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裕弁は銀・沈黙は金~堀裕嗣.com
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2008/05/27のBlog
[ 23:17 ] [ 裕弁は銀/日常思索 ]
谷山浩子
★★★★

1. 犬を捨てに行く
2. 雨になりたい
3. おもちゃ
4. ダイエット
5. さよならのかわりに
6. 仇
7. 空からマリカが
8. 雨上がりの天使
9. 夢
10. わたしじゃない月のわたし

2001年。1曲目「犬を捨てに行く」に歌われる女心は圧倒的。詩人だな、と思う。理屈じゃない。谷山浩子の描く世界が好きだ。谷山浩子のつくる世界が好きだ。高校時代、午前3時からのオールナイトニッポンを聴いていた頃から、その思いは変わらない。当時、おたくの代表みたいに言われていた谷山浩子も、既に円熟期。その詩は明確に文学になってきている。あの木曜の深夜が懐かしい。
2008/05/26のBlog
[ 23:15 ] [ 裕弁は銀/日常思索 ]
BRUCE SPRINGSTEEN
★★★★★

1. Ties That Bind
2. Sherry Darling
3. Jackson Cage
4. Two Hearts
5. Independence Day
6. Hungry Heart
7. Out in the Street
8. Crush on You
9. You Can Look (But You Better Not Touch)
10. I Wanna Marry You
11. River

1. Point Blank
2. Cadillac Ranch
3. I'm a Rocker
4. Fade Away
5. Stolen Car
6. Ramrod
7. Price You Pay
8. Drive All Night
9. Wreck on the Highway

1980年。たぶんすべての洋楽アルバムの中で、このアルバムが一番好きだ。全曲、すべてに文句がない。特にタイトル曲は、すべての曲の中でもっとも好きな曲だ。冒頭のハモニカだけで、もうやられてしまう。死ぬときは「THE RIVER」を聴きながら死にたい。かつて、僕はここに描かれているような人生を送りたいと思っていた。しかし、年齢を重ねるとともに、こういう人生を送ることにはなかなか踏み出せないものだということを知った。
2008/05/25のBlog
[ 02:49 ] [ 裕弁は銀/日常思索 ]
SHOGUN
★★★★★

1. アズ・イージー・アズ・ユー・メイク・イット
2. ロンリー・マン
3. バッド・シティ
4. リヴィング・ウィズアウト・ユア・ラヴ
5. 友よ,心に風があるか
6. ドゥ・イット・トゥ・ユアセルフ
7. オトコタチノメロディ
8. サタデー・サイクロン
9. 走れ!オールドマン
10. 風に抱かれて
11. サンライズ・ハイウェイ
12. ワン・オン・ワン(ユーアー・ザ・ワン)
13. サー・ピアー
14. アンダー・ザ・レインボウ(ティローパズ・ソング)
15. イマジネーション
16. ユー・ターン・ミー・オン
17. キャッスル・ウォールズ

なんでこんなにいいんだろう……。なんでこんなにカッコいいんだろう……。なんでこんなに心に響くんだろう……。なんでこんなにたまらないんだろう……。なんでこんなに真夜中が似合うんだろう……。なんでSHOGUNのOの上の「-」が出せないんだろう……。SHOGUN、万歳!
[ 02:23 ] [ 裕々自適/書斎日記 ]
■最近読んだ『法律より怖い「会社の掟」』(稲垣重雄/講談社現代新書)によれば、近江商人は古くから「三方よし」を商売の規範として機能させてきたらしい。「三方よし」とは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」である。
■理屈としてはそれほど難しいことではない。第一に、商品の販売は、顧客の望むときにそのときの相場に応じて売るべし。先々の値上がりを思惑して売り惜しんではならない。売った側が安売りしすぎたかなと悔やむような取引であれば、買い手の方も利益が出ること間違いなく、売り手も買い手も満足する。その上、買い手は売り手との商取引を長続きさせることを考えるようになり、将来の長きにわたって半永続的な取引が続けられるようになる、というわけだ。第二に、始末と吝い(しわい)を心得るべし。始末とはモノを消費しても、その本来の効用を消費し尽くすことによって、真にモノを活かして使うような姿勢のこと。吝いとは、目先の欲得に囚われて、本来必要な支出や消費までも厭う守銭奴の態度。双方の違いをわきまえて行動すれば、必然的に金持ちになると言う。第三に、人に知られないように善行を施すべし。いわゆる「陰徳」である。陰徳はやがて世間に知られ、「陽徳」となる。近江商人は古くから社会貢献の一環として、治山治水、道路改修、貧民救済、寺社・学校教育への寄付を惜しまなかったと言う。これが世間に知られるようになり、商売が更に繁盛したとのこと。本質はシンプルであると、感嘆した次第である。
■「三方よし」を教育現場に当てはめれば、「教師よし、生徒よし、保護者よし」とでもなろうか。生徒が求めれば、教師は先々の面倒を思惑して教育サービスを惜しんではならない。教師が「ここまでやる必要があったのだろうか」と悔やむような教育サービスであれば、生徒の方も満足すること間違いなし。満足しないまでも納得することは間違いなかろう。その上、生徒は教師に対して、半永久的な信頼を寄せることになり、教師としても安定した仕事をすることにつながるわけだ。そのとき、教育サービスは本来の効用を施し尽くすことによって、教育サービスを真に活かすことが大切である。教師に研修の必要であることをあらわす何よりの理由となる。目先の欲得、休みたいとかなんとかなるだろうといったような、吝いに囚われてはならない。こうした教育サービスの提供、そして本来業務ではないサービスの提供は、「陰徳」として施すのがよい。「陰徳」はほどなく「陽徳」となり、「よい評判」となっていく。それが教師の仕事を更に安定させ、教師個人の安定のみならず、学校の安定、延ては学校の反映につながっていく。こういうわけだ。
■再び同書によれば、近江商人が「三方よし」を規範としたのには、二つの思想が前提となっていると言う。一つは、近江商人が「他国者意識」を抱いていたこと。近江商人の足跡は日本全国に広がっていて、遠くは蝦夷のニシンまで扱っていた。日本各地に店舗を構え、近江の本宅との間を往復して卸売りの商いをしていたわけである。近江とは遠く隔たった地域で店を構え、「この地では自分達は他国者、ヨソ者なのだ」という意識を強く持ち、身持ちを正しくしなければならないと考えていたと言う。もう一つは、「家業の永続」を願っていたこと。長期的展望に立った経営の重要性を意識し、商いの心得を記した文書を子や孫に当てて多く遺し、後継者がその意図するところを汲んで実践することを願っていたと言う。息の長い商売を目指す心がけは、ひとえに資本の有効活用、危険の分散、人材の活用等々、総じて経営合理主義となって結実したとも言う。こうした強い「他国者意識」と「家業の永続」の願いとが相俟って、顧客ばかりでなく、地域にも好意的に受容されることを目指す「三方よし」という規範が生み出されたと言うのである。
■教師は、特に都市部の教師は、まずもって勤務校の校区内に住むということがない。私などは勤務校か片道45分のところに住んでいる。その意味では、生徒や保護者から見れば「ヨソ者」である。多くの場合、地域の学校は、地域の人々が行政に陳情に陳情を重ねてやっと建ててもらった、という場合が多い。古くから地域に住む人たちはそれをよく覚えている。しかし、教師はそんなことなどまったく意識することなく、ただ自分に与えられた職場として、授業も生徒指導もルーティンワーク化させていく。また、教師は短くて4、5年、長くても10年以内には転勤するであろうことが予想されるため、また、一度転出すれば二度とその学校に勤めることがないことをわかっているため、勤務校の将来にわたる教育活動の質を維持していくこと、高めること等についてはまったくと言っていいほどに無頓着である。生徒や保護者や地域に好意的に受容されなかったとしても、転勤すればリセットできてしまう。「三方よし」などという思想が出てこない要因でもある。
■『法律より怖い「会社の掟」』を読んで、こんなことを考えていたら、「月刊生徒指導」(学事出版)の町田さんからメールが来て、8月号に「教師の多忙感の所以」「教師の時間の使い方の指南」といった原稿を書けと言う。これで閃いた。なぜ、昨今、教師は多忙感に苛まれているのか。それは学校が「三方よし」を規範としていないからである。教師は、自分のことだから、黙っていても「教師よし」は志向する。また、生徒や保護者にはそう思われないかもしれないが、ほとんどの教師は良心的で、「生徒よし」は志向している。生徒のためにならないと考えられることは、ほとんどの教師は忌避するものである。しかし、「保護者よし」「世間よし」については、多くの教師は意識していない。これがマスコミの教師批判・学校批判を生み出し、増幅させ、結果、教師の「アリバイづくり」としての事務仕事や「アリバイづくり」としての生徒指導(無内容な生徒への声かけとかカウンセリングマインドとか不必要なアンケートとそれに基づく注意の喚起とか)を増加させている。これらは、教師にとって不必要と感じられているがために、教師には徒労感しか与えない。つまりは世間が、そしてマスコミが「教師よし」の必要性を感じてくれていないのである。その結果、マスコミは、そのときの相場に基づいた、つまりはその時々の空気に基づいた、刹那的な教師批判でカタルシスをもたらすだけの報道に終始することになる。その空気を察知した悪質な保護者がモンスター・ペアレンツと化す。その空気を敏感に感じ取った生徒達がモンスター・チルドレンと化す。こうした悪循環が蔓延することになる。これが更に、教師の多忙感を増幅させる。おそらく、いま学校現場で起こっていることは、こうした悪循環である。こうした悪循環がスパイラルに増幅している。おそらくはそういうことである。