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裕弁は銀・沈黙は金~堀裕嗣.com
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2008/09/18のBlog
[ 23:08 ] [ 裕々自適/書斎日記 ]
昨日、高松高裁で我々教師にとっては看過できない判決が出された。96年8月、大阪府高槻市で行われた高校サッカーの大会中の落雷事故によって傷害を負った生徒とその保護者が、引率教諭・生徒在籍高校・大会主催者を相手取って6億4600万円の損害賠償を求めた裁判である。高松高裁は三者の注意義務を怠った過失を認め、3億7000万円の損害賠償の支払いを命じたというのである(ただし、この判決は最高裁の差し戻し審であるから、高松高裁独自の判断ではなく、いわば最高裁判決である)。
 私は別に、この落雷事故にあった生徒や保護者を責めたいわけではない。大変気の毒なことだし、治療費やリハビリにかかる費用、そして精神的・肉体的に受けざるを得なかった被害を考えれば、これでも安いとさえ感じるだろうと思う。私が「看過できない」という対象は、事故被害者ではない。私が言いたいのは、ここで提訴された顧問同様、部活動の顧問を務める者の一人として、この判決のごとき「リスク」は負えないな、従って部活動の顧問を降りるしかないな、ということである。
 つまり、こういうことだ。部活動は内部から見れば、つまり学校に勤めている教師から見ればボランティア、生徒や保護者から見れば学校教育の一部、そういう中途半端な、微妙な位置づけにある。簡単に言えば、法的に整備されていない、世の中の矛盾の一つなのである。その部活動に対して、公務、すなわち公の学校教育と同様の責任をもたされることが決まった、簡単に言うと今回の判決はそういうことなのだ。生徒や保護者には申し訳ないが、我々教師にとって、この判断だけは納得できない。
 これが公務中の事故ならば、私はまったく異論がない。例えば、私は明日、生徒111名を引率して、学年行事として円山動物園で校外学習を行うことになっている。この校外学習中に円山動物園に落雷があり、私の管理下において生徒に障害の残るような事故があったとする。この場合、私は自分が提訴されても仕方がないと思う。損害賠償請求に対し、家その他の財産を売却しても、誠意を示さねばならないと思う。私はその責任を自覚して仕事をしている。しかし、部活動はこれとは異なる。部活動は私の給与の対象ではない。しかも、私は部活動の顧問を務めるにあたって、一銭の現金も受け取っていない。部活入会時に生徒が支払う会費から顧問に支給されることになっている30000円の受け取りを私は拒否している。これをもらう謂われがないと考えているからだ。札幌市が市費で部活顧問に年間7000円弱の現物支給を行うことになっているが、私はこれもバドミントンのシャトルを購入して生徒に還元している。部活動というものが給与の対象ではなく、従って「仕事」ではなく、あくまでも「善意」でやるものだと考えているからである。ただただ生徒かわいさの「善意」によって時間と労力を割いている、それが部活動なのだ。
 例えば、大学出たての新卒教員が学級担任をもつとする。これは「公務」である。従って、このとき、この若い学級担任に対しては学年主任がフォローする責任をもち、生徒指導主事がその学級の生徒指導に学級担任同様の責任をもつことになる。つまり、その学級はA先生という若い担任の学級でありながら、実はその先生だけの学級などではなく、学年団を構成する教師、生徒指導部の教師、そしてもちろん管理職と、みんなで責任をもつ、そういう構成、そういうシステムになっているのである。従って、学年主任も生徒指導部長も管理職も、そのA先生の学級運営に難点があれば責任をもって指導もするしフォローもする。これが「公務」というものの当然の在り方だろう。
 しかし、部活動は違う。学生時代に運動などしたことのない新卒のB先生が、赴任した学校の学校事情によってルールも知らない競技の部活動を担当するなどということはざらにある。しかもこういう練習方法がいいよ、こういう練習の方が効果があるよ、こういうところがまずいよ、という指導・フォローを与えてくれる人間はほとんどいない。そもそも、その競技の専門家が学校にいないからこそ、専門外のド素人が顧問になっているのである。指導・フォローをする能力をもっている教員がいるなら、その人が顧問になるはずではないか。
 さて、このB先生がもつことになった部活がサッカー部だとしよう。大会があって、生徒たちを引率したとしよう。試合前に雷が鳴り、試合を中止した方がいいのではないかと思ったとしよう。しかしこのとき、B先生に大会主催者に対して「中止しよう」と進言することが果たして可能だろうか。いや、仮に進言したとして、それが受け入れられることがあり得るだろうか。そもそもこの大会の運営において、現実的にこの先生に発言権があるだろうか。今回の判決は、こうした中でも、事故が起こった場合には、責任だけは学校・主催者と並んでとらされるということなのである。少なくとも、そうした判例が出てしまったということなのである。私たちとしては、この論理は受け入れられない。「権利」のないところに「義務」と「責任」だけをかぶせられても困る、というのが本音である。
 私は現在、バドミントン部の顧問だが、その公務外の立場以上に重要であり、給与の対象ともなっている、学年主任・学級担任・教務部という公務上の立場がある。放課後に会議と部活動の練習があれば必ず会議に出る。生徒指導と部活の練習があれば必ず生徒指導を優先する。部活動とは、こういう法的に何の根拠もない、昔ながらの「なあなあのシステム」として位置づけられているのである。このような部活動顧問という立場に、公務と同様の「義務」と「責任」を課せられるとするなら、それは自分を守るために「部活をもたない」という判断をせざるを得ない。私にだって家族もいるし、生活もあるのだ。しかも、部活というものは当然のことながら、その性質上、公務以上に事故の起こりやすい環境なのである。ボールが飛び交い、バットやラケットがフルンブルンと振られ、時には人を投げたり、人に投げられたりする。それが部活なのだ。これは個人が責任を負える範囲を超えているのではないか。
 こうした矛盾を解消する手だてはいくつかあるだろう。まず考えられるのは、部活顧問に「責任」を負わせられるように正当な指導費を支払うこと、である。しかし、そんな財政的裏付けがあるはずもない。受益者負担と言うことになれば、現在、年間3500~4000円に設定されている部活動参加費は20~30倍程度にはせねばなるまい。これも現実的には無理だ。とすれば次に考えられるのは、部活動を公務に位置づけること。つまり、ちゃんと給与対象にすることである。この場合には、部活顧問を学級担任と同じような位置づけにしなければならなくなる。つまり、主幹・教務主任・生徒指導主事・進路指導主事・学年主任など要職に就いている者には部活はもてない、おそらくは学級担任をもっている者にも部活はもてない、ということにしなければならなくなるだろう。放課後に会議を入れないか、会議のある日は部活動は中止ということにせざるを得なくもなるだろう。おそらく勤務時間を超えての指導は残業手当の対象にもせねばなるまい。結局、これも無理なのだ。要するに、学校の教員を大幅に増員しなければ両立しないのである。これも財政的に無理なのだ。では、どうするか。どうしようもない、というのが結論である。
 かつて、こういう事件があった。買い物に行くために、ある主婦が仲のいいお隣の主婦に我が子をあずかってもらった。しかし、あずかった主婦がちょっと目をはなしたすきに、その子が池に落ちて死んでしまった。母親はその主婦を相手取って損害賠償請求の訴訟を起こした。裁判所はあずかった主婦の過失を認め、賠償を命じた。新聞報道でそれを知った人たちが何人も、子どもを亡くした母親に批判的な電話をしたり手紙を書いたりし、この主婦は精神を病んでしまった。結局、示談が成立したのだが、子をあずけた主婦も、子をあずかった主婦も、お互いに精神的にも肉体的にもぼろぼろになってしまった。ずいぶんと大きく報道された事件だから、覚えておられる方も多いと思う。確か私が小学生だった頃の事件だ。私がいま感じている矛盾は、この事件がはらんでいた哀しさに似ている。
 いずれにしても、私は次年度から、部活動の顧問は絶対に引き受けないことを決意した。今回の判決は、私には看過できない。
2008/09/15のBlog
【表の五冊】
 私が国語の授業をつくるにあたって影響を受けた本は、数え上げればきりがない。また、私はどちらかというと、教育技術を紹介した本よりも、国語科教育の理念について述べた本の方から影響を受けている。いわゆる授業技術や授業のネタに関しては、教育書よりも一般書から得られたものが多い。言語技術はビジネス書、文学教育は文芸批評書や思想書、授業のネタは乱読の文庫や新書というように。今回は読者諸氏に役立つようにとの思いから、私に少なからぬ影響を与えた本の中で、①いまも手に入りやすい、②国語科を専門としない小学校教師にとっても絶対に役に立つ、この二つの観点で五冊を選んでみた。

『論理的思考』宇佐美寛・メヂカルフレンド社・1979年2月・1900円
 筆頭は宇佐美先生である。この本は、教師なら絶対に読んだ方がいい。
 「論理的思考」という書名からはなんとなく固いイメージを受けるだろうが、決してそのような内容ではない。むしろ、子どもの作文、子どもの意見をどう読み取るか、自分が子どもに対して表現するときには何を気をつけるべきなのか、そうした教師としての教授行為そのものについて深く反省させられる、そういう本である。比喩的に言えば、『授業の腕を上げる法則』(向山洋一・明治図書)と同内容のことを、授業よりも広い視野で語っている、といった趣の本である。

『国語科教材分析の観点と方法』大内善一・明治図書・1990年2月・2370円
 いろいろなところで紹介してきたので、古くから私とつきあいのある方々からは「またか…」と言われそうだが、この本は絶対におすすめである。教材研究ができないと悩む小学校教師は多い。自分にも教材分析ができたなら、もう少し国語の授業を楽しく、有意義なものにできるはずだ、というわけである。私も多くの小学校教師からそういった相談を受けた。
 しかし、簡単に言えば、そうした人たちには絶対的な「知識」が足りないのである。「経験」を重ねるだけでは限界がある。「知識」を得て、目的的な「経験」を積んでこそ、教材研究ができるようになるのだ。この本はたった220頁で、ここで言う「知識」の総体を示してくれる。これを読んで「知識」を得、3年から5年の「経験」を積めば、教材研究ができるようになることを、私が保証する。

『「詩の技法」をどう教えるか』小海永二監修・言語技術教育学会長岡支部著・明治図書・1997年10月・1600円
 詩人の小海永二が監修し、長岡の「読み研」グループがつくった良書である。
 中学校一年生に授業をしていていつも思うことは、小学校で表現技法がほとんど指導されていないということである。それで一年生の一学期が表現技法の指導中心になってしまう。十年前の私はよくそれに腹を立てていたものだが、いまは「そうか。小学校の先生方は、表現技法とその効果を知らない人が多いのだ」と思うようになった。国語を専門としていなければそんなものなのかもしれない、と思うようになったわけだ。
 そこで、この本である。この本には、小学校から高校までに習うすべての表現技法が載っていると思っていただいていい。「詩の技法」という言葉が書名になっているが、詩の読解にしか使えないというわけではない。表現技法の体系を学びたいという人におすすめである。

『絶対評価の国語科テスト改革・20の提案』堀裕嗣・明治図書・2003年6月・1900円
 私は自分の本を人にすすめるということをまずしない人間だが、国語科の指導事項とは何かが、割とうまくまとまっている本だと思う。私の国語教育本を一冊だけ買うとすれば、『全員参加を保障する授業技術』でもなく、『発信型授業で「伝え合う力」を育てる』でもなく、これが一番いい。
 この本は、私の十年間に及ぶ言語技術研究の成果を体系化した本である。書名から「テストづくり」の本のように思われているが、そうではない。言語技術体系の本である。「話すこと」の言語技術を二十、「聞くこと」の言語技術を二十、「書くこと」の言語技術を二十、「音読」の言語技術を十、というふうに全七十技術に絞って提示した。また、文学的文章教材・説明的文章教材の指導事項についても、段階的に説明した。たぶん類書のない本だと思う。『義務教育で教える言語技術のすべて』といったタイトルならもっと売れただろうに、と今でも後悔している(笑)。

『国語教育指導用語辞典 第三版』田近洵一・井上尚美編・教育出版・2004年6月・4000円
 意外と意識されていないことだが、授業研究をしようとすれば辞典が必要である。研究グループをつくって「ああでもないこうでもない」と経験を言い合っているうちに授業ができていく……というのが一般的なようだが、それでは「研究」とはいえないだろう。使用する語句もめちゃくちゃ、歴史的な背景も踏まえていない、これでは教師として少々恥ずかしい。
 国語教育に関する辞典の類はずいぶんと出ていて、私は二十種類程度もっているが、その中で内容的にみても汎用性からみても、これが一番いい。これが一冊あるだけで、国語科の授業にずいぶんと深みが出ると思う。

【裏の五冊】
 こちらは教育書ではないけれど、国語の授業に直接的に役立つ、という観点で五冊選んでみた。

『文学の力×教材の力』田中実・須貝千里編・教育出版・2001年6月・各2400円
 田中先生や須貝先生はこれを教育書だというだろうが、内容的には文芸評論である。ただし、書名に「教材の力」とあるように、論じられているすべての作品が教科書教材である。しかも、第一巻の「理論編」の他に、第二巻から第十巻まで「小学校一年編」~「中学校三年編」まである。つまり、教科書掲載の文学的文章教材のほとんどについて、作品論が二編ずつ載っている、そういう本である。新しくその教材にはいるとき、ちょっとそこだけ読んでみると、教材解釈を飛躍的に深める、そういう使い方も「あり」である。

『教師のための読書の技術』香西秀信著・明治図書・2006年3月・2060円
 これは明治図書の本ですし、書名に「教師のための」とありますから、教育書なのでしょう。しかし、読書の在り方を書いた本としては秀逸です。内容的には一般書に近いと思います。香西先生ですから、内容的には少々固いです。

『あたりまえなことばかり』池田晶子・トランスビュー・2003年3月・1800円
 国語科教育の勘所は、言葉を読んで言葉について考え、物事をひっくり返してみることです。この本はその「ひっくり返す」の宝庫です。内田樹にひっくり返されて喜んでばかりいないで、この本でも読んで自分の頭でひっくり返してみましょう。

『学力の社会学』苅谷剛彦・志水宏吉編・岩波書店・2004年12月・3200円
 80年代から「学力とは何か」を考えることが流行し続けていますが、それとともに、学力を規定する要因を考えてみてはどうでしょうか。この本を読むと、それを考えずにはいられなくなります。

『おおきな木』シェル・シルヴァスタイン・本田錦一郎訳
『二十四の瞳』 壺井栄・新潮文庫
 最後に、僕が教師になるきっかけになった本を二冊。僕は、教師は決して「おおきな木」になってはいけないとは思いながら、この物語にどうしても感動してしまう。そして、なんだかんだ言っても、教師の理想は小石先生なのだと感じてしまうのだ。
2008/09/14のBlog
[ 12:00 ] [ 裕々自適/書斎日記 ]
先週から、やたらと病院に行っている。
 「行っている」のであって、「通っている」わけではない。木曜日は内科と循環器科へ、金曜日は夜間救急センターへ、そして土曜日は脳外科へ、という具合である。しかも、どの病院に行っても、医者は検査のあと、決まって「どこにも特に異常はありません」というのである。結局、私はどの病院にも「通うこと」ができない。
 要するに、体調が悪いのに、何が原因かわからないというわけだ。患者にとって、これほど不安なことはない。
 始まりは火曜日だった。朝目覚めると、なんとなく体調が悪い。それも頭が痛いとか、お腹が痛いとか、これまで経験したことのある体調不良とは違う。
 こりゃ、へんだ……。
 でも、何が変なのかわからない。あえて言えば、なんとなく息苦しく、躰がちゃんと機能していない、そんな感じである。血液がちゃんと循環していないのか、筋肉がちゃんと収縮していないのか、何かがおかしい。そのうち、後頭部がずっしりと重くなってきた。
とりあえず、職場に電話をして休暇をもらい、あれこれ思考を巡らす。
 疲れかな。そういえば、この前の土日は両日とも仕事だった。休んでないもんな…。
 そんなことを考えて、一日、ゆっくり休んだ。一日ゆっくり休んだことで、次の日、水曜日はなんとか仕事に行けた。後頭部が重い感じは抜けないものの、躰が機能していない感はなくなった。だましだまし、一日を過ごした。
 ところが、である。
 夜、帰宅すると、やっぱりおかしい。木曜の朝もやっぱりおかしい。こりゃやっぱり変だ。「疲れ」なんていう単純なものじゃない。またまた休暇をもらい、朝から内科へ。血圧異常なし。心音異常なし。血液検査異常なし。続いて循環器科に行くも、心電図異常なし。これ以上の検査となると、24時間の検査が必要だという。仕事の日程を見ながら、またの機会に…ということになった。それでも、二つの病院に行って、異常なしと言われたので少々安心する。この三日間、頭の中を駆けめぐっていた糖尿病とか高血圧とか心筋梗塞とか、そういった怖さからは解放されたわけである。
 金曜日。なんとなく体調不全を感じながらも、だましだまし仕事をする。夕方6時頃、退勤。内科のお医者さんに「毎日、血圧を測りなさい」と言われていたので、血圧計を買おうと薬局に寄った。三種類の血圧計の機能とメーカー、値段を比較しながら、どれにしようか……そう考えた瞬間、それは始まった。
 左側のこめかみに痛みが走る。なんだろう…。とりあえず、早く帰って休もう。血圧計を買って車へ。車を出すと、今度は左の脇腹に違和感。そのうちに、後頭部がずっしりと重くなってくる。冷や汗をかいて、顔から血の気が失せていくような感じがしてくる。とりあえず、意識が遠のくことはない。とにかく早く家に帰ろう。病院に行くにしても、車をこんなところに置いておくわけにも行かない。
 家が近くなってきたところで、妻に電話する。
「どうも躰がおかしい。外で待っていてくれ。」
 帰宅して妻に症状を伝え、救急病院を探してもらう。ソファに横たわる。近くにある夜間診療の内科へ。「うちじゃわからない」と言われ、夜間救急センターへ。血圧異常なし。尿検査異常なし。聴診器でも異常は発見されず。脳梗塞の兆候も見られない。そのうちに少しずつ症状がおさまってくる。救急センターに2時間くらいいただろうか。結局、症状が治まってきたので、痛み止めを処方されて帰される。「明日、脳外科に行きなさい」と言われて。
 土曜日。朝から脳外科。経緯を説明すると、MRIを撮りましょうとのこと。圧迫感と雑音と揺れに耐えながら、MRI撮影。異常なし。MRIも脳内血管も異常なし。それどころか、「きれいなものです。」とさえ言われる。
 脳外科の帰り、7200円も払ってゆっくり指圧を受ける。心なしか、躰の違和感が軽減されたような気がする。
 いったい何なのだ。居酒屋のはしごは好きだが、病院のはしごは切なさだけが残る。
2008/08/31のBlog
[ 23:59 ] [ 匹夫の裕/仕事術 ]
1日(金) 「教師力BRISH-IPサマーセミナー」1日目。札幌市教育文化会館。今日は授業づくりがメインの1日だったが、最初に基調提案として、教師力のモデルを石川晋とともに提案。更に「PISA方読解力」「授業づくりのシンポジウム」と出番の多い一日。100人以上が集まって盛会。その後、ビアガーデンに繰り出し、ドイツビールを。更に焼き鳥屋で小宴。南山さんや裕章さんを交えて語り合う。

2日(土) 「教師力BRISH-IPサマーセミナー」2日目。今日は学級づくりがメインの一日。午前中は大野さんといっしょに学級づくりのメイン提案、夕方から「学級づくりのシンポジウム」と出番は二つ。合間に中文連の演劇を観賞したり、山下くんと藤原くんの仕事に対する構えに関する講座を拝聴したり。終了後は森くん、山下くんといっしょに「ことのは」関係の企画会議。帰宅後は、「結婚詐欺師」を観賞。

3日(日) 夕方起きる。イベントの企画、方々に依頼メール、ハニー・ドリッパーズを聴きながら雑誌原稿の執筆。「フォーンブース」の観賞。充実というにはほど遠いが、悪くない一日。

4日(月) 朝まで起きて仕事をする。リフレッシュ休暇をもらい、今日も休みにしてしまう。朝は白石区民センターに行き、10月4日の累積国研の会場を確保。朝9時に寝る。15時に起き、夕方札幌駅へ。友人と二人でへべれけになるまで飲む。居酒屋のホール係に教え子の女の子がいる。かつて、「神に通ずる少女」だったが、もう神に通じなくなっていた。大人に近づくとはそういうことなのかもしれない。

5日(火) 6時半起床。あれほど飲んだのに、二日酔いが全くない。畏るべし、ウコンの力。朝から出勤。部活をみっちり指導。夕方から新聞取材が1本。更に中学1年生時の同級生、担任と4人で小宴。循環器内科の医師、PCソフト開発のベンチャー、退職して12年たつ担任、そして僕だ。ふだん聞くことのない領域の話が聞けて、とてもおもしろかった。帰宅は1時過ぎ。

6日(水) 夏期休暇。朝から原稿を書こうと思っていたのだが、暑すぎて仕事にならない。高校野球を見たり、テレビドラマを見たり。そのうち、夕方から寝てしまう。真夜中0時過ぎに起きて、「THE PLEDGE」。その後、朝まで原稿執筆。

7日(木) リフレッシュ休暇。終日、原稿執筆やイベント企画。夕方、DVDを返却、新たに4本借りてくる。夜は東野圭吾。

8日(金) リフレッシュ休暇。犬をトリーミングに連れて行き、その後は原稿執筆と同人誌の特集企画。更に明け方まで「ZODIAC」。

9日(土) 一日だらだら。夕方から、犬を連れて町内会の盆踊りへ。ビール、焼き鳥、おでん、枝豆。帰宅後、ジョニ黒を飲みながら「海猿」。更に「アドレナリン」「探偵物語」「イヴの贈り物」。

10日(日) 「手紙」「g@me.」「深紅」と見て、夕方から岩見沢の実家へ。21時頃、実家の隣の場外馬券売り場にワンボックスが突っ込み、一人死亡、二人が怪我。事件直後、現場を見に行くと血の海。車が建物に入っていったドアは車の幅よりもひとまわり大きい程度。ちょっとずれていれば、壁に止められ、こんな惨事にはならなかったはずだ。払い戻しに並んでいた列に突っ込んだというから、なんとも痛ましい事故である。62歳の運転手は、道路の段差に驚き、ブレーキとアクセルを踏み間違えたという。その結果、ちょっとずれれば惨事に至らないような偶然の一致で、車が建物の中まで突っ込んでしまったと言う。そこには最後の払い戻しに並ぶ20人ほどの列があったという。どれもこれも、普通ならあり得ないことばかりだ。

11日(月) 朝から夕方まで新学習指導要領と格闘。夕方から「カオス」。寝不足が続いていたので、早めに寝る。

12日(火) 朝から夕方まで新学習指導要領と格闘。夕方から「突入せよ!『あさま山荘』事件」「魍魎の匣」。

13日(水) 朝から夕方まで「いじめ」論。一日中、いじめについて考える。夜は「is A.」「宣戦布告」。

14日(木) 今日も一日中「いじめ」。「いじめ」の本ばかり繙いていると、頭が溶解してくる。夜は、盆踊りがあるかと思って公園を見に行くも、どうやら明日・明後日らしい。人気がまったく無く、がっかり。犬を連れてお祭りに行き、ビールと焼き鳥を食べながら、踊る人たちを見るのは、僕の楽しみの一つである。子どものときに唯一参加した地域の行事が盆踊りだったからだろうか、僕は盆踊りがたまらなく好きだ。夏休みに入って浴びるほどDVDを見たために、もう映像には飽きた。かと言って、物語欲求がなくなったわけでもない。複雑な精神状態だ。東野圭吾を読み始めるもダメ。村上春樹を読み始めるもダメ。三島由紀夫は3頁で挫折。結局、夜もいじめ本を読んで過ごす。

15日(金) 今日も一日中「いじめ」。塚田真希の銀メダル。涙をこらえながらの「これが結果です」には泣けた。4年前からなんとなく気になる選手だった。連覇をさせてあげたかった。東野圭吾が嫌いになった。やっと週末を迎えた。嬉しい。

16日(土) 一日中読書。夕方から、犬を連れて町内会の盆踊りへ。ビールと焼き鳥といか焼き。子供盆踊りがたまらなく好きだ。

17日(日) 本をぱらぱらとめくり、午後からはDVD。「チーム・バチスタの栄光」「点と線」。「点と線」は、日本がノスタルジーを欲望しているのがよくわかるドラマだった。

18日(月) 一日中「いじめ」。夕方から友人と約束があり、すすきのへ。18時から1時半まで。帰宅後、朝まで「大誘拐」。最高の映画だった。

19日(火) 夏期休暇。読書。麻まで「グッド・シェパード」「バンテージ・ポイント」「午後の遺言状」の3本。

20日(水) 夏期休暇。昨日に引き続き、映画を見ていて、昼に寝る。

21日(木) 0時に起きて、メールのやりとり。今後の「教師力BRISH-UPセミナー」に目鼻を立てた。朝になるのを待って出勤。部活をちょっと見たあと、夏休み明けテストをつくり、第Ⅲ期時間割をつくる。目鼻はついたが、これからの微調整が苦しい。まあ、ぼちぼちやっていこう。「教師力BRUSH-UPセミナー」の新体制がどんどん出来上がってきている。20蒔就寝。

22日(金) 3時半起床。来週、厚沢部町に呼ばれている講演の準備。いじめと学級経営・学年経営について。

23日(土) 書斎を片付ける。本をかなり捨てる。よく見ると、もう役に立たないという本が多い。教育雑誌もかなり捨てた。これから数年は、欲しい本をいくら買っても良さそうだ。ついでデスクトップが故障。もう寿命なのだろう。1999年から使っている98なのだから仕方ない。新しいPCを買う。ビスタに戸惑う。

24日(日) 講演準備。原稿執筆。結局徹夜。まあそれもよい。

25日(月) 朝7時に真夜中3本目の原稿が完成。結局、2学期第一日目は徹夜で出勤。始業式。中体連・中文連報告会。教育実習生紹介。学年集会。学活。休み明けテスト。職員打ち合わせ。そして、学年団で昼食へ。講演資料の印刷・帳合・製本。

26日(火) 1・2時間目は休み明けテストの採点。4組でテスト返却のあと「矛盾」。1組は授業変更で2時間。1時間はテスト返却&「矛盾」、もう一時間は「児の飴食ひたる事」。前者は金曜日に暗唱テスト、後者は来週に音読テストの予定。

27日(水) 午前中は時間割作成。微調整も終えて完成。午後は2組でテスト返却あと「矛盾」。4組で「矛盾」の暗唱テスト。早めに退勤して床屋へ。

28日(木) 朝から車を運転して厚沢部町へ。片道4時間半。厚沢部町教委の依頼で学級経営・学年経営の2時間ほどの講演。17時に厚沢部町を出て、またまた4時間半の運転。往路・復路ともに徹底して岩崎宏美。

29日(金) 授業びっしり。4組で「児の飴食ひたる事」。2・1組で「矛盾」の暗唱テスト。3組でテスト返却のあと「矛盾」。午後の学活は学校祭準備。放課後は時間割の配付。夏休みの研修報告。夏休み課題の点検など。

30日(土) 昼間はBRUSH関連の仕事、例会提案文書の作成など。17時から「研究集団ことのは」の8月例会。

31日(日) 原稿を1本。あとはのんびり。夏休みぼけも完全に抜けた感じ。