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アリババのつぶやき
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2007/01/11のBlog
[ 10:26 ] [ 雑感:皆さんのコメントに答えて ]
函館は、幕末から明治にかけて、内地から流れてきた人によって創られてきたまちです。苦労しながらも、仲間同士で私財を出し合ったり、汗をかきながら、孤児の養育・教育といった沢山の社会事業を立ち上げてきた日本の中でも本当に誇れる歴史があります。役所などは力がありませんでしたから、ほとんどが市民有志によるものです。中世の自治のまちは堺市、近代は函館と言ってもいいくらいです。
 まちを元気にするには、僕らも一度、過去を振り返ってみる必要がありますね。ぜひ読んでいただきたい本は、かつての名函館市長・斎藤與一朗先生の「非魚放談」。これはお奨めです、心が洗われます。

人材は市役所外にもワンサカいます。
 60・70歳にもなった指導者が、「人材がいない」などと言うのは、「誰も育てられなかったのか」と言われるわけで、自分に唾するような話ですね。近隣諸国を見ても、日本の中を見ても、若い指導者が時代を乗り切るために登場してきているのを見れば、一目瞭然です。
 さらに、「プロ」はダメのようですね。安定期は安心ですが、自分の過去の成功体験に拘ってしまうから、変革期には向かないと思います。明治維新を見れば分かりますね。あれはほとんどがド素人集団!です。ただし、教養は高いものがありましたが、。
 教養を磨くことの大切さを痛感します、自戒も込めて。

函館の文化・スポーツ活動:伊藤みどりさんから市民オペラまで

 函館市のスケートリンクに伊藤みどりさんが来ていたとか。
 「文化・スポ-ツ活動のつながりがまちづくりのヒントでは」というコメント、おっしゃるとおりと思います。国際交流・貢献活動を含めて野外劇や市民オペラ、子ども歌舞伎など、市民手づくりの活動がこんなに活発なところは全国的に見ても函館以外にはありません。市民会館や芸術ホールも奪い合いの状態ですから。
 文化・スポーツ財団の設立は平成元年ですが、戦後日本の民主化のために始められた行政主導の社会教育活動から、市民主導による芸術や文化・スポーツ活動を目指して設立されたものです。市民が自主的に事業を企画したり、指導者や子どもを育成していくのが望ましい、行政はバックアップに回るという考え方で、当時、全国では、こうした事業推進型の財団はほとんど存在しませんでしたから、沢山の視察もありました。
 
函館市民オペラもこうした中から生まれました。オペラは総合の舞台芸術ですから、プロの支援抜きには難しいものがあります。今もあるとすれば藤沢市民オペラくらいで、手づくりは函館が唯一と思います。地域のオーケストラも北海道は札響くらいで、函館でも、財団がバックになって大同団結して、アマチュアでも良いから出来ないものかと始まったのが、オペラ管弦楽団です。今では素晴しい演奏活動をしています。
 市民オーケストラも活躍しています。姉妹都市のユジノサハリンスク管弦楽団との合同演奏が函館とユジノのチェーホフ劇場で行われていますが、両市の沢山の人々に感動を与えています。日本と違ってロシアでは芸術やジョーク(アネクドートと言いますが)を解さない人は出世できませんから、幹部達もいっぱい来て感激していました。
 子ども達のスポーツ教育も盛んです。伊藤みどりさんは、函館にグレイを育てた人がいて、その人と親しいから来ていると聞いています。すべて人のつながりですね。私もたまに柔道の少年団に顔を出しますが、指導者たちも立派ですし、コロコロ転がっている子ども達を見れば、何の施設がなくても、ソフトさえ揃っていれば良い教育や良いまちづくりが出来るものだと実感しています。

 こうした沢山の現場にダイヤモンドがあるんでしょうね。行政の担当者もその原点に立ち返ってほしいと願っています。

 助役をしていたとき、私の執務室には、50号の手描きの墨の絵画がありました。題は「イマジン」。 友人の絵描きさんが贈ってくれたものですが、良い政策をつくるにも、想像力=イマジンが必要だとの忠告と思いました。相手の気持ち・市民の気持ち、それらの具体をどう受け止めて、まとめて、抽象化した共通言語にしていくか、担当者の想像力によって出来が違ってきます。

 歴史物や小説を読むということの良さはイメージが膨らんで、自分を外から見られるということでしょうか。相手がどう考えているのかと、思考のキャパと優しさが広がります。
[ 10:05 ] [ 雑感:皆さんのコメントに答えて ]
「夕張」という名前は自治体関係者にとって重いものになりました。昨年、問題が表面化する少し前の5月に、私も全道の会議があって現地に行っていたので、なおのこと重く感じています。
 実情は知っていましたので、まちづくり活動で活躍している若い職員を励まして我々に紹介しながら、「がんばるぞー!」という感じだった助役さんが、今どうしているか気がかりです。
「イマジン」してみましょう。函館市民が28万人で約2,800億円の借金。この財政状況は決して良くはありませんが、一人あたりの平均値(100万円)はイエローカード程度。
 夕張がかつての人口、12万人で500億円の借金。(一人平均41.7万円)、これではそれほどでもありません。しかし炭鉱閉山に伴い、昭和40年代の約5年間程度で、12万人が1万3千人にいっきに減少したとしたらどうでしょうか。一人平均の借金が384.6万円にまで急上昇してしまいます。
 函館に置き換えると、3万人の人口に一気に減少したという位のインパクトです。(その場合の一人平均はなんと1923万円!)
 夕張の場合、会計処理の不味さがあったとしても、本当の責任はどこに?あるのでしょう。日々の現象面だけを報道する記事等に惑わされずに、事の本質を考えてみる必要があると思います。
 函館は夕張と違って多産業型の都市ですが、ほとんどの産業が一気になくなり、炭住のように土地も建物も捨てられ、雇用もなくなり、人口28万人が3万人になったとしたら、借金の返済も含めて、誰が市長でも都市経営はとても出来ないのではないでしょうか? 夕張に限らず、空知ではこうしたことが起きていたのです。
 今起きていることは、どうも、「棄地・棄民」政策ではないかと、私は疑問を感じています。考えをまとめていずれ、「東京へゆくな・ふるさとを創れ」(谷川雁氏の言葉)というタイトルで論じてみたいと思います。 
2007/01/05のBlog
[ 00:31 ] [ 助役辞職にあたって ]
12月29日、本庁舎8階会議室に職員の皆様に集まっていただいて、退任のあいさつをさせていただきました。以下はその草稿です。

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助役退任あいさつ (18.12.29)

 本日は、私のためにお集まりをいただき、誠に有難うございます。
助役を退任するに当たって、一言、ごあいさつを述べさせていただきます。
 今回の退任は、任期を半年残してということで、皆様にご心配やご迷惑をおかけし、私としては、大変、心苦しい決断でございましたが、辞任の理由や背景につきましては、既に文書をお配りさせていただきましたので、それをもってご理解とお許しをいただきたいと存じます。

 私は、昭和48年4月に、当時の亀田市建設部に奉職し、以来、合併後は、亀田支所庶務課、組合専従、産業課と歩ませていただき、
 その後、教育委員会に異動し、図書館や学校教育・社会教育・スポーツ課、そして文化・スポーツ振興財団などを経験させていただきました。
 教育委員会が長く、様々な仕事を担当しましたので、本籍地は、教育委員会ということになるのでしょうか。
 また、平成3年には企画部に異動し、平成15年7月に助役を拝命し、今日まで勤めさせていただきました。
 33年と9ヶ月の勤務ですが、皆さん誰もがそうであるように、さまざまな体験をさせてもらい、たくさんの思い出を作らせていただきました。
 話し出せば、きりがないので止めますが、「ひとつ、西尾の話を聞いてやろうか」という方は、年が変わった1月以降にでも、我が家にお酒持参で来ていただければ、大変幸せに思います。

 青柳町に、亀井勝一郎さんの「人生、邂逅し、開眼し、瞠目す」の碑がありますが、
何につけても、やはり人との出会いです。
 さまざまな職場で、たくさんの素晴らしい仲間の皆さんに出会うことが出来て、助けていただき、本当に楽しい、幸せな市役所生活であったとの思いがあります。
 私に関わってくださった皆様には、この場をお借りして、心からお礼を申しあげたいと存じます。ありがとうございました。

 今日は、折角の時間をいただきましたので、ひとつだけお話をさせていただきます。
 
 それは、「正直」という言葉の意味についてですが、私は、助役就任に当たって、「正直で誠実な」助役になりますと、あいさつでお約束しました。
 職場の仲間が、私の机の上に、「正直と誠実」という言葉の張り紙をしてくれまして、毎日、それを見ながら3年半、仕事をしてまいりましたが、今日は、この「正直」という言葉の謎解き・解説をさせてください。

 実は、この「正直」は、浮気をして妻に嘘をつかないとか、友人に嘘をつかないとかの意味ではありません。
 それはそれで悪いことですが、個人的な私的な意味での「正直」ではなく、これは司馬遼太郎さんの本にある「正直な政府」の「正直」ということから、使わせてもらった言葉です。
 司馬さんは、昭和の前期・敗戦に至る20年までを指して、「魔法の森に踏み込んで、魔法にかけられた時代」と表現し、その原因として、政府の秘密主義をあげ、
「国民に手の内をさらす正直な政府があれば、日本の近代は、あるいは違ったものになっていたかも知れない」と書いております。
 「日本の国力や軍事力は、アメリカの10分の1にも満たない」ということを、キチンと国民に説明する勇気があれば、国家をばくち場に投げ込んで、アジアの人々にたいへんな迷惑をかけ、国民に塗炭の苦しみを与え、結果、国家を破滅に導くなどということは、無かったのではないか」、
 さらに、官僚や軍人・政治家は、それぞれのピラミッド組織の中を、一歩一歩、階段を登るように、出世していくわけですが、
 「どの段階の方であれ、組織の中に埋没しないで、正直に本当のことを言う人が、たくさんいれば、国家を破滅させることは無かったのではないか」と、司馬さんは戦車隊でしたから、悔恨とも、恨みともつかない表現をされております。

 この言葉を地方政府としての函館市役所に置き換えるとどうでしょうか?
 耳に心地よい威勢の良い言葉ではなく、「函館市の現状は、今、こういう状態にあります」、「市民の暮らしはこんな状態です」と、正直に申しあげ、市民のためにあるべき施策を訴え、進めていくのが、税金で食べている我々職員の務めではないか、という問題意識から、「正直」という言葉を使わせていただきました。

 これは「公(おおやけ)に対する正直」ですが、この「正直」は、耳には決して心地良くないものです。組織の中にドップリ漬かっていたほうが、やはり心地良いのですが、「そうあってはならない」という自戒の意味を込めて、「正直」の言葉を使わせてもらいました。
 結果、私自信がどこまで「正直」であり得たのか、今、自問としているところですが、これからも、この言葉の意味を噛み締めながら、生きていきたいと思っております。

 最後に、皆さんに伝えたい言葉を、いくつか紹介させていただきます。

 私が亀田市に奉職した昭和48年、当時の市長は吉田政雄さんですが、
 我々新入職員を前に、最初の挨拶で、「地方自治をつくる同志諸君」という呼びかけをされ、「志を持って仕事をするように」、また、「上司に言ってみてダメで納得できなければ、その上の上司に言って、それでも納得できなければ、最後は私のところに来なさい」、「市長室のドアはいつでも開いているから」といったことを言われました。
 また、この方も既に亡くなりましたが、私の最初の部長・武田健治さんからは、
「君達は、大学出たてで頭が柔らかいんだから、すべて任せる。責任は僕が取るから、自分の頭で考えて、やってみなさい」といったことを言われました。
 また、亀田支所長の清田恭一さんからは、会議の席で、
「決定し、責任を取るのは私だが、会議は対等だ。そうでなければ、良い考えは浮かんで来ない。若いからといって黙っていないで、キチンと発言しなさい」とお叱りを受けたこともありました。
 当時の若い私にとっては、宝ともなった、糧になる言葉をいただいたの感がありまして、職を辞すに当たって、皆さんにバトンタッチしたいと思い、紹介させていただきました。

 市役所は、これだけの大組織ですから、人材は、綺羅星の如くいると思います。
 良い言葉・良い考え方・良い思想を、代々語り継いで、函館市役所の、より良い気風や作風を作っていっていただければ、と心から願っております。
 私も、微力ではありますが、何らかのかたちであれ、外から皆さんの活動を支援してまいりたいと、思っております。
 最後に、皆さんのこれからのご健勝とご多幸をお祈りし、これまでのご厚情に感謝申し上げ、退任のあいさつとさせていただきます。
 
 まことに、ありがとうございました。さようなら。

12月19日、助役の辞表が受理された段階で同タイトルの文書を市の職員・議員・報道機関の皆さんにお配りしました。その文章は多くの方々にご理解いただきやすいようにA4一枚にまとめたものですが、実は当初の文章はA43枚でかなり長文でした。
 より詳細な背景・事情を知っていただくために、あらためて未発表の初版の文章(やや長文)をブログとして掲載いたします。


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 平成18年12月19日
 助役の職を辞することについて

 函館市助役 西尾 正範

 私、この度、12月31日をもって職を辞することといたしました。
 任期を残して退任することは、無責任のそしりを免れないことは十分に承知しており、また、信任をいただいた議員の皆様、永年にわたってともに働いてきた職員の皆様にはたいへん申し訳ないと思っています。
 しかし、私としては、諸般の情勢に鑑み、現時点で職を辞すのが最善と決断をいたしました。理由・背景は下記の文章をご一読いただければご理解いただけるものと思います。今後は、公正公平な行政の執行のために日夜頑張っている職員の皆さんを庁外から全面的に応援をするのが私の務めと考えています。

 記

1.ブラック・ジャーナリズムからの攻撃について
 ㈱南北海道総研が発行人である「NEW現代函館」初春号(12月1日発行)および同誌のインターネット版である函館電子新聞に、私が「来年3月、既定方針通り退任確実」という記事が掲載されました。
 特別職人事は本来、市長の専権事項であり、今回のように、私の全くあずかり知らない処で、あたかも既定事実であるかのごとく報道されるというのは、まったく不可解と言わざるを得ません。(なお、同誌には、私のみならず部長級・次長級の来年3月の人事について、広範囲に「内示」がなされています。まことに不穏当なことです)

 同誌の主筆である河野玄氏は、昨年秋から市福祉部に対して、「違法な福祉施設の市街化調整区域への立地と特定施設生活介護の優先的指定」を巡って、脅迫的言辞をもって迫ってきた人物であります。
 
 この春には、私の部屋で福祉部長同席のもとでの話し合いの中で、私に対して「助役の政治的判断(超法規的措置)で福祉部に指示しなさい。」と迫ってきました。
 私からは、「河野さん、これをやれば、いずれ市長の責任が問われることになりますがそれでも良いのですか?」とお答えをしました。
 福祉部長からは、「私には400人の部下がいる。このような違法を私が許せば、部下が私を信頼しなくなり働かなくなってしまう。やれるわけがないでしょう。」と答えました。

 これに対し、河野氏からは、「分かった。西尾!お前をこれから徹底して叩いてやる。福祉部は半年・1年かけて潰してやる。」との恫喝がなされ、話し合いは物別れに終わりました。さらに後日、私に対して、「お前は徹底して潰して、市役所に居られなくして、たたき出してやる!」との恫喝もありました。
 
 「助役は叩かれるのが仕事」とも言いますから、笑って取り合わないでいたのですが、その後の同誌での掲載記事、函館電子新聞での「西尾たたき」はすさまじいものがありました。「西尾は死に体同然」など、悪口雑言が続きました。
 人間は弱いものですから、取り合わなくても、だんだん気が滅入ってくるものです。 さらにネットで流れますので、全国の友人・知人、親子・兄弟から、「一体どうしたんだ?」「何か悪いことでもしたのか?」と騒ぎになり、さすがに落ち込むこともありました。
 私のことはまだ良いとしても、この一件を担当した部下たちがもっと気の毒です。
 毅然とした態度で臨んだ前福祉部長、現福祉部長・次長は、主要な標的とされ、「ずるさだけの役人感覚丸出しの部長」「軽量級」「古狸」など、いわれのない誹謗中傷が投げかけられています。
 それぞれの家庭・人生、いろいろあると思いますが、公正公平で誠実に職務を遂行している私の尊敬する友人たちが、攻撃にさらされ続けていることについて、私は、責任者として本当に申し訳ないという思いを強く感じ続けてきました。

2.毅然とした態度を示せない市役所の体質について
 こうしたメディアは言論の自由を悪用した「単なる利権目当ての新聞・雑誌」だから気にするなと言ってしまえばそれまでです。
 しかし、同誌の狡猾なところは、人物評価の多くを「議会首脳」談とか、「経済界首脳」談とかとして、その近くの記事には市長や「議会首脳」「経済界首脳」とおぼしき人がいかに活躍しているかというお追従のベタ誉め記事を配置し、あたかも重要人物が職員の人物評価をしているかの如き印象を与えるテクニックを使っていることです。
 顔の見えない妖怪の如き「首脳」が卑怯・卑劣な人物評価をし続けるわけで、まさに陰険・陰湿ですが、こうして人材を潰しにかけるという姑息な手法には呆れるしかありません。
 しかし同誌の新聞の人事『内示』情報は、何故か、ここ数年にわたり、結果として「よく当たるので気味が悪い」といわれるほどの正確性を誇っています。
 したがって、「妖怪による人物評価」もいやがおうにも信憑性が増してくるわけで、
一方で同誌への恐怖心が、徐々に庁内の人心を荒廃させていくというメカニズムが定着してきました。

 同誌では、市長や「議会首脳」「経済界首脳」とおぼしき人のみがベタ誉めされ、横には、真面目に仕事に励んでいる職員たちへの誹謗中傷記事がある。
 こんなことがまかり通っていて良いのでしょうか?
 
 かつての環境部がそうであったように、職員が外からの理不尽な要求に対して、恐怖感から違法行為を許したり、見逃したりしてしまうと、結果泣くのは、市民と後始末を負わされる現場の職員たちです。
 社会正義の観点を踏まえて、公正公平を貫いている誠実な職員たちをみんなで守ってあげなければなりません!
 トップや責任者、上司が勇気を持って盾とならなければ、庁内の人心が荒廃し、誰も真面目に働かなくなるでしょう。
 さらに悪いことは、仲間を誹謗中傷するこのような悪辣な新聞が庁内で堂々と売り捌かれているということです。職員同士の信頼感・連帯感はどこへ行ってしまったのでしょうか? 情けなくて涙を禁じ得ません。

 ブラック・ジャーナルが庁内を跋扈し、陰鬱な空気が漂う異常な市役所になってしまったのではないか? 
 ブラック・ジャーナルや「妖怪」の意見・利益の投網に市役所がからめとられてしまっているのではないか?
 私は、このようなブラック・ジャーナルとは手を切るべき、せめて一線を画していただきたいと再三申し上げ、努力もしてきましたが、無念にも実効をあげることが出来ませんでした。
 事務方の責任者としての私の責任を明らかにするために、また、そのような市役所になってはならないとの警鐘を鳴らすために、私は、辞任を決意いたしました。

3.若い職員の皆さんへ
 「天下為公」(天下は「公(おおやけ)」のためにある)であります。
 私もまた、「公」を生業として、子供達を育て、たくさんの仲間の中で楽しい人生を過ごさせていただきました。
 今、地方都市が置かれている状況は、先行きの見えない暗夜にあります。
 函館市においても、昨年は人口3,000人の減少、今年はおそらく4,000人近くにまでいくのではないかと思います。
 
 職員の皆さんには、江戸・明治期の殖産興業にまい進した時代のような気概を持って、人と技術の力を高めて、素晴らしい地域社会をつくっていけるよう頑張って、市民の皆さんに感謝される幸せな人生を歩んでいただきたいと心から願っています。
 そのためには、密室で決まる行政ではなくオープンな明るい行政、全てが透けて見えるガラス箱の市役所にして、目を輝かせて働いてほしいと願っています。 
私は、「市役所からたたき出してやる」と脅迫されましたが、たたき出されるのではなく、地域の未来の為に闘うべく、自らすすんで市役所を出る決心をしました。
 皆さんの目を曇らせようとする悪党がいたら、今度は、僕が外から徹底的に闘うことをお約束します。
 皆さんにとっての暗夜の一燈は、「公」です。そのことを忘れないでください。
 皆さんに、次の言葉を贈り、お別れの言葉とします。

 一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只一燈を頼め。
 
 (佐藤一斎 「言志晩録」)
 

2007/01/04のBlog
[ 22:44 ] [ 助役辞職にあたって ]
12月19日、辞表受理後に関係者に配った「辞職」表明の文章です

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 平成18年12月19日
助役の職を辞することについて
 函館市助役 西尾 正範

 私、この度、12月31日をもって職を辞することといたしました。
任期を残して退任することは、無責任のそしりを免れないことは十分に承知しており、また、信任をいただいた議員の皆様、長年にわたってともに働いてきた職員の皆様にはたいへん申し訳ないと思っています。
しかし、私としては、諸般の情勢に鑑み、現時点で職を辞すのが最善と決断をいたしました。理由・背景は下記の文章をご一読いただければご理解をいただけるものと思います。今後は、公正公平な行政の執行のために日夜頑張っている職員の皆さんを、庁外から全面的に応援をするのが私の務めと考えています。

1.ブラック・ジャーナリズムからの攻撃
 ㈱南北海道総研が発行人である「NEW現代函館」初春号(12月1日発行)に、私が「来年3月、既定方針通り退任確実」という記事が掲載されました。特別職人事は本来、市長の専権事項であり、今回のように、私の全くあずかり知らない処で、あたかも既定事実であるかのごとく報道されるというのはまったく不可解と言わざるを得ません。
同誌の主宰者は、昨年秋から市に対して違法な福祉施設の市街化調整区域への立地と特定施設生活介護の優先的指定を要求してきた人物です。
 同氏は、私に対して、政治的判断で福祉部に指示するよう理不尽な要求を繰り返し、そうした脱法行為は出来ないと拒絶したところ、自分の主宰する雑誌などで徹底して私を「叩く」という脅迫まがいの発言をいたしました。その後の同誌や函館電子新聞での「西尾たたき」はすさまじいもので、「西尾は死に体同然」など、再三にわたっての悪口雑言が続きました。
 さらには、この件に毅然とした態度で臨んだ前福祉部長、現福祉部長・次長なども標的とされ、いわれのない誹謗中傷が投げつけられています。
私の尊敬する友人たちが、こうした攻撃を受けていることに、私は責任者として本当に申し訳ないという思いを強く感じ続けてきました。

2.毅然とした態度を示せない市役所の体質
 同誌の狡猾なところは、「議会首脳」、「経済界首脳」談などという表現で、あたかも重要人物が実際に職員の人物評価をしているという印象を与えるテクニックを使っていることです。同誌の市役所人事『内示』情報は何故か「よく当たるので気味が悪い」と言われています。
 そのことで、同誌や同誌に登場する「議会首脳」「経済界首脳」への恐怖心が徐々に庁内の人心を荒廃させていくというメカニズムが定着してきました。
 残念なことに、仲間を誹謗中傷する、このような雑誌が庁内で堂々と売り捌かれているということです。
 職員同士の信頼感・連帯感はどこへ行ってしまったのでしょうか。上に立つ者が勇気を持ってこうした理不尽な要求や攻撃に立ち向かわなければ、職員の士気は失われます。
 私は、このようなブラック・ジャーナルとは手を切るべき、せめて一線を画すべきであると再三申しあげ、努力もしてきましたが、無念にも実効をあげることが出来ませんでした。
 事務方の責任者としての私の責任を明らかにするために、また、そのような市役所になってはならないとの警鐘を鳴らすために、私は辞任を決意いたしました。

 私は、「市役所からたたき出してやる」と脅迫されましたが、たたき出されるのではなく、地域の未来の為に闘うべく、自らすすんで市役所を出る決心をしました。
 職員の皆さんの公正公平な職務遂行を支援するため、今度は外から徹底的に闘うことをお約束します。
 皆さんに、次の言葉を贈り、お別れの言葉とします。
 一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只一燈を頼め。 
 (佐藤一斎「言志晩録」)
2006/12/19のBlog
このブログは準備ができ次第、平成19年、正月明け頃から本格稼動の予定です。

私、西尾正範は12月19日、函館市助役としての辞表を受理され、31日付けをもって退職することが確定しました。

今後はこのブログを通して33年余の市職員としての知見と経験をベースに、函館市の政治・経済・文化、あらゆる方面について発言していきます。
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