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2007/10/10のBlog
[ 00:21 ]
[ 裕々自適/書斎日記 ]
■ご存知の読者も多いと思うが,心理学に「ヤマアラシ・ジレンマ」という概念がある。
■ヤマアラシは外敵から身を守るために,多くのトゲを身にまとっている。ヤマアラシのカップルがある寒い日に二匹で凍えている。互いの躰を寄せ合って暖をとりたいと思うのだが,接近しすぎるとお互いの躰のトゲによって相手の躰を突き刺してしまう。お互いに傷だらけである。すり寄っては離れ,離れてはすり寄りしながら,それを繰り返すうちに,ヤマアラシのカップルはお互いに暖め合える,ちょうど良い距離を見つける。
■ショーペンハウアーの寓話をアメリカの精神分析医ベラックが,現代人の人間関係のジレンマに転用して警告している。現代人はヤマアラシのように,人間関係の適切な距離を見つけようとするが,その距離感覚をなかなかつかめずに様々なトラブルを起こしてしまう,と。
■顕著な事例を二つ挙げるので,皆さんもご自身の経験を思い起こしていただきたい。
【事例1】
■年度当初,転勤者の中に,妙に自分の能力に自信たっぷりの人物が入ってきた。職員会議をはじめ,すべての校内会議において,前任校と比較して「この学校のやり方はおかしい」と何かにつけて文句をつける。確かに一理はあるのだが,もともとこの学校でそのシステムに慣れ親しんでいる自分から見ると,正直,そうまでこだわらなくても……と思うこともしばしば。ひと月もたたないうちに,その新任者が職員室で浮き始める。
■「ああ,○○さん浮いてきたな……」という空気が読めたところで,職員室でも信頼を集めている教務主任とか,長くその学校に勤めている職員が,「うちはかくかくしかじかでこういうシステムだから」と諭し始める。或いは最初から,この学校は自分が仕切っていると思っている教務主任や古くからいる職員が,「うちはこういうシステムなんだ」と,喧嘩を始める場合もある。どちらにしても,新任者には分が悪い。少なくとも,昨年はこのシステムでやってきたのである。もともといる職員にとってみれば,慣れたシステムの方が対しやすい。積極的に会議で発言まではしないけれども,なんとなく,現状維持でいいじゃん……という空気が支配的になっていく。しかし,三ヶ月がたち,半年がたつうちに,新任者もなんとなくうまく立ち回れるようになり,職員室の雰囲気にも落ち着きが戻ってくる。
■まあ,教員を5年やれば2回くらいは,10年やれば5回くらいは経験する事態であろう(笑)。
【事例2】
■結婚した当初,ほんの些細なことが大きなトラブルへと発展することがある。電子レンジを「チン」と呼ぶ家庭で育った夫,そして「レンジ」と呼ぶ家庭で育った妻。夫がちょっとだけ冷めかかった料理を妻に渡して,何気なく「ちょっとこれチンして」と頼む。三十年近くの長きにわたって,そういう場合には「ちょっとこれレンジにかけて」と言う家庭で育った妻は,夫の物言いに対して幼児的なかわいらしさを感じ,少しだけ嘲笑の混じった薄笑いを浮かべる。しかし,夫にはそれが許せない。自分は馬鹿にされた。しかも,自分にとっては普通の,そして当然の言葉遣いが嘲笑を受け蔑まれた。いたくプライドが傷ついてしまう。
■「チンして」と言うか「レンジにかけて」と言うかというほんの些細な違いが,○○家と××家のプライドをかけた諍いに発展する。端から見れば,あまりにも小さな,かつあまりにも馬鹿馬鹿しい問題が,本人達も気づかぬうちに,お互いの両親兄弟,一族のプライドをかけた深刻な問題へと発展していく。これはお互いに自分が育った環境が異なるというコンテクストのズレによる些細な指摘が,人格を否定されたかのごとき重みをもって感じられることによって生じた,馬鹿馬鹿しくも深刻な問題である。
■しかし,こうした諍いは,結婚生活が一年たち,二年たちするうちに,次第に減っていくものである。三年もたてばほとんどなくなる。お互いに距離感覚がわかってくるからである。夫婦関係が安定してくると言ってもよい。
■まあ,この時期になると,こういう小さなコンテクストの違いによる諍いではなく,本格的なトラブルが生じてくる夫婦も,決して少なくないけれど……(笑)。
■ある程度の教職経験があり,かつ結婚もしているという読者の皆さんは,事例1・2ともに思い当たるところがあり,ニヤリとほくそ笑むことができただろうと思う。しかし私は,この二つの事例を,そんな「世間話」レベルのエピソードとして並べたわけではない。
■あなたの学級においても,事例1はいわゆる「濃いキャラクター」の転入生が入ってきた場合に,事例2は学級編成後の小グループが付いたり離れたりしている場合に,間違いなく同じ質のことが起こっているはずなのだ。
■発達心理学に「前思春期」という概念がある。十歳くらいから十二,三歳までの間,つまり,小学校高学年から中学一,二年くらいの間の時期を指している。この時期の子ども達が人間関係をつくる上での特徴は,「擬似恋愛」或いは「恋愛予行演習」としての,一種の同性愛的傾向を示すところにある。つまり,こういうことだ。
■いわゆる「思春期」には,異性を異性として意識し,異性との恋愛関係成就のために,相手との一体化を希求し始める。このこと事態はごく一般的なことなので,誰しも理解できるだろう。しかし,それ以前,「前思春期」と呼ばれる一時期,まだ異性と本格的に付き合うと考える以前の一時期に,同性の友人と精神的な同性愛のような感覚に至って,ものすごく深い友情や同族意識,同志意識によって固く結びつくことを求める時期があるのだ。小学校高学年から中学校の前半において,女子の間で小グループメンバーの盛んな入れ替えが行われたり,小グループ同士のかなり深刻な対立が生じたりする理由の一つとして,この「前思春期」の発達段階的な特徴が挙げられる。「そういえば……」と,読者の皆さんにも思い当たるところがあるはずである。大人になった現在もなお,幼なじみとして絶大な信用を与え合っている友人の顔を思い浮かべて欲しい。小学校高学年から中学校にかけて,あなたとその友人との間にどんな人間関係が生じていたかを。
■実はこの時期が,その後の人間関係の結び方,或いはその後の恋愛関係の結び方に大きな影響を与えるという。つまり,この時期の在り方が無意識のうちに,その後,他者と付き合っていく上でのスキルを学ぶ場,つまり,「作法」を学ぶ場になっているというのである。
■小学校の高学年,或いは中学校1,2年生の特徴として,学級編成後の1,2ヶ月は,学級全体が非常に良好な人間関係に見えるのに,ある時期から同性同士において(相対的には女子の方が活発に見えるのだが)急に小さな人間関係トラブルが頻発するようになる。しかし,学級という共同体が一年数ヶ月を経た時期から,人間関係が固定化するとともに,小さなトラブルは影を潜め,安定した人間関係が形成される。実はこれは,「前思春期」的な特徴をもつ子ども達が,同性他者に対するそれぞれの深い思い入れから関係を結び合おうとし,その距離感覚の違いからヤマアラシ・ジレンマを経験し続けた末に,学級の大多数の間に適切な距離が形成されるまでの期間なのである。この時期が過ぎると,人間関係は固定化し,てこでも動かなくなる。
■そこで学んだ人間関係の作法は,大人になっても一つの規範として無意識的に発揮される。職員室での新任者の動きや,新婚当初に見られる小さなトラブルでさえ,実は個々の「作法」の違いによって起こっているのである。
■ヤマアラシは外敵から身を守るために,多くのトゲを身にまとっている。ヤマアラシのカップルがある寒い日に二匹で凍えている。互いの躰を寄せ合って暖をとりたいと思うのだが,接近しすぎるとお互いの躰のトゲによって相手の躰を突き刺してしまう。お互いに傷だらけである。すり寄っては離れ,離れてはすり寄りしながら,それを繰り返すうちに,ヤマアラシのカップルはお互いに暖め合える,ちょうど良い距離を見つける。
■ショーペンハウアーの寓話をアメリカの精神分析医ベラックが,現代人の人間関係のジレンマに転用して警告している。現代人はヤマアラシのように,人間関係の適切な距離を見つけようとするが,その距離感覚をなかなかつかめずに様々なトラブルを起こしてしまう,と。
■顕著な事例を二つ挙げるので,皆さんもご自身の経験を思い起こしていただきたい。
【事例1】
■年度当初,転勤者の中に,妙に自分の能力に自信たっぷりの人物が入ってきた。職員会議をはじめ,すべての校内会議において,前任校と比較して「この学校のやり方はおかしい」と何かにつけて文句をつける。確かに一理はあるのだが,もともとこの学校でそのシステムに慣れ親しんでいる自分から見ると,正直,そうまでこだわらなくても……と思うこともしばしば。ひと月もたたないうちに,その新任者が職員室で浮き始める。
■「ああ,○○さん浮いてきたな……」という空気が読めたところで,職員室でも信頼を集めている教務主任とか,長くその学校に勤めている職員が,「うちはかくかくしかじかでこういうシステムだから」と諭し始める。或いは最初から,この学校は自分が仕切っていると思っている教務主任や古くからいる職員が,「うちはこういうシステムなんだ」と,喧嘩を始める場合もある。どちらにしても,新任者には分が悪い。少なくとも,昨年はこのシステムでやってきたのである。もともといる職員にとってみれば,慣れたシステムの方が対しやすい。積極的に会議で発言まではしないけれども,なんとなく,現状維持でいいじゃん……という空気が支配的になっていく。しかし,三ヶ月がたち,半年がたつうちに,新任者もなんとなくうまく立ち回れるようになり,職員室の雰囲気にも落ち着きが戻ってくる。
■まあ,教員を5年やれば2回くらいは,10年やれば5回くらいは経験する事態であろう(笑)。
【事例2】
■結婚した当初,ほんの些細なことが大きなトラブルへと発展することがある。電子レンジを「チン」と呼ぶ家庭で育った夫,そして「レンジ」と呼ぶ家庭で育った妻。夫がちょっとだけ冷めかかった料理を妻に渡して,何気なく「ちょっとこれチンして」と頼む。三十年近くの長きにわたって,そういう場合には「ちょっとこれレンジにかけて」と言う家庭で育った妻は,夫の物言いに対して幼児的なかわいらしさを感じ,少しだけ嘲笑の混じった薄笑いを浮かべる。しかし,夫にはそれが許せない。自分は馬鹿にされた。しかも,自分にとっては普通の,そして当然の言葉遣いが嘲笑を受け蔑まれた。いたくプライドが傷ついてしまう。
■「チンして」と言うか「レンジにかけて」と言うかというほんの些細な違いが,○○家と××家のプライドをかけた諍いに発展する。端から見れば,あまりにも小さな,かつあまりにも馬鹿馬鹿しい問題が,本人達も気づかぬうちに,お互いの両親兄弟,一族のプライドをかけた深刻な問題へと発展していく。これはお互いに自分が育った環境が異なるというコンテクストのズレによる些細な指摘が,人格を否定されたかのごとき重みをもって感じられることによって生じた,馬鹿馬鹿しくも深刻な問題である。
■しかし,こうした諍いは,結婚生活が一年たち,二年たちするうちに,次第に減っていくものである。三年もたてばほとんどなくなる。お互いに距離感覚がわかってくるからである。夫婦関係が安定してくると言ってもよい。
■まあ,この時期になると,こういう小さなコンテクストの違いによる諍いではなく,本格的なトラブルが生じてくる夫婦も,決して少なくないけれど……(笑)。
■ある程度の教職経験があり,かつ結婚もしているという読者の皆さんは,事例1・2ともに思い当たるところがあり,ニヤリとほくそ笑むことができただろうと思う。しかし私は,この二つの事例を,そんな「世間話」レベルのエピソードとして並べたわけではない。
■あなたの学級においても,事例1はいわゆる「濃いキャラクター」の転入生が入ってきた場合に,事例2は学級編成後の小グループが付いたり離れたりしている場合に,間違いなく同じ質のことが起こっているはずなのだ。
■発達心理学に「前思春期」という概念がある。十歳くらいから十二,三歳までの間,つまり,小学校高学年から中学一,二年くらいの間の時期を指している。この時期の子ども達が人間関係をつくる上での特徴は,「擬似恋愛」或いは「恋愛予行演習」としての,一種の同性愛的傾向を示すところにある。つまり,こういうことだ。
■いわゆる「思春期」には,異性を異性として意識し,異性との恋愛関係成就のために,相手との一体化を希求し始める。このこと事態はごく一般的なことなので,誰しも理解できるだろう。しかし,それ以前,「前思春期」と呼ばれる一時期,まだ異性と本格的に付き合うと考える以前の一時期に,同性の友人と精神的な同性愛のような感覚に至って,ものすごく深い友情や同族意識,同志意識によって固く結びつくことを求める時期があるのだ。小学校高学年から中学校の前半において,女子の間で小グループメンバーの盛んな入れ替えが行われたり,小グループ同士のかなり深刻な対立が生じたりする理由の一つとして,この「前思春期」の発達段階的な特徴が挙げられる。「そういえば……」と,読者の皆さんにも思い当たるところがあるはずである。大人になった現在もなお,幼なじみとして絶大な信用を与え合っている友人の顔を思い浮かべて欲しい。小学校高学年から中学校にかけて,あなたとその友人との間にどんな人間関係が生じていたかを。
■実はこの時期が,その後の人間関係の結び方,或いはその後の恋愛関係の結び方に大きな影響を与えるという。つまり,この時期の在り方が無意識のうちに,その後,他者と付き合っていく上でのスキルを学ぶ場,つまり,「作法」を学ぶ場になっているというのである。
■小学校の高学年,或いは中学校1,2年生の特徴として,学級編成後の1,2ヶ月は,学級全体が非常に良好な人間関係に見えるのに,ある時期から同性同士において(相対的には女子の方が活発に見えるのだが)急に小さな人間関係トラブルが頻発するようになる。しかし,学級という共同体が一年数ヶ月を経た時期から,人間関係が固定化するとともに,小さなトラブルは影を潜め,安定した人間関係が形成される。実はこれは,「前思春期」的な特徴をもつ子ども達が,同性他者に対するそれぞれの深い思い入れから関係を結び合おうとし,その距離感覚の違いからヤマアラシ・ジレンマを経験し続けた末に,学級の大多数の間に適切な距離が形成されるまでの期間なのである。この時期が過ぎると,人間関係は固定化し,てこでも動かなくなる。
■そこで学んだ人間関係の作法は,大人になっても一つの規範として無意識的に発揮される。職員室での新任者の動きや,新婚当初に見られる小さなトラブルでさえ,実は個々の「作法」の違いによって起こっているのである。
2007/10/09のBlog
[ 22:24 ]
[ 匹夫の裕/仕事術 ]
■6:30。
■いつものように目覚まし時計がうねりを上げる。ちらっと時計に目をやる。しかし,起きる気など毛頭ない。手を伸ばして,目覚まし時計を止める。普段は伸ばしたこともない腕に,少しだけ張りを覚える。ちょっとしたストレッチだ。再び,静寂がやってくる。窓の外は明るいのだが,そんなことはまったく気にならない。目を閉じる。窓の外の喧噪に,ふと目が覚めると,もう時計は12時をまわっている。飼っているミニチュア・ダックスが私の顔を舐める。
■「さあ,起きろ起きろ。遊ぼ遊ぼ。」 犬の舌はそう言っている。覚悟を決めて,ガバッと起き上がる。寝室から廊下,廊下から書斎……小走りだ。犬がついてくる。私が書斎のソファに座ると,膝の上に飛び乗ってくる。そして私の顔は,またまた犬の唾液に染められる。こうして一日が……,いや,半日が始まる。
■「今日こそ原稿を書こう」 固くそう決意して,PCの前に座る。しかし,最初に立ち上げるのは一太郎ではない。アウトルックだ。受信トレイには真っ黒い太字が,次から次に上から降ってくる。ときどき,クリップのマークがついたものがある。「おっ!誰かから原稿が届いたか……」 いや,違う。ウイルスメールだ。細かな英語が並んでいる。送信者にも,そして件名にも。黒の太字が降り止む。いらないメールを次々に削除していく。すべてのメールをそれぞれのフォルダに移していく。百数十通来ているというのに,開くのはせいぜい十通だ。残りのメールは「あとで読もう」という瞬時の思いとともに,絶対に開かれることのない運命を辿り始める。インターネット・エクスプローラをタブルクリック。自分のホームページが出る。ブックマークから石川晋のホームページを開いて,日記を読む。たいしたことは書かれていない。当然だ。そんなに面白いことばかり続いていたら,脳みそが壊れてしまう。まあ,石川晋の脳みそは,それでなくてもこわれているけれど……。
■一太郎を立ち上げる。前に書いた原稿をフォルダから出す。その書式を使って,新しい原稿を書くためである。タイトル欄の「レイアウト枠」だけを残して,あとはすべて削除する。Shift+Deleteで,次々に消えていく。一気に削除しようとすると,罫線を含んでいると削除できない,と言われてしまう。この生意気なPCに幾度腹を立てたことか。それがいやで,Shift+Deleteで削除する癖がついて数年がたつ。まずタイトル欄の【特集】のところに今回の特集名を入れる。「放課後の『子どもの居場所」はどこにあるのか」である。知るかそんなもん! 本音ではそう思いながら,まあ,せっかく私に依頼をくれた特集だからと,自らを納得させる。前の原稿のタイトル「『指導』と『体罰』/『道徳』と『倫理』 」という15ポイントの文字を消していく。これでタイトル欄が特集名と自分の名前と自分の所属だけになる。準備は万端である。あとは本文を書くだけ……。
■ふと,音楽が欲しくなる。書斎の机の上右手にあるCDラジカセのスイッチを入れる。HERBIE HANCOCKの「ROCK IT」がけたたましく鳴り始める。「FUTURE SHOCK」という,1983年の大ヒットアルバムだ。そう言えば一昨日アマゾンから届いて,昨日の夜,何度もリピートして聴いていたのだ。それがそのまま入りっぱなしになっていたのである。しばらくそれに聞き入る。当時,下半身だけの人形がこの曲に合わせて踊るプロモーションビデオをよく見たっけ……。高校生の自分は,それがとても格好よいと感じていたっけ……。そんなことを想い出す。
■しかし,こんなけたたましい音楽をかけていたのでは,原稿が進まない。ここはもっと静かな,味わい深いバラードでも……それも歌詞に合わせていっしょに歌ってしまわないように,洋楽がいい。日本語の歌詞は言語中枢を歌に持って行かれてしまう。洋楽でも,自分が歌詞を覚えていないものがいい。歌詞のない,イージー・リスニングなら,尚更いい。そう思って,CDラックを探し始める。一列目,二列目,三列目,そして四列目……。ふと下から妻の声が聞こえたような気がする。書斎のドアを開けて確かめてみると,「ご飯食べないのぉ~」という声が聞こえる。そうか,メシか。書斎を出て二階の廊下を歩いていく。二匹の犬がケージの中でシッポを振っている。さあ,出してくれ。二匹の犬は確かにそう言っている。私の頭の中からは,メシのことが消えてしまう。ケージの戸を開け,二匹の犬を外に出す。勢いよく飛び出す二匹。二階の廊下を勢いよくかけまわる二匹。突き当たりに行っては転回し,また突き当たっては転回する。規則性のあるその動きを,二匹いっしょに十二往復くらいすると,二匹は満足したように立ち止まる。オスは私の顔を伺い,メスは遊び道具のボールを持ってきて,私に遊べ遊べとねだる。ボールを投げてやると,二匹で一目散に駆けて行く。いつもメスが勝ち,メスはボールをくわえて戻ってくる。どの世界でも,メスはオスより強い……。
■「ご飯食べないのぉ~」 再び,妻の声が聞こえてくる。そろそろ行かないと角が出る。どの世界でも,メスはオスより強い……。二匹をケージに戻し,階下に降りていく。
■食卓につくと,リモコンでテレビのスイッチを入れる。和田アキ子が極々簡単なクイズに答えている。それを見ながら,サケの切り身をつまむ。飯を食い,ソファに横になる。その辺にある雑誌を拾い読みしていると,馬鹿な女の子が道ばたで料理をつくっている。日本女性なら当然作れるはずの料理を,その馬鹿女達はつくれない。それを笑うテレビ番組だ。くだらない番組だと思わせつつ,視聴者の優越感を刺激する。よくできた企画である。
■原稿を書こう。今日こそ書くのだ─そう思い立って,二階に上がる。妻が出したのか,二匹の犬がケージから出て大暴れしている。ボールを投げてやり,抱き上げてなでてやり,いっしょに走り回る。書斎に入ると,ドアをゆっくり,半分だけ閉じる。ドアの向こうで,二匹の犬がシッポを振りながらこちらを見ている。その顔を見ながら,カチャンと閉める。ツッツッツッ……と音を立てて,二匹が向こうへと歩いていくのがわかる。どうやら,あきらめたようだ。
■机につく。タイトル欄を見る。特集名と「堀裕嗣(研究集団ことのは」代表)」という文字だけが見える。本文の欄は白紙。まだ,どんなことを書くのかさえ決まっていない。そうだ。そういえば,CDを探していたんだっけ……。立ち上がって,再びCDを探し始める。やっと時間が2時間前とつながる。この2時間は,いったいどこに行ってしまったのだ……。「後悔先に立たず……か。」と,月並みな言葉が思わず口をつく。
■結局,STEELY DANの「TWO AGAINST NATURE」をかける。さわやかな割に,サウンドに隙がなくて,聴いていて気にならない。原稿のBGMには最適である。
■しかし……。結局,一太郎は最小化され,PCゲーム「PENGO」が立ち上げられる。高校時代にゲームセンターで大ヒットしたゲームである。そう。「ゼビウス」がヒットするちょっと前だった。ペンギンが氷のブロックを並べたり,壊したりするゲームである。一匹死んではリセットし,また一匹死んではリセットしてと,何度か取り組む。私はもう20年以上も,このゲームを愛し続けている。
■その後も,「笑点」や「番記者」,「行列のできる法律相談所」や「おしゃれ関係」の誘惑と,私は闘わなくてはならない。原稿はいつ書き上がるのやら……。
■年に数千枚の原稿を書く私にして,休日の日常はこうである。原稿のない教師達の休日など,推して知るべしであろう。そして,世のお父さん達の休日も……。ましてや,子ども達が休日に計画的に勉強をしたり,休日を利用して何か有益なことに取り組んでくれれば,などと夢想するのは,馬鹿げた理想論に過ぎない。私のこの怠惰な休日は,決していまに始まったことではない。小学生のときも中学生のときも,高校生のときも大学生のときも,同じだった。明日テストがあるから,明日締め切りの原稿があるから,明日の研究会の資料をつくっていないから,仕方なく人は何かを始めるのである。そして今日は部活があるから,今日は研究会の当日だから,仕方なく人は休日に早起きするのである。それは昔もいまも変わらないのではないか。
■まれに休日も早起きをして,すがすがしい朝の空気をお腹いっぱいに吸い込み,規則正しい生活をすることをアイデンティティとしている輩もいるようだが,私はそういう人達とは人種が違うと感じている。というより,どこか無理をしているのではないか。理想主義を自らに強いているのではないか。そんな気がしている。いずれにせよ,彼等は私とは無縁の人たちだ。
■人間は本質的に怠惰なものである。やらなければならないことがあって,初めて動き出す。いや,やらなければならないことがあってさえ,どうにかしてそこから逃げられないかと,画策しているものである。読者の皆さんも,痛くない事故や病気に見舞われて,入院できないものかと思ったことは,一度や二度ではあるまい。
■ダーリン ラムネを買ってきて 二人で飲みましょ 散歩道 月が昇るまで~♪
■いつものように目覚まし時計がうねりを上げる。ちらっと時計に目をやる。しかし,起きる気など毛頭ない。手を伸ばして,目覚まし時計を止める。普段は伸ばしたこともない腕に,少しだけ張りを覚える。ちょっとしたストレッチだ。再び,静寂がやってくる。窓の外は明るいのだが,そんなことはまったく気にならない。目を閉じる。窓の外の喧噪に,ふと目が覚めると,もう時計は12時をまわっている。飼っているミニチュア・ダックスが私の顔を舐める。
■「さあ,起きろ起きろ。遊ぼ遊ぼ。」 犬の舌はそう言っている。覚悟を決めて,ガバッと起き上がる。寝室から廊下,廊下から書斎……小走りだ。犬がついてくる。私が書斎のソファに座ると,膝の上に飛び乗ってくる。そして私の顔は,またまた犬の唾液に染められる。こうして一日が……,いや,半日が始まる。
■「今日こそ原稿を書こう」 固くそう決意して,PCの前に座る。しかし,最初に立ち上げるのは一太郎ではない。アウトルックだ。受信トレイには真っ黒い太字が,次から次に上から降ってくる。ときどき,クリップのマークがついたものがある。「おっ!誰かから原稿が届いたか……」 いや,違う。ウイルスメールだ。細かな英語が並んでいる。送信者にも,そして件名にも。黒の太字が降り止む。いらないメールを次々に削除していく。すべてのメールをそれぞれのフォルダに移していく。百数十通来ているというのに,開くのはせいぜい十通だ。残りのメールは「あとで読もう」という瞬時の思いとともに,絶対に開かれることのない運命を辿り始める。インターネット・エクスプローラをタブルクリック。自分のホームページが出る。ブックマークから石川晋のホームページを開いて,日記を読む。たいしたことは書かれていない。当然だ。そんなに面白いことばかり続いていたら,脳みそが壊れてしまう。まあ,石川晋の脳みそは,それでなくてもこわれているけれど……。
■一太郎を立ち上げる。前に書いた原稿をフォルダから出す。その書式を使って,新しい原稿を書くためである。タイトル欄の「レイアウト枠」だけを残して,あとはすべて削除する。Shift+Deleteで,次々に消えていく。一気に削除しようとすると,罫線を含んでいると削除できない,と言われてしまう。この生意気なPCに幾度腹を立てたことか。それがいやで,Shift+Deleteで削除する癖がついて数年がたつ。まずタイトル欄の【特集】のところに今回の特集名を入れる。「放課後の『子どもの居場所」はどこにあるのか」である。知るかそんなもん! 本音ではそう思いながら,まあ,せっかく私に依頼をくれた特集だからと,自らを納得させる。前の原稿のタイトル「『指導』と『体罰』/『道徳』と『倫理』 」という15ポイントの文字を消していく。これでタイトル欄が特集名と自分の名前と自分の所属だけになる。準備は万端である。あとは本文を書くだけ……。
■ふと,音楽が欲しくなる。書斎の机の上右手にあるCDラジカセのスイッチを入れる。HERBIE HANCOCKの「ROCK IT」がけたたましく鳴り始める。「FUTURE SHOCK」という,1983年の大ヒットアルバムだ。そう言えば一昨日アマゾンから届いて,昨日の夜,何度もリピートして聴いていたのだ。それがそのまま入りっぱなしになっていたのである。しばらくそれに聞き入る。当時,下半身だけの人形がこの曲に合わせて踊るプロモーションビデオをよく見たっけ……。高校生の自分は,それがとても格好よいと感じていたっけ……。そんなことを想い出す。
■しかし,こんなけたたましい音楽をかけていたのでは,原稿が進まない。ここはもっと静かな,味わい深いバラードでも……それも歌詞に合わせていっしょに歌ってしまわないように,洋楽がいい。日本語の歌詞は言語中枢を歌に持って行かれてしまう。洋楽でも,自分が歌詞を覚えていないものがいい。歌詞のない,イージー・リスニングなら,尚更いい。そう思って,CDラックを探し始める。一列目,二列目,三列目,そして四列目……。ふと下から妻の声が聞こえたような気がする。書斎のドアを開けて確かめてみると,「ご飯食べないのぉ~」という声が聞こえる。そうか,メシか。書斎を出て二階の廊下を歩いていく。二匹の犬がケージの中でシッポを振っている。さあ,出してくれ。二匹の犬は確かにそう言っている。私の頭の中からは,メシのことが消えてしまう。ケージの戸を開け,二匹の犬を外に出す。勢いよく飛び出す二匹。二階の廊下を勢いよくかけまわる二匹。突き当たりに行っては転回し,また突き当たっては転回する。規則性のあるその動きを,二匹いっしょに十二往復くらいすると,二匹は満足したように立ち止まる。オスは私の顔を伺い,メスは遊び道具のボールを持ってきて,私に遊べ遊べとねだる。ボールを投げてやると,二匹で一目散に駆けて行く。いつもメスが勝ち,メスはボールをくわえて戻ってくる。どの世界でも,メスはオスより強い……。
■「ご飯食べないのぉ~」 再び,妻の声が聞こえてくる。そろそろ行かないと角が出る。どの世界でも,メスはオスより強い……。二匹をケージに戻し,階下に降りていく。
■食卓につくと,リモコンでテレビのスイッチを入れる。和田アキ子が極々簡単なクイズに答えている。それを見ながら,サケの切り身をつまむ。飯を食い,ソファに横になる。その辺にある雑誌を拾い読みしていると,馬鹿な女の子が道ばたで料理をつくっている。日本女性なら当然作れるはずの料理を,その馬鹿女達はつくれない。それを笑うテレビ番組だ。くだらない番組だと思わせつつ,視聴者の優越感を刺激する。よくできた企画である。
■原稿を書こう。今日こそ書くのだ─そう思い立って,二階に上がる。妻が出したのか,二匹の犬がケージから出て大暴れしている。ボールを投げてやり,抱き上げてなでてやり,いっしょに走り回る。書斎に入ると,ドアをゆっくり,半分だけ閉じる。ドアの向こうで,二匹の犬がシッポを振りながらこちらを見ている。その顔を見ながら,カチャンと閉める。ツッツッツッ……と音を立てて,二匹が向こうへと歩いていくのがわかる。どうやら,あきらめたようだ。
■机につく。タイトル欄を見る。特集名と「堀裕嗣(研究集団ことのは」代表)」という文字だけが見える。本文の欄は白紙。まだ,どんなことを書くのかさえ決まっていない。そうだ。そういえば,CDを探していたんだっけ……。立ち上がって,再びCDを探し始める。やっと時間が2時間前とつながる。この2時間は,いったいどこに行ってしまったのだ……。「後悔先に立たず……か。」と,月並みな言葉が思わず口をつく。
■結局,STEELY DANの「TWO AGAINST NATURE」をかける。さわやかな割に,サウンドに隙がなくて,聴いていて気にならない。原稿のBGMには最適である。
■しかし……。結局,一太郎は最小化され,PCゲーム「PENGO」が立ち上げられる。高校時代にゲームセンターで大ヒットしたゲームである。そう。「ゼビウス」がヒットするちょっと前だった。ペンギンが氷のブロックを並べたり,壊したりするゲームである。一匹死んではリセットし,また一匹死んではリセットしてと,何度か取り組む。私はもう20年以上も,このゲームを愛し続けている。
■その後も,「笑点」や「番記者」,「行列のできる法律相談所」や「おしゃれ関係」の誘惑と,私は闘わなくてはならない。原稿はいつ書き上がるのやら……。
■年に数千枚の原稿を書く私にして,休日の日常はこうである。原稿のない教師達の休日など,推して知るべしであろう。そして,世のお父さん達の休日も……。ましてや,子ども達が休日に計画的に勉強をしたり,休日を利用して何か有益なことに取り組んでくれれば,などと夢想するのは,馬鹿げた理想論に過ぎない。私のこの怠惰な休日は,決していまに始まったことではない。小学生のときも中学生のときも,高校生のときも大学生のときも,同じだった。明日テストがあるから,明日締め切りの原稿があるから,明日の研究会の資料をつくっていないから,仕方なく人は何かを始めるのである。そして今日は部活があるから,今日は研究会の当日だから,仕方なく人は休日に早起きするのである。それは昔もいまも変わらないのではないか。
■まれに休日も早起きをして,すがすがしい朝の空気をお腹いっぱいに吸い込み,規則正しい生活をすることをアイデンティティとしている輩もいるようだが,私はそういう人達とは人種が違うと感じている。というより,どこか無理をしているのではないか。理想主義を自らに強いているのではないか。そんな気がしている。いずれにせよ,彼等は私とは無縁の人たちだ。
■人間は本質的に怠惰なものである。やらなければならないことがあって,初めて動き出す。いや,やらなければならないことがあってさえ,どうにかしてそこから逃げられないかと,画策しているものである。読者の皆さんも,痛くない事故や病気に見舞われて,入院できないものかと思ったことは,一度や二度ではあるまい。
■ダーリン ラムネを買ってきて 二人で飲みましょ 散歩道 月が昇るまで~♪
2007/10/08のBlog
[ 20:02 ]
[ 裕々自適/書斎日記 ]
■朝から,1984年にヒットした,つまり僕が高校3年の時にヒットしたアルバムを聴きながら原稿を書いていた。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド,スパンダー・バレエ,カルチャー・クラブ,デュラン・デュラン,シンディ・ローパー,マドンナ,ローラ・ブラニガンである。デュラン・デュラン以外はすべて,2回ずつ聴いた。そして,ホール&オーツの「BIG BAM BOOM」を聴き始めた。キーボードを叩く手が止まった。これまで聴いてきた音楽とどこか趣が異なるのである。サウンドにどこか言葉にできない重厚さがある。それまで聴いてきた7枚がすべて軽く感じられる。うーん。この感覚は何なのだろう。
■と,そんなことを考えていたら,コーヒーが飲みたくなったので,下に降りていく。コーヒーをいれて,玄関を見ると,少し大きめの封筒が郵便受けから落ちていた。手に取ると,小林義明先生からである。ああ,と思った。今年も読み研の「研究紀要」が送られてきたのである。昨日,読み研の新刊の書評を書いたと思ったら,またまた「研究紀要Ⅸ」を御恵贈いただいたわけである。私は読み研に何の協力をしたこともない。そんな私に,こんなにもよくしていただいて,「感謝」以外に言葉がない。有り難いことである。早速読み始めると,論文の2本目に「HOWとWHYの問題」というタイトルで田中実先生が執筆している。
■田中先生は,HOWとWHYという「似て非なるもの」を論じるために,漱石の引用から入る。
□その道の人は科学をこう解釈する。科学は如何にしてということ即ちHOWということを研究するもので,何故ということ即ちWHYということの質問には応じ兼ねるというのである。例えば茲に花が落ちて実を結ぶという現象があるとすると,科学はこの問題に対して,如何なる過程で花が落ちてまた如何なる過程で実を結ぶかということを一々に記述して行く。しかし何故(WHY)に花が落ちて実を結ぶかという(然かならざるべからずという)問題は棄てて顧みないのである。一度び何故という問題に接すると神の御思召であるとか,樹木がそうしたかったのだとか,人間がしかせしめたのだとかいわゆるWill即ち一種の意志という者を持て来なければ説明がつかぬ。科学者の見た自然の法則はただそのままの法則である。これわ支配するに神があってこの神の御思召通りに天地が進行するとか何とかいう何故問題は科学者の関係せぬ所である。《夏目漱石『文学評論』第一編・序言》
■漱石の「文学評論」は明治24年の作である。漱石の時代から100年近くが経過し,WHYを問うはずの文学が衰退し,HOWのみを問う科学が闊歩がする時代となった。このことは決して,文学の衰退と科学の興隆という学術的な影響のみで考えるわけにはいかない。世の中の思考自体が,或いは世の中の基本発想が常に自らを省みようとするWHYから浅薄なHOWへと移行したことをも意味しているのである。現在,どのように金を儲けようかと考える経営者はいても,なぜ金を儲けるのかを省みる経営者はほとんどいない。どのように教えるかを常に考えている教師がいる一方で,なぜ教えるかを考える教師はほとんどいない。どのように休日を楽しむかを考えている家族は,なぜ休日を楽しむのかを考えない。浅薄な科学的思考が無意識理に世の中を覆い尽くしてしまっている。手元の「文学評論」を開くと,漱石は上の引用に「だからいたって淡泊な考えで研究に取りかかるといってもよろしい」(『文学評論(一)』夏目漱石・講談社学術文庫・1977年3月)と続けている。そうである。「浅薄な考え」というよりは「淡泊な考え」なのだ。一つの事象に対するこだわりに欠ける。
■と,そんなことを考えていたら,コーヒーが飲みたくなったので,下に降りていく。コーヒーをいれて,玄関を見ると,少し大きめの封筒が郵便受けから落ちていた。手に取ると,小林義明先生からである。ああ,と思った。今年も読み研の「研究紀要」が送られてきたのである。昨日,読み研の新刊の書評を書いたと思ったら,またまた「研究紀要Ⅸ」を御恵贈いただいたわけである。私は読み研に何の協力をしたこともない。そんな私に,こんなにもよくしていただいて,「感謝」以外に言葉がない。有り難いことである。早速読み始めると,論文の2本目に「HOWとWHYの問題」というタイトルで田中実先生が執筆している。
■田中先生は,HOWとWHYという「似て非なるもの」を論じるために,漱石の引用から入る。
□その道の人は科学をこう解釈する。科学は如何にしてということ即ちHOWということを研究するもので,何故ということ即ちWHYということの質問には応じ兼ねるというのである。例えば茲に花が落ちて実を結ぶという現象があるとすると,科学はこの問題に対して,如何なる過程で花が落ちてまた如何なる過程で実を結ぶかということを一々に記述して行く。しかし何故(WHY)に花が落ちて実を結ぶかという(然かならざるべからずという)問題は棄てて顧みないのである。一度び何故という問題に接すると神の御思召であるとか,樹木がそうしたかったのだとか,人間がしかせしめたのだとかいわゆるWill即ち一種の意志という者を持て来なければ説明がつかぬ。科学者の見た自然の法則はただそのままの法則である。これわ支配するに神があってこの神の御思召通りに天地が進行するとか何とかいう何故問題は科学者の関係せぬ所である。《夏目漱石『文学評論』第一編・序言》
■漱石の「文学評論」は明治24年の作である。漱石の時代から100年近くが経過し,WHYを問うはずの文学が衰退し,HOWのみを問う科学が闊歩がする時代となった。このことは決して,文学の衰退と科学の興隆という学術的な影響のみで考えるわけにはいかない。世の中の思考自体が,或いは世の中の基本発想が常に自らを省みようとするWHYから浅薄なHOWへと移行したことをも意味しているのである。現在,どのように金を儲けようかと考える経営者はいても,なぜ金を儲けるのかを省みる経営者はほとんどいない。どのように教えるかを常に考えている教師がいる一方で,なぜ教えるかを考える教師はほとんどいない。どのように休日を楽しむかを考えている家族は,なぜ休日を楽しむのかを考えない。浅薄な科学的思考が無意識理に世の中を覆い尽くしてしまっている。手元の「文学評論」を開くと,漱石は上の引用に「だからいたって淡泊な考えで研究に取りかかるといってもよろしい」(『文学評論(一)』夏目漱石・講談社学術文庫・1977年3月)と続けている。そうである。「浅薄な考え」というよりは「淡泊な考え」なのだ。一つの事象に対するこだわりに欠ける。
■と,ここまで書いたところで,2回目のホール&オーツが終わったので,CDを入れ替える。ビリー・ジョエルのお化けアルバム「イノセント・マン」である。このアルバムからは,1983年から1984年にかけて,全10曲中7曲のシングルヒットが出た。そのうち5曲はトップテンヒットであり,うち2曲はNo.1ヒットであったはずである。まさしくお化けアルバムだった。この60年代のミュージックシーンを模したオリジナルアルバムには,ビリー・ジョエル自身のライナーノーツが付されている。
□「イノセント・マン」にとりかかったのは「ナイロン・カーテン」ツアーから帰ってきてすぐだったが,僕は突然,たくさんの女性たちにとりかこまれてしまった。まるで繭から出て蝶になったような気分で,一時に15人もの女性と恋に落ちた。普通,僕は一音ごとにもだえ苦しむ。ところが今回は,曲がそれ自身の生命をもっているかのように,次々とわき上ってきた。僕は10曲を7週間で書きあげた。こんなことは,かつてないことだ。このアルバムについては,ベイシック・トラックスがもう初めからそこにあったようなものだった。
■かなり虚構が混じっていそうなライナーノーツではあるが,まあ半分本当半分虚構といったところなのだろう。しかし,ここにあるのは,「一音ごとにもだえ苦しむ」という「どのように」音をつくるかということではなく,「なぜ」いまこのアルバムをつくるのかということが,ビリー・ジョエルの中で明確な結晶として位置づいていたからである。そういうとき,人は大いなる創造力を発揮する。
■田中実先生は,先の引用に続けて,「文学評論」から次のような漱石の声をも拾っている。
□創作家は「如何にして」などという事を眼中に置かんでも出来る,(置いてならんというのではない),直覚的にそれが面白いからぐんぐん書いてしまう。人が読んでもなるほど面白い。それだけで創作家の能事は了えたので,「如何にして」という事になると全く批評家に任せてよいのである。
■この漱石の声を,田中先生は「ここでの『如何にして』とはHOWのこと,『創作家』漱石はHOWという文学理論ではなく,WHYを正面に据え,直接人生の秘密に向き合い,『ぐんぐん書いてしまう』のです。」と受け止めている。この漱石の言とビリー・ジョエルの言との何と似通っていることか。ビリー・ジョエルもホール&オーツもこの時代に既にビッグスターであり,「どのようにアルバムをつくるか」から「なぜこのアルバムをつくるか」に発想が移行していた時期なのだろう。それに比べて,フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド,スパンダー・バレエ,カルチャー・クラブ,デュラン・デュラン,シンディ・ローパー,マドンナ,ローラ・ブラニガンといった人たちは,当時まだ新進のアーティストたちであり,まだ20代だったはずである(シンディ・ローパーだけは既に30代だったような気もする)。これから自分の音楽を「どのように」つくっていくかに「もだえ苦しむ」ような作り方をしていたはずである。私がホール&オーツやビリー・ジョエルに感じた「どこか言葉にできない重厚さ」は,彼等のそんな位相の顕れなのかもしれない。こんなところにも「HOW-WHY問題」は確かな存在感をもっているのである。
□「イノセント・マン」にとりかかったのは「ナイロン・カーテン」ツアーから帰ってきてすぐだったが,僕は突然,たくさんの女性たちにとりかこまれてしまった。まるで繭から出て蝶になったような気分で,一時に15人もの女性と恋に落ちた。普通,僕は一音ごとにもだえ苦しむ。ところが今回は,曲がそれ自身の生命をもっているかのように,次々とわき上ってきた。僕は10曲を7週間で書きあげた。こんなことは,かつてないことだ。このアルバムについては,ベイシック・トラックスがもう初めからそこにあったようなものだった。
■かなり虚構が混じっていそうなライナーノーツではあるが,まあ半分本当半分虚構といったところなのだろう。しかし,ここにあるのは,「一音ごとにもだえ苦しむ」という「どのように」音をつくるかということではなく,「なぜ」いまこのアルバムをつくるのかということが,ビリー・ジョエルの中で明確な結晶として位置づいていたからである。そういうとき,人は大いなる創造力を発揮する。
■田中実先生は,先の引用に続けて,「文学評論」から次のような漱石の声をも拾っている。
□創作家は「如何にして」などという事を眼中に置かんでも出来る,(置いてならんというのではない),直覚的にそれが面白いからぐんぐん書いてしまう。人が読んでもなるほど面白い。それだけで創作家の能事は了えたので,「如何にして」という事になると全く批評家に任せてよいのである。
■この漱石の声を,田中先生は「ここでの『如何にして』とはHOWのこと,『創作家』漱石はHOWという文学理論ではなく,WHYを正面に据え,直接人生の秘密に向き合い,『ぐんぐん書いてしまう』のです。」と受け止めている。この漱石の言とビリー・ジョエルの言との何と似通っていることか。ビリー・ジョエルもホール&オーツもこの時代に既にビッグスターであり,「どのようにアルバムをつくるか」から「なぜこのアルバムをつくるか」に発想が移行していた時期なのだろう。それに比べて,フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド,スパンダー・バレエ,カルチャー・クラブ,デュラン・デュラン,シンディ・ローパー,マドンナ,ローラ・ブラニガンといった人たちは,当時まだ新進のアーティストたちであり,まだ20代だったはずである(シンディ・ローパーだけは既に30代だったような気もする)。これから自分の音楽を「どのように」つくっていくかに「もだえ苦しむ」ような作り方をしていたはずである。私がホール&オーツやビリー・ジョエルに感じた「どこか言葉にできない重厚さ」は,彼等のそんな位相の顕れなのかもしれない。こんなところにも「HOW-WHY問題」は確かな存在感をもっているのである。
2007/10/07のBlog
[ 23:59 ]
[ 裕々自適/書斎日記 ]
■阿部昇先生から読み研編『国語授業の改革7 教材研究を国語授業づくりにどう生かすか』(学文社/2007.08.31)を御恵贈いただいた。有り難いことである。一時期,精力的に国語教育の実践書を書いていたおかげで,そんな活動の中でお近づきになることのできた研究者・実践家から御著書を御恵贈いただく機会に恵まれている。私もサボッていないで,ここ数年の成果をまとめなくてならないなあ,と思う。しかし,確かにそうは思うのだが,そう簡単なことではないということが自分ではわかっている。書きさえすれば刊行していただける出版社はあるのだろうが,なかなか実践研究がまとまらない。もう中途半端な本を書くのはいやだな,という思いもある。出版社からは我が儘だと思われているふしもあるのだが,それでも私なりに,いまはこういう時期なのだと納得している次第である。
■さて,ぱらぱらとめくっていると,宮城洋之先生の執筆された「少年の日の思い出」論が載っていたので読み始めた。
□小説は,ある物語内容(ストーリー)を文学的な意図によって再構成(プロット)し,読者に提示する文芸である。《57頁》
■やけに簡潔な定義だが,まあ言っていることはわかる。いよいよ「物語性」のみならず,「語り」の問題に取り組んで,文学的文章の授業を再構築しようとしているのだなあ,という意図が伝わってくる。それを確認して読み進めると,「そこで,この作品ではプロットの読みを促すために『語り』への着目を学ばせたい。」《同上》とある。やはりそうだ。これは「少年の日の思い出」を題材とした「語り論」なのだ。それならばと,じっくりと集中して読んでみることにする。
□この作品は書斎における「現在」の中に語りによって「過去」のエピソードが挿入された形となっている。しかし,クライマックスを迎えると同時に作品自体も終わりを迎えてしまい,場面が再び書斎へ戻ることはない。読者は過去に置き去りにされたままになるのである。またそれは現在の「僕」や,その話を聴いた「わたし」が,この事件を評価しないまま放置することを意味する。/この読者を事件の渦中に引きずり込んでおきながら逃走してしまうかのような構造がもつ意味は何か。/これこそ,この作品のもっとも大きな仕掛けなのだと考える。すなわち,語り手「僕」の過去に取り残された読者は,自力で「書斎」に戻るしかない。そして,あらためて「書斎」の場面を読み直すことで,「客」(=「僕」)の言動の意味に気づくことになるのである。《60頁》
□少年時代の「僕」の事件を大人の「僕」が語っているという語りの構造を踏まえて再読することで一つ一つの謎が解き明かされるはずである。また,そこからは大人になった「僕」の人物像も浮かんでくる。/たとえば,ちょう集めに熱中する自分自身の様子を「塔の時計なんか,耳に入らなかった」「食事になんか帰らないで」と語るのは大人の「僕」であり,また「結構だよ」というエーミールの言葉のあとで「あいつののどぶえに飛びかかるところだった」とすたっているのも現在の「僕」である。いずれも少年時代の「僕」に同化した語りであり,そこには熱情こそがすべてであった少年時代に訣別し切れていない「僕」という人物が見え隠れしている。《60~61頁。ただし,太字箇所は原典では傍点が付されている》
■この見解に,私はほぼ齟齬なく同意する。私も実は,同じことをかつて書いたことがある(「教育科学国語教育」No.568/1998年12月)からだ。しかし,宮城先生の授業計画では,第一部の再読を優先するために,第二部ではクライマックス(最終場面:チョウを粉々に押し潰す場面)のみを扱うことになっている。また,授業での生徒との問答を想定した箇所では,生徒が「クジャクヤママユをつぶしたときと同じだ!」という発見に,教師が「つまり,あの少年の日の闇から『僕』は?」と問いかけ,生徒が「変わっていない。抜け出せていない。」と答えると,教師が「だからこの作品の最後の場面は闇の中にいるままで終わってしまうんだね」とまとめて終わるという構成をとっている。この授業計画がどうもピンと来ない。どこか「少年の日の思い出」の「語り」の構造の根幹をはずしているように思えてならないのである。
■あれこれ考えているうちに気がついた。この授業計画では,クジャクヤママユを「僕」が盗む場面が扱われていないのである。おそらく宮城先生は,「塔の時計なんか」「食事になんか」「あいつののどぶえ」など,直接的にチョウへの熱情やエーミールに対するアンビバレンツな心情を現在の「僕」(=大人の「僕」)が表現している箇所に着目したのだろうと推測する。しかし,クジャクヤママユを盗む場面に描かれる,完全に少年の日の「僕」に同化して語っているように見えるクジャクヤママユへの対し方にこそ,実は「語り」の妙が散りばめられているのである。例えば,「すると,四つの大きな不思議な斑点が,挿し絵のよりはずっと美しく,ずっとすばらしく,ぼくを見つめた。」「その時さしずめぼくは,大きな満足感のほか何も感じていなかった。」等の描写に見られる,少年の日の想い出に対する対象化である。チョウを盗む渦中にある少年が,「チョウの斑点がぼくを見つめた」などという文学的な表現をするはずもない。これは,大人の「僕」が少年時代の「僕」がどれだけクジャクヤママユに取り憑かれていたかを的確に表現するために用いた形象的比喩である。また,「大きな満足感のほか何も感じていなかった」ことを渦中の少年の日の「僕」が意識しているはずもない。こうした叙述も,あくまで大人の「僕」が施した,少年時代の「僕」を対象化しての形象的な叙述なのである。しかし,大切さなのは,これらの表現が「対象化」しながらも「対象化」仕切れていない,つまり,「大人の僕」と「少年の僕」とを同一化した叙述である,という点である。それは「あのなんともいえぬ,むさぼるような,うっとりした感じ」と同じ性質をもちながらも,より深い位相にある唯美観である。ここが一つの重要なポイントである。
■もう一つのポイントは,宮城先生が第一部と第二部の関連性に気がつきながら,その授業が,あくまでも「僕」=「客」の共通点の分析に終始している点にある。それではいけない。「客」(=大人の「僕」)は,自分が少年の日を脱し切れていないということに気がついていないのである。それを読者に気づかせるように語っているのが,第一部の語り手「わたし」なのだ。つまり,実は少年時代の「僕」と大人の客としての「僕」とを対象化しながら分析するのではなく,両者に同化しながらその葛藤に同化し,「わたし」という語り手の「語り」の構造から自己に取り巻く「少年の日」に気づいていない「客」を発見することによって,その構図を読者が自分自身にも当てはめてみる。すると,自分も何かに取りつかれていながらも自らは気がついていない,そういう何ものかがあるかもしれない,人間とはそういったどうしてもメタ化しにくいものとともに在ることに本質があるのではないか,とすればそういう何ものかをさえメタ認知していける主体としてなんとか生きていけないものか,それがよりよい人生を送っていくための重要な構造なのではないか,もしそうだとすれば……と発展的に自己を認識し,世界観を広げていこうとする主体への方向性を抱くことが目指されていく。それが「少年の日の思い出」の「語り」の仕掛けを読む,ということである。
■おそらく,宮城先生は「少年の日の思い出」の「語り」の構造分析をすることで事足れりと考えている。事足れりは言い過ぎにしても,少なくとも,それ以上の可能性については考えが及ばずにいる。それは「読み研」のような,構造主義的というか形式主義的というか,言わば「一つの万能なストラテジー」を目指している団体に学ぶ者に共通してみられる,ある種の限界性である。私には,宮城先生もまたその悪弊から抜け出せていないように見える。「語り」とは,物語に同化することだけを目指す従来の読みを「語り」の仕掛けによって分析的に超えようとする試みであると同時に,それを発見したあかつきにはその構造を自己に当てはめて自己認識し自己倒壊しようとする,自分を「まだ見ぬ新たな世界観」に到達させようとする,明確なベクトルをもっている。そのような,いわば「公共性への希求」とでもいうべきものが宮城先生には見られない。こう考えてくると,「小説は,ある物語内容(ストーリー)を文学的な意図によって再構成(プロット)し,読者に提示する文芸である。」という宮城先生の小説の定義が,ずいぶんと軽いものであることが見えてくる。宮城先生の言うプロットとは,単なる物語の裏側にある構造程度のことに過ぎない。自らを「構造主義者」と呼んで憚らない文学研究者が,よく小説の構造を図示して喜んでいるのと同じ構図がそこにはある。
■実は,この本には田近洵一先生の『読みのアナーキーを超えて』(田中実・右文書院・1997)に対する書評も掲載されている。この書評は次のようにまとめられている。
□なお,田中氏は,しばしば拙著『創造の読み』(東洋館)の中の私の言説を取り上げ,いわば批判的に紹介してくれているが,私は田中氏と対立的な立場に立っているとは思っていない。私は,作品の中に唯一の正しい読みが内在するとは考えておらず,主観的な「私」の読みの克服のために,文章の言語的な仕組みに即して読むことを提唱しているのである。《185頁》
■おもしろいもので,田近先生の言も『文学の力×教材の力 理論編』(田中実・須貝千里編・教育出版・2001年6月)から一歩も進んでいないようである。田近先生は「田近洵一という物語」に閉じられ続けている。ここにも宮城先生と同じ「公共性への希求」をもたない田近先生の内面(使い古された言葉で恐縮だが)が顕在化している。
■私は,田近先生に対して私がしたような指摘を他人から受けないようにと,ただただ「公共性への希求」を目指すところの者である。少なくとも,私にはそうした指摘を歓迎する構えがある。もちろん,構えをもっていることが何の免罪符にもならないことは確かだけれど,閉じられた自己意識の中で,自己欺瞞に陥る研究,独善に陥る研究だけはしたくないな,と切に思う。最後に,青春期に経験した「ディコンストラクション」の流行が,私にこの構図を理解しやすくしてくれたことを付記しておきたい。ジャック・デリダに感謝…である。
■さて,ぱらぱらとめくっていると,宮城洋之先生の執筆された「少年の日の思い出」論が載っていたので読み始めた。
□小説は,ある物語内容(ストーリー)を文学的な意図によって再構成(プロット)し,読者に提示する文芸である。《57頁》
■やけに簡潔な定義だが,まあ言っていることはわかる。いよいよ「物語性」のみならず,「語り」の問題に取り組んで,文学的文章の授業を再構築しようとしているのだなあ,という意図が伝わってくる。それを確認して読み進めると,「そこで,この作品ではプロットの読みを促すために『語り』への着目を学ばせたい。」《同上》とある。やはりそうだ。これは「少年の日の思い出」を題材とした「語り論」なのだ。それならばと,じっくりと集中して読んでみることにする。
□この作品は書斎における「現在」の中に語りによって「過去」のエピソードが挿入された形となっている。しかし,クライマックスを迎えると同時に作品自体も終わりを迎えてしまい,場面が再び書斎へ戻ることはない。読者は過去に置き去りにされたままになるのである。またそれは現在の「僕」や,その話を聴いた「わたし」が,この事件を評価しないまま放置することを意味する。/この読者を事件の渦中に引きずり込んでおきながら逃走してしまうかのような構造がもつ意味は何か。/これこそ,この作品のもっとも大きな仕掛けなのだと考える。すなわち,語り手「僕」の過去に取り残された読者は,自力で「書斎」に戻るしかない。そして,あらためて「書斎」の場面を読み直すことで,「客」(=「僕」)の言動の意味に気づくことになるのである。《60頁》
□少年時代の「僕」の事件を大人の「僕」が語っているという語りの構造を踏まえて再読することで一つ一つの謎が解き明かされるはずである。また,そこからは大人になった「僕」の人物像も浮かんでくる。/たとえば,ちょう集めに熱中する自分自身の様子を「塔の時計なんか,耳に入らなかった」「食事になんか帰らないで」と語るのは大人の「僕」であり,また「結構だよ」というエーミールの言葉のあとで「あいつののどぶえに飛びかかるところだった」とすたっているのも現在の「僕」である。いずれも少年時代の「僕」に同化した語りであり,そこには熱情こそがすべてであった少年時代に訣別し切れていない「僕」という人物が見え隠れしている。《60~61頁。ただし,太字箇所は原典では傍点が付されている》
■この見解に,私はほぼ齟齬なく同意する。私も実は,同じことをかつて書いたことがある(「教育科学国語教育」No.568/1998年12月)からだ。しかし,宮城先生の授業計画では,第一部の再読を優先するために,第二部ではクライマックス(最終場面:チョウを粉々に押し潰す場面)のみを扱うことになっている。また,授業での生徒との問答を想定した箇所では,生徒が「クジャクヤママユをつぶしたときと同じだ!」という発見に,教師が「つまり,あの少年の日の闇から『僕』は?」と問いかけ,生徒が「変わっていない。抜け出せていない。」と答えると,教師が「だからこの作品の最後の場面は闇の中にいるままで終わってしまうんだね」とまとめて終わるという構成をとっている。この授業計画がどうもピンと来ない。どこか「少年の日の思い出」の「語り」の構造の根幹をはずしているように思えてならないのである。
■あれこれ考えているうちに気がついた。この授業計画では,クジャクヤママユを「僕」が盗む場面が扱われていないのである。おそらく宮城先生は,「塔の時計なんか」「食事になんか」「あいつののどぶえ」など,直接的にチョウへの熱情やエーミールに対するアンビバレンツな心情を現在の「僕」(=大人の「僕」)が表現している箇所に着目したのだろうと推測する。しかし,クジャクヤママユを盗む場面に描かれる,完全に少年の日の「僕」に同化して語っているように見えるクジャクヤママユへの対し方にこそ,実は「語り」の妙が散りばめられているのである。例えば,「すると,四つの大きな不思議な斑点が,挿し絵のよりはずっと美しく,ずっとすばらしく,ぼくを見つめた。」「その時さしずめぼくは,大きな満足感のほか何も感じていなかった。」等の描写に見られる,少年の日の想い出に対する対象化である。チョウを盗む渦中にある少年が,「チョウの斑点がぼくを見つめた」などという文学的な表現をするはずもない。これは,大人の「僕」が少年時代の「僕」がどれだけクジャクヤママユに取り憑かれていたかを的確に表現するために用いた形象的比喩である。また,「大きな満足感のほか何も感じていなかった」ことを渦中の少年の日の「僕」が意識しているはずもない。こうした叙述も,あくまで大人の「僕」が施した,少年時代の「僕」を対象化しての形象的な叙述なのである。しかし,大切さなのは,これらの表現が「対象化」しながらも「対象化」仕切れていない,つまり,「大人の僕」と「少年の僕」とを同一化した叙述である,という点である。それは「あのなんともいえぬ,むさぼるような,うっとりした感じ」と同じ性質をもちながらも,より深い位相にある唯美観である。ここが一つの重要なポイントである。
■もう一つのポイントは,宮城先生が第一部と第二部の関連性に気がつきながら,その授業が,あくまでも「僕」=「客」の共通点の分析に終始している点にある。それではいけない。「客」(=大人の「僕」)は,自分が少年の日を脱し切れていないということに気がついていないのである。それを読者に気づかせるように語っているのが,第一部の語り手「わたし」なのだ。つまり,実は少年時代の「僕」と大人の客としての「僕」とを対象化しながら分析するのではなく,両者に同化しながらその葛藤に同化し,「わたし」という語り手の「語り」の構造から自己に取り巻く「少年の日」に気づいていない「客」を発見することによって,その構図を読者が自分自身にも当てはめてみる。すると,自分も何かに取りつかれていながらも自らは気がついていない,そういう何ものかがあるかもしれない,人間とはそういったどうしてもメタ化しにくいものとともに在ることに本質があるのではないか,とすればそういう何ものかをさえメタ認知していける主体としてなんとか生きていけないものか,それがよりよい人生を送っていくための重要な構造なのではないか,もしそうだとすれば……と発展的に自己を認識し,世界観を広げていこうとする主体への方向性を抱くことが目指されていく。それが「少年の日の思い出」の「語り」の仕掛けを読む,ということである。
■おそらく,宮城先生は「少年の日の思い出」の「語り」の構造分析をすることで事足れりと考えている。事足れりは言い過ぎにしても,少なくとも,それ以上の可能性については考えが及ばずにいる。それは「読み研」のような,構造主義的というか形式主義的というか,言わば「一つの万能なストラテジー」を目指している団体に学ぶ者に共通してみられる,ある種の限界性である。私には,宮城先生もまたその悪弊から抜け出せていないように見える。「語り」とは,物語に同化することだけを目指す従来の読みを「語り」の仕掛けによって分析的に超えようとする試みであると同時に,それを発見したあかつきにはその構造を自己に当てはめて自己認識し自己倒壊しようとする,自分を「まだ見ぬ新たな世界観」に到達させようとする,明確なベクトルをもっている。そのような,いわば「公共性への希求」とでもいうべきものが宮城先生には見られない。こう考えてくると,「小説は,ある物語内容(ストーリー)を文学的な意図によって再構成(プロット)し,読者に提示する文芸である。」という宮城先生の小説の定義が,ずいぶんと軽いものであることが見えてくる。宮城先生の言うプロットとは,単なる物語の裏側にある構造程度のことに過ぎない。自らを「構造主義者」と呼んで憚らない文学研究者が,よく小説の構造を図示して喜んでいるのと同じ構図がそこにはある。
■実は,この本には田近洵一先生の『読みのアナーキーを超えて』(田中実・右文書院・1997)に対する書評も掲載されている。この書評は次のようにまとめられている。
□なお,田中氏は,しばしば拙著『創造の読み』(東洋館)の中の私の言説を取り上げ,いわば批判的に紹介してくれているが,私は田中氏と対立的な立場に立っているとは思っていない。私は,作品の中に唯一の正しい読みが内在するとは考えておらず,主観的な「私」の読みの克服のために,文章の言語的な仕組みに即して読むことを提唱しているのである。《185頁》
■おもしろいもので,田近先生の言も『文学の力×教材の力 理論編』(田中実・須貝千里編・教育出版・2001年6月)から一歩も進んでいないようである。田近先生は「田近洵一という物語」に閉じられ続けている。ここにも宮城先生と同じ「公共性への希求」をもたない田近先生の内面(使い古された言葉で恐縮だが)が顕在化している。
■私は,田近先生に対して私がしたような指摘を他人から受けないようにと,ただただ「公共性への希求」を目指すところの者である。少なくとも,私にはそうした指摘を歓迎する構えがある。もちろん,構えをもっていることが何の免罪符にもならないことは確かだけれど,閉じられた自己意識の中で,自己欺瞞に陥る研究,独善に陥る研究だけはしたくないな,と切に思う。最後に,青春期に経験した「ディコンストラクション」の流行が,私にこの構図を理解しやすくしてくれたことを付記しておきたい。ジャック・デリダに感謝…である。