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2007/05/03のBlog
[ 04:00 ]
[ 本たち ]
私が近年読んだ、もしくは再読した一般向けの本のなかで、民主主義、平和と戦争、メディア、ジャーナリズム、歴史、人権、倫理といったテーマについて、面白かったもの、考えさせられたもの、参考になったものを紹介致します。たとえ良書であっても、私が難解に感じたもの、専門性が高いものは取り上げていません。基本的に何らかの意味で良書(読む価値のある本)と私が判断した本のみを取り上げていますが、なかでもお勧め本には☆をつけています(最高評価は☆2つです)。
基本的にここで紹介するのは、広い意味で“評論”と呼ばれる分野の本だけであり、文学、エッセイ、ルポルタージュ等はどんなに素晴らしいものでも取り上げていません。
当然忘れている良書も多数あると思いますので、思い出したとき、あるいは新たに良書を読んだときには随時追加していきます(比較的最近読んだものは上に、かなり以前に読んだものは下に追加しています)。
カント(中山元訳)『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』光文社古典新訳文庫☆☆
橋本努『自由に生きるとはどういうことか』ちくま新書、2007☆
仲正昌樹『「不自由」論』ちくま新書、2003☆
最上敏樹『国際立憲主義の時代』岩波書店、2007☆☆
徐京植『ディアスポラ紀行』岩波新書、2005☆
アルンダティ・ロイ『帝国を壊すために』岩波新書、2003☆(但し翻訳はひどい)
大屋雄裕『自由とは何か』ちくま新書、2007
岩田正美『現代の貧困』ちくま新書、2007
ジュディス・バトラー『生のあやうさ――哀悼と暴力の政治学』以文社、2007☆☆
神野直彦・井手英策編『希望の構想――分権・社会保障・財政改革のトータルプラン』岩波書店、2006☆☆
神野直彦・宮本太郎編『脱「格差社会」への戦略』岩波書店、2006☆☆
神野直彦『人間回復の経済学』岩波新書、2002
宮内勝典『惑星の思考』岩波書店、2007☆
最上敏樹『国連とアメリカ』岩波新書、2005☆☆☆
板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』岩波新書、2002☆☆
ノーム・チョムスキー『覇権か、生存か』集英社新書、2004
ノーム・チョムスキー『お節介なアメリカ』ちくま新書、2007☆
朝日新聞取材班『戦争責任と追悼――歴史と向き合う1』朝日新聞社、2006
木下和寛『メディアは戦争にどうかかわってきたか』朝日新聞社、2005
W.キムリッカ『(新版)現代政治理論』日本経済評論社、2005☆☆
中岡成文『ハーバーマス――コミュニケーション行為』講談社、2003☆
篠原一『市民の政治学』岩波新書、2004☆☆
加藤秀治郎『日本の選挙』中公新書、2003☆
渡辺清『砕かれた神――ある復員兵の手記』岩波現代文庫、2004☆☆
鈴木道彦『越境のとき』集英社新書、2007☆☆
辺見庸『永遠の不服従のために』講談社文庫、2005
辺見庸『いま、抗暴のときに』講談社文庫、2005
辺見庸『抵抗論』講談社文庫、2005
辺見庸『いまここに在ることの恥』毎日新聞社、2006
辺見庸『単独発言』角川書店、2001
上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』青土社、1998
吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書、1995
ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』集英社新書、2003
ノーム・チョムスキー『アメリカの「人道的」軍事主義』現代企画室、2002
浅井基文『新しい世界秩序と国連』岩波書店
鎌田慧『反骨のジャーナリスト』岩波新書、2002
寺島俊穂『市民的不服従』風行社、2004☆☆
加藤周一『私にとっての20世紀』岩波書店、2000☆
橘木俊詔『格差社会』岩波新書、2006
中野麻美『労働ダンピング』岩波新書、2006
鈴木透『性と暴力のアメリカ』中公新書、2006
広瀬隆『アメリカの保守本流』集英社新書、2003
藤原帰一『戦争を記憶する』講談社現代新書、2001☆☆
藤原帰一『デモクラシーの帝国』岩波新書、2002
藤原帰一『平和のリアリズム』岩波書店、2004
藤原帰一編『テロ後 世界はどう変わったか』岩波新書、2002
城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』光文社新書、2006
永井荷風『断腸亭日乗(上・下)』岩波文庫
丸山眞男『(増補版)現代政治の思想と行動』未来社
小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』新曜社、2002☆☆
小熊英二・上野陽子『〈癒し〉のナショナリズム』慶応大学出版会、2003
仲正昌樹『日本とドイツ 二つの戦後思想』光文社新書、2005☆
田村秀『データの罠――世論はこうしてつくられる』集英社新書、2006
小田実『「難死」の思想』岩波書店、1991☆
小田実『戦争か、平和か』大月書店、2002
加藤尚武『戦争倫理学』ちくま新書、2003
高橋哲哉『靖国問題』ちくま新書、2005☆☆
高橋哲哉『教育と国家』講談社現代新書、2004☆
吉本隆明・近藤誠・宮崎哲弥・中野翠ほか『私は臓器を提供しない』洋泉社、2001☆
杉田敦『デモクラシーの論じ方』ちくま新書☆
ダグラス・ラミス監修『不思議の国のブッシュ』光文社、2003☆
ダグラス・ラミス『ラディカル・デモクラシー』岩波書店
保阪正康『安楽死と尊厳死』講談社現代新書、1993
福本博文『リビング・ウィルと尊厳死』集英社新書、2002
アイザイア・バーリン『自由論』みすず書房☆☆
アイザイア・バーリン『思想と思想家』岩波書店
アイザイア・バーリン『理想の追求』岩波書店
アイザイア・バーリン『ハリネズミと狐』岩波文庫
デヴィッド・ヘルド『デモクラシーと世界秩序』NTT出版
東野真『昭和天皇二つの「独白録」』NHK出版☆
高木徹『戦争広告代理店』講談社☆
J.S.ミル『自由論』岩波文庫☆☆
V.E.フランクル『夜と霧』みすず書房☆☆
アリス・ミラー『魂の殺人』新曜社
スコット・タイラー『アメリカの正義の裏側』平凡社
ウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪全書』作品社、☆
J.B.エルシュテイン『裁かれる民主主義』岩波書店
香山リカ『ぷちナショナリズム症候群』中公新書ラクレ、2002
香山リカ『〈私〉の愛国心』ちくま新書、2004
E.W.サイード『戦争とプロパガンダ』みすず書房
加藤周一・凡人会『テロリズムと日常性』青木書店
ダグラス・ラミス『憲法と戦争』晶文社
スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』みすず書房
副島隆彦『現代アメリカ政治思想の大研究』筑摩書房☆
本多勝一『日本人であることの重荷(貧困なる精神G集)』朝日新聞社☆
シャンタル・ムフ『政治的なるものの再興』日本経済評論社
ハーバーマス『他者の受容』法政大学出版局☆
ハーバーマス『遅ればせの革命』岩波書店
ハーバーマス『近代 未完のプロジェクト』岩波現代文庫
ハーバーマス、ノルテ他『過ぎ去ろうとしない過去』人文書院
テリー・イーグルトン『ポストモダニズムの幻想』大月書店
スーザン・ジョージ『オルター・グローバリゼーション宣言』作品社
クリステヴァ『外国人』法政大学出版局
ミュリエル・ジョリヴェ『移民と現代フランス』集英社新書、2003
梶田孝道『統合と分裂のヨーロッパ』岩波新書☆
梶田孝道『新しい民族問題』中公新書
宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』岩波新書
金時鐘『「在日」のはざまで』平凡社、2001
尹健次『「在日」を考える』平凡社、2001☆
野村進『コリアン世界の旅』講談社、1996
田中宏『在日外国人』岩波新書
福岡安則『在日韓国・朝鮮人』中公新書
原尻英樹『「在日」としてのコリアン』講談社現代新書
朴一『〈在日〉という生き方』講談社選書メチエ
大沼保昭・徐龍達編『在日韓国・朝鮮人と人権(新版)』有斐閣☆
大沼保昭『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』東信堂☆
小松美彦『死は共鳴する――脳死・臓器移植の深みへ』勁草書房
加藤尚武『応用倫理学のすすめ』丸善ライブラリー
加藤尚武『環境倫理学のすすめ』丸善ライブラリー
小浜逸郎『なぜ人を殺してはいけないのか』洋泉社☆
小浜逸郎『人はなぜ働かなくてはならないのか』洋泉社☆
藤原彰『昭和天皇の15年戦争』青木書店☆
吉田裕『昭和天皇の終戦史』岩波新書☆
最上敏樹『人道的介入』岩波新書☆
団籐重光『死刑廃止論』有斐閣☆
辻本義男『死刑論』中央学院大学アクティブセンター
マーサ・ヌスバウム他『国を愛するということ』人文書院☆☆
高橋和巳『孤立無援の思想』岩波書店
吉永みち子『性同一性障害』集英社新書
ルナン、フィヒテ、バリバール他『国民とはなにか』インスクリプト
アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』岩波書店
夏目漱石『私の個人主義』講談社学術文庫
松井芳郎『国際法から世界を見る』東信堂、2004☆
広瀬善男『主権国家と新世界秩序』信山社、1997☆
広瀬善男『戦後日本の再構築』信山社、2007
田中克彦『ことばと国家』岩波新書
田中克彦『差別語から入る言語学入門』明石書店
渡辺洋三『現代日本社会と民主主義』岩波新書
日高六郎『戦後思想を考える』岩波新書
加藤周一『羊の歌』『続・羊の歌』岩波新書
小田実『世直しの倫理と論理(上・下)』岩波新書
◆更新履歴
2007/08/17
2007/08/18
2007/08/19
2007/08/28
2007/08/30
2007/09/26
2007/10/19
2007/10/29
2007/11/03
2007/12/05
2007/12/08
2007/12/26
2008/02/08
[ 03:30 ]
[ 本たち ]
以下に挙げる憲法(特に9条)関係の文献リストは、私が最近読んだ(再読した)、もしくは読むつもりの本です。雑誌を除き、編著者名の五十音順に挙げています。
末尾の☆2個は私の独断と偏見により、「極めて素晴らしい」本、☆1個は「素晴らしい」本です。
愛敬浩二『改憲問題』ちくま新書、2006☆
芦部信喜『憲法判例を読む』岩波書店、1987
浅井基文『集団的自衛権と日本国憲法』集英社新書、2002☆☆
井上達夫編『岩波講座 憲法1 立憲主義の哲学的地平』岩波書店、2007
今井一『「憲法九条」国民投票』集英社新書、2003
浦部法穂『憲法学教室Ⅰ,Ⅱ』日本評論社、1991☆
奥平康弘『憲法Ⅲ』有斐閣☆
憲法再生フォーラム編『有事法制批判』岩波新書、2003☆☆
憲法再生フォーラム編『改憲は必要か』岩波新書、2004☆
古関彰一『新憲法の誕生』中央公論社、1989
小林直樹『憲法第九条』岩波新書、1982☆☆
斎藤貴男『ルポ改憲潮流』岩波新書、2006☆☆
阪口正二郎編『岩波講座 憲法5 グローバル化と憲法』岩波書店、2007
佐藤幸治『憲法(新版)』青林書院、1994☆☆
渋谷秀樹『憲法への招待』岩波新書、2001
杉原泰雄『平和憲法』岩波新書、1987☆
杉原泰雄『憲法Ⅰ,Ⅱ』有斐閣☆
杉原泰雄編『市民のための憲法読本』岩波書店、1982
田中伸尚『憲法九条の戦後史』岩波新書、2005☆
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』ちくま新書、2004
長谷部恭男・杉田敦『これが憲法だ!』朝日新書、2006
樋口陽一『個人と国家』集英社新書、2000☆
樋口陽一『憲法と国家』岩波新書、1999☆
樋口陽一『自由と国家』岩波新書、1989☆
樋口陽一『憲法』創文社、1999年☆☆
樋口陽一『近代国民国家の憲法構造』東京大学出版会、1994☆
樋口陽一・佐藤幸治・中村睦男・浦部法穂『注釈日本国憲法(上・下)』青林書院、1984, 1988☆☆☆
前田哲男『自衛隊――変容のゆくえ』岩波新書、2007
丸山眞男「憲法第九条をめぐる若干の考察」『後衛の位置から』未来社、1982
水島朝穂『武力なき平和』岩波書店、1997年
宮田光雄『非武装国民抵抗の思想』岩波新書、1971☆
渡辺洋三『憲法と国連憲章』岩波書店、1993
『ジュリスト 特集・憲法9条を考える』1260号(2004. 1.1-15)☆
『法律時報 特集・国際社会と憲法九条の役割』2004年6月号☆
<未読本>
池澤夏樹『憲法なんて知らないよ』集英社文庫、2005
浦田一郎『現代の平和主義と立憲主義』日本評論社、1995
浦部法補「憲法九条と「人間の安全保障」」法律時報76巻7号、2004
大沼保昭「護憲的改憲論」ジュリスト1260号、2004
奥平康弘『憲法の想像力』日本評論社、2003
古関彰一『「平和国家」日本の再検討』岩波書店、2002
小林正弥『非戦の哲学』ちくま新書、2003
深瀬忠一『戦争放棄と平和的生存権』岩波書店、1987
保阪正康(監修)『50年前の憲法大論争』講談社現代新書、2007
山内敏弘『平和憲法の理論』日本評論社、1992
渡辺治『憲法「改正」の争点』旬報社、2002
(2008年5月2日更新)
[ 03:00 ]
[ 憲法史年表 ]
1919年 国際連盟規約
1928年 不戦条約
1945年 ****************
6月26日 国際連合憲章署名→10月24日発効
7月26日 米英中が「ポツダム宣言」を発表。
8月14日 ポツダム宣言受諾決定
8月15日 終戦の詔書を放送(玉音放送)。
8月30日 連合国最高司令官のマッカーサーが厚木に到着。
9月2日 東京湾の米戦艦ミズーリ上で重光葵らが降伏文書に調印。
10月4日 GHQが「自由の指令」を発令。
マッカーサーが近衛文麿に憲法改正を示唆。
10月9日 東久邇宮稔彦内閣に代わり、幣原喜重郎内閣が成立。
10月11日 マッカーサーが幣原首相に憲法改正を示唆。
10月13日 臨時閣議で憲法改正のための研究開始決定(担当大臣松本)
10月25日 憲法問題調査委員会(松本委員会)が設置される。
11月22日 近衛が「帝国憲法改正要綱」を天皇に奉答。
12月8日 松本国務相、天皇統治権の不変更など憲法改正4原則発表
12月17日 衆議院議員選挙法改正・公布(婦人参政権導入)
12月18日 衆議院解散
12月26日 憲法研究会が「憲法草案要綱」を発表。
12月27日 全連合国代表から成る極東委員会の設置を決定
1946年 *****************
1月1日 昭和天皇が「人間宣言」を行う。
1月24日 幣原喜重郎とマッカーサーの会見
2月1日 毎日新聞が「松本委員会試案」をスクープ。
2月3日 マッカーサーが3原則を提示、民政局にGHQ草案の作成を指示。
2月4日~12日 GHQ草案起草作業
2月8日 日本政府がGHQに「憲法改正要綱」を提出。
2月13日 GHQは要綱を拒否、日本側にGHQ草案を手渡す。
2月18日 政府、国体護持の観点から補充説明書をGHQに提出→即座に拒否
2月22日 閣議でGHQ草案の受け入れ決定
2月26日 対案作成開始;極東委員会第1回会合
3月2日 政府案作成(3月2日案)
3月4日~5日、GHQと徹夜で協議
3月5日 閣議でGHQとの協議に基づいた憲法改正草案要綱決定
3月6日 日本政府、改正要綱を発表。マッカーサー、承認声明
3月7日 極東委員会第2回会合
3月10日 衆議院議員総選挙公示、山川均の呼びかけで民主人民連盟結成
3月15日 民主人民連盟が人民の手による新憲法制定を要求
4月10日 新選挙法に基づく第22回衆議院議員総選挙
4月17日 日本政府が口語体の「憲法改正草案」を発表。
5月3日 極東国際軍事裁判開廷
5月22日 第1次吉田茂内閣が成立。
6月20日 第90回帝国議会(制憲議会)に改正案を提出。
8月24日、衆議院で改正案を修正可決(421対8)
10月7日、貴族院で修正可決
11月3日 日本国憲法を公布。
12月1日 「憲法普及会」が組織される。
1947年 ****************
5月3日 日本国憲法を施行。
1950年 ****************
6月25日 朝鮮戦争勃発
7月8日 マッカーサー、警察予備隊創設を指令(再軍事化の開始)
8月 警察予備隊を設置
1951年 ****************
1月 アメリカとの間で対日講和条約交渉が始まる。アメリカは再軍備を要求
2月3日 再軍備要求に対して吉田の譲歩案
9月8日 サンフランシスコで対日平和条約、日米安保条約に調印
1952年 ****************
4月28日 対日平和条約発効、日本独立
7月 保安庁法公布、
8月 保安庁と海上警備隊設置
10月 警察予備隊を保安隊に改組
11月25日 「戦力」に関する政府統一見解(内閣法制局)
・ 9条2項は、侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず「戦力」の保持を禁止している
・ 右にいう「戦力」とは、近代戦に役立つ程度の装備、編成を具えるものをいう(「近代戦遂行能力説」)
・ 「戦力」の基準は、その国のおかれた時間的、空間的環境で具体的に判断せねばならない
・ 9条2項にいう「保持」とは、いうまでもなくわが国が保持の主体たることを示す。米軍は……9条の関するところではない
1954年 ****************
3月8日、日米相互防衛援助協定(MSA協定)締結
6月9日 防衛庁設置法と自衛隊法公布
7月1日 保安隊を自衛隊に改組
12月10日 改憲積極派の鳩山一郎内閣成立
12月21日 政府統一見解における「戦力」概念の変更
・ 国家が自衛権を持っておる以上、……憲法が……自衛力というものを禁止しておるということは当然これは考えられない、すなわち第2項におきます……戦力は保持しないという意味の戦力はこれに当たらない……(林法制局長官)(「自衛力=非戦力説」)
12月22日 新・政府統一見解
・ 「自衛のための必要相当な範囲の実力部隊」は違憲でない(衆院予算委員会・大村清一郎防衛庁長官)
1955年 ****************
10月 社会党統一
11月 保守合同で自由民主党結成(55年体制成立)。第3次鳩山内閣
1956年 ****************
10月 日ソ共同宣言
12月 日本、国連加盟
1959年 ****************
3月30日 砂川事件第一審判決(伊達判決)・・・日米安保に違憲判決
12月16日 砂川事件最高裁判決・・・安保合憲判決
1960年 ****************
5月19日 新安保条約、強行採決
6月19日 新安保条約、自然成立
6月23日 岸首相、退陣表明
1982年 ****************
11月 中曽根内閣発足、「戦後政治の総決算」を打ち出す
1928年 不戦条約
1945年 ****************
6月26日 国際連合憲章署名→10月24日発効
7月26日 米英中が「ポツダム宣言」を発表。
8月14日 ポツダム宣言受諾決定
8月15日 終戦の詔書を放送(玉音放送)。
8月30日 連合国最高司令官のマッカーサーが厚木に到着。
9月2日 東京湾の米戦艦ミズーリ上で重光葵らが降伏文書に調印。
10月4日 GHQが「自由の指令」を発令。
マッカーサーが近衛文麿に憲法改正を示唆。
10月9日 東久邇宮稔彦内閣に代わり、幣原喜重郎内閣が成立。
10月11日 マッカーサーが幣原首相に憲法改正を示唆。
10月13日 臨時閣議で憲法改正のための研究開始決定(担当大臣松本)
10月25日 憲法問題調査委員会(松本委員会)が設置される。
11月22日 近衛が「帝国憲法改正要綱」を天皇に奉答。
12月8日 松本国務相、天皇統治権の不変更など憲法改正4原則発表
12月17日 衆議院議員選挙法改正・公布(婦人参政権導入)
12月18日 衆議院解散
12月26日 憲法研究会が「憲法草案要綱」を発表。
12月27日 全連合国代表から成る極東委員会の設置を決定
1946年 *****************
1月1日 昭和天皇が「人間宣言」を行う。
1月24日 幣原喜重郎とマッカーサーの会見
2月1日 毎日新聞が「松本委員会試案」をスクープ。
2月3日 マッカーサーが3原則を提示、民政局にGHQ草案の作成を指示。
2月4日~12日 GHQ草案起草作業
2月8日 日本政府がGHQに「憲法改正要綱」を提出。
2月13日 GHQは要綱を拒否、日本側にGHQ草案を手渡す。
2月18日 政府、国体護持の観点から補充説明書をGHQに提出→即座に拒否
2月22日 閣議でGHQ草案の受け入れ決定
2月26日 対案作成開始;極東委員会第1回会合
3月2日 政府案作成(3月2日案)
3月4日~5日、GHQと徹夜で協議
3月5日 閣議でGHQとの協議に基づいた憲法改正草案要綱決定
3月6日 日本政府、改正要綱を発表。マッカーサー、承認声明
3月7日 極東委員会第2回会合
3月10日 衆議院議員総選挙公示、山川均の呼びかけで民主人民連盟結成
3月15日 民主人民連盟が人民の手による新憲法制定を要求
4月10日 新選挙法に基づく第22回衆議院議員総選挙
4月17日 日本政府が口語体の「憲法改正草案」を発表。
5月3日 極東国際軍事裁判開廷
5月22日 第1次吉田茂内閣が成立。
6月20日 第90回帝国議会(制憲議会)に改正案を提出。
8月24日、衆議院で改正案を修正可決(421対8)
10月7日、貴族院で修正可決
11月3日 日本国憲法を公布。
12月1日 「憲法普及会」が組織される。
1947年 ****************
5月3日 日本国憲法を施行。
1950年 ****************
6月25日 朝鮮戦争勃発
7月8日 マッカーサー、警察予備隊創設を指令(再軍事化の開始)
8月 警察予備隊を設置
1951年 ****************
1月 アメリカとの間で対日講和条約交渉が始まる。アメリカは再軍備を要求
2月3日 再軍備要求に対して吉田の譲歩案
9月8日 サンフランシスコで対日平和条約、日米安保条約に調印
1952年 ****************
4月28日 対日平和条約発効、日本独立
7月 保安庁法公布、
8月 保安庁と海上警備隊設置
10月 警察予備隊を保安隊に改組
11月25日 「戦力」に関する政府統一見解(内閣法制局)
・ 9条2項は、侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず「戦力」の保持を禁止している
・ 右にいう「戦力」とは、近代戦に役立つ程度の装備、編成を具えるものをいう(「近代戦遂行能力説」)
・ 「戦力」の基準は、その国のおかれた時間的、空間的環境で具体的に判断せねばならない
・ 9条2項にいう「保持」とは、いうまでもなくわが国が保持の主体たることを示す。米軍は……9条の関するところではない
1954年 ****************
3月8日、日米相互防衛援助協定(MSA協定)締結
6月9日 防衛庁設置法と自衛隊法公布
7月1日 保安隊を自衛隊に改組
12月10日 改憲積極派の鳩山一郎内閣成立
12月21日 政府統一見解における「戦力」概念の変更
・ 国家が自衛権を持っておる以上、……憲法が……自衛力というものを禁止しておるということは当然これは考えられない、すなわち第2項におきます……戦力は保持しないという意味の戦力はこれに当たらない……(林法制局長官)(「自衛力=非戦力説」)
12月22日 新・政府統一見解
・ 「自衛のための必要相当な範囲の実力部隊」は違憲でない(衆院予算委員会・大村清一郎防衛庁長官)
1955年 ****************
10月 社会党統一
11月 保守合同で自由民主党結成(55年体制成立)。第3次鳩山内閣
1956年 ****************
10月 日ソ共同宣言
12月 日本、国連加盟
1959年 ****************
3月30日 砂川事件第一審判決(伊達判決)・・・日米安保に違憲判決
12月16日 砂川事件最高裁判決・・・安保合憲判決
1960年 ****************
5月19日 新安保条約、強行採決
6月19日 新安保条約、自然成立
6月23日 岸首相、退陣表明
1982年 ****************
11月 中曽根内閣発足、「戦後政治の総決算」を打ち出す
[ 02:00 ]
[ 憲法史年表 ]
1990年 ****************
8月 湾岸危機発生
1991年 ****************
1月 湾岸戦争勃発
4月 ペルシャ湾に掃海艇派遣
11月 宮沢内閣成立
1992年 ****************
6月 PKO協力法成立
9月 自衛隊PKO部隊、カンボジアへ
1993年 ****************
8月 細川内閣成立
1994年 ****************
4月 羽田内閣成立
6月 自社さ連立政権(村山内閣)成立
7月 社会党が自衛隊合憲・安保堅持に政策転換
1995年 ****************
1.17 阪神淡路大地震
3.20 地下鉄サリン事件
8.15 「村山談話」(戦後50年にあたって首相談話)
1996年 ****************
1月 橋本内閣成立
4月 橋本・クリントン「安保共同宣言」(安保再定義)
1997年 ****************
9月 日米政府、新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)決定……「周辺事態」における日米軍事協力体制に「日本有事」における日米共同作戦をリンクさせる。
1998年 ****************
1月 小渕内閣成立
1999年 ****************
3月 NATO軍によるコソボ空爆
5月 周辺事態法などガイドライン関連3法成立……新ガイドラインを具体化するための法制度。日本「周辺」での米軍への後方地域支援活動が可能に
8月 国旗国歌法、通信傍受法、改正住民基本台帳法、(憲法調査会を国会に設置するための)改正国会法成立
2000年 ****************
1月 両議院の憲法調査会発足
4月 森内閣成立…施政方針演説で有事法制制定に言及
10月 「アーミテージ報告」(米国防大学国家戦略研究所特別報告書)で日本に対し、集団的自衛権禁止解釈の変更、有事立法の成立を含む新ガイドラインの誠実な実行を要求
2001年 ****************
4月 小泉内閣成立……就任直後の記者会見で、憲法見直し、集団的自衛権解釈の見直し、有事法制制定、靖国神社参拝を強調
経済同友会が集団的自衛権解釈の再検討を要求
9.11 同時多発テロ勃発
10.7~ 米英軍、アフガニスタン空爆開
10.29 テロ対策特措法成立……「後方地域支援」をインド洋にまで拡大。米軍の対テロ戦争(国際社会の取組)に寄与するための自衛隊派遣を可能に。
11月 インド洋に自衛隊派遣
12月 海上保安庁巡視船が不審船と交戦、沈没させる。
2002年 ****************
4月 有事関連3法案を国会提出
9.17 小泉首相が北朝鮮を訪問、初の日朝首脳会談。平壌宣言調印。北朝鮮が拉致を認める。
2003年 ****************
3.20 米英軍、イラク空爆開始
4月 経済同友会、「憲法問題調査会意見書」公表
6.6 武力攻撃事態法、改正自衛隊法、改正安全保障会議設置法(いわゆる有事法制関連3法)が成立……アメリカの行う軍事行動に日本が全面的な後方支援をし、地方自治体や民間企業をも強制的に動員する法制(ここで想定されている「日本有事」とは、日本が米国の始めた戦争への後方支援をする結果として、米軍の「敵国」から反撃される場合だけである)。
7.26 イラク特措法成立……「武力の行使」は不可だが「武器の使用」は許される
11月 日本人外交官2名、イラク北部で殺害。
12月 政府、自衛隊イラク派遣の基本計画決定。
2004年 ****************
1月 自衛隊のイラク派兵……正真正銘の戦地へ派遣
6月 「九条の会」発足(加藤周一、大江健三郎、小田実ら)
9月 小泉首相が国連総会で、日本の安保理常任理事国入りの決意表明→パウエル米国務長官らが「まず9条改定を」
12月 日本商工会議所が「憲法改正についての意見書」公表
政府、自衛隊のイラク派遣延長を決定。新防衛大綱決定。
2005年 ****************
1月 日本経団連の改憲提言「わが国の基本問題を考える」公表
4月 衆参憲法調査会最終報告書
11月 自民党、新憲法草案公表
2006年 ****************
9月26日 安倍内閣成立
12月15日 防衛省設置法、改正自衛隊法、改正教育基本法成立
2007年 ****************
経団連が報告書「希望の国」で憲法改定を提言
1月9日 防衛庁が防衛省に昇格、国連平和維持活動が自衛隊の付随的任務から本来任務に
4月25日 安倍首相が集団的自衛権解釈変更のための私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置
5月14日 国民投票法成立(強行採決)
5月23日 米軍再編特措法成立(強行採決)
6月20日 改正イラク特措法成立(強行採決)
教育関係3法(学校教育法、地方教育行政組織法、教育職員免許法)改正法成立(強行採決)
7月29日 参議院選挙。自民惨敗(110→83議席。改選議席は64→37)、民主躍進(81→109議席。同32→60議席)で与野党逆転(与党105:野党137。改選議席では47:74)。
8月 湾岸危機発生
1991年 ****************
1月 湾岸戦争勃発
4月 ペルシャ湾に掃海艇派遣
11月 宮沢内閣成立
1992年 ****************
6月 PKO協力法成立
9月 自衛隊PKO部隊、カンボジアへ
1993年 ****************
8月 細川内閣成立
1994年 ****************
4月 羽田内閣成立
6月 自社さ連立政権(村山内閣)成立
7月 社会党が自衛隊合憲・安保堅持に政策転換
1995年 ****************
1.17 阪神淡路大地震
3.20 地下鉄サリン事件
8.15 「村山談話」(戦後50年にあたって首相談話)
1996年 ****************
1月 橋本内閣成立
4月 橋本・クリントン「安保共同宣言」(安保再定義)
1997年 ****************
9月 日米政府、新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)決定……「周辺事態」における日米軍事協力体制に「日本有事」における日米共同作戦をリンクさせる。
1998年 ****************
1月 小渕内閣成立
1999年 ****************
3月 NATO軍によるコソボ空爆
5月 周辺事態法などガイドライン関連3法成立……新ガイドラインを具体化するための法制度。日本「周辺」での米軍への後方地域支援活動が可能に
8月 国旗国歌法、通信傍受法、改正住民基本台帳法、(憲法調査会を国会に設置するための)改正国会法成立
2000年 ****************
1月 両議院の憲法調査会発足
4月 森内閣成立…施政方針演説で有事法制制定に言及
10月 「アーミテージ報告」(米国防大学国家戦略研究所特別報告書)で日本に対し、集団的自衛権禁止解釈の変更、有事立法の成立を含む新ガイドラインの誠実な実行を要求
2001年 ****************
4月 小泉内閣成立……就任直後の記者会見で、憲法見直し、集団的自衛権解釈の見直し、有事法制制定、靖国神社参拝を強調
経済同友会が集団的自衛権解釈の再検討を要求
9.11 同時多発テロ勃発
10.7~ 米英軍、アフガニスタン空爆開
10.29 テロ対策特措法成立……「後方地域支援」をインド洋にまで拡大。米軍の対テロ戦争(国際社会の取組)に寄与するための自衛隊派遣を可能に。
11月 インド洋に自衛隊派遣
12月 海上保安庁巡視船が不審船と交戦、沈没させる。
2002年 ****************
4月 有事関連3法案を国会提出
9.17 小泉首相が北朝鮮を訪問、初の日朝首脳会談。平壌宣言調印。北朝鮮が拉致を認める。
2003年 ****************
3.20 米英軍、イラク空爆開始
4月 経済同友会、「憲法問題調査会意見書」公表
6.6 武力攻撃事態法、改正自衛隊法、改正安全保障会議設置法(いわゆる有事法制関連3法)が成立……アメリカの行う軍事行動に日本が全面的な後方支援をし、地方自治体や民間企業をも強制的に動員する法制(ここで想定されている「日本有事」とは、日本が米国の始めた戦争への後方支援をする結果として、米軍の「敵国」から反撃される場合だけである)。
7.26 イラク特措法成立……「武力の行使」は不可だが「武器の使用」は許される
11月 日本人外交官2名、イラク北部で殺害。
12月 政府、自衛隊イラク派遣の基本計画決定。
2004年 ****************
1月 自衛隊のイラク派兵……正真正銘の戦地へ派遣
6月 「九条の会」発足(加藤周一、大江健三郎、小田実ら)
9月 小泉首相が国連総会で、日本の安保理常任理事国入りの決意表明→パウエル米国務長官らが「まず9条改定を」
12月 日本商工会議所が「憲法改正についての意見書」公表
政府、自衛隊のイラク派遣延長を決定。新防衛大綱決定。
2005年 ****************
1月 日本経団連の改憲提言「わが国の基本問題を考える」公表
4月 衆参憲法調査会最終報告書
11月 自民党、新憲法草案公表
2006年 ****************
9月26日 安倍内閣成立
12月15日 防衛省設置法、改正自衛隊法、改正教育基本法成立
2007年 ****************
経団連が報告書「希望の国」で憲法改定を提言
1月9日 防衛庁が防衛省に昇格、国連平和維持活動が自衛隊の付随的任務から本来任務に
4月25日 安倍首相が集団的自衛権解釈変更のための私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置
5月14日 国民投票法成立(強行採決)
5月23日 米軍再編特措法成立(強行採決)
6月20日 改正イラク特措法成立(強行採決)
教育関係3法(学校教育法、地方教育行政組織法、教育職員免許法)改正法成立(強行採決)
7月29日 参議院選挙。自民惨敗(110→83議席。改選議席は64→37)、民主躍進(81→109議席。同32→60議席)で与野党逆転(与党105:野党137。改選議席では47:74)。
2007/05/01のBlog
[ 20:15 ]
辺見庸は『永遠の不服従のために』の最初のエッセイの冒頭に、「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる」という丸山眞男の『自己内対話』の中の言葉を引用している。私は引用元の丸山眞男の文章を読んでいないので、丸山の意図を正確に理解しているわけではないが、この言葉には若干の違和感を覚えた。とくに「転向」という言葉に違和感を覚えたのである。「転向」とは、広辞苑によれば、「方向・立場などをかえること」とある。「かわること」ではなく「かえること」である。つまり、そこには自覚的な意思や選択が働いているはずである。しかし、現在のマスコミで起きている状況も、今から70年前前後のマスコミで生じた事態も、そのような自覚的変化では決してないように思えるのである。つまり、当事者の意識のなかでは決して「転向」などと意識されることのないまま、なし崩し的に権力の意に沿うような御用記事を垂れ流していったというのが真相に近いのではないかと思う。この点については、丸山眞男の「日本ファッシズムの思想と運動」の中の次の記述の方が、事態をより正確に捉えているのではないだろうか。
「インテリは日本においてはむろん明確に反ファッショ的態度を最後まで貫徹し、積極的に表明した者は比較的少く、多くはファッシズムに適応し追随しはしましたが、他方においては決して積極的なファッシズム運動の主張者乃至推進者ではなかった。むしろ気分的には全体としてファッシズム運動に対して嫌悪の感情をもち、消極的抵抗をさえ行っていたのではないかと思います。これは日本のファッシズムにみられる非常に顕著な特質であります」(加藤周一『日本人とは何か』講談社学芸文庫211頁より再引用)
日本社会、とりわけ日本の「知識人」(*1)層にこうした特質があるとすれば、「戦争と朝日新聞」という記事の中で取り上げたむのたけじ氏の発言(「(10人中)9人は、全滅を玉砕と書くのはおかしい、という気持ちを持っていた」)も非常に説得力を持ってくる。つまり彼らは、主観的意図においては、軍国主義に積極的に協力するどころか、むしろ嫌悪の感情さえ抱いていたかも知れないのだが、実際には軍部の方針に従って、「全滅を玉砕」と書き続け、大本営発表の嘘宣伝で国民を洗脳し続けたのである。つまり、現実問題としては、「軍国主義に積極的に加担したこと」こそが真の問題なのであるが、当事者の意識としては、むの氏がいみじくも述べているように「問題は、それ(大本営発表に対する疑念)を紙面で表現できなかったことだ」となるのである。自らが軍国主義の積極的加担者であったにも関わらず、あたかも被害者であったかのごとく捉えてしまっているのである。しかも、当時の朝日においては良心的な記者の一人であったに違いないむの氏にしてそうなのである(!)
先日、鏡 響子さんから頂いたコメントをきっかけに、私は加藤周一の『日本人とは何か』という本を思い出し、本棚から取り出してみて、そのなかに「戦争と知識人」という論文が掲載されているのを見つけて読んだ。論文のはじめの方に、戦争末期の1945年5月上旬に書かれた永井荷風と高見順の日記が引用されていた。それをここに再引用したい。
「五月初三。くもりて風甚冷なり。新聞紙ヒットラ、ムッソリニの二兇戦ひ敗れて死したる由を報ず。天網疎ならず平和克復の日も遠きに非らざるべし」(永井荷風『罹災日録』)。
「五月九日。ドイツ遂に無条件降伏。・・・私はどうも、ヒットラーが好きになれなかった。英米の謀略宣伝にかかっているのかもしれないと充分反省するのだが、ナチというのが神経的に嫌いだ。これは、私だけではないようだ。・・・」(高見順『敗戦日記』)。
ここに現れた両者の相違を大きいと見るか、小さいと見るか?
加藤周一が指摘しているように、両者の差異が(この時点においては)政治的・社会的には意味のない違いであったとしても、文学的、あるいは人間的な意味においては大きな懸隔があったと私も思う。そして、加藤が述べているように、当時の知識人の圧倒的多数は、ファシズムを積極的に支持した日本浪漫派や京都学派の哲学者たちと、永井荷風のごとく心底深くファシズムを否定していた人との中間にあったのである。そして、ファシズムを感覚的にのみ嫌悪していた高見が、日本軍国主義に協力する文学者の組織「文学報国会」の役員をしていたように、主観的にはファシズムを嫌悪していたはずの知識人の大多数が、積極的・消極的に日本型ファシズム体制に協力していったのである。ところが、高見の日記や、前述したむのたけじの証言などを見ると、彼らの主観においては、自らが積極的に侵略戦争に加担した、という意識が驚くほど希薄なのである。それどころか、ともすれば、悪いのは「国民を騙した軍部」であって、自分たちは軍部に騙された被害者だ、というような驚くべき意識さえもっていることがしばしばある(*2)。したがって、自らが軍国主義に積極的に加担し、国の運命を誤らせた責任の一端を担っているという責任意識が驚くほど希薄になっているのである。
一体、どうしてそういうことになったのか? この点に関する加藤の分析はいささか複雑なので、ここでは紹介しないが、興味のある向きは直接加藤の著作に当たってほしい。以下で述べるのは、私の独断と偏見である。とはいえ、これまで何度も述べてきたことの繰り返しにすぎないのだが…。
戦前の日本の知識人の大多数が、ファシズムに対して、内心は反発したり嫌悪を感じたりしながらも、実際の行動としては、むしろファシズムに積極的に加担してゆき、永井荷風のように沈黙を守り通すことすらできなかったのは、彼らの思想が地に足の着いたものとなっておらず、時流や多数派に抗しても守るべき価値というものが個人の内面深くに定着していなかったからであろう。言い換えれば、世間や時流がどうであろうと、そういうものから独立した「個」というものが確立しておらず、常に自分の外部に規範や指針を見出そうとする他律的な人が大部分だったということではないだろうか。そして、そうした状況は、私の見るところ、戦後60数年を経た現在の日本においても、全く変わっていないように思われる。そして、それこそが、現在の日本が新たなファシズムに向かって、なし崩し的に歯止めなく突き進んでいる根本原因なのではあるまいか。
現在の日本には、まだかろうじて言論の自由があるので、こうして普通の市民がブログなどで自分の意見を表明する自由は残されている。しかし、こうした自由がいつまで保障されているかはわからない。憲法が改悪され、有事法制がさらに強化されれば、現在保障されている自由も確実に制限されるだろう。今ならば、ブログでどんな過激なことを言っても逮捕されたり拷問されたりする心配はないので、何でも言える。現に、過激な言葉を吐き出すことによって人より偉くなったかのように思い込んでいるブロガーもいるように見受けられる(自民党を激越に批判している人が民主党を熱烈に支持していたりするのを見ると笑ってしまうのだが…)。しかし、近い将来、政府に批判的な言論が徹底的に取り締まられるようになったときに、少なくとも体制追随的な言説を撒き散らさないだけの矜持を持った人がどれだけいるだろうか? 私などは率先して提灯記事を書いてしまうかもしれない(笑)
(*1)戦前の日本においては、知識人(インテリ)と大衆の区別はかなり明瞭であったが、現在の日本においては、両者を区別することは不可能に近い。したがって、現在の日本において「知識人」という言葉を使うときは、非常に曖昧で緩やかな意味で使っていることをお断りしておく。
(*2)加藤が強調しているように、「政府や軍部に騙された」という言い訳は、国民の多数(大衆)には通用しても、知識人には断じて通用しない。「騙された」とすれば、それは自ら「騙される」ことを望んだからである。
「インテリは日本においてはむろん明確に反ファッショ的態度を最後まで貫徹し、積極的に表明した者は比較的少く、多くはファッシズムに適応し追随しはしましたが、他方においては決して積極的なファッシズム運動の主張者乃至推進者ではなかった。むしろ気分的には全体としてファッシズム運動に対して嫌悪の感情をもち、消極的抵抗をさえ行っていたのではないかと思います。これは日本のファッシズムにみられる非常に顕著な特質であります」(加藤周一『日本人とは何か』講談社学芸文庫211頁より再引用)
日本社会、とりわけ日本の「知識人」(*1)層にこうした特質があるとすれば、「戦争と朝日新聞」という記事の中で取り上げたむのたけじ氏の発言(「(10人中)9人は、全滅を玉砕と書くのはおかしい、という気持ちを持っていた」)も非常に説得力を持ってくる。つまり彼らは、主観的意図においては、軍国主義に積極的に協力するどころか、むしろ嫌悪の感情さえ抱いていたかも知れないのだが、実際には軍部の方針に従って、「全滅を玉砕」と書き続け、大本営発表の嘘宣伝で国民を洗脳し続けたのである。つまり、現実問題としては、「軍国主義に積極的に加担したこと」こそが真の問題なのであるが、当事者の意識としては、むの氏がいみじくも述べているように「問題は、それ(大本営発表に対する疑念)を紙面で表現できなかったことだ」となるのである。自らが軍国主義の積極的加担者であったにも関わらず、あたかも被害者であったかのごとく捉えてしまっているのである。しかも、当時の朝日においては良心的な記者の一人であったに違いないむの氏にしてそうなのである(!)
先日、鏡 響子さんから頂いたコメントをきっかけに、私は加藤周一の『日本人とは何か』という本を思い出し、本棚から取り出してみて、そのなかに「戦争と知識人」という論文が掲載されているのを見つけて読んだ。論文のはじめの方に、戦争末期の1945年5月上旬に書かれた永井荷風と高見順の日記が引用されていた。それをここに再引用したい。
「五月初三。くもりて風甚冷なり。新聞紙ヒットラ、ムッソリニの二兇戦ひ敗れて死したる由を報ず。天網疎ならず平和克復の日も遠きに非らざるべし」(永井荷風『罹災日録』)。
「五月九日。ドイツ遂に無条件降伏。・・・私はどうも、ヒットラーが好きになれなかった。英米の謀略宣伝にかかっているのかもしれないと充分反省するのだが、ナチというのが神経的に嫌いだ。これは、私だけではないようだ。・・・」(高見順『敗戦日記』)。
ここに現れた両者の相違を大きいと見るか、小さいと見るか?
加藤周一が指摘しているように、両者の差異が(この時点においては)政治的・社会的には意味のない違いであったとしても、文学的、あるいは人間的な意味においては大きな懸隔があったと私も思う。そして、加藤が述べているように、当時の知識人の圧倒的多数は、ファシズムを積極的に支持した日本浪漫派や京都学派の哲学者たちと、永井荷風のごとく心底深くファシズムを否定していた人との中間にあったのである。そして、ファシズムを感覚的にのみ嫌悪していた高見が、日本軍国主義に協力する文学者の組織「文学報国会」の役員をしていたように、主観的にはファシズムを嫌悪していたはずの知識人の大多数が、積極的・消極的に日本型ファシズム体制に協力していったのである。ところが、高見の日記や、前述したむのたけじの証言などを見ると、彼らの主観においては、自らが積極的に侵略戦争に加担した、という意識が驚くほど希薄なのである。それどころか、ともすれば、悪いのは「国民を騙した軍部」であって、自分たちは軍部に騙された被害者だ、というような驚くべき意識さえもっていることがしばしばある(*2)。したがって、自らが軍国主義に積極的に加担し、国の運命を誤らせた責任の一端を担っているという責任意識が驚くほど希薄になっているのである。
一体、どうしてそういうことになったのか? この点に関する加藤の分析はいささか複雑なので、ここでは紹介しないが、興味のある向きは直接加藤の著作に当たってほしい。以下で述べるのは、私の独断と偏見である。とはいえ、これまで何度も述べてきたことの繰り返しにすぎないのだが…。
戦前の日本の知識人の大多数が、ファシズムに対して、内心は反発したり嫌悪を感じたりしながらも、実際の行動としては、むしろファシズムに積極的に加担してゆき、永井荷風のように沈黙を守り通すことすらできなかったのは、彼らの思想が地に足の着いたものとなっておらず、時流や多数派に抗しても守るべき価値というものが個人の内面深くに定着していなかったからであろう。言い換えれば、世間や時流がどうであろうと、そういうものから独立した「個」というものが確立しておらず、常に自分の外部に規範や指針を見出そうとする他律的な人が大部分だったということではないだろうか。そして、そうした状況は、私の見るところ、戦後60数年を経た現在の日本においても、全く変わっていないように思われる。そして、それこそが、現在の日本が新たなファシズムに向かって、なし崩し的に歯止めなく突き進んでいる根本原因なのではあるまいか。
現在の日本には、まだかろうじて言論の自由があるので、こうして普通の市民がブログなどで自分の意見を表明する自由は残されている。しかし、こうした自由がいつまで保障されているかはわからない。憲法が改悪され、有事法制がさらに強化されれば、現在保障されている自由も確実に制限されるだろう。今ならば、ブログでどんな過激なことを言っても逮捕されたり拷問されたりする心配はないので、何でも言える。現に、過激な言葉を吐き出すことによって人より偉くなったかのように思い込んでいるブロガーもいるように見受けられる(自民党を激越に批判している人が民主党を熱烈に支持していたりするのを見ると笑ってしまうのだが…)。しかし、近い将来、政府に批判的な言論が徹底的に取り締まられるようになったときに、少なくとも体制追随的な言説を撒き散らさないだけの矜持を持った人がどれだけいるだろうか? 私などは率先して提灯記事を書いてしまうかもしれない(笑)
(*1)戦前の日本においては、知識人(インテリ)と大衆の区別はかなり明瞭であったが、現在の日本においては、両者を区別することは不可能に近い。したがって、現在の日本において「知識人」という言葉を使うときは、非常に曖昧で緩やかな意味で使っていることをお断りしておく。
(*2)加藤が強調しているように、「政府や軍部に騙された」という言い訳は、国民の多数(大衆)には通用しても、知識人には断じて通用しない。「騙された」とすれば、それは自ら「騙される」ことを望んだからである。
[ 16:35 ]
[ メディア ]
warmgunさんが今日の朝日新聞社説を批判しておられる。私は「言論はテロに屈しない」というそのタイトルを見ただけで読む気が失せて読まなかったのだが、それで正解だったようだ。
私が今日書きたいのは社説の右欄、「日本国憲法の60年」という特集の第5回(最終回)の記事についてである。今回の記事には、「権力抑制より国民統治」「脱・戦後レジームへ一気」「「立憲主義」の認識薄く」という3本の見出しがついており、中心的なテーマは立憲主義である。記事から一部引用する。
=======<引用開始>=========
・・・舛添要一・党参院政審会長がこう口にした。
「憲法は国民が身を守るためのもの……」
このひとことは、しかし特段の議論を誘発することなく終わった。
舛添氏が触れたのは、立憲主義のことである。
憲法とは、権力を縛り、国民の権利を守る手だてとしてある。大日本帝国憲法(明治憲法)も制定時の理念としては立憲主義に立っていた。
舛添氏に聞くと、この立憲主義の認識が戦後日本では薄れてきたのだといい、二つの理由を挙げた。・・・・
民主党の枝野幸男氏は立憲主義を力説する数少ない議員の一人だが、講演でこう言っている。
「どんな党が政権を取っても心配のないように憲法を考える。それが立憲主義です」
民主主義の手続きにのっとって選ばれた為政者であっても、好き勝手に出来ないようにする。だれが権力を握ろうと、ここまでは共通の了解でやろうというのが、憲法だ。枝野氏は言う。
「戦前を知る政治家は、立憲主義は当たり前で言わなかった。戦後の政治家は、言われなかったので意識しなかった」
・・・施行60年を経て、「権力の抑制」より「国民統治の規範」とみなす憲法観の倒錯は広がった。
首相は改憲を争点に参院選を戦うと言っている。憲法とは国民を権力から守るものなのか。あるいは国民を縛るものなのか。そこからの議論がまず必要になるだろう。(森川愛彦、福田宏樹)=おわり
=========<引用終わり>============
この記事を読んで、私は驚きを通り越して怒りすら覚えた。
森川愛彦、福田宏樹という2人の記者(私は初めてその名を聞いた)と、この記事をチェックしたはずのデスクは一体、憲法を一度でも真面目に勉強したことがあるのか(大学での勉強に限らない。就職してからでも勉強はできる)。もしもないのだとしたら、どうして憲法を勉強したこともない記者が憲法特集の記事を書けるのか? そもそも、朝日新聞社には憲法を勉強したことのある記者がいるのか?
怒ってばかりいても仕方がないので、具体的に質問する。
(1)「憲法は国民が身を守るためのもの……」という舛添要一氏の発言がどうして立憲主義のことなのか、具体的に説明して欲しい。
(2)権力分立も人権保障も全く不十分であった大日本帝国憲法(明治憲法)は「外見的立憲主義」と呼ぶことはあっても、実質的には立憲主義の要請を満たしていない、と捉えるのが憲法学の常識だと思うが、何を根拠に明治憲法が「制定時の理念としては立憲主義に立っていた」と述べているのか説明して欲しい。
(3)「どんな党が政権を取っても心配のないように憲法を考える。それが立憲主義です」という枝野氏は、立憲主義を正しく理解していると朝日新聞社では考えているのか?
(4)舛添氏は「立憲主義の認識が戦後日本では薄れてきた」と言い、枝野氏も「戦前を知る政治家は、立憲主義は当たり前で言わなかった」と述べている。立憲主義に立脚していない明治憲法下の政治家の方が立憲主義をよく理解していた、ということか? 具体的にどんな政治家がそれに該当するのか教えて欲しい。
(5)「施行60年を経て、「権力の抑制」より「国民統治の規範」とみなす憲法観の倒錯は広がった」と書いている。このような倒錯した憲法観が広がっているのは、一体どこの世界の話なのか明示して下さい。国民の間でそのような倒錯した憲法観が広がっているのか、それとも9条改憲を目指す自民党の中で広がっているのか、どちらなのですか?
(6)「憲法とは国民を権力から守るものなのか。あるいは国民を縛るものなのか。そこからの議論がまず必要になるだろう。(森川愛彦、福田宏樹)=おわり」。(署名を省略して)引用を繰り返す。「憲法とは国民を権力から守るものなのか。あるいは国民を縛るものなのか。そこからの議論がまず必要になるだろう。=おわり」
国民を愚弄しているのか! 我々はそんな愚かなところから議論を始める必要があると本気で考えているのか、答えて欲しい。
<追記>
立憲主義については、私も以前、「立憲主義と民主主義」という記事を書いたので、暇があったら参照して欲しい。
私が今日書きたいのは社説の右欄、「日本国憲法の60年」という特集の第5回(最終回)の記事についてである。今回の記事には、「権力抑制より国民統治」「脱・戦後レジームへ一気」「「立憲主義」の認識薄く」という3本の見出しがついており、中心的なテーマは立憲主義である。記事から一部引用する。
=======<引用開始>=========
・・・舛添要一・党参院政審会長がこう口にした。
「憲法は国民が身を守るためのもの……」
このひとことは、しかし特段の議論を誘発することなく終わった。
舛添氏が触れたのは、立憲主義のことである。
憲法とは、権力を縛り、国民の権利を守る手だてとしてある。大日本帝国憲法(明治憲法)も制定時の理念としては立憲主義に立っていた。
舛添氏に聞くと、この立憲主義の認識が戦後日本では薄れてきたのだといい、二つの理由を挙げた。・・・・
民主党の枝野幸男氏は立憲主義を力説する数少ない議員の一人だが、講演でこう言っている。
「どんな党が政権を取っても心配のないように憲法を考える。それが立憲主義です」
民主主義の手続きにのっとって選ばれた為政者であっても、好き勝手に出来ないようにする。だれが権力を握ろうと、ここまでは共通の了解でやろうというのが、憲法だ。枝野氏は言う。
「戦前を知る政治家は、立憲主義は当たり前で言わなかった。戦後の政治家は、言われなかったので意識しなかった」
・・・施行60年を経て、「権力の抑制」より「国民統治の規範」とみなす憲法観の倒錯は広がった。
首相は改憲を争点に参院選を戦うと言っている。憲法とは国民を権力から守るものなのか。あるいは国民を縛るものなのか。そこからの議論がまず必要になるだろう。(森川愛彦、福田宏樹)=おわり
=========<引用終わり>============
この記事を読んで、私は驚きを通り越して怒りすら覚えた。
森川愛彦、福田宏樹という2人の記者(私は初めてその名を聞いた)と、この記事をチェックしたはずのデスクは一体、憲法を一度でも真面目に勉強したことがあるのか(大学での勉強に限らない。就職してからでも勉強はできる)。もしもないのだとしたら、どうして憲法を勉強したこともない記者が憲法特集の記事を書けるのか? そもそも、朝日新聞社には憲法を勉強したことのある記者がいるのか?
怒ってばかりいても仕方がないので、具体的に質問する。
(1)「憲法は国民が身を守るためのもの……」という舛添要一氏の発言がどうして立憲主義のことなのか、具体的に説明して欲しい。
(2)権力分立も人権保障も全く不十分であった大日本帝国憲法(明治憲法)は「外見的立憲主義」と呼ぶことはあっても、実質的には立憲主義の要請を満たしていない、と捉えるのが憲法学の常識だと思うが、何を根拠に明治憲法が「制定時の理念としては立憲主義に立っていた」と述べているのか説明して欲しい。
(3)「どんな党が政権を取っても心配のないように憲法を考える。それが立憲主義です」という枝野氏は、立憲主義を正しく理解していると朝日新聞社では考えているのか?
(4)舛添氏は「立憲主義の認識が戦後日本では薄れてきた」と言い、枝野氏も「戦前を知る政治家は、立憲主義は当たり前で言わなかった」と述べている。立憲主義に立脚していない明治憲法下の政治家の方が立憲主義をよく理解していた、ということか? 具体的にどんな政治家がそれに該当するのか教えて欲しい。
(5)「施行60年を経て、「権力の抑制」より「国民統治の規範」とみなす憲法観の倒錯は広がった」と書いている。このような倒錯した憲法観が広がっているのは、一体どこの世界の話なのか明示して下さい。国民の間でそのような倒錯した憲法観が広がっているのか、それとも9条改憲を目指す自民党の中で広がっているのか、どちらなのですか?
(6)「憲法とは国民を権力から守るものなのか。あるいは国民を縛るものなのか。そこからの議論がまず必要になるだろう。(森川愛彦、福田宏樹)=おわり」。(署名を省略して)引用を繰り返す。「憲法とは国民を権力から守るものなのか。あるいは国民を縛るものなのか。そこからの議論がまず必要になるだろう。=おわり」
国民を愚弄しているのか! 我々はそんな愚かなところから議論を始める必要があると本気で考えているのか、答えて欲しい。
<追記>
立憲主義については、私も以前、「立憲主義と民主主義」という記事を書いたので、暇があったら参照して欲しい。
2007/04/30のBlog
[ 23:59 ]
[ 日本国憲法全文 ]
[ 22:25 ]
[ メディア ]
昨日書いた「戦争と朝日新聞」でも取り上げたが、朝日新聞は朝刊でも「新聞と戦争」という特集を始めた(夕刊では以前から連載している)。今日の紙面では、「植民地朝鮮の記者たち」と題して、日本が朝鮮半島を植民地統治していた時代、朝日新聞が植民地・朝鮮取材の拠点にしていた「京城(現ソウル)支局」に派遣されていた記者を取り上げ、明らかな軍国主義宣伝をしていた記者が、当時は「軍国主義の宣伝をしているという認識はなかった」という証言を載せている。
さて、朝日新聞がこのような過去の戦争と自社報道との関わりについての検証を行っているのは何のためだろうか? 普通に考えれば、過去の過ちを反省し、将来再び同様の過ちを犯さないための教訓を得るためだと思うのが常識的な見方だろう。
しかし、朝日のこの特集記事を読む限り、現場の記者たちが、今まさに自分たちがファシズムへの道行きに加担しているのではないか、といった反省は皆無のようである。昔の先輩たちは愚かな過ちを犯したが、それはあくまで「昔の先輩たち」の話であって、自分たちとは無関係である、とでも言いたいような無反省なムードが漂っている。それどころか、このような検証記事を書いている自分たちは、いかにもこうした翼賛報道とは無縁のところにいるかのような得意げな口吻すら漂っている。
笑えるではないか! 過去の先輩がやっていた過ちを指摘しながら、自分たちが今まさに同じ過ちを犯しているとの自覚の欠片もなく、それどころか、過去の先輩の過ちを指摘することによって、自分たちの立場が清められるとでも思い込んでいるとは!!
さて、朝日新聞がこのような過去の戦争と自社報道との関わりについての検証を行っているのは何のためだろうか? 普通に考えれば、過去の過ちを反省し、将来再び同様の過ちを犯さないための教訓を得るためだと思うのが常識的な見方だろう。
しかし、朝日のこの特集記事を読む限り、現場の記者たちが、今まさに自分たちがファシズムへの道行きに加担しているのではないか、といった反省は皆無のようである。昔の先輩たちは愚かな過ちを犯したが、それはあくまで「昔の先輩たち」の話であって、自分たちとは無関係である、とでも言いたいような無反省なムードが漂っている。それどころか、このような検証記事を書いている自分たちは、いかにもこうした翼賛報道とは無縁のところにいるかのような得意げな口吻すら漂っている。
笑えるではないか! 過去の先輩がやっていた過ちを指摘しながら、自分たちが今まさに同じ過ちを犯しているとの自覚の欠片もなく、それどころか、過去の先輩の過ちを指摘することによって、自分たちの立場が清められるとでも思い込んでいるとは!!
[ 22:20 ]
[ ブログ ]
読解力のある人にとっては当たり前すぎて言わずもがなの事柄なのに、読解力のない人には何を言ったところで所詮理解できないので言うだけ無駄、というようなことをわざわざ書く意味があるだろうか? 読者がこの2種類だけしかいないとすれば、当然無意味である。しかし、もしかしたら両者の中間に属する人がいるかもしれないので、あまりにも当たり前のことを書くのも空しいことではあるが、拙ブログを読むための常識以前の基礎知識を挙げておく。以下の事柄が理解できない人は、このブログのどの記事を読んでも理解できるはずもないので、来るだけ時間の無駄であるということを老婆心ながら申し上げておく。
・ このブログでは、新聞記事は朝日を取り上げることが多いが、それは単に私が朝日を購読しているからにすぎない。
・ 私が朝日を購読しているのは、単に5大全国紙の中では相対的にマシだと思っているからにすぎず、朝日新聞社という企業を評価しているわけでは全くない。
・ このブログで何度も言っているように、朝日も含め、現在の日本のマスコミはすべて御用メディアに堕落していると私は批判している。
・ とはいえ、マスメディアで働く個々の記者の中には、良心的で優れたジャーナリストも少数ながら存在しているので、マスコミにもときおり良質な記事が載ることがある。しかし、私がそうした良質な記事を取り上げたからといって、その記事を載せたメディアを全体として評価しているわけではもちろんない。
ここから先は、さらにレベルの低い話である。
・ 右翼的思考に凝り固まった人々の中には、どういうわけか朝日新聞を(反権力的であるなどと)過大に評価してしまい、朝日新聞を叩くことだけを生きがいにしている人たちがいる。しかし、残念ながら、私は彼らのようには朝日新聞を全然高く評価していない。私から見れば、朝日も右寄り体制新聞にすぎない。
・ 滑稽なことに、上に述べたような人たちは、朝日新聞の読者は全員、朝日新聞の社説的見解に染まっていると思いたがるようだ。自らの思考をサンケイ的思考と一体化しているために、別の立場の人々も同じようなロボット人間だと思っているのだろう。哀れなことである。さらに笑えるのは、朝日新聞を批判すれば、朝日の記事を引用しただけで朝日全体に対しては批判的な私のような者まで批判できたと得意になるような連中がいることである。(以前、朝日の記事を批判する記事を書いたら、「朝日の受け売りしてんじゃねーぞ、バカ」というコメントをもらったこともある<苦笑>)
・ このブログでは、新聞記事は朝日を取り上げることが多いが、それは単に私が朝日を購読しているからにすぎない。
・ 私が朝日を購読しているのは、単に5大全国紙の中では相対的にマシだと思っているからにすぎず、朝日新聞社という企業を評価しているわけでは全くない。
・ このブログで何度も言っているように、朝日も含め、現在の日本のマスコミはすべて御用メディアに堕落していると私は批判している。
・ とはいえ、マスメディアで働く個々の記者の中には、良心的で優れたジャーナリストも少数ながら存在しているので、マスコミにもときおり良質な記事が載ることがある。しかし、私がそうした良質な記事を取り上げたからといって、その記事を載せたメディアを全体として評価しているわけではもちろんない。
ここから先は、さらにレベルの低い話である。
・ 右翼的思考に凝り固まった人々の中には、どういうわけか朝日新聞を(反権力的であるなどと)過大に評価してしまい、朝日新聞を叩くことだけを生きがいにしている人たちがいる。しかし、残念ながら、私は彼らのようには朝日新聞を全然高く評価していない。私から見れば、朝日も右寄り体制新聞にすぎない。
・ 滑稽なことに、上に述べたような人たちは、朝日新聞の読者は全員、朝日新聞の社説的見解に染まっていると思いたがるようだ。自らの思考をサンケイ的思考と一体化しているために、別の立場の人々も同じようなロボット人間だと思っているのだろう。哀れなことである。さらに笑えるのは、朝日新聞を批判すれば、朝日の記事を引用しただけで朝日全体に対しては批判的な私のような者まで批判できたと得意になるような連中がいることである。(以前、朝日の記事を批判する記事を書いたら、「朝日の受け売りしてんじゃねーぞ、バカ」というコメントをもらったこともある<苦笑>)
[ 01:45 ]
[ コメント ]
傲慢無礼、意味不明、愚劣・低劣・「通りすがり」のコメントと
自己宣伝のためだけの陶酔TBは削除します(&しました)。
(いちいちお相手しているほど閑人ではないので悪しからず)
遠吠えしたければ、他人のブログでなくご自分のブログでどうぞ!