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2006/12/16のBlog
[ 21:42 ]
[ サッカー時評 ]
5位決定戦に行ってまいりました。
全北現代は、あのACLを勝ち抜いてアジアチャンピオンになった連中だったが、何せ相手が相手。
期待して見ていたんだけど、まあそれなりに流して試合して、はい終了という感じでしたよ。
オークランドシティFCか。
こんな連中が出てくる大会が、「ワールドカップ」ってレベルじゃねえだろ!とも思うのだが。
オレはアジアチャンピオンにふさわしく、グラフィックデザイナーとか大工とかいる白人のチームは20-0ぐらいのボコボコにしてほしかったのだが。
しょうがないので、つかまえてインタビューしてやろうと思って、試合始まってしばらくたってから、これを探していたよw
ちなみに、一番最前列にキラキラパネルもっている連中がいて、これか!と突撃していくと、「岩本コーチありがとう!」と書いてある。
出していた女子高生10人くらいに、なんでコーチなの?と聞いたら、なんでも岩本がこのコ達にサッカー教えているんだってさ、マメだなあ~。
で、その「岩本テルの引退試合」。
そもそも「5位」決定戦なんてものをやる必要があるのかどうかも不思議なんだけど、まあこれにどう考えても負けてこの試合をやることになるだろうオークランドに岩本をあてがった日テレと興行主は実に優秀だねw
といっても、会場はガラガラだったけれども。
公称2万人。
けど、子供が本当に目立ったので、タダチケを協会が相当配ったんだろう。ちなみに、自分のチケもこの協会ルートのタダチケのもらいもの。試合帰りに会った知り合い全てタダチケ。
つまんなければ、それなりに自主的努力によって楽しくしなければ国立の吹きっさらしに寒くなるばかりなので、こっちエンドで全北のコーナーキックとかPKの時に、ブーイングしまくっていたら、まわりの子供達がブーイングというものを覚えたらしくものすごいブーイングが会場中にひろがってしまって、かえってこっちがダダっぴきになってしまいますた。
すいません、全北現代のプレイヤーの皆さん、ただのネタだったんですw
さて、去年はこんなことを書いた。
もの哀しき11番 (世界クラブ選手権について)
けど、何も変わっちゃいやしねえで、またこういう試合になっている。
岩本が悪いわけでもない。問題は「クラブワールドカップ」という価値の考え方だ。
しかも、また開催国枠とか言ってやがるし。
2つ目の増加枠は開催国に割り当てられる見込み。「FIFA主催の大会で開催国枠がないのは、クラブW杯だけ。今後、協議する必要がある。ただ、大会のレベルを下げないことが大事である」とリンジー事務総長は話した。
日本協会では、08年以降の継続開催をFIFAに申し入れている。現在、全北現代―クラブ・アメリカ戦(11日、東京・国立競技場)の前売り券は約1万枚と伸び悩んでいる。「引き続き日本開催をアピールするためには観客動員がすべて。ぜひ見に来てほしい」と川淵三郎キャプテン(70)。さらに日本協会では、来年からオセアニア代表と予備予選を行う方式による開催国枠確保を求めている。
ただ客が入ればいいってもんじゃないと思うんだけど。
ACLを勝ち抜いて、はじめて世界という名前の試合に行けるのがいいのであって、「開催国枠」っていっても、日本でやることが前提になっているんなら、それは「開催国枠」でなくて「日本枠」。
いや、チケット売らんかなのための「日テレ&電通枠」だよ、それはさ。
本当にサッカー的に盛り上げたいなら答えは簡単で、クラブワールドカップを世界持ち回りでやること。日本でやる必要なんか特にない。
トヨタカップという名前で、世界のサッカーが見られるのが価値があったのは、90年代前半くらいまでの話で、いまや世界中のサッカーをポテトチップ食べながらソファーに座って24時間見られるのだから、オレ的にはもういいという感じ。
それよりも、Jリーグサポーター的には、自分のクラブチームがACLに勝ち抜いていくことを夢見て、Jリーグに通うほうが楽しいし、それが正しい姿ではないかと思う。
もし開催国枠が必要だったとしても、それは日本でやることが前提となっているならば、Jのチームを出すのは全くもってフェアではない。
世界もちまわりで、欧州でやる年もあれば南米でやる年もある、北米でも豪州でも中近東でもやる。そして、その国の開催国枠がある。それで初めてフェアになるだろう。
アメリカ人は基本的に田舎モノなので、国内リーグのチャンピオンでやるスポーツのイベントのくせに「ワールドシリーズ」とか呼んだりするわけですよ。これと、クラブワールドカップの開催国枠はなんにも関係がないわけだが、まだ視聴率とチケの販売のために開催国枠クレクレいっている連中は、周りが見えていない田舎度合いで50歩100歩のバカですね。
国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長は12日、ジュネーブで会見し、12月に日本で行われるクラブワールドカップ(CWC)について、開催国枠を設けない方針を改めて強調した。
会長は、「日本(のクラブ)は、アジアの覇者となって初めて出場できる。追加出場を認めれば、真のクラブ大会とは言えなくなる」と述べ、6月の理事会でも結論は変えないとの考えを示した。
ソース
プラッターの言っていることは正論。つか、UEFA杯チャンピオン呼んで、欧州2国というのもなんだかな。トヨタカップからの歴史を見ても、どう考えても増やすなら南米と一緒だよな、フツー。
それでも世界のクラブチームのサッカーを目の前でみたいというのは、オレも変わらないというなら、実力でなく、岩本テルとか三浦カズのように出てくるJリーグのチームなんか出てくるのを期待してはいけませんよ。
よくさ、テレビでインチキな冒険モノあるじゃん。海外出て行って、観光とさして変わらないレベルでタレントが騒いでいるようなヤツ。
テレビのカメラの前ならなんでも安心だと思っている勘違いモノ。
あれと変わらない。テレビの前ならなんでもできるというのは、大きな間違い。岩本の痛々しいプレイを見て、国立の寒空の下、クラブワールドカップの今後について少しだけ考えてみた。
全北現代は、あのACLを勝ち抜いてアジアチャンピオンになった連中だったが、何せ相手が相手。
期待して見ていたんだけど、まあそれなりに流して試合して、はい終了という感じでしたよ。
オークランドシティFCか。
こんな連中が出てくる大会が、「ワールドカップ」ってレベルじゃねえだろ!とも思うのだが。
オレはアジアチャンピオンにふさわしく、グラフィックデザイナーとか大工とかいる白人のチームは20-0ぐらいのボコボコにしてほしかったのだが。
しょうがないので、つかまえてインタビューしてやろうと思って、試合始まってしばらくたってから、これを探していたよw
ちなみに、一番最前列にキラキラパネルもっている連中がいて、これか!と突撃していくと、「岩本コーチありがとう!」と書いてある。
出していた女子高生10人くらいに、なんでコーチなの?と聞いたら、なんでも岩本がこのコ達にサッカー教えているんだってさ、マメだなあ~。
で、その「岩本テルの引退試合」。
そもそも「5位」決定戦なんてものをやる必要があるのかどうかも不思議なんだけど、まあこれにどう考えても負けてこの試合をやることになるだろうオークランドに岩本をあてがった日テレと興行主は実に優秀だねw
といっても、会場はガラガラだったけれども。
公称2万人。
けど、子供が本当に目立ったので、タダチケを協会が相当配ったんだろう。ちなみに、自分のチケもこの協会ルートのタダチケのもらいもの。試合帰りに会った知り合い全てタダチケ。
つまんなければ、それなりに自主的努力によって楽しくしなければ国立の吹きっさらしに寒くなるばかりなので、こっちエンドで全北のコーナーキックとかPKの時に、ブーイングしまくっていたら、まわりの子供達がブーイングというものを覚えたらしくものすごいブーイングが会場中にひろがってしまって、かえってこっちがダダっぴきになってしまいますた。
すいません、全北現代のプレイヤーの皆さん、ただのネタだったんですw
さて、去年はこんなことを書いた。
もの哀しき11番 (世界クラブ選手権について) けど、何も変わっちゃいやしねえで、またこういう試合になっている。
岩本が悪いわけでもない。問題は「クラブワールドカップ」という価値の考え方だ。
しかも、また開催国枠とか言ってやがるし。
2つ目の増加枠は開催国に割り当てられる見込み。「FIFA主催の大会で開催国枠がないのは、クラブW杯だけ。今後、協議する必要がある。ただ、大会のレベルを下げないことが大事である」とリンジー事務総長は話した。
日本協会では、08年以降の継続開催をFIFAに申し入れている。現在、全北現代―クラブ・アメリカ戦(11日、東京・国立競技場)の前売り券は約1万枚と伸び悩んでいる。「引き続き日本開催をアピールするためには観客動員がすべて。ぜひ見に来てほしい」と川淵三郎キャプテン(70)。さらに日本協会では、来年からオセアニア代表と予備予選を行う方式による開催国枠確保を求めている。
ただ客が入ればいいってもんじゃないと思うんだけど。
ACLを勝ち抜いて、はじめて世界という名前の試合に行けるのがいいのであって、「開催国枠」っていっても、日本でやることが前提になっているんなら、それは「開催国枠」でなくて「日本枠」。
いや、チケット売らんかなのための「日テレ&電通枠」だよ、それはさ。
本当にサッカー的に盛り上げたいなら答えは簡単で、クラブワールドカップを世界持ち回りでやること。日本でやる必要なんか特にない。
トヨタカップという名前で、世界のサッカーが見られるのが価値があったのは、90年代前半くらいまでの話で、いまや世界中のサッカーをポテトチップ食べながらソファーに座って24時間見られるのだから、オレ的にはもういいという感じ。
それよりも、Jリーグサポーター的には、自分のクラブチームがACLに勝ち抜いていくことを夢見て、Jリーグに通うほうが楽しいし、それが正しい姿ではないかと思う。
もし開催国枠が必要だったとしても、それは日本でやることが前提となっているならば、Jのチームを出すのは全くもってフェアではない。
世界もちまわりで、欧州でやる年もあれば南米でやる年もある、北米でも豪州でも中近東でもやる。そして、その国の開催国枠がある。それで初めてフェアになるだろう。
アメリカ人は基本的に田舎モノなので、国内リーグのチャンピオンでやるスポーツのイベントのくせに「ワールドシリーズ」とか呼んだりするわけですよ。これと、クラブワールドカップの開催国枠はなんにも関係がないわけだが、まだ視聴率とチケの販売のために開催国枠クレクレいっている連中は、周りが見えていない田舎度合いで50歩100歩のバカですね。
国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長は12日、ジュネーブで会見し、12月に日本で行われるクラブワールドカップ(CWC)について、開催国枠を設けない方針を改めて強調した。
会長は、「日本(のクラブ)は、アジアの覇者となって初めて出場できる。追加出場を認めれば、真のクラブ大会とは言えなくなる」と述べ、6月の理事会でも結論は変えないとの考えを示した。
ソースプラッターの言っていることは正論。つか、UEFA杯チャンピオン呼んで、欧州2国というのもなんだかな。トヨタカップからの歴史を見ても、どう考えても増やすなら南米と一緒だよな、フツー。
それでも世界のクラブチームのサッカーを目の前でみたいというのは、オレも変わらないというなら、実力でなく、岩本テルとか三浦カズのように出てくるJリーグのチームなんか出てくるのを期待してはいけませんよ。
よくさ、テレビでインチキな冒険モノあるじゃん。海外出て行って、観光とさして変わらないレベルでタレントが騒いでいるようなヤツ。
テレビのカメラの前ならなんでも安心だと思っている勘違いモノ。
あれと変わらない。テレビの前ならなんでもできるというのは、大きな間違い。岩本の痛々しいプレイを見て、国立の寒空の下、クラブワールドカップの今後について少しだけ考えてみた。
2006/12/14のBlog
[ 23:49 ]
[ 書評 ]
戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る 斎藤 美奈子昭和のモダンタイムスの時代から、日中戦争開戦を経て太平洋戦争に突入し敗戦するまで、「主婦の友」「婦人の友」「婦人倶楽部」の婦人雑誌に掲載されている「レシピ」を通時的に紹介した本。
この本はレシピの本である。しかし、これがまたひとつも美味しそうなレシピがないのがすごい。
もともとリッチな都会の人にむけた雑誌が、戦前の婦人雑誌なわけだが、昭和初期の農村の貧困の問題とはうらはらに、豊かで贅沢な洋食の料理などを紹介していたところから、1938年の国家総動員法のあたりから、俄然戦争モードに突入していく。
第一次世界大戦というのは、初めて国家が経済力や思想戦なども含めた総合力で戦いあったもので、戦争を目的として国家のデザインをつくりださねば勝つことができないことが明白になった戦争で、日中戦争を契機にこの統制的国家運営がスタートされはじめる。このときから、婦人雑誌の「節米」のレシピが始まる。
この本で面白かったのは、当時の日本の不思議な食糧事情だ。
例えば、日本はすでに明治30年頃から米の輸入国だったという件。
さらに昭和恐慌と厳しい小作料で農民が都市流入し、国内の米の生産が伸び悩み、このため朝鮮や台湾から米を輸入していたらしいのだ。
さらに当時の日本人は本当によく米を食べていたため(一日あたりの消費量は戦後一番食べていた頃の三倍、一日9杯から10杯のごはんを食べていた計算!)、戦争が始まって、輸送船の調達不足とコストアップで一挙に米が手に入らなくなったというわけ。
まだこの時期はいい。戦争が本格化してからは、魚粉も食う、糠は食う、茶殻も食う。徐々にサバイバルの様相となる。
おおよそ、主食でさえ輸入に頼っていた国になってしまったのは、国内経済の失敗なのだが、それを外に出てケンカ売ることで、何か解決すると思っていたのだから、この時代は本当に救われない。
威勢のいい精神論振りかざす連中に煽られて、己の姿を正確に計量できず、それでも見よう見真似で植民地をつくりに中国に攻め込み、それで収拾がつかなくなり、そして世界中から孤立して袋叩きにあった経緯は知っての通り。
・・・というところまで書いて、ふと思った。
これ、きっと北朝鮮にいる普通の連中もこの状態なんだろうなあ~と。
きっと彼らの家庭も今頃、茶殻とか虫とか糠とか魚粉とか食っているに違いない。
自分が強いと思ってキチガイみたいな精神論とイケイケと煽るバカの責任をかぶらなきゃならない食卓。これは見たことある光景ですよ。
日本人の戦後5年間の平均身長は10センチ下がり、平均体重は8キロ減ったらしい。
きっと、あの寒い国で燃料もなく食料もない今、同じようなことになっているんだろうな、と思い胸が痛む。
戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る 斎藤 美奈子2006/12/05のBlog
[ 00:05 ]
[ サッカー時評 ]
先日のフクアリの最終戦、対千葉にて、試合終了後トラブルが起きた。
この件について、深く触れようとは思わないのだが、一応流れだけ。
試合終了後、選手が退場した後に、横浜ゴール裏で選手コールが起きる。
普段だったら、選手が退場したらコールは終わる。それでもコールが続いたのは自然発生で起きたからだ。
この時の退場後のコールは、ドゥトラ以下、今期退団が決まった選手へのもの。
退団の発表があったのが、ホーム最終戦の後だったので、こういう送り出しをする時間がなかったのだ。
それならホーム最終戦の前に発表すればよいのだろうが、そういう風になってしまったのだ。みんなに愛されていたディド(GKコーチ)は、マイクを残して去るし、水沼貴志も恐らく今期限りだ。
特に外国人選手は、天皇杯が残っていても、Jリーグ最終戦が終わるとそのまま帰国するパターンだから、最後に何かをするのはここしかない。ドゥトラにはこれまであまりも恩がありすぎる。ドゥトラは、案の定、このまま天皇杯に出場せずに帰国するらしい。
水沼監督は、そのコールがグラウンドから去っても聴こえたらしく、わざわざ戻ってきて挨拶していた。
それが千葉のホーム最終戦のセレモニーに重なった。といっても、こちらはこちらでコール出ししているのでこれが聴こえない。
こっちはセレモニーやるんだから、とっとと帰れ、というブーイングが千葉側から起きて、さらにクレームを受けてきたシミスポが止めに来る。
その間に、威勢のいいのが、緩衝地帯に入ってきてペットボトルを投げ込んで、祭り開始。
まあ、どっちもどっちなんだが、こちらにはこちらの事情がある。おまえら逆だったら、そうするよ、きっと。
そして、そういうややこしいところに、アホが中身の入ったペット投げてきたものだから、それはまあ祭りにはなるわなw
ちなみに、アウェイチームは試合が終わったらとっとと帰らなければならないというルールなんてオレは知らね。どっか日本の中の外国のクラブのチームのルールでしょ、それ。最近になってフクアリに現れてきたニワカは田舎ルールがJリーグのルールと思っているようだが。
・・・と、まあ、またバカがコメント欄に殺到してきそうなことを書いているのだがw、本題はそこではない。
その乱闘が行われているなかの出来事を記したい。阿部勇樹のことだ。
セレモニーが終わって場内をまわっていたところで、阿部がわざわざアウェイ、つまり横浜側にやってきて、ゴール裏に来て、こんなことを言ったらしい。
ゴール裏とキチンと話が出来る選手は大成する。オレが見ているかぎり、これは間違いない。
たいしたもんだよ。
そういうわけで、代表の阿部勇樹はキチンと見ていこうと思う。いい選手持ったもんだ。
この件について、深く触れようとは思わないのだが、一応流れだけ。
試合終了後、選手が退場した後に、横浜ゴール裏で選手コールが起きる。
普段だったら、選手が退場したらコールは終わる。それでもコールが続いたのは自然発生で起きたからだ。
この時の退場後のコールは、ドゥトラ以下、今期退団が決まった選手へのもの。
退団の発表があったのが、ホーム最終戦の後だったので、こういう送り出しをする時間がなかったのだ。
それならホーム最終戦の前に発表すればよいのだろうが、そういう風になってしまったのだ。みんなに愛されていたディド(GKコーチ)は、マイクを残して去るし、水沼貴志も恐らく今期限りだ。
特に外国人選手は、天皇杯が残っていても、Jリーグ最終戦が終わるとそのまま帰国するパターンだから、最後に何かをするのはここしかない。ドゥトラにはこれまであまりも恩がありすぎる。ドゥトラは、案の定、このまま天皇杯に出場せずに帰国するらしい。
水沼監督は、そのコールがグラウンドから去っても聴こえたらしく、わざわざ戻ってきて挨拶していた。
それが千葉のホーム最終戦のセレモニーに重なった。といっても、こちらはこちらでコール出ししているのでこれが聴こえない。
こっちはセレモニーやるんだから、とっとと帰れ、というブーイングが千葉側から起きて、さらにクレームを受けてきたシミスポが止めに来る。
その間に、威勢のいいのが、緩衝地帯に入ってきてペットボトルを投げ込んで、祭り開始。
まあ、どっちもどっちなんだが、こちらにはこちらの事情がある。おまえら逆だったら、そうするよ、きっと。
そして、そういうややこしいところに、アホが中身の入ったペット投げてきたものだから、それはまあ祭りにはなるわなw
ちなみに、アウェイチームは試合が終わったらとっとと帰らなければならないというルールなんてオレは知らね。どっか日本の中の外国のクラブのチームのルールでしょ、それ。最近になってフクアリに現れてきたニワカは田舎ルールがJリーグのルールと思っているようだが。
・・・と、まあ、またバカがコメント欄に殺到してきそうなことを書いているのだがw、本題はそこではない。
その乱闘が行われているなかの出来事を記したい。阿部勇樹のことだ。
セレモニーが終わって場内をまわっていたところで、阿部がわざわざアウェイ、つまり横浜側にやってきて、ゴール裏に来て、こんなことを言ったらしい。
ゴール裏とキチンと話が出来る選手は大成する。オレが見ているかぎり、これは間違いない。
たいしたもんだよ。
そういうわけで、代表の阿部勇樹はキチンと見ていこうと思う。いい選手持ったもんだ。
2006/12/04のBlog
[ 23:56 ]
[ 書評 ]
◇ネーションと美学 柄谷行人



◇自我論集 S.フロイト

◇ブレア時代のイギリス 山口二郎
◇アナキズム読本―アナキズムとは何か?
◇戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る 斉藤美奈子
◇チェ・ゲバラの遥かな旅 戸井十月
◇死なう団事件―軍国主義下のカルト教団 保阪正康

◇石原莞爾 その虚飾 佐高信
◇偽満州国論 武田徹
◇帝国陸軍の“改革と抵抗” 黒野耐
◇「ゲバラを脱神話化する」 大田昌国
◇チャベス―ラテンアメリカは世界を変える! ウーゴ・チャベス&アレイダ・ゲバラ
◇反西洋思想 I・ブルマ&A・マルガリート
◇二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動 高橋正衛
◇五衰の人―三島由紀夫私記 徳岡孝夫


◇三島由紀夫と楯の会事件 保阪正康

◇二・二六事件全検証 北博昭
◇三島由紀夫の二・二六事件 松本健一
◇甘粕大尉 角田房子


◇被差別の食卓 上原善広
◇ちょっとオフサイド 後藤健生
◇北一輝論 松本健一
最近は公私ともども忙しい。それでも本だけは読み続ける日々。
満員電車の中、ふと仰ぎ見てみると、みんな携帯いじっているか、音楽聴いているか、本を読んでいるか、のどれか。
きっと、電車の中を自分の部屋みたいに過ごそうというとしているんだろうな。
つか、この都心の通勤事情考えると、やっぱり東京は限界ですよ。
一番悲惨だった頃のイギリスの労働者階級や日本の女工達は、一日16時間働いていたというけれど、現代日本のサラリーマンは通勤時間あわせると、それぐらい仕事に時間とられているヤツはザラですよ。
これが豊かな国の生活というものなのか、オレはホトホト不思議ですよ。エンゲルスもびっくりだわ
そんな東京に、また利権誘致しようと石原のバカは相変わらずトンチンカンなことやって、国内の都市選考では姜尚中にろくでもないこと言っていたらしいけど、つくづくダメなヤツだと思うよな、コイツは。
金正日クラスの時代錯誤バカ。
まあ、そんなわけで自分も電車に揺られながら二宮金次郎のように読書に勤しむ毎日を過ごしているワケですよ。労働者階級のヒーローになるのは大変なことですね。




◇自我論集 S.フロイト


◇ブレア時代のイギリス 山口二郎

◇アナキズム読本―アナキズムとは何か?
◇戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る 斉藤美奈子
◇チェ・ゲバラの遥かな旅 戸井十月
◇死なう団事件―軍国主義下のカルト教団 保阪正康


◇石原莞爾 その虚飾 佐高信
◇偽満州国論 武田徹
◇帝国陸軍の“改革と抵抗” 黒野耐
◇「ゲバラを脱神話化する」 大田昌国
◇チャベス―ラテンアメリカは世界を変える! ウーゴ・チャベス&アレイダ・ゲバラ
◇反西洋思想 I・ブルマ&A・マルガリート
◇二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動 高橋正衛
◇五衰の人―三島由紀夫私記 徳岡孝夫



◇三島由紀夫と楯の会事件 保阪正康


◇二・二六事件全検証 北博昭
◇三島由紀夫の二・二六事件 松本健一

◇甘粕大尉 角田房子



◇被差別の食卓 上原善広

◇ちょっとオフサイド 後藤健生
◇北一輝論 松本健一
最近は公私ともども忙しい。それでも本だけは読み続ける日々。
満員電車の中、ふと仰ぎ見てみると、みんな携帯いじっているか、音楽聴いているか、本を読んでいるか、のどれか。
きっと、電車の中を自分の部屋みたいに過ごそうというとしているんだろうな。
つか、この都心の通勤事情考えると、やっぱり東京は限界ですよ。
一番悲惨だった頃のイギリスの労働者階級や日本の女工達は、一日16時間働いていたというけれど、現代日本のサラリーマンは通勤時間あわせると、それぐらい仕事に時間とられているヤツはザラですよ。
これが豊かな国の生活というものなのか、オレはホトホト不思議ですよ。エンゲルスもびっくりだわ
そんな東京に、また利権誘致しようと石原のバカは相変わらずトンチンカンなことやって、国内の都市選考では姜尚中にろくでもないこと言っていたらしいけど、つくづくダメなヤツだと思うよな、コイツは。
金正日クラスの時代錯誤バカ。
まあ、そんなわけで自分も電車に揺られながら二宮金次郎のように読書に勤しむ毎日を過ごしているワケですよ。労働者階級のヒーローになるのは大変なことですね。
さて、それでは本題。
チャベス―ラテンアメリカは世界を変える!ベネズエラ・"ボリバリアーノ"・共和国のウーゴ・チャベスが今日3選を果たしたそうだ。
南米は、これでますます社会主義政権に固められていく。
なぜ南米がこのようになっていくのか。そして、普通選挙にて選ばれて「反米」の「社会主義者」であるチャベスが、どのような人物なのか、それは非常に興味深いことであり、そして、ベネズエラをはじめとする南米の社会情勢を見れば如何に当たり前のことかがわかるのが、この本。
ちなみに、この本はインタビュー集なのだが、インタビュアは、アルネスト・チェ・ゲバラの娘。
ゲバラの意味を現在に確認するなら、まずはチャベスからなのではないか。
チャベスについても、また後にまとめて。
ネーションと美学は、 トランスクリティーク -カントとマルクス-「以後」の柄谷行人のナショナリズム論をまとめた選集のひとつ。柄谷行人は、自分の過去の論文をあえて書き直していくのだが、この選集においては、トランスクリティークから派生するナショナリズム論をまとめたもの。ネーションが「美」として成立しているものであること、だからナショナリズム論は美学として論じられなければならない・・・という趣旨なのだが、これがまた面白い。
この書についてはまたまとめて書こうと思っている。
自我論集は、「快感原則の彼岸」の超自我論と、カントの「世界共和国」=永遠平和を横断的に論じたもの。カントの言う「世界平和」は、決して理性や道徳ではなく、むしろ人間の死の欲動や攻撃性から転じて現れると柄谷はいう。つか、フロイト久々に原典読んだ。
帝国陸軍の“改革と抵抗”は、日本陸軍のいわば国防思想の変遷を3人の人間(桂太郎・宇垣一成・石原莞爾)の「改革」から論じようとした本なのだが、なんだか知らないけど、この「改革」とやらを、小泉「改革」とムキになって重ね合わせようとして無理のある本だった。最近の新書ブームとやらで、こういうロクでもない本増えているのだろうか。ただし、日本の国防思想の変転をすっきり3人の軸にまとめているところはわかりやすくはある。
すなわち、
(1)主権線論(専守防衛)から利益線論(外国への派兵による積極的防衛)への変転
(2)第一次大戦以後の経済をも統制する国家総力戦体制への変転
(3)対米戦争への体制のシフト
このへんは、コレと一緒に読むとわかりやすいかもしれない。
ただし、これらは特に思想的にすみやかにこのような思想がとられてきたかというと、決してそうではなく、基本的には人事抗争と派閥争いが、これらの方向性を決着づけてきたというところも多々ある。基本的に、日本はいつでもこうだ。
ニ・ニ六事件も、基本的には単なる陸軍内の派閥抗争とみなしてしまっても無理はないくらいだ。これに過剰な思い入れをこめて「美」を見いだし、ナショナリズムの美学装置とした三島はあまりにも無理がありすぎる。
二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動や
二・二六事件全検証を見ても、単なる皇道派と統制派の派閥抗争とくくられてしまっても無理はないのである。そもそも思想的に決起将校のバックグラウンドになったという北一輝の思想のどこに、三島が考えていたような御伽噺のような天皇の姿があるというのか。
ちなみに、三島は北の思想に対してある種の嫌悪を示していたということが、
三島由紀夫の二・二六事件には記されている。そりゃそうだろうなあ。しかし、この史実を見る奇妙な遠近感こそ、実は三島の倒錯の秘密があると思うのだが。
このへんもまた時間みつけてまとめて書こうと思う。
甘粕大尉これは名作。大正からの敗戦までの日本史の裏側を奇妙に栄光と恥辱にまみれて生きてきた男の記録。読むべしの一冊。
そんなわけで、三島から始まり、昭和史のあたりをずっとこの期間うろついていたわけでしたとさ。
2006/12/01のBlog
[ 00:29 ]
[ FWF ゴールドディスク ]
Beggars Banquet The Rolling Stones新約聖書の放蕩息子のエピソードはこんな話である。
ある人に二人の息子がいた。 そのうちの年下のほうが父親に言った
『お父さん,財産のうちわたしの取り分を下さい』
父親は自分の資産を二人に分けてやった。
何日もしないうちに,年下の息子はすべてを取りまとめて遠い地方に旅立った。彼はそこで羽目を外した生活をして自分の財産を浪費した。
すべてを使い果たした時,その地方にひどいききんが起こって,彼は困窮し始めた。
彼はその地方の住民たちの一人のところに行って身を寄せたが,その人は彼を自分の畑に送って豚の世話をさせた。 彼は,豚たちの食べている豆のさやで腹を満たしたいと思ったが,彼に何かをくれる者はいなかった。
だが,我に返った時,彼は言った,『父のところでは,あれほど大勢の雇い人たちにあり余るほどのパンがあるのに,わたしは飢えて死にそうだ!立ち上がって,父のところに行き,こう言おう
「お父さん,わたしは天に対しても,あなたの前でも罪を犯しました。 15:19 わたしはもはやあなたの息子と呼ばれるには値しません。あなたの雇い人の一人のようにしてください」』
彼は立って,自分の父親のところに帰って来た。だが,彼がまだ遠くにいる間に,彼の父親は彼を見て,哀れみに動かされ,走り寄って,その首を抱き,彼に口づけした。
息子は父親に言った,『お父さん,わたしは天に対しても,あなたの前でも罪を犯しました。わたしはもはやあなたの息子と呼ばれるには値しません』。
だが,父親は召使いたちに言った,『最上の衣を持って来て,彼に着せなさい。手に指輪をはめ,足に履物をはかせなさい。 肥えた子牛を連れて来て,それをほふりなさい。そして,食べて,お祝いをしよう。 このわたしの息子が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのに,見つかったのだ』
彼らは祝い始めた。
さて,年上の息子は畑にいた。家のそばに来ると,音楽や踊りの音が聞こえた。 召使いたちの一人を呼び寄せ,どうしたのかと尋ねた。 召使いは彼に言った
『あなたの弟さんが来られたのです。それで,あなたのお父様は,弟さんを無事に健康な姿で迎えたというので,肥えた子牛をほふられたのです』
ところが,彼は腹を立て,中に入ろうとしなかった。そのため,彼の父親が出て来て,彼に懇願した。 だが,彼は父親に答えた
『ご覧なさい,わたしはこれほど長い年月あなたに仕えてきて,一度もあなたのおきてに背いたことはありません。それでも,わたしには,わたしの友人たちと一緒に祝うために,ヤギ一匹さえ下さったことがありません。それなのに,あなたの財産を売春婦たちと一緒に食いつぶした,このあなたの息子がやって来ると,あなたは彼のために肥えた子牛をほふられました』
父親は彼に言った
『息子よ,お前はいつもわたしと一緒にいるし,わたしのものは全部お前のものだ。 だが,このことは祝って喜ぶのにふさわしい。このお前の弟が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのに,見つかったのだ』
ルカによる福音書 (電網聖書 - Public Domainより)
このエピソードをそのまま歌った曲がある。
それがRolling Stonesの"Prodigal Son(放蕩息子)"だ。
もともとは、
その「放蕩息子」が入っている"Beggars Banquet(浮浪者の晩餐)"は、自分が一番好きなローリング・ストーンズのアルバムだ。
ストーンズは時代によって、自分の評価の中では浮き沈みが激しい。だから無条件に推せるのは、ただ、この一枚、強いて言えばもう位一枚"レット・イット・ブリード"だけが好きなアルバムだ。後はなんとなくダメなのだ。
このアルバムのほかと違っているところは、キース・リチャーズが彼にしか弾けないようなキレキレのソロを聞かせるダンサブルな「悪魔を憐れむ歌」のようなシングル向けの曲ではなく、これらのヒットチャート向けのものをサンドウィッチするように収録されているアコースティックのブルースやゴスペルナンバーの数々である。
ブライアン・ジョーンズのボトルネック奏法のスライドギターをたっぷりフューチャーした「No Expectation」を皮切りに、全編を貫くのはアコースティックなブルーズのフレーズで、それがまた素晴らしい。
そのブライアン・ジョーンズといえば、「ブライアン・ジョーンズ/ストーンズから消えた男」なんて映画もあった。
やたらめったら綺麗な女のコと少女漫画チックに美形になったストーンズのメンバー含めて、やたらにおしゃれな60年代のファッションが印象的な映画だった。
ほとんど主人公といってよいはずの建築業者の男の心理描写がコアになるはずのストーリー仕立てそのものは、どうしたものかと思うものだったのだが。
ただし、ブライアンを演じる、映画『フーリガン』で凶暴ながらナイーブなウエスト・ハムの裏切り者となるサポーターを演じていたレオ・グレゴリーが、ラスト・シーンで言い残す一言だけは忘れられない。
曰く、「幸せというのは退屈なものだよ」
ブライアン・ジョーンズは、事実上初期ストーンズのリーダーであり、そしてプロデューサーでもあった。当時の最新の流行であったR&Bをキース・リチャーズとミック・ジャガーに教え込んだのも彼だったし、ファッションイメージやあの「不良性」といったものを演出して最初に彼らにコーディネートしたのも、恐らくブライアン・ジョーンズのはずだ。
だが、破滅型の彼は、グループが音楽的に成功するにつれて、素行の悪さを丸出しにしてしまう。ここでは楽器が巧いというようなことを書いてあるのだが、ハーモニカはともかくとして、ギターもシタールもマリンバも特に上手というわけではない。どちらかというとヘタウマの良さがよいのであって、しかしそれは技巧とは関係ない。
この「放蕩息子」というブルーズの名曲をこのアルバムでカバーするのを考えたのは誰なんだろう、と考える。「もうオレにはここに戻ってくることはないだろう」とつぶやく"No Expectation"も。あまりも出来すぎている。
聖書の放蕩息子の話に戻ってみよう。
反体制の皮肉屋であるイエスという男は、棘のある言葉をところどころに散りばめて説教していた。放蕩息子の譬えもそのように読める。
しかし、ブライアン・ジョーンズという放蕩息子は、ストーンズの兄弟から放逐されてしまったまま帰ることはなかった。"Beggars Banquet"が、ブライアン・ジョーンズがメンバーとして参加した、ほとんど最後のアルバムになっているのは本当に皮肉である。
そして、ブライアン・ジョーンズの物語は、いつも虚飾にまみれて過大評価されているのも事実である。
だから、その伝説を何か妄信的に愛する人に、いつも自分は複雑な思いをする。何か、その放逐になんとなく加担するような人が、むしろその物語を賞賛するような気がするからだ。これは単なる勘繰りだろうか。この放蕩息子はいまだ家に帰れていない。
Beggars Banquet The Rolling Stones◇FWFゴールドディスク
〔MGD001〕"Live at Birdland" John Coltrane
〔MGD002〕"ギル・エヴァンスの個性と発展" Gil Evans
〔MGD003〕"Who is this bitch, anyway?" Marlena Shaw
〔MGD004〕"太陽と戦慄" King Crimson
〔MGD005〕"Second Edition (Metal Box)" Public Image limited
〔MGD006〕 "Hallucination Engine" Material
〔MGD007〕"On Love" David T. Walker
〔MGD008〕"Beggars Banquet" The Rolling Stones
〔MGD009〕"稲村ジェーン" サザンオールスターズ
〔MGD010〕"Chapter one:Latin America" Gato Barbieri
〔MGD011〕"New Glass" Albert Ayler
〔MGD012〕"Somewhere before" Keith Jarrett Trio
◇無人島レコード
2006/11/30のBlog
[ 23:10 ]
[ 書評 ]
『桜の森の満開の下』 坂口安吾




坂口安吾の生誕百周年ということで、坂口安吾映画祭というのがやっているので行ってみた。
レイトショーの企画で、しかも平日の夜だから、こじんまりとしたものだった。
席数100ぐらいの単館専門の映画館は、それでも半分くらいは埋まっていたか。
映画「桜の森の満開の下」は、1975年の作品。ほぼ原作に忠実につくられており、監督の篠田正浩と共同脚本になっている富岡多恵子は実にラクな仕事だったに違いない。
本当のところ、自分は小説の映画化にはいつもげんなりして帰ってきてしまう体験ばかりなので、本当だったら、安吾が好きとはいえ、きっと見に行かなかっただろう。それでも行ったのは、残忍でわがままで、しかし美しく、時に茶目っ気さえ感じられる盗賊の「女房」の自分の中のイメージが、岩下志麻とピッタリと合致したからである。
そして、予想通り、岩下志麻が妖気と少女的な可愛らしさを同時に醸し出していて、それが素晴らしい。ちなみに監督の篠田は、岩下とこの作品の後に結婚している。
ゴロゴロと転がる生首とか、殺陣のシーンはツライものがあるのだが、自分には十分に楽しめた。そもそもこういうシーンはヤバイだろうな、と考えて、あまり期待してなかったということもあるのですが。
帰り道、渋谷の坂を下りながら、その岩下志麻の美しかったことや、しりきれトンボに見えるラストシーンのことなどを考えていた。そして、この「桜の森の・・」に想いがおよぶと、どうしても思い出す自分の思い出など。
坂口安吾の作品には、絶対的な片思いであり、恋にならずにいながらそれに翻弄される孤独な男の話がいつも出てくる。
「桜の森の・・・」もそういう話なのだが、それでは、その悲恋とは何を意味しているのか。
---------------------------
小説は次のように始まる。
(以下、テキストは、すべてインターネットの図書館、青空文庫より。ここは版権の切れた文学作品をすべて掲載しているサイトです。こういうの増えてくれるととてもうれしい。「桜の森の満開の下」はここで全文読めます。)
桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子(だんご)をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩(けんか)して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足(だそく))という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。桜のような絶対的な「美」をもてはやす人々は、実はその「美」の起源を忘れてしまっている。
そのような桜の花の下が顕す「美」とは、生きるということの途方もない絶望や孤独そのものが、その正体なのである。そして、それに人は本来耐えられない。
公明正大な自然の作り出す美が、桜の森に象徴されているとしたら、今度は女(盗賊の「女房」)がつむぎ出す美は、それとはかなり違ったものだ。
女は櫛(くし)だの笄(こうがい)だの簪(かんざし)だの紅(べに)だのを大事にしました。彼が泥の手や山の獣の血にぬれた手でかすかに着物にふれただけでも女は彼を叱りました。まるで着物が女のいのちであるように、そしてそれをまもることが自分のつとめであるように、身の廻りを清潔にさせ、家の手入れを命じます。その着物は一枚の小袖(こそで)と細紐(ほそひも)だけでは事足りず、何枚かの着物といくつもの紐と、そしてその紐は妙な形にむすばれ不必要に垂れ流されて、色々の飾り物をつけたすことによって一つの姿が完成されて行くのでした。男は目を見はりました。そして嘆声をもらしました。彼は納得させられたのです。かくして一つの美が成りたち、その美に彼が満たされている、それは疑る余地がない、個としては意味をもたない不完全かつ不可解な断片が集まることによって一つの物を完成する、その物を分解すれば無意味なる断片に帰する、それを彼は彼らしく一つの妙なる魔術として納得させられたのでした。(中略)
お天気の日、女はこれを外へ出させて、日向(ひなた)に、又、木陰に、腰かけて目をつぶります。部屋の中では肱掛にもたれて物思いにふけるような、そしてそれは、それを見る男の目にはすべてが異様な、なまめかしく、なやましい姿に外ならぬのでした。魔術は現実に行われており、彼自らがその魔術の助手でありながら、その行われる魔術の結果に常に訝(いぶか)りそして嘆賞するのでした。
ビッコの女は朝毎に女の長い黒髪をくしけずります。そのために用いる水を、男は谷川の特に遠い清水からくみとり、そして特別そのように注意を払う自分の労苦をなつかしみました。自分自身が魔術の一つの力になりたいということが男の願いになっていました。そして彼自身くしけずられる黒髪にわが手を加えてみたいものだと思います。いやよ、そんな手は、と女は男を払いのけて叱ります。男は子供のように手をひっこめて、てれながら、黒髪にツヤが立ち、結ばれ、そして顔があらわれ、一つの美が描かれ生まれてくることを見果てぬ夢に思うのでした。
「こんなものがなア」
彼は模様のある櫛や飾のある笄をいじり廻しました。それは彼が今迄は意味も値打もみとめることのできなかったものでしたが、今も尚(なお)、物と物との調和や関係、飾りという意味の批判はありません。けれども魔力が分ります。魔力は物のいのちでした。物の中にもいのちがあります。
女は、桜の花びらが作り出す美とは違った「美」を造型することが出来、それを盗賊はよくわからないまま「魔力」として畏怖する。
魔力の使い手としての女は、限界のない欲望により、次々と町の人間の首を盗賊に刈らせて、その首を使って物語ごっこを続けていく。死と恋と性が入り乱れた物語は、彼女自身が作り出す「美」なのであろうが、しかし、それに盗賊はコミットしていこうという気にはならない。
入り乱れた人間の本性が作り出していく「美」などたくさんだ。。盗賊は、彼女が作り出す「美」の正体を見極めきれずにいながら、町の桜の木の下で一晩をすごして、彼は孤独に立ちかえることを思い立つ。
そして、女を連れて山に戻る盗賊は、桜の木の下を通ってしまうのだが、その時、女が鬼になってしまう幻影を見て思わず絞め殺してしまうのだが、もちろんこれは、その女が作り出す「美」の魔術の正体を見てしまったからだ。
男は、山に戻る前の一夜、こんなことを考えていたのだった。
彼は気がつくと、空が落ちてくることを考えていました。空が落ちてきます。彼は首をしめつけられるように苦しんでいました。それは女を殺すことでした。空の無限の明暗を走りつづけることは、女を殺すことによって、とめることができます。そして、空は落ちてきます。彼はホッとすることができます。然し、彼の心臓には孔があいているのでした。彼の胸から鳥の姿が飛び去り、掻き消えているのでした。
あの女が俺なんだろうか? そして空を無限に直線に飛ぶ鳥が俺自身だったのだろうか? と彼は疑りました。女を殺すと、俺を殺してしまうのだろうか。俺は何を考えているのだろう?
そうして、鬼と化した女を殺した男も、桜の花びらの下で消えていってしまう。
残忍で非道なことを行ってきた男自身が恋した女は、同時に彼自身のもうひとつの姿であったのだ。
彼には決してない資質、だからこそもうひとつの自分自身として投影できる存在。
桜の森の満開の下、公明正大な人間の孤独と絶望に立ち返ってみたときに、自分自身の姿がはじめて鏡のように女に見出されたのだ。打ち震えるエゴと忌まわしき性。それは、そのまま彼自身なのだ。だから、彼女を扼殺することは自死となる。
決してない資質故に自分自身が投影されてしまう、そのカラクリは、彼女自身と彼女が作り出す美から始まる。そして、桜の森の公明正大なもうひとつの「美」は、そのカラクリを見破るのだ。幻影は時として事実よりも事実を語ることがある。
----------------------------------
しかし、こんな解釈をしていると、つまらない。
本当は、中年男が小娘に振り回されて、わがままに耐え切れなく、愛しているのにも関わらず殺してしまったという物語をそのまま甘受する方が、美しくて、そして切ない。
だが、オレはその物語を乗り越えたい、と思っている。すでにクリスマスの装飾が木々にめぐらされた渋谷の宮益坂に向かいながら、そう思う。
そういえば、大岡昇平は、戦前の渋谷に住んでいて、その土地のことを語っている小説の中で、この窪地に川がいくつも流れ込んでいる田舎町のどこかの丘の上に、桜の森があったことを語っていた。
坂の上の歩道橋を上りながら、木の枝に幾十にも巻きついたネオンは桜の花びらには見えなかったけれども。
坂口安吾は基本必読の作家。
下の文庫は「紫大納言」という自分の好きな作品も収録されているのでオススメ。
そして『堕落論』は、日本人なら必読の本。これも読むべし。
なお、坂口安吾についてなら、コチラがいろいろと詳しい。
『桜の森の満開の下』 坂口安吾




2006/11/26のBlog
[ 05:50 ]
[ サッカー時評 ]
城彰二を最初に知ったのは鹿実の選手としてだったかと思うが、それよりも鮮烈だったのは、ジェフ市原に入って、高卒ルーキーのまま開幕からデビューし、そのまま4試合連続ゴールを決めたことだ。
城はそのままファルカンに代表にも呼ばれている。94年のことである。
それから翌年、アトランタ五輪の予選で、当たり前のように城は不動のFWとなっていた。
日本のサッカーの驚異的な進歩に、誰しも目がくらんでいたような頃だった。
自分自身も、城・小倉・前園で、日本はフランスは難しくとも、その次のワールドカップ・・・つまり日本で開催することになっていたワールドカップは決まりだと思っていた。
その中でも、城は別格だった。
加茂体制下に入ると、A代表にも定着した。
五輪チームでは、小倉が怪我で消えた後は、城が1トップとなり、最終予選あたりから入ってきた中田と前園が二列目にはいるようになった。当時、このトライアングルは日本オリンピックの最強の攻撃陣と言われていた。
「マイアミの奇跡」と呼ばれるアトランタ五輪のブラジル戦での勝利の日も、この3人がスタメンだった。伊東が押し込んだ1点は、点がいつまでたっても入らないのに痺れをきらしたブラジルが前がかりになり、ひとりだけ敵守備陣の隙をうかがっていた城が、路木のロングパスに走りこんで競り合ったところから生まれた。こぼれたボールを駆け上がっていた伊東が押し込むシーンは、もう何度見たことか。
ロナウドもリバウドもロベルト・カルロスも、この試合の負けチームの選手として覚えていられるというのは、なんということだろう。
城のポジショニングはとてもクレーバーで、さらには一瞬を決めるボールの落下地点や弾道を読める能力があり、そしてなによりも、ヘディングがとてつもなく巧かった。たぶん、このまま城は本人が言うように、フル代表でも実績をつくり、さらには本人が公言するように、三浦カズに続き、海外へと旅立っていく選手となるのだろうと思っていた。
城はそのままファルカンに代表にも呼ばれている。94年のことである。
それから翌年、アトランタ五輪の予選で、当たり前のように城は不動のFWとなっていた。
日本のサッカーの驚異的な進歩に、誰しも目がくらんでいたような頃だった。
自分自身も、城・小倉・前園で、日本はフランスは難しくとも、その次のワールドカップ・・・つまり日本で開催することになっていたワールドカップは決まりだと思っていた。
その中でも、城は別格だった。
加茂体制下に入ると、A代表にも定着した。
五輪チームでは、小倉が怪我で消えた後は、城が1トップとなり、最終予選あたりから入ってきた中田と前園が二列目にはいるようになった。当時、このトライアングルは日本オリンピックの最強の攻撃陣と言われていた。
「マイアミの奇跡」と呼ばれるアトランタ五輪のブラジル戦での勝利の日も、この3人がスタメンだった。伊東が押し込んだ1点は、点がいつまでたっても入らないのに痺れをきらしたブラジルが前がかりになり、ひとりだけ敵守備陣の隙をうかがっていた城が、路木のロングパスに走りこんで競り合ったところから生まれた。こぼれたボールを駆け上がっていた伊東が押し込むシーンは、もう何度見たことか。
ロナウドもリバウドもロベルト・カルロスも、この試合の負けチームの選手として覚えていられるというのは、なんということだろう。
城のポジショニングはとてもクレーバーで、さらには一瞬を決めるボールの落下地点や弾道を読める能力があり、そしてなによりも、ヘディングがとてつもなく巧かった。たぶん、このまま城は本人が言うように、フル代表でも実績をつくり、さらには本人が公言するように、三浦カズに続き、海外へと旅立っていく選手となるのだろうと思っていた。
そのアトランタ後に、城が横浜にやってきたのは驚きだった。
横浜には当時はアトランタ組では川口も松田もいたし安永もいた。安永を応援していた連中は、その存在のために試合に出る機会が少なくなってしまった城を今ひとつよくは思っていなかったが、自分はとてつもなく期待した。当時、アトランタでは、城はほとんど何も活躍しなかったとされていたのだ。
だから開幕戦で2得点を決めたときはうれしかった。
井原もいて、城がいて、川口がいた時代は、今となっては、ひたすら懐かしい。
さらには、サリナスがいて、三浦文丈がいて、山田がいる。小村もいたし、上野はまだ若き天才だったし、そしてさらには中村俊輔がデビューし、お笑い要員では岡山一成も平間もいた97年。振り返るとなぜこの時期、マリノスは中途半端だったんだろうか。やっぱりアスカルゴルタがいかんかったのかな・・・。Fがくっついてすさまじく戦力アップした99年も不思議かも知れないが。まあ、毎年こんなこと考えているんだけれどもな。
97年のそのチームは元スペイン代表のサリナスと城。城は開幕で2ゴールをあげた。ただし、この年は城はそれなりに活躍したものの、代表の予選が始まっており、マリノスの試合には出れなかった。
ワールドカップの最終予選の国立のウズベキスタン戦でスタメンで出てきたときには自分は心底感動した。ただし、あの試合ではひたすら外しまくっていたのだが。
ジョホールバルは、今で岡野のゴールシーンばかりが取り上げられるから、そういう試合だったと思っているものもいるのではないかと思う。が、あの試合は、カズと中山が変えられて、城が出てきたときに始まった試合といってもいいのだよ。
それがわからなければサッカー見るのなんてやめちまえ。
中田のクロスがもうこれ以上にない角度とタイミングで飛ぶ。城の打点はそんなに高くはない。首を左から右に振り切る城。
オレはいろんなところで、このことを書いてきた。そして、もう一度言う。何度でも言ってもよいと思うので、また言う。
すべての日本人は、城彰二に感謝するべきだ、と。
Japan - Iran (FIFA World Cup 98 Asia 3rd&4th Playoff) 3/4
回想する。
フランスWCのクロアチア戦。
ボクは、新宿コマ劇場前の広場にいた。
コマ劇場向かいのビルの大型モニターで試合を中継しており、そこにはこれまで見たことがないくらいに人が集まり渦を巻いていた。
すでにアルゼンチン戦での少ないチャンスをモノにすることの出来なかった城には、風当たりが強かった。
城が外すたびに、まわりからは城非難の声が飛ぶ。
笑顔でプレイする姿とガムを噛みながらプレイする姿は、わかりやすく非難の対象になったこともあるだろう。
ボクは居たたまれない思いになっていたときに、人の波にもみくちゃになりながらもボクの右隣でふんばって遥か遠くのモニターを見ていた背の低い大学生とおぼしき人間が大声をあげた。わざとまわりに聞こえるようにして。
「城、あたりに負けるな!まだいけるぞ!!」
恐らく、その男は思っていたのだろう。
「城彰二の何がおまえらにわかるというのだ」と。
帰った祖国で待ち受ける非難の声、様々な仕打ちは、これまでビッグマウスを貫いてきたこの男にどのような影を落としたことだろう。だが、彼はいつでも前を向いていた。
バジャドリッドにいくまでに、つまり98年のJリーグで彼は25
横浜には当時はアトランタ組では川口も松田もいたし安永もいた。安永を応援していた連中は、その存在のために試合に出る機会が少なくなってしまった城を今ひとつよくは思っていなかったが、自分はとてつもなく期待した。当時、アトランタでは、城はほとんど何も活躍しなかったとされていたのだ。
だから開幕戦で2得点を決めたときはうれしかった。
井原もいて、城がいて、川口がいた時代は、今となっては、ひたすら懐かしい。
さらには、サリナスがいて、三浦文丈がいて、山田がいる。小村もいたし、上野はまだ若き天才だったし、そしてさらには中村俊輔がデビューし、お笑い要員では岡山一成も平間もいた97年。振り返るとなぜこの時期、マリノスは中途半端だったんだろうか。やっぱりアスカルゴルタがいかんかったのかな・・・。Fがくっついてすさまじく戦力アップした99年も不思議かも知れないが。まあ、毎年こんなこと考えているんだけれどもな。
97年のそのチームは元スペイン代表のサリナスと城。城は開幕で2ゴールをあげた。ただし、この年は城はそれなりに活躍したものの、代表の予選が始まっており、マリノスの試合には出れなかった。
ワールドカップの最終予選の国立のウズベキスタン戦でスタメンで出てきたときには自分は心底感動した。ただし、あの試合ではひたすら外しまくっていたのだが。
ジョホールバルは、今で岡野のゴールシーンばかりが取り上げられるから、そういう試合だったと思っているものもいるのではないかと思う。が、あの試合は、カズと中山が変えられて、城が出てきたときに始まった試合といってもいいのだよ。
それがわからなければサッカー見るのなんてやめちまえ。
中田のクロスがもうこれ以上にない角度とタイミングで飛ぶ。城の打点はそんなに高くはない。首を左から右に振り切る城。
オレはいろんなところで、このことを書いてきた。そして、もう一度言う。何度でも言ってもよいと思うので、また言う。
すべての日本人は、城彰二に感謝するべきだ、と。
Japan - Iran (FIFA World Cup 98 Asia 3rd&4th Playoff) 3/4回想する。
フランスWCのクロアチア戦。
ボクは、新宿コマ劇場前の広場にいた。
コマ劇場向かいのビルの大型モニターで試合を中継しており、そこにはこれまで見たことがないくらいに人が集まり渦を巻いていた。
すでにアルゼンチン戦での少ないチャンスをモノにすることの出来なかった城には、風当たりが強かった。
城が外すたびに、まわりからは城非難の声が飛ぶ。
笑顔でプレイする姿とガムを噛みながらプレイする姿は、わかりやすく非難の対象になったこともあるだろう。
ボクは居たたまれない思いになっていたときに、人の波にもみくちゃになりながらもボクの右隣でふんばって遥か遠くのモニターを見ていた背の低い大学生とおぼしき人間が大声をあげた。わざとまわりに聞こえるようにして。
「城、あたりに負けるな!まだいけるぞ!!」
恐らく、その男は思っていたのだろう。
「城彰二の何がおまえらにわかるというのだ」と。
帰った祖国で待ち受ける非難の声、様々な仕打ちは、これまでビッグマウスを貫いてきたこの男にどのような影を落としたことだろう。だが、彼はいつでも前を向いていた。
バジャドリッドにいくまでに、つまり98年のJリーグで彼は25