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FWF -フットボールは未来の兵器である-
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2007/10/19のBlog
このエントリー久々。

前回のが去年の11月までだったので、完全に一年ぶり。 この一年で、自分の読書体験に関わる最大の出来事は、かなり巨大な本棚がひとつ壊れたこと。スライドのところが壊れました。たぶんでかい地震一発で崩壊するでしょう。
安い本棚はダメだ。


まとめて全部一年分の記録を書こうとして、ひとつひとつアフィのリンクをつけていったら、ドブログくんに「コメントが長すぎます!」と怒られましたので、以下、一年間をいくつかにわけて。




世界を不幸にしたグローバリズムの正体 ジョセフ・E・スティグリッツ 
闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン  廣瀬 純 
WTO―世界貿易のゆくえと日本の選択 村上直久
ルーカス帝国の興亡 ゲリー・ジェンキンズ
昭和天皇独白録 寺崎英成
昭和天皇伝説―たった一人のたたかい  松本健一 
レイテ戦記(上中下) 大岡昇平
昭和経済史
美は乱調にあり 瀬戸内晴美
キメラ―満洲国の肖像 山室信一 





「闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン」

ラテンアメリカの政治的なさまざまな動きをキャッチアップするのに大変勉強になった。

新自由主義経済に翻弄されつつ、新しい社会主義的な試みを重ねるラテンアメリカの政治的な流れの下には、旧来の国家主権による富の再配分というこれまでとは変わらぬスタイルの権力システムの確立という罠が潜んでいること。オルターネイティブな選択は、そことバランスをとりながらも、ひとりひとりが「自立(オートノミア)」して、政治を政治家から取り戻さねばならない。だから、ドゥルーズの言葉を思い出そう、
「人々が望みえるのは、せいぜい、いくつかの左翼的な要求や抗議に対して好意的な政権というものであって、左翼政権なんてものはないんだ。そんなものは存在しない。左翼っていうものは政権とは何の関係もないものなんだから。」

この書については、チャベスについてのエントリーで後から触れていく。




昭和天皇独白録 寺崎英成
昭和天皇伝説―たった一人のたたかい 松本健一

明治からの天皇制は、天皇が政治的な「決定者」であるのかを巡って左右に振れる。それは、天皇機関説の不敬を声高く唱えるものが、もっとも天皇を意思なき存在として神格化の中に閉じ込め、天皇機関説を信奉しすぎたものは今度は天皇の声により討伐の対象となる。
北一輝や三島由紀夫の天皇像と、さらには歴史の中を脈々と流れる天皇家の認識をもち、クーデターや裕仁天皇自身の「天皇像」。3つが入り乱れて、隠された構造があぶりだされる。松本健一は、それをいつも「おそろしいこと」として受け取る。
物語を受け取りながら、天皇制の意味がさまざまな角度を検証する試みである。




レイテ戦記(上中下) 大岡昇平

これについては、コチラにて。



キメラ―満洲国の肖像 山室信一

満州国について知るならこの一冊。

民族協和・安居楽業・王道楽土という理想国家を目指したとされる満州国は、その実際のところ、民族差別・強制収奪・兵営国家が正体に過ぎなかった。

経済的な利害関係と中国ナショナリズムの嵐に吹きまくられて、「満州は漢民族のものではない」という口実を嘯きながら、ほとんど中国人と同化してしまった「満州民族」を最後まであてにすることはなく、結局は漢民族が大多数となる複合民族の国家の体裁を作らざるを得なかった。(たとえば、北海道はもともと日本民族のものではない!と戦後のどさくさにソ連が北海道を占領して独立するようなものだよね)


つづく
2007/10/10のBlog
[ 00:55 ] [ なんとなく社会時評 ]
オレは決してゲバラ厨ではないのであるが、ひとつだけ。

以下の記事にはエピソードの前段と後段が省略されている件。



ゲバラ:被爆地・広島を夜行列車でゲリラ的訪問 訪日時

キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが訪日団の団長として59年に来日し、広島をゲリラ的に訪問した際、副団長と2人で大阪から夜行列車に飛び乗ったことが9日、分かった。副団長だったオマル・フェルナンデスさん(76)が明らかにした。フェルナンデスさんは「チェは被爆地・広島訪問を熱望し、私と2人で大阪のホテルをこっそり抜け出し、夜行列車で広島に行ったんだ」と振り返った。

 ゲバラは59年1月の革命後、同年6月から3カ月間、アジア・アフリカを歴訪した。訪日団長が当時31歳のゲバラで、副団長を2歳年下のフェルナンデスさんが務めた。7月中旬に来日、10日間滞在し、自動車工場などを視察した。

 フェルナンデスさんによると、アルゼンチン出身の医師であるゲバラは、予定になかった広島の被爆地訪問を強く希望したが、日本政府の許可が出なかったという。業を煮やしたゲバラは大阪のホテルに滞在中、「ホテルを抜け出して広島に行くぞ」と決断。オリーブグリーンの軍服姿で大阪駅で切符を買い2人で夜行列車に飛び乗った。

 「被爆者が入院する病院など広島のさまざまな場所を案内され、私同様、チェも本当にショックを受けていた」とフェルナンデスさん。帰国報告の際にゲバラは、フィデル・カストロ国家評議会議長(当時は首相)に「日本に行く機会があれば、必ず広島に行くべきだよ」と強く勧めたという。カストロ議長は03年3月に広島を訪問。フェルナンデスさんは「フィデルはチェとの約束を守ってくれた」と感激した。

 フェルナンデスさんがゲバラに初めて会ったのは59年1月の革命直後。「外国人としてキューバ革命に参加したチェを私は知り合う前から尊敬していた」と話す。ゲバラが工業相を務めたときには、フェルナンデスさんが副工業相の一人に任命されるなど信頼を得た。しかし、ゲバラが39歳で命を落としたボリビアでのゲリラ闘争には誘われなかった。「一緒にボリビアに行けなかったのが少し悔しい」。フェルナンデスさんは寂しそうな顔をした。





チェ・ゲバラが来日したのは1959年で、革命成立後。キューバ通商使節団として来日したのは、苦境に陥っていたキューバの経済のために移動大使として、日本政府やトヨタやソニーなどの大手企業を訪れキューバとの貿易や投資を求めにきたのだった。

その後に工業相になったゲバラだったが、どちらかというと経済政策やらが必ずしも得意ではなかったようで、いつも工場にいっては、そんなことをやる立場でもないのに、サトウキビ畑でトラクターを自分で運転したり、自ら砂糖袋を担いだりした。


そんなゲバラらしい広島行きだが、次の省略されたエピソードはさらにゲバラらしい。



来日したゲバラは、大使館スタッフから、東京で無名兵士の墓の詣でる予定が決まっていることを告げられる。「しかし、日本の無名兵士とはアジアで多数の人々を殺した兵士のことではないか。そんなとこへ行くわけにはいかない」とゲバラは拒否し、逆に、予定にはなかった広島行きを実現させた。「米国にこんな目にあっておきながら、あなたたちはなお米国の言いなりになるのか」と、ゲバラは案内役の日本人に尋ねたという。

ゲバラを脱神話化する


無名兵士の墓とはあそこのことなんだろうなあ。。。




"GUERRILLERO HEROICO(ゲリラの英雄) "と名づけられたチェ・ゲバラの、あの有名な肖像は、イタリア人が最初にポスターとして出版したものだ。
ネガをもつ写真家は、この肖像からお金を取るつもりはないとのことである。彼の意思を継ぎ、平和目的に使うものであれば、との条件つきである。

ゲバラのイコンが溢れる日本で、彼の革命の夢はどのように理解されるべきなのか?




エピソードのゲバラの来日の翌年、アメリカによる経済封鎖が始まり、そして続いてキューバ危機。アメリカとのチキンレースに勝ち残った後、今度はゲバラはソ連の「社会主義国による帝国主義の共犯行為」をアルジェリアにて批判。
それをきっかけにカストロと袂を分かち、そしてコンゴへ、さらにボリビアへと旅立つ。











ちなみに、チェは日本についてキューバと比較して次のように言っていたことを最後に追記。

「日本人と同じように、われわれもほとんど何ももっていない。石油もない。あっとしてもほんのわずかだ。鉄鋼も石炭も産出しない。日本には米があり、キューバにはサトウキビがある。しかし日本人はわれわれがサトウキビから得られるものよりたくさんのものを米から得ている。国を発展させるために、我々はもっと頭を使わなければならない。」

チェ・ゲバラ -革命を生きる-
2007/09/29のBlog
[ 04:46 ] [ FWF ゴールドディスク ]
"New Glass" Albert Ayler








数年前にタマちゃんとかいうアザラシが世の中の話題に上っていたときがあった。


そのアザラシは東京湾の至るところに姿を現した。しかも、どういうわけか鶴見川とか帷子川とか決してきれいとはいえないばかりか、人間だって大腸菌を恐れて手にさわるようなことはないだろうところばかりにひょっこりと顔を現す。

そのうちのひとつ大岡川の一帯は、実はゲットー的な淫猥さをもつ地域であり、水商売と風俗の日本人と浮浪者やらタイ人やコロンビアから来たビヤッチや近くのコリアンが入り乱れているような場所でもある。

そんなところに現れたアザラシというのも、それだけでシュールなカンジもするのだが、それでも物珍しさと一種独特な哀れさが話題になり、ひとときはずいぶん「人気」があったものだ。

人気に便乗したバカな役人が、住民票をこの動物に与えたりもしていた。けれど、そのニュースが伝わるやいなや、住民票請求の運動を行っている在日外国人の連中が「アザラシに住民票やるって、おれらはアザラシ以下かよ!」と反応していたのは、これまたひたすらマンガのように不条理な光景でもあった。
コリアンをはじめとする在日外国人登録者数が抜群に多い地域でそれやっちゃ、そりゃ、あんた場所が悪いよとしかいいようもないだろう。



その頃自分は、その川のほとりのマンションに住んでいた。
春になると、桜の並木が満開の花をつけて川沿いに咲く。満開の桜の並木はそれは見事なものだ。黒い川の水の上に桜の花びらがいくつも散って、ゆっくりとゆっくりと桜木町のほうへと動いていく。そんな光景がたまらなく好きだった。


毎日毎日そのアザラシが現れるポイントには、黒山の人だかりで、例のタマちゃんを思う会・・・だったっけ・・・・やらが、いつ何時何があってもこのかわいい動物を守る!というような表情で定期的に川をチェックしていたそうだ。

子供づれやら、ヒマなおばさん連中から
「こんな汚いところにいて可哀想ねー」
などと話すのが聞こえる。
けれど、その川沿いには、浮浪者がテントをつくって生活していた。
浮浪者は、もっと悲惨で汚い生活をしてるのだが、こちらの方は自業自得ということなのだろうか。



たまたま横浜で飲んでいて、朝方にちょっと思いついてこのへんを歩いてみることにした。

カラスがゴミをつつき、浮浪者は上ってきた太陽の光に照らされながら川沿いにいつものように転がっている。新聞紙にくるまった背中がやたら大きく見えるのは、何故だか不思議なものだ。
勤めの終わったタイ人や、夜中とはまるで違う顔をしているマッサージを売る中国人の女のコとすれ違い、帰り支度のGジャンに着替えたグラマラスなコロンビアのビヤッチが大声で笑うのが路地から聞こえる。


当時だったら人気があったジャニーズJrかモーニング娘の新メンバーのように、親心をくすぐり、世の関心を集める人気者のあざらしが、こんな町に来たというのはどういうめぐり合わせか?

そんな皮肉に思いを巡らし、水面を汚れた手すり越しに除いてみると、カラスが川岸のゴミをつついているのが見えた。

マッサージの中国人の女のコや浮浪者やタイ食料品店のあんちゃんやガード下の赤線のフィリピン人や用心棒の小僧や伊勢佐木モールのホストやそれをおっかけてる中学生の不良娘や日雇いのおっさんや在日のヤクザや立ちんぼのおばさんやらは皆、アザラシと同じに、あそこになんとなく迷い込んだのだろう。もちろん彼らは、アザラシ以上にもっとうまく立ち回らなければならない。


カラスが加えているのは小さな魚に見えた。

あれが、タマちゃんとかいうアザラシに与えられたエサだったら愉快だな、と思ったそのの瞬間、不法投棄されたボートの向こうでボラが一匹水面から跳ねた。












夜と昼がいくつも通り過ぎていく
いくつも通り過ぎていくけれど
愛は決して変わることはない

夜と昼がいくつも通り過ぎていくけれど
愛はいつでも勝つ

New Ghosts(新しい聖霊)




アルバート・アイラーのNew Glassは、1968年の作品。

コルトレーンをも驚嘆させたというバリバリのフリージャズのテナー奏者であったが、この人の音楽が特殊だったのは、まるで失語症患者の頭蓋の中でうごめく潜在意識のようなフリージャズの迫力とはひとつ隔てたところで、いつでも「愛」を語っていたところだ。
つまり、フリーなのに否定ではない。あれだれのブローイングなのに、旋律はいつでも悲しく、そしてフォークロアのような残酷の中に優しさがあり、アルバムを聴き終えてみれば、その結論は「肯定」だ。


ゴースト」という曲については一度書いた。

このアルバムは、当時の用語で「電化」といわれたエレクトリックの楽器を導入してR&B風味に仕立てたものだ。よって、ジャズ的にはあくまでも外道なものなのだけれども、自分はとても好きな一枚だ。



アイラーは1970年、ニューヨークのイースト・リバーで水死体となって発見された。死因はわからない。

ニューヨークはしばらくいたことがある街で、イースト・リバーが河というより大きすぎる運河みたいなところだし、流れる水はこんな都会なのに冷たく透明なのは後から知った。

それを知るまで、きっと大岡川みたいなところでアイラーは浮かんでいたのではないかと思っていた。





結局、あの迷い込んだアザラシはどこに行ったのだろう、と今思う。








FWFゴールドディスク
〔MGD001〕"Live at Birdland" John Coltrane 
〔MGD002〕"ギル・エヴァンスの個性と発展" Gil Evans
〔MGD003〕"Who is this bitch, anyway?" Marlena Shaw
〔MGD004〕"太陽と戦慄" King Crimson
〔MGD005〕"Second Edition (Metal Box)" Public Image limited
〔MGD006〕 "Hallucination Engine" Material
〔MGD007〕"On Love" David T. Walker
〔MGD008〕"Beggars Banquet" The Rolling Stones
〔MGD009〕"稲村ジェーン" サザンオールスターズ
〔MGD010〕"Chapter one:Latin America" Gato Barbieri
〔MGD011〕"New Glass" Albert Ayler
〔MGD012〕"Somewhere before" Keith Jarrett Trio

無人島レコード
2007/09/21のBlog
[ 05:54 ] [ サポーターとはなんじゃらほい ]
以前、こんな文章を書いた。

『それってプレミアっぽくていいね!』 応援カルチャーの歴史の断絶について


これについて言いたかったことは3点。

ひとつは、アルゼンチン・スタイルの(これってなんか「アルゼンチン式バックブリーカー」みたいだね)応援は、「イングランドスタイル」と言っている応援方法のアンチとして日本のオーウェンカルチャーの中で形成されたこと。よって、歴史が捩れていることに批判者は自覚ねーんじゃね?ということ。


もうひとつ。とはいうものの、選手が実際にオーウェンされていると自覚されてないならオーウェンじゃないのは間違いない。これには考える余地は十分ある。


そして最期に、しかしそれは、いわゆるコアのコールリーダーに何もかもまかせきっている批評者はその問題点に対して何を現実としてやっているの?ということ。




ようするに、現状どうなのよ?という疑問が、それを解決する方向で個人個人の具体的な行動として現れないかぎり、結局はモードが流行のタームで繰り返されるだけじゃね?ってことです。








で、どうやらそんな文章・・・つーか、このブログの他の記事も含めて、いろいろと読んで頂いたらしく、サッカー批評の最新刊36号で、佐山一郎という人が、「応援論序説」って記事を書いている。


詳しくは読んでみてほしいのだが、ご丁寧にも書いた内容を検証して頂いたようで、わざわざ選手アンケートとインタビューでオーウェンについてどう認識しているかリサーチしてもらったり、ホルヘ三村氏(Respect!)の談話までとって、じゃあ実際ボカの「歌いっぱなし」具合ってどうなのかみたいな話まで出ている。


「応援についてネットでは侃々諤々の・・・」とか「それなりの理論武装」みたいな表現もあって、それなり程度の乱筆乱文垂れ流しているオレ様と致しましては、本来であれば、『それなりのブログの紹介はしてくれなかったけど取り上げてくれてありがとうございます(´Д`;)』ぐらいのそれなりの低姿勢であるのがよいのだろうけど、どうにもこうにもその「応援論序説」の認識が納得いかず、それなりのヴェローチェで190円のそれなりのアイスコーヒー飲みながらサッカー批評読んで憤然としていたのはそれなりの事実だ。




何が気に食わなかったかといえば、自分の文脈そのままもっていって裏をとるみたいなところではない。その結論である。



これを書いている今、手元に肝心の雑誌がないので引用できないのだけれど、結論は要するにこんなところ。



ホルヘ氏のコメントを紹介し、「展開にあわせてウィットと試合展開にあわせたコールが効果的なのではないか?」

さらにこちらもホルヘ氏のコメントを借りて、「日本のコールリーダーにキチンと仕切られているスタイルはそれが可能なはず」

で、最期にひとこと。監督が外国人の日本のサッカーと同じく、まだまだ海外に学ぶ必要があるんじゃね?



まずはこの3番目がまずは気に入らない。




以前にも紹介した日本サッカー狂会(日本サッカー狂会編)には、その創成期、つまり日本サッカーの応援スタイルの黎明期の中で、応援方法そのものよりも悩みだったのが次のようなものだったことが書かれている。




「だが、問題は山積している。応援方式のバリエーションとか応援歌などの問題以前に、サポーターとしてのこころ、情熱、さらには熱狂性という基本姿勢のことがあるように思われるのだが、ここで突きあたるかべが"ニッポン人"である。このかべこそイタリア、ブラジルなどにも匹敵する大変な強敵であり難物といえるのではないか」
日本サッカー狂会(日本サッカー狂会編)P17


この文章は1983年に60年代から20年の歴史を振り返って書かれている。決して現在書き起こされたものではない。まあ、ようするにあんまり変わってないということだね~。
「日本にはなぜストライカーが育たないのか?」と戦前からある一時期を除いてずっと嘆かれてきたのとおんなじ文脈でしょ、これは。



ちょっと話は違うが、書籍「日本サッカー狂会」は一級の資料価値のある貴重な書籍であるけれども、自分には読後に何か納得いかないものが残った。
自分がこの本で読みたかったこと、そして書記されなければならかったことは、あくまでもオーウェンの話である。それも、日本サッカー狂会が、百科全書派になる以前、シーンを鮮明に語れる時代の話のみ。ウルトラスの歴史は重要であり、それを継承するものだったかも知れないが、それはこの本で全編の1/3を占めるものでもないだろう。さらには申し訳ないのですが、さらには後藤健生のサッカー旅自慢のウンチクはもう秋田し

自分の知っているかぎりでも狂会はこんなもんじゃなかったはすである。
ちなみに、いつだったかエルゴラの対談で、武藤さんに話を聞く機会があったのだけれども、「横山ヤメロ」ダンマクを世界中にアピールするために、トヨタカップでダンマク出したといわれたので、それでは負けるわけにはいかないだろう、と「川淵ヤメロ」ダンマクをクラブ・ワールドカップで出しにいったよな

たぶん、それなりの事情もあるのだろうけれども、現地で応援するのが会の目的だ、と会員を煽っている記録がいくつも出てくるのに、こうなったのは事情もあるのかも知れないとはいえ、ちょっと残念である。もちろん、この本の価値を落とすものではないにしろ。おかげで、自分は日本サッカー狂会の会報そのものが全部チェックしてみたくなった。






話を戻そう。

「ニッポン人」という壁をどうやって乗り越えるか、そのために何を引き寄せて、何を選択したのか。それはゴール裏にいるものなら、皆、その苦闘を理解しているのですぐにピンとくるだろう。それは、「海外に学べ」などという安直な結論は役に立たない。
もちろんスタイルは学ぶことはできるだろう。けれど、問題はそこにはない。
そして一番問題なのは、したり顔で「海外に学べ」などという結論でわかったようになって、バックスタンドやメインで応援の批評をしている人をどのように巻き込むか、どのように「サポーターとしてのこころ、情熱、さらには熱狂性という基本姿勢」を伝えていくのかということにある。

それがわからないならば、それは単にファッション評論である。ピーコのファッションチェックくらいの意味合いしかもたらさない。





もうひとつ。書いているスタンスのこと。


レヴィ・ストロースというえらいひとをはじめとする文化人類学者は、「フィールド・ワーク」を重視する。
その文化や民族を理解するということは、書籍をカットアンドペーストしたり、ちょっと現地人にインタビューしたりしたり、手に入るところで資料収集することにとどまってもしようがない、その民族や文化を研究することはが訓古学や解釈学であってはいけない、という基本的な姿勢がある。
「揺り椅子の人類学者」ではなく「野を駆ける人類学者」のスタンスは、様々な「発見」をもたらした。それが現在の文化人類学や民俗学のジャイアント・ステップだった。


オーウェンってものは、文化人類学であり、記号論であり、物語論であり、もしかすると科学的管理法かもしれないし、モチベーションマネジメントかもしれないし、ホーソン工場の実験から考えるべきなのかも知れない。まあこんなのはどうでもいいけど。

ティム・パークスは真摯なるかな。「ようやく本物の旅行記を書く」といって、ヴェローナFCのクルバスッドにフィールドワークしていった彼には、次のことがわかっていた。

「サッカースタジアムは、巨大な建造物の中で裏表が逆になっている数少ない建物のひとつである。楕円形の競技場は世界を排除し、その神秘を秘伝を授けられた者たちにしか明かさない。テレビでさえ、それを犯すことはできない。とらえ始めることさえできない」
ティム・パークス「狂熱のシーズン」



日本的な無私の片思いを標榜する「応援団」に入り込んだ人には、次のような哲学を彼らに見つける。
「応援する人間は、応援される人間より強くなければならない」
「より努力する人間こそ、人に対してがんばれ、といえる」
東京大学応援部物語



ついでに書かんでもいいノウガキ。
文化人類学では「刺激伝播」という考え方がある。それは「特別な伝播のプロセスだ。輸入された習俗は、そこでは、すぐに同化されてしまうのではなく、むしろ触媒としての役割を演ずる。つまり、ある習俗が輸入されるとき、それに隣接している環境の中で、潜在的な状態で眠っていた、それとよく似た習俗の出現を引き起こしてくる。」(「サンタクロースの秘密」レヴィ・ストロース/中沢新一)

果たして、ボカスタイル、アルゼンチンスタイルの応援が、何を刺激して何を呼び起こしているのか。それも大変興味深いし、それだけで面白い分析になりそうだ。オレはめんどくさいから書く気はないけど





ようするに、「応援論序説」なんてタイトルならば、もう少しいろいろはいっていっていいのではなかろうか、と。それはそれで面白いものになるのではなかろうか。
このパターンだと、たぶん次があるのなら、なんだかインタビューとか文献出典とか、もうよめそうな感じww





そんなわけで、長々と書きましたが、実を言うとこういう議論が成立するということ自体が、何か動き出しているものがあるということで、それはそれで1968年の日本サッカーサポーターの始まりからの課題を引き継いでいるのではないかとも考えてもいるのですが。まあ、スタ以外でもそれなりに盛り上げないとね
[ 01:46 ] [ FWF ゴールドディスク ]
Chapter one:Latin America Gato Barbieri


中上健次の「千年の愉楽」については、ゆっくり書いていこうと思っているところ。
なので、深くは触れることはないで軽くだけ。

「千年の愉楽」は6つの短編が連作となっている小説である。
それぞれが高貴な血とも汚れた血ともいえる一統の若者の短命の物語として、ひたすら繰り返されていくのだが、フレーズが移調していくかのように、破滅の物語が違う方向に向きだすのは、意味ありげな「天人五衰」と題された6編の連作を折り返す位置にあたる、第四編の物語だ。

「天人五衰」が、三島由紀夫の豊饒の海の最終巻と同じものであり、必ずその三島の物語に対する問いかけがあるはず、とあたりをつけた四方田犬彦は、「貴種と転生」で、三島と中上の貴種流離譚の捉えかたの違いを説き起こした。
滅することによって始まる何かがある。三島は、キッチュでグロテスクともいえる静寂の光景で貴種流離譚の物語を閉じて読み手に謎をかけたままにして、その答えともとれるしさらに謎を深めるともとれる、圧倒的なあの最期を遂げたのに対して、中上の「天人五衰」はふつふつと湧いては現れ、湧いては消える。そればかりか、語り部の役割を持つものまでもが不死の存在かのように偏在し、五衰をも積極的に肯定していこうとする。

千年の愉楽と「天人五衰」の章が、ひとつのターニングポイントとなるのは、ここから先、貴種流離譚の主人公達は、積極的に外部を志向していることだ。そして、物語を読み進めていくにつれ、それが語り部の肉体的な死が同時に訪れているのと同時に語られていることを読み手は知る。

そのときに、貴種流離譚の主人公は、アルゼンチンを目指す。
もちろん、そこから先には主人公達の死は待ち受けている。「天人五衰」の章の主人公は、ブエノスアイレスの革命運動に巻き込まれて消息不明になる。
続く「ラプラタ綺譚」の主人公は、ラプラタ河を「銀の河」と呼び奇妙な逸話をうそぶきながら、ある日水銀の飲んで自殺する。

「天人五衰」から先の物語は、タンゴが甘く切なく鳴り響いている。

このへん、また「千年の愉楽」の試論の続きでまとめていこう。






ガトー・バルビエリは、アルゼンチンのロザリオで生まれる。
ここはチェ・ゲバラの生地としても知られるアルゼンチン第二の都市だ。
ブエノスアイレスでテナー奏者として知られるようになってから、1963年のイタリアに移住。(イタリアとアルゼンチンの関係についてはコチラ)
当時のイタリアを含めた欧州はフリー・ジャズが全盛を極めており、ハード・ブローイングのバルビエリのテナーは注目を浴びるようになり、当時の欧州で活躍していたフリージャズの大御所との共演を重ねるようになる。



Chapter one:Latin America Gato Barbieri は、インパルスから出たバルビエリのソロシリーズの第一弾。

フリージャズのアーチストが、60年代後半から伝統芸能や民族音楽との接近を果たしていく流れは、フリーが全く違う角度から伝承された音楽を見出したというのが正しい表現と思う。


圧倒的なハードブローながら、切ないラテンの旋律が聴こえてくる。見出されたラテン・アメリカ。ケーナやインディアン・ハープが鳴り響き、10弦ギターがラテンのコードでさらに奥行きを与える。しかし、その音と音の遠近感は極めてポスト・モダンである。

きっと中上健次の「熊野」も見出された「ふるさと(坂口安吾)」だったのではないか。ガトーの代表的な一作であり、あえて「ラテン・アメリカ」と題されたこの作品を聴くにつけ、なぜか悪逆非道と「尊い仏様の教え」が交互に展開される物語の中のタンゴが聴こえてくるように思える。






ガトー・バルビエリといえばラスト・タンゴ・イン・パリ」というベルトリッチが技巧の限りをつくした素晴らしい映画サントラでも知られる。むしろ、これが一番有名か。こちらは一応アルゼンチン・タンゴである。念のため、"Chapter one"にはアルゼンチン・タンゴ・モードの曲はない。






FWFゴールドディスク
〔MGD001〕"Live at Birdland" John Coltrane 
〔MGD002〕"ギル・エヴァンスの個性と発展" Gil Evans
〔MGD003〕"Who is this bitch, anyway?" Marlena Shaw
〔MGD004〕"太陽と戦慄" King Crimson
〔MGD005〕"Second Edition (Metal Box)" Public Image limited
〔MGD006〕 "Hallucination Engine" Material
〔MGD007〕"On Love" David T. Walker
〔MGD008〕"Beggars Banquet" The Rolling Stones
〔MGD009〕"稲村ジェーン" サザンオールスターズ
〔MGD010〕"Chapter one:Latin America" Gato Barbieri
〔MGD011〕"New Glass" Albert Ayler
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無人島レコード
2007/09/19のBlog
[ 03:29 ] [ アジアチャンピオンズリーグ ]
浦和と川崎が決勝トーナメントに進出したようで、これをもって自分としては何も語ることがなくなりました。

よって、ACL芸人のインチキ稼業もついに引退と相成りましたので、ここに謹んでご報告いたします。



これからは、なおも横浜のゴール裏にて、「ACLっていうのはだな」とか「おまえらアジアをわかっていない」などと能書きたれながら後進の育成にあたってまいる所存です。
つか、今年優勝して来年でるし。つか、開催国枠はついに決まってしまったのね。。。仕方ないとして今年出る方向でスクランブルアタックするわけだけども。






さて、ACL芸人のチリ際に、以下ACLで困ったことNO.1だったこと、ひとつだけ豆知識として書き残しておきます。










発炎筒=「ちゅっく うんうぉんよん よんまっ」  
※原文スペルはここ見てください。Doblog(バカ)だと原文フォントが表示されません。



「サッカーの応援用の煙幕」(!)という意味で、花火屋?で買えるそうです。

ちなみに自分は今は亡き横浜門旗(鰯)に、発炎筒は「パリョントン」と言うと習ったのですが、どうやらこれはダメダメな直訳だったらしいです。

どうりで半日街中をメモ片手に、「ぱりょんとんぱりょんとん」言いながら放浪しても、聞く人聞く人皆、 (゚Д゚)ハァ? となっていたわけだ。


協力:mixiの「韓国プロサッカーKリーグ」コミュ



ちなみに自分はこれに懲りて、タイの時は飛行機のチェックイン前にカバンの奥に隠し(ry




以上、発炎筒といえばマリサポな豆知識でした
◇コパ・アメリカと反米カマラード(同士)


今年のコパ・アメリカはベネズエラ開催、いや正確に書けば「ベネズエラ・ボリバル共和国」での開催だった。

開会式には、ウーゴ・チャベス大統領が現れるとともに、始球式はマラドーナが行ったとのこと。

このメンツ(しかも、開会式にはやはり南米の左派政権であるボリビアのモラレス大統領も招かれていたらしい)なら、なんかやるだろうと想像していたところ、やっぱりこんなことやっていたらしい。



マラドーナ、「米国心底嫌い」と発言

サッカーの元アルゼンチン代表、ディエゴ・マラドーナさん(46)が19日、ベネズエラのチャベス大統領が毎週出演するテレビのトーク番組に登場し、米国に対する嫌悪感を示した。

反米派で知られるチャベス大統領と同様に、左派のマラドーナさんは、キューバのカストロ議長と親しい間柄にいる。

チャベス大統領とともに同番組に出演したマラドーナさんが「私はチャベス(大統領)を信じる。私に対してフィデル(カストロ議長)がすること、チャベスがすること、すべて最高だ。米国からくるものすべてが嫌いだし、米国が心底嫌いだ」と話すと、観客席にいたチャベス大統領の支持者から拍手喝采(かっさい)を浴びた。

自ら社会主義革命家と認めるチャベス大統領は、米国に対する手厳しい批判を続けており、たびたび米国を「衰退する帝国」と表現している。

一方、米国の国務省はチャベス大統領を「地域民主主義の脅威」と呼び、豊富な石油資源を利用して近隣諸国に干渉していると非難している。






◇棍棒を片手に~中南米へのアメリカ軍事介入の歴史(1)~

マラドーナのアメリカ嫌いは有名なものだが、これは何もマラドーナがひとりでとんがった反米の言説を振りまいているだけのものではないことはすでに一度書いた。

ここには長い長い歴史の積み重ねがある。



以下、ゲバラのTシャツやらゲーフラなどをおしゃれに使いこなしている連中にぜひとも見てもらいたい。



南北戦争の後、工業化が進展しつづけた末、19世紀末には世界一の工業国となったアメリカは、国内の開拓が限界を迎えており、作り続けられる商品のデフレーションを恐れ続け、そして市場を求めて一挙に帝国主義に走り始める。セオドア・ルーズベルトは、「やさしく穏やかに、けれど棍棒は手にもって。そうすれば遠くまで行ける」などとうそぶきながら、中南米の主権に介入していった。(棍棒外交)

自作自演の戦艦撃沈事件をきっかけにスペインと戦争を起こし、キューバは保護領となり、パナマは、コロンビアからむりやり独立させられ、パナマ運河の租借権はアメリカに渡る。さらに同時期、ハワイはアメリカ人のクーデターで王国が倒され、そして共和制を経てから連邦に併合される。
特に中米は圧倒的にアメリカによる棍棒によって叩きのめされる。
1898年から1918年まで、アメリカに様々な理由で軍事介入されてきたり、保護領化されてきた国は、プエルトリコ・キューバ・パナマ・ニカラグア・ハイチ・ドミニカなどなど。

この頃にはモンロー主義というのは、アメリカによる不干渉主義を唱えたものではなく、単にアメリカ大陸におけるアメリカの利権擁護を指すものとなっていたのである。



ちなみに、この手法をそっくりマネしていった日本は、このへん満州国独立そっくりの筋書きなのだが、もちろん石原莞爾などは大いにこのモデルを参考にしているはずである。

もちろん、アメリカは日本の青臭い八紘一宇の精神論や宗教(天皇制)などは振りかざしたりはしなかった。もっとスマートで狡猾だったのである。アメリカのこうした地域に対する投資は進み、一握りのクリオージョ(現地の白人)の富裕層と結びつき、強力な貧富の差を作り出していく。




◇軍事政権を支援しつづけるアメリカ~中南米へのアメリカ軍事介入の歴史(2)~



圧倒的な貧富の差や社会問題を解決するために、世界史の中でも早くから政治的に国民国家を成立させてきた南米諸国の多くは、その後社会主義的な実験を開始する。
貧しい人は貧しいままで人生を終えるような生活から選び取るのは、諦念か行動しかない。そういう意味で、南米の人々は政治的選択を意識的だ。

第二次世界大戦後、そのような試みのほとんどは、アメリカの軍事介入や右派軍事の支援により次々と崩壊していっている。そのため、70-80年代の中南米は軍事政権ばかりが出来上がるという事態に陥っていた。


1954年 グアテマラ
グアテマラの合法的に選挙によって選ばれたハコボ・アルベンス政権が、CIAの支援を受けたに右派のクーデターより転覆。不作遊休地の小作人への分配などの農地改革などを「共産主義的」と一方的に非難したうえでの介入。
なお、このCIAの介入の裏には大規模なプランテーションを保有していたユナイテッド・フルーツ社の土地接収が引き金とされている。


1970年 チリ選挙によって成立した世界初の社会主義政権であったサルバドール・アジェンデ政権が、アメリカの支援を受けたピノチェトによるクーデターにより崩壊。米国の支援を受けた軍部は空軍機を使って大統領官邸にミサイル攻撃し、アジェンデは最後のラジオ放送後に自殺。その後民政になる1988年まで、軍部による反体制派の人々の逮捕・監禁・虐殺などの弾圧は続いた。
このアジェンデに対するクーデターには、社会資本として通信インフラを国有化されることを恐れたAT&T社が暗躍していたことが確認されている。

1983年 ニカラグア
左派サンディニスタ政権に反対するゲリラ「コントラ」をアメリカが支援。
アメリカによるコントラの支援やその他の軍事行動は、国際司法裁判所から違法判決が下されるも、アメリカの支援は続く。
このコントラへの支援の資金が、実はその当時敵対関係にあったイランへの武器売却資金から捻出されていたことが発覚したのが、「イラン・コントラゲート事件」。

キューバの話はここでは書かない。



そろいもそろっていつものパターンなのも特徴である。
米国の「ならずもの政府」転覆作戦は,古くは1948年のギリシャ,イタリア干渉,54年のグアテマラ,イラン干渉以来筋書きが決まっています.まず国内の反政府勢力に最大限の謀略活動をおこなわせます.マスコミを使ってのデマ宣伝,議会での徹底した反政府的態度,ヤクザや不良青年をかり集めての暴力的挑発,そして警察が政府系活動家を弾圧し,テロリストが破壊活動や要人暗殺などをおこなうというもので,CIAには立派な「破壊活動マニュアル」までそろえてあります.

その間に国外で亡命政治家が「暫定政府」を作り,米国に支援を要請します.米国はこの要請に応えて軍隊を出動させ,その国の鼻先で緊急出動作戦をくり返します.そうこうするうちに,やがてエックス・デーがやってきて,国内の反動勢力と軍隊内部の「親米派」が「蜂起」し,これとあわせて雇い兵部隊が国内に侵入することになります.このとき米軍は艦船により海上を封鎖し,場合によっては[米国市民保護のため]