Blog
2007/03/28のBlog
[ 10:17 ]
[ 八代 ]
ある日、加藤清正より家臣に信仰を捨て決してその信仰に戻らないという誓約書に署名する命令が出た。
突然のことに驚いたキリシタン武士は、問題から逃れるために大部分の人々が命令に従った。
しかし、麦島城の城代三宅角左衛門の友人であったシモン竹田は署名を断った。三宅は、加藤清正の命令を守ると共に友人の命を救うため、竹田の承諾を得ずに彼の名を誓約書に書き入れた。
八代には、三宅の配下に他に二人の家老が居た。野尻八右衛門と蟹江与兵衛は町民の問題を担当していたが、武士に対しての清正のやり方が成功したのを見て、町民にも命じたが、町民はみな、信仰が妨げられるなら八代を離れると述べた。
驚いた二人の家老は、町の状態を乱さないため、それ以上要求しなかった。
一方、シモン竹田は、三宅が誓約書に自分の名を書き入れた事を知ると城代に苦情を申し立て、有馬(現在の久留米)に行き,八代の出来事を知らせ指導を仰ぎ、又自分は信仰のため命を捧げる覚悟をしている事を打ち明け八代に戻った。
シモン竹田、町民のこのような神への真実な信仰の態度、宣教師からの手紙は、誓約書に署名した家臣たちを迷いから覚めさせた。
ジョアン南五郎左衛門は、最初に転んだ家臣の一人であったが、有馬に出向き、悔い改めて、今後どんな事があっても信仰を捨てないと誓った。
他の家臣たちも南の模範に従った。彼等は八代の町民の中から選ばれた三人の慈悲役の指導を受けその熱心さによって励まされた。
しかし、戦いは激しくなって行った。
突然のことに驚いたキリシタン武士は、問題から逃れるために大部分の人々が命令に従った。
しかし、麦島城の城代三宅角左衛門の友人であったシモン竹田は署名を断った。三宅は、加藤清正の命令を守ると共に友人の命を救うため、竹田の承諾を得ずに彼の名を誓約書に書き入れた。
八代には、三宅の配下に他に二人の家老が居た。野尻八右衛門と蟹江与兵衛は町民の問題を担当していたが、武士に対しての清正のやり方が成功したのを見て、町民にも命じたが、町民はみな、信仰が妨げられるなら八代を離れると述べた。
驚いた二人の家老は、町の状態を乱さないため、それ以上要求しなかった。
一方、シモン竹田は、三宅が誓約書に自分の名を書き入れた事を知ると城代に苦情を申し立て、有馬(現在の久留米)に行き,八代の出来事を知らせ指導を仰ぎ、又自分は信仰のため命を捧げる覚悟をしている事を打ち明け八代に戻った。
シモン竹田、町民のこのような神への真実な信仰の態度、宣教師からの手紙は、誓約書に署名した家臣たちを迷いから覚めさせた。
ジョアン南五郎左衛門は、最初に転んだ家臣の一人であったが、有馬に出向き、悔い改めて、今後どんな事があっても信仰を捨てないと誓った。
他の家臣たちも南の模範に従った。彼等は八代の町民の中から選ばれた三人の慈悲役の指導を受けその熱心さによって励まされた。
しかし、戦いは激しくなって行った。
2007/03/25のBlog
[ 00:19 ]
[ 八代 ]
1600年の関が原の戦いで、小西行長は敗れ京都の六条河原で斬首となり、小西の領地は徳川方についた加藤清正のものとなった。八代の城主ディオゴ小西美作は家臣宣教師と共に薩摩に亡命した。
加藤清正は宇土城を守っていた小西の家来達に生命と信仰の自由を約束したが、城明け渡しとともに行長の弟の小西隼人が殺され、城内の宣教師たちは牢屋に入れられた。しかし、黒田如水とイルマン原マルチノの取次ぎによって宣教師たちは自由を与えられた。
この態度を見て、小西の家臣何人かが加藤清正に仕えることにした。しかし、1601年が終わらない中に圧迫は厳しくなっていた。キリスト信者の指導者たちは、肥後から追放され、若いキリシタン武士数人だけが、八代に残り信仰のためすべて耐える決心をした。八代では、彼等には町民の貴重な助けがあった。
若いキリシタン武士の中のジョアン南五郎左衛門(35歳)と妻のマグダレナ南(33歳)と養子のルドビゴ南(7歳)
シモン竹田五兵衛(35歳)とシモンの母ヨハンナ竹田(55歳)妻のアグネス竹田(30歳)が16003年の殉教者となった。
加藤清正は宇土城を守っていた小西の家来達に生命と信仰の自由を約束したが、城明け渡しとともに行長の弟の小西隼人が殺され、城内の宣教師たちは牢屋に入れられた。しかし、黒田如水とイルマン原マルチノの取次ぎによって宣教師たちは自由を与えられた。
この態度を見て、小西の家臣何人かが加藤清正に仕えることにした。しかし、1601年が終わらない中に圧迫は厳しくなっていた。キリスト信者の指導者たちは、肥後から追放され、若いキリシタン武士数人だけが、八代に残り信仰のためすべて耐える決心をした。八代では、彼等には町民の貴重な助けがあった。
若いキリシタン武士の中のジョアン南五郎左衛門(35歳)と妻のマグダレナ南(33歳)と養子のルドビゴ南(7歳)
シモン竹田五兵衛(35歳)とシモンの母ヨハンナ竹田(55歳)妻のアグネス竹田(30歳)が16003年の殉教者となった。
2007/03/19のBlog
[ 00:26 ]
[ 八代 ]
熊本県は昔肥後国と呼ばれ、16世紀の終わりごろには南肥後と北肥後に分かれ、北肥後は(本城は熊本)加藤清正の支配下にあり、南肥後(本城は宇土)はアウグスティノ小西攝津守行長の支配下にあった。
小西行長は幼少からクリスチャンとして育てられた。小西と加藤は太閤秀吉の軍の小西は水軍を加藤は陸軍を指揮していた。二人は宗教的にも、政治的にも絶えず対立していた。
小西が肥後に移されたのは1588年、家族も主立った家臣も熱心なクリスチャンであった。
家臣のジョルジュ結城弥平次は矢部の愛藤寺城の城主となり、ディオゴ小西美は、八代の城代なった。
数年間は肥後の教会は主な城下町、宇土、矢部、八代だけに限られていた。秀吉の死後は、小西は自由に布教を行う事が出来イエズス会の宣教師たちは領内の全地方で宣教活動を行った。
ジョアン神父も、後に殉教者となる中浦ジュリアンと伊予シクスト等数人のイルマンの協力を得て宣教活動をなし、二年間で、小西行長の領内だけで数万人が教会に加わった。
小西行長は幼少からクリスチャンとして育てられた。小西と加藤は太閤秀吉の軍の小西は水軍を加藤は陸軍を指揮していた。二人は宗教的にも、政治的にも絶えず対立していた。
小西が肥後に移されたのは1588年、家族も主立った家臣も熱心なクリスチャンであった。
家臣のジョルジュ結城弥平次は矢部の愛藤寺城の城主となり、ディオゴ小西美は、八代の城代なった。
数年間は肥後の教会は主な城下町、宇土、矢部、八代だけに限られていた。秀吉の死後は、小西は自由に布教を行う事が出来イエズス会の宣教師たちは領内の全地方で宣教活動を行った。
ジョアン神父も、後に殉教者となる中浦ジュリアンと伊予シクスト等数人のイルマンの協力を得て宣教活動をなし、二年間で、小西行長の領内だけで数万人が教会に加わった。
2007/03/16のBlog
[ 00:45 ]
[ 犬/猫 ]
可哀想だけど、またもや遠くに連れて行く事にし、もう三度目はないようにと、今度は前回より遠く道程20キロ位の所へ、タクシー(高くつきますが足もないし、背に腹は変えられません)の運転手さんに理由を話して、一軒家が多く穏やかな地域に連れて行ってもらい白ぶち君を降ろしました。
車の中では怯えと悲しさの泣き声で泣き通しでした。本当に聞いていて辛かったですが、必死で主に祈り続けました。
主よ。一軒でいいです。この子に餌を与え、軒下の片隅でも寝る所を与えてくださる家をこの子に与えてください。 と。
前回も祈りましたが、今回は白ぶち君の為に心から必死で祈りました。それから、一ヶ月位経ったある日、ベランダに置いてあるお隣さんの洗濯機の上に白ぶち君が座ってこっちを向いて泣いています。
しかも、顔や首は傷だらけです。抱き上げると足の肉球も破れてたのです。洗濯機の蓋に血が付いています。
お隣の奥さんも出て来て言われました。「お姉さん(私の事)この子に餌をやろうとしたら主人が『やるな!』と怒ったけど『お父さん、この子は二度もお隣のお姉さんが遠くに連れて行ったのに、傷だらけになって帰って来たんだよ。ぐらしか(可哀想)もう私が面倒を見るから。』て、言ったの。だから私が面倒を見るから、心配しないでください。」
主の御名をほめたたえます。主は猫でも祈りに応えてくださいました。この子に一軒の家をそれはお隣さんだったのです。
今は、甘えた声で幸そうに泣いています。そして、元のように両方のベランダで食事をしています。
また、不思議な事にミーコとの唸り合いを聞きません。他の野良猫とも。ハレルヤ!
車の中では怯えと悲しさの泣き声で泣き通しでした。本当に聞いていて辛かったですが、必死で主に祈り続けました。
主よ。一軒でいいです。この子に餌を与え、軒下の片隅でも寝る所を与えてくださる家をこの子に与えてください。 と。
前回も祈りましたが、今回は白ぶち君の為に心から必死で祈りました。それから、一ヶ月位経ったある日、ベランダに置いてあるお隣さんの洗濯機の上に白ぶち君が座ってこっちを向いて泣いています。
しかも、顔や首は傷だらけです。抱き上げると足の肉球も破れてたのです。洗濯機の蓋に血が付いています。
お隣の奥さんも出て来て言われました。「お姉さん(私の事)この子に餌をやろうとしたら主人が『やるな!』と怒ったけど『お父さん、この子は二度もお隣のお姉さんが遠くに連れて行ったのに、傷だらけになって帰って来たんだよ。ぐらしか(可哀想)もう私が面倒を見るから。』て、言ったの。だから私が面倒を見るから、心配しないでください。」
主の御名をほめたたえます。主は猫でも祈りに応えてくださいました。この子に一軒の家をそれはお隣さんだったのです。
今は、甘えた声で幸そうに泣いています。そして、元のように両方のベランダで食事をしています。
また、不思議な事にミーコとの唸り合いを聞きません。他の野良猫とも。ハレルヤ!
2007/03/14のBlog
[ 23:20 ]
[ 犬/猫 ]
母のところには、ミーコという猫がいるのです。元野良猫ですが、神経質で警戒心の強い猫です。しかし今や、母の心を慰めてくれ安らぎを与えてくれる大事な存在になってるのです。
問題は、ミーコと白ぶち君が外で鉢合わせすると、すごい唸り合いが始まるのです。
私がいる時は、対処出来るので問題はないのですが、私がいない時に、夜に母が知らずにミーコを締め出してる時など、お隣さんが捕まえて家に入れてくださってる事、又、近所からも猫の事(他の野良猫の事も)お隣に言って来るという話をお隣さんから聞き、結局、白ぶち君を遠くに連れていくしかないという事になりました。
それで、熊本に帰る日の朝、白ぶち君を駅に行く途中で降ろしました。
それから、二週目の母の家に着いて、台所に立った途端、ミャーと言う声!、ええっー
と驚いて窓の外を見ると、白ぶち君が私を見て泣いています。
良く帰って来たね。と意地らしさと可哀想で胸が一杯でした。しかし、問題がもとのままになってしまいました。
彼には何の罪もないのですが、現実は気持ちでは解決しません。・・・・・
問題は、ミーコと白ぶち君が外で鉢合わせすると、すごい唸り合いが始まるのです。
私がいる時は、対処出来るので問題はないのですが、私がいない時に、夜に母が知らずにミーコを締め出してる時など、お隣さんが捕まえて家に入れてくださってる事、又、近所からも猫の事(他の野良猫の事も)お隣に言って来るという話をお隣さんから聞き、結局、白ぶち君を遠くに連れていくしかないという事になりました。
それで、熊本に帰る日の朝、白ぶち君を駅に行く途中で降ろしました。
それから、二週目の母の家に着いて、台所に立った途端、ミャーと言う声!、ええっー
と驚いて窓の外を見ると、白ぶち君が私を見て泣いています。
良く帰って来たね。と意地らしさと可哀想で胸が一杯でした。しかし、問題がもとのままになってしまいました。
彼には何の罪もないのですが、現実は気持ちでは解決しません。・・・・・
