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2007/09/28のBlog
[ 01:02 ] [ 家族 ]
「スミエ」さんは、私の母です。93歳です。鹿児島に一人で住んでいます。足が弱くなり外では杖と私が介助します。明日は私は熊本に帰るので留守の間はヘルパーさんが来て下さいます。感謝です。
 9/22日のヘルパーさんの連絡日誌に、「夜は、誰か泊まりに来るかと不安そうに話される」とあり、水、木、金の3日間いる間だけでも、精一杯喜ばせて上げたいと思う。
 スミエさんは、他界した両親と戦死した兄が生きていると思い私に確認する。何度亡くなってると言っても、「ウソー!北九州に居るでしょ。」とか言う。
 夫(父)は、亡くなってる事を覚えている。幾つになっても親は恋しいようです。
2007/06/07のBlog
南は、熊本の三宅角左衛門の屋敷に着いた。三宅は数人の友人と一緒に彼を待っていて、皆でいろいろと話し大名に従うように勧めた。また、信仰を棄てないなら妻子も処刑されると知らせた。南は他のことなら喜んで従うが信仰を棄てることは出来ないと繰り返し、静かにそのすべてのことの為に神に感謝すると答えた。
 三宅は南を連れて権左衛門という熊本のひとりの家老の屋敷に行った。そこで清正は南を背教させるために、権左衛門にある言葉を伝えさせた。
 それは、南が小西の家来であったのに、彼を引き受け、知行を与え、家禄を与えた。
それにもかかわらず今、藩主に従わないのは忠誠と感謝を欠くことである。と。
 この言葉は、迫害の時に、多くのキリシタン侍を悩ませた言葉であるが、南は受けた恵みに感謝しながら、キリストに対する忠実はもっと大切であると答えた。
 この返事が加藤清正に伝えられたとき、清正は直ちに南の首を斬るように命じた。
三宅は急いで、ジョアン南に使者を遣わし、すぐに熊本へ出向くように命じた。南は、すぐに二人の家来を伴って熊本ヘ発った。道中にある自分の知行地小川により、今まで彼に仕えた農民達に別れを告げ熊本に向かって旅を続けた。
 彼は待ち受ける運命をよく知っていて、八代を出る時にはマグダレナ夫人と息子のルドビゴ少年に天国であうまでの別れを告げた。
 心は静かな喜びで満たされていた。派手な絹の小袖を着ていたが、その下には白い帷子を身につけていた。
 その帷子にはマグダレナ夫人の手で三つの十字架が筆で記してあった。
一方、竹田に対して三宅は、友として繰り返し、信仰を捨てる様に頼んだが首を縦に振る事はなかった。
 困り果てた、城代三宅は、加藤清正に報告する前に、シモン竹田の母、ヨハンナに理解を求めたが、ヨハンナは信仰のためなら、息子の死は光栄であると応えた。
 八代の城代三宅は、暗澹たる気持ちで熊本に行き、八代の出来事を報告した。そして、清正は、二人のキリシタン侍が信仰を棄てないなら、家族と一緒に即刻処刑するよう命令した。
 
 
南には、若侍の友人が多かった。彼等はキリシタンではなかったが、この良い友人を失うことを惜しんで、予告なしに南の屋敷に行き、彼の手足を抑え、彼の怒りの声にも耳を貸さず本妙寺の所に運んだ。本妙寺は、若侍の頼みに従って南の頭上に法華経を置いた。儀式が終わると若侍達は安堵して南を屋敷に帰した。
 しかし、南は自分の意思で本妙寺の所へ行ったのではなく、ましてや信仰も捨ててない事を、城代三宅に手紙を送り、又、加藤清正に伝えられる事を願った。