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2008/07/16のBlog
[ 06:16 ]
[ 裁判・司法 ]
7.公判前整理手続(2005年11月から実施)の問題点・・・裁判員裁判では必ず実施
・ 公判前整理手続は、陪審制のアメリカにも、参審制のドイツにもない日本独自の制度であり、弁護人の活動を事前に制限し、がんじがらめにしかねない制度。
・ 包括的で窮屈な事前手続
・ 公判段階において弁護側の主張・立証を制限・規制する力を持つ手続。
<被告人・弁護側の防御権制限の手続的構造化>
* 公判の形骸化
* 黙秘権の侵害
* 立証責任の転換
* 裁判公開の減退
【非公開の公判前整理手続】
・ 裁判官、検察官、弁護人が出席
・ 被告人が出るかどうかは本人の意思と裁判官の裁量次第
・ 裁判員は出席しない
・ 争点を確定し、証拠を整理する(争点と証拠を極力絞る)
・ 鑑定は公判前に行い、分かりやすい形に整理する
・ 調書もポイントを絞ったわかりやすいものに整理し、調書朗読は要旨の告知でよいとする
・ 審理の進め方、スケジュールを決める
・ いったん決めた争点や証拠は拘束力を持ち、公判段階では容易に変えたり追加したりできない。(公判前整理手続においては「やむを得ない事由」によって請求できなかったときに限り、新たに証拠調請求できる:刑訴法316条の32)
・ つまり、争点・証拠の公判前提示を強制することにより、公判が始まってから新しい争点や証拠を出すことを禁じる。
・ これは、防御手段の事前開示強制、供述強制にほかならず、無罪推定原則や黙秘権に反する疑いがある。
・ 細かい矛盾点が調書の上で巧みに整理され簡略化されて隠されてしまう危険性がある
・ 冤罪事件などの場合、捜査段階で自白していた被告人が公判段階になってから否認に転じ、自白の任意性を争うケースが多いが、公判前整理手続では、裁判所は自白を前提に証拠を請求させており、「やむを得ない事由」がない限り証拠調請求の追加は認めない(刑訴法316条の32)としており、自白の任意性を争うことを認めない。
・ 公判前整理手続においては、被告人の身柄が拘束され、弁護人が自由に接見できず、証拠開示も不十分な状態で、被告人・弁護側が十分に防御の準備が整っていない段階で、争点と証拠の絞り込みが早々と行われる結果、本当の争点や必要な証拠が切り捨てられてしまう危険が大きくなる。
・ 弁護側はまだ十分に主張と証拠を整理できていない段階で、公判に出すべき主張、証拠を提示すべきことを強制され、それに基づいて一種の拘束力を持つ決定がなされ、それに従った審理が進められるため、被告人・弁護側にとっては非常に不利な立場に立つ。
・ 検察側が証拠を全部握っているという証拠不開示の問題点は、今回の改革でわずかに前進した反面、開示証拠の目的外利用を厳しく禁止し、これに対する違反に刑罰を科すことになった。これにより、弁護側が支援団体やマスコミや研究者に情報提供することが禁じられることになり、法廷外の支援活動が困難になり、国民の「知る権利」が制約される。
8.裁判員関与裁判の進行
・ (裁判員の負担を軽くするため)公判は連日開廷が原則になり、3回から5回くらいで処理される。(裁判員法51条、刑訴法281条の6)
・ 弁護人にとっては十分な準備時間が取れず、弁護活動に大きな支障が出る。
・ 公判をスムーズに進行させるため、裁判長に重圧がかかり、その結果、強圧的・機械的な訴訟指揮が行われる可能性が高い。
・ 公判前整理手続によって、被告人・弁護側の法廷戦術ががんじがらめになる。
*小田中聰樹『裁判員制度を批判する』(花伝社)参照
[ 06:16 ]
[ 裁判・司法 ]
5.裁判員選任手続きにおける問題点
◆裁判員就任の強制・選別・排除の問題
・ 裁判員候補者・裁判員の不出頭、及び裁判員の宣誓拒否に対する罰則(不出頭は10万円以下の過料を科される)
・ 無作為抽出で選出された裁判員候補者には辞退権(拒否権)が認められず、不出頭に対しては過料という罰則が付加されるが、裁判員就任の強制は憲法上疑義がある。
そもそも憲法上の根拠がない義務を強制できるか疑問
国政への参加は国民の権利であるが、義務ではない。
憲法は意に反する苦役を禁じており、思想・良心の自由を認めている。
兵役に関する良心的拒否と通底する問題を秘めている。
・ 他方で、裁判所は、裁判員候補者が出頭しない、宣誓しない、意見を述べない、選任手続で虚偽供述したなどの場合のほか、「不公平な裁判をするおそれがある」「裁判長の命じた事項に従わない」「不穏当な言動をした」などの理由で裁判員を解任できる。
・ このような裁判員に対する義務の強制と、裁判所による広範な解任権はつじつまがあわないものである。
・ 候補者には真実回答義務が課されるが、質問内容如何によっては裁判員候補者の思想・信条・プライバシー等について不当な侵害がなされる危険がある。
◆裁判員に課される義務が広範かつ無限定であること
・ 誠実にその職務を行う義務
・ 品位を辱めることのないようにする義務
・ 裁判の公正さに対する信頼を損なうおそれのある行為をしてはならない義務
・ 裁判員・同経験者の、評議経過その他職務上知り得た秘密の漏洩又は合議体構成者以外の者への意見具申に対する罰則(懲役、罰金)
・ 何人も裁判員に対し、その担当事件に関し接触してはならない。
・ これらの義務の違反に対しては公判中の解任措置が用意されており、裁判官による裁判員の事後的な選別・排除を可能にし、裁判員の自由・独立な判断が妨げられる危険が大きい
・ 裁判院は任務終了・退任後も「裁判の公正さに対する信頼を損なうおそれのある行為」を慎む義務を負うため、裁判内容に関する批判はもちろん、裁判制度や裁判官・裁判員のあり方に関する批判も一切禁じられる。
・ 裁判員は在任中のみならず、退任後も無期限に、評議の経過その他職務上知りえた秘密を漏らさない義務を負う(これに違反した場合は懲役又は罰金に処せられる)ことから、自己の経験や意見を具体的に第三者に語ることを生涯禁じられ、秘密漏洩罪の恐怖に脅える存在となる。
・ このように裁判員制度は、裁判員経験者を秘密の壁の中に追いやり、その経験や意見の交流を妨げ、個別化・分断化する。
◆裁判員裁判の強制
・ 被告人に裁判員関与裁判を辞退(ないし拒否)する権利を一切認めない。
・ 被告人の「公正な裁判を受ける権利」との不整合・・・被告人の辞退権を一切認めないことは、被告人の納得と信頼を無視することになる。
6.公判簡略化という問題
「最終意見書」→「検討会」
・ 裁判員の負担を軽減し、実質的に関与できるようにするため、迅速で分かりやすいものとする。
・ 公判前整理手続きを行い、要審理見込日数を明らかにする。
・ できる限り連日開廷する。
・ 証拠調べは迅速で、かつ裁判員に分かりやすいものにする。
・ 迅速でわかりやすい審理に向け、訴訟指揮を行う。
・ 判決書は裁判官が作成する。
* 裁く側の便宜を重視する余り、裁かれる側=被告人の権利保障の視点を見失っている。
* 被告人の「公正な裁判を受ける権利」・・・公平な裁判所、適正手続、防御権、弁護権
* 迅速で平易な簡略審理を行うという構想は、防御権の軽視の上に組み立てられている。
* 「迅速で分かりやすい」裁判の名の下に、検察や警察のシナリオ通りに迅速に処罰する裁判が推進される。
(続く)
*小田中聰樹『裁判員制度を批判する』(花伝社)参照
[ 06:14 ]
[ 裁判・司法 ]
3.裁判員関与裁判の限定
・ 対象事件は有罪の場合の刑罰が死刑または無期刑となる事件、または故意の犯罪で被害者を死亡させた事件。
・ 一審のみ。控訴審は裁判官のみで裁判する。
・ なぜ死刑や無期などの重大事件に限って裁判官を関与させるのか、合理的な説明がつかない。国民の常識を反映させるというのなら、もっとありふれた日常的な軽い事件(詐欺や窃盗、傷害など)の方が国民の常識を活かせるはずである。逆に殺人事件のような非日常的な事件は、常識ではなかなか理解できないようなケースが多い。
・ また、控訴審ではなぜ急に国民の常識が不要になるのか、説明できない。
・ 結局、真の理由は、国民の処罰意識を高めるという政治的な狙いと、裁判員制度を現実的に処理できる数に絞ろうとする便宜的考慮に基づいているにすぎない。
・ 対象事件は有罪の場合の刑罰が死刑または無期刑となる事件、または故意の犯罪で被害者を死亡させた事件。
・ 一審のみ。控訴審は裁判官のみで裁判する。
・ なぜ死刑や無期などの重大事件に限って裁判官を関与させるのか、合理的な説明がつかない。国民の常識を反映させるというのなら、もっとありふれた日常的な軽い事件(詐欺や窃盗、傷害など)の方が国民の常識を活かせるはずである。逆に殺人事件のような非日常的な事件は、常識ではなかなか理解できないようなケースが多い。
・ また、控訴審ではなぜ急に国民の常識が不要になるのか、説明できない。
・ 結局、真の理由は、国民の処罰意識を高めるという政治的な狙いと、裁判員制度を現実的に処理できる数に絞ろうとする便宜的考慮に基づいているにすぎない。
4.裁判員と裁判官の関係・・・対等性の偽装と裁判員の装飾化
・ 裁判所の構成は、原則として裁判官3人・裁判員6人。例外として裁判官1人・裁判員4人。
・ 裁判員は衆議院議員選挙有権者のうち、欠格事由、就職禁止事由、辞退事由、不適格事由のある者を除く者から、くじで候補者を選び裁判所が決定する。
・ 候補者に対し、検察官・被告人はそれぞれ4人を限度として理由を示すことなく不選任を請求できる。
・ 裁判員は名前が公的には一切明らかにされず、公判記録にも判決書にも名前が載らない。いわば「覆面」裁判員である。だれが裁判員として関与したかを一般の国民が知らされない一種の匿名裁判になり、無責任裁判に陥る危険がある。
・ 裁判員は公判前整理手続(後述)には関与しない。公判前整理手続には裁判官と検察官と弁護人(および場合によっては被告人)のみが出席し、公判で争う争点と証拠を決定する。
・ 自白の任意性については裁判官のみが判断する権限を持ち、裁判員には判断権限がない。
・ 裁判員は裁判官とともに事実認定と量刑判断に関与する。
・ 判決書の作成は裁判官のみが行い、裁判員は関与しない。判決書には裁判官の名前は載るが、裁判員の名前は載らない。
・ 裁判官は裁判員に対し、法律知識や裁判経験の上で圧倒的優位に立つだけでなく、公判前整理手続であらかじめ様々な証拠に接し、事件の全体像と争点を頭の中に入れた上で公判に臨む裁判官は情報面においても圧倒的優位に立つ。したがって、裁判官は自分が認定しようとする方向に議論をリードしていくことが容易となる。
・ このような状況で、裁判官と裁判員が対等であるなどというのは幻想というしかなく、裁判員は装飾的な存在にすぎなくなる。
(続く)
*小田中聰樹『裁判員制度を批判する』(花伝社)参照
・ 裁判所の構成は、原則として裁判官3人・裁判員6人。例外として裁判官1人・裁判員4人。
・ 裁判員は衆議院議員選挙有権者のうち、欠格事由、就職禁止事由、辞退事由、不適格事由のある者を除く者から、くじで候補者を選び裁判所が決定する。
・ 候補者に対し、検察官・被告人はそれぞれ4人を限度として理由を示すことなく不選任を請求できる。
・ 裁判員は名前が公的には一切明らかにされず、公判記録にも判決書にも名前が載らない。いわば「覆面」裁判員である。だれが裁判員として関与したかを一般の国民が知らされない一種の匿名裁判になり、無責任裁判に陥る危険がある。
・ 裁判員は公判前整理手続(後述)には関与しない。公判前整理手続には裁判官と検察官と弁護人(および場合によっては被告人)のみが出席し、公判で争う争点と証拠を決定する。
・ 自白の任意性については裁判官のみが判断する権限を持ち、裁判員には判断権限がない。
・ 裁判員は裁判官とともに事実認定と量刑判断に関与する。
・ 判決書の作成は裁判官のみが行い、裁判員は関与しない。判決書には裁判官の名前は載るが、裁判員の名前は載らない。
・ 裁判官は裁判員に対し、法律知識や裁判経験の上で圧倒的優位に立つだけでなく、公判前整理手続であらかじめ様々な証拠に接し、事件の全体像と争点を頭の中に入れた上で公判に臨む裁判官は情報面においても圧倒的優位に立つ。したがって、裁判官は自分が認定しようとする方向に議論をリードしていくことが容易となる。
・ このような状況で、裁判官と裁判員が対等であるなどというのは幻想というしかなく、裁判員は装飾的な存在にすぎなくなる。
(続く)
*小田中聰樹『裁判員制度を批判する』(花伝社)参照
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[ 裁判・司法 ]
小田中聰樹『裁判員制度を批判する』(花伝社)を読んだ。目から鱗がぼろぼろと何十枚も剥がれ落ちた。裁判員制度の開始(2009年5月21日)まで10カ月を切ってしまったが、こんなに間近になるまで、私は裁判員制度の本質を全く理解していなかったことを知り、己の無知蒙昧が心の底から恥ずかしい。最近になるにつれて、裁判員制度に対する否定的心証を強めつつあったとはいえ、潜在的にはプラスの側面もある、などと漠然と考えていたことが心から恥ずかしい。アンケート結果などを見ると、この制度に消極的な国民が多いとはいえ、政府(法務省)、最高裁、日弁連、マスコミなどのキャンペーンにより、私と同様、この制度の危険な本質を見誤ったり、気づかない国民も少なくないと思われるので、以下、本書で詳述された裁判員制度批判の要旨を数回に分けて、箇条書きで紹介する。
1. 司法制度改革の背景とプロセス
1994年 米国の対日「年次改革要望書」・・・「司法制度改革」
(不破利晴氏の記事「何が死刑を加速させるのか?②」も参照)
経済同友会「現代日本社会の病理と処方」・・・法曹人口大幅増と司法改革推進審議会設置を提唱
1995年3月、閣議決定「規制緩和推進計画」に法曹人口大幅拡大の方針
12月、行政改革委員会規制緩和小委員会の意見書・・・同様の方針
1997年1月、経済同友会「グローバル化に対応する企業法制の整備を目指して」
11月、自民党司法制度特別調査会報告書「司法制度改革の基本的な方針」
12月、行政改革会議最終報告書・・・司法制度改革のための本格的検討を政府に要望
1998年5月、経団連「司法制度改革についての意見」・・・法曹一元化、ロースクール設立、法律事務所開放、裁判迅速化を要求
11月、日弁連「司法改革ビジョン」・・法曹一元化、陪・参審制導入
1999年6月、司法制度改革審議会が設置される
2000年11月、司法制度改革審議会が中間報告
2001年6月、司法制度改革審議会が最終意見書
(1) 人的基盤拡大・・・弁護士人口の大幅拡大、法科大学院制度創設
(2) 制度的基盤整備・・・裁判外紛争解決手段の拡大、民事訴訟の迅速・計画化、刑事裁判の迅速・効率化、被疑者国選弁護制度導入
(3) 国民的基盤拡大・・・裁判員制度創設、検察審査会の権限拡大
2001年11月、司法制度改革推進本部を内閣に設置
2004年2月、裁判員法案の国会提出
5月21日、裁判員法成立(→2009年5月21日施行)
2005年11月、公判前整理手続を試行的に実施
2006年10月、日本司法支援センター(法テラス)が発足
2007年5月、併合事件(同一被告人の複数事件の併合審理)に関する区分審理・部分判決制度が導入
6月、犯罪被害者公判手続参加制度が成立(刑訴法316条の33以下新設)
2009年5月21日、裁判員制度施行予定
1. 司法制度改革の背景とプロセス
1994年 米国の対日「年次改革要望書」・・・「司法制度改革」
(不破利晴氏の記事「何が死刑を加速させるのか?②」も参照)
経済同友会「現代日本社会の病理と処方」・・・法曹人口大幅増と司法改革推進審議会設置を提唱
1995年3月、閣議決定「規制緩和推進計画」に法曹人口大幅拡大の方針
12月、行政改革委員会規制緩和小委員会の意見書・・・同様の方針
1997年1月、経済同友会「グローバル化に対応する企業法制の整備を目指して」
11月、自民党司法制度特別調査会報告書「司法制度改革の基本的な方針」
12月、行政改革会議最終報告書・・・司法制度改革のための本格的検討を政府に要望
1998年5月、経団連「司法制度改革についての意見」・・・法曹一元化、ロースクール設立、法律事務所開放、裁判迅速化を要求
11月、日弁連「司法改革ビジョン」・・法曹一元化、陪・参審制導入
1999年6月、司法制度改革審議会が設置される
2000年11月、司法制度改革審議会が中間報告
2001年6月、司法制度改革審議会が最終意見書
(1) 人的基盤拡大・・・弁護士人口の大幅拡大、法科大学院制度創設
(2) 制度的基盤整備・・・裁判外紛争解決手段の拡大、民事訴訟の迅速・計画化、刑事裁判の迅速・効率化、被疑者国選弁護制度導入
(3) 国民的基盤拡大・・・裁判員制度創設、検察審査会の権限拡大
2001年11月、司法制度改革推進本部を内閣に設置
2004年2月、裁判員法案の国会提出
5月21日、裁判員法成立(→2009年5月21日施行)
2005年11月、公判前整理手続を試行的に実施
2006年10月、日本司法支援センター(法テラス)が発足
2007年5月、併合事件(同一被告人の複数事件の併合審理)に関する区分審理・部分判決制度が導入
6月、犯罪被害者公判手続参加制度が成立(刑訴法316条の33以下新設)
2009年5月21日、裁判員制度施行予定
2.裁判員制度の目的と本質・・・民主性の偽装
・ 司法制度改革審議会最終意見書「基本理念と方向」によれば(建前)――
「法の精神、「法の支配」を国家・社会へ浸透させるよう司法制度を改革することが根本課題である」
「政治改革、行政改革、規制緩和等の諸改革は、過度の事前規制・調整型社会から事後監視・救済型社会への癲癇と、肥大化した行政システムの改革及び政治部門の統治能力の質的向上を図るものだが、これは国民の統治客体意識から統治主体意識への転換を前提とするとともにその転換を促そうとするものである」
「国民の健全な社会常識を刑事裁判に反映させるため国民が裁判官と責任を分担し、協同するシステム」
* 表向きの理由(建前)は、「国民の健全な社会常識を司法に反映させること」と「裁判の迅速・効率化・平易化」である。
◎ 一見、民主主義的発想のごとくみえるが、この発想は、一般国民と国家権力を掌握している統治層との間に存する矛盾・対抗・対立・葛藤を無視・捨象し、両者の同一性を当然に自明なこととして前提し、国民の国家ないし統治層への奉仕、恭順、服従の義務・責務を導出する、危険な「国家総動員」的な実体、論理を持つ。
◎ 国民の「統治主体意識」育成の名の下に「処罰主体意識」育成を図るのみであり、被告人の人権(公正な裁判を受ける権利)の保障を強化する視点や論理は殆ど欠落したままである。
◎ (被告人、一般国民の)人権保障という一番重要な観点が抜けているため、権力が国民を動員し、利用し、抱き込む制度になる危険性が大きい。
◎ 裁判員関与裁判では裁判員の負担が過重にならないようにするため、「迅速・軽負担・平易化」が大原則とされている(裁判員法51条)が、この原則は、被告人・弁護側の防御権・弁護権と矛盾する。つまり、裁判員裁判においては、裁く側の都合によって被告人の「公正な裁判を受ける権利」という人権が犠牲にされる。
◆「核心司法」というイデオロギー
・ 最高裁、最高検察庁、日弁連の法曹三者はいずれも「核心司法」という司法像を打ち出しているが、それは、事件の核心を衝いた司法という像で、裁判所の強い訴訟指揮に基づいて、迅速・効率的に裁判を進めていくという司法像である。
・ それは、争点を絞る(争点限定、争点中心主義)ことで、余分な主張や証拠を全部切り捨て、裁判所には必要最小限度の証拠を提供し(証拠限定)、迅速かつ効率的に判断させるという司法像。
・ 裁判所は強い訴訟指揮により被告人の防御活動や弁護活動を規制しようとするだろう
・ 「核心司法」とは「迅速・効率的司法」のことで、強権的な「管理統制司法」である
・
◆冤罪防止・人権保障の観点から最も重大な問題点が手つかずのまま放置された
* 代用監獄制度
* 秘密・糾問的取調
* 弁護士との接見制限
* 身柄の長期間拘束
(続く)
・ 司法制度改革審議会最終意見書「基本理念と方向」によれば(建前)――
「法の精神、「法の支配」を国家・社会へ浸透させるよう司法制度を改革することが根本課題である」
「政治改革、行政改革、規制緩和等の諸改革は、過度の事前規制・調整型社会から事後監視・救済型社会への癲癇と、肥大化した行政システムの改革及び政治部門の統治能力の質的向上を図るものだが、これは国民の統治客体意識から統治主体意識への転換を前提とするとともにその転換を促そうとするものである」
「国民の健全な社会常識を刑事裁判に反映させるため国民が裁判官と責任を分担し、協同するシステム」
* 表向きの理由(建前)は、「国民の健全な社会常識を司法に反映させること」と「裁判の迅速・効率化・平易化」である。
◎ 一見、民主主義的発想のごとくみえるが、この発想は、一般国民と国家権力を掌握している統治層との間に存する矛盾・対抗・対立・葛藤を無視・捨象し、両者の同一性を当然に自明なこととして前提し、国民の国家ないし統治層への奉仕、恭順、服従の義務・責務を導出する、危険な「国家総動員」的な実体、論理を持つ。
◎ 国民の「統治主体意識」育成の名の下に「処罰主体意識」育成を図るのみであり、被告人の人権(公正な裁判を受ける権利)の保障を強化する視点や論理は殆ど欠落したままである。
◎ (被告人、一般国民の)人権保障という一番重要な観点が抜けているため、権力が国民を動員し、利用し、抱き込む制度になる危険性が大きい。
◎ 裁判員関与裁判では裁判員の負担が過重にならないようにするため、「迅速・軽負担・平易化」が大原則とされている(裁判員法51条)が、この原則は、被告人・弁護側の防御権・弁護権と矛盾する。つまり、裁判員裁判においては、裁く側の都合によって被告人の「公正な裁判を受ける権利」という人権が犠牲にされる。
◆「核心司法」というイデオロギー
・ 最高裁、最高検察庁、日弁連の法曹三者はいずれも「核心司法」という司法像を打ち出しているが、それは、事件の核心を衝いた司法という像で、裁判所の強い訴訟指揮に基づいて、迅速・効率的に裁判を進めていくという司法像である。
・ それは、争点を絞る(争点限定、争点中心主義)ことで、余分な主張や証拠を全部切り捨て、裁判所には必要最小限度の証拠を提供し(証拠限定)、迅速かつ効率的に判断させるという司法像。
・ 裁判所は強い訴訟指揮により被告人の防御活動や弁護活動を規制しようとするだろう
・ 「核心司法」とは「迅速・効率的司法」のことで、強権的な「管理統制司法」である
・
◆冤罪防止・人権保障の観点から最も重大な問題点が手つかずのまま放置された
* 代用監獄制度
* 秘密・糾問的取調
* 弁護士との接見制限
* 身柄の長期間拘束
(続く)
2008/07/15のBlog
[ 21:15 ]
[ 言葉 ]
運命とは、偶然と意思的行為の総体に悲劇というベールを被せるための意匠である。
2008/06/27のBlog
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[ 社会 ]
笹川陽平日本財団会長の妄想に端を発し、「たばこと健康を考える議員連盟」なる超党派の国会議員集団が検討している、たばこを一箱千円にするという極端なたばこ大増税案に対し、これまで私が目にした限りでは、不破利晴さんの「「禁煙ファシズム」をぶん殴る」という論考を除き、本格的な反対論がないことに不審と不満を感じていた。
たばこ増税推進論者の論拠は、増税による税収増と国民の健康増進による医療費抑制の2つである。このうち、前者の論拠について、笹川陽平氏は、「たばこの値段を一箱千円にすれば9兆5千億円の税増収が見込め、仮に消費量が3分の1になっても3兆円超の税収増が見込める」と述べている。しかし、この論拠については、経済アナリストの森永卓郎氏が6月26日付朝日新聞「私の視点」欄に寄せた一文「たばこ増税:本当に税収は増えるのか」において、緻密な反論を加えている。森永氏によれば、最近では03年と06年に2度たばこの増税が行われたが、値上げによって消費量が減ったために、たばこの税収は01年度の2兆2493億円から今年度(見込)は2兆2000億円へとかえって減っている。そして、今年4月、製薬会社が喫煙者に行った調査によると、「たばこが千円になったら禁煙する」と答えた人が79%に上った。そこで、仮にたばこを1箱千円にして喫煙者の79%が禁煙すると仮定し、たばこ小売店に入る利益が値上げ前と同じく販売価格の10%として計算すると、税収は2兆2566億円となり、驚くべき事に現状とほとんど変わらないという。しかも、たばこの消費量が5分の1になるのだから、たばこ産業の国内生産額も5分の1となり、たばこ産業の国内生産額1兆円のうちの8割、8千億円が失われることになる。そのうち1割が税金とすると、税収減は800億円に上る。たばこを増税して、逆に税収が減ってしまうことさえありうる、というのである。森永氏はさらに、喫煙率の低下によって医療費が削減できるとの予測についても合理的な疑問を呈している。
森永氏の予測が正しければ、税収増を論拠とする増税案は根拠を失うことになる。しかし、問題の本質は、税収が増えるか減るか、などというところにあるのではない。たばこ増税案の根本的な問題は、それが課税の根本原則であるところの公平性に著しく違反し、贅沢品でもないのに、特定の嗜好を持つ人々だけを狙い打ちにして甚だしい重税を課す、という不平等性こそ最大の問題点なのである。たばこの税負担率は、現在すでに価格の63%が税金という超重税品目になっており、300円のたばこの場合、なんと約190円が税金であり、しかもその内訳は、国税、都道府県税、市町村税、たばこ特別税、消費税という5種類もの税金がかかっているのである。この現状を見ただけでも、すでに課税の公平原則に違反し、憲法14条の平等原則に違反する疑いすらあるのである。それが、仮に一箱千円に値上げされ、値上げ分がすべて税金になった場合、なんと税負担率が89%にまで達するという異常事態となり、もはや憲法14条に違反することは明白と言わざるを得ないだろう。
そもそも、課税の根本原則である公平原則は、租税公平主義とも呼ばれ、税負担は国民それぞれの担税力に即して公平に配分されなければならず、各種の租税関係において国民は平等に取り扱われなければならないことを意味している。この原則は、「担税力に応じた課税」と、租税関係における「公平中立の原則」を要請しており、これらの原則は、憲法14条の平等取扱い原則ないし不平等取扱い禁止原則に由来する(金子宏『租税法(第十版)』弘文堂)。したがって、奢侈品でもない単なる特定の嗜好品に9割近い税金を課すことは、租税公平主義に違反し、憲法の平等原則に違反することは明白である。
しかし、たばこ増税案が憲法違反であるのは、14条の平等原則に違反するからだけではない。さらに深刻な問題は、それが特定の生き方(喫煙者としての生)を否定し、別の特定の生き方(非喫煙者としての生)を押しつけるような法的強制を加えることにより、人間の自由と自己決定権を否定し、日本国憲法の人権条項の中でも中核的な地位を占める13条の幸福追求権を否定していることである。すなわち、たばこ増税案は憲法13条と14条、自由と平等という人権の中核的価値を否定するという重大な違憲性を孕んだ提案なのである。にもかかわらず、これまでのところ、税収が増えるか否かといった枝葉末節の議論ばかりで、このような本質的な論点が正面から議論されてこなかったのは、日本人がいかに自由と平等の重要性を看過しているかの表れだと言ったら言い過ぎだろうか。
たばこの持つ社会的問題点は受動喫煙(間接喫煙)の問題だけである。この問題については、日本でも遅ればせながら、近年ようやく公共の場での禁煙化や分煙化という取り組みが行われている。その点で不十分な点はさらに改善の努力が必要かもしれない。愛煙家の方には気の毒だが、この点は、これまで非喫煙者が耐えさせられてきた受動喫煙の被害に思いを致し、我慢して頂くしかない。したがって、受動喫煙の問題は公共の場での禁煙化ないし分煙化によって基本的に解決可能なものであり、増税によって解決する問題では全くない。しかし、なかには、禁煙を推進することは喫煙者にとってもためになることだ、といった議論がなされることがある。これこそまさに余計なお世話以外の何ものでもない。これは個人の自由や自己決定の意義を全く理解しない人の発言でしかない。どれほどあるかもわからない肺ガンその他のガンにかかるリスクを恐れて(別にたばこを吸わなくてもガンにかかる人も多いが…)好きなたばこを止めるよりも、そういうリスクを承知の上でたばこを吸い続けるのは、他人に迷惑をかけない限り、完全にその人の自由である。
最後に、このような自由や平等の価値の重要性をこれっぽっちも理解しない愚論の見本として、(何日付だったか忘れたが)朝日新聞の「千円たばこ――動機はともあれ大賛成」という社説を掲げておこう。どこがおかしいか、もはやいちいち指摘するまでもないだろう。
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【朝日新聞社説】千円たばこ――動機はともあれ大賛成
「たばこ1箱千円」。あなたが喫煙者だったら、それでもなお吸い続けるだろうか。それとも禁煙に踏ん切りをつける絶好の機会にするだろうか。
たとえば1箱20本入り300円のマイルドセブンを、たばこ税の値上げで千円にする。そんな健康政策を推進する超党派の議員連盟が発足した。
「1箱千円」は、たばこに別れを告げる人を増やすために、大いに歓迎である。
たばこは本人ばかりか、周りで煙を吸わされる人の健康も損なう。寝たばこなどは火災の原因にもなるし、少年の非行の温床にもなっている。
2兆2千億円の税収を稼ぎ出し、葉タバコ農家や販売者の生活を支えているが、社会全体で見れば、負の部分が多い。21世紀の日本は脱たばこ社会をめざすべきだ。
政治家らが脱たばこに向けて本格的に取り組むのは初めてである。一度に千円に引き上げることはむずかしいかもしれないが、粘り強く活動してもらいたい。
日本のたばこは他の先進諸国と比べて安すぎる。代表的な銘柄の場合、英国は1300円近くするし、ドイツやフランスでも日本の倍以上だ。米国は地域で違いがあるが、ニューヨーク市の場合、やはり倍以上も高い。
日本の男性の喫煙率は40.2%と英米よりも突出して高い。女性は12.7%だが、若い世代で喫煙が増えている。赤ちゃんへの影響を考えれば、見過ごせない状況だ。
「千円たばこ」は、こうした現状を大きく変えるきっかけになる。研究者の試算や世論調査では、この水準まで価格が上がれば、8~9割が禁煙を考えるという結果が出ているからだ。
ただ、めざすべきは、あくまでも国民の健康や安全の基盤づくりであることを改めて確認しておきたい。
議連には、税収を増やすために、たばこ税を上げようと考えている議員も少なくない。早くも約9兆円も税収が増えるという皮算用が出ている。
しかし、これは消費量がいまと同じという前提だ。価格を上げれば、当然、買う人は減る。
消費量を減らすのがそもそもの目的だから、税収も大きく減ることを覚悟しておいた方がいい。税収が減ることを嫌って、大幅な引き上げをためらうようなことがあってはならない。
「財政収入の安定的確保」を目的にしているたばこ事業法は、根本から改めなければならない。
議連には、たばこ税に代わる安定的な財源の確保に知恵を絞ってもらいたい。国が巨額の債務残高を抱え、高齢化で医療や介護の費用が増える中で、消費増税などで補う必要がある。
「千円たばこ」は、税制改革を本気で考える契機にもなる。
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2008/06/25のBlog
[ 13:09 ]
[ 本たち ]
nadjaさんが堀辰雄の『風立ちぬ』を紹介しておられる。
私も中学時代に堀辰雄の「風立ちぬ」と「美しい村」を読み、その叙情的で美しい描写に憧れたものだが、所詮、田舎の貧乏中学生にとっては、このようなブルジョア的な恋愛などとは一生無縁であることは、その時点ですでにわかってしまっていた。
私にとっては、サナトリウムなるものが、何か甘美な憧れを催させる場所として強く印象づけられたものの、その後、再び堀辰雄を読むことはなかった。
大人になってから読んだ寺山修司の『さかさま文学史・黒髪篇』の中に、堀辰雄への愛憎を書いた一文があり、非常に共感を覚えたものだ。それ以後、堀辰雄と言うと、「風立ちぬ」よりも寺山修司のこの文章を思い出すほどだ。以下、いささか長くなるが、寺山の文章を引用する。
(なお、念のために付言しますが、この文章を引用するのは、単に寺山の視点が面白いからであり、決して堀辰雄をけなすためではないことを強調しておきます。)
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私は、堀辰雄の『燃ゆる頬』や『麦藁帽子』を真似た短編を書いてみたりもしたが、何しろ、軽井沢の胸を病む少女と詩人との、フランス語まじりの知的な会話と、円形脱毛症に悩む青森弁の中学生とのあいだは、あまりにもひらきが大きく、書いても書いても似たものができる訳はなかった。
そして、そのうちに、かわいさ余ってにくさが百倍。
次第に堀辰雄の小説がきらいになっていったのである。
「私たちがずっと後になってね。今の私たちの生活を思い出すようなことがあったら、それがどんなに美しいだろうと思っていたんだ」
と、堀辰雄は『風立ちぬ』の中で書いている。
だが、と私は思った。
自分のことを「どんなに美しいだろう」と書ける神経がいささか奇異に映ったからである。
おそらく、私ならば「美しい」ということばを使うことなどできないだろう。たとえ、それが過去の「物語」にすぎないとしても、よほどのナルシストでないかぎり、じぶんのロマンスのことなど照れてしまうものである。
だが、堀辰雄は、それをぬけぬけとやってみせた。そうしたキザさ、自己讃美の露出癖は、いわば堀辰雄の文学の特性であった。
だから、はじめて堀辰雄の写真を見たとき、私はおどろいてしまったものだ。
ほんものの堀辰雄は、ジャン・ルイ・バローのような美青年どころか、髪はもじゃもじゃで、眼鏡をかけた、どっちかといえば「いい男」などではない三十すぎの作家にすぎなかったのである。
・・・・
さあ、風が吹いてきた。私たちは、生きなければならない――というヴァレリーの詩を引用するときの堀辰雄の「生」は、「真の生」であって、現実の生とはべつのものであったのである。
死を通りぬけてなお存在し死を超えてかがやく高原の一房の葡萄のような辰雄と綾子(「風立ちぬ」の中では節子)の愛とその記録。
それは、同時代の読者の心を奪わずにおかなかった。
堀辰雄は、綾子との日々を『風立ちぬ』と『美しい村』の二編の中編小説に書き、作家としての情熱のすべてをそこに燃やして、一世を風靡した。
「真の婚約」ということばは堀辰雄の死んだ綾子への永遠の愛を想わせるものだったので、だれもが、
「堀辰雄は一生独身で通すだろう」
と思ったものである。
だが、綾子が死んでわずか二年後に、堀辰雄は九歳年下の加藤多恵子と結婚した。
・・・
それから、五十歳で死ぬまでの十五年間、堀辰雄は『風立ちぬ』を上回る小説を欠くことがなかった。
人々は、それを堀辰雄の健康のせいにしたが、私はやっぱり綾子のせいではなかったかと思っている。
『風立ちぬ』を書かせた綾子は「真の婚約」をうらぎって他の女と結ばれた辰雄に罰として、二度と「美しい」小説を書かせないようにしたのだ――そう考えるのは、まちがいであろうか? 読者の皆さん。
――寺山修司「婚約者・矢野綾子」『さかさま文学史・黒髪篇』より
[ 12:02 ]
[ 本たち ]
さらに、しつこく寺山修司『ポケットに名言を』(角川文庫)からの再引用を続ける。
「仁義なんてものは悪党仲間の安全保障条約さ」
――黒沢明「酔いどれ天使」
鉄砲玉が遠くまで飛ぶのは方向が限られているからさ。
――ディアギレフ
人間は、鏡をもって生まれてくるのではなく、また、われはわれなりというフィヒテ的哲学者として生まれてくるのでもないから、人間はまず、他の人間という鏡に自分を映してみる。
――カール・マルクス「資本論」
ある状況についての幻想を捨てたいという願いは、幻想を必要とする状況を捨てたいという願いである。
――カール・マルクス
もし世界の終わりが明日だとしても私は今日林檎の種を蒔くだろう。
――ゲオルグ・ゲオルギウ
地上的な希望はとことんまで打ちのめされねばならぬ。そのときだけひとは真の希望で自分自身を救うことができる。
――カフカ「城」
なぜ、人間は血のつまったただの袋ではないのだろうか?
――フランツ・カフカ
一杯の茶のためには、世界など滅びていい。
――ドストエフスキー「地下生活者の手記」
[ 11:18 ]
[ 本たち ]
引き続き、寺山修司『ポケットに名言を』(角川文庫)からの再引用――。
人間は生きなければならないという責任を負っている。けれども私には責任が失われて、それを失わせてしまった行為の責任が問われる。そしてそこにおいて生と死を見なければならない。
――李珍宇「獄中書簡」
花も嵐も踏み越えて
行くが男の生きる道
泣いてくれるなほろほろ鳥よ
――西條八十「旅の夜風」
貞淑、それは虚栄である。それは形を変えた自尊心である。
――アンドレ・ジイド「ワルテルの日記」
恋における貞節とは欲情の怠惰にすぎない。
――アンドレ・レニエ
勤勉な馬鹿ほどはた迷惑なものはない。
――ホルスト・ガイヤー「人生論」
安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしてるときは生のよろこびを書きつづる。
――太宰治「晩年」
「一人を殺せば犯罪者だが、百万人を殺せば英雄だ」
――「チャップリンの殺人狂時代」
犯罪者は国家の競争相手であり、国家の暴力独占権を脅かす存在である。
――エンツェンスベルガー「政治と犯罪」
政治を軽蔑するものは、軽蔑すべき政治しか持つことが出来ない。
――トーマス・マン「魔の山」
人間は生きなければならないという責任を負っている。けれども私には責任が失われて、それを失わせてしまった行為の責任が問われる。そしてそこにおいて生と死を見なければならない。
――李珍宇「獄中書簡」
花も嵐も踏み越えて
行くが男の生きる道
泣いてくれるなほろほろ鳥よ
――西條八十「旅の夜風」
貞淑、それは虚栄である。それは形を変えた自尊心である。
――アンドレ・ジイド「ワルテルの日記」
恋における貞節とは欲情の怠惰にすぎない。
――アンドレ・レニエ
勤勉な馬鹿ほどはた迷惑なものはない。
――ホルスト・ガイヤー「人生論」
安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしてるときは生のよろこびを書きつづる。
――太宰治「晩年」
「一人を殺せば犯罪者だが、百万人を殺せば英雄だ」
――「チャップリンの殺人狂時代」
犯罪者は国家の競争相手であり、国家の暴力独占権を脅かす存在である。
――エンツェンスベルガー「政治と犯罪」
政治を軽蔑するものは、軽蔑すべき政治しか持つことが出来ない。
――トーマス・マン「魔の山」
[ 10:51 ]
[ 本たち ]
世に名言集の類は数多あるが、私にとっては、寺山修司『ポケットに名言を』(角川文庫)に優るものはない。ここには古今東西の文学・哲学書・映画・歌謡曲・俚諺など、ジャンルを問わず、名言・至言が集められている。
本書に収録された名言の中から、特に印象的なものを再引用させて頂く。
選ぶすべを知る男の祖国は、それは茫漠とした雲の赴くところだ。
――アンドレ・マルロー
或る模範に人生をあてはめようとする人たち、この生ける屍みたいな人間たちの言葉を一体どうしろと言うんだ? 人生に何らの究極目的が与えられていないということ、それが今や行動の条件となったのだ。
――アンドレ・マルロー
夜、夢を見る者は、夜明けに目を覚ますとすべてが空しいということに気がつく。ところが、白昼夢を追う者は危険な人間である。何故なら彼らは、目を開けたまま自分の夢を演じ、これを実現することがあるから。
――アンドレ・マルロー「書簡集」
そこで私は現実だと思っていたことが実は夢で、夢の方が実は現実なのだ――といったような夢を見たのだ。
――アントン・チェーホフ
われわれは苦しむ以上に恐れるのである。
――アラン「幸福論」
解かれることを望まない秘密だってあるさ。
――エドガー・アラン・ポー「盗まれた手紙」
英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ。
――ベルトルト・ブレヒト「ガリレイの生涯」