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2008/03/02のBlog
[ 23:44 ]
[ FWF ゴールドディスク ]
Somewhere Before/Keith Jarrett ボブ・ディランは、いつも何を考えているかわからない。
こういう風に思っているのだろうと信用しそうになると、手のひらを返して、そんなことは知らない、とそっぽを向くような人だ。
ディランは悧巧で、いつも本当のことなど何も歌わない。
警句と逆説と手の込んだ修辞を、すでに人生など終わってしまったと嘯くような皺涸れ声で歌うベビーフェイスの嘘。
だから本当はこういう人に信頼をおいてしまってはいけないのだ・・・という警戒心や裏切りのトリックを彼が何枚ものアルバムの中で示してきたこと。しかし、そのこと自体が、ボブ・ディランを信頼する意味でもあり、引寄せられていく吸引力の磁場の核であり、抗しがたいほどの魅力を発する隠された秘密なのである。
キース・ジャレットも、きっとある部分はそういうタイプの人だと思う。
ただし、キースは破綻はしない。それが見せかけのものだったとしても、彼の技巧の粋をつくした演奏の中には、天へ昇らんとする強いポジティブな力がある。
フォークなテーマを煌びやかに演奏する瞬間、ダウントゥアースなフレーズが、極彩色のオーロラのような閃光の中に立ち昇る。技巧が異種のものの横断を許しているのだ。
60年代後半、マイルス・デイビスがやっきになって、チャールズ・ロイドのバンドから引き抜こうとしたのは、この「天才小僧」だった。マイルスは常に異種のもののぶつかり合いの中から、新しい突破口を開こうとしてきたタイプの人間だ。
偉大なる魂が疾走し、それが互いに吸い寄せられて気流をつくる。キース・ジャレットのキーボードのタッチの連続は気圧のようなものさえかえてしまう力がある。
ディランとキース・ジャレットの出会いは、キースのプレイの歴史の中では青年期にある"Somewhere before"
オープニング曲は、ディランの"Another side of Bob Dylan"の一曲"My Back Pages"
チャーリー・ヘイデンのベースソロから始まり、キースのピアノが入り込むその一瞬を、私たちは知らなければならない。
ディランのカバー曲の中でも屈指の名曲である。
難渋で、迷路のように詩句が複雑に積み重ねられたディランの曲を、鍵盤でその秘密を解いたような開放感に溢れている。
"My Back Pages"
Crimson flames tied through my ears
Rollin' high and mighty traps
Pounced with fire on flaming roads
Using ideas as my maps
"We'll meet on edges , soon," said I
Proud 'neath heated brow.
Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.
深紅の火炎が耳の中で繋がれ
赫奕として、大きな罠が襲いかかる
火焔の道に立ち昇る炎
地図を頼りにするように知恵を働かそう
「ほどなくして危難に立ち会うことになるだろう」と私は言った
眉頭に熱い自信を漲らせながら
それは皺深き日々だった
私は今の方がずっと若やいでいる
Half-wracked prejudice leaped forth
"Rip down all hate," I screamed
Lies that life is black and white
Spoke from my skull. I dreamd
Romantic facts of musketeers
Foundationed deep , somehow.
Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.
難破しそうな偏愛が突如にして顕れる
「憎しみなどひき裂いてしまうがいい」
私は叫んだ
人生などは黒でもあり白でもあるのだ、という嘘が
頭蓋から話されることを想像した
銃兵のロマンは
ともかくも現実に深く根ざしている
それは皺深き日々だった
私は今の方がずっと若やいでいる
Girls' faces formed the forward path
From phony jealousy
To memorizing politics
Of ancient history
Flung down by corpse evangelists
Unthought of , though , somehow.
Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.
少女の顔は
偽りの嫉妬から
古代の歴史が記銘された政治へと続く道に
まっすぐ向いている
亡骸の姿に堕ちることを
いかようにしても
福音伝道者は考えないかもしれないし
考えるかもしれない
それは皺深き日々だった
私は今の方がずっと若やいでいる
A self-ordained professor's tongue
Too serious to fool
Spouted out that liberty
Is just equality in school
"Equality," I spoke the word
As if a wedding vow.
Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.
自ら叙品した教授の教えは
馬鹿にするにはあまりにも厳粛だった
滔々と語るには
自由は学校の中の平等にある、と
「平等」
私はつぶやいた
まるで婚姻の誓いであるかのように
それは皺深き日々だった
私は今の方がずっと若やいでいる
In a soldier's stance , I aimed my hand
At the mongrel dogs who teach
Fearing not that I'd become my enemy
In the instant that I preach
My pathway led by confusion boats
Mutiny from stern to bow.
Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.
兵士が銃を構えるように
手で雑種の犬を狙う
犬は私に教えるのだ
私が自分自身の敵になることを恐れてはいけない
船尾から船首までいたるところで
一斉に反乱がおきた船々の混乱に
私の行く末は導かれている、と私が説教する
その瞬間には
それは皺深き日々だった
私は今の方がずっと若やいでいる
Yes , my guard stood hard when abstract threats
Too noble to neglect
Deceived me into thinking
I had something to protect
Good and bad , I define these terms
Quite clear , no doubt , somehow.
Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.
そうだ、私の警戒心は高まっていたのだ
抽象的な恐怖は
無視するには崇高で
私を欺く
善悪に対して叛くことが立派なことだと思い込ませていた
これらのことを定義しよう
明確に、疑いなく、いかなることがあれど
それは皺深き日々だった
私は今の方がずっと若やいでいる
キース・ジャレットの作品として、この盤を推する人はあまり多くないかも知れない。
だが、自分は幾何学の難題に挑むようなプレイのキースよりも、何かと出会って驚いている瞬間のようなキースのプレイが好きだ。ディランとの出会いは、キースの"アナザーサイド"でもある。
Somewhere Before/Keith Jarrett ◇FWFゴールドディスク
〔MGD001〕"Live at Birdland" John Coltrane
〔MGD002〕"ギル・エヴァンスの個性と発展" Gil Evans
〔MGD003〕"Who is this bitch, anyway?" Marlena Shaw
〔MGD004〕"太陽と戦慄" King Crimson
〔MGD005〕"Second Edition (Metal Box)" Public Image limited
〔MGD006〕 "Hallucination Engine" Material
〔MGD007〕"On Love" David T. Walker
〔MGD008〕"Beggars Banquet" The Rolling Stones
〔MGD009〕"稲村ジェーン" サザンオールスターズ
〔MGD010〕"Chapter one:Latin America" Gato Barbieri
〔MGD011〕"New Glass" Albert Ayler
〔MGD012〕"Somewhere before" Keith Jarrett Trio
◇無人島レコード
2008/02/26のBlog
[ 00:20 ]
[ サッカー時評 ]
ガッザの涙 -フットボーラー/ポール・ガスコイン自伝- 

自分もいろいろありましたが、今度はガスコインがもっと大変そうです。。。。
以下、デイリーミラーの翻訳。
ガスコインの元恋人が、ガッザの飲んだくれとドラッグまみれの日々について語った-宇宙人が自分のところに訪れていると考えていた!-
ガスコインの元恋人が精神的な災禍に苛まされているガッザについて語った。
ジェニー・ウィルキンソン(29)は、ポール・ガスコイン(40)が一日中アルコール漬けでコカインも乱用して大騒ぎを繰り返し、それがもとで錯乱してしまったのだと語った。宇宙人が自分をつけているという妄想にも取り付かれていたという。
「異常だったわ」とジェニーは語る。
シャンパンのボトルを何本もオーダーしてジョークを飛ばしながら、ガッザはジェニーに言い寄った。ジョーディー風の魅力は彼女のハートをつかんだのである。
しかし、それは悲しい仮面だった。仮面の下では、猛烈な一日中続くアルコールとコカインの乱用により、ガッザの精神は名前のない悪魔の放つ糸にもつれまいと必死だったのである。
昨日、ジェニーは元イングランド代表の10番が、どのようにして、宇宙人が彼を捕らえにきていると信じているか、50ほどもある奇妙な強迫観念群に苛まされいるか、執拗に自分の服に穴をあけようとしたり、さらにはモップとセックスしようとしていたりしてるかを語った。
29歳ですでに母であるジェニーは、この恐ろしい証言で暗くなっていた。
「ポールと過ごしていればいるだけ、彼が変わっていくことに気づいたわ。・・・彼は神経が過敏になっていったし、なにをするかわからなくなっていったの。つまらないことにでも興奮して暴力的になっていきそうだったわ。彼はコントールが出来なくなっていた。いつも落ち込んでいたし、夜に外出する前と後は泣いていた。セックスする前と後にも泣いていたくらいだったの。彼を愛する家族がいなかったら、彼はすぐにでも死んでしまうと思います。」
ガスコインは昨晩もダーリントンのミドルトン・セント・ジョージ精神病院に収容されている。ホテルで騒いだために、72時間の精神療養で拘束中である。生のレバーを食べていたとか、おもちゃのオウムのまわりを歩きまわっていたとか、なにも家具のない部屋で応対をしているなどともいわれている。
ジェニーにとっては驚きはない。
「徴候はあったわ。ポールは一日中飲んでいたし、毎晩1グラムのコカインをやってたし。とてもヘンだったし、おかしくさえなっていたのよ。彼が必要な救いの手がさしのべられて嬉しいわ。ずっと自爆装置のスイッチを押し続けるような生活をずっとしていたのだから。」
彼女にとって、これは2006年の6月にケンシントンのバーで友人達とガッザに出会ってから始まっている。お互いゲートシェッドから来ていることを知り、それで仲良くなったのだ。ガッザはジェニーを、陽気な明るいキャラクターから「フルーツ」と呼んだ。
「彼はとっても楽しい人だった。わたしたちはバーに行くと彼が3~4本のドンペリを頼んでそれで酔っ払ったものね。クラブに行くとコカインを欲しがったけど、マリファナを一緒にやっただけ。」
けれど、ガッザが深刻な精神状態の悪化の徴候をしめすまで長くはかからなかった。
「私のクルマに乗せたとき、彼は私の娘のチャイルド・シートに座ってから、レイ・チャールズの『アイブ・ガッタ・ウーマン』を歌うのよ。もうヘンなの。しかもいつもそのチャイルド・シートに座るんだから。考えてもみれば、彼はもうそのとき壊れ始めていたんだわ。」
ジェニーによれば、ガッザの一日は6杯のホット・ウィスキー・トデイから始まるという。それからストレートでウィスキーやウォッカやブランデーも飲む。
「彼はカクテルとか好きじゃなかったし、水とか割るものはいっさい使っていなかったみたい。夜になると、ワインかドンペリかボランジェのシャンパンを飲むのが好きだった。いちど彼が18時間連続でつぶれるまで飲み続けるのを見たわ。ドラッグもどんどん量が増えていた。」
ガッザはアルコール依存症になったので、過飲症にもなったのではないかと考えている。
「彼は食べなかったし、吐きもしなかった。」
一方、ガッザの被害妄想と妄信はすでにとりかえしのつかないところまでやってきていた。
「ベッドの中で彼に両手で抱きついたら、やめろ!と怒鳴られたことがあったわ。彼に触るときは左手だけしかダメだっていうの。私たち2人は呪われていて、左手だけを使わないと宇宙人がやってきて連れ去られてしまうって。おかしいわ。」
2006年の年末、ガッザはノッティングヒルのレノックスホテルにいた。ひとりでいるのが嫌だったらしい。
「彼は部屋を空っぽにしておくことと手を洗うことに強迫観念があったの。一日に何回もシャワーを浴びていたし何回もトイレを流そうとしていたわ。イライラしてくると彼のジーンズに穴をあけつづけていた。ジーンズ一着に30箇所も穴が開いていたくらい。Tシャツにも同じことをしていた。」
いつもガッザは新しいタバコのパッケージをあけると一本をさかさまにして挿しなおし、それからそれを吸おうとはしなかった。また、彼のまつげがチャームポイントだと言われたことがあり、ジェニーのマスカラをいつも使っていた。
ある飲んだ夜からますます行動はおかしくなっていっていた。
「裸でラウンジに行くとモップとセックスしているマネを始めたの。私たちはおかしくて笑ったけど、彼は自分が何をしているかわかっていなかったと思う。それからみんなにセックスしようとお願いしてきたの。みんな嫌だっていったら、彼は叫びながら泣き出し、ドアが壊れるくらいに乱暴に閉めて出て行っちゃったの。」
ジェニーによれば、ガッザの感情の起伏は、これまで見たことがなかったほど激しくなり、何をしだすか怖くなるほどであったという。
「新聞社に話したら殺してやるって脅されたこともあったけど、飲んだときの話なんで、本当にそうするとは思えないわ。」
2007年の正月までにガッザの行動はますます異様になっていた。
彼は壊れたヘルメットをかぶっていたバイクに乗っている人に付いていって写真を撮るといってきかなかったことがある。
「バイクの人は聞いたの、いったい何があったんですか?と。ポールは言ったわ、そのヘルメットかぶっていて凄くかっこよかったんだ、兄貴!!」
酒とアルコールをやめようとしていたときもあった。
「けれどそれはうまくはいかなかった。彼は自分自身を制御することは出来ず、また飲みはじめるの。」
ガッザの精神状態がこれだけ最悪であったのにも関わらず、この元名選手は心の広い人で、家族を愛し、とりわけ父親を溺愛していた。
しかし、彼の元妻であるシェリルには苦い恨みを抱いていて、義理の子であるビアンカ(21)とメイソン(17)には拒まれているとも感じている。
ジェニーの心配をよそに、去年の2月までにガッザは暴力的になり口汚くなっていった。
「彼は単なる酔っ払っておかしくなった『あの人は今?』の過去の人にすぎなかったわ。スコットランドに連れて行って、彼がよくなるまで木にしばりつけておきたくなるような人よ。けれど、ポールを救えるのは彼自身だけなの、不幸なことに。」
ガスコインの自伝を呼んだ人ならわかると思いますが、相変わらず女運には悪いようです・・・・。
ちなみに、今回みたいな話は過去幾度かありました。彼は必ず戻ってくるでしょう。
強制収容ガスコイン氏に、各方面から支援の声
ガッザの涙 -フットボーラー/ポール・ガスコイン自伝- 

2008/02/25のBlog
[ 16:01 ]
[ 映画 ]
「地獄の黙示録」は、当初ジョージ・ルーカスが監督となり撮られる予定だった。
当時、「THX-1138」という悪評紛々たるSF前衛映画をつくったばかりのルーカスは、その後始末に追われていた。ギャラの取り分で揉めている間に、所属する映画会社ゾアトロープの社長であるコッポラは、勝手に予算を集めて、フィリピンでその映画の撮影を開始してしまった。
憤懣やるかたないルーカスは、これまで考えていたその映画のコンセプトをあきらめず、「オレはオレの『地獄の黙示録』をつくる」と言い捨て、次の作品の構想を開始した。
「THX-1138」の失敗から今後は一転して大当たりをとった「アメリカン・グラフィティ」のロイヤリティをつぎ込み着手したその物語は、最初「メース・ウィンドゥの物語」と名づけられていた。「遠い昔、銀河の遥か離れた片隅で・・・」というお伽話風のテロップから始まるその作品は、後に「スターウォーズ」というタイトルになり1977年に公開される。
「地獄の黙示録」が公開されたのは1979年。
スターウォーズよりも数年前にクランクインされていたにもかかわらず、公開はスターウォーズに2年遅れている。
◇ベトナム版とSF版の「地獄の黙示録」
ジョン・ミリアスが、ベトナム戦争のシュールで狂気に満ちた戦場をシニカルにとらえた作品を最初に構想し、それにコンラッドの「闇の奥」の物語をベースとしてもってきた。
「闇の奥」は、理性に満ちた貿易商の男が、その明敏な知性ゆえに、アフリカの奥地で精神に破綻を来たし、狂気の王として君臨するストーリーだ。
植民地支配の矛盾というテーマを、ミリアスは現代のベトナム戦争の舞台にもってきたわけである。
善と悪が入り混じり、それ引き裂かれる狂気と苦悩。それは、コッポラの「地獄の黙示録」のシュールな戦争シーンやエピソードの中に圧倒的に描かれている。
しかし、この基本ストーリーに対して、コッポラとルーカスは、さらに異質の物語の原理を持ち込んだ。
その物語構造を「スターウォーズ」と「地獄の黙示録」とが共有しているからこそ、「スターウォーズ」は現在、その物語構造から先に進むことができていない。
たぶん、スターウォーズは初期構想と呼ばれている9部作のうちの7番目の物語はつくられることはないだろう。極めて作り難い理由がある。
◇神話要素の導入:「エディプス神話」と王権継承の神話群
コッポラとルーカスが、ミリアスの「地獄の黙示録」のコンセプトにさらに付け加えたのは、神話要素である。この物語は、エディプス神話と王殺しによる王権継承の神話群の2つの神話構造がベースとなっている。
「地獄の黙示録」の冒頭に流される音楽は、ドアーズの「ジ・エンド」。独特なピッキングでシタールに似た呪術的な旋律を紡ぎだすギターに、フェンダーのキーボード・ベースがうねり、そこにジム・モリソンの朗読が重なる。「父さん、僕はあなたを殺したいんだ。母さん、僕はあなたと・・・・」。エディプス・コンプレックスを直接的に取り上げた悲劇的な作品であり、この曲はそういう題材をとりあげることにより、ロックやポップの枠組みから突出している。
エディプスの神話は、王権継承の禁忌の秘め事に迫る。実は自分が親を殺し、母を娶った忌まわしい存在であるという秘密。しかも、そのことは自分が全く意識しないあいだに完遂されている。
スターウォーズは、父殺しの物語である。
ダークサイドに落ちた父を殺さなければならない。しかしそれは病んだ世界に光明を取り戻すための手段なのだ。
金枝篇では、「森の王」の王権を巡る神話を伝えている。病んだ世界の中心にいる王を殺すことによって王位はそのものにより継承され、世界は豊かな空間として回復される。
金枝篇が伝える王位の継承者は聖なる樹の金の枝を持つものとされている。その金の枝を折ることができるのは逃亡奴隷だけ許されている。
逃亡奴隷の父殺しによる王権継承。スターウォーズのサーガの前半(エピソード4からエピソード6まで)は、そういう物語に要約できる。もちろん、王権の継承者であるルーク・スカイウォーカーには、そういう意識はない。奇妙な運命があり、目の前の善を成すことに一生懸命なうちに、父と対峙し、そして父に許されるがごとく殺しが行われて、そしてそれが王位を彼にもたらし、そして世界は秩序を回復する。
一方、「地獄の黙示録」のカーツ大佐を抹殺することを指令されてきたウィラード大尉には、カーツ大佐との血縁関係はない。しかし、彼が傍観者的な気質であることをのぞけば、カーツ大佐と似通った性質であり、そして自分自身がカーツ大佐の物語を、違った位相で引き継ぐものとしてのクローズアップされている。
俺が彼の物語を伝える羽目になったのは、思えば偶然のことではない。
彼の物語は俺の物語。
彼の物語が懺悔録ならば、俺のも同じだ。
「地獄の黙示録」:ウィーラード大尉の台詞より
「スターウォーズ」が、神話的要素を一本の柱として、壮大な未来の冒険譚である一方、地獄の黙示録は戦場の壮大なカタルシスと狂気を背景にさらに神話世界の謎そのものに迫っていく。
◇人はなぜ「ダークサイド」に堕ちるのか
両作品が人間がダークサイドに堕ちていく秘密を次のように解き明かしている。つまり、愛といったものでさえ「恐れ」を媒介すると、ダークサイドに転化する。そのように理性や正義が簡単に悪を生み出す構造があるのだ。さらに、それに真っ向に向き合うものは、存在そのものが引き裂かれてしまい、「地獄に落ちた激しい魂」(T.S.エリオット)となる。ダースヴェイダーとカーツ大佐は、そうした逆説としての犠牲者なのだ。
人間の心には戦いがある。理性と非理性や善と悪との戦い。そして、善が必ずしも勝つとは限らない。時には『ダークサイド』が勝利して、リンカーンの言うところの人間の善性を打ち負かしてしまうこともある。
「地獄の黙示録」:ウィーラード大尉にカーツの暗殺指令を出す情報将校の台詞より
怖れはダークサイドへ至る道じゃ。怖れは怒りに通じる。怖れは憎しみに通じる。憎しみは苦しみに通じるのじゃ。お前の心に大きな怖れを感じるぞ。
「スターウォーズ・エピソード1」:ヨーダが若きアナキンを諭す台詞より
私は恐怖を見た。おまえが見たものと同じ恐怖を。・・・言葉で言い表すのは難しい。恐怖を知らぬものに何が必要なのかを。言葉で説いて言い表すのは不可能だ。恐怖には表情がある。それを友にしなければならない。
「地獄の黙示録」:カーツ大佐の台詞より
これで終わりだ、すばらしい友よ
これで終わりだ、ただひとりの友よ
"The End" The Doors
コッポラとルーカスが、ミリアスの「地獄の黙示録」のコンセプトにさらに付け加えたのは、神話要素である。この物語は、エディプス神話と王殺しによる王権継承の神話群の2つの神話構造がベースとなっている。
「地獄の黙示録」の冒頭に流される音楽は、ドアーズの「ジ・エンド」。独特なピッキングでシタールに似た呪術的な旋律を紡ぎだすギターに、フェンダーのキーボード・ベースがうねり、そこにジム・モリソンの朗読が重なる。「父さん、僕はあなたを殺したいんだ。母さん、僕はあなたと・・・・」。エディプス・コンプレックスを直接的に取り上げた悲劇的な作品であり、この曲はそういう題材をとりあげることにより、ロックやポップの枠組みから突出している。
エディプスの神話は、王権継承の禁忌の秘め事に迫る。実は自分が親を殺し、母を娶った忌まわしい存在であるという秘密。しかも、そのことは自分が全く意識しないあいだに完遂されている。
スターウォーズは、父殺しの物語である。
ダークサイドに落ちた父を殺さなければならない。しかしそれは病んだ世界に光明を取り戻すための手段なのだ。
金枝篇では、「森の王」の王権を巡る神話を伝えている。病んだ世界の中心にいる王を殺すことによって王位はそのものにより継承され、世界は豊かな空間として回復される。
金枝篇が伝える王位の継承者は聖なる樹の金の枝を持つものとされている。その金の枝を折ることができるのは逃亡奴隷だけ許されている。
逃亡奴隷の父殺しによる王権継承。スターウォーズのサーガの前半(エピソード4からエピソード6まで)は、そういう物語に要約できる。もちろん、王権の継承者であるルーク・スカイウォーカーには、そういう意識はない。奇妙な運命があり、目の前の善を成すことに一生懸命なうちに、父と対峙し、そして父に許されるがごとく殺しが行われて、そしてそれが王位を彼にもたらし、そして世界は秩序を回復する。
一方、「地獄の黙示録」のカーツ大佐を抹殺することを指令されてきたウィラード大尉には、カーツ大佐との血縁関係はない。しかし、彼が傍観者的な気質であることをのぞけば、カーツ大佐と似通った性質であり、そして自分自身がカーツ大佐の物語を、違った位相で引き継ぐものとしてのクローズアップされている。
俺が彼の物語を伝える羽目になったのは、思えば偶然のことではない。
彼の物語は俺の物語。
彼の物語が懺悔録ならば、俺のも同じだ。
「地獄の黙示録」:ウィーラード大尉の台詞より
「スターウォーズ」が、神話的要素を一本の柱として、壮大な未来の冒険譚である一方、地獄の黙示録は戦場の壮大なカタルシスと狂気を背景にさらに神話世界の謎そのものに迫っていく。
◇人はなぜ「ダークサイド」に堕ちるのか
両作品が人間がダークサイドに堕ちていく秘密を次のように解き明かしている。つまり、愛といったものでさえ「恐れ」を媒介すると、ダークサイドに転化する。そのように理性や正義が簡単に悪を生み出す構造があるのだ。さらに、それに真っ向に向き合うものは、存在そのものが引き裂かれてしまい、「地獄に落ちた激しい魂」(T.S.エリオット)となる。ダースヴェイダーとカーツ大佐は、そうした逆説としての犠牲者なのだ。
人間の心には戦いがある。理性と非理性や善と悪との戦い。そして、善が必ずしも勝つとは限らない。時には『ダークサイド』が勝利して、リンカーンの言うところの人間の善性を打ち負かしてしまうこともある。
「地獄の黙示録」:ウィーラード大尉にカーツの暗殺指令を出す情報将校の台詞より怖れはダークサイドへ至る道じゃ。怖れは怒りに通じる。怖れは憎しみに通じる。憎しみは苦しみに通じるのじゃ。お前の心に大きな怖れを感じるぞ。
「スターウォーズ・エピソード1」:ヨーダが若きアナキンを諭す台詞より私は恐怖を見た。おまえが見たものと同じ恐怖を。・・・言葉で言い表すのは難しい。恐怖を知らぬものに何が必要なのかを。言葉で説いて言い表すのは不可能だ。恐怖には表情がある。それを友にしなければならない。
「地獄の黙示録」:カーツ大佐の台詞よりこれで終わりだ、すばらしい友よ
これで終わりだ、ただひとりの友よ
"The End" The Doors◇王権継承後の困難
病みながら君臨する王の地位を継承する以外に、世界に救済はもたらされない。
そうして、ルーク・スカイウォーカーは父ダース・ヴェイダーを殺し、ウィラード大尉は、カーツ大佐を殺す。
幾つかのプロットの違いはある。
スターウォーズで君臨する王は、ダースヴェイダーが「父」のような存在として敬愛してきたパルパティーン皇帝ではある。ダースヴェイダーは、自分が息子に負けて、ダークサイドから生還するとともに、今度は自分の「父」であるパルパティーン皇帝を殺す。スターウォーズ・エピソード6では、一挙に3代の父子の王権継承の物語が完了するのだ。
しかし、「地獄の黙示録」の方は、さらにプロットは謎を呼ぶ。ここはスターウォーズの作られていないエピソード7以降の物語に関係する。
ウイラード大尉は、カーツ大佐の不可思議な庇護の下、暗殺命令を出した軍との連絡を絶ち、その意向とは別に、自分自身の選択として、カーツ殺しを行う。
カーツ大佐の机の上には、王殺しの由来が書かれた「金枝篇」(J.フレーザー)と、病んだ王のために槍と聖杯を探しに旅に出る騎士の物語「聖杯伝説」を分析した「祭祀からロマンスへ」(J.L.ウエストン)の2冊が、これみよがしに置かれる。
病んだ王と苦難に陥った世界を救うための2つの物語を分析する書物が、同じのテーブルに、聖書とともに雑然と並べられている様は象徴的だ。カーツは、王が病んだときに、若き継承者によって王が殺されることによって、その王権が継続される選択と、王のために若い騎士が聖杯をもらたすという選択の2つを併置している。
カーツにとってそのどちらかでもよかったのであろう。判断はウィラード自身に委ねられている。
王殺しを選択したウィラードのその後は複雑だ。
カーツの苦悩を知ったウィラードにとって、軍に戻るつもりはない。象徴的な祭祀が行われるなか、カーツを殺害したウィラードを、再生を象徴する恵みの雨が降る中、住民は武器を捨て、伏して迎える。だからといって、カーツの王国をそのまま継承するつもりもない。
再生と救済はカーツの王国では成し遂げられたものの、果たしてそれはこの世界に訪れたことになるのであろうか。ヴェトナムから遡る、無意識の世界のようなジャングルの闇の奥。それに似たものは、実はいくつもあるということを表したのが、「地獄の黙示録-REDUX(特別完全版)」にて追加された、フランス人プランテーションのエピソードにある。カーツの王国は救済された。しかし、それが本当に世界の救済にいたるものなのか。
(ちなみに、この「完全版」ではカットされた幾つかのエピソードが追加されているが、もっとも大きな違いはラストシーンにある。あの圧巻となる美しい、ラストシーンの王国の爆破の光景が丸ごと削除されているのだ。これは、旧バージョンに寄せられた、王国がなぜ最後に爆破されるのかという疑問に答えたものと思われる。コッポラ自身は、あのシーンはイメージに過ぎないし王国は爆破されないと言っていたらしいので、よりこの結末の意味が明らかになったのである。むろん、あのシーンがカットされてしまうというのも残念な話なのだが)
「地獄の黙示録」に、コンラッドの「闇の奥」の筋立てをそのまま適用するならば、ウィラードはこの後、カーツの家族に会いに出かけるだろう。カーツを殺して彼の王宮を出るウィラードの片手に大きな書類の束が抱えられているのが、その証左である。ウィラードは彼の家族に会い、彼の「功績」を伝えるだろう。しかし、その後にウィラードはどこにカーツの王国を継承すればよいのだろうか。きっと彼はアメリカに帰る。そこに彼のダークサイドの王国は築かれることがあるのだろうか。
おそらく、本当の王国は彼がこれから帰るアメリカそのものなのではないか。そこには無数の病んだカーツがいて、大地は荒廃しているだろう。
一方、共和国での王位たる地位を継承したルーク・スカイウォーカーは、ジェダイマスターとして一見してハッピーエンドとなったかのようにみえる。
幾つか発表されているスターウォーズのスピンオフ小説を考慮に入れないで、この後のルーク・スカイウォーカーの物語を、物語構造の定型として想像してみる。
きっと彼は彼の王たる出自と継承の物語をもう一度繰り返さなければならない。そのときに王位を継承するアウトサイダーがまた現れるのだ。アウトサイダーがダークサイドなのかも知れないし、またはスカイウォーカー自体がダークサイドに落ちるのかも知れない。いずれにせよ、スカイウォーカーは、病んだ王として乗り越えられなければならない存在に堕落する。
ヒントはいくつかある。
スターウォーズ・エピソード4から6まで、特に終盤に向けて、ルークの服がどんどん黒い色になっていくのに気付いていく人はいただろうか。ダークサイドの誘惑は近づいているのだ。
あたかも、カーツの懺悔をウィラードが共有していくように、ルークは父の物語を共有していくことになろう。この困難な物語の繰り返しをスターウォーズ・エピソード7は引き受けなければならない。
苦悩するカーツ大佐はT.Sエリオットの「荒地」の詩篇を朗読していた。エリオットは、「荒地」の後に、荒れ果てた世界の回復と神の恩寵を求めて、「四つの四重奏」を書き起こす。これと同じ苦難がルーク・スカイウォーカーには待ち受けている。
◇理性は神話を反復する
植民地時代のアフリカに舞台を取るコンラッドの小説にならって、無意識を探索するようにベトナムのジャングルの闇の奥へ川を遡行していくプロットは、神話要素を絡めながら、とてつもない謎を秘めた映画作品として結実した。
神話要素は、内省に結びつかなければ機能しない。単なるロマンとしてしか読まれない。「スターウォーズ」も「地獄の黙示録」も、SFアドヴェンチャーとして、戦争スペクタクルとして観ることはもちろん可能だ。しかし、それだけではダメなのだ。
例えば、ちょうど今日、「地獄の黙示録」と「スターウォーズ」が人間がダークサイドに堕ちる理由として説いたものと似たような話が新聞に出ていた。
9.11多発テロ事件がおきた直後の米国は、国民の両親に照らして、前例のない規範に基づいて行動した。希望と楽観主義、忍耐と機会という伝統的な価値観を示すより、むしろ怒りの形相を世界に向けた。多くの意味でわれわれは平静を失ったのである。
その結果として、我々が見たのは失望である。
R.アーミテージ元米国務副長官:08.2.24読売新聞「地球を読む」より
狂気と矛盾に満ちた戦場の「理性」が悪に容易く落ちていく変貌。「啓蒙はラディカルになった神話的な不安である」とアドルノとホルクハイマーは喝破した。理性は神話要素のダークサイドの物語を反復する。
映画の中ではそれは善悪の彼岸に位置する物語だ。
◇2つのアメリカの新しい神話
きっと、ルーカスとコッポラは誓っていたのだろう。オレたちは新しいアメリカの神話をつくる、と。
そのためには、多くの神話と同じく闇の奥に遡行して、残酷な禁忌を取り扱わなければならない。しかも、それは壮大なショーとして映像化されなければならない。
コッポラは、これみよがしで神話要素をそこら中にちりばめた。ルーカスはアメリカの建国の歴史をパロディめいた仕立てで映像に織り込んだ。関税同盟・市民戦争・評議会が共和国と帝国の歴史を動かす。
だが、その神話の本当のコアの秘密に気付いているものは少ない。思い起こしてみよう、神話というのはもともととてつもなく残酷なものなのだ。それに気付くものと気付かないものの頭上に聳え立つのが神話作用だ。
「地獄の黙示録」で音響を担当し、ジョージ・ルーカスとも様々な仕事をともにしているウォルター・マーチは次のように語っている。
「地獄の黙示録」で本当に探求したいのはヴェトナムの何だったのだろう。中心となる物語はなんだったのか。それはある小さな部族民が、その時代の銀河で最大の軍事力を持つ帝国の攻撃に精神力で抵抗するという話であった。そこで彼(ジョージ・ルーカス)は自分が語りたいと思うその物語を選び、政治的な社会的な文脈をすべてはずして、はるか彼方の銀河を舞台に設定した。・・・反乱軍はヴェトナム人、帝国は実はアメリカである。だから「スターウォーズ」は本当は「地獄の黙示録」のジョージ流の作り方だった。」
ルーカスとともに、途中から「地獄の黙示録」のプロジェクトをはずされた原作脚本を書いたジョン・ミリアスは、この説を一笑に付す。ルーカスは闇の奥さえ読んでいない、と。しかし、ジョン・ミリアスのシュールで狂気と矛盾に満ちたヴェトナム戦争のアメリカというコンセプトから、ルーカスとコッポラは、もう一歩先に進めた物語構造を取り入れていたことはこれまで説明してきたとおりである。「スターウォーズ」がルーカスの「地獄の黙示録」となるという意味はここにある。
やや浅薄なウォルター・マーチの読みは参考程度にしておこう。彼はポイントだけは抑えている。
狂気と矛盾に落ちた帝国、そしてそこからドロップアウトしていく男の「地獄墮ちした激しい魂」。そして、その男のつくった王国を、息子は継承して再生していかなければならない。病んだ世界が救済されるのはこの繰り返しの中にしか可能性はない。多くの神話はそれを語っている。
さらにいうならば、「地獄の黙示録」のウィラードのその後も、「スターウォーズ」のルークのその後も、結局は引き受けるのは最終的には私たちである。神話とはそういう機能をもつものなのでもある。
参考
・「ルーカス帝国の興亡」 G.ジェンキンズ
・「解読『地獄の黙示録』」 立花隆
・「『地獄の黙示録』完全ガイド」 K.フレンチ
・「『地獄の黙示録』撮影全記録」 エレノア・コッポラ
・空腹版「解読 地獄の黙示録 特別完全版」
・闇の奥 - 映画「地獄の黙示録」Tribute Page
・スターウォーズの鉄人
植民地時代のアフリカに舞台を取るコンラッドの小説にならって、無意識を探索するようにベトナムのジャングルの闇の奥へ川を遡行していくプロットは、神話要素を絡めながら、とてつもない謎を秘めた映画作品として結実した。
神話要素は、内省に結びつかなければ機能しない。単なるロマンとしてしか読まれない。「スターウォーズ」も「地獄の黙示録」も、SFアドヴェンチャーとして、戦争スペクタクルとして観ることはもちろん可能だ。しかし、それだけではダメなのだ。
例えば、ちょうど今日、「地獄の黙示録」と「スターウォーズ」が人間がダークサイドに堕ちる理由として説いたものと似たような話が新聞に出ていた。
9.11多発テロ事件がおきた直後の米国は、国民の両親に照らして、前例のない規範に基づいて行動した。希望と楽観主義、忍耐と機会という伝統的な価値観を示すより、むしろ怒りの形相を世界に向けた。多くの意味でわれわれは平静を失ったのである。
その結果として、我々が見たのは失望である。
R.アーミテージ元米国務副長官:08.2.24読売新聞「地球を読む」より狂気と矛盾に満ちた戦場の「理性」が悪に容易く落ちていく変貌。「啓蒙はラディカルになった神話的な不安である」とアドルノとホルクハイマーは喝破した。理性は神話要素のダークサイドの物語を反復する。
映画の中ではそれは善悪の彼岸に位置する物語だ。
◇2つのアメリカの新しい神話
きっと、ルーカスとコッポラは誓っていたのだろう。オレたちは新しいアメリカの神話をつくる、と。
そのためには、多くの神話と同じく闇の奥に遡行して、残酷な禁忌を取り扱わなければならない。しかも、それは壮大なショーとして映像化されなければならない。
コッポラは、これみよがしで神話要素をそこら中にちりばめた。ルーカスはアメリカの建国の歴史をパロディめいた仕立てで映像に織り込んだ。関税同盟・市民戦争・評議会が共和国と帝国の歴史を動かす。
だが、その神話の本当のコアの秘密に気付いているものは少ない。思い起こしてみよう、神話というのはもともととてつもなく残酷なものなのだ。それに気付くものと気付かないものの頭上に聳え立つのが神話作用だ。
「地獄の黙示録」で音響を担当し、ジョージ・ルーカスとも様々な仕事をともにしているウォルター・マーチは次のように語っている。
「地獄の黙示録」で本当に探求したいのはヴェトナムの何だったのだろう。中心となる物語はなんだったのか。それはある小さな部族民が、その時代の銀河で最大の軍事力を持つ帝国の攻撃に精神力で抵抗するという話であった。そこで彼(ジョージ・ルーカス)は自分が語りたいと思うその物語を選び、政治的な社会的な文脈をすべてはずして、はるか彼方の銀河を舞台に設定した。・・・反乱軍はヴェトナム人、帝国は実はアメリカである。だから「スターウォーズ」は本当は「地獄の黙示録」のジョージ流の作り方だった。」
ルーカスとともに、途中から「地獄の黙示録」のプロジェクトをはずされた原作脚本を書いたジョン・ミリアスは、この説を一笑に付す。ルーカスは闇の奥さえ読んでいない、と。しかし、ジョン・ミリアスのシュールで狂気と矛盾に満ちたヴェトナム戦争のアメリカというコンセプトから、ルーカスとコッポラは、もう一歩先に進めた物語構造を取り入れていたことはこれまで説明してきたとおりである。「スターウォーズ」がルーカスの「地獄の黙示録」となるという意味はここにある。
やや浅薄なウォルター・マーチの読みは参考程度にしておこう。彼はポイントだけは抑えている。
狂気と矛盾に落ちた帝国、そしてそこからドロップアウトしていく男の「地獄墮ちした激しい魂」。そして、その男のつくった王国を、息子は継承して再生していかなければならない。病んだ世界が救済されるのはこの繰り返しの中にしか可能性はない。多くの神話はそれを語っている。
さらにいうならば、「地獄の黙示録」のウィラードのその後も、「スターウォーズ」のルークのその後も、結局は引き受けるのは最終的には私たちである。神話とはそういう機能をもつものなのでもある。
参考・「ルーカス帝国の興亡」 G.ジェンキンズ
・「解読『地獄の黙示録』」 立花隆
・「『地獄の黙示録』完全ガイド」 K.フレンチ
・「『地獄の黙示録』撮影全記録」 エレノア・コッポラ
・空腹版「解読 地獄の黙示録 特別完全版」
・闇の奥 - 映画「地獄の黙示録」Tribute Page
・スターウォーズの鉄人
2008/02/24のBlog
[ 00:30 ]
[ 書評 ]
「大君の通貨(幕末「円ドル」戦争)」 佐藤 雅美
19世紀中期の世界の動乱の中で、3つのゴールドラッシュが始まった。
ひとつは、カリフォルニアの金鉱、そしてオーストラリアの金鉱、そして最後が幕末日本のゴールドラッシュである。
ただし最後のひとつだけは金山が発見されたわけでもなくまきおこった。
アメリカ人が、為替差をめぐる国際金融の簡単なカラクリと、幕府政治の怠惰と無責任の構造の間に金鉱を発見したのである。
これが幕末日本のゴールドラッシュである。
かくのごとき直接生産に関する影響(開港による輸出入の影響と結果としての物価騰貴)のほかに、一時的にではあるがそれだけ決定的な衝撃を与えたものは、開港直後に生じた怖るべき金貨の流出であった。開港後の一両年の間に大約一億万円の金貨が一物の商品を媒介とすることなく流出したのである。
「明治維新史」服部之総歴史に題材を得た金融推理小説とでも名づけたらよいのだろうか。「大君の通貨(幕末「円ドル」戦争)」 は、幕末のゴールドラッシュ、しかしそれは日本の通貨政策に対して、強引に押し付けられた世界基準で金融が大混乱したという事件を取り扱う。
「推理小説」というからにはネタバレはルール違反ということになるのだろうから、以下はその旨注意して読まれたい。
当時世界の金融覇権を握っていたイギリスの金と銀の交換比率は、1717年に万有引力の法則で名だたるニュートンが造幣局長官として発布した、1対15.21。
一方、日本の金と銀の交換比率は、1対5。
簡単にいうと、この交換比率の差で、サヤ取り(裁定取引)を主にイギリスの商人が繰り返していたわけである。
これ以降は次のようなシナリオで、私たちが実感として知らない幕末の革命の導火線に火がつけられる。
【1】日本で銀を金と交換すると、日本以外での交換よりも3倍の金が手に入る。簡単な話である。これで金が大流出した。
↓
【2】金の流出に危機感を抱いた幕府は、金と銀の交換比率を3.375倍に引き上げた。
これにより、金と銀の交換比率は、1対16までなるとともに、通常の取引される決済通貨である銀の価値はおよそ1/3まで(0.31)まで下がる。銀貨のデノミである。
↓
【3】ただでさえ、開国以来、絹・茶を中心とする物産で貿易が輸出超過しはじめていたところに、さらに通常流通していた銀の価値が下落し、物価はあっというまに高騰しインフレーションが始まる。
↓
【4】インフレーションが中長期的なよい影響を及ぼすこともあるが、短期的に混乱は巻き起こす。これに困るのはいつの時代も給与生活者や資産をすでに形成しているもの。このインフレの価格変動を使ってうまく売り抜けられる器量を持つのは商人、特に外国商人だけ。
↓
【5】インフレで困窮した武士は、「こんな世の中悪くなったのは開国したからだ!」とテロに走る。一方幕府は貨幣税収の価値が下がり疲弊する。
↓
【6】日本国内が経済的・政治的に大混乱。
ちなみに、よく「金の大量流出で物価が騰貴した」と幕末期の経済の解説にあるのだが、このへん自分としては今ひとつ飲み込んでいなかったということを本書にて理解させられた。
なるほど金本位であれば銀貨幣と金との兌換が保障されないことになり、それで物価があがるのだろう、しかも開国での内需と外需のバランスが急激に変化しているだろう・・・くらいに自分は考えていたのである。
「推理小説」というからにはネタバレはルール違反ということになるのだろうから、以下はその旨注意して読まれたい。
当時世界の金融覇権を握っていたイギリスの金と銀の交換比率は、1717年に万有引力の法則で名だたるニュートンが造幣局長官として発布した、1対15.21。
一方、日本の金と銀の交換比率は、1対5。
簡単にいうと、この交換比率の差で、サヤ取り(裁定取引)を主にイギリスの商人が繰り返していたわけである。
これ以降は次のようなシナリオで、私たちが実感として知らない幕末の革命の導火線に火がつけられる。
【1】日本で銀を金と交換すると、日本以外での交換よりも3倍の金が手に入る。簡単な話である。これで金が大流出した。
↓
【2】金の流出に危機感を抱いた幕府は、金と銀の交換比率を3.375倍に引き上げた。
これにより、金と銀の交換比率は、1対16までなるとともに、通常の取引される決済通貨である銀の価値はおよそ1/3まで(0.31)まで下がる。銀貨のデノミである。
↓
【3】ただでさえ、開国以来、絹・茶を中心とする物産で貿易が輸出超過しはじめていたところに、さらに通常流通していた銀の価値が下落し、物価はあっというまに高騰しインフレーションが始まる。
↓
【4】インフレーションが中長期的なよい影響を及ぼすこともあるが、短期的に混乱は巻き起こす。これに困るのはいつの時代も給与生活者や資産をすでに形成しているもの。このインフレの価格変動を使ってうまく売り抜けられる器量を持つのは商人、特に外国商人だけ。
↓
【5】インフレで困窮した武士は、「こんな世の中悪くなったのは開国したからだ!」とテロに走る。一方幕府は貨幣税収の価値が下がり疲弊する。
↓
【6】日本国内が経済的・政治的に大混乱。
ちなみに、よく「金の大量流出で物価が騰貴した」と幕末期の経済の解説にあるのだが、このへん自分としては今ひとつ飲み込んでいなかったということを本書にて理解させられた。
なるほど金本位であれば銀貨幣と金との兌換が保障されないことになり、それで物価があがるのだろう、しかも開国での内需と外需のバランスが急激に変化しているだろう・・・くらいに自分は考えていたのである。
まずは、日本の銀貨が貿易取引には問題となった。
日米通商条約と日英通商条約では、通貨の同種同量交換が定められており、通常日米英とも流通していたのは銀貨であったから、銀貨「天保一分銀」は銀貨「メキシコドル」は重さそのまま1対3枚で交換された。
これは単純に双方通貨の重さの比較からなる。通貨の銀の含有量とは関係はない。
天保一分銀には「定」と刻印が打たれている。
これは何かというと、この銀貨は幕府が「定」める銀貨として流通させるものであり、実際の銀の含有量とは関係ありません、といういわば保証の刻印だったわけである。
いわば貨幣の悪鋳であって、その意味で天保一分銀は、紙幣のようなものなのである。
その紙幣としての価値しかない天保一分銀が、メキシコドル銀貨と重さで交換されるのは変な話である。
それを口実に、幕府はドルと一分銀の交換を停止し、金と銀の国際兌換レートに近いレートとするために「二朱銀」という銀貨を開国に先駆けて流通させる。
これにより、二朱銀とメキシコドルは同種同量交換の原則においては整備されたものの、金の交換レートは切り下げられたことになる。
日英ともに金本位制というからには、この判断は正しいのであるが、手持ちのメキシコドルの価値が突如1/3になった(1両=0.75メキシコドル → 1両=0.25メキシコドル)になった英米は納得いかない。
そもそも、通商条約により開国したばかりの日本が、グローバル・スタンダードな金銀交換比率と違っているというのは、いわばありえる話であって、普通に行けば、日本の金貨が流出するだけ流出して、それで一物一価の法則のとおり、最後には金銀の交換比率は一定するだろう。
ところが、この時代は金と銀は公定の兌換比率である。これにより不利をかぶる方は、とっととレートを変えるしかない。
だが、単に金の価値を上げる(銀の価値を下げる)と、国内の経済までもが影響を受けるため、苦肉の策として、同種同量交換の原則を逆手にとり、二朱銀による外貨レートの事実上の切り下げを行ったわけである。
本書はこの通貨政策に関する日米交渉の裏側を歴史推理小説仕立ての文体でスリリングに書いたものである・・・・のだが、残念ながら、ここまで読んでくれてもたぶん稚拙な説明で何がなんだかわからないかも知れない。本書をあたってください、とヘタな解説をそろそろ放棄する。
こっちの方がわかりやすいと思われます。。。
日米通商条約と日英通商条約では、通貨の同種同量交換が定められており、通常日米英とも流通していたのは銀貨であったから、銀貨「天保一分銀」は銀貨「メキシコドル」は重さそのまま1対3枚で交換された。
これは単純に双方通貨の重さの比較からなる。通貨の銀の含有量とは関係はない。
天保一分銀には「定」と刻印が打たれている。
これは何かというと、この銀貨は幕府が「定」める銀貨として流通させるものであり、実際の銀の含有量とは関係ありません、といういわば保証の刻印だったわけである。
いわば貨幣の悪鋳であって、その意味で天保一分銀は、紙幣のようなものなのである。
その紙幣としての価値しかない天保一分銀が、メキシコドル銀貨と重さで交換されるのは変な話である。
それを口実に、幕府はドルと一分銀の交換を停止し、金と銀の国際兌換レートに近いレートとするために「二朱銀」という銀貨を開国に先駆けて流通させる。
これにより、二朱銀とメキシコドルは同種同量交換の原則においては整備されたものの、金の交換レートは切り下げられたことになる。
日英ともに金本位制というからには、この判断は正しいのであるが、手持ちのメキシコドルの価値が突如1/3になった(1両=0.75メキシコドル → 1両=0.25メキシコドル)になった英米は納得いかない。
そもそも、通商条約により開国したばかりの日本が、グローバル・スタンダードな金銀交換比率と違っているというのは、いわばありえる話であって、普通に行けば、日本の金貨が流出するだけ流出して、それで一物一価の法則のとおり、最後には金銀の交換比率は一定するだろう。
ところが、この時代は金と銀は公定の兌換比率である。これにより不利をかぶる方は、とっととレートを変えるしかない。
だが、単に金の価値を上げる(銀の価値を下げる)と、国内の経済までもが影響を受けるため、苦肉の策として、同種同量交換の原則を逆手にとり、二朱銀による外貨レートの事実上の切り下げを行ったわけである。
本書はこの通貨政策に関する日米交渉の裏側を歴史推理小説仕立ての文体でスリリングに書いたものである・・・・のだが、残念ながら、ここまで読んでくれてもたぶん稚拙な説明で何がなんだかわからないかも知れない。本書をあたってください、とヘタな解説をそろそろ放棄する。
こっちの方がわかりやすいと思われます。。。結末としては、結局二朱銀へのメキシコドルの交換は英米に拒否されてしまい、押し切られるまま、最後には結局金の価値を上げることになり、前述のとおり、この金融政策は幕府の瓦解に結びつく大きな要因となる。
一方、英国公使のオールコックは、国際金融のルールを振りかざし日本に強圧的に為替政策を押し付け、その一方で裁定取引で利ざやを稼ぐ英国商人を批判したため、双方から恨まれることになり、米国公使のハリスは彼自身が利ざやを稼いでいた嫌疑で不遇な帰国とあいなる。唯一、この為替トリックが日本にもたらす悪影響を理解していた日本側の交渉担当だった水野忠徳は、二朱銀によるメキシコドル銀貨の交換レート引き下げを果たせず、こちらも不遇に晩年を迎える。
この小説のストーリーは、この3人が中心となって展開され、そして日本の「マネー敗戦」となるわけだ。
真理の探究なるものは、実際には合理化、つまり利己的な自己正当化の行為であるにもかかわらず、公平無私な徳であるかのように教え込まれてきた。・・・ところで、「資本主義的世界経済」が新しい地域を吸収して膨張してゆく過程-経済構造の辺境化と、インターステイト・システムに組み込まれてその制約を受ける脆弱な国家機構の創出-にあっては、いろいろな文化的圧力が作用する。キリスト教への改宗、ヨーロッパ語の押しつけ、特定の技術や生活習慣の強要、法体系の変更などがそれである。こうした変革は、多くの場合、武力によって強制もされた。「教育者たち」による説得によったものもあるが、その場合も「教育者たち」は、究極的には軍事力を背景としてその権威を維持していたのである。これこそ、われわれがしばしば「西欧化」とよび、ときによっては、もっと傲慢に「近代化」などと称してきた複合的な過程なのである。
「史的システムとしての資本主義」 I.ウォーラーステイン
オールコックは国際金融の「真理」を武力を背景にふりかざす。彼の忍耐が比較的長く続いたのは単にアヘン戦争とアロー号戦争の傍若無人がさすがに本国でも問題になっていたからだけだ。日本が中国みたいにならなかったのは、基本的に地理的なラッキーに過ぎない。
一方、単なる商人に過ぎなかった地位から本国に自ら売り込んで公使となったハリスは、教育者ぶったオールコックを横目に見ながらせっせと金を上海に持ち出す内職を続ける。
水野忠徳は、ペリー来航の前年に浦賀奉行となってから一貫して外交官僚の経歴を歩み、資本主義的世界経済の暴風の矢面に立たされ続けたあげく、歴史から消えていく。
グローバル・スタンダードに翻弄され、金融ベタな性質から、それから何回も破綻を繰り返してきた辺境国の肖像の原型がここにある。
もちろん、現代のゴールドラッシュを狙って世界には多数の啓蒙者と教育者が、いよいよ多数存在しているのは言うまでもない。
「大君の通貨(幕末「円ドル」戦争)」 佐藤 雅美
「史的システムとしての資本主義」 I.ウォーラーステインオールコックは国際金融の「真理」を武力を背景にふりかざす。彼の忍耐が比較的長く続いたのは単にアヘン戦争とアロー号戦争の傍若無人がさすがに本国でも問題になっていたからだけだ。日本が中国みたいにならなかったのは、基本的に地理的なラッキーに過ぎない。
一方、単なる商人に過ぎなかった地位から本国に自ら売り込んで公使となったハリスは、教育者ぶったオールコックを横目に見ながらせっせと金を上海に持ち出す内職を続ける。
水野忠徳は、ペリー来航の前年に浦賀奉行となってから一貫して外交官僚の経歴を歩み、資本主義的世界経済の暴風の矢面に立たされ続けたあげく、歴史から消えていく。
グローバル・スタンダードに翻弄され、金融ベタな性質から、それから何回も破綻を繰り返してきた辺境国の肖像の原型がここにある。
もちろん、現代のゴールドラッシュを狙って世界には多数の啓蒙者と教育者が、いよいよ多数存在しているのは言うまでもない。
「大君の通貨(幕末「円ドル」戦争)」 佐藤 雅美
2008/02/15のBlog
[ 00:10 ]
[ 書評 ]
「砂糖の世界史」 川北稔
「奄美の債務奴隷ヤンチュ」 名越護◇薩摩海軍と砂糖
幕末の薩摩藩において、海外からの軍備調達で特に目立つのは海上軍備の拡大である。
アメリカで世界初の蒸気船が進水したのが1807年。
これから半世紀たった1850年でも、世界の船舶総トン数903万トンのうちの91.9%までは帆船といわれていた時代である。たとえばアメリカ海軍は1830年代でも蒸気推進の船を一隻も保有していなかった。
それから30年足らずで、日本のひとつの藩に過ぎない薩摩が、1860年から蒸気船の「艦隊」をつくりあげる。
◇薩摩藩が幕末に国外から購入した艦船
1860年
・天佑丸$125,000☆☆
1862年
・永平丸$130,000☆☆
・青鷹丸$ 85,000☆☆
1863年
・白鳳丸$ 95,000☆☆
・安行丸$ 75,000☆☆
1864年
・平運丸※不明☆☆
・胡蝶丸$ 75,000☆
・翔鳳丸$120,000☆☆
・乾行丸$ 75,000☆☆
・豊瑞丸※不明☆☆
1865年
・竜田丸$ 19,000
・開聞丸$ 95,000☆☆
・万年丸$ 75,000☆☆
・三邦丸$ 80,000☆☆
・桜島丸$ 60,000☆☆
1866年
・大極丸$ 12,000
1867年
・春日丸※不明☆
------------------------
購入隻数 17隻
購入金額 $1,121,000 =676,200両 ※わかっているものだけ
【船種別】
☆*2・・・スクリュー船
☆*1・・・外輪船
☆*0・・・帆船
【参考:為替レート目安】
1£=4.00$=2.41両
1$=0.25£=0.60両
1両=1.66$=0.41£
江戸時代の武士の扶持米相場を一石一両とすると、軍艦の購入費用だけで7年間に676,200石分以上の支出を薩摩藩はしたことになる。
17隻の総トン数は7,878トン。うち13隻は最新のスクリュー船。
この時代を通じて、幕府が所有した蒸気船の戦闘艦が8隻しかなかったのにもかかわらずである。莫大な投資である。
特に1864年から1865年の2年間に、10隻(8隻のスクリュー船を含む)の調達は目を引く。
薩摩藩は外様ながら、加賀藩に次ぐ90万石の所領とうたわれていた。当時の石高というのは必ずしも生産量を意味しない租税の目安であり、一概に結び付けられないのだが、それにしても藩の年間予算に匹敵するような支出を2年間で行っていることになる。
1800年代前半まで財政的に火の車であった薩摩藩が、なぜ、この急激な軍拡を支えることができたかといえば、それなりに荒っぽいことをしていたわけで、藩の借金を250年返済にしたり、琉球王国を通じた密貿易など、藩ぐるみで幕府の裏で経済・金融工作をしていたのである。
そして、もうひとつ。
幕末から明治への近代史を切り開いた薩摩藩の財政政策と蒸気海軍には、奄美諸島の砂糖プランテーションの秘密が隠されている。
明治維新という日本の近代史をつくりだす転換の裏側には砂糖があり、さらにはこの甘い砂糖は、日本のみならず世界の近代をも作り出してきたのだ。
以下、ウォーラー・ステインの主要著作の訳者でもある川北稔の「砂糖の世界史」を参照しつつ、まとめる。
◇「砂糖のあるところ奴隷あり」
砂糖は、コーヒーや茶や胡椒と同じく、資本主義的な世界システムが成長していくのにつれて、その需要を拡大していった生産物である。
ウォーラー・ステインは、現代の資本主義社会を16世紀のヨーロッパから始まった歴史的なシステムとして定義したが、これらの生産物は、そろってこの頃に大量生産・大量生産の対象となっていき、そして、そればかりか世界の人間の配置までをも変えてしまうことになる。
砂糖はもともとは薬であった。
これは、もともと茶や胡椒が薬であり、コーヒーが宗教儀式のためのものであったのと同じことである。長い三国志の物語の冒頭、劉備玄徳が病気の母のために茶を買いに旅に出るエピソードはわかりやすい例であろう。
中世には辺境に過ぎなかったヨーロッパは、劉備玄徳が茶をそうしてきたように、イスラム世界から伝わってきた砂糖を高価な薬として取り扱っていた。
イスラム教徒が欧州を席巻していた時代に、地中海に砂糖の栽培が始まり、さらには大西洋沿岸のスペインやチュニジアでも生産が始まる。
サトウキビの栽培には、温度と雨量が必要であり、その加工は大量の労働力が必要となる。さらにはサトウキビの栽培は土地の滋養を失いやすく、一箇所にとどまって栽培し続けられないという事情から、そのための土地はヨーロッパから西へ西へと移動していくことになる。
コロンブスがアメリカを発見した航海の2回目には、サトウキビの苗が船積みされていた。それからしばらくたつと、西アフリカの港からは大量のアフリカ人奴隷がアメリカ大陸のサトウキビ栽培の労働力として「出荷」されていくことになる。
奴隷狩りで捕まえられた黒人を市場で買い付けたポルトガル人は、ブラジルのサトウキビ畑で砂糖の精糖工場に彼らを大量に送りつける。
きっと、16世紀に日本にやってきたポルトガル人が、稀少で珍奇な食べ物として日本人に振舞ったコンペイトウやカステラに、このブラジル産の砂糖はふんだんに使われていただろうことが想像できる。その砂糖は西アフリカで捉えられた黒人が、鉄球に鎖でつながれてプランテーションに送り込まれてつくられていたのである。
近代史において「砂糖のあるところに奴隷あり」と喝破したのは、やはり砂糖プランテーションの国として奴隷の末裔が人口の大半を占めるトリニダード・トバゴの独立運動の指導者で歴史家でもあり、この国の首相エリック・ウィリアムズの言葉である。
アメリカ大陸にいる黒人は、砂糖や綿花のために連れてこられた奴隷の子孫である、そんな歴史の事実を、言葉として認識するのは容易い。しかし、そこには決して書かれることのない人々の人生が集積されている。純白の砂糖をいくら眺めてみても、その言葉にならない苦しみや悲しみの顔は浮かび上がることはない。
「世界商品」の生産と黒人奴隷制度「世界商品」のトリックとはそういうものだ。
産業革命の18世紀のイギリスでは、インドのプランテーションから輸入された紅茶に、アメリカの西インド諸島の奴隷のプランテーションから輸入される砂糖を入れて、労働者までもが飲むようになる。マルクスは、資本主義社会では労働者はひたすら貧しくなるだけだ、という「絶対窮乏化」の理論を砂糖と紅茶という世界商品のトリックから、もう一度考えてみるべきだった。
高価だった砂糖と茶は、労働者の普通の家庭