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2008/06/04のBlog
[ 19:14 ]
[ 社会 ]
warmgunさんが藤原正彦氏に対する批判を続けておられる。藤原氏の『国家の品格』については、私もこのブログの前身ブログにおいて1度か2度批判したことがあるが、それ以後は、こんなバカをこれ以上相手にしても仕方がないと無視していた。しかし、warmgunさんは「<バカの言説>を放置するなら、<バカの言説>がこの日本列島を覆い尽くすというこの<現実>を放置することになる」と述べておられる。確かにそのとおりかもしれないが、「まともな言説」を読む層と、「バカの言説」を読む層とははじめからすれ違っているから、「バカの言説」を批判することにどれほど意味があるのか、という疑問も湧く。また、「バカな言説」を振りまく人々をなくすことはできないので、問題は、こういうバカ言説を振りまく人々を使い続けるマスコミにある、とも思っていた。言い換えると、私はこういうバカ言説の影響力を多少甘くみていたのかもしれない。
しかし、warmgunさんが参照しているブログを訪問してみて驚いた。こんなバカ言説に感動したり、共感しているフツーの人々が何と多いことか!!
だいたい、「日本人は世界でも有数の美的感覚と情緒を持った人種です」だの、「虫の声を聞くと言う繊細な美しい感性は日本人以外には居ない」だの、「時間を守る、責任をまっとうすると言う日本精神」などという発言を日本以外の様々な国の人々に向かって堂々と言えるのか! もしも「言える」という人がいたら、その人は無知な恥知らず以外の何ものでもない。そして、その発言を聞いた外国人からは、この日本人は、完璧な人種差別主義者で無知蒙昧な人だと思われるだろう。
しかし、私はこの藤原センセイの講演を聴いたわけではないので、ここで話題を変える。
先日、天木直人氏が「沖縄問題が解決しないのは、本当のことが知らされていないからだ」という記事を自身のブログで書いていた。この主張をもう少し一般化すれば、「××問題が解決しないのは、本当のことが知らされていないからだ」ということになるだろう。この主張は果たして正しいだろうか。仮にこの主張が正しいとすると、少しは前途に希望が見えてくる。つまり、問題が解決しないのは、事実が知らされていないからであって、事実をもっと多くの国民に知らせれば、問題は解決に向かうだろう、と。確かにそういう側面もゼロではないだろう。後期高齢者医療制度についての報道が増えれば増えるほど、この制度に反対する国民が増えているのはその一例と言えよう。しかし、私は天木氏ほど楽観的には到底なれない。というのは、多くの国民は「本当のこと」になど関心がないからだ。多くの国民が知りたがっていることは、他の「多くの国民がどう思っているか」ということだけである。つまり、大事なのは「世間」の空気を読むことであって、事実を知ることではない。日本人にとっては、今も昔も、「世間」だけが(大澤真幸氏の言うところの)「第三者の審級」なのである。そのことが最も劇的に現れたのが、敗戦の前後であった。日本社会の公式イデオロギーは敗戦を挟んで180度変化したにも関わらず、大半の国民がそれによって精神的危機を経験することもなく、ごく平然とその変化を受け入れているのである。その当時多用された言葉で言えば、「時勢が変わった」ということであり、つまりは「世間が変わった以上、自分も変わる」、ただそれだけのことなのである。アジア太平洋戦争の本質が、聖戦であったか、侵略戦争であったかなどは、どうでもいいことなのである。大事なのは「世間がどういう態度を取るか」によって、自分の態度を合わせることだけなのである。
そう考えると、例えば、日米安保条約の本質、米軍再編と自衛隊再編の本質、といった事実をごく少数の人々がいくら伝えたところで、「国民の多数は自衛隊と日米安保を支持している」と考える国民が多数を占めている限り、彼らの考えを変えることも不可能だ、という絶望的な結論に落ち着かざるを得なくなる。嗚呼…
日本人が「世界でも有数の美的感覚」を持っているとしたならば、それは「世間との調和」(=付和雷同)という「美的」感覚だけである。
2008/05/24のBlog
[ 23:55 ]
nadjaさんが教えてくれた。
忙しいと心を亡くす、と。
女の子は好き、
女の人の本は女体なんだ、と(笑)
<時には娼婦のように
淫らな女になりな
真っ赤な口紅つけて
黒い靴下を履いて
大きく脚を広げて
片眼をつぶってみせな
人差し指で手招き
私を誘っておくれ>
(なかにし礼「時には娼婦のように」)
<人が幸せになるのを批判する権利は誰にもない
みんな幸せになっていいんだ
人に迷惑さえかけなければね
ビートルズが教えてくれた
ビートルズが教えてくれた>
(岡本おさみ「ビートルズが教えてくれた」)
[ 18:20 ]
その檻のけだものは行つたり来たりしておなじところを廻つてゐる
いつまでも退屈もしずに
いつたり来たりしながら
首を檻の柵のところにこすりつけてゐる
ひよいと止んだかと思ふと
また一端から一端をぐるぐる廻つてゐる
なにが見えるのかしらない
その考へてゐることもわからない
その柵を除つてしまつても然うやつてゐるにちがひない
三年も十年も百年も
このけだものが檻にはひつてゐる間
やつぱり首をふつてゐるにちがひない
ところが時々こつそりと
けだものは廻ることを止めて
そつと高いはふの柵をのぞいて見ることがある
そのとき白い上目をする
空があをくそこからも見える
誰だか呼ぶものでもゐるやうに
ときどき ぐるぐるまひを止める
しかし間もなく また舞ひはじめる
十年も百年も
そこにどれだけの人々が立ちかはつて来ようとちつとも知らない
見ないのかもしれない
唯ときをりに例の上目をして空を見る、実に悲しげに見える。――
――室生犀星「けだもの」
この「けだもの」とは一体誰のことか?
この息苦しい檻の中で生かされている「けだもの」とは?
[ 16:03 ]
何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股すぎるぢやないか。
頚(くび)があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも喰ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ち構へてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
――高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」
2008/05/21のBlog
[ 14:52 ]
2008/05/19のBlog
[ 16:34 ]
[ 社会 ]
光市母子殺害事件差し戻し控訴審判決から一月近くが経った。あの日、死刑判決に快哉を叫んだり、本村洋さんの記者会見に「無条件で感動した」り、「いつの間にか、洋さんと一つになっている」(天声人語)と感じた人々にうち、どのくらいの人々が今日、あの事件について考え、被害者遺族の気持ちを慮っただろうか。もちろん、あの日以後も次々と大事件や大災害のニュースがひっきりなしに報じられているので、いつまでも光市事件のことばかり考えていられるわけがない、というのが偽らざる心境であろう。
もちろん、それが悪いと言いたいのではない。人間とはそういうものだ。しかし、「被害者遺族の立場になれば死刑判決以外にありえない」と叫び、「被害者遺族の気持ち」を強調する人々が、本当に被害者遺族と同じ立場や気持ちになることなど到底できない、というのも事実である。だから、想像することが無意味だなどと言いたいわけではない。他者の気持ちや立場を想像することは大事なことだ。しかし私がいつも不思議に思うのは、被害者や被害者遺族(以下、「被害者(遺族)」と記す)への同情心と「他者の痛み」への想像力の豊かさを誇る人々が、決して想像しようとしないのが、加害者の犯行動機がどのように形成されたのか、ということだ。いや、自ら想像しようとしないだけではない。たまに、そのような想像力を働かせようとする人物がいると、「言葉にならないほどの卑劣な侮辱行為に及んだ凶悪犯に対して、よりによって、擁護するような発言をするなんて、あまりにも鈍感すぎる。あまりにも、人の痛みを分からなすぎる」などと批判し、そのような犯罪原因を追究しようとする発言すらも封殺しようとするのである。言うまでもないが、加害者が犯行へと至った原因を探求することと、加害者を「擁護する」こととは全く別物なのだが、そういうことすら、こうした発言をする人には理解できないのであろう。
思うに、被害者(遺族)への同情心から加害者の死刑を訴える人々が決して加害者側の事情を想像しようとしないのは、彼らの「想像力」が極めて表面的なレベルにとどまっているからである。それは、現在の自分を被害者(遺族)の状況に置き換えてみるという想像の仕方であり、言い換えれば、現在の自分の頭を他者の体に移して考える、という方法である。被害者や被害者遺族になる可能性は誰にでもありうることだから、このような方法を採る限り、被害者(遺族)の立場を想像することは容易である。しかし、現在の自分が凶悪な犯罪を犯すような動機を抱いていない以上、現在の自分の頭を加害者の体に“移植”するような想像力を働かせることは、土台無理な注文だと言うことになる。したがって、このような次元の「想像力」に留まる限り、凶悪犯罪の加害者は想像不可能な「怪物」ということにならざるを得ず、自分や自分の周囲の一般市民とは1ミクロンの共通点もない「絶対的な他者」ということになるだろう。自分が心の温かい人間で「人の痛みを分かる」人間であるということを誇り、死刑廃止論者を「神経が鈍感で想像力の乏しい「人の痛みが分からない人たち」」と罵倒し続けているある有名ブロガーは、「とても血の通った人間とは思えない残虐な行為をした」加害者は、その時点で「もう人でなし」だから、「人じゃないものを「更生」させる意味なんかないし、人じゃないのに「人権」なんかあるワケないじゃん」と述べているが、これは、そうした表面的な想像力の貧しさを露呈した発言である。つまり、自分が容易に想像可能な対象にだけは「感情移入」するが、そもそも想像することが困難な他者は、「人じゃない」として、排除し抹殺しようとするのである。
しかし、そもそもこのような表面的な想像力は、本来、「想像力」の名に値しないものである。本来の想像力とは、他者の状況だけでなく、他者の視点をも内在的に理解しようとする精神の働きを意味しているのである。私が現在の日本で最も尊敬し信頼している知識人の一人である浅井基文氏は、最近のコラムで「平和へのねがいと障害児・者の権利――人間の尊厳のために――」という論説(講演原稿を起こしたもの)を公表している。これは、内容的には、私が以前このブログで紹介したことのある同氏の論説「他者感覚が真の平和の土台です」の続編に当たるとも言えるものである(関連記事)。そして、「平和へのねがいと障害児・者の権利」の中では、表面的な想像力とは区別された本来の想像力を「他者感覚」という言葉で呼び、その内容を次のように説明している。
<この他者感覚というものは、「他者を他者としてそっくり理解し、認識しようとする意識の働き」ということです。これを具体的に言うと「自分があの人の立場にあったら、自分はどのように思い、行動するだろう」という考え方では、他者感覚を備えたことにはなりません。なぜならば、その時は自分の頭を他者の体に持っていくわけですから、他人の形をとった自分であるわけです。ですから、それでは全然他者にはなっていないわけです。そうではなくて、「自分があの人であったならば、あの人としての自分はどのように思い、行動するのだろう」と考えるようになるとき、はじめて他者感覚を備えたことになる。だから、あの人になりきるというわけです。だから、あの人の感情、思考方法、思想、あの人をあの人たらしめるに至った家庭環境、対人関係、歴史、文化等々をできるだけ理解する中で、あの人になりきることによって他者感覚を我がものにすることができるということです。>
そして浅井氏は、このような他者感覚を身につけることが、自分自身をも他者感覚で見ることを可能にし、自己を客観視するための条件でもあると指摘し、そうすることによって自分自身を個として確立することができるようになると述べている。そして、「他者感覚」と「個の意識」を身につけることが、「人間の尊厳」という思想をわがものとするうえで不可欠であると主張している。
しかしながら、日本においては、人間の尊厳という思想を自分のものにするにはかなり苦労が必要だ、とも浅井氏は指摘している。なぜなら、日本人は何かと言えば群れたがり、群れて自分たちの行動基準を考える(つまり、大澤真幸氏の言葉を使えば、「世間」が「第三者の審級」になっているということである)ので、逆に言うと、群から外れた存在、例えば障害者などはともすると排除や差別の対象となりやすい社会であると指摘する。つまり、「個」が確立していない社会(=「世間」)においては、「みんな同じ」であることが何よりも大事であり、異質な他者の存在は受け入れられないので、排除する以外になく、排除された他者はもはや「同じ人間」とは見なされないのである。
しかし、人間の尊厳という思想を獲得することがどれほど困難であろうと、その重要性について、浅井氏は講演の最後を次の言葉で締めくくっている。
<私は、人間の尊厳という普遍的な価値を根底に置くことにより、あらゆる問題が正しいか間違っているか、善であるのか悪であるのかということを判断することが出来るという確信があります。それくらいに、人間の尊厳ということを皆さんの生活においても、根底に置くような方になって頂きたいと思います。>
2008/05/16のBlog
[ 18:38 ]
[ 本たち ]
[関連したBlog]
数日前に読み終えた大澤真幸氏の『不可能性の時代』(岩波新書)については、感想を書くつもりはなかった。ところが、巷では、なにやらちょっとした大澤真幸ブームのようであり、全く意外なことながら、特にこの『不可能性の時代』がよく売れているようなので、私も一言だけコメントしておくことにする。
というより、この駄文を書こうと思ったのは、もっぱら不破利晴さんの昨夜のブログに対する共鳴的応答である。不破さんは大澤氏の『文明の内なる衝突』を読んだ感想を次のように述べている。
《大澤氏の言説は社会学の理論上の実験でしかないような気がして、さらに悪く言えば言葉の辻褄合わせをしているようで、どうも”9.11”の本質(それがあればという仮定の上においてだが)を捉えているとは言い難いように思われた。”》
しかし、謙虚な不破さんは、こうした感想を抱いた原因が、大澤氏の著作というよりはむしろ自分にあるのではないかと疑い、次のような自己省察を述べている。
《もっとも、この読書体験で得てしまった私に関する”自己発見”も、ここで言っておかねばなるまい。
思想や社会学、もしかしたら哲学なども含まれるかもしれないが、これらの思索的な分野に、私は決定的に弱いかもしれないということだ!(爆)
今回の大澤真幸感は、こんな私の思索の脆弱性が引き起こした可能性も当然捨てきれない。》
私は『文明の内なる衝突』は読んでいないが、『不可能性の時代』を読んだ感想は、上の不破さんの感想とかなり似ている。
大澤氏は一流の社会学者であるだけでなく、哲学や現代思想に対する造詣も深いのに対し、私自身はまさに哲学や現代思想を苦手としており、社会学の中でも(大澤氏を含む)現代日本の社会学者がお好きな「オタク」「アニメ」「ゲーム」「サブカル」「若者風俗」といった分野が大の苦手である(全く興味を持てない)。
それゆえ、大澤氏の著作を十分に評価できないのは私自身の側の問題が大きいことも承知している。
しかし、不破さんほど謙虚でない私は、大澤氏の著作にも欠点はあると思っている。
さて、前置きが長くなったが、『不可能性の時代』を読んで感じた数多くの違和感――もちろん共感を感じる部分も多々あったが、それは今日の主題ではない――のうち、一点だけ指摘したい。
大澤は第1章で、日本の戦後思想の変遷を辿る出発点として、敗戦という体験の意味を日本人がどう捉えたかを考察している。それは一言で言えば、日本社会は敗戦後、短期間に激変する一方で「戦前とまったく変わっていないように見えた」という映画監督・小林正樹の抱いた感想によって代表されるようなものであった。その原因は何か? 柳田國男と折口信夫という2人の民俗学者は、天皇制とそれが意味づけていた戦死者という超越的なまなざし(このように、価値や規範の普遍性を保証してくれるように思われる超越的な他者を大澤は「第三者の審級」と呼ぶ)が、敗戦によって意味を失い、日本社会に精神的混乱が生じることを恐れ、それぞれ正反対の方向で、新たな「第三者の審級」を再建ないし再発見しようと努力したのであるが、結果的にそのような心配は杞憂に終わったのである。なぜなら、「天皇によって義認された死者」が占拠していた座に、速やかに「アメリカ」が就くことによって、「第三者の審級」の速やかな、ほとんど間髪を入れない交替があったからである、と大澤は主張するのである。
しかし、私が昨年読んだ渡辺清の『砕かれた神』や再読した小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』などから判断すれば、実際には戦前・戦中から戦後にかけて、「第三者の審級」の交替は起こらなかったと私は思う。なぜなら、日本においては、戦前・戦中も戦後も(そして現在も)「第三者の審級」とは「世間」そのものであるからだ。つまり、敗戦前後で、「第三者の審級」が信奉する価値は180度変わったが、「第三者の審級」自体に変化はなかったのである。
仮に戦前から戦中にかけて、日本人の大多数が心底、天皇の神性=超越性を信じていたとすれば、戦後、天皇の「人間宣言」をはじめとする一連の無責任な言動があれほどあっさりと受け入れられ、「天皇はもともと平和主義者だったのに、軍部に操られたロボットにすぎなかったから、天皇も気の毒だ」などといった言説があれほど広範に広まるはずはあり得なかったであろう。それこそ、精神の分裂か革命でも経ない限り受け入れがたい変化であったに違いない。それにも関わらず、ほとんどの日本人が精神分裂に陥ることなく、ましてや精神の革命を経ることもなく、ほとんど正反対のイデオロギーを平然として受け入れたのは、まさしくそれが「時勢の変化」、すなわち「世間」の変化であったからである。世間が変わればそれに合わせて自分も変わるだけのことである。別に難しいことではない。それが、戦前から(おそらく明治時代から)今日まで続く日本人の集団的心性であり、日本社会が「世間」を(大澤氏の言うところの)「第三者の審級」と見なしている何よりの証拠である。もっとも、戦中、天皇絶対主義イデオロギーを心底信じていた少数の日本人は戦後の天皇と日本社会の激変ぶりを目の当たりにして、混乱したり、激怒したり、少なくとも割り切れない思いを抱き続けた人もいる。それは概ね、敗戦時二十歳前後以下の世代であろう。この世代の人々は物心ついた時から戦争状態であり、学校などで強化された皇国イデオロギーを内面化しやすい世代であった。渡辺清自身もその一人(敗戦時二十歳)であり、それゆえ、彼は激しい内面的動揺を経て精神的革命を遂行するのである。(ちなみに渡辺清と同世代であった三島由紀夫も、昭和天皇に対しては複雑な感情を持ち続けていたようだ。)
ところで、大澤によれば、戦後の日本は敗戦時から1970年頃までが「理想の時代」、それ以後1995年頃までが「虚構の時代」であり、それ以後が「不可能性の時代」と名付けられている。そして、「不可能性の時代」とは、「第三者の審級」が空虚化し、撤退した社会であると特徴づけられるのだが、このような「第三者の審級」の後退は、西洋では20世紀を通じて徐々に進行していったものであるとも説明されており、変化の現れ方や緩急に違いはあるとしても、基本的に日本社会と西洋社会をパラレルなものとして説明している。それゆえ、西洋思想の話と日本社会の話とが何の説明もないまま当然のごとく接続されるのであるが、私としては、この「接続」のされ方に大きな違和感を抱く。もちろん、西洋と日本で共通の現象も見られるだろうが、「個人」と「社会」の存在する西洋と、それらの代わりに「世間」が鎮座している日本とでは、基本的な違いがあると思うからである。
【記事とは無関係な追記】
今日、いつものように会社でwarmgunさんのブログを眺めていたら、なにやらいつもと違う雰囲気がしたのだが、最初はその理由がわからなかった。しばらく眺めているうちに、ようやくその理由がわかった。warmgunさんのブログに驚くべき変化が起きていたのだ(笑)。
warmgunさんのブログのタイトルは、ご存じのように、「snapshot s××××」となっていて、「××××」の部分は通し番号の数字が振ってあった。ところがなんと、今日の記事はすべて「snapshot」の後に日本語のタイトルが付いているのである! これはニュースである(笑)
数日前に読み終えた大澤真幸氏の『不可能性の時代』(岩波新書)については、感想を書くつもりはなかった。ところが、巷では、なにやらちょっとした大澤真幸ブームのようであり、全く意外なことながら、特にこの『不可能性の時代』がよく売れているようなので、私も一言だけコメントしておくことにする。
というより、この駄文を書こうと思ったのは、もっぱら不破利晴さんの昨夜のブログに対する共鳴的応答である。不破さんは大澤氏の『文明の内なる衝突』を読んだ感想を次のように述べている。
《大澤氏の言説は社会学の理論上の実験でしかないような気がして、さらに悪く言えば言葉の辻褄合わせをしているようで、どうも”9.11”の本質(それがあればという仮定の上においてだが)を捉えているとは言い難いように思われた。”》
しかし、謙虚な不破さんは、こうした感想を抱いた原因が、大澤氏の著作というよりはむしろ自分にあるのではないかと疑い、次のような自己省察を述べている。
《もっとも、この読書体験で得てしまった私に関する”自己発見”も、ここで言っておかねばなるまい。
思想や社会学、もしかしたら哲学なども含まれるかもしれないが、これらの思索的な分野に、私は決定的に弱いかもしれないということだ!(爆)
今回の大澤真幸感は、こんな私の思索の脆弱性が引き起こした可能性も当然捨てきれない。》
私は『文明の内なる衝突』は読んでいないが、『不可能性の時代』を読んだ感想は、上の不破さんの感想とかなり似ている。
大澤氏は一流の社会学者であるだけでなく、哲学や現代思想に対する造詣も深いのに対し、私自身はまさに哲学や現代思想を苦手としており、社会学の中でも(大澤氏を含む)現代日本の社会学者がお好きな「オタク」「アニメ」「ゲーム」「サブカル」「若者風俗」といった分野が大の苦手である(全く興味を持てない)。
それゆえ、大澤氏の著作を十分に評価できないのは私自身の側の問題が大きいことも承知している。
しかし、不破さんほど謙虚でない私は、大澤氏の著作にも欠点はあると思っている。
さて、前置きが長くなったが、『不可能性の時代』を読んで感じた数多くの違和感――もちろん共感を感じる部分も多々あったが、それは今日の主題ではない――のうち、一点だけ指摘したい。
大澤は第1章で、日本の戦後思想の変遷を辿る出発点として、敗戦という体験の意味を日本人がどう捉えたかを考察している。それは一言で言えば、日本社会は敗戦後、短期間に激変する一方で「戦前とまったく変わっていないように見えた」という映画監督・小林正樹の抱いた感想によって代表されるようなものであった。その原因は何か? 柳田國男と折口信夫という2人の民俗学者は、天皇制とそれが意味づけていた戦死者という超越的なまなざし(このように、価値や規範の普遍性を保証してくれるように思われる超越的な他者を大澤は「第三者の審級」と呼ぶ)が、敗戦によって意味を失い、日本社会に精神的混乱が生じることを恐れ、それぞれ正反対の方向で、新たな「第三者の審級」を再建ないし再発見しようと努力したのであるが、結果的にそのような心配は杞憂に終わったのである。なぜなら、「天皇によって義認された死者」が占拠していた座に、速やかに「アメリカ」が就くことによって、「第三者の審級」の速やかな、ほとんど間髪を入れない交替があったからである、と大澤は主張するのである。
しかし、私が昨年読んだ渡辺清の『砕かれた神』や再読した小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』などから判断すれば、実際には戦前・戦中から戦後にかけて、「第三者の審級」の交替は起こらなかったと私は思う。なぜなら、日本においては、戦前・戦中も戦後も(そして現在も)「第三者の審級」とは「世間」そのものであるからだ。つまり、敗戦前後で、「第三者の審級」が信奉する価値は180度変わったが、「第三者の審級」自体に変化はなかったのである。
仮に戦前から戦中にかけて、日本人の大多数が心底、天皇の神性=超越性を信じていたとすれば、戦後、天皇の「人間宣言」をはじめとする一連の無責任な言動があれほどあっさりと受け入れられ、「天皇はもともと平和主義者だったのに、軍部に操られたロボットにすぎなかったから、天皇も気の毒だ」などといった言説があれほど広範に広まるはずはあり得なかったであろう。それこそ、精神の分裂か革命でも経ない限り受け入れがたい変化であったに違いない。それにも関わらず、ほとんどの日本人が精神分裂に陥ることなく、ましてや精神の革命を経ることもなく、ほとんど正反対のイデオロギーを平然として受け入れたのは、まさしくそれが「時勢の変化」、すなわち「世間」の変化であったからである。世間が変わればそれに合わせて自分も変わるだけのことである。別に難しいことではない。それが、戦前から(おそらく明治時代から)今日まで続く日本人の集団的心性であり、日本社会が「世間」を(大澤氏の言うところの)「第三者の審級」と見なしている何よりの証拠である。もっとも、戦中、天皇絶対主義イデオロギーを心底信じていた少数の日本人は戦後の天皇と日本社会の激変ぶりを目の当たりにして、混乱したり、激怒したり、少なくとも割り切れない思いを抱き続けた人もいる。それは概ね、敗戦時二十歳前後以下の世代であろう。この世代の人々は物心ついた時から戦争状態であり、学校などで強化された皇国イデオロギーを内面化しやすい世代であった。渡辺清自身もその一人(敗戦時二十歳)であり、それゆえ、彼は激しい内面的動揺を経て精神的革命を遂行するのである。(ちなみに渡辺清と同世代であった三島由紀夫も、昭和天皇に対しては複雑な感情を持ち続けていたようだ。)
ところで、大澤によれば、戦後の日本は敗戦時から1970年頃までが「理想の時代」、それ以後1995年頃までが「虚構の時代」であり、それ以後が「不可能性の時代」と名付けられている。そして、「不可能性の時代」とは、「第三者の審級」が空虚化し、撤退した社会であると特徴づけられるのだが、このような「第三者の審級」の後退は、西洋では20世紀を通じて徐々に進行していったものであるとも説明されており、変化の現れ方や緩急に違いはあるとしても、基本的に日本社会と西洋社会をパラレルなものとして説明している。それゆえ、西洋思想の話と日本社会の話とが何の説明もないまま当然のごとく接続されるのであるが、私としては、この「接続」のされ方に大きな違和感を抱く。もちろん、西洋と日本で共通の現象も見られるだろうが、「個人」と「社会」の存在する西洋と、それらの代わりに「世間」が鎮座している日本とでは、基本的な違いがあると思うからである。
【記事とは無関係な追記】
今日、いつものように会社でwarmgunさんのブログを眺めていたら、なにやらいつもと違う雰囲気がしたのだが、最初はその理由がわからなかった。しばらく眺めているうちに、ようやくその理由がわかった。warmgunさんのブログに驚くべき変化が起きていたのだ(笑)。
warmgunさんのブログのタイトルは、ご存じのように、「snapshot s××××」となっていて、「××××」の部分は通し番号の数字が振ってあった。ところがなんと、今日の記事はすべて「snapshot」の後に日本語のタイトルが付いているのである! これはニュースである(笑)
2008/05/14のBlog
[ 12:16 ]
[ ニュース ]
後期高齢者医療制度の開始前、茨城県医師会は、都道府県レベルの医師会としては初めて同制度の廃止を求める声明を発表し、「みなさん、こんな高齢者いじめの制度が許せますか!」と題するポスターを作成し、反対の署名活動を展開しているらしい。
9日のキャリアブレイン・ニュースは、その茨城県医師会の原中勝征会長へのインタビューを掲載している。
「憲法25条(生存権)により、国は国民の最低限度の生活を保障する義務がありますから、生活が苦しいお年寄りを保護する責任があるはずです。それなのに、戦後の荒廃から今日の日本をつくったご老人の年金から税金を取って、介護保険料を取って、さらに後期高齢者保険料を取る。これは、国の老人に対する基本的な姿勢が間違っているとしか言いようがありません。」
原中氏はこのように語り、後期高齢者医療制度を廃止し、逆に75歳以上の老人医療費を無料にすることを訴えている。その主張は、財源問題も含めて極めて説得的なので、下記のサイトで、是非全文をお読みいただきたい。
【キャリアブレイン:「高齢者いじめの制度は許せない」】