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2007/10/14のBlog
[ 17:01 ]
[ 本たち ]
宮内勝典氏の『惑星の思考』(岩波書店)を読んだ。
先週の朝日新聞・読書欄で書評を読んで気になっていた本だ。
あれから本屋に寄るたびに探していたのだが、昨日ようやく本屋にあったので買ってきた。
宮内氏の著書を読んだのはこれが初めてだったが、非常に読みやすい文章で、内容的にも共感するところが多く、一気に読めた。これは宮内氏が運営するサイト「海亀通信」の中の「海亀日記」というコーナーに2001年12月から2006年7月にかけて綴った日記をまとめたものである。他に書き下ろしの「インド、バングラデシュへの旅」も加えられている。
副題に「<9・11>以後を生きる」とあるように、9.11以後に起きたアフガン戦争やイラク戦争といった時局的な問題についても、怒りを込めて糾弾している。同い年の辺見庸と比べると、政治的な主張は似通っているが、辺見よりも自然体で、飄々としているように思う。大変な知識人ではあるが、気取ったところは一切なく、若い頃から危険地帯を含めて海外を歩き回っているので、胆が据わっているのだろう。
それにしても宮内氏はよく旅をしている。いや、旅というよりも短期的移住といった方がいいかもしれない。この日記の中でも、小樽、沖縄、バングラデシュ、インド、タイなどに滞在しながら、本業である小説を書いている。遊牧民のDNAが流れているのかもしれない。
本書を読んで、宮内氏の小説(とくに『金色の虎』『ぼくは始祖鳥になりたい』『焼身』など)も読んでみたくなった。
なお、著者がこの書の中で繰り返し訴えているのは、言葉の力を回復させたい、という願いである。例えば、次のような一節がある。
<次にやってくるのは、憲法改正だろうか。「改革」といったスローガンで盲目にされてしまうようだと、憲法まで変えられてしまいかねない。政治の話をしたいのではない。ここに述べたような、連続性の喪失、関連性の喪失、ものごとを意味化できなくなってしまった「モザイク化」した感性をどうしたらいいのか、そこから始めなければならない。乱脈な情報に踊らされない統一的な自分をつくりだしていくのは、やはり言葉であると思う。テレビを消して、本を読まなければ。文芸復興は、もう笑いごとではなく、ほんとうに、ほんとうに必要なことだ。言葉を回復させなければ、大変なことになるよ。>
<言葉の力を回復させたいと思う。地上の争いや、この無惨なほどの荒廃ぶりは、言葉の弱りにも原因がある。すべてが繋がっている。言葉の力を甦らせることは、もう笑いごとではなく、わたしたちすべての急務であると思う。>
あれ? なんかどっかで聞いたような言葉だな、と思った人も多いのではないでしょうか? そうだよね。現在、イタリア旅行中のドブログ親分(ただし子分はいない:笑)ことwarmgunさんがいつも書かれているのと同じことだよね!
先週の朝日新聞・読書欄で書評を読んで気になっていた本だ。
あれから本屋に寄るたびに探していたのだが、昨日ようやく本屋にあったので買ってきた。
宮内氏の著書を読んだのはこれが初めてだったが、非常に読みやすい文章で、内容的にも共感するところが多く、一気に読めた。これは宮内氏が運営するサイト「海亀通信」の中の「海亀日記」というコーナーに2001年12月から2006年7月にかけて綴った日記をまとめたものである。他に書き下ろしの「インド、バングラデシュへの旅」も加えられている。
副題に「<9・11>以後を生きる」とあるように、9.11以後に起きたアフガン戦争やイラク戦争といった時局的な問題についても、怒りを込めて糾弾している。同い年の辺見庸と比べると、政治的な主張は似通っているが、辺見よりも自然体で、飄々としているように思う。大変な知識人ではあるが、気取ったところは一切なく、若い頃から危険地帯を含めて海外を歩き回っているので、胆が据わっているのだろう。
それにしても宮内氏はよく旅をしている。いや、旅というよりも短期的移住といった方がいいかもしれない。この日記の中でも、小樽、沖縄、バングラデシュ、インド、タイなどに滞在しながら、本業である小説を書いている。遊牧民のDNAが流れているのかもしれない。
本書を読んで、宮内氏の小説(とくに『金色の虎』『ぼくは始祖鳥になりたい』『焼身』など)も読んでみたくなった。
なお、著者がこの書の中で繰り返し訴えているのは、言葉の力を回復させたい、という願いである。例えば、次のような一節がある。
<次にやってくるのは、憲法改正だろうか。「改革」といったスローガンで盲目にされてしまうようだと、憲法まで変えられてしまいかねない。政治の話をしたいのではない。ここに述べたような、連続性の喪失、関連性の喪失、ものごとを意味化できなくなってしまった「モザイク化」した感性をどうしたらいいのか、そこから始めなければならない。乱脈な情報に踊らされない統一的な自分をつくりだしていくのは、やはり言葉であると思う。テレビを消して、本を読まなければ。文芸復興は、もう笑いごとではなく、ほんとうに、ほんとうに必要なことだ。言葉を回復させなければ、大変なことになるよ。>
<言葉の力を回復させたいと思う。地上の争いや、この無惨なほどの荒廃ぶりは、言葉の弱りにも原因がある。すべてが繋がっている。言葉の力を甦らせることは、もう笑いごとではなく、わたしたちすべての急務であると思う。>
あれ? なんかどっかで聞いたような言葉だな、と思った人も多いのではないでしょうか? そうだよね。現在、イタリア旅行中のドブログ親分(ただし子分はいない:笑)ことwarmgunさんがいつも書かれているのと同じことだよね!
[ 16:40 ]
*個人的なメモです。
今日の朝日新聞で私が一番注目したのは「声」欄であるが、これについては後ほど述べることにする。
今日の読書欄は、気になる本は少なかった。必ず買おうと思ったのは、中島岳志『パール判事――東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)だけである。
T.スコッチポル『失われた民主主義――メンバーシップからマネージメントへ』(慶応大学出版会)は、昨日も本屋で見かけたが、どうしても読みたい、というほどでもない。他に読まなければならない本が山積しているので、これはパスだな。
それ以外では、あえてメモするほどの本はなかったが、ひょっとしたら買うかもしれないと思ったのは『漱石夫妻 愛のかたち』(朝日新書)くらいだった。
今日の朝日新聞で私が一番注目したのは「声」欄であるが、これについては後ほど述べることにする。
今日の読書欄は、気になる本は少なかった。必ず買おうと思ったのは、中島岳志『パール判事――東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)だけである。
T.スコッチポル『失われた民主主義――メンバーシップからマネージメントへ』(慶応大学出版会)は、昨日も本屋で見かけたが、どうしても読みたい、というほどでもない。他に読まなければならない本が山積しているので、これはパスだな。
それ以外では、あえてメモするほどの本はなかったが、ひょっとしたら買うかもしれないと思ったのは『漱石夫妻 愛のかたち』(朝日新書)くらいだった。
2007/10/12のBlog
[ 17:25 ]
[ テロ特措法関連 ]
*「です・ます」調で書くのも疲れてきたので、これからは「だ・である」調に戻す。
と思ったけど、今日は気分的に話し言葉で書くべ。
昨日、書き忘れちゃったんだけど、安保理決議1368には「アフガニスタン」って言葉も「タリバーン」って言葉も一切出てこない。
そりゃそうだ。
9.11テロは実行犯が全員死亡しているうえ、犯行声明も出なかったから、犯行グループを特定する証拠がテロ翌日に揃うはずもない。ってゆーか、今もってあのテロを行った犯罪組織の全貌は全然明らかじゃない。一部には、あの事件はアメリカ政府が仕組んだ自作自演だったという陰謀説まであるくらいだ。私自身は陰謀説を信じているわけではないが、ビンラディンがアフガニスタンで9.11テロを計画し指揮していたなんていう説も、明確な証拠を示されない限り信じるつもりはない。
ま、話が逸れちゃったけど、安保理決議1368がアフガニスタンに対する一方的攻撃(それを国際社会は「侵略」と呼ぶ。一番下に「侵略の定義に関する国連総会決議」を載っけといたんで、参照してくんろ)を容認しているはずもないことくらい、小学生でもわかる理屈である。
んじゃまー、気を取り直して、自衛権の要件について話すことにすっぺ。
2.自衛権行使の要件
昨日も書いたように、米英両国は2001年10月7日、自衛権の発動を根拠として、アフガニスタンへの攻撃を開始した。そこで、果たしてあの戦争が「自衛権の発動」として国際法上、正当化できるのかどうかを検証してみよう。
国連憲章第51条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と規定しており、個別的・集団的自衛権を認めている。しかし、この権利を行使するに当たっては、少なくとも次のような要件を満たす必要がある(以下の4要件は、今日、日本において最も権威のある国際法の教科書とされる山本草二『国際法』を参照した)。
(1) 自衛権の行使は他国の武力攻撃による法益侵害に対抗する手段としてのみ許される
(2) 武力攻撃とは、陸海空軍など正規の軍事手段を用いて行う組織的な軍事行動を言う
(3) 自衛権は、緊急事態管理の措置であって復仇(=報復)のように、相手の武力攻撃の終了後に行われる措置ではない
(4) 自衛権は、「武力攻撃が発生したとき」に限り行使され、先制的・予防的な「自衛権」は禁止される
以上の要件を、アメリカのアフガン攻撃に当てはめて検討してみよう。
(1)9.11テロが「他国」による武力攻撃であったという証拠は現在まで一度も提出されたことはない。それどころか主張されたことすらない。したがって、第1の要件を満たしていないことは明白である。
(2)9.11テロが「正規の軍事手段を用いて行う組織的な軍事行動」に当たらないことは、これまた明白である。したがって、第2の要件も満たしていない。
(3)アフガン攻撃は9.11テロから26日も経ってから開始されており、緊急事態への管理に当たらないことは明白であり、第3の要件も満たしていない。
(4)アメリカは、第2のテロを防ぐための「先制的自衛権」の発動という名目を掲げることもあるが、これは国連憲章の認める自衛権とは全く別物であって、第4の要件も満たしていない。
実はこれらの4要件は正当な自衛権行使と判定されるための最低条件ですらない。これら4要件以外にも、
(5) 他の手段をとりえないほど緊急性があること
(6) 自衛措置は武力攻撃を除去するのに必要な限度に限られ、攻撃の程度と均衡のとれたものでなければならないこと
(7) 安保理が必要な措置をとるまでの間に限り認められること(憲章51条)
などの要件が必要とされている。
しかし、上に見たように、アメリカのアフガン攻撃は、最初の4要件のひとつさえ満たしていない以上、これを自衛権の発動と見なすことは断じてできない。逆に、国連総会が採択した「侵略の定義」にこそ当てはまるものである。したがって、イギリスなどアメリカの侵略に加担した国家が根拠にした「集団的自衛権」という主張が成り立つはずもなく、集団的侵略行為以外のなにものでもなかった。
(続く)
------------------------------------------------------------
【参考】
侵略の定義に関する決議(国連総会決議3314、1974年12月14日採択)
第一条(侵略の定義)
侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう。
第二条(武力の最初の使用)
国家による国際連合憲章に違反する武力の最初の使用は、侵略行為の一応の証拠を構成する。ただし、安全保障理事会は、国際連合憲章に従い、侵略行為が行われたとの決定が他の関連状況(当該行為又はその結果が十分な重大性を有するものではないという事実を含む。)に照らして正当に評価されないとの結論を下すことができる。
第三条(侵略行為)
次に掲げる行為は、いずれも宣戦布告の有無に関わりなく、二条の規定に従うことを条件として、侵略行為とされる。
(a) 一国の軍隊による他国の領域に対する侵略若しくは、攻撃、一時的なものであってもかかる侵入若しくは攻撃の結果もたらせられる軍事占領、又は武力の行使による他国の全部若しくは一部の併合
(b) 一国の軍隊による他国の領域に対する砲爆撃、又は国に一国による他国の領域に対する兵器の使用
(c) 一国の軍隊による他国の港又は沿岸の封鎖
(d) 一国の軍隊による他国の陸軍、海軍若しくは空軍又は船隊若しくは航空隊に関する攻撃
(e) 受入国との合意にもとづきその国の領域内にある軍隊の当該合意において定められている条件に反する使用、又は、当該合意の終了後のかかる領域内における当該軍隊の駐留の継続
(f) 他国の使用に供した領域を、当該他国が第三国に対する侵略行為を行うために使用することを許容する国家の行為
(g) 上記の諸行為い相当する重大性を有する武力行為を他国に対して実行する武装した集団、団体、不正規兵又は傭兵の国家による若しくは国家のための派遣、又はかかる行為に対する国家の実質的関与
第四条(前条以外の行為)
前条に列挙された行為は網羅的なものではなく、安全保障理事会は、その他の行為が憲章の規定の下で侵略を構成すると決定することができる。
第五条(侵略の国際責任)
政治的、経済的、軍事的又はその他のいかなる性質の事由も侵略を正当化するものではない。
侵略戦争は、国際の平和に対する犯罪である。侵略は、国際責任を生じさせる。
侵略の結果もたらせられるいかなる領域の取得又は特殊権益も合法的なものではなく、また合法的なものとして承認されてはならない。
第六条(憲章との関係)
この定義中のいかなる規定も、特に武力の行使が合法的である場合に関する規定を含めて、憲章の範囲をいかなる意味においても拡大し、又は縮小するものと解してはならない。
第七条(自決権)
この定義中のいかなる規定も、特に、第三条は、「国際連合憲章に従った諸国家間の友好関係と協力に関する国際法の諸原則についての宣言」に言及されている。その権 利を強制的に奪われている人民の、特に植民地体制、人種差別体制その他の形態の外国支配化の下にあ る人民の、憲章から導かれる自決、自由及び独立の権利を、また国際連合諸原則及び上記の宣言に従いその目的のために闘争し、支援を求め、かつ、これを受け入れるこれらの人民の権 利をいかなる意味においても害するものとするものではない。
第八条(想定の解釈)
上記の諸規定は、その解釈及び適用上、相互に関連するものであり、各規定は、他の規定との関連において解されなければならない。
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2007/10/11のBlog
[ 18:51 ]
[ テロ特措法関連 ]
さて、以上のような内容を持つ安保理決議1368は、テロ特措法の目的を定めた第1条で引用されているほか、同法の期限切れに伴い自民党が成立させようとしているテロ新法にも書き込まれる予定です。それは、この決議が「テロリストに対しては自衛権を発動してもよいと認めた」、すなわちアメリカの「対テロ戦争」にお墨付きを与えた、という誤った解釈が流布された(させた)のを悪用して、「対テロ戦争」に協力することがあたかもこの決議によって正当化されているかのように誤認させるためです。
この決議が「対テロ戦争」にお墨付きを与えたなどというのは、意図的なデマゴギーでなければ、法解釈の「いろは」も知らない荒唐無稽な誤読という以外にありません。にもかかわらず、同決議採択後6年以上経過した今日に至るまで、このようなデマゴギーや誤読が繰り返し喧伝されています。最近の例で言えば、『世界』10月号に掲載された川端清隆・国連本部政務官の「テロ特措法と安保理決議」もそのひとつです。ちなみに、この論文の末尾には「文中の見解は筆者個人のものであり、必ずしも国連の立場を反映するものではありません」という(当然の)断り書きが添えられているが、サブタイトルは「国連からの視点」と銘打ってあり、あたかも国連から見れば自然な見解であるかのような巧妙な仕掛けが施されています。しかしこの論文を読んだ私は正直言って愕然としました。このような無茶苦茶な法解釈(とすら言えない曲解)をする人が国連本部政務官をしているという事実に、です。川端氏はこの中で、この1368号「決議は、国連憲章第五一条が認める個別的自衛権の発動を認めており、「米国の武力行使を容認したものではない」という、一部で見られる主張は正確ではない」とか、「対テロ戦争を認める決議一三六八」などといった表現で、この決議が「対テロ戦争」を認めている、と主張しています。
果たしてこの主張は本当なのでしょうか。ここで改めて1368決議を見てみよう。
同決議は前文第1項で、「国連憲章の原則及び目的を再確認」した後、同2項で、「テロ活動によって引き起こされた国際の平和及び安全に対する脅威に対してあらゆる手段を用いて闘う」決意を表明しています。ここで、「あらゆる手段」という言葉が用いられているところから、それを「武力行使も容認したもの」と短絡する人がいるかもしれません。しかし、直前で「国連憲章の原則及び目的を再確認」していることからも明らかなように、そうした手段の選択も憲章の原則と目的によって制約されることは当然のことです。
国連憲章は、その目的の1番目に「国際の平和及び安全を維持すること」(1条1項)を掲げており、そうした目的達成のための原則として、2条3項で「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」と定め、さらに続く2条4項では「すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と定めています。つまり、国連憲章上、国際紛争の解決はもっぱら平和的手段によって解決しなければならず、武力行使や武力による威嚇は原則として禁止されているのです。そして、例外的に、武力行使を合法なものとして国連憲章が容認している場合は2通りのケースしかありません。すなわち、国連憲章51条の定める個別的または集団的自衛権を発動する場合と、同42条以下に定める国連の軍事的集団的安全保障措置が採られる場合のどちらかだけなのです。
【国連の集団的安全保障措置】
自衛権行使の要件については後ほど説明することにして、ここでは先に、国連の集団的安全保障措置について説明します。国連の集団的安全保障措置については、憲章第7章(第39条~51条)で定められていますが、それによれば、
(1) 安全保障理事会は平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為があれば、その存在を認定する(39条)。
(2) 安保理は事態の悪化を防ぐために、強制措置を発動する前に、必要または望ましい暫定措置を当事国に要請することができる(40条)。
(3) 安保理は非軍事的な強制措置を決定し、加盟国に要請することができる。この非軍事的措置には、侵略国に対する経済・交通通信・外交関係の断絶などが含まれる(41条)。
(4) 安保理は非軍事的措置では不十分であると認めるときは、軍事的措置を決定し、それに基づく強制行動をとることができる(42条)。
(5) 42条の軍事的措置をとる前提として、特別協定(43条)に基づいて加盟国が提供する兵力によって構成される国連軍を組織しなければならない。
しかし現実には、国連軍の性格や指揮権のあり方などをめぐる安保理常任理事国間の対立から今日に至るまで特別協定は締結されておらず、正式な国連軍が編成されたことは一度もありません。なお、湾岸戦争の際には、多国籍軍の武力行使の根拠とされた安保理決議678(1990年11月29日採択)は、イラクが安保理決議に従わない場合、国連加盟国に「必要なあらゆる手段」をとる権限を与えるとの表現で、「武力行使を許可ないし授権した」という解釈が行われました。この安保理決議については、そもそも国連による統括を受けない武力行使の権限を国連が一部加盟国に白紙委任することが果たして憲章上許されるのか、などいくつかの争点をめぐって重大な疑義が提出されています。
さて、安保理決議1368に戻ると、前文第2項は、それ以前から安保理において国際的なテロ活動を非難してきた延長線上にあるものであって、テロ活動によって引き起こされる平和に対する脅威に対して闘う「決意」を表明したものにすぎず、この規定だけからはいかなる特定の帰結も導き出せない。そして前文第3項は憲章51条の規定する自衛権を「認識」すると言っているだけなので、要するに、前文の3項目はなんら目新しいことを述べている訳ではない。
同決議でまず重要なのは、本文第1項で、9.11テロを「国際の平和と安全に対する脅威である」と認定したことである。これは、未だテロ行為を行った犯罪集団を特定する証拠すら示されてないまま決議が採択されたことを考えると、勇み足という印象は拭えない。なお、従来の慣例に照らすならば、安保理が憲章第7章に規定された集団的安全保障措置(強制措置)をとる場合、その前提として「平和に対する脅威・平和の破壊・侵略行為」を認定するときには、憲章第7章に言及する慣わしになっているのに、この決議では第7章への言及がないので、安保理メンバーが第7章の集団的措置の一環としてこの決議を採択したわけではないことが窺える。
第2項は、9.11テロの犠牲者とその遺族らへの同情と哀悼の意を表明したものであり、次に重要なのは、本文第3項で、すべての国に対し、「これらテロ攻撃の実行者、組織者及び支援者を法に照らして裁くために緊急に共同して取り組む」ことを求めている点です。これは、安保理がこのテロ攻撃をあくまで裁判で裁くべき犯罪として捉えていることを示唆しており、その意味からも、憲章第7章の集団的安全保障措置とは無関係であることが示されています。
続く第4項は、関連する国際テロ対策条約や安保理決議を完全に実施することによってテロを防止し抑止するための努力を国際社会に求めたものであり、これまた憲章第7章の集団的安全保障措置とは無関係です。
第5項は、9.11テロ、およびあらゆる形態のテロリズムと闘うために、安保理が国連憲章の責任に従って、あらゆる必要な措置をとる用意があると表明した、「決意表明」であって、具体的にどのような措置をとるかはこの段階では未定ということです。
そして最後の第6項で、「この問題に引き続き関与する」と決定することによって、具体的にどのような措置をとるかは今後の課題であることが示されているのです。
以上、安保理決議1368のどこを見ても、米英軍が10月7日から開始したアフガニスタンへの攻撃を容認したり、ましてや「授権」したりするような規定は全く見当たりません。現に、米英両国がアフガン空爆開始時に安保理議長に対して宛てた書簡では、同決議に基づくものとしてではなく、個別的・集団的自衛権の発動として説明していました(米国は個別的自衛権、英国は集団的自衛権の発動、というわけです)。したがって、次に、米英両国などによるアフガニスタンへの「対テロ戦争」が果たして自衛権の発動として正当化しうるのか、という問題を考えてみることにしよう。
(続く)
<資料>
国連安保理決議1368号(2001.9.12)
同日本語訳
国連安保理決議1776号(2007.9.19)
国連憲章第7章
テロ対策特別措置法
テロ対策特措法の概要(首相官邸)
テロ対策特措法のQ&A(首相官邸)
Yahoo!ニュース:テロ特措法の期限延長問題
この決議が「対テロ戦争」にお墨付きを与えたなどというのは、意図的なデマゴギーでなければ、法解釈の「いろは」も知らない荒唐無稽な誤読という以外にありません。にもかかわらず、同決議採択後6年以上経過した今日に至るまで、このようなデマゴギーや誤読が繰り返し喧伝されています。最近の例で言えば、『世界』10月号に掲載された川端清隆・国連本部政務官の「テロ特措法と安保理決議」もそのひとつです。ちなみに、この論文の末尾には「文中の見解は筆者個人のものであり、必ずしも国連の立場を反映するものではありません」という(当然の)断り書きが添えられているが、サブタイトルは「国連からの視点」と銘打ってあり、あたかも国連から見れば自然な見解であるかのような巧妙な仕掛けが施されています。しかしこの論文を読んだ私は正直言って愕然としました。このような無茶苦茶な法解釈(とすら言えない曲解)をする人が国連本部政務官をしているという事実に、です。川端氏はこの中で、この1368号「決議は、国連憲章第五一条が認める個別的自衛権の発動を認めており、「米国の武力行使を容認したものではない」という、一部で見られる主張は正確ではない」とか、「対テロ戦争を認める決議一三六八」などといった表現で、この決議が「対テロ戦争」を認めている、と主張しています。
果たしてこの主張は本当なのでしょうか。ここで改めて1368決議を見てみよう。
同決議は前文第1項で、「国連憲章の原則及び目的を再確認」した後、同2項で、「テロ活動によって引き起こされた国際の平和及び安全に対する脅威に対してあらゆる手段を用いて闘う」決意を表明しています。ここで、「あらゆる手段」という言葉が用いられているところから、それを「武力行使も容認したもの」と短絡する人がいるかもしれません。しかし、直前で「国連憲章の原則及び目的を再確認」していることからも明らかなように、そうした手段の選択も憲章の原則と目的によって制約されることは当然のことです。
国連憲章は、その目的の1番目に「国際の平和及び安全を維持すること」(1条1項)を掲げており、そうした目的達成のための原則として、2条3項で「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」と定め、さらに続く2条4項では「すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と定めています。つまり、国連憲章上、国際紛争の解決はもっぱら平和的手段によって解決しなければならず、武力行使や武力による威嚇は原則として禁止されているのです。そして、例外的に、武力行使を合法なものとして国連憲章が容認している場合は2通りのケースしかありません。すなわち、国連憲章51条の定める個別的または集団的自衛権を発動する場合と、同42条以下に定める国連の軍事的集団的安全保障措置が採られる場合のどちらかだけなのです。
【国連の集団的安全保障措置】
自衛権行使の要件については後ほど説明することにして、ここでは先に、国連の集団的安全保障措置について説明します。国連の集団的安全保障措置については、憲章第7章(第39条~51条)で定められていますが、それによれば、
(1) 安全保障理事会は平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為があれば、その存在を認定する(39条)。
(2) 安保理は事態の悪化を防ぐために、強制措置を発動する前に、必要または望ましい暫定措置を当事国に要請することができる(40条)。
(3) 安保理は非軍事的な強制措置を決定し、加盟国に要請することができる。この非軍事的措置には、侵略国に対する経済・交通通信・外交関係の断絶などが含まれる(41条)。
(4) 安保理は非軍事的措置では不十分であると認めるときは、軍事的措置を決定し、それに基づく強制行動をとることができる(42条)。
(5) 42条の軍事的措置をとる前提として、特別協定(43条)に基づいて加盟国が提供する兵力によって構成される国連軍を組織しなければならない。
しかし現実には、国連軍の性格や指揮権のあり方などをめぐる安保理常任理事国間の対立から今日に至るまで特別協定は締結されておらず、正式な国連軍が編成されたことは一度もありません。なお、湾岸戦争の際には、多国籍軍の武力行使の根拠とされた安保理決議678(1990年11月29日採択)は、イラクが安保理決議に従わない場合、国連加盟国に「必要なあらゆる手段」をとる権限を与えるとの表現で、「武力行使を許可ないし授権した」という解釈が行われました。この安保理決議については、そもそも国連による統括を受けない武力行使の権限を国連が一部加盟国に白紙委任することが果たして憲章上許されるのか、などいくつかの争点をめぐって重大な疑義が提出されています。
さて、安保理決議1368に戻ると、前文第2項は、それ以前から安保理において国際的なテロ活動を非難してきた延長線上にあるものであって、テロ活動によって引き起こされる平和に対する脅威に対して闘う「決意」を表明したものにすぎず、この規定だけからはいかなる特定の帰結も導き出せない。そして前文第3項は憲章51条の規定する自衛権を「認識」すると言っているだけなので、要するに、前文の3項目はなんら目新しいことを述べている訳ではない。
同決議でまず重要なのは、本文第1項で、9.11テロを「国際の平和と安全に対する脅威である」と認定したことである。これは、未だテロ行為を行った犯罪集団を特定する証拠すら示されてないまま決議が採択されたことを考えると、勇み足という印象は拭えない。なお、従来の慣例に照らすならば、安保理が憲章第7章に規定された集団的安全保障措置(強制措置)をとる場合、その前提として「平和に対する脅威・平和の破壊・侵略行為」を認定するときには、憲章第7章に言及する慣わしになっているのに、この決議では第7章への言及がないので、安保理メンバーが第7章の集団的措置の一環としてこの決議を採択したわけではないことが窺える。
第2項は、9.11テロの犠牲者とその遺族らへの同情と哀悼の意を表明したものであり、次に重要なのは、本文第3項で、すべての国に対し、「これらテロ攻撃の実行者、組織者及び支援者を法に照らして裁くために緊急に共同して取り組む」ことを求めている点です。これは、安保理がこのテロ攻撃をあくまで裁判で裁くべき犯罪として捉えていることを示唆しており、その意味からも、憲章第7章の集団的安全保障措置とは無関係であることが示されています。
続く第4項は、関連する国際テロ対策条約や安保理決議を完全に実施することによってテロを防止し抑止するための努力を国際社会に求めたものであり、これまた憲章第7章の集団的安全保障措置とは無関係です。
第5項は、9.11テロ、およびあらゆる形態のテロリズムと闘うために、安保理が国連憲章の責任に従って、あらゆる必要な措置をとる用意があると表明した、「決意表明」であって、具体的にどのような措置をとるかはこの段階では未定ということです。
そして最後の第6項で、「この問題に引き続き関与する」と決定することによって、具体的にどのような措置をとるかは今後の課題であることが示されているのです。
以上、安保理決議1368のどこを見ても、米英軍が10月7日から開始したアフガニスタンへの攻撃を容認したり、ましてや「授権」したりするような規定は全く見当たりません。現に、米英両国がアフガン空爆開始時に安保理議長に対して宛てた書簡では、同決議に基づくものとしてではなく、個別的・集団的自衛権の発動として説明していました(米国は個別的自衛権、英国は集団的自衛権の発動、というわけです)。したがって、次に、米英両国などによるアフガニスタンへの「対テロ戦争」が果たして自衛権の発動として正当化しうるのか、という問題を考えてみることにしよう。
(続く)
<資料>
国連安保理決議1368号(2001.9.12)
同日本語訳
国連安保理決議1776号(2007.9.19)
国連憲章第7章
テロ対策特別措置法
テロ対策特措法の概要(首相官邸)
テロ対策特措法のQ&A(首相官邸)
Yahoo!ニュース:テロ特措法の期限延長問題
2007/10/10のBlog
[ 20:08 ]
[ テロ特措法関連 ]
はじめに
今国会の焦点のひとつである、新テロ特措法案(テロ特措法の期限切れに伴い、政府・自民党が成立を画策している法案)をめぐる議論の中で、「国連」とか「国連決議」という言葉があたかも「錦の御旗」か「黄門様の印籠」のように、世論を誘導する小道具として濫用されています。これは、国連決議があたかも(新)テロ特措法に「お墨付き」を与えているかのような全く誤った印象を国民に与え、(新)テロ特措法と「対テロ戦争」の本質を隠蔽するばかりでなく、国連や憲法の原理とその実態に対する正確な認識を妨げるものであって、極めて由々しき問題であると思います。
そこで本稿は、「国連」という言葉の催眠効果によって思考停止に陥らせようとする大々的な世論操作の危険な罠に警鐘を鳴らし、(新)テロ特措法問題および「対テロ戦争」と国連の関係についての正確な理解に資すべく、何回かに分けて論じてみようと思います。
はじめに、今日の産経新聞によれば、新テロ対策特措法(仮称)の骨子案は次のようなものだそうです。
===============
1、法律の目的
国際的なテロリズムの防止および根絶のための国際社会の取組に積極的かつ主体的に寄与するため、現行のテロ対策特措法に基づき行っている協力支援活動と同様の、海上阻止活動に参加している各国の艦船に対する自衛隊による補給活動を行う(国連安保理決議第1368号および第1776号を書き込む)。
2、法律に規定する活動内容
現行のテロ対策特措法に基づき行っている協力支援活動と同様の、海上阻止活動に参加している各国の艦船に対する自衛隊による補給活動に限定する。
3、国会との関係
(1)自衛隊の部隊などの活動規定の詳細化 現行のテロ対策特措法における国会承認事項の内容を新テロ対策特措法の条文において規定。
(2)国会報告規定の充実 現行のテロ対策特措法における国会報告事項に加え、新たに、新テロ対策特措法に基づく活動について、1年後に国会報告を義務付け。
4、法律の期限
2年とする。ただし、法律をもって2年以内の期間を定めて延長することを妨げない。
====================
ここで注目したいのは、国連安保理決議1368号と同1776号が書き込まれるという点です。なぜこれらの決議を書き込むのでしょうか。言うまでもなく、これらの決議が新法案を正当化しているという印象を与えたいからです。しかし、それはなぜでしょうか。これまた自明のことですが、日本人の多くが「国連」というものに対して強い幻想を抱いており、国連に「協力」することが無条件に善であると考える国民が多いためです。
そこで、問題はこうなります。まず第1に、ここで言及されている国連決議は果たしてテロ特措法や新テロ特措法案を正当化しているのか? 次に、国連に「協力」することは無条件で善であるのか? これらの問いに対して本稿は、「対テロ戦争」やテロ特措法を正当化するような国連決議は存在しないこと、国連に「協力」することは無条件で善とは言えないばかりか、場合によっては悪であることすらある、ことを主張するでしょう。後者の理由としては、そもそも国連憲章と日本国憲法の立脚する平和主義には差異があることに加え、(日本政府がしばしば憲法違反の行動をとるように)国連(とりわけ安保理)の実際の活動が国連憲章に反するものであることがあるからです。
1.国連安保理決議1368
これは2001年の9.11同時テロ事件の翌日、安保理で採択された決議です。短いうえに重要なものなので、全文を引用しておきます。
====================
安保理決議1368(訳文)
安全保障理事会は、
国際連合憲章の原則及び目的を再確認し、
テロ活動によって引き起こされた国際の平和及び安全に対する脅威に対してあらゆる手段を用いて闘うことを決意し、
憲章に従って、個別的又は集団的自衛の固有の権利を認識し、
1.2001年9月11日にニューヨーク、ワシントンD.C.、及びペンシルバニアで発生した恐怖のテロ攻撃を最も強い表現で明確に非難し、そのような行為が、国際テロリズムのあらゆる行為と同様に、国際の平和及び安全に対する脅威であると認める。
2.犠牲者及びその家族並びにアメリカ合衆国の国民及び政府に対して、深甚なる同情及び哀悼の意を表明する。
3.すべての国に対して、これらテロ攻撃の実行者、組織者及び支援者を法に照らして裁くために緊急に共同して取り組むことを求めるとともに、これらの行為の実行者、組織者及び支援者を援助し、支持し又はかくまう者は、その責任が問われることを強調する。
4.また、更なる協力並びに関連する国際テロ対策条約及び特に1999年10月19日に採択された安全保障理事会決議第1269号をはじめとする同理事会諸決議の完全な実施によって、テロ行為を防止し抑止するため一層の努力をするよう国際社会に求める。
5.2001年9月11日のテロ攻撃に対応するため、またあらゆる形態のテロリズムと闘うため、国連憲章のもとでの同理事会の責任に従い、あらゆる必要な手順をとる用意があることを表明する。
6.この問題に引き続き関与することを決定する。
====================
*この記事は書きかけです。
(続く)
<資料>
国連安保理決議1368号(2001.9.12)
同日本語訳
国連安保理決議1776号(2007.9.19)
国連憲章第7章
テロ対策特別措置法
テロ対策特措法の概要(首相官邸)
テロ対策特措法のQ&A(首相官邸)
Yahoo!ニュース:テロ特措法の期限延長問題
(*)この記事は内容的に「テロ特措法・テロ新法案を弾劾する(1)」の続編を成すものですが、タイトルを変更していますので、上記記事の通し番号(1)は削除しました。
2007/10/09のBlog
[ 21:18 ]
[ 政治 ]
7月29日の参院選で示された民意の意味については、すでに様々な解釈が提示されてきた。
あれから2ヵ月半がすぎ、すでに主要な解釈は出尽くしたと言っていいだろう。
自民党が惨敗したこと自体は、平和・人権・民主主義・福祉の復権を願う私の立場からは歓迎すべきことではあるが、かといって決して楽観しているわけではない(もとより、民主党に大した期待をしているわけでもない。自民党より若干マシ、という程度にすぎない)。言うまでもなく日本の有権者の最大「党派」は特定の支持政党を持たない「無党派」層であり、選挙のたびに異なる政党に投票したり、投票しなかったりしているわけだから、次の選挙でどうなるかは予断を許さない。
私はこのブログでは、安倍前政権の極右的な歴史認識や超タカ派的改憲路線、安倍の人間としての異常なまでの無能さなどを批判してきたが、自民大惨敗の主たる原因はおそらくそういうところにはないだろう。
一般に指摘されているのは、(消えた)年金問題、閣僚の相次ぐ失言問題、「カネと政治」をめぐる相次ぐスキャンダル、の3点セットである。(1年間でどれほどのスキャンダルが続出したかについては、不破利晴さんのブログの「「自民党」研究序説 Part-3」を参照されたい。)
確かに、これらの相次ぐ不祥事が自民惨敗の大きな原因になったことは間違いないだろう。特に浮動層の自民離れには、こうした不祥事が大きな影響を与えていると推測される。
しかしながら、それだけでは、あれほどの自民惨敗は説明できないだろう。なぜなら、昔からの強固な自民支持層であった農村部や日本医師会などまで自民離れを起こしているからだ。そこで、一番考えられる理由としては、やはり小泉政権時代に本格的に進行した市場原理主義的な構造「改革」路線の「成果」が現れてきたことによって、年金制度や医療制度を始めとする社会福祉制度が崩壊寸前になり、格差問題、すなわちワーキング・プアや貧困問題が顕在化し、このままでは生きていけない、少なくとも将来安心して生きていくことは到底できない、という人々が大量に出現したことに根本原因があるように思われる。
私はこれまでこのブログでは、憲法に関係する問題としては、9条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権の否認)、19条(思想・良心の自由)、20条(信教の自由)、21条(表現の自由)に焦点を当てることが多かったが、どうやらそれ以前に25条に規定された生存権がもはや保障されない国になってしまっていた、ということである。
だとするならば、7月の参院選で示された民意は、小泉「改革」路線に「ノー」を突きつけた、ということにほかなるまい。
******
それにしても、一体、小泉「改革」とは何だったのか?
要するに財界と癒着して、空前の利益を上げる大企業を優遇しつつ、サラリーマンの給与水準は頭打ちのまま、労働市場の「規制緩和」の名の下に不安定・低賃金の非正規雇用を増大させ、貧困世帯を飛躍的に増加させ、医療・教育・福祉といった本来的に競争になじまない分野に競争原理を持ち込み、社会保障政策をずたずたにして、社会的弱者の切捨てを行っただけではないのか?
このような、大企業と大金持ち以外の大多数の国民にとっては「改悪」としか言いようのない政策を、政治家が「改革」と呼べば、マスコミもこぞって「改革」「改革」と連呼し、その具体的中身を検討することもなく、「改革を止めてはならない」などとしたり顔でお説教を垂れる始末である。
考えてみれば、自由と民主主義に一貫して敵対する政党が「自由民主党」と名乗り、対米屈従外交を「国際貢献」と呼び、国家テロリズムを「対テロ戦争」と呼び、障害者の自立を阻止する法律を「障害者自立支援法」と呼ぶ国である。
「戦争は平和である
自由は屈従である
無知は力である」
を3大スローガンとする党が支配するジョージ・オーウェルの「1984年」的世界はすでにこの国において着々と実現しつつあるのではないだろうか!?
あれから2ヵ月半がすぎ、すでに主要な解釈は出尽くしたと言っていいだろう。
自民党が惨敗したこと自体は、平和・人権・民主主義・福祉の復権を願う私の立場からは歓迎すべきことではあるが、かといって決して楽観しているわけではない(もとより、民主党に大した期待をしているわけでもない。自民党より若干マシ、という程度にすぎない)。言うまでもなく日本の有権者の最大「党派」は特定の支持政党を持たない「無党派」層であり、選挙のたびに異なる政党に投票したり、投票しなかったりしているわけだから、次の選挙でどうなるかは予断を許さない。
私はこのブログでは、安倍前政権の極右的な歴史認識や超タカ派的改憲路線、安倍の人間としての異常なまでの無能さなどを批判してきたが、自民大惨敗の主たる原因はおそらくそういうところにはないだろう。
一般に指摘されているのは、(消えた)年金問題、閣僚の相次ぐ失言問題、「カネと政治」をめぐる相次ぐスキャンダル、の3点セットである。(1年間でどれほどのスキャンダルが続出したかについては、不破利晴さんのブログの「「自民党」研究序説 Part-3」を参照されたい。)
確かに、これらの相次ぐ不祥事が自民惨敗の大きな原因になったことは間違いないだろう。特に浮動層の自民離れには、こうした不祥事が大きな影響を与えていると推測される。
しかしながら、それだけでは、あれほどの自民惨敗は説明できないだろう。なぜなら、昔からの強固な自民支持層であった農村部や日本医師会などまで自民離れを起こしているからだ。そこで、一番考えられる理由としては、やはり小泉政権時代に本格的に進行した市場原理主義的な構造「改革」路線の「成果」が現れてきたことによって、年金制度や医療制度を始めとする社会福祉制度が崩壊寸前になり、格差問題、すなわちワーキング・プアや貧困問題が顕在化し、このままでは生きていけない、少なくとも将来安心して生きていくことは到底できない、という人々が大量に出現したことに根本原因があるように思われる。
私はこれまでこのブログでは、憲法に関係する問題としては、9条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権の否認)、19条(思想・良心の自由)、20条(信教の自由)、21条(表現の自由)に焦点を当てることが多かったが、どうやらそれ以前に25条に規定された生存権がもはや保障されない国になってしまっていた、ということである。
だとするならば、7月の参院選で示された民意は、小泉「改革」路線に「ノー」を突きつけた、ということにほかなるまい。
******
それにしても、一体、小泉「改革」とは何だったのか?
要するに財界と癒着して、空前の利益を上げる大企業を優遇しつつ、サラリーマンの給与水準は頭打ちのまま、労働市場の「規制緩和」の名の下に不安定・低賃金の非正規雇用を増大させ、貧困世帯を飛躍的に増加させ、医療・教育・福祉といった本来的に競争になじまない分野に競争原理を持ち込み、社会保障政策をずたずたにして、社会的弱者の切捨てを行っただけではないのか?
このような、大企業と大金持ち以外の大多数の国民にとっては「改悪」としか言いようのない政策を、政治家が「改革」と呼べば、マスコミもこぞって「改革」「改革」と連呼し、その具体的中身を検討することもなく、「改革を止めてはならない」などとしたり顔でお説教を垂れる始末である。
考えてみれば、自由と民主主義に一貫して敵対する政党が「自由民主党」と名乗り、対米屈従外交を「国際貢献」と呼び、国家テロリズムを「対テロ戦争」と呼び、障害者の自立を阻止する法律を「障害者自立支援法」と呼ぶ国である。
「戦争は平和である
自由は屈従である
無知は力である」
を3大スローガンとする党が支配するジョージ・オーウェルの「1984年」的世界はすでにこの国において着々と実現しつつあるのではないだろうか!?
2007/10/08のBlog
[ 03:52 ]
[ 本たち ]
昨日の朝日新聞の読書欄はかなり充実していた。
そこで、私個人の備忘録として、私が興味を持った本をメモしておく。
(したがって、他の人の役には立たないことをあらかじめお断りしておきます。)
なお、< >内は評者名、その後の☆印は私個人の評価であり、☆3つは是非読みたい本、☆2つはできれば読みたい本、☆1つは読んでみたいかも?と思う本である。
・ J・バトラー『生のあやうさ――哀悼と暴力の政治学』(以文社)<斎藤美奈子>☆☆
・ 宮内勝典『惑星の思考』(岩波書店)<巽孝之>☆☆☆
・ M・A・オザンヌ、フレデリック・ド・ジョード『テオ――もうひとりのゴッホ』(平凡社)<久田恵>☆
・ 朝日新聞取材班『分裂にっぽん――中流層はどこへ』(朝日新聞社)<高橋伸彰>☆☆☆
・ 岩田正美『現代の貧困』(ちくま新書)<山口栄二>☆☆
・ 湯浅誠『貧困襲来』(山吹書店)<同上>☆
・ 宇都宮健児ほか『もうガマンできない!広がる貧困』(明石書店)<同上>☆
・ NHKスペシャル取材班『ワーキンブプア 日本を蝕む病』(ポプラ社)<同上>☆
そこで、私個人の備忘録として、私が興味を持った本をメモしておく。
(したがって、他の人の役には立たないことをあらかじめお断りしておきます。)
なお、< >内は評者名、その後の☆印は私個人の評価であり、☆3つは是非読みたい本、☆2つはできれば読みたい本、☆1つは読んでみたいかも?と思う本である。
・ J・バトラー『生のあやうさ――哀悼と暴力の政治学』(以文社)<斎藤美奈子>☆☆
・ 宮内勝典『惑星の思考』(岩波書店)<巽孝之>☆☆☆
・ M・A・オザンヌ、フレデリック・ド・ジョード『テオ――もうひとりのゴッホ』(平凡社)<久田恵>☆
・ 朝日新聞取材班『分裂にっぽん――中流層はどこへ』(朝日新聞社)<高橋伸彰>☆☆☆
・ 岩田正美『現代の貧困』(ちくま新書)<山口栄二>☆☆
・ 湯浅誠『貧困襲来』(山吹書店)<同上>☆
・ 宇都宮健児ほか『もうガマンできない!広がる貧困』(明石書店)<同上>☆
・ NHKスペシャル取材班『ワーキンブプア 日本を蝕む病』(ポプラ社)<同上>☆
2007/10/03のBlog
[ 16:51 ]
[ テロ特措法関連 ]
この間から書こう書こうと思いながら、書くタイミングを逃してしまった(というか、書きたいときに書けなかった)ことから、すっかり書く意欲をなくしていたのだが、今日の朝日新聞を読んで再び怒りに火がついた。
テロ特措法問題について、朝日新聞は昨日と今日、「対テロ戦争の現状と日本」という特集を2回に分けて掲載している。
「給油の大義、再三模索」という大見出しを掲げた今日の記事は、「米国などの有志連合がアフガニスタンやその周辺で進める「対テロ戦争」は、01年の米同時多発テロ事件を受けて米国が「自衛権」を発動して踏み切った戦争だ」という一文で始まっている。そして本文中にも、「OEF(不朽の自由作戦=引用者注)は、米国が米同時多発テロ事件の実行グループ、アルカイダなどへの個別的自衛権の発動と位置づけて踏み切った戦争だ」という文章が見られる。
「嘘も百回つけば真実になる」と言ったのはナチスの宣伝相ゲッベルスだっただろうか。
しかし、日本のマスコミは「嘘も百回聞いているうちに真実と信じ込む」習性があるようだ。否、実態はもっとひどい。権力者のつく嘘は1回聞けば真実と信じ込んでしまい、それを国民に向かって何百回も繰り返すのが日本のマスコミである。
一体、この記事を書いた記者(複数)も記事をチェックしたデスクも、米同時多発テロの実行グループがアルカイダであるという証拠を一体、いつどこで見たのだろうか? そんなものを見た人間がいるはずはない。なるほど、オサマ・ビンラディン自身がビデオテープの中でテロへの関与を示唆する発言を行っているが、それはテロ事件から何カ月も経ってからのことであるうえ、関与を裏付ける証拠は彼自身も何も示していないことから、世界中のテロリストや過激派集団の中での威信を高めるための発言と見るのが妥当なところだろう。少なくとも米政府は未だにテロ事件の首謀者を特定する証拠を一度も公表していない。それどころか、アルカイダと911テロとの関連を示す証拠は、グアンタナモ米軍基地に拉致したアフガン人「捕虜」を尋問(拷問?)しても明らかになっていない。
それでいながら、ブッシュ政権は911テロ直後にビンラディンの率いるアルカイダがテロの主犯であると断定し、「テロリストもテロリストも匿う者も区別しない」「われわれの側につくか、テロリストの側につくか」などという恫喝まがいの発言を繰り返し、アフガニスタンへの攻撃をちらつかせ始めたのである。タリバン政権は当然のことながら、ビンラディンの引き渡しを求める米政府に対し、その根拠となる証拠を示すように要求したが、米政府はそれを全面的に拒否したうえで、英国などとともに一方的な攻撃を開始したのである。実は、米政権は911テロが発生する前の2001年夏には、ビンラディン引き渡しを口実にアフガニスタンのタリバン勢力に対する軍事行動を有志連合で進めることを秘かに計画していたとも言われている(*1)。911テロはそのような米政府にとって絶好の口実を与えることになったのである。米国がアフガン侵略から1年半後に始めたイラク侵略の口実とした「大量破壊兵器の隠匿」「核開発計画」「アルカイダとの関連性」といった正当化理由がすべて事実無根のデタラメであったことは、今では米政府自らが認めているが(但し、仮にこれらがすべて事実であったとしても国際法上、武力行使の正当化理由にはなりえず、違法であることに変わりはない)、911についても、米政府の説明がすべて本当だと思っている米国民は2割しかいない状況であり、世論調査によると、米国民の51%は、米議会が911に関して、ブッシュ政権を調査すべきだと考えているという(関連記事)。
アフガン攻撃に話を戻すと、なるほど米政府が国連安保理に通知したアフガン攻撃の公式理由は「個別的及び集団的自衛権の行使」ということだったが(なぜなら、国連憲章が容認している武力行使は国連自体の集団的強制措置を除けば自衛権の発動しかないからだ)、その実態を見れば、「自衛権」とは何の関係もないことは、子供でもわかる自明の理であった。なぜなら、世界最貧国のひとつであるアフガニスタンが世界最強の米国を侵略した事実などどこにもないからだ(仮にアルカイダがテロの主犯であったとしても、このことに変わりはない)。今さら言うのも馬鹿馬鹿しいが、国際法上「自衛権」とは、ある国家が他の国家から不正な武力攻撃を受けたときに、それを排除するために緊急やむを得ない場合に、必要の限度を超えない範囲で反撃する権利、のことである(*2)。そのような自衛権と米英によるアフガン攻撃が何の関係もないことは子供にでもわかる。しかし、仮に、米国の「対テロ戦争」という名のアフガン攻撃が「自衛権」の発動だったと仮定すると、その米国に追随して戦争協力することは「集団的自衛権」の行使ということになり、政府自身の憲法解釈によっても禁じられている憲法違反の活動だったということになる。しかし、現実には米国の侵略攻撃への協力だったのだから、憲法違反の程度はさらに高いものだった。
もちろん、アフガン攻撃を進める米英両国の政府は、それが「自衛権」とは何の関係もないことは百も承知していたが、うっかり者の権力者たちはついつい本音を漏らしている。例えばブッシュ米大統領は2001年11月下旬、「アフガニスタンは始まりにすぎない」と述べて、イラクや北朝鮮への警告を発し、それ以外にも、ソマリア、イエメン、フィリピン、インドネシア等、ポスト・アフガンの侵略対象国リストを次々検討する始末である。マイケル・ボイス英海軍総司令官も空爆開始から2カ月後には、「指導者が交代するまでアフガンへの攻撃は続く」と述べ、それが国家テロ以外の何物でもないことを自己暴露している。
ブッシュ政権はアフガン攻撃から1年後の2002年9月17日、「国家安全保障戦略」(いわゆる「ブッシュ・ドクトリン」)を発表したが、そのなかで「合衆国はテロリストたちに対抗し自衛権を行使するため、先制的に攻撃し、必要なら単独行動することも辞さない」と宣言している。ここで「自衛権」という言葉が使われているが、これが本来の自衛とは何の関係もない先制攻撃宣言であることは明白である。「日米同盟の堅持」(福田首相の所信表明演説の外交方針の冒頭に出てくる言葉)という名の対米追随を至上命題とする自民党改憲派が「集団的自衛権」の名で呼んでいるもの(憲法改悪もしくは解釈改憲によって実現しようとしているもの)の実態は、このような米国の先制侵略攻撃に加担して侵略国家となることなのである。
米英等によるアフガン攻撃から6年経った今日、テロの主犯と名指しされたビンラディンは所在すら不明で、アルカイダとテロを結びつける証拠も発見されず、大量破壊兵器によって地形が変形するほどの猛爆撃により、911テロの犠牲者をはるかに上回るアフガニスタン人が殺され、アフガニスタンの治安は極度に悪化してテロは以前よりもはるかに頻発しており、タリバンは復活し、麻薬は蔓延し、人々の生活は窮乏し、多国籍軍が擁立したカルザイ傀儡政権は同軍の支えなしには一日としてもたず、世界中に新たなテロリストが生み出されている。
さて、日本に話を戻すと、911テロの直後からブッシュ政権が根拠も示さずアルカイダを主犯と決めつけ、「アルカイダを“匿う”タリバン政権もテロリストと同罪である」という無茶苦茶な理屈でアフガン攻撃を開始すると、対米追随至上主義者の小泉は直ちに米国の侵略攻撃への後方支援を決め、それを「根拠」づけるためにテロ特措法をわずか1カ月あまりで成立させ、大急ぎで自衛隊をインド洋にまで海外派兵させたのである。
最近、テロ特措法に基づいて派兵されていた海上自衛隊の給油活動がイラク戦争に転用されていたとの疑惑が取り沙汰されている。憲法違反の軍隊が根拠法の規定さえ無視した活動を行っていたわけだから、大きな問題には違いないが、しかし、テロ特措法の規定を守っていればそれでよろしい、などという問題では断じてない。テロ特措法自体が憲法違反であるだけでなく、米国等のアフガン攻撃自体が武力行使の禁止という最も重要な国連憲章規定の違反なのであり、それに協力することは憲法にも国際法にも違反することなのである。
なお、テロ特措法の正式名称は寿限無じゃないが異様に長い。「平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」というのがそれである。
笑えるではないか。「国連憲章」だの「国連決議」だのという言葉を使えば、水戸黄門の印籠のごとく国民皆が恐れ入ってしまうとでも思っているのだろう。米国等多国籍軍のアフガン攻撃は「国際連合憲章の目的達成」とはまさに正反対のものであり、具体的に言うと、国連憲章第2条4項(武力による威嚇・武力行使の禁止)及び7項(内政不干渉原則)に真っ向から反するものである。各自国連憲章に当たって確かめられたい(国連憲章)。また、多国籍軍の武力行使を正当化するような国連決議も存在しないが、それについては改めて論じることにする。
(*1)板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』岩波新書、参照。
(*2)国連憲章は自衛権の行使についても、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」という厳しい制約の下においてのみ容認しているにすぎない。
テロ特措法問題について、朝日新聞は昨日と今日、「対テロ戦争の現状と日本」という特集を2回に分けて掲載している。
「給油の大義、再三模索」という大見出しを掲げた今日の記事は、「米国などの有志連合がアフガニスタンやその周辺で進める「対テロ戦争」は、01年の米同時多発テロ事件を受けて米国が「自衛権」を発動して踏み切った戦争だ」という一文で始まっている。そして本文中にも、「OEF(不朽の自由作戦=引用者注)は、米国が米同時多発テロ事件の実行グループ、アルカイダなどへの個別的自衛権の発動と位置づけて踏み切った戦争だ」という文章が見られる。
「嘘も百回つけば真実になる」と言ったのはナチスの宣伝相ゲッベルスだっただろうか。
しかし、日本のマスコミは「嘘も百回聞いているうちに真実と信じ込む」習性があるようだ。否、実態はもっとひどい。権力者のつく嘘は1回聞けば真実と信じ込んでしまい、それを国民に向かって何百回も繰り返すのが日本のマスコミである。
一体、この記事を書いた記者(複数)も記事をチェックしたデスクも、米同時多発テロの実行グループがアルカイダであるという証拠を一体、いつどこで見たのだろうか? そんなものを見た人間がいるはずはない。なるほど、オサマ・ビンラディン自身がビデオテープの中でテロへの関与を示唆する発言を行っているが、それはテロ事件から何カ月も経ってからのことであるうえ、関与を裏付ける証拠は彼自身も何も示していないことから、世界中のテロリストや過激派集団の中での威信を高めるための発言と見るのが妥当なところだろう。少なくとも米政府は未だにテロ事件の首謀者を特定する証拠を一度も公表していない。それどころか、アルカイダと911テロとの関連を示す証拠は、グアンタナモ米軍基地に拉致したアフガン人「捕虜」を尋問(拷問?)しても明らかになっていない。
それでいながら、ブッシュ政権は911テロ直後にビンラディンの率いるアルカイダがテロの主犯であると断定し、「テロリストもテロリストも匿う者も区別しない」「われわれの側につくか、テロリストの側につくか」などという恫喝まがいの発言を繰り返し、アフガニスタンへの攻撃をちらつかせ始めたのである。タリバン政権は当然のことながら、ビンラディンの引き渡しを求める米政府に対し、その根拠となる証拠を示すように要求したが、米政府はそれを全面的に拒否したうえで、英国などとともに一方的な攻撃を開始したのである。実は、米政権は911テロが発生する前の2001年夏には、ビンラディン引き渡しを口実にアフガニスタンのタリバン勢力に対する軍事行動を有志連合で進めることを秘かに計画していたとも言われている(*1)。911テロはそのような米政府にとって絶好の口実を与えることになったのである。米国がアフガン侵略から1年半後に始めたイラク侵略の口実とした「大量破壊兵器の隠匿」「核開発計画」「アルカイダとの関連性」といった正当化理由がすべて事実無根のデタラメであったことは、今では米政府自らが認めているが(但し、仮にこれらがすべて事実であったとしても国際法上、武力行使の正当化理由にはなりえず、違法であることに変わりはない)、911についても、米政府の説明がすべて本当だと思っている米国民は2割しかいない状況であり、世論調査によると、米国民の51%は、米議会が911に関して、ブッシュ政権を調査すべきだと考えているという(関連記事)。
アフガン攻撃に話を戻すと、なるほど米政府が国連安保理に通知したアフガン攻撃の公式理由は「個別的及び集団的自衛権の行使」ということだったが(なぜなら、国連憲章が容認している武力行使は国連自体の集団的強制措置を除けば自衛権の発動しかないからだ)、その実態を見れば、「自衛権」とは何の関係もないことは、子供でもわかる自明の理であった。なぜなら、世界最貧国のひとつであるアフガニスタンが世界最強の米国を侵略した事実などどこにもないからだ(仮にアルカイダがテロの主犯であったとしても、このことに変わりはない)。今さら言うのも馬鹿馬鹿しいが、国際法上「自衛権」とは、ある国家が他の国家から不正な武力攻撃を受けたときに、それを排除するために緊急やむを得ない場合に、必要の限度を超えない範囲で反撃する権利、のことである(*2)。そのような自衛権と米英によるアフガン攻撃が何の関係もないことは子供にでもわかる。しかし、仮に、米国の「対テロ戦争」という名のアフガン攻撃が「自衛権」の発動だったと仮定すると、その米国に追随して戦争協力することは「集団的自衛権」の行使ということになり、政府自身の憲法解釈によっても禁じられている憲法違反の活動だったということになる。しかし、現実には米国の侵略攻撃への協力だったのだから、憲法違反の程度はさらに高いものだった。
もちろん、アフガン攻撃を進める米英両国の政府は、それが「自衛権」とは何の関係もないことは百も承知していたが、うっかり者の権力者たちはついつい本音を漏らしている。例えばブッシュ米大統領は2001年11月下旬、「アフガニスタンは始まりにすぎない」と述べて、イラクや北朝鮮への警告を発し、それ以外にも、ソマリア、イエメン、フィリピン、インドネシア等、ポスト・アフガンの侵略対象国リストを次々検討する始末である。マイケル・ボイス英海軍総司令官も空爆開始から2カ月後には、「指導者が交代するまでアフガンへの攻撃は続く」と述べ、それが国家テロ以外の何物でもないことを自己暴露している。
ブッシュ政権はアフガン攻撃から1年後の2002年9月17日、「国家安全保障戦略」(いわゆる「ブッシュ・ドクトリン」)を発表したが、そのなかで「合衆国はテロリストたちに対抗し自衛権を行使するため、先制的に攻撃し、必要なら単独行動することも辞さない」と宣言している。ここで「自衛権」という言葉が使われているが、これが本来の自衛とは何の関係もない先制攻撃宣言であることは明白である。「日米同盟の堅持」(福田首相の所信表明演説の外交方針の冒頭に出てくる言葉)という名の対米追随を至上命題とする自民党改憲派が「集団的自衛権」の名で呼んでいるもの(憲法改悪もしくは解釈改憲によって実現しようとしているもの)の実態は、このような米国の先制侵略攻撃に加担して侵略国家となることなのである。
米英等によるアフガン攻撃から6年経った今日、テロの主犯と名指しされたビンラディンは所在すら不明で、アルカイダとテロを結びつける証拠も発見されず、大量破壊兵器によって地形が変形するほどの猛爆撃により、911テロの犠牲者をはるかに上回るアフガニスタン人が殺され、アフガニスタンの治安は極度に悪化してテロは以前よりもはるかに頻発しており、タリバンは復活し、麻薬は蔓延し、人々の生活は窮乏し、多国籍軍が擁立したカルザイ傀儡政権は同軍の支えなしには一日としてもたず、世界中に新たなテロリストが生み出されている。
さて、日本に話を戻すと、911テロの直後からブッシュ政権が根拠も示さずアルカイダを主犯と決めつけ、「アルカイダを“匿う”タリバン政権もテロリストと同罪である」という無茶苦茶な理屈でアフガン攻撃を開始すると、対米追随至上主義者の小泉は直ちに米国の侵略攻撃への後方支援を決め、それを「根拠」づけるためにテロ特措法をわずか1カ月あまりで成立させ、大急ぎで自衛隊をインド洋にまで海外派兵させたのである。
最近、テロ特措法に基づいて派兵されていた海上自衛隊の給油活動がイラク戦争に転用されていたとの疑惑が取り沙汰されている。憲法違反の軍隊が根拠法の規定さえ無視した活動を行っていたわけだから、大きな問題には違いないが、しかし、テロ特措法の規定を守っていればそれでよろしい、などという問題では断じてない。テロ特措法自体が憲法違反であるだけでなく、米国等のアフガン攻撃自体が武力行使の禁止という最も重要な国連憲章規定の違反なのであり、それに協力することは憲法にも国際法にも違反することなのである。
なお、テロ特措法の正式名称は寿限無じゃないが異様に長い。「平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」というのがそれである。
笑えるではないか。「国連憲章」だの「国連決議」だのという言葉を使えば、水戸黄門の印籠のごとく国民皆が恐れ入ってしまうとでも思っているのだろう。米国等多国籍軍のアフガン攻撃は「国際連合憲章の目的達成」とはまさに正反対のものであり、具体的に言うと、国連憲章第2条4項(武力による威嚇・武力行使の禁止)及び7項(内政不干渉原則)に真っ向から反するものである。各自国連憲章に当たって確かめられたい(国連憲章)。また、多国籍軍の武力行使を正当化するような国連決議も存在しないが、それについては改めて論じることにする。
(*1)板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』岩波新書、参照。
(*2)国連憲章は自衛権の行使についても、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」という厳しい制約の下においてのみ容認しているにすぎない。
2007/09/28のBlog
[ 04:27 ]
[ 本たち ]
「テロ」だの戦争だの政治だのといった記事ばかり書いてたんじゃ、辛気臭くっていけねえや。(といいつつ、また書くことになるだろうが…)
今日は気分を変えて、別の話題を――。
昨夜は早く寝たら早く目が覚めた。
しばらく布団の中でじっとしていたが、眠れそうにないので起きてきた。
だから…という訳ではないが、今日は(私としては珍しく)下書きなしで即興で書いてみることにする。
昨日は意味ある活動はほとんどできなかったが、好い小説を読んだ。
田辺聖子の「ジョゼと虎と魚たち」(同名の角川文庫所収)だ。
30頁足らずの短編なんだけど、爽やかな読後感が残った。
ジョゼという(ニックネームを自ら名乗る)、ちょっとタカビーな物言いをする車椅子の女性が可愛くて愛しい。(そういえば、関西にはこういうタイプの女の子がたまにいる。)
「管理人」という笑えるニックネームをジョゼにつけられた夫の恒夫もいい味を出している。
二人の話す大阪弁(なにかと嫌われがちな方言ですが…)も、読んでて気持ちがよかった。そういえば、(人からは関東人と見られがちな?)私もルーツは関西人なんだよね。
二人の出会いから結婚に至るプロセスが、簡潔な筆致で、実に自然に、と同時に奇跡のように美しく描かれている。
ありふれた日常生活の中に、奇跡のような出会いが紛れ込んでくることが、誰の生涯にも何度かあるよね!
この小説は、読み手の立場によって色々な受け止め方があるとは思うが、私にとっては、そういう恋愛の奇跡性を思い出させてくれる珠玉の恋愛小説だった。
今日は気分を変えて、別の話題を――。
昨夜は早く寝たら早く目が覚めた。
しばらく布団の中でじっとしていたが、眠れそうにないので起きてきた。
だから…という訳ではないが、今日は(私としては珍しく)下書きなしで即興で書いてみることにする。
昨日は意味ある活動はほとんどできなかったが、好い小説を読んだ。
田辺聖子の「ジョゼと虎と魚たち」(同名の角川文庫所収)だ。
30頁足らずの短編なんだけど、爽やかな読後感が残った。
ジョゼという(ニックネームを自ら名乗る)、ちょっとタカビーな物言いをする車椅子の女性が可愛くて愛しい。(そういえば、関西にはこういうタイプの女の子がたまにいる。)
「管理人」という笑えるニックネームをジョゼにつけられた夫の恒夫もいい味を出している。
二人の話す大阪弁(なにかと嫌われがちな方言ですが…)も、読んでて気持ちがよかった。そういえば、(人からは関東人と見られがちな?)私もルーツは関西人なんだよね。
二人の出会いから結婚に至るプロセスが、簡潔な筆致で、実に自然に、と同時に奇跡のように美しく描かれている。
ありふれた日常生活の中に、奇跡のような出会いが紛れ込んでくることが、誰の生涯にも何度かあるよね!
この小説は、読み手の立場によって色々な受け止め方があるとは思うが、私にとっては、そういう恋愛の奇跡性を思い出させてくれる珠玉の恋愛小説だった。
2007/09/26のBlog
[ 11:36 ]
[ 国際問題 ]
今国会の焦点であるテロ特措法問題を考えるためには、そもそもアメリカの始めた「対テロ戦争」とは何であるのかを考えることが不可欠である。それを抜きに、「対テロ戦争」や「国際貢献」、「国連決議」といった表面的な言葉に惑わされて思考停止に陥ってしまっては話にならないからだ。
さて、以下の文章は2年前(2005年)の8月に当時やっていたブログに掲載したものです。今読み返しても、書き足りないと思う点はあるものの、書いた内容に関しては一字一句訂正する必要は感じないし、当時のブログの読者と現在のブログの読者はほとんど重なっていないように思われるので、「テロ戦争とは何か」を考えるための予備的材料として、そのまま再掲載することにしました。
******** ********* *********
8月1日付朝日新聞に池内恵・国際日本文化研究センター助教授が「「差異への権利」のジレンマ」と題する論説をオピニオン面に寄稿している。その趣旨を一言で言えば、「差別と貧困がロンドン同時爆破テロの原因だ」という説は大間違いで、イギリスでは差別と貧困を是正するためにマイノリティー集団に「差異への権利」を認める多文化主義政策が採られてきたがゆえに、かえってそれがテロの温床になった、というものである。
見当はずれもいいとこである。「差別と貧困」がテロの原因だという説も間違いだが、多文化主義がその温床だというのは、さらなる見当違いであろう。同日付の朝日新聞には、7月21日のテロ事件の容疑者としてローマで逮捕されたエチオピア系英国人、フセイン・オスマンが、テロの動機は英米主導のイラク戦争であり、宗教上の理由ではないと供述している、という記事が載っている。これは、私が「テロはなぜ起きるのか?」という記事のなかで指摘したことを裏付ける証言であるが、事件の捜査がさらに進めば、テロの背景に英米が進める対イラク政策があることはさらに一層明確になるだろうと思う。
アメリカ政府は9.11の後、「テロリストを匿う国はテロリストと同罪とみなす」と繰り返し言明しつつ、アフガニスタンへの戦争を開始した。私は、「テロリストを匿う国は‥‥」という主張自体を受け入れない者だが、仮にこうした主張を誠実に主張しようとする人ならば、その主張を一貫して適用するよう主張しなければならないだろう。なぜなら、少しでも理性のある人ならば、「私は人殺しを絶対に認めない。ただし私が人殺しをするのは自由だ」などという発言を真面目に受け止めることはできないからだ。
それでは、仮に「テロリストを匿う国は…」発言を真剣に受け止めるとどうなるのか? 「テロリストを匿う国はテロリストと同罪であるから、その国に対する報復攻撃は正当なものだ」というのがブッシュ政権の「論理」(仮にそんなものがあるとすれば)だったはずだ。それならば、「テロリストを匿う国」のなかでも、もっとも多くのテロリストを匿っている国こそ最も危険な国だから、真っ先に攻撃しなければいけないはずである。論理的に考えるならば、アメリカはアメリカ(すなわち自国)を真っ先に攻撃しなければならないことになろう。なぜなら、世界で最も多くのテロリストを匿っている国はアメリカであるからだ。それどころか、アメリカはオサマ・ビンラディンをはじめとする数限りないテロリストを養成し、世界各地のテロリストやテロ(支援)国家を支援し、世界各地で自らテロを行ってきたからだ。
そんなことは信じられないという人は、ウィリアム・ブルムの『アメリカの国家犯罪全書』(作品社)(原題はRogue State: A Guide to the World’s Only Superpower)を読んでみればよい。著者のブルムはアメリカの元外交官で、ベトナム戦争に反対して辞任して以後は、アメリカの国家犯罪と外交政策の暗部を告発する仕事を続けているフリー・ジャーナリストである。本書の第9章には、アメリカが国家の政策として匿い続けている名だたるテロリスト(の一部)の一覧が掲載されている。フロリダ州マイアミには、1959年以来、カストロ政権の転覆のためにはどんなことでもするキューバ人亡命者集団が居住しており、かれらの行うテロ、爆撃、暗殺等々あらゆる行為をCIAは全面的にバックアップしてきたのである。なお、JFKの暗殺にも彼らが関わっていたと見られている。そのほか、米国が匿っている多数のテロリスト、独裁者、虐殺者の氏名が実名で書かれているので、詳しくは同書を参照してほしい。
そもそもビンラディンをはじめとするアルカイーダはアメリカが生み出したも同然である。1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻する半年前から、米政府はイスラム原理主義のグループであるムジャヒディンを援助しており、ソ連の介入を誘発した。ソ連介入後は、米国政府高官ですら「言葉にできない惨劇」と述べた虐殺・拷問を進めたムジャヒディンによって人口の半分が殺されるか肢体不自由になるか難民になった。このようなムジャヒディンを米国政府は「自由の戦士」と呼んで支援したが、彼らはソ連撤退後、筋金入りのテロリストとなって世界各地に散らばっていった。その一部がアルカイーダを結成したとみられている。
「テロに想う(2)」でも指摘したように、911事件の実行犯すら未だ全員の特定ができていないのだが、アメリカ政府にはそもそも911事件を解明する気はないとしか思えない。おそらく、911事件を解明することはアメリカ政府にとって都合が悪いことなのだろう。その証拠に、パキスタンの諜報機関であるISI(統合情報局)のマフムード・アーメド局長が、サイード・シェイクという人物を通じ、911の実行犯で主犯格とされたモハマド・アッタ容疑者(死亡)に対し、10万ドル以上のテロの資金を送金していたことがFBIの調査で明らかになり、同国のムシャラフ大統領はアフガン戦争が起こる直前の10月7日、マフムード局長を解任したにも関わらず、アメリカ政府はパキスタン政府に対し、マフムード局長の引渡しを求めるといった要求を一切行っていないのである。911以後大政翼賛的になっているアメリカのマスメディアもこの事件を一切報道していない。ちなみに、ISIとは、アフガニスタンで虐殺・拷問・ゲリラ活動を行っていたムジャヒディンを支援するためにCIAによって育て上げられた組織である。
また、アメリカ政府にはそもそもビンラディンを捕まえるつもりもない。ビンラディンがスーダンに亡命していた1996年、スーダンの国防大臣がアメリカ政府に「ビンラディンを引き渡すからアメリカの裁判所で裁いてくれ」と要請したのを、アメリカが断ったという経緯もあるが、テロが起きる2ヶ月前の2001年7月には、CIAはドバイ(アラブ首長国連邦)のアメリカン病院に入院中だったオサマ・ビンラディンを面会に訪れているのである。
また、アメリカ政府は、FBIがビンラディンやアルカイーダに対する捜査を進めないよう現場の捜査官に対して圧力をかけていた。FBIのテロ捜査の最高責任者だったジョン・オニールは、2000年10月にイエメンで起きた米軍駆逐艦に対するテロ事件を捜査していたが、2001年7月、米国務省から捜査の中止命令を受けた。この措置に抗議して辞任したオニールは、その2カ月後に世界貿易センタービルでテロに遭って死亡した。
911事件の直前には少なくともイスラエル、ドイツ、イラン、ロシアの諜報機関がアメリカ政府に対し、航空機を使ったテロ事件が起きそうだと警告していたが、アメリカ政府は何の対策も採らなかった。モサド(イスラエルの諜報機関)はテロ容疑者のリストまで渡していたが、その中にはモハマド・アッタなど、911の実行犯とされた容疑者が少なくとも4人含まれていた。また、ハイジャッカーのうち少なくとも2~3人はFBIの監視リストに名前が載っていた。
最近まで30年にわたり米政府のテロ対策責任者を務めたリチャード・クラーク前大統領特別顧問は、ブッシュ政権の高官たちは911事件が起きそうだという警告をすべて無視しており、911事件の翌日からイラク侵攻をやりたがっていた、ということを暴露している。こうした一連の事実から、田中宇氏は、アメリカ政府はテロをわざと防がなかったと考えている。
さて、話が少し逸れてしまったが、アメリカはテロリストを匿ったり、テロリストを育成・支援してきただけではなく、自ら国家テロとも言える都市爆撃を戦後60年間、世界各地で何百何千回と行ってきた。
「空爆は国家テロリズムであり富者のテロリズムである。過去60年間に空爆が焼き尽くし破壊した無辜の人々の数は、反国家テロリストが歴史の開始以来これまでに殺害した人々の数よりも多い。・・・我々は、満員のレストランに爆弾を投げ込んだ人物を米国の大統領に選びはしない。けれども、飛行機から爆弾を落とし、レストランばかりでなくレストランが入っているビルとその周辺を破壊した人物を喜んで大統領に選ぶのだ」と政治学者のダグラス・ラミス氏は語っている。ウィリアム・ブルム氏はこうした状況を皮肉って、「「テロリスト」とは、爆弾は持っているが、空軍は持っていない人である」と述べている。
このあたりで、そろそろテロリズムの定義をはっきりさせておきたい。テロリズムとは、「政府や一般市民あるいはその一部を脅迫したり強制することにより、政治的・社会的な目的を達成するために個人や財産に対して加えられる不法な武力あるいは暴力の行使」と定義できるだろう。実はこれはFBIが採用している定義なのである。こうしたテロの定義に照らすならば、アメリカが過去60年間に世界各地で行ってきた空爆――そのほんの一例を挙げるならば、ベトナム(1961-1973年)、グレナダ(1983年)、ニカラグア(1980年代)、パナマ(1989年)、イラク(1991年)、ソマリア(1993年)、ボスニア(1994-1994年)、スーダン(1998年)、アフガニスタン(1998年)、ユーゴスラビア(1999年)、アフガニスタン(2001年)、イラク(2003年)など――こそテロリズムと呼ぶのが最もふさわしいだろう。しかも、アメリカ政府がこれらの国々を空爆するために用いた理由は嘘と欺瞞に満ちている。記憶に新しいイラク侵攻の際にアメリカが挙げた理由――(1)イラクが大量破壊兵器を隠し持っている、(2)サダム・フセインは核兵器を開発しようとしていた(そのためニジェールからウラニウムを買おうとした)、(3)サダム・フセインはビンラディンやアルカイーダのようなテロ組織を支援している、(4)米国は中東に民主主義を確立することを望んでいる、(5)イラクの人々は米軍を解放軍として歓迎している――がすべて嘘だったことは、今日では明白になっている。
さあ、そろそろ結論を述べるときがやってきた。
そもそもテロの起きる根本原因は何なのか? これが本稿のテーマであった。
アメリカは多くの国を爆撃して大勢の一般市民を殺害し、多くの都市をほとんど廃墟にし、インフラを破壊し、爆撃で殺されなかった人々の生活を破滅に追いやってきた長い歴史を有しており、大部分のテロはこうしたアメリカの対外政策に対する復讐として行われているのである。つまり、アメリカが戦後60年にわたって外国の領土に対して無数の介入を行ってきたことが深い反米感情を生み出しており、このようなアメリカの対外政策こそがテロの起きる根本原因なのである。これが『アメリカの国家犯罪全書』(原書のタイトルは『ならず者国家』)の著者ウィリアム・ブルムが繰り返し強調するところであり、私も完全に同意する。
多くのアメリカ国民は、テロリストはアメリカの自由と民主主義と富を憎んでいるのだという政府の宣伝を受け入れており、上記のような主張はなかなか受け入れたがらないであろう。ところが、米国の対外政策とテロとの因果関係については、アメリカ政府自身が十分に自覚しているのである。1997年の国防省研究は、「歴史的なデータが示すところによると、我が国の国際問題に対する介入と我が国を標的としたテロ攻撃との間には、強い相関関係がある」と述べているのである。
しかし、アメリカがこのような侵略的な対外政策を推進し続ける理由は何なのだろうか? ブルムによれば、アメリカの対外政策には大きく分けて4つの目標があるという。第1に、アメリカ資本が世界中で活動しやすくする環境をつくること、第2に、軍産複合体の利益を増大させること、第3に、資本主義の代替モデルが成功するのを阻止すること、第4に、地球上のできるかぎり広い地域で、アメリカの政治的・経済的・軍事的覇権を確立し、それに対する脅威を阻止すること――である。
世界第2の石油埋蔵量を誇るイラクと、天然ガス・パイプライン建設予定地であったアフガニスタンに対するアメリカの強硬な介入と、核開発を進める北朝鮮に対する無関心の落差を見ると、第1の目標は首肯しえよう。また、911以後、アメリカでは短期間に防衛予算が大規模に増額され、社会支出は大幅カットされ、大企業に対する課税が大きく削減される一方で環境保護法制は切り詰められ、国土安全保障局が設置され、市民に対する監視と治安が一気に強化され、移民に対する人権侵害が一気に拡大し、マスメディアの大政翼賛化が進み、少数意見が圧殺され、「愛国的」でないと見なされた人々に対する脅迫が行われている。こうした状況は第2の目標とも合致する。さらに、キューバ(1959-現在)やベトナム(1945―73)、アフガニスタン(1979-92)、チリ(1964-73)、ニカラグア(1978―90)等に対する介入の歴史は、第3の目標の傍証といえよう。最後に、湾岸戦争後、サウジ、クウェートその他湾岸地域に米軍基地を建設し、ユーゴ空爆後には、コソヴォ・アルバニア・マケドニア・ハンガリー・ボスニア・クロアチアに米軍基地を建設し、アフガン空爆後には、アフガン、パキスタン、ウズベキスタン、タジキスタンに米軍基地を建設したという事実が第4の目標を例証している。
そして、アメリカの「対テロ戦争」は、上記の4つの目標のうち、直接的には第2の目標に奉仕するものであり、間接的には第1と第4の目標にも合致するものである。しかし、そもそもアメリカがテロリストとの「対テロ戦争」ゲームを永続化する理由は何なのであろうか。それは、ソ連崩壊後も冷戦時代に膨れ上がった国家安全保障関係予算を正当化するために、アメリカ国民の恐怖感を煽る「敵」を発見・創造する必要があるからである。そのためアメリカ政府は、麻薬・軍事スパイ・産業スパイ・「大量破壊兵器」の拡散・組織犯罪など、様々な敵を作り上げてきた。しかし、911以後は、米国の権力エリートにとって最も「理想的」な敵、すなわち「テロリスト」を発見した。なぜなら、米国がこれまで同様、覇権主義的(ならず者的)対外政策を続ける限り、テロリストは永遠に生まれ続けるからであり、対テロ戦争を永続化するために重要なテロリストはいくらでも泳がせておくことができるからなのである。
【情報源】
今回の記事を書くに当たり、参考にした主な情報源は下記の通りである。
・ ウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪全書』(作品社)
・ 田中宇「田中宇の国際ニュース解説」(http://tanakanews.com/)
・ 益岡賢「益岡賢のページ」(http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/)
・ ZNet(http://www.zmag.org/weluser.htm)
・ ZNet日本語版(http://rootless.org/z/)
さて、以下の文章は2年前(2005年)の8月に当時やっていたブログに掲載したものです。今読み返しても、書き足りないと思う点はあるものの、書いた内容に関しては一字一句訂正する必要は感じないし、当時のブログの読者と現在のブログの読者はほとんど重なっていないように思われるので、「テロ戦争とは何か」を考えるための予備的材料として、そのまま再掲載することにしました。
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8月1日付朝日新聞に池内恵・国際日本文化研究センター助教授が「「差異への権利」のジレンマ」と題する論説をオピニオン面に寄稿している。その趣旨を一言で言えば、「差別と貧困がロンドン同時爆破テロの原因だ」という説は大間違いで、イギリスでは差別と貧困を是正するためにマイノリティー集団に「差異への権利」を認める多文化主義政策が採られてきたがゆえに、かえってそれがテロの温床になった、というものである。
見当はずれもいいとこである。「差別と貧困」がテロの原因だという説も間違いだが、多文化主義がその温床だというのは、さらなる見当違いであろう。同日付の朝日新聞には、7月21日のテロ事件の容疑者としてローマで逮捕されたエチオピア系英国人、フセイン・オスマンが、テロの動機は英米主導のイラク戦争であり、宗教上の理由ではないと供述している、という記事が載っている。これは、私が「テロはなぜ起きるのか?」という記事のなかで指摘したことを裏付ける証言であるが、事件の捜査がさらに進めば、テロの背景に英米が進める対イラク政策があることはさらに一層明確になるだろうと思う。
アメリカ政府は9.11の後、「テロリストを匿う国はテロリストと同罪とみなす」と繰り返し言明しつつ、アフガニスタンへの戦争を開始した。私は、「テロリストを匿う国は‥‥」という主張自体を受け入れない者だが、仮にこうした主張を誠実に主張しようとする人ならば、その主張を一貫して適用するよう主張しなければならないだろう。なぜなら、少しでも理性のある人ならば、「私は人殺しを絶対に認めない。ただし私が人殺しをするのは自由だ」などという発言を真面目に受け止めることはできないからだ。
それでは、仮に「テロリストを匿う国は…」発言を真剣に受け止めるとどうなるのか? 「テロリストを匿う国はテロリストと同罪であるから、その国に対する報復攻撃は正当なものだ」というのがブッシュ政権の「論理」(仮にそんなものがあるとすれば)だったはずだ。それならば、「テロリストを匿う国」のなかでも、もっとも多くのテロリストを匿っている国こそ最も危険な国だから、真っ先に攻撃しなければいけないはずである。論理的に考えるならば、アメリカはアメリカ(すなわち自国)を真っ先に攻撃しなければならないことになろう。なぜなら、世界で最も多くのテロリストを匿っている国はアメリカであるからだ。それどころか、アメリカはオサマ・ビンラディンをはじめとする数限りないテロリストを養成し、世界各地のテロリストやテロ(支援)国家を支援し、世界各地で自らテロを行ってきたからだ。
そんなことは信じられないという人は、ウィリアム・ブルムの『アメリカの国家犯罪全書』(作品社)(原題はRogue State: A Guide to the World’s Only Superpower)を読んでみればよい。著者のブルムはアメリカの元外交官で、ベトナム戦争に反対して辞任して以後は、アメリカの国家犯罪と外交政策の暗部を告発する仕事を続けているフリー・ジャーナリストである。本書の第9章には、アメリカが国家の政策として匿い続けている名だたるテロリスト(の一部)の一覧が掲載されている。フロリダ州マイアミには、1959年以来、カストロ政権の転覆のためにはどんなことでもするキューバ人亡命者集団が居住しており、かれらの行うテロ、爆撃、暗殺等々あらゆる行為をCIAは全面的にバックアップしてきたのである。なお、JFKの暗殺にも彼らが関わっていたと見られている。そのほか、米国が匿っている多数のテロリスト、独裁者、虐殺者の氏名が実名で書かれているので、詳しくは同書を参照してほしい。
そもそもビンラディンをはじめとするアルカイーダはアメリカが生み出したも同然である。1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻する半年前から、米政府はイスラム原理主義のグループであるムジャヒディンを援助しており、ソ連の介入を誘発した。ソ連介入後は、米国政府高官ですら「言葉にできない惨劇」と述べた虐殺・拷問を進めたムジャヒディンによって人口の半分が殺されるか肢体不自由になるか難民になった。このようなムジャヒディンを米国政府は「自由の戦士」と呼んで支援したが、彼らはソ連撤退後、筋金入りのテロリストとなって世界各地に散らばっていった。その一部がアルカイーダを結成したとみられている。
「テロに想う(2)」でも指摘したように、911事件の実行犯すら未だ全員の特定ができていないのだが、アメリカ政府にはそもそも911事件を解明する気はないとしか思えない。おそらく、911事件を解明することはアメリカ政府にとって都合が悪いことなのだろう。その証拠に、パキスタンの諜報機関であるISI(統合情報局)のマフムード・アーメド局長が、サイード・シェイクという人物を通じ、911の実行犯で主犯格とされたモハマド・アッタ容疑者(死亡)に対し、10万ドル以上のテロの資金を送金していたことがFBIの調査で明らかになり、同国のムシャラフ大統領はアフガン戦争が起こる直前の10月7日、マフムード局長を解任したにも関わらず、アメリカ政府はパキスタン政府に対し、マフムード局長の引渡しを求めるといった要求を一切行っていないのである。911以後大政翼賛的になっているアメリカのマスメディアもこの事件を一切報道していない。ちなみに、ISIとは、アフガニスタンで虐殺・拷問・ゲリラ活動を行っていたムジャヒディンを支援するためにCIAによって育て上げられた組織である。
また、アメリカ政府にはそもそもビンラディンを捕まえるつもりもない。ビンラディンがスーダンに亡命していた1996年、スーダンの国防大臣がアメリカ政府に「ビンラディンを引き渡すからアメリカの裁判所で裁いてくれ」と要請したのを、アメリカが断ったという経緯もあるが、テロが起きる2ヶ月前の2001年7月には、CIAはドバイ(アラブ首長国連邦)のアメリカン病院に入院中だったオサマ・ビンラディンを面会に訪れているのである。
また、アメリカ政府は、FBIがビンラディンやアルカイーダに対する捜査を進めないよう現場の捜査官に対して圧力をかけていた。FBIのテロ捜査の最高責任者だったジョン・オニールは、2000年10月にイエメンで起きた米軍駆逐艦に対するテロ事件を捜査していたが、2001年7月、米国務省から捜査の中止命令を受けた。この措置に抗議して辞任したオニールは、その2カ月後に世界貿易センタービルでテロに遭って死亡した。
911事件の直前には少なくともイスラエル、ドイツ、イラン、ロシアの諜報機関がアメリカ政府に対し、航空機を使ったテロ事件が起きそうだと警告していたが、アメリカ政府は何の対策も採らなかった。モサド(イスラエルの諜報機関)はテロ容疑者のリストまで渡していたが、その中にはモハマド・アッタなど、911の実行犯とされた容疑者が少なくとも4人含まれていた。また、ハイジャッカーのうち少なくとも2~3人はFBIの監視リストに名前が載っていた。
最近まで30年にわたり米政府のテロ対策責任者を務めたリチャード・クラーク前大統領特別顧問は、ブッシュ政権の高官たちは911事件が起きそうだという警告をすべて無視しており、911事件の翌日からイラク侵攻をやりたがっていた、ということを暴露している。こうした一連の事実から、田中宇氏は、アメリカ政府はテロをわざと防がなかったと考えている。
さて、話が少し逸れてしまったが、アメリカはテロリストを匿ったり、テロリストを育成・支援してきただけではなく、自ら国家テロとも言える都市爆撃を戦後60年間、世界各地で何百何千回と行ってきた。
「空爆は国家テロリズムであり富者のテロリズムである。過去60年間に空爆が焼き尽くし破壊した無辜の人々の数は、反国家テロリストが歴史の開始以来これまでに殺害した人々の数よりも多い。・・・我々は、満員のレストランに爆弾を投げ込んだ人物を米国の大統領に選びはしない。けれども、飛行機から爆弾を落とし、レストランばかりでなくレストランが入っているビルとその周辺を破壊した人物を喜んで大統領に選ぶのだ」と政治学者のダグラス・ラミス氏は語っている。ウィリアム・ブルム氏はこうした状況を皮肉って、「「テロリスト」とは、爆弾は持っているが、空軍は持っていない人である」と述べている。
このあたりで、そろそろテロリズムの定義をはっきりさせておきたい。テロリズムとは、「政府や一般市民あるいはその一部を脅迫したり強制することにより、政治的・社会的な目的を達成するために個人や財産に対して加えられる不法な武力あるいは暴力の行使」と定義できるだろう。実はこれはFBIが採用している定義なのである。こうしたテロの定義に照らすならば、アメリカが過去60年間に世界各地で行ってきた空爆――そのほんの一例を挙げるならば、ベトナム(1961-1973年)、グレナダ(1983年)、ニカラグア(1980年代)、パナマ(1989年)、イラク(1991年)、ソマリア(1993年)、ボスニア(1994-1994年)、スーダン(1998年)、アフガニスタン(1998年)、ユーゴスラビア(1999年)、アフガニスタン(2001年)、イラク(2003年)など――こそテロリズムと呼ぶのが最もふさわしいだろう。しかも、アメリカ政府がこれらの国々を空爆するために用いた理由は嘘と欺瞞に満ちている。記憶に新しいイラク侵攻の際にアメリカが挙げた理由――(1)イラクが大量破壊兵器を隠し持っている、(2)サダム・フセインは核兵器を開発しようとしていた(そのためニジェールからウラニウムを買おうとした)、(3)サダム・フセインはビンラディンやアルカイーダのようなテロ組織を支援している、(4)米国は中東に民主主義を確立することを望んでいる、(5)イラクの人々は米軍を解放軍として歓迎している――がすべて嘘だったことは、今日では明白になっている。
さあ、そろそろ結論を述べるときがやってきた。
そもそもテロの起きる根本原因は何なのか? これが本稿のテーマであった。
アメリカは多くの国を爆撃して大勢の一般市民を殺害し、多くの都市をほとんど廃墟にし、インフラを破壊し、爆撃で殺されなかった人々の生活を破滅に追いやってきた長い歴史を有しており、大部分のテロはこうしたアメリカの対外政策に対する復讐として行われているのである。つまり、アメリカが戦後60年にわたって外国の領土に対して無数の介入を行ってきたことが深い反米感情を生み出しており、このようなアメリカの対外政策こそがテロの起きる根本原因なのである。これが『アメリカの国家犯罪全書』(原書のタイトルは『ならず者国家』)の著者ウィリアム・ブルムが繰り返し強調するところであり、私も完全に同意する。
多くのアメリカ国民は、テロリストはアメリカの自由と民主主義と富を憎んでいるのだという政府の宣伝を受け入れており、上記のような主張はなかなか受け入れたがらないであろう。ところが、米国の対外政策とテロとの因果関係については、アメリカ政府自身が十分に自覚しているのである。1997年の国防省研究は、「歴史的なデータが示すところによると、我が国の国際問題に対する介入と我が国を標的としたテロ攻撃との間には、強い相関関係がある」と述べているのである。
しかし、アメリカがこのような侵略的な対外政策を推進し続ける理由は何なのだろうか? ブルムによれば、アメリカの対外政策には大きく分けて4つの目標があるという。第1に、アメリカ資本が世界中で活動しやすくする環境をつくること、第2に、軍産複合体の利益を増大させること、第3に、資本主義の代替モデルが成功するのを阻止すること、第4に、地球上のできるかぎり広い地域で、アメリカの政治的・経済的・軍事的覇権を確立し、それに対する脅威を阻止すること――である。
世界第2の石油埋蔵量を誇るイラクと、天然ガス・パイプライン建設予定地であったアフガニスタンに対するアメリカの強硬な介入と、核開発を進める北朝鮮に対する無関心の落差を見ると、第1の目標は首肯しえよう。また、911以後、アメリカでは短期間に防衛予算が大規模に増額され、社会支出は大幅カットされ、大企業に対する課税が大きく削減される一方で環境保護法制は切り詰められ、国土安全保障局が設置され、市民に対する監視と治安が一気に強化され、移民に対する人権侵害が一気に拡大し、マスメディアの大政翼賛化が進み、少数意見が圧殺され、「愛国的」でないと見なされた人々に対する脅迫が行われている。こうした状況は第2の目標とも合致する。さらに、キューバ(1959-現在)やベトナム(1945―73)、アフガニスタン(1979-92)、チリ(1964-73)、ニカラグア(1978―90)等に対する介入の歴史は、第3の目標の傍証といえよう。最後に、湾岸戦争後、サウジ、クウェートその他湾岸地域に米軍基地を建設し、ユーゴ空爆後には、コソヴォ・アルバニア・マケドニア・ハンガリー・ボスニア・クロアチアに米軍基地を建設し、アフガン空爆後には、アフガン、パキスタン、ウズベキスタン、タジキスタンに米軍基地を建設したという事実が第4の目標を例証している。
そして、アメリカの「対テロ戦争」は、上記の4つの目標のうち、直接的には第2の目標に奉仕するものであり、間接的には第1と第4の目標にも合致するものである。しかし、そもそもアメリカがテロリストとの「対テロ戦争」ゲームを永続化する理由は何なのであろうか。それは、ソ連崩壊後も冷戦時代に膨れ上がった国家安全保障関係予算を正当化するために、アメリカ国民の恐怖感を煽る「敵」を発見・創造する必要があるからである。そのためアメリカ政府は、麻薬・軍事スパイ・産業スパイ・「大量破壊兵器」の拡散・組織犯罪など、様々な敵を作り上げてきた。しかし、911以後は、米国の権力エリートにとって最も「理想的」な敵、すなわち「テロリスト」を発見した。なぜなら、米国がこれまで同様、覇権主義的(ならず者的)対外政策を続ける限り、テロリストは永遠に生まれ続けるからであり、対テロ戦争を永続化するために重要なテロリストはいくらでも泳がせておくことができるからなのである。
【情報源】
今回の記事を書くに当たり、参考にした主な情報源は下記の通りである。
・ ウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪全書』(作品社)
・ 田中宇「田中宇の国際ニュース解説」(http://tanakanews.com/)
・ 益岡賢「益岡賢のページ」(http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/)
・ ZNet(http://www.zmag.org/weluser.htm)
・ ZNet日本語版(http://rootless.org/z/)