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2008/05/03のBlog
[ 14:58 ]
[ 裕弁は銀/日常思索 ]
2008/05/02のBlog
[ 14:54 ]
[ 座裕の銘/書評 ]
2008/05/01のBlog
[ 18:06 ]
[ 裕々自適/書斎日記 ]
■ご存知の読者も多いと思うが、心理学に「ヤマアラシ・ジレンマ」という概念がある。
■ヤマアラシは外敵から身を守るために、多くのトゲを身にまとっている。ヤマアラシのカップルがある寒い日に二匹で凍えている。互いの躰を寄せ合って暖をとりたいと思うのだが、接近しすぎるとお互いの躰のトゲによって相手の躰を突き刺してしまう。お互いに傷だらけである。すり寄っては離れ、離れてはすり寄りしながら、それを繰り返すうちに、ヤマアラシのカップルはお互いに暖め合える、ちょうど良い距離を見つける。
■ショーペンハウアーの寓話をアメリカの精神分析医ベラックが、現代人の人間関係のジレンマに転用して警告している。現代人はヤマアラシのように、人間関係の適切な距離を見つけようとするが、その距離感覚をなかなかつかめずに様々なトラブルを起こしてしまう、と。
■顕著な事例を二つ挙げるので、皆さんもご自身の経験を思い起こしていただきたい。
【事例1】
■年度当初、転勤者の中に、妙に自分の能力に自信たっぷりの人物が入ってきた。職員会議をはじめ、すべての校内会議において、前任校と比較して「この学校のやり方はおかしい」と何かにつけて文句をつける。確かに一理はあるのだが、もともとこの学校でそのシステムに慣れ親しんでいる自分から見ると、正直、そうまでこだわらなくても……と思うこともしばしば。ひと月もたたないうちに、その新任者が職員室で浮き始める。「ああ、○○さん浮いてきたな……」という空気が読めたところで、職員室でも信頼を集めている教務主任とか、長くその学校に勤めている職員が、「うちはかくかくしかじかでこういうシステムだから」と諭し始める。或いは最初から、この学校は自分が仕切っていると思っている教務主任や古くからいる職員が、「うちはこういうシステムなんだ」と、喧嘩を始める場合もある。どちらにしても、新任者には分が悪い。少なくとも、昨年はこのシステムでやってきたのである。もともといる職員にとってみれば、慣れたシステムの方が対しやすい。積極的に会議で発言まではしないけれども、なんとなく、現状維持でいいじゃん……という空気が支配的になっていく。しかし、三ヶ月がたち、半年がたつうちに、新任者もなんとなくうまく立ち回れるようになり、職員室の雰囲気にも落ち着きが戻ってくる。
■まあ、教員を五年やれば二回くらいは、十年やれば五回くらいは経験する事態であろう(笑)。
【事例2】
■結婚した当初、ほんの些細なことが大きなトラブルへと発展することがある。電子レンジを「チン」と呼ぶ家庭で育った夫、そして「レンジ」と呼ぶ家庭で育った妻。夫がちょっとだけ冷めかかった料理を妻に渡して、何気なく「ちょっとこれチンして」と頼む。三十年近くの長きにわたって、そういう場合には「ちょっとこれレンジにかけて」と言う家庭で育った妻は、夫の物言いに対して幼児的なかわいらしさを感じ、少しだけ嘲笑の混じった薄笑いを浮かべる。しかし、夫にはそれが許せない。自分は馬鹿にされた。しかも、自分にとっては普通の、そして当然の言葉遣いが嘲笑を受け蔑まれた。いたくプライドが傷ついてしまう。「チンして」と言うか「レンジにかけて」と言うかというほんの些細な違いが、○○家と××家のプライドをかけた諍いに発展する。端から見れば、あまりにも小さな、かつあまりにも馬鹿馬鹿しい問題が、本人達も気づかぬうちに、お互いの両親兄弟、一族のプライドをかけた深刻な問題へと発展していく。これはお互いに自分が育った環境が異なるというコンテクストのズレによる些細な指摘が、人格を否定されたかのごとき重みをもって感じられることによって生じた、馬鹿馬鹿しくも深刻な問題である。
■しかし、こうした諍いは、結婚生活が一年たち、二年たちするうちに、次第に減っていくものである。三年もたてばほとんどなくなる。お互いに距離感覚がわかってくるからである。夫婦関係が安定してくると言ってもよい。
■まあ、この時期になると、こういう小さなコンテクストの違いによる諍いではなく、本格的なトラブルが生じてくる夫婦も、決して少なくないけれど……(笑)。
■ある程度の教職経験があり、かつ結婚もしているという読者の皆さんは、事例1・2ともに思い当たるところがあり、ニヤリとほくそ笑むことができただろうと思う。しかし私は、この二つの事例を、そんな「世間話」レベルのエピソードとして並べたわけではない。
■ あなたの学級においても、事例1はいわゆる「濃いキャラクター」の転入生が入ってきた場合に、事例2は学級編成後の小グループが付いたり離れたりしている場合に、間違いなく同じ質のことが起こっているはずなのだ。
■発達心理学に「前思春期」という概念がある。十歳くらいから十二、三歳までの間、つまり、小学校高学年から中学一、二年くらいの間の時期を指している。この時期の子ども達が人間関係をつくる上での特徴は、「擬似恋愛」或いは「恋愛予行演習」としての、一種の同性愛的傾向を示すところにある。つまり、こういうことだ。
■いわゆる「思春期」には、異性を異性として意識し、異性との恋愛関係成就のために、相手との一体化を希求し始める。このこと事態はごく一般的なことなので、誰しも理解できるだろう。しかし、それ以前、「前思春期」と呼ばれる一時期、まだ異性と本格的に付き合うと考える以前の一時期に、同性の友人と精神的な同性愛のような感覚に至って、ものすごく深い友情や同族意識、同志意識によって固く結びつくことを求める時期があるのだ。小学校高学年から中学校の前半において、女子の間で小グループメンバーの盛んな入れ替えが行われたり、小グループ同士のかなり深刻な対立が生じたりする理由の一つとして、この「前思春期」の発達段階的な特徴が挙げられる。「そういえば……」と、読者の皆さんにも思い当たるところがあるはずである。大人になった現在もなお、幼なじみとして絶大な信用を与え合っている友人の顔を思い浮かべて欲しい。小学校高学年から中学校にかけて、あなたとその友人との間にどんな人間関係が生じていたかを。
■実はこの時期が、その後の人間関係の結び方、或いはその後の恋愛関係の結び方に大きな影響を与えるという。つまり、この時期の在り方が無意識のうちに、その後、他者と付き合っていく上でのスキルを学ぶ場、つまり、「作法」を学ぶ場になっているというのである。
■小学校の高学年、或いは中学校一、二年生の特徴として、学級編成後の一、二ヶ月は、学級全体が非常に良好な人間関係に見えるのに、ある時期から同性同士において(相対的には女子の方が活発に見えるのだが)急に小さな人間関係トラブルが頻発するようになる。しかし、学級という共同体が一年数ヶ月を経た時期から、人間関係が固定化するとともに、小さなトラブルは影を潜め、安定した人間関係が形成される。実はこれは、「前思春期」的な特徴をもつ子ども達が、同性他者に対するそれぞれの深い思い入れから関係を結び合おうとし、その距離感覚の違いからヤマアラシ・ジレンマを経験し続けた末に、学級の大多数の間に適切な距離が形成されるまでの期間なのである。この時期が過ぎると、人間関係は固定化し、てこでも動かなくなる。
■そこで学んだ人間関係の作法は、大人になっても一つの規範として無意識的に発揮される。職員室での新任者の動きや、新婚当初に見られる小さなトラブルでさえ、実は個々の「作法」の違いによって起こっているのである。
■ヤマアラシは外敵から身を守るために、多くのトゲを身にまとっている。ヤマアラシのカップルがある寒い日に二匹で凍えている。互いの躰を寄せ合って暖をとりたいと思うのだが、接近しすぎるとお互いの躰のトゲによって相手の躰を突き刺してしまう。お互いに傷だらけである。すり寄っては離れ、離れてはすり寄りしながら、それを繰り返すうちに、ヤマアラシのカップルはお互いに暖め合える、ちょうど良い距離を見つける。
■ショーペンハウアーの寓話をアメリカの精神分析医ベラックが、現代人の人間関係のジレンマに転用して警告している。現代人はヤマアラシのように、人間関係の適切な距離を見つけようとするが、その距離感覚をなかなかつかめずに様々なトラブルを起こしてしまう、と。
■顕著な事例を二つ挙げるので、皆さんもご自身の経験を思い起こしていただきたい。
【事例1】
■年度当初、転勤者の中に、妙に自分の能力に自信たっぷりの人物が入ってきた。職員会議をはじめ、すべての校内会議において、前任校と比較して「この学校のやり方はおかしい」と何かにつけて文句をつける。確かに一理はあるのだが、もともとこの学校でそのシステムに慣れ親しんでいる自分から見ると、正直、そうまでこだわらなくても……と思うこともしばしば。ひと月もたたないうちに、その新任者が職員室で浮き始める。「ああ、○○さん浮いてきたな……」という空気が読めたところで、職員室でも信頼を集めている教務主任とか、長くその学校に勤めている職員が、「うちはかくかくしかじかでこういうシステムだから」と諭し始める。或いは最初から、この学校は自分が仕切っていると思っている教務主任や古くからいる職員が、「うちはこういうシステムなんだ」と、喧嘩を始める場合もある。どちらにしても、新任者には分が悪い。少なくとも、昨年はこのシステムでやってきたのである。もともといる職員にとってみれば、慣れたシステムの方が対しやすい。積極的に会議で発言まではしないけれども、なんとなく、現状維持でいいじゃん……という空気が支配的になっていく。しかし、三ヶ月がたち、半年がたつうちに、新任者もなんとなくうまく立ち回れるようになり、職員室の雰囲気にも落ち着きが戻ってくる。
■まあ、教員を五年やれば二回くらいは、十年やれば五回くらいは経験する事態であろう(笑)。
【事例2】
■結婚した当初、ほんの些細なことが大きなトラブルへと発展することがある。電子レンジを「チン」と呼ぶ家庭で育った夫、そして「レンジ」と呼ぶ家庭で育った妻。夫がちょっとだけ冷めかかった料理を妻に渡して、何気なく「ちょっとこれチンして」と頼む。三十年近くの長きにわたって、そういう場合には「ちょっとこれレンジにかけて」と言う家庭で育った妻は、夫の物言いに対して幼児的なかわいらしさを感じ、少しだけ嘲笑の混じった薄笑いを浮かべる。しかし、夫にはそれが許せない。自分は馬鹿にされた。しかも、自分にとっては普通の、そして当然の言葉遣いが嘲笑を受け蔑まれた。いたくプライドが傷ついてしまう。「チンして」と言うか「レンジにかけて」と言うかというほんの些細な違いが、○○家と××家のプライドをかけた諍いに発展する。端から見れば、あまりにも小さな、かつあまりにも馬鹿馬鹿しい問題が、本人達も気づかぬうちに、お互いの両親兄弟、一族のプライドをかけた深刻な問題へと発展していく。これはお互いに自分が育った環境が異なるというコンテクストのズレによる些細な指摘が、人格を否定されたかのごとき重みをもって感じられることによって生じた、馬鹿馬鹿しくも深刻な問題である。
■しかし、こうした諍いは、結婚生活が一年たち、二年たちするうちに、次第に減っていくものである。三年もたてばほとんどなくなる。お互いに距離感覚がわかってくるからである。夫婦関係が安定してくると言ってもよい。
■まあ、この時期になると、こういう小さなコンテクストの違いによる諍いではなく、本格的なトラブルが生じてくる夫婦も、決して少なくないけれど……(笑)。
■ある程度の教職経験があり、かつ結婚もしているという読者の皆さんは、事例1・2ともに思い当たるところがあり、ニヤリとほくそ笑むことができただろうと思う。しかし私は、この二つの事例を、そんな「世間話」レベルのエピソードとして並べたわけではない。
■ あなたの学級においても、事例1はいわゆる「濃いキャラクター」の転入生が入ってきた場合に、事例2は学級編成後の小グループが付いたり離れたりしている場合に、間違いなく同じ質のことが起こっているはずなのだ。
■発達心理学に「前思春期」という概念がある。十歳くらいから十二、三歳までの間、つまり、小学校高学年から中学一、二年くらいの間の時期を指している。この時期の子ども達が人間関係をつくる上での特徴は、「擬似恋愛」或いは「恋愛予行演習」としての、一種の同性愛的傾向を示すところにある。つまり、こういうことだ。
■いわゆる「思春期」には、異性を異性として意識し、異性との恋愛関係成就のために、相手との一体化を希求し始める。このこと事態はごく一般的なことなので、誰しも理解できるだろう。しかし、それ以前、「前思春期」と呼ばれる一時期、まだ異性と本格的に付き合うと考える以前の一時期に、同性の友人と精神的な同性愛のような感覚に至って、ものすごく深い友情や同族意識、同志意識によって固く結びつくことを求める時期があるのだ。小学校高学年から中学校の前半において、女子の間で小グループメンバーの盛んな入れ替えが行われたり、小グループ同士のかなり深刻な対立が生じたりする理由の一つとして、この「前思春期」の発達段階的な特徴が挙げられる。「そういえば……」と、読者の皆さんにも思い当たるところがあるはずである。大人になった現在もなお、幼なじみとして絶大な信用を与え合っている友人の顔を思い浮かべて欲しい。小学校高学年から中学校にかけて、あなたとその友人との間にどんな人間関係が生じていたかを。
■実はこの時期が、その後の人間関係の結び方、或いはその後の恋愛関係の結び方に大きな影響を与えるという。つまり、この時期の在り方が無意識のうちに、その後、他者と付き合っていく上でのスキルを学ぶ場、つまり、「作法」を学ぶ場になっているというのである。
■小学校の高学年、或いは中学校一、二年生の特徴として、学級編成後の一、二ヶ月は、学級全体が非常に良好な人間関係に見えるのに、ある時期から同性同士において(相対的には女子の方が活発に見えるのだが)急に小さな人間関係トラブルが頻発するようになる。しかし、学級という共同体が一年数ヶ月を経た時期から、人間関係が固定化するとともに、小さなトラブルは影を潜め、安定した人間関係が形成される。実はこれは、「前思春期」的な特徴をもつ子ども達が、同性他者に対するそれぞれの深い思い入れから関係を結び合おうとし、その距離感覚の違いからヤマアラシ・ジレンマを経験し続けた末に、学級の大多数の間に適切な距離が形成されるまでの期間なのである。この時期が過ぎると、人間関係は固定化し、てこでも動かなくなる。
■そこで学んだ人間関係の作法は、大人になっても一つの規範として無意識的に発揮される。職員室での新任者の動きや、新婚当初に見られる小さなトラブルでさえ、実は個々の「作法」の違いによって起こっているのである。
[ 12:13 ]
[ 匹夫の裕/仕事術 ]
1日(火) 新年度準備1日目。会議の連続。1学年主任。生徒数113名。学年所属教師8名(養護教諭を含む)。メンツ的には慣れ親しんだ人たち。楽しく充実した1年になりそうだ。
2日(水) 新年度準備2日目。今日も会議の連続。しかも午後からは特別委員会の連続。
3日(木) 新年度準備3日目。会議の連続。第1期時間割作成開始。
4日(金) 新年度準備4日目。運営委員会に職員会議。14時に終了し、事務仕事。19時から学年の懇親会。今年1年を過ごす同僚と小宴。2時まで。
5日(土) 教師力BRUSH-UPセミナーの学習会。既に13回目を迎える。基調講演とシンポジウム。二日酔いでひどい一日。夜はすすきので宴会。21時お開き。外出しているうちにPICOの足が麻痺し、入院したとのこと。
6日(日) 動物病院からの連絡を待ちながらの一日。PICO、ヘルニアの手術。かなり危険な状態とのこと。
7日(月) 42回目の誕生日。始業式。明日の入学式の準備をして、夜は動物病院へ。手術は一応成功したが、予断を許さないとのこと。神経が壊死している箇所がある可能性あり。脊椎軟化症の可能性が50%。脊椎軟化症ということになれば、3~7日で死んでしまうとのこと。神頼み。面会するがまったく元気なし。
8日(火) 午前中は入学式準備。午後は入学式。学級PTA。夕方から動物病院にてPICOに面会。まったく元気なし。
9日(水) 午前中はすべて学活。第1期時間割完成。今日は動物病院が定休日。面会できず。PICOが死ぬか生きるかは明日の面会でほぼわかるだろうとのこと。
10日(木) 学力テスト。学級委員選出。学級組織づくり。放課後は学年委員会。夕方から動物病院にて面会。右足に少し力が入り始めているとのこと。脊椎軟化症の可能性はかなり減ったとのこと。
11日(金) 1年2組で授業開き。視角トリックを用いてのいつもの授業開き。午後から新入生歓迎会。夕方は動物病院。顔をなめてくる元気がある。少しずつ元気になってきている様子。ただ、背中の8センチほどの傷跡が痛々しい。病院の後、職場の宴会に合流。1時まで日本酒。痛飲。
12日(土) 学力テスト採点。夕方から動物病院。日に日に元気になってくる。動物の快復力のなんと素晴らしいことか。
13日(日) のんびり過ごす。夕方から動物病院にて面会。退院も近いとのこと。脊椎軟化症の可能性もゼロに。保護者に電話をかけ、学級PTAの役員が決まる。
14日(月) 第1期時間割開始。1組と4組で授業開き。2組で「竹取物語」の暗唱。学活は班ポスターづくり。学級目標が「凛」ら決定。放課後は学年会。夕方から動物病院。PICO退院。
15日(火) 3組で授業開き。1・2組で「竹取物語」の暗唱。学活は班ポスター。PTA総会。学級PTA。5/10の累積国研案内発送作業。
16日(水) 朝学活終了後、教育センターへ。同僚の10年研修担当なので説明会に参加。午後から学校に戻り、4組で「竹取物語」の暗唱。放課後は教務部会。
17日(木) 学級写真撮影。1組で「竹取物語」の暗唱テスト。3組で暗唱指導。学活は班ポスター。放課後は運営委員会。
18日(金) 2・3・4組で「竹取物語」の暗唱テスト。学活は班ポスターの完成。学級目標の掲示物が完成。夜は職場の歓迎会に出席せずに動物病院へ。
19日(土) バドミントン部のスガワラ杯。手稲東中にて。
20日(日) スガワラ杯2日目。手稲東中にて。女子シングルスで一人が勝ち残っただけ。残念。夕方から動物病院へ。
21日(月) 1・2・4組で「竹取物語」の筆記テスト。学活は係ポスターの作成開始。放課後は職員会議。
22日(火) こまごまとした事務仕事。4組で「竹取物語」の口語訳と指示語の授業。放課後は部活動結成集会。夕方から動物病院。
23日(水) 3組で「竹取物語」の筆記テスト。1・2組で口語訳と指示語。午後は学年集会。野外学習実行委員会主催のまずまずの集会。生徒達はまずまずNo原稿に対応していた。放課後はPTA専門部会。学年PTAの委員長・副委員長を決め、年度計画を建てる。
24日(木) 夜中から咳き込み、午前中の授業を同僚に頼んで呼吸器科へ。ぜんそくの疑いあり。午後から出勤して係ポスターづくり。完成。臨時教務部会。明日の評価評定研修会の内容確認。
25日(金) 身体測定。測定結果の転記作業。学年団でスープカレーを食べに行き、午後から評価評定研修会。20周年事業実行委員会。
26日(土) 学年団で野外学習の下見。円山動物園・札幌スターライトドームへ。スターライトドームのプラネタリウムは予想していた以上の施設だった。終了し次第、スガワラ杯の全市大会に合流。ファイナルの末に辛勝。とにかく勝ち進んだことは大きい。
27日(日) 2週間ぷりの休日。犬と散歩、借りてきたDVDを見るなどしてゆっくり休む。原稿を2本書く。
28日(月) 1・2・4組で「動物の睡眠と暮らし」の範読・音読練習・段落確認。午後は認証式。放課後は臨時学年会。野外学習の係細案を決定。更に30日の保護者集会資料の印刷・帳合。
29日(火) 原稿を1本。取材が1件。犬の散歩をした後、「23」「39」とDVDを2本。
30日(水) 3組で「竹取物語」の口語訳。2組で「動物の睡眠と暮らし」を使って上位語・下位語・樹形図の授業。5校時の1組の授業参観も同じ授業。保護者集会。課外活動振興会総会。更にバドミントン部強化練習のメニューを決定。久し振りにみっちり練習につく。
2日(水) 新年度準備2日目。今日も会議の連続。しかも午後からは特別委員会の連続。
3日(木) 新年度準備3日目。会議の連続。第1期時間割作成開始。
4日(金) 新年度準備4日目。運営委員会に職員会議。14時に終了し、事務仕事。19時から学年の懇親会。今年1年を過ごす同僚と小宴。2時まで。
5日(土) 教師力BRUSH-UPセミナーの学習会。既に13回目を迎える。基調講演とシンポジウム。二日酔いでひどい一日。夜はすすきので宴会。21時お開き。外出しているうちにPICOの足が麻痺し、入院したとのこと。
6日(日) 動物病院からの連絡を待ちながらの一日。PICO、ヘルニアの手術。かなり危険な状態とのこと。
7日(月) 42回目の誕生日。始業式。明日の入学式の準備をして、夜は動物病院へ。手術は一応成功したが、予断を許さないとのこと。神経が壊死している箇所がある可能性あり。脊椎軟化症の可能性が50%。脊椎軟化症ということになれば、3~7日で死んでしまうとのこと。神頼み。面会するがまったく元気なし。
8日(火) 午前中は入学式準備。午後は入学式。学級PTA。夕方から動物病院にてPICOに面会。まったく元気なし。
9日(水) 午前中はすべて学活。第1期時間割完成。今日は動物病院が定休日。面会できず。PICOが死ぬか生きるかは明日の面会でほぼわかるだろうとのこと。
10日(木) 学力テスト。学級委員選出。学級組織づくり。放課後は学年委員会。夕方から動物病院にて面会。右足に少し力が入り始めているとのこと。脊椎軟化症の可能性はかなり減ったとのこと。
11日(金) 1年2組で授業開き。視角トリックを用いてのいつもの授業開き。午後から新入生歓迎会。夕方は動物病院。顔をなめてくる元気がある。少しずつ元気になってきている様子。ただ、背中の8センチほどの傷跡が痛々しい。病院の後、職場の宴会に合流。1時まで日本酒。痛飲。
12日(土) 学力テスト採点。夕方から動物病院。日に日に元気になってくる。動物の快復力のなんと素晴らしいことか。
13日(日) のんびり過ごす。夕方から動物病院にて面会。退院も近いとのこと。脊椎軟化症の可能性もゼロに。保護者に電話をかけ、学級PTAの役員が決まる。
14日(月) 第1期時間割開始。1組と4組で授業開き。2組で「竹取物語」の暗唱。学活は班ポスターづくり。学級目標が「凛」ら決定。放課後は学年会。夕方から動物病院。PICO退院。
15日(火) 3組で授業開き。1・2組で「竹取物語」の暗唱。学活は班ポスター。PTA総会。学級PTA。5/10の累積国研案内発送作業。
16日(水) 朝学活終了後、教育センターへ。同僚の10年研修担当なので説明会に参加。午後から学校に戻り、4組で「竹取物語」の暗唱。放課後は教務部会。
17日(木) 学級写真撮影。1組で「竹取物語」の暗唱テスト。3組で暗唱指導。学活は班ポスター。放課後は運営委員会。
18日(金) 2・3・4組で「竹取物語」の暗唱テスト。学活は班ポスターの完成。学級目標の掲示物が完成。夜は職場の歓迎会に出席せずに動物病院へ。
19日(土) バドミントン部のスガワラ杯。手稲東中にて。
20日(日) スガワラ杯2日目。手稲東中にて。女子シングルスで一人が勝ち残っただけ。残念。夕方から動物病院へ。
21日(月) 1・2・4組で「竹取物語」の筆記テスト。学活は係ポスターの作成開始。放課後は職員会議。
22日(火) こまごまとした事務仕事。4組で「竹取物語」の口語訳と指示語の授業。放課後は部活動結成集会。夕方から動物病院。
23日(水) 3組で「竹取物語」の筆記テスト。1・2組で口語訳と指示語。午後は学年集会。野外学習実行委員会主催のまずまずの集会。生徒達はまずまずNo原稿に対応していた。放課後はPTA専門部会。学年PTAの委員長・副委員長を決め、年度計画を建てる。
24日(木) 夜中から咳き込み、午前中の授業を同僚に頼んで呼吸器科へ。ぜんそくの疑いあり。午後から出勤して係ポスターづくり。完成。臨時教務部会。明日の評価評定研修会の内容確認。
25日(金) 身体測定。測定結果の転記作業。学年団でスープカレーを食べに行き、午後から評価評定研修会。20周年事業実行委員会。
26日(土) 学年団で野外学習の下見。円山動物園・札幌スターライトドームへ。スターライトドームのプラネタリウムは予想していた以上の施設だった。終了し次第、スガワラ杯の全市大会に合流。ファイナルの末に辛勝。とにかく勝ち進んだことは大きい。
27日(日) 2週間ぷりの休日。犬と散歩、借りてきたDVDを見るなどしてゆっくり休む。原稿を2本書く。
28日(月) 1・2・4組で「動物の睡眠と暮らし」の範読・音読練習・段落確認。午後は認証式。放課後は臨時学年会。野外学習の係細案を決定。更に30日の保護者集会資料の印刷・帳合。
29日(火) 原稿を1本。取材が1件。犬の散歩をした後、「23」「39」とDVDを2本。
30日(水) 3組で「竹取物語」の口語訳。2組で「動物の睡眠と暮らし」を使って上位語・下位語・樹形図の授業。5校時の1組の授業参観も同じ授業。保護者集会。課外活動振興会総会。更にバドミントン部強化練習のメニューを決定。久し振りにみっちり練習につく。
2008/04/29のBlog
[ 11:54 ]
[ 裕弁は銀/日常思索 ]
[ 11:51 ]
[ 裕弁は銀/日常思索 ]
2008/03/17のBlog
[ 21:05 ]
[ 裕弁は銀/日常思索 ]
■先日のストライキに参加した教員に対する処分が札幌市教委から発表された。ストに参加した約1900人のうち、公務に支障を来した約200人が戒告、残りの1700人近くは訓告のみである。1万2000人のすべてを一律戒告にした道教委と処分が割れた形となった。同じ財布から給料が支払われている教員なのに、道教委管轄か市教委管轄かによって処分に軽重がある。不公平な処分である。特に道教委に処分された教員たちには我慢ならないだろう。
■しかし、事はそう簡単ではない。市教委と道教委とでは、一見、道教委の方が厳しい処分に見える。しかし、おそらく、現実的に組合に対してより厳しい処分を課したのは札幌市教委である。道教委は全員を戒告にしてしまった。つまり、このカットされた給与は北教組が保障するということだ。とすれば、今回、戒告処分を受けた人たちは、そう簡単には組合をやめられなくなったということである。ところが市教委は多くの教員を文書訓告のみにした。つまり、この人たちは組合をやめても、少なくとも金銭的には負荷がかからないのである。おそらく今回訓告処分を受けた組合員のうち、2~3割は近いうちに組合をやめるだろうと予想される。そうなれば、明らかに札幌市教委の勝利である。市教委もうまいことを考えたもんだ。……と、勝手に想像しているが、私には札幌市教委の意図がこのように見える。うがっているだろうか……。だって、組合幹部には1割カット、公務を放り出したばりばりの組合員には厳しい処分、それに比べて、組合の方針に従っただけの組合員に対するきわめて温情的な措置。どう考えても、そうとしか思えないですもんね。
■こう考えてくると、北教組の先日のスト自体が、実は組合の組織率を維持するための捨て身の策だったのではないか、とさえ思えてくる。ここ数年、じりじりと組織率が低下し続け、それに業を煮やした北教組が意図的に行政に組合員を処分させて、組合員に組合をやめづらくさせたのではないか。あのストは7.5%と賃カツが妥結したにもかかわらず、教員評価のみを対象に行われた。だれもがそれをふしぎに思っていた。全国的に既定路線となっている教員評価だけをネタに、1時間のストを打つ必要があるのか。しかし、これが多くの組合員が処分されることを前提に、組合が組織率低下を止めるためにとった苦肉の策だったということになれば、その正当性はともかくとして、組織としてはありうる戦略であると思う。道教委はそれにまんまと引っかかってしまったわけだ。しかし、市教委はそれを読んだ。違うかなあ……。
■しかし、事はそう簡単ではない。市教委と道教委とでは、一見、道教委の方が厳しい処分に見える。しかし、おそらく、現実的に組合に対してより厳しい処分を課したのは札幌市教委である。道教委は全員を戒告にしてしまった。つまり、このカットされた給与は北教組が保障するということだ。とすれば、今回、戒告処分を受けた人たちは、そう簡単には組合をやめられなくなったということである。ところが市教委は多くの教員を文書訓告のみにした。つまり、この人たちは組合をやめても、少なくとも金銭的には負荷がかからないのである。おそらく今回訓告処分を受けた組合員のうち、2~3割は近いうちに組合をやめるだろうと予想される。そうなれば、明らかに札幌市教委の勝利である。市教委もうまいことを考えたもんだ。……と、勝手に想像しているが、私には札幌市教委の意図がこのように見える。うがっているだろうか……。だって、組合幹部には1割カット、公務を放り出したばりばりの組合員には厳しい処分、それに比べて、組合の方針に従っただけの組合員に対するきわめて温情的な措置。どう考えても、そうとしか思えないですもんね。
■こう考えてくると、北教組の先日のスト自体が、実は組合の組織率を維持するための捨て身の策だったのではないか、とさえ思えてくる。ここ数年、じりじりと組織率が低下し続け、それに業を煮やした北教組が意図的に行政に組合員を処分させて、組合員に組合をやめづらくさせたのではないか。あのストは7.5%と賃カツが妥結したにもかかわらず、教員評価のみを対象に行われた。だれもがそれをふしぎに思っていた。全国的に既定路線となっている教員評価だけをネタに、1時間のストを打つ必要があるのか。しかし、これが多くの組合員が処分されることを前提に、組合が組織率低下を止めるためにとった苦肉の策だったということになれば、その正当性はともかくとして、組織としてはありうる戦略であると思う。道教委はそれにまんまと引っかかってしまったわけだ。しかし、市教委はそれを読んだ。違うかなあ……。
2008/03/15のBlog
[ 23:59 ]
[ 裕々自適/書斎日記 ]
■昨日、無事、卒業式が終わりました。生徒たちの三年間を締めくくるにふさわしい、荘厳な中に温かさのある、良い式でした。特に卒業生合唱・全校合唱とも、卒業式にふさわしい、すばらしいものになったことは、この子たちを受け持ってきた学年主任として誇りを感じることができました。私人としましても、おそらくは、人生に幾度とないであろう日となったと感じております。
■全国的に、卒業式に際しての混乱が報道されております。道内のある都市では式場の窓ガラスが割られ、埼玉の川口では窓ガラスに加えて駐輪場での放火、福岡県のある町では校長・教頭不在のまま、警察が待機しての卒業式が行われました。まるで80年代のようなニュースが飛び交った一日、現在、大きな心配事もなく、普通に卒業式を行えるだけでも希少価値なのかもしれません。しかも、勤務校では、卒業生全員がステージに登壇し、卒業証書を授与されました。これも今日の中学校の教育情勢に鑑みますと稀有(まれ)なことと言わざるを得ません。そんな全国的な情勢のなかで、勤務校の卒業式も行われていたのだと、改めて感じさせられました。
■在校生送辞において、卒業生から学ぶべき点として、「日常的には笑顔で盛り上がる雰囲気でありながらも、行事その他のやるべきことには集中して取り組む切り替えの見事さ」(抄)との言葉があり、外から見た子どものなかにも私の目指したものが伝わっていることに嬉しさを感じました。卒業生答辞においても、「中学校生活を基盤として自分の足で旅立つ」旨の決意があり、頼もしく思われました。私の学級で三年間にわたって指揮者を務めた生徒が全校生徒を前に堂々と指揮をとったことも喜びでした。最終学活の後は、学年集会を開いて、多くの保護者の見守る中、多くの生徒たちが涙と笑顔とともに「フィンランディア」を合唱し、三本締めで散会をさせていただきました。保護者の皆様からも温かいお言葉をいただき、学年所属教師ともども、この三年間の苦労が報われた思いです。ありがとうございました。あとは生徒たちに、中学校生活をよい意味で早く忘れてもらい、新たな場で新たな目的に向かって邁進してもらえればと考えております。
■生徒たちへ。中学校をできるだけ早く忘れなさい。過去を引きずると現在と摩擦が生じます。それは子どもだけでなく、大人でもそういうものなのです。教師でさえ、転勤とともに前の学校を引きずり、現任校と摩擦を生じる人がたくさんいます。「中学校に遊びに行こう」などとも、できるだけ考えない方がよいでしょう。中学時代の担任も先生方も、そして後輩たちも、いままでの先生方や生徒たちではなくなっています。みなさんに新たな高校生活が始まっているように、先生や後輩にも新たな生活が始まっているのです。そしてその新たな生活にとって、みなさんは参加者ではないのです。先生方は新たな教え子にかかりきり、後輩たちは新たな立場と目的をもって毎日を過ごしています。懐かしさにちょっと寄ってみたとしても、どこか他人行儀に見えて、懐かしいはずの人たちにどこか冷たさを感じるだけです。どうしようもなく、そういうものなのです。みなさんが二十歳を超えるまで、私は同窓会には行きません。誘わないでください。立場上、未成年の酒と煙草が見られる場所に、私は居合わせることができません。そういうことですので、誘われても断り続けますが、ご容赦下さい。人には立場によってできることとできないことがあるのです。みなさんが二十歳を超えて、そのときに私がまだ生きていたならば、合唱コンクールや学校祭のビデオでも見ながら、また笑い合う日が来るかも知れません。いずれにしても、詳しくは書けませんが、みなさんのおかげで私はずいぶんと「いい思い」をさせていただきました。ありがとう。
■三年間という、人生の25分の1をかけるに値する、すばらしい子どもたちに出会えたことに感謝しつつ、そして子どもたちの人生の25分の1にかかわった責任を腹に据えつつ、昨日の午後からはゆっくりと風呂に入り、マッサージに行くなどして、心穏やかに休養させていただいております。こんな穏やかな休日も久し振りだな、と感じております。私を評して「ライオンの仮面を被ったハムスター」と見事な分析を施した保護者がいらっしゃいましたが(笑)、まさに言い得て妙、心穏やかに日常を過ごすことはほとんどありません。しかし、教師の強さとはこの日が来ることを知っていること、と言えるかも知れません。私には入学式の日から、いえ、現任校に赴任し、学年主任として生徒たちを三年間率いることが決まったその日から、この日が意識されていました。
■保護者のみなさまの三年間にわたるご理解とご協力に感謝しつつ、生徒たち、そして保護者のみなさまのご健康とご多幸をお祈り申し上げて、御挨拶に代えさせていただきます。
■全国的に、卒業式に際しての混乱が報道されております。道内のある都市では式場の窓ガラスが割られ、埼玉の川口では窓ガラスに加えて駐輪場での放火、福岡県のある町では校長・教頭不在のまま、警察が待機しての卒業式が行われました。まるで80年代のようなニュースが飛び交った一日、現在、大きな心配事もなく、普通に卒業式を行えるだけでも希少価値なのかもしれません。しかも、勤務校では、卒業生全員がステージに登壇し、卒業証書を授与されました。これも今日の中学校の教育情勢に鑑みますと稀有(まれ)なことと言わざるを得ません。そんな全国的な情勢のなかで、勤務校の卒業式も行われていたのだと、改めて感じさせられました。
■在校生送辞において、卒業生から学ぶべき点として、「日常的には笑顔で盛り上がる雰囲気でありながらも、行事その他のやるべきことには集中して取り組む切り替えの見事さ」(抄)との言葉があり、外から見た子どものなかにも私の目指したものが伝わっていることに嬉しさを感じました。卒業生答辞においても、「中学校生活を基盤として自分の足で旅立つ」旨の決意があり、頼もしく思われました。私の学級で三年間にわたって指揮者を務めた生徒が全校生徒を前に堂々と指揮をとったことも喜びでした。最終学活の後は、学年集会を開いて、多くの保護者の見守る中、多くの生徒たちが涙と笑顔とともに「フィンランディア」を合唱し、三本締めで散会をさせていただきました。保護者の皆様からも温かいお言葉をいただき、学年所属教師ともども、この三年間の苦労が報われた思いです。ありがとうございました。あとは生徒たちに、中学校生活をよい意味で早く忘れてもらい、新たな場で新たな目的に向かって邁進してもらえればと考えております。
■生徒たちへ。中学校をできるだけ早く忘れなさい。過去を引きずると現在と摩擦が生じます。それは子どもだけでなく、大人でもそういうものなのです。教師でさえ、転勤とともに前の学校を引きずり、現任校と摩擦を生じる人がたくさんいます。「中学校に遊びに行こう」などとも、できるだけ考えない方がよいでしょう。中学時代の担任も先生方も、そして後輩たちも、いままでの先生方や生徒たちではなくなっています。みなさんに新たな高校生活が始まっているように、先生や後輩にも新たな生活が始まっているのです。そしてその新たな生活にとって、みなさんは参加者ではないのです。先生方は新たな教え子にかかりきり、後輩たちは新たな立場と目的をもって毎日を過ごしています。懐かしさにちょっと寄ってみたとしても、どこか他人行儀に見えて、懐かしいはずの人たちにどこか冷たさを感じるだけです。どうしようもなく、そういうものなのです。みなさんが二十歳を超えるまで、私は同窓会には行きません。誘わないでください。立場上、未成年の酒と煙草が見られる場所に、私は居合わせることができません。そういうことですので、誘われても断り続けますが、ご容赦下さい。人には立場によってできることとできないことがあるのです。みなさんが二十歳を超えて、そのときに私がまだ生きていたならば、合唱コンクールや学校祭のビデオでも見ながら、また笑い合う日が来るかも知れません。いずれにしても、詳しくは書けませんが、みなさんのおかげで私はずいぶんと「いい思い」をさせていただきました。ありがとう。
■三年間という、人生の25分の1をかけるに値する、すばらしい子どもたちに出会えたことに感謝しつつ、そして子どもたちの人生の25分の1にかかわった責任を腹に据えつつ、昨日の午後からはゆっくりと風呂に入り、マッサージに行くなどして、心穏やかに休養させていただいております。こんな穏やかな休日も久し振りだな、と感じております。私を評して「ライオンの仮面を被ったハムスター」と見事な分析を施した保護者がいらっしゃいましたが(笑)、まさに言い得て妙、心穏やかに日常を過ごすことはほとんどありません。しかし、教師の強さとはこの日が来ることを知っていること、と言えるかも知れません。私には入学式の日から、いえ、現任校に赴任し、学年主任として生徒たちを三年間率いることが決まったその日から、この日が意識されていました。
■保護者のみなさまの三年間にわたるご理解とご協力に感謝しつつ、生徒たち、そして保護者のみなさまのご健康とご多幸をお祈り申し上げて、御挨拶に代えさせていただきます。
2007/11/30のBlog
[ 23:59 ]
[ 裕々自適/書斎日記 ]
■高校時代,仲の良かった友人が亡くなったらしい。ひょんなところから耳に入った。急性肺炎だそうだ。高校を卒業したあとの1年間,予備校でもいっしょだった。高校時代から僕は教師になると言い,彼は第一次産業を支える団体職員か,その手の企業で働くかしたいと言っていた。二人ともその職に就いた。順調に描いた通りの人生を歩んでいた。そう。90年代の半ばまでは。
■彼は北大の経済を優秀な成績で卒業した。水産関係の企業に就職した。あのバブルの絶頂期,売り手市場の就職戦線の中で,引く手あまたの北大生が水産関係の企業へ。ほとんど人気のない第一次産業関係の企業へ。十勝の田舎町出身の彼らしい選択だった。バブルがはじけ,身を粉にして働いた彼が体をこわして会社をやめたのが95年か96年だったと思う。地元の田舎町に帰った。ふるさとの町に新しく図書館が建つということで,そこの司書になろうと,資格をとるために勉強を始めた。もともと頭のいいヤツだったから,すぐに資格を得て,彼は地元の町の司書になった。この頃,彼は札幌に来るたびに僕と飲み,僕の家に一泊した。僕の家のすぐ近くの寿司屋で,ビールを飲みながら安い刺身ばかりを注文した。二人とも金がなかったのだ。安月給だが,ゆったりとした時間の中で,楽しく有意義な生活を送っていると彼は言った。たぶん本当にそう思っていたのだと思う。
■最後にあったのは,去年の1月2日。帯広の東急インでの同期会である。450人のうち,確か300名近くが集まったのではなかったか。そのときに同じクラスだった者達で撮った写真がここにある。担任の先生を中心に,男女二十数名が笑っている。彼は僕の隣にいる。確かにいる。でも,なぜだか,彼だけが口元を硬く結んで,表情がどこかこわばって見える。あの日はかつてのクラスメイト達と,確か3時過ぎまで飲んだはずだ。滅茶苦茶に酔ったという記憶しかない。3時にホテルにどう戻ったのかさえ,次の日には覚えていないような状況だった。彼と何時までいっしょだったのかさえ記憶にない。彼との最後の想い出を想い出すことができない。悔やまれてならない。
■去年の1月2日の時点で,450人のうち,4人が亡くなっていた。2人は自殺だったとも聞いた。彼はたぶん5人目なのだろうと思う。僕のクラスは2人目だ。10クラスあったのに,全部で5人,そのうち僕のクラスだけが2人……。なぜだ。僕にとっては,当然のように,またいっしょに飲むことがあるはずのヤツだった。人生とはなんとはかないものであり,なんと残酷なものであるのか。冥福を祈ったりする気にはならない。ただ帰ってきて欲しい。ビールを飲みながら,あのいかり肩で,もう一度,「堀はあの頃の夢の何割まで到達した?」と尋ねて欲しい。
■彼は北大の経済を優秀な成績で卒業した。水産関係の企業に就職した。あのバブルの絶頂期,売り手市場の就職戦線の中で,引く手あまたの北大生が水産関係の企業へ。ほとんど人気のない第一次産業関係の企業へ。十勝の田舎町出身の彼らしい選択だった。バブルがはじけ,身を粉にして働いた彼が体をこわして会社をやめたのが95年か96年だったと思う。地元の田舎町に帰った。ふるさとの町に新しく図書館が建つということで,そこの司書になろうと,資格をとるために勉強を始めた。もともと頭のいいヤツだったから,すぐに資格を得て,彼は地元の町の司書になった。この頃,彼は札幌に来るたびに僕と飲み,僕の家に一泊した。僕の家のすぐ近くの寿司屋で,ビールを飲みながら安い刺身ばかりを注文した。二人とも金がなかったのだ。安月給だが,ゆったりとした時間の中で,楽しく有意義な生活を送っていると彼は言った。たぶん本当にそう思っていたのだと思う。
■最後にあったのは,去年の1月2日。帯広の東急インでの同期会である。450人のうち,確か300名近くが集まったのではなかったか。そのときに同じクラスだった者達で撮った写真がここにある。担任の先生を中心に,男女二十数名が笑っている。彼は僕の隣にいる。確かにいる。でも,なぜだか,彼だけが口元を硬く結んで,表情がどこかこわばって見える。あの日はかつてのクラスメイト達と,確か3時過ぎまで飲んだはずだ。滅茶苦茶に酔ったという記憶しかない。3時にホテルにどう戻ったのかさえ,次の日には覚えていないような状況だった。彼と何時までいっしょだったのかさえ記憶にない。彼との最後の想い出を想い出すことができない。悔やまれてならない。
■去年の1月2日の時点で,450人のうち,4人が亡くなっていた。2人は自殺だったとも聞いた。彼はたぶん5人目なのだろうと思う。僕のクラスは2人目だ。10クラスあったのに,全部で5人,そのうち僕のクラスだけが2人……。なぜだ。僕にとっては,当然のように,またいっしょに飲むことがあるはずのヤツだった。人生とはなんとはかないものであり,なんと残酷なものであるのか。冥福を祈ったりする気にはならない。ただ帰ってきて欲しい。ビールを飲みながら,あのいかり肩で,もう一度,「堀はあの頃の夢の何割まで到達した?」と尋ねて欲しい。
2007/11/29のBlog
[ 21:29 ]
[ 裕々自適/書斎日記 ]
□児童や生徒のテスト結果など個人情報を教員が学校外に持ち出し、紛失するケースが相次いでいることから、東京都教育委員会が個人情報の扱いを詳細に定めた独自のガイドラインづくりに乗り出したことが25日、分かった。新たな管理基準は、教員に個人情報を含むメールの送信を禁じるほか、学校外で児童・生徒の情報を話題にした会話も禁止するなど厳格化した点が特徴という。違反した場合、厳しく処分する方針で検討している。(産経新聞/全文はこちら)
■おもしろいものである。東京がやり出したからには,数年で全国に波及する。我々がこれほどまでに信用されていないということを,これだけ明確に提示されると腹も立たない。かえって笑ってしまった。
■学芸大の山田先生がこの記事について,次のように書いている。
□それにしても、この囚人のような扱いは何だろう?/そして、度し難い誤解がこれだ。/--引用開始/都教委は、これまで断続的に注意喚起や再発防止を指示してきたが、ミスが絶えない原因を「個人情報保護に対する教員の意識が必ずしも高くない」と分析し、個人情報管理の厳格化が必要と判断した。/--引用終了/ミスが絶えない原因は、「教員の持ち帰り残業が日常化していること」ではないのか?/好きで重要書類を持ち歩く人はいない。自宅で仕事をしなければならないから、「持ち出し禁止」のファイルを持ち出さなければならないのだ。/何度でも繰り返すが、射程距離が短く、装甲が薄く、従って戦えば必ず負ける戦車をあてがっておいて、「大和魂で勝て」と絶叫していた旧日本軍のようだ。(山田雅彦@cocolog/2007.11.26/全文はこちら)
■この比喩もおもしろい。おもしろいけれど,現場教師から見ても,ちょっと教員を擁護しすぎかな…との印象を抱く。要因としては「教員の持ち帰り残業が日常化していること」が半分,「個人情報保護に対する教員の意識が必ずしも高くない」ことが半分,というのが実情だと思う。居酒屋で実名で生徒の悪口を言ったり,悪口でなくても指導上の個人情報をそうと意識せぬままに大声で話す教員は決して少なくない。
■私は昔から,個人情報を校外に持ち出さない。だからと言って残業もしない。「教員の持ち帰り残業が日常化していること」は確かに現実としてあるが,そういう教員たちの仕事が「遅い」ことも確かである。一つ一つの仕事があまりにも遅いので,持ち帰ることになってしまうという現実もあるのだ。結局,こういう問題の本質は,教員の資質・能力の〈スタンダード〉をどこに置くかという問題なのである。
■私が個人情報を校外に持ち出さない理由は,もう一つある。学校専用のPCを学校に置きっぱなしにしているからだ。もちろん,税金でPCなんて買ってもらえないから,個人のPCである。たぶん3割程度の教員はそうしていると思う。でも,7割の教員はノートPCを必要なときには自宅に持ち帰る。個人所有のPCだから罪悪感は抱きにくい。HDに個人情報が入ったまま,FDやCD-Rが入ったままなんてことも少なくないはずだ。仕事のために20万もの自腹を切って学校に置きっぱなしのPCを買おうとは,7割程度の教員は思わないということだ。私だって危機管理を考えて置きっぱなしPCを所有しているわけではない。ただ,持ち運びが面倒なだけである。それなら20万程度の金なら払った方がいいと思うタイプなだけである。時間と労力が金を払うことで解消されるなら,私は金を払う。そういう〈性格〉なだけである。たぶん,教員一人一人に一台ずつのPCを与え,そのPCを持ち出し禁にすれば,ほとんどの不祥事が防げるようになる。それでも起こった不祥事なら厳しく処罰もできる。でも,この国にはそんな金はない。結局,八方塞がりなのだ。
■今回の厳罰化でどの程度,個人情報漏洩の不祥事が減るのか,見守っていこうと思う。もしもこれで不祥事の減少に効果があったという有意なデータが出るのなら,北海道も,札幌市も導入すればいい。私はあまり困らないから,ただおもしろがるだけである。
■そういえば,進路相談の細かなやりとりを保護者とメールで交わしたことがあったなあ。ああいうこともできなくなるわけだ……。保護者からうちの子がいじめを受けているという報告をメールで受けたこともあったなあ。そういうこともできなくなるわけだ。生徒とのメールのやりとりも禁止になるんだなあ。ひきこもり型の不登校生徒が,メールでなら担任とコミュニケーションがとれる…なんていう事例もたくさんあるんだけどなあ。まあ,厳罰化されるんだから,全部ダメだよね。おもしろいものである。
■おもしろいものである。東京がやり出したからには,数年で全国に波及する。我々がこれほどまでに信用されていないということを,これだけ明確に提示されると腹も立たない。かえって笑ってしまった。
■学芸大の山田先生がこの記事について,次のように書いている。
□それにしても、この囚人のような扱いは何だろう?/そして、度し難い誤解がこれだ。/--引用開始/都教委は、これまで断続的に注意喚起や再発防止を指示してきたが、ミスが絶えない原因を「個人情報保護に対する教員の意識が必ずしも高くない」と分析し、個人情報管理の厳格化が必要と判断した。/--引用終了/ミスが絶えない原因は、「教員の持ち帰り残業が日常化していること」ではないのか?/好きで重要書類を持ち歩く人はいない。自宅で仕事をしなければならないから、「持ち出し禁止」のファイルを持ち出さなければならないのだ。/何度でも繰り返すが、射程距離が短く、装甲が薄く、従って戦えば必ず負ける戦車をあてがっておいて、「大和魂で勝て」と絶叫していた旧日本軍のようだ。(山田雅彦@cocolog/2007.11.26/全文はこちら)
■この比喩もおもしろい。おもしろいけれど,現場教師から見ても,ちょっと教員を擁護しすぎかな…との印象を抱く。要因としては「教員の持ち帰り残業が日常化していること」が半分,「個人情報保護に対する教員の意識が必ずしも高くない」ことが半分,というのが実情だと思う。居酒屋で実名で生徒の悪口を言ったり,悪口でなくても指導上の個人情報をそうと意識せぬままに大声で話す教員は決して少なくない。
■私は昔から,個人情報を校外に持ち出さない。だからと言って残業もしない。「教員の持ち帰り残業が日常化していること」は確かに現実としてあるが,そういう教員たちの仕事が「遅い」ことも確かである。一つ一つの仕事があまりにも遅いので,持ち帰ることになってしまうという現実もあるのだ。結局,こういう問題の本質は,教員の資質・能力の〈スタンダード〉をどこに置くかという問題なのである。
■私が個人情報を校外に持ち出さない理由は,もう一つある。学校専用のPCを学校に置きっぱなしにしているからだ。もちろん,税金でPCなんて買ってもらえないから,個人のPCである。たぶん3割程度の教員はそうしていると思う。でも,7割の教員はノートPCを必要なときには自宅に持ち帰る。個人所有のPCだから罪悪感は抱きにくい。HDに個人情報が入ったまま,FDやCD-Rが入ったままなんてことも少なくないはずだ。仕事のために20万もの自腹を切って学校に置きっぱなしのPCを買おうとは,7割程度の教員は思わないということだ。私だって危機管理を考えて置きっぱなしPCを所有しているわけではない。ただ,持ち運びが面倒なだけである。それなら20万程度の金なら払った方がいいと思うタイプなだけである。時間と労力が金を払うことで解消されるなら,私は金を払う。そういう〈性格〉なだけである。たぶん,教員一人一人に一台ずつのPCを与え,そのPCを持ち出し禁にすれば,ほとんどの不祥事が防げるようになる。それでも起こった不祥事なら厳しく処罰もできる。でも,この国にはそんな金はない。結局,八方塞がりなのだ。
■今回の厳罰化でどの程度,個人情報漏洩の不祥事が減るのか,見守っていこうと思う。もしもこれで不祥事の減少に効果があったという有意なデータが出るのなら,北海道も,札幌市も導入すればいい。私はあまり困らないから,ただおもしろがるだけである。
■そういえば,進路相談の細かなやりとりを保護者とメールで交わしたことがあったなあ。ああいうこともできなくなるわけだ……。保護者からうちの子がいじめを受けているという報告をメールで受けたこともあったなあ。そういうこともできなくなるわけだ。生徒とのメールのやりとりも禁止になるんだなあ。ひきこもり型の不登校生徒が,メールでなら担任とコミュニケーションがとれる…なんていう事例もたくさんあるんだけどなあ。まあ,厳罰化されるんだから,全部ダメだよね。おもしろいものである。