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FWF -フットボールは未来の兵器である-
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2006/12/23のBlog


FWF Presents The FooTNiK トークライブ!
 『サポティスタ年間最優秀サイト公開選考会2006』 
 開催のお知らせ!!





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ネットでおなじみサッカー瞬刊誌「サポティスタ」の恒例の年間最優秀サイトを、今年も公開選考でやります、見せます、聞かせます!

ワールドカップイヤーの2006年。
今年もサッカー界は話題満載の一年!

惨敗のワールドカップ、オシム騒動、川淵代表解任騒動、浦和レッズJリーグチャンピオン、もちろん、それだけにとどまらないのもフットボール。

そのサッカーの毎日をさまざまな角度から取り扱ってきたwebサイトから、サポティスタ独自の視点で最優秀サイトをピックアップする恒例のイベントが今年もやってきた

今年はおなじみUG氏に、最強のJリーグ厨・中坊を新キャラとしてゲストに招きつつ、スペシャルゲストとして、オシム宅突撃で一躍ネットのセレブの仲間入りした元J-suppotersのKID氏、さらに川淵解任デモの全てを知る男・TEN氏をも呼び、今年のサッカーのアンダーグラウンドシーンの総括を試みます。

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◇日時:06年12月30日(土) 15:00-17:00 (door open14:30)

◇場所:British football pub “THE FooTNiK”
 東京都 渋谷区恵比寿1-11-2 アサヒビル 1F TEL: 03-5795-0144

◇料金:2,000円1ドリンク

◇出演/ゲスト:
 サポティスタ 岡田康広氏
 soccerunderground UG氏
 中坊コラム 中坊氏
 mixi日本代表コミュ管理人&元J-supporters KID氏
 ノラ犬とボク TEN氏
 
 ・・・他、強力なサプライズゲスト仕込中。

◇主催:フットニックサポティスタFWF





Football Lovers閉店以来封印していたトークライブ企画ですが、何人ものモノ好きな人達からのリクエストが集積しつつあり、ここで復活と相成りました!



年明けには、これも恒例!J’s Goal編集部によるイベントも開催予定。




イベント終了後はいつものとおり、パブでの飲み会になだれ込みますので、忘年会・新年会のかわりに利用されるのもおしゃれでしょう!!11







そんなわけで、年の瀬の忙しいところになりますが、よかったらお集まりくださいませ



イベントのみどころ・ききどころ
2006/12/16のBlog
5位決定戦に行ってまいりました。

全北現代は、あのACLを勝ち抜いてアジアチャンピオンになった連中だったが、何せ相手が相手。
期待して見ていたんだけど、まあそれなりに流して試合して、はい終了という感じでしたよ。

オークランドシティFCか。
こんな連中が出てくる大会が、「ワールドカップ」ってレベルじゃねえだろ!とも思うのだが。

オレはアジアチャンピオンにふさわしく、グラフィックデザイナーとか大工とかいる白人のチームは20-0ぐらいのボコボコにしてほしかったのだが。





しょうがないので、つかまえてインタビューしてやろうと思って、試合始まってしばらくたってから、これを探していたよw

ちなみに、一番最前列にキラキラパネルもっている連中がいて、これか!と突撃していくと、「岩本コーチありがとう!」と書いてある。
出していた女子高生10人くらいに、なんでコーチなの?と聞いたら、なんでも岩本がこのコ達にサッカー教えているんだってさ、マメだなあ~。





で、その「岩本テルの引退試合」

そもそも「5位」決定戦なんてものをやる必要があるのかどうかも不思議なんだけど、まあこれにどう考えても負けてこの試合をやることになるだろうオークランドに岩本をあてがった日テレと興行主は実に優秀だねw
といっても、会場はガラガラだったけれども。
公称2万人。
けど、子供が本当に目立ったので、タダチケを協会が相当配ったんだろう。ちなみに、自分のチケもこの協会ルートのタダチケのもらいもの。試合帰りに会った知り合い全てタダチケ。


つまんなければ、それなりに自主的努力によって楽しくしなければ国立の吹きっさらしに寒くなるばかりなので、こっちエンドで全北のコーナーキックとかPKの時に、ブーイングしまくっていたら、まわりの子供達がブーイングというものを覚えたらしくものすごいブーイングが会場中にひろがってしまって、かえってこっちがダダっぴきになってしまいますた。
すいません、全北現代のプレイヤーの皆さん、ただのネタだったんですw





さて、去年はこんなことを書いた。

もの哀しき11番 (世界クラブ選手権について)


けど、何も変わっちゃいやしねえで、またこういう試合になっている。
岩本が悪いわけでもない。問題は「クラブワールドカップ」という価値の考え方だ。


しかも、また開催国枠とか言ってやがるし

2つ目の増加枠は開催国に割り当てられる見込み。「FIFA主催の大会で開催国枠がないのは、クラブW杯だけ。今後、協議する必要がある。ただ、大会のレベルを下げないことが大事である」とリンジー事務総長は話した。

 日本協会では、08年以降の継続開催をFIFAに申し入れている。現在、全北現代―クラブ・アメリカ戦(11日、東京・国立競技場)の前売り券は約1万枚と伸び悩んでいる。「引き続き日本開催をアピールするためには観客動員がすべて。ぜひ見に来てほしい」と川淵三郎キャプテン(70)。さらに日本協会では、来年からオセアニア代表と予備予選を行う方式による開催国枠確保を求めている。




ただ客が入ればいいってもんじゃないと思うんだけど。
ACLを勝ち抜いて、はじめて世界という名前の試合に行けるのがいいのであって、「開催国枠」っていっても、日本でやることが前提になっているんなら、それは「開催国枠」でなくて「日本枠」。
いや、チケット売らんかなのための「日テレ&電通枠」だよ、それはさ。



本当にサッカー的に盛り上げたいなら答えは簡単で、クラブワールドカップを世界持ち回りでやること。日本でやる必要なんか特にない。

トヨタカップという名前で、世界のサッカーが見られるのが価値があったのは、90年代前半くらいまでの話で、いまや世界中のサッカーをポテトチップ食べながらソファーに座って24時間見られるのだから、オレ的にはもういいという感じ。
それよりも、Jリーグサポーター的には、自分のクラブチームがACLに勝ち抜いていくことを夢見て、Jリーグに通うほうが楽しいし、それが正しい姿ではないかと思う。

もし開催国枠が必要だったとしても、それは日本でやることが前提となっているならば、Jのチームを出すのは全くもってフェアではない。
世界もちまわりで、欧州でやる年もあれば南米でやる年もある、北米でも豪州でも中近東でもやる。そして、その国の開催国枠がある。それで初めてフェアになるだろう。


アメリカ人は基本的に田舎モノなので、国内リーグのチャンピオンでやるスポーツのイベントのくせに「ワールドシリーズ」とか呼んだりするわけですよ。これと、クラブワールドカップの開催国枠はなんにも関係がないわけだが、まだ視聴率とチケの販売のために開催国枠クレクレいっている連中は、周りが見えていない田舎度合いで50歩100歩のバカですね。




国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長は12日、ジュネーブで会見し、12月に日本で行われるクラブワールドカップ(CWC)について、開催国枠を設けない方針を改めて強調した。

 会長は、「日本(のクラブ)は、アジアの覇者となって初めて出場できる。追加出場を認めれば、真のクラブ大会とは言えなくなる」と述べ、6月の理事会でも結論は変えないとの考えを示した。

ソース



プラッターの言っていることは正論。つか、UEFA杯チャンピオン呼んで、欧州2国というのもなんだかな。トヨタカップからの歴史を見ても、どう考えても増やすなら南米と一緒だよな、フツー。






それでも世界のクラブチームのサッカーを目の前でみたいというのは、オレも変わらないというなら、実力でなく、岩本テルとか三浦カズのように出てくるJリーグのチームなんか出てくるのを期待してはいけませんよ。



よくさ、テレビでインチキな冒険モノあるじゃん。海外出て行って、観光とさして変わらないレベルでタレントが騒いでいるようなヤツ。
テレビのカメラの前ならなんでも安心だと思っている勘違いモノ。

あれと変わらない。テレビの前ならなんでもできるというのは、大きな間違い。岩本の痛々しいプレイを見て、国立の寒空の下、クラブワールドカップの今後について少しだけ考えてみた。
2006/12/14のBlog
戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る 斎藤 美奈子


昭和のモダンタイムスの時代から、日中戦争開戦を経て太平洋戦争に突入し敗戦するまで、「主婦の友」「婦人の友」「婦人倶楽部」の婦人雑誌に掲載されている「レシピ」を通時的に紹介した本。

この本はレシピの本である。しかし、これがまたひとつも美味しそうなレシピがないのがすごい。


もともとリッチな都会の人にむけた雑誌が、戦前の婦人雑誌なわけだが、昭和初期の農村の貧困の問題とはうらはらに、豊かで贅沢な洋食の料理などを紹介していたところから、1938年の国家総動員法のあたりから、俄然戦争モードに突入していく。


第一次世界大戦というのは、初めて国家が経済力や思想戦なども含めた総合力で戦いあったもので、戦争を目的として国家のデザインをつくりださねば勝つことができないことが明白になった戦争で、日中戦争を契機にこの統制的国家運営がスタートされはじめる。このときから、婦人雑誌の「節米」のレシピが始まる。





この本で面白かったのは、当時の日本の不思議な食糧事情だ。


例えば、日本はすでに明治30年頃から米の輸入国だったという件。
さらに昭和恐慌と厳しい小作料で農民が都市流入し、国内の米の生産が伸び悩み、このため朝鮮や台湾から米を輸入していたらしいのだ。

さらに当時の日本人は本当によく米を食べていたため(一日あたりの消費量は戦後一番食べていた頃の三倍、一日9杯から10杯のごはんを食べていた計算!)、戦争が始まって、輸送船の調達不足とコストアップで一挙に米が手に入らなくなったというわけ。

まだこの時期はいい。戦争が本格化してからは、魚粉も食う、糠は食う、茶殻も食う。徐々にサバイバルの様相となる。


おおよそ、主食でさえ輸入に頼っていた国になってしまったのは、国内経済の失敗なのだが、それを外に出てケンカ売ることで、何か解決すると思っていたのだから、この時代は本当に救われない。

威勢のいい精神論振りかざす連中に煽られて、己の姿を正確に計量できず、それでも見よう見真似で植民地をつくりに中国に攻め込み、それで収拾がつかなくなり、そして世界中から孤立して袋叩きにあった経緯は知っての通り。





・・・というところまで書いて、ふと思った。

これ、きっと北朝鮮にいる普通の連中もこの状態なんだろうなあ~と。

きっと彼らの家庭も今頃、茶殻とか虫とか糠とか魚粉とか食っているに違いない。

自分が強いと思ってキチガイみたいな精神論とイケイケと煽るバカの責任をかぶらなきゃならない食卓。これは見たことある光景ですよ。



日本人の戦後5年間の平均身長は10センチ下がり、平均体重は8キロ減ったらしい。
きっと、あの寒い国で燃料もなく食料もない今、同じようなことになっているんだろうな、と思い胸が痛む。





戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る 斎藤 美奈子
2006/12/05のBlog
[ 00:05 ] [ サッカー時評 ]
先日のフクアリの最終戦、対千葉にて、試合終了後トラブルが起きた。

この件について、深く触れようとは思わないのだが、一応流れだけ。





試合終了後、選手が退場した後に、横浜ゴール裏で選手コールが起きる。
普段だったら、選手が退場したらコールは終わる。それでもコールが続いたのは自然発生で起きたからだ。

この時の退場後のコールは、ドゥトラ以下、今期退団が決まった選手へのもの。
退団の発表があったのが、ホーム最終戦の後だったので、こういう送り出しをする時間がなかったのだ。
それならホーム最終戦の前に発表すればよいのだろうが、そういう風になってしまったのだ。みんなに愛されていたディド(GKコーチ)は、マイクを残して去るし、水沼貴志も恐らく今期限りだ。

特に外国人選手は、天皇杯が残っていても、Jリーグ最終戦が終わるとそのまま帰国するパターンだから、最後に何かをするのはここしかない。ドゥトラにはこれまであまりも恩がありすぎる。ドゥトラは、案の定、このまま天皇杯に出場せずに帰国するらしい。


水沼監督は、そのコールがグラウンドから去っても聴こえたらしく、わざわざ戻ってきて挨拶していた。



それが千葉のホーム最終戦のセレモニーに重なった。といっても、こちらはこちらでコール出ししているのでこれが聴こえない。
こっちはセレモニーやるんだから、とっとと帰れ、というブーイングが千葉側から起きて、さらにクレームを受けてきたシミスポが止めに来る。
その間に、威勢のいいのが、緩衝地帯に入ってきてペットボトルを投げ込んで、祭り開始。

まあ、どっちもどっちなんだが、こちらにはこちらの事情がある。おまえら逆だったら、そうするよ、きっと。
そして、そういうややこしいところに、アホが中身の入ったペット投げてきたものだから、それはまあ祭りにはなるわなw


ちなみに、アウェイチームは試合が終わったらとっとと帰らなければならないというルールなんてオレは知らね。どっか日本の中の外国のクラブのチームのルールでしょ、それ。最近になってフクアリに現れてきたニワカは田舎ルールがJリーグのルールと思っているようだが。







・・・と、まあ、またバカがコメント欄に殺到してきそうなことを書いているのだがw、本題はそこではない。


その乱闘が行われているなかの出来事を記したい。阿部勇樹のことだ。


セレモニーが終わって場内をまわっていたところで、阿部がわざわざアウェイ、つまり横浜側にやってきて、ゴール裏に来て、こんなことを言ったらしい。




ゴール裏とキチンと話が出来る選手は大成する。オレが見ているかぎり、これは間違いない。

たいしたもんだよ。

そういうわけで、代表の阿部勇樹はキチンと見ていこうと思う。いい選手持ったもんだ。
2006/12/04のBlog
ネーションと美学 柄谷行人
自我論集 S.フロイト
ブレア時代のイギリス 山口二郎
アナキズム読本―アナキズムとは何か? 
戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る 斉藤美奈子
チェ・ゲバラの遥かな旅 戸井十月
死なう団事件―軍国主義下のカルト教団 保阪正康
石原莞爾 その虚飾 佐高信
偽満州国論 武田徹
帝国陸軍の“改革と抵抗” 黒野耐
「ゲバラを脱神話化する」 大田昌国
チャベス―ラテンアメリカは世界を変える! ウーゴ・チャベス&アレイダ・ゲバラ
反西洋思想 I・ブルマ&A・マルガリート
二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動 高橋正衛
五衰の人―三島由紀夫私記 徳岡孝夫
三島由紀夫と楯の会事件 保阪正康
二・二六事件全検証 北博昭
三島由紀夫の二・二六事件 松本健一
甘粕大尉 角田房子
被差別の食卓 上原善広
ちょっとオフサイド 後藤健生
北一輝論 松本健一






最近は公私ともども忙しい。それでも本だけは読み続ける日々。

満員電車の中、ふと仰ぎ見てみると、みんな携帯いじっているか、音楽聴いているか、本を読んでいるか、のどれか。
きっと、電車の中を自分の部屋みたいに過ごそうというとしているんだろうな。

つか、この都心の通勤事情考えると、やっぱり東京は限界ですよ。

一番悲惨だった頃のイギリスの労働者階級や日本の女工達は、一日16時間働いていたというけれど、現代日本のサラリーマンは通勤時間あわせると、それぐらい仕事に時間とられているヤツはザラですよ。
これが豊かな国の生活というものなのか、オレはホトホト不思議ですよ。エンゲルスもびっくりだわ

そんな東京に、また利権誘致しようと石原のバカは相変わらずトンチンカンなことやって、国内の都市選考では姜尚中にろくでもないこと言っていたらしいけど、つくづくダメなヤツだと思うよな、コイツは。
金正日クラスの時代錯誤バカ

まあ、そんなわけで自分も電車に揺られながら二宮金次郎のように読書に勤しむ毎日を過ごしているワケですよ。労働者階級のヒーローになるのは大変なことですね





さて、それでは本題。

チャベス―ラテンアメリカは世界を変える!

ベネズエラ・"ボリバリアーノ"・共和国のウーゴ・チャベスが今日3選を果たしたそうだ。
南米は、これでますます社会主義政権に固められていく。
なぜ南米がこのようになっていくのか。そして、普通選挙にて選ばれて「反米」の「社会主義者」であるチャベスが、どのような人物なのか、それは非常に興味深いことであり、そして、ベネズエラをはじめとする南米の社会情勢を見れば如何に当たり前のことかがわかるのが、この本。
ちなみに、この本はインタビュー集なのだが、インタビュアは、アルネスト・チェ・ゲバラの娘。
ゲバラの意味を現在に確認するなら、まずはチャベスからなのではないか。
チャベスについても、また後にまとめて。







ネーションと美学は、 トランスクリティーク -カントとマルクス-「以後」の柄谷行人のナショナリズム論をまとめた選集のひとつ。柄谷行人は、自分の過去の論文をあえて書き直していくのだが、この選集においては、トランスクリティークから派生するナショナリズム論をまとめたもの。
ネーションが「美」として成立しているものであること、だからナショナリズム論は美学として論じられなければならない・・・という趣旨なのだが、これがまた面白い。
この書についてはまたまとめて書こうと思っている。



自我論集は、「快感原則の彼岸」の超自我論と、カントの「世界共和国」=永遠平和を横断的に論じたもの。カントの言う「世界平和」は、決して理性や道徳ではなく、むしろ人間の死の欲動や攻撃性から転じて現れると柄谷はいう。
つか、フロイト久々に原典読んだ。




帝国陸軍の“改革と抵抗”は、日本陸軍のいわば国防思想の変遷を3人の人間(桂太郎・宇垣一成・石原莞爾)の「改革」から論じようとした本なのだが、なんだか知らないけど、この「改革」とやらを、小泉「改革」とムキになって重ね合わせようとして無理のある本だった。最近の新書ブームとやらで、こういうロクでもない本増えているのだろうか。

ただし、日本の国防思想の変転をすっきり3人の軸にまとめているところはわかりやすくはある。

すなわち、

(1)主権線論(専守防衛)から利益線論(外国への派兵による積極的防衛)への変転
(2)第一次大戦以後の経済をも統制する国家総力戦体制への変転
(3)対米戦争への体制のシフト


このへんは、コレと一緒に読むとわかりやすいかもしれない。


ただし、これらは特に思想的にすみやかにこのような思想がとられてきたかというと、決してそうではなく、基本的には人事抗争と派閥争いが、これらの方向性を決着づけてきたというところも多々ある。基本的に、日本はいつでもこうだ。

ニ・ニ六事件も、基本的には単なる陸軍内の派閥抗争とみなしてしまっても無理はないくらいだ。これに過剰な思い入れをこめて「美」を見いだし、ナショナリズムの美学装置とした三島はあまりにも無理がありすぎる。


二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動二・二六事件全検証を見ても、単なる皇道派と統制派の派閥抗争とくくられてしまっても無理はないのである。
そもそも思想的に決起将校のバックグラウンドになったという北一輝の思想のどこに、三島が考えていたような御伽噺のような天皇の姿があるというのか。
ちなみに、三島は北の思想に対してある種の嫌悪を示していたということが三島由紀夫の二・二六事件には記されている。そりゃそうだろうなあ。


しかし、この史実を見る奇妙な遠近感こそ、実は三島の倒錯の秘密があると思うのだが。

このへんもまた時間みつけてまとめて書こうと思う。

 

甘粕大尉
これは名作。大正からの敗戦までの日本史の裏側を奇妙に栄光と恥辱にまみれて生きてきた男の記録。読むべしの一冊。





そんなわけで、三島から始まり、昭和史のあたりをずっとこの期間うろついていたわけでしたとさ。



2006/12/01のBlog
[ 00:29 ] [ FWF ゴールドディスク ]
Beggars Banquet The Rolling Stones




新約聖書の放蕩息子のエピソードはこんな話である。



ある人に二人の息子がいた。
そのうちの年下のほうが父親に言った
『お父さん,財産のうちわたしの取り分を下さい』
父親は自分の資産を二人に分けてやった。

何日もしないうちに,年下の息子はすべてを取りまとめて遠い地方に旅立った。彼はそこで羽目を外した生活をして自分の財産を浪費した。
すべてを使い果たした時,その地方にひどいききんが起こって,彼は困窮し始めた。

彼はその地方の住民たちの一人のところに行って身を寄せたが,その人は彼を自分の畑に送って豚の世話をさせた。 彼は,豚たちの食べている豆のさやで腹を満たしたいと思ったが,彼に何かをくれる者はいなかった。

だが,我に返った時,彼は言った,『父のところでは,あれほど大勢の雇い人たちにあり余るほどのパンがあるのに,わたしは飢えて死にそうだ!立ち上がって,父のところに行き,こう言おう
「お父さん,わたしは天に対しても,あなたの前でも罪を犯しました。 15:19 わたしはもはやあなたの息子と呼ばれるには値しません。あなたの雇い人の一人のようにしてください」』

彼は立って,自分の父親のところに帰って来た。だが,彼がまだ遠くにいる間に,彼の父親は彼を見て,哀れみに動かされ,走り寄って,その首を抱き,彼に口づけした。
息子は父親に言った,『お父さん,わたしは天に対しても,あなたの前でも罪を犯しました。わたしはもはやあなたの息子と呼ばれるには値しません』。

だが,父親は召使いたちに言った,『最上の衣を持って来て,彼に着せなさい。手に指輪をはめ,足に履物をはかせなさい。 肥えた子牛を連れて来て,それをほふりなさい。そして,食べて,お祝いをしよう。 このわたしの息子が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのに,見つかったのだ』
彼らは祝い始めた。

さて,年上の息子は畑にいた。家のそばに来ると,音楽や踊りの音が聞こえた。 召使いたちの一人を呼び寄せ,どうしたのかと尋ねた。 召使いは彼に言った
『あなたの弟さんが来られたのです。それで,あなたのお父様は,弟さんを無事に健康な姿で迎えたというので,肥えた子牛をほふられたのです』
ところが,彼は腹を立て,中に入ろうとしなかった。そのため,彼の父親が出て来て,彼に懇願した。 だが,彼は父親に答えた
『ご覧なさい,わたしはこれほど長い年月あなたに仕えてきて,一度もあなたのおきてに背いたことはありません。それでも,わたしには,わたしの友人たちと一緒に祝うために,ヤギ一匹さえ下さったことがありません。それなのに,あなたの財産を売春婦たちと一緒に食いつぶした,このあなたの息子がやって来ると,あなたは彼のために肥えた子牛をほふられました』

父親は彼に言った
『息子よ,お前はいつもわたしと一緒にいるし,わたしのものは全部お前のものだ。 だが,このことは祝って喜ぶのにふさわしい。このお前の弟が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのに,見つかったのだ』

ルカによる福音書 (電網聖書 - Public Domainより)





このエピソードをそのまま歌った曲がある。

それがRolling Stonesの"Prodigal Son(放蕩息子)"だ。
もともとは、

その「放蕩息子」が入っている"Beggars Banquet(浮浪者の晩餐)"は、自分が一番好きなローリング・ストーンズのアルバムだ。
ストーンズは時代によって、自分の評価の中では浮き沈みが激しい。だから無条件に推せるのは、ただ、この一枚、強いて言えばもう位一枚"レット・イット・ブリード"だけが好きなアルバムだ。後はなんとなくダメなのだ。

このアルバムのほかと違っているところは、キース・リチャーズが彼にしか弾けないようなキレキレのソロを聞かせるダンサブルな「悪魔を憐れむ歌」のようなシングル向けの曲ではなく、これらのヒットチャート向けのものをサンドウィッチするように収録されているアコースティックのブルースやゴスペルナンバーの数々である。

ブライアン・ジョーンズのボトルネック奏法のスライドギターをたっぷりフューチャーした「No Expectation」を皮切りに、全編を貫くのはアコースティックなブルーズのフレーズで、それがまた素晴らしい。




そのブライアン・ジョーンズといえば、「ブライアン・ジョーンズ/ストーンズから消えた男」なんて映画もあった。
やたらめったら綺麗な女のコと少女漫画チックに美形になったストーンズのメンバー含めて、やたらにおしゃれな60年代のファッションが印象的な映画だった。
ほとんど主人公といってよいはずの建築業者の男の心理描写がコアになるはずのストーリー仕立てそのものは、どうしたものかと思うものだったのだが。

ただし、ブライアンを演じる、映画『フーリガン』で凶暴ながらナイーブなウエスト・ハムの裏切り者となるサポーターを演じていたレオ・グレゴリーが、ラスト・シーンで言い残す一言だけは忘れられない。
曰く、「幸せというのは退屈なものだよ」



ブライアン・ジョーンズは、事実上初期ストーンズのリーダーであり、そしてプロデューサーでもあった。当時の最新の流行であったR&Bをキース・リチャーズとミック・ジャガーに教え込んだのも彼だったし、ファッションイメージやあの「不良性」といったものを演出して最初に彼らにコーディネートしたのも、恐らくブライアン・ジョーンズのはずだ。

だが、破滅型の彼は、グループが音楽的に成功するにつれて、素行の悪さを丸出しにしてしまう。ここでは楽器が巧いというようなことを書いてあるのだが、ハーモニカはともかくとして、ギターもシタールもマリンバも特に上手というわけではない。どちらかというとヘタウマの良さがよいのであって、しかしそれは技巧とは関係ない。



この「放蕩息子」というブルーズの名曲をこのアルバムでカバーするのを考えたのは誰なんだろう、と考える。「もうオレにはここに戻ってくることはないだろう」とつぶやく"No Expectation"も。あまりも出来すぎている。

聖書の放蕩息子の話に戻ってみよう。
反体制の皮肉屋であるイエスという男は、棘のある言葉をところどころに散りばめて説教していた。放蕩息子の譬えもそのように読める

しかし、ブライアン・ジョーンズという放蕩息子は、ストーンズの兄弟から放逐されてしまったまま帰ることはなかった。"Beggars Banquet"が、ブライアン・ジョーンズがメンバーとして参加した、ほとんど最後のアルバムになっているのは本当に皮肉である。


そして、ブライアン・ジョーンズの物語は、いつも虚飾にまみれて過大評価されているのも事実である。
だから、その伝説を何か妄信的に愛する人に、いつも自分は複雑な思いをする。何か、その放逐になんとなく加担するような人が、むしろその物語を賞賛するような気がするからだ。これは単なる勘繰りだろうか。この放蕩息子はいまだ家に帰れていない。




Beggars Banquet The Rolling Stones



FWFゴールドディスク
〔MGD001〕"Live at Birdland" John Coltrane 
〔MGD002〕"ギル・エヴァンスの個性と発展" Gil Evans
〔MGD003〕"Who is this bitch, anyway?" Marlena Shaw
〔MGD004〕"太陽と戦慄" King Crimson
〔MGD005〕"Second Edition (Metal Box)" Public Image limited
〔MGD006〕 "Hallucination Engine" Material
〔MGD007〕"On Love" David T. Walker
〔MGD008〕"Beggars Banquet" The Rolling Stones
〔MGD009〕"稲村ジェーン" サザンオールスターズ
〔MGD010〕"Chapter one:Latin America" Gato Barbieri
〔MGD011〕"New Glass" Albert Ayler
〔MGD012〕"Somewhere before" Keith Jarrett Trio

無人島レコード

2006/11/30のBlog
桜の森の満開の下』 坂口安吾


坂口安吾の生誕百周年ということで、坂口安吾映画祭というのがやっているので行ってみた。
レイトショーの企画で、しかも平日の夜だから、こじんまりとしたものだった。
席数100ぐらいの単館専門の映画館は、それでも半分くらいは埋まっていたか。



映画「桜の森の満開の下」は、1975年の作品。ほぼ原作に忠実につくられており、監督の篠田正浩と共同脚本になっている富岡多恵子は実にラクな仕事だったに違いない。

本当のところ、自分は小説の映画化にはいつもげんなりして帰ってきてしまう体験ばかりなので、本当だったら、安吾が好きとはいえ、きっと見に行かなかっただろう。それでも行ったのは、残忍でわがままで、しかし美しく、時に茶目っ気さえ感じられる盗賊の「女房」の自分の中のイメージが、岩下志麻とピッタリと合致したからである。

そして、予想通り、岩下志麻が妖気と少女的な可愛らしさを同時に醸し出していて、それが素晴らしい。ちなみに監督の篠田は、岩下とこの作品の後に結婚している。

ゴロゴロと転がる生首とか、殺陣のシーンはツライものがあるのだが、自分には十分に楽しめた。そもそもこういうシーンはヤバイだろうな、と考えて、あまり期待してなかったということもあるのですが。




帰り道、渋谷の坂を下りながら、その岩下志麻の美しかったことや、しりきれトンボに見えるラストシーンのことなどを考えていた。そして、この「桜の森の・・」に想いがおよぶと、どうしても思い出す自分の思い出など。

坂口安吾の作品には、絶対的な片思いであり、恋にならずにいながらそれに翻弄される孤独な男の話がいつも出てくる。

「桜の森の・・・」もそういう話なのだが、それでは、その悲恋とは何を意味しているのか。



---------------------------



小説は次のように始まる。

(以下、テキストは、すべてインターネットの図書館、青空文庫より。ここは版権の切れた文学作品をすべて掲載しているサイトです。こういうの増えてくれるととてもうれしい。「桜の森の満開の下」はここで全文読めます。)



桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子(だんご)をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩(けんか)して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足(だそく))という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。



桜のような絶対的な「美」をもてはやす人々は、実はその「美」の起源を忘れてしまっている。
そのような桜の花の下が顕す「美」とは、生きるということの途方もない絶望や孤独そのものが、その正体なのである。そして、それに人は本来耐えられない。

公明正大な自然の作り出す美が、桜の森に象徴されているとしたら、今度は女(盗賊の「女房」)がつむぎ出す美は、それとはかなり違ったものだ。

女は櫛(くし)だの笄(こうがい)だの簪(かんざし)だの紅(べに)だのを大事にしました。彼が泥の手や山の獣の血にぬれた手でかすかに着物にふれただけでも女は彼を叱りました。まるで着物が女のいのちであるように、そしてそれをまもることが自