーティーの人で、その人の同僚が風邪をひいたので風邪薬でもと思い、ホテルから出て迷子になったらしい。
ということで、日本人の迷子4人でなんとかホテルまでたどり着くことができた。
ちなみに、件の協会から駅まで5分程度であることがわかった。(涙

ということは今では笑い話ではあるものの、日曜日人影が少なくお店も開いていない。午前10時前だから仕方ないか。

寒くないし、町をふらつく。(w
多分、ここがリューベックの目抜き通りになるのであろう場所だと思われるが日曜日の午前中と言うこともあり歩と通りはない(w。

さらに、何かの工事中。
いかにも(どうなんだ)と言う町並みにもさり気なくショベルカーが写っている。
劇場らしいのですが、ここにも人影は見あたりません。
ここは、本格的に工事してました。
2008/02/15のBlog
[ 10:09 ] [ 居酒屋 ]
いつもの居酒屋の前を歩いていると手招きをしているお姉さんが。
目が合ってしまうと、
「最近ご無沙汰ですね!」
仕方ないので入ってしまいました。

千客万来もとえ先客は無し。
暇だったんですねぇ。
このお店は魚がお勧め。

まずは、〆サバ。
焼き物は今日のお勧めである鰺。
トンペイ焼きがあったので注文してみました。

麦酒にぴったり!
2008/02/14のBlog

折しも秋はドイツワールドカップの真っ最中。
バスの中でのラジオ中継は決勝トーナメントの1回戦「ドイツ対スウェーデン」。
得点が入ったというのは、ポドルスキーによるドイツの先制点であった。


7時頃にチェックインしたと思うのだが、部屋に入るや否や呼び出しの電話が架かり街中に出向く。
街には遠くから多くの人が近付いて来る気配がある。
そう、試合が終わったのである。
2-0でドイツの勝ちであった。
パブリックビューイングで集まっていた人が街中に繰り出してきたらしい。

まずは、こういった自動車組が到着。
ドイツ国旗が打ち振られている。
次いで歩行者軍団。

でも田舎町のせいなのか、国民性なのか結構おとなしい。
日本ではこうはいかないだろう。(w
バスでリューベック駅に到着。
駅は、お堀の外側にある。ホテルは内側なのでとぼとぼ(ガタガタとスーツケースを転がしながら(嘘))とホテルに向かう。
(実は、ロストバゲッジでスーツケースはなく、ショルダーバッグ一つだったので結構軽快だった(w))

ここで、お勉強コーナー

ハンザ同盟(はんざどうめい)は、中世後期に北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟である。ハンザは、ドイツ語では 「ハンゼ」と(Hanse)呼ばれ、語源は古高ドイツ語で「団体」を意味し、もともと都市の間を交易してまわる商人の組合的団体のことを指した。

ハンザ同盟の中核を占める北ドイツの都市は神聖ローマ帝国の中で皇帝に直接忠誠を誓う帝国都市であり、相互に独立性と平等性を保つ緩やかな同盟であったが、経済的連合にとどまらず、時には政治的・軍事的連合として機能した。しかし同盟の中央機構は存在せず、同盟の決定に拘束力も弱かったので、政策においてはそれぞれの都市の利害が優先された。

リューベック、ハンブルク、ブレーメンなどかつてのハンザ同盟の中心都市は「自由ハンザ都市」を称して中世以来の都市の自由をうたっており、21世紀の現在もなおハンザ同盟の遺風を残している。

冷戦終結後にドイツ、デンマークが中心となり第二次ハンザ同盟を謳ってその復活が試みられた。それは1992年にバルト海沿岸諸国評議会として結実する。第一次ハンザ同盟のような歴史的意義を有するものになるか、注目される。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2008/01/30 12:24)
ホルステン門がリューベックを代表する建造物ですが、工事中。

ハンザ同盟の発祥は12世紀にまで遡ることができる。この頃、ドイツを中心に国際的な都市間交易に従事する交易商人による「ハンザ」があらわれ、団体構成員の交易特権を得るための運動を行った。ハンザ商人たちは自身の所属する都市においては都市参事会などへの参加を通じて政治に参加する有力市民であり、彼らの相互援助の都市間ネットワークを通じて都市間で条約が結ばれることにより、都市のハンザも形成されていった。その中心となったのが、1159年にザクセン公のハインリヒ獅子公によって建設されたリューベックであった。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2008/01/30 12:24)

2008/02/13のBlog
[ 10:40 ] [ Germany ]
調子に乗ってヨーロッパシリーズ第2段 (でも、このネタは古いです^^;)

目的地はリューベック@ドイツ
今回はドイツですからルフトハンザで。
フランクフルト乗り換えでハンブルグまでそこからは地上交通手段でリューベックというのが予定ルート。
成田・フランクフルト間のフライトは偏西風の影響を受けてやや遅れ気味。
しかも、フランクフルト空港に到着するも空港側の受け入れ態勢が整っていないとのことで、さらに待たされる。
気になるのは乗り継ぎ。
前にドイツに入ったのは陸路だったのでなんの手続きも無かったというイメージが残っているが、そうではなかった。
まずは、入国手続きの列に並ばされる。
しかも、セキュリティーの前なんか長蛇の列。乗り継ぎと言うことで少し優遇して貰いなんとか通り抜けたが、その先のターミナルは遠い。
同じように走っている人たちが数組いる。(w
一部工事中の場所があったり、エレベータが思いの外遅い等、多少のトラブルを乗り越えなんとか乗り継ぎのターミナルに到着した。
既に搭乗が始まっており休む間もなく乗り込む。
国内便はエコノミーでも皮のシートでいいですねぇ、なんて話していると直ぐにハンブルグに到着した。

バゲッジクレームに、フランクフルトでの乗り換え時間が1時間程度しかなかったことを考えると当然心配しなくてはいけないことが怒っていた。
いや、怒っていたのは我々で、事件は起こっていた。

バゲッジクレームで待てど暮らせど荷物は出てこない。
同じようにひたすら待っている日本人老夫婦がいたので話しかけてみるとやはり、成田→フランクフルト→ハンブルグということだ。その夫婦は、外国語は得意ではないとのこと。直前の渡米でロストバゲッジの憂き目にあった親爺は同じく困っている老夫婦を従えカウンターへ。
気が付けば総勢6名いる。親爺と同僚、それ老夫婦だけだったはずなのだが、いつのまにかあと二人参加してる(w
窓口では既に何人かの外国人が交渉中。
このようなケースでは、クレームを付けている人はなかなか食い下がらないことが多いのでとりあえずトイレに行ってくる。
帰ってくると私の同僚が辿々しいドイツ語で話しかけていた。しかし、埒が開かない様子である。別の担当者が私に英語で話しかけてくる。さすがに空港だ。私の英語でも通用し、バッグの形、宿泊ホテルの登録を登録し、老夫婦にも登録の仕方を教えてあげた。
(同僚談:「英語でよかったんだ」。一同:「(想)バカ野郎」)w
で、ロストバゲッジセットをもらって、娘さん夫婦が迎えに来てくれるはずとの老夫婦を残し、バスの乗り場に向かう。

バスの待ち時間が2時間近くあったはずだが、もうすぐ出発の時間になっている。ある意味ラッキー?
バス乗り場では運転手らしい人がくつろいでいたので、リューベック行であることを確認し、往復のチケットを購入した。
往復チケットというのがなかなか分かって貰えず、最後にはおれは英語は分からないと言われたけれど粘り勝ち。(W
ラジオでは、サッカー中継をやっている。
もちろんドイツ語。
内容は分からないが、得点が入ったことだけはわかった。(w

2時間ほどで無事、リューベック駅に到着した。
注意!
ブリュッセルの食べ物横丁と呼ばれる「イロ・サクレ地区」には魚介類のレストランなど料理店が密集しています。中には観光客ねらいの悪徳な商売をしている店もあります。目安としてしつこい客引きをしている店はお勧めできません。当リスト中のレストランに関しては安心してお勧めできるレストランですが、その他のレストランに関しては、入店する前にメニューの値段など確認してから入ること。オーダーもグラム単位の料金のものなどは法外に高い場合があるので要注意。
by
ベルギー観光局のHP
このイロサクレ、神聖なる島、といわれる飲食街はグランプラスの横を通っている「マルシェオーザルブ、Marche aux Herbs」通りを隔てたところにあって、ブリュッセルへ観光したことのある人なら誰でも行ったはずの地区。有名な人形劇場「Toone」やムール貝の店「シェ・レオン」などがる。高級な「Galerie St.Hubert」もこのイロサクレの中を突っ切ている。グランプラスとは反対側には、オペラ座がある。この地区はクルマが通れる通りが2~3本あるだけで他はこのように狭い路地が入り組んでいる。古い庶民の街が残っている。これを残すためにここの住民たちは、ある種の「血を流さない革命」の勝利を 1960年に経験している。それ以後ここの都市計画などはブリュッセルから独立した形で、この街の「行政(NPO)」が取り仕切っている。これが大成功を修め、ブリュッセルや他の地域もイロサクレに敬意を表し、ここから学んでいることは確かだ。

by ベルギー情報カフェ
でも、さすがに午前10時前は誰一人あるいていませんでした。w
2008/02/12のBlog
[ 09:16 ] [ 健康 ]
ということで、

ということで、今回のベルギーでは

移動日 4020歩
初日 31450歩
第2日 9785歩
第3日 13922歩
第4日 24342歩
移動日 7669歩

親爺新記録30000歩強。(w



2008/02/11のBlog
4時頃戻ってみると開いてましたぁ!
やったぁ。

ということで入場。
地下に降りていくのですが、受付のお兄ちゃんやる気があるのかないのか・・・。
とりあえず、入場料をはらいあっちビデオやってるからと指差して終わり。

というか、構造的に問題があると思います。
何人かどうしていいのか分からず帰っていく人たちがいましたもの。
中ではベルギービールのビデオやってました。
ビデオを見終えるとさっきの受付のお兄ちゃんの所にいってビールを貰います。
ビア樽に腰掛けてビールをいただきます。

グラスですからあっという間ですけど。
あと、ビール作るときの道具が飾ってあります。

それだけでした。