Blog
2007/10/12のBlog
[ 00:25 ]
[ 八代 ]
最後の時が来た。南は祈りに手を合わせ、座敷で斬られた。刑吏たちは南を殺した後中庭に捨て、南が生前予想していたとおり、彼が着ていた立派な小袖を脱がしたので、下に着ていた十字架が付いた白い帷子が皆の目を引いた。主のもとに行った信仰告白であった。遺体は忠僕な共の者に埋葬許可が与えられた.寺の墓地からは追われ離れた寂しい所に葬ったが、このことはかえって益となり後に密かに遺体を有馬に運ぶことが出来た。
ジョアン南が処刑された事を聞いた三宅角左衛門は、すぐに八代に帰り、その日のことを知らせる手紙をシモン竹田に送った。
手紙を受け取ったシモンは、落ち着いて母と妻に死刑の宣告を知らせた。居間の壁に財産目録を貼り(前もって財産は全部没収されるので)、そして使用人たちとも別れの盃を交わし、三人の慈悲役を呼び祈りと勧めをもって死のための準備の助けを願い、パシオ神父に別れの手紙を書いた。
準備が終わった後、シモン竹田、母ヨハンナ,妻アグネスは、キリストの受難の絵の前に跪き、祈りながら首が斬られるのを待った。12月9日の夜明けであった。
三人の慈悲役は、刑吏がシモン竹田の首を持っていく前に、シモンの家で見つけた板でシモンのための柩を作った。この板は前に八代教会にあった祭壇のものであった。
ジョアン南が処刑された事を聞いた三宅角左衛門は、すぐに八代に帰り、その日のことを知らせる手紙をシモン竹田に送った。
手紙を受け取ったシモンは、落ち着いて母と妻に死刑の宣告を知らせた。居間の壁に財産目録を貼り(前もって財産は全部没収されるので)、そして使用人たちとも別れの盃を交わし、三人の慈悲役を呼び祈りと勧めをもって死のための準備の助けを願い、パシオ神父に別れの手紙を書いた。
準備が終わった後、シモン竹田、母ヨハンナ,妻アグネスは、キリストの受難の絵の前に跪き、祈りながら首が斬られるのを待った。12月9日の夜明けであった。
三人の慈悲役は、刑吏がシモン竹田の首を持っていく前に、シモンの家で見つけた板でシモンのための柩を作った。この板は前に八代教会にあった祭壇のものであった。
2007/10/11のBlog
[ 23:37 ]
[ ゴスペル ]
2007/09/28のBlog
[ 01:58 ]
[ 家族 ]
昨日、病院に行った。一軒は整形外科へ。脊髄の一番下の骨の圧迫骨折治療(私が鹿児島に帰って来たら腰が痛いというので病院に行きレントゲンの結果、脊髄の骨がつぶれていた。本人は原因は覚えておらず、先生いわく尻もちを突いたのでは?。)
二軒目は、定期的に行く、済生会病院の循環器科に、二軒とも、優しい先生です。
済生会病院のS先生は、いつも「この2週間は変わった事はなかったですか。」と優しくはっきりとした声で聞いてくださる。「スミエ」さんもいつも笑顔で「はい。」と返事する。
帰りいつもは、ファミレスだけど、おすし屋に寄って帰った。「スミエ」さん8貫しか食べなかったが美味しいと言ってた。「スミエ」さんは、昔からデパート巡りや外食が好きだったので、病院に行った日のささやかな唯一の楽しみです。
二軒目は、定期的に行く、済生会病院の循環器科に、二軒とも、優しい先生です。
済生会病院のS先生は、いつも「この2週間は変わった事はなかったですか。」と優しくはっきりとした声で聞いてくださる。「スミエ」さんもいつも笑顔で「はい。」と返事する。
帰りいつもは、ファミレスだけど、おすし屋に寄って帰った。「スミエ」さん8貫しか食べなかったが美味しいと言ってた。「スミエ」さんは、昔からデパート巡りや外食が好きだったので、病院に行った日のささやかな唯一の楽しみです。
[ 01:02 ]
[ 家族 ]
2007/06/07のBlog
[ 23:29 ]
[ 八代 ]
南は、熊本の三宅角左衛門の屋敷に着いた。三宅は数人の友人と一緒に彼を待っていて、皆でいろいろと話し大名に従うように勧めた。また、信仰を棄てないなら妻子も処刑されると知らせた。南は他のことなら喜んで従うが信仰を棄てることは出来ないと繰り返し、静かにそのすべてのことの為に神に感謝すると答えた。
三宅は南を連れて権左衛門という熊本のひとりの家老の屋敷に行った。そこで清正は南を背教させるために、権左衛門にある言葉を伝えさせた。
それは、南が小西の家来であったのに、彼を引き受け、知行を与え、家禄を与えた。
それにもかかわらず今、藩主に従わないのは忠誠と感謝を欠くことである。と。
この言葉は、迫害の時に、多くのキリシタン侍を悩ませた言葉であるが、南は受けた恵みに感謝しながら、キリストに対する忠実はもっと大切であると答えた。
この返事が加藤清正に伝えられたとき、清正は直ちに南の首を斬るように命じた。
三宅は南を連れて権左衛門という熊本のひとりの家老の屋敷に行った。そこで清正は南を背教させるために、権左衛門にある言葉を伝えさせた。
それは、南が小西の家来であったのに、彼を引き受け、知行を与え、家禄を与えた。
それにもかかわらず今、藩主に従わないのは忠誠と感謝を欠くことである。と。
この言葉は、迫害の時に、多くのキリシタン侍を悩ませた言葉であるが、南は受けた恵みに感謝しながら、キリストに対する忠実はもっと大切であると答えた。
この返事が加藤清正に伝えられたとき、清正は直ちに南の首を斬るように命じた。
