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2007/11/02のBlog
[ 09:05 ]
人生の座標
日常はささいなことの連続かもしれない。
しかし、一瞬一瞬の微妙な心のもち方によって、
幸・不幸は大きく左右されてしまうものである。
『楽観主義で生きよう』と決めれば、
逆境にも苦難にも、
人生のドラマを楽しむように、
悠々と乗り越えていくことができる。
2007/10/31のBlog
[ 08:30 ]
若き青春の心は、さまざまに動くものだ。
それによって、人生もまた波瀾に彩られることになる。
だが、それに負けてはならない。
日蓮大聖人は
『心の師とはなるとも心を師とせざれ』1025pと
仰せであるが、周囲がどのように揺れ動いても、
自分だけは決して動揺しないとの、
確固たる不動の一念をもっておかねばならない。
そして、
みずから決めた道を、
若々しき青年の気概で進んでいただきたい。
2007/10/28のBlog
[ 13:05 ]
2007/10/26のBlog
[ 06:58 ]
2007/10/23のBlog
[ 17:18 ]
師の指導を、我が身に引き当てて、
真摯に姿勢を正していくのか。
他人事のように聞き流していくのか・・・
この「如是我聞」の一念の厳しき差に、
師弟を貫いていけるか、愚かな人間と堕ちていくか、
全く厳しい勝敗の別れ道がある。
ゆえに、仏法は【勝負】だと仰せなのだ。
『まことの時』との御聖訓は『いつか』ではない。
常に常に、また常に、『今』である。『今から』名のである。
2007/10/22のBlog
[ 06:36 ]
人生の座標
池田大作語録
子どもが転んだり、つまずきそうになったとき、
手を差し伸べたいのが親心かもしれませんが、
それは『小善』の子育てです。
『大善』の子育てというのは、
自分で生き抜く力をつけてあげることなのです。
2007/10/18のBlog
[ 17:20 ]
2007/10/14のBlog
[ 18:28 ]
2007/10/09のBlog
[ 12:06 ]
2007/10/07のBlog
[ 09:35 ]
『名字の言』
「貧」と「貪」。
うっかり間違いそうな字だ。
だが、
調べてみると意味はまったく違う。
両字に共通する「貝」
古代中国では貨幣として使われ、
財貨や財宝を表す文字だ。
「貧」は「貝」を分けると書く。
財宝を分ければ少なくなるので
「まずしい」という意味となった。
一方、
「貝」と「今」をあわせた「貪」
「今」は、屋根で物を覆う意。
つまり、財貨を覆い隠し、ためこむことから
「むさぼる」という字義となった。
「貪欲は必ず身を食う」ということわざがある。
今の日本の、心の貧しさを表しているようだ。
市民を脅かしたマンションの耐震偽装事件。
「食の安全」を脅かす昨今の利益優先の企業犯罪。
そのように人を軽んじ財を貪れば、必ず身を誤る。
世界74カ国による世界価値観調査がある。
その中で「現在、幸せだと思うか」との質問に対する
日本の結果が興味深い。
インドネシア、ベトナムなど、
他のアジア諸国よりも下位で、
全体でも29位にとどまっている。
真の豊かさを実感するには何が必要か。
御書に
『心の師とは・なるとも心を師とせざれ』1088pと。
縁に触れ、貪り、移ろう心を師とするのではなく、
心の師となる規範をいかに持つか。
そこに自他共の幸福を築く基がある。
2007/10/05のBlog
[ 09:42 ]
【アンパンマンのエキス】献血ルーム・落書き帳に。
私の4歳の長男は小児ガンです。
10ヶ月の闘病生活の末、亡くなってしまいました。
その間、皆様の献血のおかげで
安心して治療を受ける事ができました。
本当にありがとうございます。
あの子は輸血されると元気になる事を知っていて
『アンパンマンのエキスだ~』と言っていました。
一時は毎日のように輸血させて頂きました。
輸血が必要な時 『今 足りないので待っていてください』
と言われ 祈るような想いで待っていた事もありました。
届いたときは、本当に嬉しかったです。
献血して頂きました皆様になんてお礼を言ったらいいのか。
ありがとう! ありがとう!
医療スタッフと皆様のおかげで生きながらえる事ができて
どんなに《ありがとう》と言っても足りません。
今でも病院では、多くの子供たちが輸血を待ってます。
これからも献血をお願いします。 もちろん私も来ます。
子供たちの笑顔が消えませんようにと祈ってます。
… … … … … … … …
これはアタシの長男が亡くなって1ヶ月後に、
献血ルームの落書き帳へ書いたものです。
たまたま持っていた写真も貼りました。
泣きながら書いたんで感情が剥き出しで
文法がへんになってるんですけど。
タイトルは誰かがつけてくれました。
その後【アンパンマンのエキス】は、
小冊子や献血の広告・ポスター等の呼びかけや
看護学生さんの教材などにも使ってくれています。
亡くなった後も、こうして皆様に可愛がって
もらえるなんて長男はとても幸せ者です。
◇ ◇ ◇
『今 足りないので・・』の時の話をさせてください。
当時は一刻を争う時でした。肩で息をする程の。
通常こちらの病院は、朝 輸血のGoサインが出ると
昼すぎには始まります。
輸血をしなければ、即 何が起こっても不思議じゃない。
・・・でも、なかった。
《早く!早くなんとか!!》
ずっと苦しがっている長男の手を握りしめながら
祈るしかできないこの歯がゆさ。
そして深夜、丸一日経って届けられた 命をつなぐ血!
それは県外からヘリコプターで届けられたものでした。
また、一回の輸血で必要とされるのは約8人分らしく(血小板)
これらを含め輸血を50回以上もさせて頂いてました。
本当に、本当に心から感謝いたします!
「ねぇ、今 なにしてる?」
今日も お空にむかって。
きよみ
2007/10/04のBlog
[ 07:37 ]
『神曲』で有名なダンテが、師匠と仰いだ
詩人ウェルギリウスは言う。
『逆運に、決してたじろぐことなかれ、
むしろ運命打ちこえて、より大胆に進むべし』
そうすれば逆運、すなわち不幸は、反対に逃げていく・・と。
不幸に屈してはならない。悪人に屈してはならない。
魔とか、卑怯者は、こちらが怖がれば、
つけこんでくる。
強く出れば逃げていく。
(中略)
ロマン・ロランの小説の主人公ジャン・クリストフは叫ぶ。
『強いことは何といいだろう!
強いときには、悩み苦しむことも何といいだろう!』
『ぼくを悩ますがいい!
悩むこと、それもやっぱり生きることなのだ』
生命力にあふれた『強い人』は、
苦しみや悲しみをも*幸福の要素*にしてしまう。
いわんや仏法上の労苦は
『永遠の生命』に『永遠の幸福』を刻みゆく。
2007/09/27のBlog
[ 21:16 ]
「地涌の菩薩」たちの釈尊との対話の
第一声は、何であったか。
それは、大師匠である釈尊への
最大の尊敬と感謝と、
そして気遣いの言葉であった。
すなわち、
地涌の菩薩の4人のリーダーである
「上行」
「無辺行」
「浄行」
「安立行(あんりゅうぎょう)」
の四菩薩が、
師・釈尊に合掌して、あいさつした。
「世尊(せそん=釈尊)よ、
少病少悩であり、
安楽に行じておられるでしょうか。
世尊が、今、救おうとされている者たちは、
たやすく導くことができるでしょうか。
世尊を疲れさせてはいないでしょうか」
師匠がご無事であるか、
お疲れではないか
ただただ師を思う、弟子の一念から、
地涌の菩薩の行動は始まったのである。
釈尊は答えた。
「決して疲れてはいない」
「この諸(もろもろ)の衆生は、
過去世以来、
私の化導を常に受けてきたのである。
皆、私の教えを聞いて、
仏の智慧に入ったのである」と。
弟子の心遣いに大丈夫だよ。
心配することはないよ。
必ず、皆を幸福にしてみせるからと
応えられた大音声である。
それを受けて、地涌の菩薩は述べる。
「素晴らしいことです。
偉大な英雄であられる世尊よ。
私たちは随喜します」と。
そして釈尊もまた、
「素晴らしいことだ」と地涌の菩薩たちを讃える。
法華経の涌出品(ゆじゅつほん)第15は、
まさに一幅(いっぷく)の名画のような、
師弟の対話の世界でもある。
「迹門」とは一変した、
法華経の「本門」の世界である。
師に甘え、
師に護られ、
師に励まされてばかりいる弟子であっては、
悪世末法での広宣流布はなし得ない。
師に仕え、
師を護り、
師を宣揚していく
真実の弟子として立ち上がっていくのだ。
創価の師弟の真髄も、ここにある。
2007/09/26のBlog
[ 17:06 ]
= 世界との語らい =
インド文化国際アカデミー理事長
ロケッシュ・チャンドラ博士
2006/11/12
… … … … … … … …
チャンドラ博士は、法華経の真髄である
日蓮仏法に、強い強い関心を持たれていた。
それもまた、父君譲りである。
父君のラグヴィラ博士が、
かのマハトマ・ガンジーに
南無妙法蓮華経の題目を教えたこと、
ガンジーもまた唱題していたことは有名な逸話である。
1991年。
『日本は・ニチレンダイショウニン(日蓮大聖人)・の
生誕された国。
この・日出ずる国・を訪れると、
私の心も旭日のように上昇します』
実に嬉しそうなチャンドラ博士を
愛知県の名古屋にお迎えした。
12年ぶりの再会とは思えないほど、
心は結ばれた。
有り難いことに博士は、7、8世紀ごろの
法華経写本の
マイクロフィルムを寄贈してくださった。
さらには、ギルギットで発見された
サンスクリットの経典の写本と、
中国・敦煌の漢語経典の写本も
後に贈ってくださった。
学会の重宝となった貴重な資料は、
ともに父君の所蔵品である。
博士は、贈呈にあたって語られた。
『生きた仏教であるSGIの運動に
最大の敬意を込めて、
この『人類の重宝』を贈ります』
博士は、SGIの現代的意義を、
深く洞察してくださっている。
『特に、私が創価学会を評価するのは、
その『社会性』です。
空理・空論を弄ぶのではなく、
現実のなかで仏法を展開している点です』
法華経の精神のままに実践することがいかに尊く、
いかに難事であるか。
インドの大碩学は、知悉している。
インドは仏教発祥の地でありながら、
仏法が衰退してしまった。
白法隠没。法華経の輝かしい叡智も、
ひとたびは光を失ってしまった。
その現実を知るからこそ、
チャンドラ博士は私どもの生きた仏教に賞讃を惜しまれない。
なぜSGIによって、法華経が蘇ったのか。
声に出して叫んだからである。
獄中で法華経を身読した恩師が、
戦後の焼け野原で、民衆に語り続けたからである。
いかに高邁な理想を掲げた思想も、
宗教も、黙っていたら死んでしまう。
沈黙は死。雄弁は活。
現実の人間社会の中で思想戦を繰り広げ、
言論戦に勝ち抜いてこそ、宗教に生の輝きが宿る。
ロケッシュ・チャンドラ(1927年~)
インド文化国際アカデミー理事長。
インド国会議員、
ジャワハルラル・ネルー記念財団終身評議委員、
ICCR(インド文化関係評議会)副会長、
インド歴史研究評議会議長、
タゴール国際大学理事などの要職を歴任。
仏教文化研究の世界的権威の一人。
政治思想家、教育者、社会福祉活動家、
作家としても活躍している。
名誉会長とは、79年の出会いから対話を重ね、
対談集『東洋の哲学を語る』を発刊。
名誉会長に関する論考などをまとめた
『わが心の師 池田大作』(鳳書院)もある。
2007/09/25のBlog
[ 22:35 ]
世界が見た 池田大作
東京大学教授 市川 裕氏
有名なエピソードがある。
池田はつねに寄り添うように
戸田第二代会長を守り、
その一言一言を聞き漏らさずいたといわれる。
(中略)
池田は、ほとんど一言も漏らさずに咀嚼し、
それをすべて記録に残しているはずである。
ノートとともに命のひだ深くに。
(中略)
学問を志す者から見て、こういう学舎は古来、
ひとつの理想のあり方だった。
(中略)
大学をはじめ教育機関の設立。
世界広宣流布、世界の識者との対話、
国連と結んだ平和運動。
海外への展開は1960年からであった。
名誉学術称号の授章理由が、
最初からほぼ一貫しているのは、
最初からアイデアが確立し
それを忠実に実行してきたからに他ならない。
ぶれがないというのは、このことである。
(中略)
思えば、日本の軍国主義に反対し、
牢獄に入り獄死した日本人がいたということが、
どれほど世界に対して誇りとなるか。
それを語り継ぐ
池田氏の世界的実践行動によって、
日本がどれほど救われてきたことか。
我々日本人はもっとそのことを自覚し、
肝に銘ずる必要がある。
【2006・11・4
200番目の名誉学術称号に寄せられた祝辞】
[ 09:16 ]
戸田先生は、よく言われた。
「広宣流布を行ずる学会員は、
御本仏の行を、その代理として行ずる人である。
ゆえに、その人の日常は、御本仏に感応して、
偉大な生命力が涌出して、その顔も生き生きとし、
その体も元気に満ちて、
いかなる困難にも打ち勝っていくことができる。
人智(じんち)をもってはかり難い功徳を受け、
諸天は必ず加護するし、魔および鬼神は近寄れないのだ」と。
御本仏のお使いとして戦った人を、
諸天は断じて守るのである。
2007/09/22のBlog
[ 10:46 ]
池田名誉会長 世界との語らい
欧州統合の父
クーデンホーフ・カレルギー伯爵
日蓮大聖人は、万人の成仏の根本法に
「南無妙法蓮華経」と名づけられた。
そして「法華弘通のはたじるし」として、
御本尊を御図顕なされた。
戸田先生は「75万世帯の弘教」を宣言なされた。
私は恩師亡き後に「七つの鐘を鳴らそう」と掲げた。
恩師は「東洋広布」
私は「世界広布」
恩師は「立正安国」
私は「平和・文化・教育」に道を広げた。
壮大な理想の旗ありて、
創価の連帯は世界190力国・地域にまで拡大し、
隆々たる発展を遂げたのである。
指し示す「道標(みちしるべ)」が確かであるか。
中軸の「柱」が頑強であるか。
大事業の急所である。
そこに民衆の糾合(きゅうごう)があり、
喝采があり、前進が始まる。
2007/09/17のBlog
[ 14:24 ]
人生は「最終章」が肝心だ。
感謝を忘れた人生は、寂しい。空しい。
御書に『妙とは蘇生の義なり』とある。
妙法とは、永遠の『蘇生』の大法である。
生き抜く力である。
いかに
【もう駄目だ!】と思うような苦境に直面しても、
本来『生き抜く力』
『難を乗り越える力』
が生命の大地に厳然とある。
その無限の力を蘇らせるのが、信心なのである。
『悩みを喜びに』
『不幸を幸福に』
『宿命を使命に』
と必ず変えていける。
我々には、人生と生活に生き詰まりは絶対にない。
すべてに感謝できる心が一切を変えていける
2007/09/14のBlog
[ 18:22 ]
イギリスの大歴史家トインビー博士は言った。
『人間が精神的に成長するためには、
ある程度の苦難の経験が必要なのではあるまいか。
そういう苦難の体験なしに、
人間は果たして成長しうるだろうか』
(黒沢英二訳『現代人の疑問』)
その通りだ。苦難の体験なくして
人間の成長はない。勝利はない。
悩みや迷いと戦うからこそ、自身の境涯を
大きく広げられる。
『煩悩即菩提』である。
と、池田名誉会長は語られた。
【2007/9/12・聖教新聞】
∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞
菜根譚にも
『時には喜び、時には苦しみながら、
その果てに築きあげた幸福であれば、
いつまでも持続する。
時には信じ、時には疑いながら、
熟慮の末につかんだ確信であれば、
もはや動かしようがない』
と、ある。
2007/09/10のBlog
[ 16:48 ]
日蓮大聖人は、人の使いには、
3種類の人間がいると仰せになられた。
「一人は非常に賢(さか)しい。
一人は愚かでもないがまた賢しくもない。
一人は極めて愚かであるが確かである」
(1591p)
このなかで、最も悪い使いは、だれか。
それは2番目の、
愚かでもないが賢くもない人間だと、
大聖人は指摘されている。
なぜか。
それは、「少し賢いので、
主人の言葉に自分の言葉を添えるから
最も悪い使いとなる」といわれるのである。
これに対して、
3番目の「極めて愚かだが確かな人」は、
「自分の言葉を交えず極めて正直であるから、
主人の言葉を違えず、
第2の使いよりもよい使いとなり、
どうかすると第1の使いよりも
勝れた使いとなるのである」と 。
この3番目の使いとは、
愚かだが正直に仏法を弘めゆく
末法の凡夫のことだと仰せである。
広げて言えば、最も正しい勝れた教えを、
そのまま伝え、実践する人が、尊い。
たとえ学校を出ていない人であれ、
学歴や知識量がどうあれ、教え通り、
「現実に仏法を弘める人が偉い」のである。
それが仏法の世界である。
学会の世界である。
この点を幹部は絶対に忘れてはならない。
2006/10/25
2007/09/07のBlog
[ 12:40 ]
トルストイは断固として、あらゆる戦争に反対した。
私もまた、戦争には絶対に反対である。
広宣流布とは、
永遠の世界平和を築きゆく戦いである。
ともあれ、「士気」とは、
前進への意気込みであり、戦う心である。
最後に勝敗を決するのは、
環境や、味方の数ではない。
一人ひとりが、「戦おう!」という心に
燃えているかどうかである。
わが学会もまた、この精神で団結し、
民衆の勝利また勝利の歴史を綴ってきたのである。
「心」一つで決まる。
「一念三千」である。
目に見えない「心」が一番、大切なのである。
「信心」
信ずる「心」が、一切の根幹なのである。
2007/09/03のBlog
[ 20:27 ]
アメリカで新しく発刊された
私の英文詩集『平和への闘争』には、
パグウォッシュ会議名誉会長の
ロートブラット博士(ノーベル平和賞受賞)が、
過分な紹介文を寄せてくださっている。
ロートブラット博士は95歳。
「健康長寿の秘訣」を聞かれて、
「一つの大きな目的に向かって、
わき目も振らずに進んできました。
それが生きがいになっていると思います」
と淡々と語っておられた。
「一つの仕事を終えると、
すぐ次の仕事について考え始める」
これが、この平和の闘士の信条である。
その博士が、
私の詩集の「紹介文」のなかで、
こうつづっておられる。
「いつの時代にも、どれほどわずかであれ、
正義を希求する尊き声はあげられてきた。
しかし、
増幅する暴力と憎悪をもしのぐ
正義の大音声を、
今ほどあげねばならない時はない」
こうした大先輩の魂の叫びに応えて、
私たちは、今年も、断固として
「正義の師子吼」を貫いてまいりたい。
2004/1/3 第2総東京代表協議会
2007/09/01のBlog
[ 06:33 ]
ゲーテは喝破しました。
「人間がほんとに悪くなると、
人を傷つけて喜ぶこと以外に
興味を持たなくなる」(高橋健二訳)
人間、そこまで行ってしまう。
今の世相も、そうかもしれません。
若き日のゲーテは、
ルソーの思想について、
師匠のヘルダーと語り合っています。
ルソーは断言します。
「正義を傷つけることはすべて嘘なのである」
(今野一雄訳)
讒言・・・・悪質なデマは正義の人を
陥れる常套手段です。
私自身、讒言で攻撃されてきた。
全部が嘘であり、
金もうけのための作り話である。
裁判においても厳然と勝利している。
神聖な教育の場であるゆえに、
あえて明言しておきたい。
2003/3/10 創価大学創立者
第1回特別文化講座 人間ゲーテを語る
2007/08/31のBlog
[ 06:44 ]
ゲーテは、さまざまな文学作品を、
読んで読んで読み抜いていく。
興味本位の、
くだらない本など読まない。
シェークスピアやルソーなど、
外国の文学も含め、
あらゆる名作を
深く読み込んでいったことは有名です。
また自らも、
多くの詩や戯曲を生み出していった。
すなわち文を書いて書いて書き抜いた。
学問を身につける上でも、
「書く」ことは、とても大事です。
こうした学生時代の
主体的な学びの努力が、
目覚ましいほど豊かな人間形成の
糧となったことは当然です。
書かなくてはいけない。
読まなくてはいけない。
それが、青春時代の特権です。
大人になってからも、同じです。
勉強しない人間、
読まない人間、
学ばない人間は、
どうしても頭が硬直化してしまう。
それでは子どもからも好かれないし、
人からも好かれないでしょう。
そういう愚かな人生であってはならない。
2003/3/10 創価大学創立者
第1回特別文化講座 人間ゲーテを語る
2007/08/29のBlog
[ 07:57 ]
べートーヴェンは、
古代ギリシャの大詩人
ホメロスの詩をノートに書きとめている。
それは、
「空しく誉なく生を終らんわれならず
すぐれし業をなし遂げて
未来にわが名ひびかせん」
この信念のままに
べートーヴェンは生き抜いた。
学会精神もまた同じである。
有名な御聖訓に、
「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」
(970p)
と仰せの通りである。
2003/7/28 海外・九州・東北代表協議会
2007/08/27のBlog
[ 17:20 ]
さて、SGIが発足した30年前、
世界のメディアは、どのように創価の前進を見ていたか。
75年1月18日、SGI発足の1週間ほど前のことである。
世界最大の通信社の一つ、「AP通信」が、
創価学会と私を紹介する記事を、全世界に打電した。
この記事では、私が、
アメリカのキッシンジャー国務長官、
ソ連のコスイギン首相、
中国の周恩来総理らと、
相次いで会見したことなどに触れ、
グアムでSGI発足の会議が行われることに言及している。
【記事は、著しい経済成長を遂げた日本の
イメージを反映して、次のような書き出しで始まる。
「かつてのトランジスタのセールスマンの国、
日本が、世界で最も数少なく、
最も貴重な商品の一つ *平和 *
を売るスーパー・セールスマンを生み出した。
その人は日本に公称1000万人の会員を、
また海外に41万4000人の会員を持つ
仏教徒団体である創価学会会長、池田大作氏である」
さらに、こう綴られている。
「池田氏は、核廃絶および戦争反対の
民衆運動を主唱しているが、
より長期的には各国間の
教育・文化交流に平和への望みを託している。
同時に、池田氏は、外交政策の手段としての戦争を、
憲法により禁止している唯一の国である日本が、
平和運動に、より深く関与するよう主張している」
「2万人もの会員による会合を、
幾十となく主宰する一方、
創価学会の運営や宗教・文化活動にもたずさわる
池田氏は、見たところ、疲れを知らないようだ」】
すでに30年前、世界を代表するメディアが、
創価学会の目的と歴史と行動を取材し、
平和を築く民衆運動として深く注目していたのである。
2005/1/9 SGI代表協議会
2007/08/25のBlog
[ 22:44 ]
トルストイは、「誤った信仰」は
人間に害毒をもたらすと述べ、こう断じていた。
「人々が邪悪な生活を送るのは、
彼らが真理を信じないで、
虚偽を信ずるからにすぎない」
虚偽は不幸の元凶である。
そして、トルストイは結論している。
「もしも生が幸福であるならば、
生の必然的条件である死も
また幸福と言わねばならない」
仏法は「生死不二(しょうじふに)」であり、
「生も歓喜、死も歓喜」と教えている。
悔いなき勝利の「生」があってこそ、
安穏な「死」が訪れる。
「死」は新たな「生」への準備期間となる・・・・・
世界文学の巨匠もまた、
こうした哲学を志向していたのであろう。
そこで大事なのは
「何のために生きるのか」という一点である。
トルストイは論じている。
「貴方は訊(たず)ねる、
『人生の目的如何(いかん)、
何のために人間は生くるや、
換言(かんげん)すれば、
何のために私は生きて居るか?』と」
「宗教、真実の宗教は、
この問題に対する解答に外ならないのである」
トルストイが学んでいた、
古代ローマの哲学者セネカは、
こう洞察している。
「生きているというのは、
多くの人々の役に立つ人のことであり、
自分自身を役に立てる人のことです」
妙法という人間主義の哲学を掲げ、
多くの友の幸福のため、
社会のために日々、献身の行動を続ける。
このセネカの言葉の通り、
最高に栄えある青春の道を進んでいるのが、
青年部の皆さんなのである。
2005/2/3 第2東京最高協議会
2007/08/24のBlog
[ 07:48 ]
「報恩抄」は、大聖人が
「大事の大事どもをかきて候ぞ」
(330p)
と言われた重書である。
そのなかで示された「報恩」の根本の道とは何か。
日寛(にちかん)上人の
「報恩抄文段(もんだん)」を拝すれば、
報恩の根本の道とは、
「邪法を退治すること」であり、
「正法を弘通すること」である。
すなわち、不借身命(ふしゃくしんみょう)の
広宣流布の信心である。
身命を惜しまず「邪法を退治」し、
「正法を弘通」すれば、
一切の恩に報いることができるからであると、
日寛上人は教えてくださっている。
2005/2/23 全国最高協議会
2007/08/21のBlog
[ 16:39 ]
魯迅先生が目指したのは、
民衆の自立であり、
「奴隷根性の変革」であった。
同時に社会の「主人と奴隷」という
関係そのものを破壊することであった。
そして、だれが「主人」でもない、
「奴隷」でもない、
新しい社会をつくろうとした。
一方、明治維新の日本は、
「脱亜入欧(だつあにゅうおう)」の
看板を掲げて、アジアから抜け出し、
ヨーロッパの後に続くことを目指した。
しかし、
文明の成果だけを器用に輸入して外面は飾れても、
内面の確立は不十分であった。
強い者には「従属」
優れた人物が出ると「嫉妬」「やきもち」
要するに自分自身がない。根無し草である。
この日本の「島国根性」を
改造するために立ち上がったのが、
創価教育の父である牧口先生であった。
そして、牧口先生は、国家権力によって弾圧され、
獄死させられたのである。
2005/3/16
創価大学創立者第2回特別文化講座
革命作家・魯迅先生を語る
