Blog
2007/10/19のBlog
[ 20:42 ]
[ 書評 ]
つづけて。
サパティスタの夢 マルコス/イボン・ル・ボ 
ミシェル・フーコー思考集成〈3〉歴史学・系譜学・考古学
日本サッカー狂会 
反米大統領チャベス―評伝と政治思想
なぜ世界の半分が飢えるのか―食糧危機の構造 スーザン・ジョージ
ゲリラ戦争―キューバ革命軍の戦略・戦術 チェ・ゲバラ
ヘッジファンド―世紀末の妖怪 浜田和幸
ブレア時代のイギリス 山口二郎 
瀬島龍三―参謀の昭和史 保坂正康
イラク戦争 日本の分け前 浜田和幸
ナショナリズム―その神話と論理 橋川文三 

日本サッカー狂会
これについてはいろ・いろとすでに書いた。
反米大統領チャベス―評伝と政治思想
チャベスについてはおおざっぱに取りまとめちう。
ブレア時代のイギリス 山口二郎
「サッチャー時代のイギリス」と対になるのかな?
これについてはエントリを改め後述。
全体的に「新自由主義」に対して、その最初の出所であるポスト・サッチャリズムはどのように進行しているのかを考える本として読む。
瀬島龍三―参謀の昭和史 保坂正康
先日、たまたま築地をタクシーで通りかかったら、この人の葬儀だった。
謎多き人である。厳しい見方もできる。自分もどちらかといえばそっちのほうだ。
イラク戦争 日本の分け前 浜田和幸
国士サマ曰く、「軍隊はビジネスの守り神。自国企業の利益を守るために、イラクに派兵せよ。もともとイラクの公共インフラは日本が受注していたのではないか?すでに国歌も紙幣の印刷までもが、アメリカとイギリスの民間企業が受注しているのに、この遅れはなんだ、分け前がぜんぜんないのはお人よしすぎるんだよ、ムッキー!
」というレトロなカウボーイ型「国際貢献」論の話でした。程度が低い。
他にもあるはずなのだが、すでに疲れきったので、またの機会に。
何事もその場で処理しないのはよろしくない
サパティスタの夢 マルコス/イボン・ル・ボ 
ミシェル・フーコー思考集成〈3〉歴史学・系譜学・考古学
日本サッカー狂会 
反米大統領チャベス―評伝と政治思想
なぜ世界の半分が飢えるのか―食糧危機の構造 スーザン・ジョージ
ゲリラ戦争―キューバ革命軍の戦略・戦術 チェ・ゲバラ
ヘッジファンド―世紀末の妖怪 浜田和幸
ブレア時代のイギリス 山口二郎 
瀬島龍三―参謀の昭和史 保坂正康
イラク戦争 日本の分け前 浜田和幸
ナショナリズム―その神話と論理 橋川文三 

日本サッカー狂会これについてはいろ・いろとすでに書いた。
反米大統領チャベス―評伝と政治思想 チャベスについてはおおざっぱに取りまとめちう。
ブレア時代のイギリス 山口二郎「サッチャー時代のイギリス」と対になるのかな?
これについてはエントリを改め後述。
全体的に「新自由主義」に対して、その最初の出所であるポスト・サッチャリズムはどのように進行しているのかを考える本として読む。
瀬島龍三―参謀の昭和史 保坂正康先日、たまたま築地をタクシーで通りかかったら、この人の葬儀だった。
謎多き人である。厳しい見方もできる。自分もどちらかといえばそっちのほうだ。
イラク戦争 日本の分け前 浜田和幸国士サマ曰く、「軍隊はビジネスの守り神。自国企業の利益を守るために、イラクに派兵せよ。もともとイラクの公共インフラは日本が受注していたのではないか?すでに国歌も紙幣の印刷までもが、アメリカとイギリスの民間企業が受注しているのに、この遅れはなんだ、分け前がぜんぜんないのはお人よしすぎるんだよ、ムッキー!
」というレトロなカウボーイ型「国際貢献」論の話でした。程度が低い。他にもあるはずなのだが、すでに疲れきったので、またの機会に。
何事もその場で処理しないのはよろしくない

[ 20:33 ]
[ 書評 ]
以下、続けて。
まるでアフィリエイトサイトみたいでスミマセン。
一応個人的な記録のためにやってます。。。
ちなみにこんな作業をやれるのは、風邪ひいて外出一歩もしてない環境だからこそ
市民と武装 ―アメリカ合衆国における戦争と銃規制 小熊英二
浪人の王者頭山満 杉森久英
シュンペーター 根井雅弘
二・二六事件とその時代―昭和期日本の構造 筒井清忠
マルクスと歴史の現実 廣松渉 


日本プラモデル興亡史 井田博
大川周明 松本健一
宗教の経済思想 保坂俊司
日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票 小林英夫
軍事学入門 別宮暖朗
三島由紀夫の神話 酒井角三郎 

タリバン 田中宇
甦るヴェイユ 吉本隆明 

マルクスと歴史の現実 廣松渉
「今こそマルクスを読み返す」「マルクスの根本思想は何であったか」と並ぶ、廣松90年代三部作・・・つまりソ連崩壊後のポスト『マルクス主義』の時代に書かれた著作。
1850年の共産主義者同盟中央委員会の「回状」をめぐる『永続革命論』が重要なキーとなって本書は進む。
そもそも、こんな時代のバリケード革命の頃の「戦術」が未だ信奉されているところにダメさがあると思ったのは自分だけか。ちなみに日本共産党が未だに全選挙区で泡沫であったとしても候補者を出すのは、このときの戦術が未だ続いているからである。行動原理としての「マルクス主義」の時代は完全に終わっていると、廣松渉がギリギリのところでつぶやいているような書物。代案が必要である。預言者としてのマルクスの意味は全く色褪せてはいないし、方法論は現在も避けて通れないのならば。
「たとえマルクスのあげた事実や理論付けが現在いわれているものよりいっそう多くの欠点をもつものであったとしても、マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊するということを主張するにとどまるかぎり、なおその結論は真理たるを失わないであろう。私はそう確信する。」
J.A.シュンペーター
「マルクスはわれわれに、歴史をただ眺めるのではなく見通すことを教えてくれた(中略)
それこそが、フロイトやプラントの名と同様にマルクスの名がコンテンポラリーであり続けていることの理由である。これまで受けてきた根拠のない崇拝に関わらず、マルクスは確かに無謬ではない。というよりも彼は、彼の発見した社会思想の大陸に消しきれぬ足跡をしるした大探検家、すなわち避けて通れぬ人物と考えるべきだろう。」
ロバート.L.ハイルブローナー
つづく
まるでアフィリエイトサイトみたいでスミマセン。
一応個人的な記録のためにやってます。。。
ちなみにこんな作業をやれるのは、風邪ひいて外出一歩もしてない環境だからこそ

市民と武装 ―アメリカ合衆国における戦争と銃規制 小熊英二
浪人の王者頭山満 杉森久英
シュンペーター 根井雅弘
二・二六事件とその時代―昭和期日本の構造 筒井清忠
マルクスと歴史の現実 廣松渉 


日本プラモデル興亡史 井田博
大川周明 松本健一
宗教の経済思想 保坂俊司
日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票 小林英夫
軍事学入門 別宮暖朗
三島由紀夫の神話 酒井角三郎 

タリバン 田中宇
甦るヴェイユ 吉本隆明 

マルクスと歴史の現実 廣松渉「今こそマルクスを読み返す」「マルクスの根本思想は何であったか」と並ぶ、廣松90年代三部作・・・つまりソ連崩壊後のポスト『マルクス主義』の時代に書かれた著作。
1850年の共産主義者同盟中央委員会の「回状」をめぐる『永続革命論』が重要なキーとなって本書は進む。
そもそも、こんな時代のバリケード革命の頃の「戦術」が未だ信奉されているところにダメさがあると思ったのは自分だけか。ちなみに日本共産党が未だに全選挙区で泡沫であったとしても候補者を出すのは、このときの戦術が未だ続いているからである。行動原理としての「マルクス主義」の時代は完全に終わっていると、廣松渉がギリギリのところでつぶやいているような書物。代案が必要である。預言者としてのマルクスの意味は全く色褪せてはいないし、方法論は現在も避けて通れないのならば。
「たとえマルクスのあげた事実や理論付けが現在いわれているものよりいっそう多くの欠点をもつものであったとしても、マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊するということを主張するにとどまるかぎり、なおその結論は真理たるを失わないであろう。私はそう確信する。」
J.A.シュンペーター
「マルクスはわれわれに、歴史をただ眺めるのではなく見通すことを教えてくれた(中略)
それこそが、フロイトやプラントの名と同様にマルクスの名がコンテンポラリーであり続けていることの理由である。これまで受けてきた根拠のない崇拝に関わらず、マルクスは確かに無謬ではない。というよりも彼は、彼の発見した社会思想の大陸に消しきれぬ足跡をしるした大探検家、すなわち避けて通れぬ人物と考えるべきだろう。」
ロバート.L.ハイルブローナー
つづく
[ 19:04 ]
[ 書評 ]
このエントリー久々。
前回のが去年の11月までだったので、完全に一年ぶり。 この一年で、自分の読書体験に関わる最大の出来事は、かなり巨大な本棚がひとつ壊れたこと。スライドのところが壊れました。たぶんでかい地震一発で崩壊するでしょう。
安い本棚はダメだ。
まとめて全部一年分の記録を書こうとして、ひとつひとつアフィのリンクをつけていったら、ドブログくんに「コメントが長すぎます!」と怒られましたので、以下、一年間をいくつかにわけて。
世界を不幸にしたグローバリズムの正体 ジョセフ・E・スティグリッツ 
闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン 廣瀬 純 


WTO―世界貿易のゆくえと日本の選択 村上直久
ルーカス帝国の興亡 ゲリー・ジェンキンズ
昭和天皇独白録 寺崎英成
昭和天皇伝説―たった一人のたたかい 松本健一 
レイテ戦記(上中下) 大岡昇平
昭和経済史
美は乱調にあり 瀬戸内晴美
キメラ―満洲国の肖像 山室信一 
「闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン」
ラテンアメリカの政治的なさまざまな動きをキャッチアップするのに大変勉強になった。
新自由主義経済に翻弄されつつ、新しい社会主義的な試みを重ねるラテンアメリカの政治的な流れの下には、旧来の国家主権による富の再配分というこれまでとは変わらぬスタイルの権力システムの確立という罠が潜んでいること。オルターネイティブな選択は、そことバランスをとりながらも、ひとりひとりが「自立(オートノミア)」して、政治を政治家から取り戻さねばならない。だから、ドゥルーズの言葉を思い出そう、
「人々が望みえるのは、せいぜい、いくつかの左翼的な要求や抗議に対して好意的な政権というものであって、左翼政権なんてものはないんだ。そんなものは存在しない。左翼っていうものは政権とは何の関係もないものなんだから。」
この書については、チャベスについてのエントリーで後から触れていく。
昭和天皇独白録 寺崎英成
昭和天皇伝説―たった一人のたたかい 松本健一
明治からの天皇制は、天皇が政治的な「決定者」であるのかを巡って左右に振れる。それは、天皇機関説の不敬を声高く唱えるものが、もっとも天皇を意思なき存在として神格化の中に閉じ込め、天皇機関説を信奉しすぎたものは今度は天皇の声により討伐の対象となる。
北一輝や三島由紀夫の天皇像と、さらには歴史の中を脈々と流れる天皇家の認識をもち、クーデターや裕仁天皇自身の「天皇像」。3つが入り乱れて、隠された構造があぶりだされる。松本健一は、それをいつも「おそろしいこと」として受け取る。
物語を受け取りながら、天皇制の意味がさまざまな角度を検証する試みである。
レイテ戦記(上中下) 大岡昇平
これについては、コチラにて。
キメラ―満洲国の肖像 山室信一
満州国について知るならこの一冊。
民族協和・安居楽業・王道楽土という理想国家を目指したとされる満州国は、その実際のところ、民族差別・強制収奪・兵営国家が正体に過ぎなかった。
経済的な利害関係と中国ナショナリズムの嵐に吹きまくられて、「満州は漢民族のものではない」という口実を嘯きながら、ほとんど中国人と同化してしまった「満州民族」を最後まであてにすることはなく、結局は漢民族が大多数となる複合民族の国家の体裁を作らざるを得なかった。(たとえば、北海道はもともと日本民族のものではない!と戦後のどさくさにソ連が北海道を占領して独立するようなものだよね)
つづく
前回のが去年の11月までだったので、完全に一年ぶり。 この一年で、自分の読書体験に関わる最大の出来事は、かなり巨大な本棚がひとつ壊れたこと。スライドのところが壊れました。たぶんでかい地震一発で崩壊するでしょう。
安い本棚はダメだ。
まとめて全部一年分の記録を書こうとして、ひとつひとつアフィのリンクをつけていったら、ドブログくんに「コメントが長すぎます!」と怒られましたので、以下、一年間をいくつかにわけて。
世界を不幸にしたグローバリズムの正体 ジョセフ・E・スティグリッツ 
闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン 廣瀬 純 


WTO―世界貿易のゆくえと日本の選択 村上直久
ルーカス帝国の興亡 ゲリー・ジェンキンズ
昭和天皇独白録 寺崎英成
昭和天皇伝説―たった一人のたたかい 松本健一 
レイテ戦記(上中下) 大岡昇平
昭和経済史
美は乱調にあり 瀬戸内晴美
キメラ―満洲国の肖像 山室信一 
「闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン」ラテンアメリカの政治的なさまざまな動きをキャッチアップするのに大変勉強になった。
新自由主義経済に翻弄されつつ、新しい社会主義的な試みを重ねるラテンアメリカの政治的な流れの下には、旧来の国家主権による富の再配分というこれまでとは変わらぬスタイルの権力システムの確立という罠が潜んでいること。オルターネイティブな選択は、そことバランスをとりながらも、ひとりひとりが「自立(オートノミア)」して、政治を政治家から取り戻さねばならない。だから、ドゥルーズの言葉を思い出そう、
「人々が望みえるのは、せいぜい、いくつかの左翼的な要求や抗議に対して好意的な政権というものであって、左翼政権なんてものはないんだ。そんなものは存在しない。左翼っていうものは政権とは何の関係もないものなんだから。」
この書については、チャベスについてのエントリーで後から触れていく。
昭和天皇独白録 寺崎英成
昭和天皇伝説―たった一人のたたかい 松本健一明治からの天皇制は、天皇が政治的な「決定者」であるのかを巡って左右に振れる。それは、天皇機関説の不敬を声高く唱えるものが、もっとも天皇を意思なき存在として神格化の中に閉じ込め、天皇機関説を信奉しすぎたものは今度は天皇の声により討伐の対象となる。
北一輝や三島由紀夫の天皇像と、さらには歴史の中を脈々と流れる天皇家の認識をもち、クーデターや裕仁天皇自身の「天皇像」。3つが入り乱れて、隠された構造があぶりだされる。松本健一は、それをいつも「おそろしいこと」として受け取る。
物語を受け取りながら、天皇制の意味がさまざまな角度を検証する試みである。
レイテ戦記(上中下) 大岡昇平これについては、コチラにて。
キメラ―満洲国の肖像 山室信一満州国について知るならこの一冊。
民族協和・安居楽業・王道楽土という理想国家を目指したとされる満州国は、その実際のところ、民族差別・強制収奪・兵営国家が正体に過ぎなかった。
経済的な利害関係と中国ナショナリズムの嵐に吹きまくられて、「満州は漢民族のものではない」という口実を嘯きながら、ほとんど中国人と同化してしまった「満州民族」を最後まであてにすることはなく、結局は漢民族が大多数となる複合民族の国家の体裁を作らざるを得なかった。(たとえば、北海道はもともと日本民族のものではない!と戦後のどさくさにソ連が北海道を占領して独立するようなものだよね)
つづく
2007/10/10のBlog
[ 00:55 ]
[ なんとなく社会時評 ]
オレは決してゲバラ厨ではないのであるが、ひとつだけ。
以下の記事にはエピソードの前段と後段が省略されている件。
ゲバラ:被爆地・広島を夜行列車でゲリラ的訪問 訪日時
キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが訪日団の団長として59年に来日し、広島をゲリラ的に訪問した際、副団長と2人で大阪から夜行列車に飛び乗ったことが9日、分かった。副団長だったオマル・フェルナンデスさん(76)が明らかにした。フェルナンデスさんは「チェは被爆地・広島訪問を熱望し、私と2人で大阪のホテルをこっそり抜け出し、夜行列車で広島に行ったんだ」と振り返った。
ゲバラは59年1月の革命後、同年6月から3カ月間、アジア・アフリカを歴訪した。訪日団長が当時31歳のゲバラで、副団長を2歳年下のフェルナンデスさんが務めた。7月中旬に来日、10日間滞在し、自動車工場などを視察した。
フェルナンデスさんによると、アルゼンチン出身の医師であるゲバラは、予定になかった広島の被爆地訪問を強く希望したが、日本政府の許可が出なかったという。業を煮やしたゲバラは大阪のホテルに滞在中、「ホテルを抜け出して広島に行くぞ」と決断。オリーブグリーンの軍服姿で大阪駅で切符を買い2人で夜行列車に飛び乗った。
「被爆者が入院する病院など広島のさまざまな場所を案内され、私同様、チェも本当にショックを受けていた」とフェルナンデスさん。帰国報告の際にゲバラは、フィデル・カストロ国家評議会議長(当時は首相)に「日本に行く機会があれば、必ず広島に行くべきだよ」と強く勧めたという。カストロ議長は03年3月に広島を訪問。フェルナンデスさんは「フィデルはチェとの約束を守ってくれた」と感激した。
フェルナンデスさんがゲバラに初めて会ったのは59年1月の革命直後。「外国人としてキューバ革命に参加したチェを私は知り合う前から尊敬していた」と話す。ゲバラが工業相を務めたときには、フェルナンデスさんが副工業相の一人に任命されるなど信頼を得た。しかし、ゲバラが39歳で命を落としたボリビアでのゲリラ闘争には誘われなかった。「一緒にボリビアに行けなかったのが少し悔しい」。フェルナンデスさんは寂しそうな顔をした。
チェ・ゲバラが来日したのは1959年で、革命成立後。キューバ通商使節団として来日したのは、苦境に陥っていたキューバの経済のために移動大使として、日本政府やトヨタやソニーなどの大手企業を訪れキューバとの貿易や投資を求めにきたのだった。
その後に工業相になったゲバラだったが、どちらかというと経済政策やらが必ずしも得意ではなかったようで、いつも工場にいっては、そんなことをやる立場でもないのに、サトウキビ畑でトラクターを自分で運転したり、自ら砂糖袋を担いだりした。
そんなゲバラらしい広島行きだが、次の省略されたエピソードはさらにゲバラらしい。
来日したゲバラは、大使館スタッフから、東京で無名兵士の墓の詣でる予定が決まっていることを告げられる。「しかし、日本の無名兵士とはアジアで多数の人々を殺した兵士のことではないか。そんなとこへ行くわけにはいかない」とゲバラは拒否し、逆に、予定にはなかった広島行きを実現させた。「米国にこんな目にあっておきながら、あなたたちはなお米国の言いなりになるのか」と、ゲバラは案内役の日本人に尋ねたという。
ゲバラを脱神話化する
無名兵士の墓とはあそこのことなんだろうなあ。。。
"GUERRILLERO HEROICO(ゲリラの英雄) "と名づけられたチェ・ゲバラの、あの有名な肖像は、イタリア人が最初にポスターとして出版したものだ。
ネガをもつ写真家は、この肖像からお金を取るつもりはないとのことである。彼の意思を継ぎ、平和目的に使うものであれば、との条件つきである。
ゲバラのイコンが溢れる日本で、彼の革命の夢はどのように理解されるべきなのか?
エピソードのゲバラの来日の翌年、アメリカによる経済封鎖が始まり、そして続いてキューバ危機。アメリカとのチキンレースに勝ち残った後、今度はゲバラはソ連の「社会主義国による帝国主義の共犯行為」をアルジェリアにて批判。
それをきっかけにカストロと袂を分かち、そしてコンゴへ、さらにボリビアへと旅立つ。
ちなみに、チェは日本についてキューバと比較して次のように言っていたことを最後に追記。
「日本人と同じように、われわれもほとんど何ももっていない。石油もない。あっとしてもほんのわずかだ。鉄鋼も石炭も産出しない。日本には米があり、キューバにはサトウキビがある。しかし日本人はわれわれがサトウキビから得られるものよりたくさんのものを米から得ている。国を発展させるために、我々はもっと頭を使わなければならない。」
チェ・ゲバラ -革命を生きる-
以下の記事にはエピソードの前段と後段が省略されている件。
ゲバラ:被爆地・広島を夜行列車でゲリラ的訪問 訪日時キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが訪日団の団長として59年に来日し、広島をゲリラ的に訪問した際、副団長と2人で大阪から夜行列車に飛び乗ったことが9日、分かった。副団長だったオマル・フェルナンデスさん(76)が明らかにした。フェルナンデスさんは「チェは被爆地・広島訪問を熱望し、私と2人で大阪のホテルをこっそり抜け出し、夜行列車で広島に行ったんだ」と振り返った。
ゲバラは59年1月の革命後、同年6月から3カ月間、アジア・アフリカを歴訪した。訪日団長が当時31歳のゲバラで、副団長を2歳年下のフェルナンデスさんが務めた。7月中旬に来日、10日間滞在し、自動車工場などを視察した。
フェルナンデスさんによると、アルゼンチン出身の医師であるゲバラは、予定になかった広島の被爆地訪問を強く希望したが、日本政府の許可が出なかったという。業を煮やしたゲバラは大阪のホテルに滞在中、「ホテルを抜け出して広島に行くぞ」と決断。オリーブグリーンの軍服姿で大阪駅で切符を買い2人で夜行列車に飛び乗った。
「被爆者が入院する病院など広島のさまざまな場所を案内され、私同様、チェも本当にショックを受けていた」とフェルナンデスさん。帰国報告の際にゲバラは、フィデル・カストロ国家評議会議長(当時は首相)に「日本に行く機会があれば、必ず広島に行くべきだよ」と強く勧めたという。カストロ議長は03年3月に広島を訪問。フェルナンデスさんは「フィデルはチェとの約束を守ってくれた」と感激した。
フェルナンデスさんがゲバラに初めて会ったのは59年1月の革命直後。「外国人としてキューバ革命に参加したチェを私は知り合う前から尊敬していた」と話す。ゲバラが工業相を務めたときには、フェルナンデスさんが副工業相の一人に任命されるなど信頼を得た。しかし、ゲバラが39歳で命を落としたボリビアでのゲリラ闘争には誘われなかった。「一緒にボリビアに行けなかったのが少し悔しい」。フェルナンデスさんは寂しそうな顔をした。
チェ・ゲバラが来日したのは1959年で、革命成立後。キューバ通商使節団として来日したのは、苦境に陥っていたキューバの経済のために移動大使として、日本政府やトヨタやソニーなどの大手企業を訪れキューバとの貿易や投資を求めにきたのだった。
その後に工業相になったゲバラだったが、どちらかというと経済政策やらが必ずしも得意ではなかったようで、いつも工場にいっては、そんなことをやる立場でもないのに、サトウキビ畑でトラクターを自分で運転したり、自ら砂糖袋を担いだりした。
そんなゲバラらしい広島行きだが、次の省略されたエピソードはさらにゲバラらしい。
来日したゲバラは、大使館スタッフから、東京で無名兵士の墓の詣でる予定が決まっていることを告げられる。「しかし、日本の無名兵士とはアジアで多数の人々を殺した兵士のことではないか。そんなとこへ行くわけにはいかない」とゲバラは拒否し、逆に、予定にはなかった広島行きを実現させた。「米国にこんな目にあっておきながら、あなたたちはなお米国の言いなりになるのか」と、ゲバラは案内役の日本人に尋ねたという。
ゲバラを脱神話化する無名兵士の墓とはあそこのことなんだろうなあ。。。
"GUERRILLERO HEROICO(ゲリラの英雄) "と名づけられたチェ・ゲバラの、あの有名な肖像は、イタリア人が最初にポスターとして出版したものだ。
ネガをもつ写真家は、この肖像からお金を取るつもりはないとのことである。彼の意思を継ぎ、平和目的に使うものであれば、との条件つきである。
ゲバラのイコンが溢れる日本で、彼の革命の夢はどのように理解されるべきなのか?
エピソードのゲバラの来日の翌年、アメリカによる経済封鎖が始まり、そして続いてキューバ危機。アメリカとのチキンレースに勝ち残った後、今度はゲバラはソ連の「社会主義国による帝国主義の共犯行為」をアルジェリアにて批判。
それをきっかけにカストロと袂を分かち、そしてコンゴへ、さらにボリビアへと旅立つ。
ちなみに、チェは日本についてキューバと比較して次のように言っていたことを最後に追記。
「日本人と同じように、われわれもほとんど何ももっていない。石油もない。あっとしてもほんのわずかだ。鉄鋼も石炭も産出しない。日本には米があり、キューバにはサトウキビがある。しかし日本人はわれわれがサトウキビから得られるものよりたくさんのものを米から得ている。国を発展させるために、我々はもっと頭を使わなければならない。」
チェ・ゲバラ -革命を生きる-2007/09/29のBlog
[ 04:46 ]
[ FWF ゴールドディスク ]
"New Glass" Albert Ayler数年前にタマちゃんとかいうアザラシが世の中の話題に上っていたときがあった。
そのアザラシは東京湾の至るところに姿を現した。しかも、どういうわけか鶴見川とか帷子川とか決してきれいとはいえないばかりか、人間だって大腸菌を恐れて手にさわるようなことはないだろうところばかりにひょっこりと顔を現す。
そのうちのひとつ大岡川の一帯は、実はゲットー的な淫猥さをもつ地域であり、水商売と風俗の日本人と浮浪者やらタイ人やコロンビアから来たビヤッチや近くのコリアンが入り乱れているような場所でもある。
そんなところに現れたアザラシというのも、それだけでシュールなカンジもするのだが、それでも物珍しさと一種独特な哀れさが話題になり、ひとときはずいぶん「人気」があったものだ。
人気に便乗したバカな役人が、住民票をこの動物に与えたりもしていた。けれど、そのニュースが伝わるやいなや、住民票請求の運動を行っている在日外国人の連中が「アザラシに住民票やるって、おれらはアザラシ以下かよ!」と反応していたのは、これまたひたすらマンガのように不条理な光景でもあった。
コリアンをはじめとする在日外国人登録者数が抜群に多い地域でそれやっちゃ、そりゃ、あんた場所が悪いよとしかいいようもないだろう。
その頃自分は、その川のほとりのマンションに住んでいた。
春になると、桜の並木が満開の花をつけて川沿いに咲く。満開の桜の並木はそれは見事なものだ。黒い川の水の上に桜の花びらがいくつも散って、ゆっくりとゆっくりと桜木町のほうへと動いていく。そんな光景がたまらなく好きだった。
毎日毎日そのアザラシが現れるポイントには、黒山の人だかりで、例のタマちゃんを思う会・・・だったっけ・・・・やらが、いつ何時何があってもこのかわいい動物を守る!というような表情で定期的に川をチェックしていたそうだ。
子供づれやら、ヒマなおばさん連中から
「こんな汚いところにいて可哀想ねー」
などと話すのが聞こえる。
けれど、その川沿いには、浮浪者がテントをつくって生活していた。
浮浪者は、もっと悲惨で汚い生活をしてるのだが、こちらの方は自業自得ということなのだろうか。
たまたま横浜で飲んでいて、朝方にちょっと思いついてこのへんを歩いてみることにした。
カラスがゴミをつつき、浮浪者は上ってきた太陽の光に照らされながら川沿いにいつものように転がっている。新聞紙にくるまった背中がやたら大きく見えるのは、何故だか不思議なものだ。
勤めの終わったタイ人や、夜中とはまるで違う顔をしているマッサージを売る中国人の女のコとすれ違い、帰り支度のGジャンに着替えたグラマラスなコロンビアのビヤッチが大声で笑うのが路地から聞こえる。
当時だったら人気があったジャニーズJrかモーニング娘の新メンバーのように、親心をくすぐり、世の関心を集める人気者のあざらしが、こんな町に来たというのはどういうめぐり合わせか?
そんな皮肉に思いを巡らし、水面を汚れた手すり越しに除いてみると、カラスが川岸のゴミをつついているのが見えた。
マッサージの中国人の女のコや浮浪者やタイ食料品店のあんちゃんやガード下の赤線のフィリピン人や用心棒の小僧や伊勢佐木モールのホストやそれをおっかけてる中学生の不良娘や日雇いのおっさんや在日のヤクザや立ちんぼのおばさんやらは皆、アザラシと同じに、あそこになんとなく迷い込んだのだろう。もちろん彼らは、アザラシ以上にもっとうまく立ち回らなければならない。
カラスが加えているのは小さな魚に見えた。
あれが、タマちゃんとかいうアザラシに与えられたエサだったら愉快だな、と思ったそのの瞬間、不法投棄されたボートの向こうでボラが一匹水面から跳ねた。
夜と昼がいくつも通り過ぎていく
いくつも通り過ぎていくけれど
愛は決して変わることはない
夜と昼がいくつも通り過ぎていくけれど
愛はいつでも勝つ
New Ghosts(新しい聖霊)アルバート・アイラーのNew Glassは、1968年の作品。
コルトレーンをも驚嘆させたというバリバリのフリージャズのテナー奏者であったが、この人の音楽が特殊だったのは、まるで失語症患者の頭蓋の中でうごめく潜在意識のようなフリージャズの迫力とはひとつ隔てたところで、いつでも「愛」を語っていたところだ。
つまり、フリーなのに否定ではない。あれだれのブローイングなのに、旋律はいつでも悲しく、そしてフォークロアのような残酷の中に優しさがあり、アルバムを聴き終えてみれば、その結論は「肯定」だ。
「ゴースト」という曲については一度書いた。
このアルバムは、当時の用語で「電化」といわれたエレクトリックの楽器を導入してR&B風味に仕立てたものだ。よって、ジャズ的にはあくまでも外道なものなのだけれども、自分はとても好きな一枚だ。
アイラーは1970年、ニューヨークのイースト・リバーで水死体となって発見された。死因はわからない。
ニューヨークはしばらくいたことがある街で、イースト・リバーが河というより大きすぎる運河みたいなところだし、流れる水はこんな都会なのに冷たく透明なのは後から知った。
それを知るまで、きっと大岡川みたいなところでアイラーは浮かんでいたのではないかと思っていた。
結局、あの迷い込んだアザラシはどこに行ったのだろう、と今思う。
◇FWFゴールドディスク
〔MGD001〕"Live at Birdland" John Coltrane
〔MGD002〕"ギル・エヴァンスの個性と発展" Gil Evans
〔MGD003〕"Who is this bitch, anyway?" Marlena Shaw
〔MGD004〕"太陽と戦慄" King Crimson
〔MGD005〕"Second Edition (Metal Box)" Public Image limited
〔MGD006〕 "Hallucination Engine" Material
〔MGD007〕"On Love" David T. Walker
〔MGD008〕"Beggars Banquet" The Rolling Stones
〔MGD009〕"稲村ジェーン" サザンオールスターズ
〔MGD010〕"Chapter one:Latin America" Gato Barbieri
〔MGD011〕"New Glass" Albert Ayler
〔MGD012〕"Somewhere before" Keith Jarrett Trio
◇無人島レコード
2007/09/21のBlog
[ 05:54 ]
[ サポーターとはなんじゃらほい ]
以前、こんな文章を書いた。
『それってプレミアっぽくていいね!』 応援カルチャーの歴史の断絶について
これについて言いたかったことは3点。
ひとつは、アルゼンチン・スタイルの(これってなんか「アルゼンチン式バックブリーカー」みたいだね
)応援は、「イングランドスタイル」と言っている応援方法のアンチとして日本のオーウェンカルチャーの中で形成されたこと。よって、歴史が捩れていることに批判者は自覚ねーんじゃね?ということ。
もうひとつ。とはいうものの、選手が実際にオーウェンされていると自覚されてないならオーウェンじゃないのは間違いない。これには考える余地は十分ある。
そして最期に、しかしそれは、いわゆるコアのコールリーダーに何もかもまかせきっている批評者はその問題点に対して何を現実としてやっているの?ということ。
ようするに、現状どうなのよ?という疑問が、それを解決する方向で個人個人の具体的な行動として現れないかぎり、結局はモードが流行のタームで繰り返されるだけじゃね?ってことです。
で、どうやらそんな文章・・・つーか、このブログの他の記事も含めて、いろいろと読んで頂いたらしく、サッカー批評の最新刊36号で、佐山一郎という人が、「応援論序説」って記事を書いている。
詳しくは読んでみてほしいのだが、ご丁寧にも書いた内容を検証して頂いたようで、わざわざ選手アンケートとインタビューでオーウェンについてどう認識しているかリサーチしてもらったり、ホルヘ三村氏(Respect!)の談話までとって、じゃあ実際ボカの「歌いっぱなし」具合ってどうなのかみたいな話まで出ている。
「応援についてネットでは侃々諤々の・・・」とか「それなりの理論武装」みたいな表現もあって、それなり程度の乱筆乱文垂れ流しているオレ様と致しましては、本来であれば、『それなりのブログの紹介はしてくれなかったけど取り上げてくれてありがとうございます(´Д`;)』ぐらいのそれなりの低姿勢であるのがよいのだろうけど、どうにもこうにもその「応援論序説」の認識が納得いかず、それなりのヴェローチェで190円のそれなりのアイスコーヒー飲みながらサッカー批評読んで憤然としていたのはそれなりの事実だ。
何が気に食わなかったかといえば、自分の文脈そのままもっていって裏をとるみたいなところではない。その結論である。
これを書いている今、手元に肝心の雑誌がないので引用できないのだけれど、結論は要するにこんなところ。
ホルヘ氏のコメントを紹介し、「展開にあわせてウィットと試合展開にあわせたコールが効果的なのではないか?」
さらにこちらもホルヘ氏のコメントを借りて、「日本のコールリーダーにキチンと仕切られているスタイルはそれが可能なはず」
で、最期にひとこと。監督が外国人の日本のサッカーと同じく、まだまだ海外に学ぶ必要があるんじゃね?
まずはこの3番目がまずは気に入らない。
『それってプレミアっぽくていいね!』 応援カルチャーの歴史の断絶について これについて言いたかったことは3点。
ひとつは、アルゼンチン・スタイルの(これってなんか「アルゼンチン式バックブリーカー」みたいだね
)応援は、「イングランドスタイル」と言っている応援方法のアンチとして日本のオーウェンカルチャーの中で形成されたこと。よって、歴史が捩れていることに批判者は自覚ねーんじゃね?ということ。もうひとつ。とはいうものの、選手が実際にオーウェンされていると自覚されてないならオーウェンじゃないのは間違いない。これには考える余地は十分ある。
そして最期に、しかしそれは、いわゆるコアのコールリーダーに何もかもまかせきっている批評者はその問題点に対して何を現実としてやっているの?ということ。
ようするに、現状どうなのよ?という疑問が、それを解決する方向で個人個人の具体的な行動として現れないかぎり、結局はモードが流行のタームで繰り返されるだけじゃね?ってことです。
で、どうやらそんな文章・・・つーか、このブログの他の記事も含めて、いろいろと読んで頂いたらしく、サッカー批評の最新刊36号で、佐山一郎という人が、「応援論序説」って記事を書いている。
詳しくは読んでみてほしいのだが、ご丁寧にも書いた内容を検証して頂いたようで、わざわざ選手アンケートとインタビューでオーウェンについてどう認識しているかリサーチしてもらったり、ホルヘ三村氏(Respect!)の談話までとって、じゃあ実際ボカの「歌いっぱなし」具合ってどうなのかみたいな話まで出ている。
「応援についてネットでは侃々諤々の・・・」とか「それなりの理論武装」みたいな表現もあって、それなり程度の乱筆乱文垂れ流しているオレ様と致しましては、本来であれば、『それなりのブログの紹介はしてくれなかったけど取り上げてくれてありがとうございます(´Д`;)』ぐらいのそれなりの低姿勢であるのがよいのだろうけど、どうにもこうにもその「応援論序説」の認識が納得いかず、それなりのヴェローチェで190円のそれなりのアイスコーヒー飲みながらサッカー批評読んで憤然としていたのはそれなりの事実だ。
何が気に食わなかったかといえば、自分の文脈そのままもっていって裏をとるみたいなところではない。その結論である。
これを書いている今、手元に肝心の雑誌がないので引用できないのだけれど、結論は要するにこんなところ。
ホルヘ氏のコメントを紹介し、「展開にあわせてウィットと試合展開にあわせたコールが効果的なのではないか?」
さらにこちらもホルヘ氏のコメントを借りて、「日本のコールリーダーにキチンと仕切られているスタイルはそれが可能なはず」
で、最期にひとこと。監督が外国人の日本のサッカーと同じく、まだまだ海外に学ぶ必要があるんじゃね?まずはこの3番目がまずは気に入らない。
以前にも紹介した「日本サッカー狂会(日本サッカー狂会編)」には、その創成期、つまり日本サッカーの応援スタイルの黎明期の中で、応援方法そのものよりも悩みだったのが次のようなものだったことが書かれている。
「だが、問題は山積している。応援方式のバリエーションとか応援歌などの問題以前に、サポーターとしてのこころ、情熱、さらには熱狂性という基本姿勢のことがあるように思われるのだが、ここで突きあたるかべが"ニッポン人"である。このかべこそイタリア、ブラジルなどにも匹敵する大変な強敵であり難物といえるのではないか」
日本サッカー狂会(日本サッカー狂会編)P17
この文章は1983年に60年代から20年の歴史を振り返って書かれている。決して現在書き起こされたものではない。まあ、ようするにあんまり変わってないということだね~。
「日本にはなぜストライカーが育たないのか?」と戦前からある一時期を除いてずっと嘆かれてきたのとおんなじ文脈でしょ、これは。
ちょっと話は違うが、書籍「日本サッカー狂会」は一級の資料価値のある貴重な書籍であるけれども、自分には読後に何か納得いかないものが残った。
自分がこの本で読みたかったこと、そして書記されなければならかったことは、あくまでもオーウェンの話である。それも、日本サッカー狂会が、百科全書派になる以前、シーンを鮮明に語れる時代の話のみ。ウルトラスの歴史は重要であり、それを継承するものだったかも知れないが、それはこの本で全編の1/3を占めるものでもないだろう。さらには申し訳ないのですが、さらには後藤健生のサッカー旅自慢のウンチクはもう秋田し

自分の知っているかぎりでも狂会はこんなもんじゃなかったはすである。
ちなみに、いつだったかエルゴラの対談で、武藤さんに話を聞く機会があったのだけれども、「横山ヤメロ」ダンマクを世界中にアピールするために、トヨタカップでダンマク出したといわれたので、それでは負けるわけにはいかないだろう、と「川淵ヤメロ」ダンマクをクラブ・ワールドカップで出しにいったよな

たぶん、それなりの事情もあるのだろうけれども、現地で応援するのが会の目的だ、と会員を煽っている記録がいくつも出てくるのに、こうなったのは事情もあるのかも知れないとはいえ、ちょっと残念である。もちろん、この本の価値を落とすものではないにしろ。おかげで、自分は日本サッカー狂会の会報そのものが全部チェックしてみたくなった。
話を戻そう。
「ニッポン人」という壁をどうやって乗り越えるか、そのために何を引き寄せて、何を選択したのか。それはゴール裏にいるものなら、皆、その苦闘を理解しているのですぐにピンとくるだろう。それは、「海外に学べ」などという安直な結論は役に立たない。
もちろんスタイルは学ぶことはできるだろう。けれど、問題はそこにはない。
そして一番問題なのは、したり顔で「海外に学べ」などという結論でわかったようになって、バックスタンドやメインで応援の批評をしている人をどのように巻き込むか、どのように「サポーターとしてのこころ、情熱、さらには熱狂性という基本姿勢」を伝えていくのかということにある。
それがわからないならば、それは単にファッション評論である。ピーコのファッションチェックくらいの意味合いしかもたらさない。
もうひとつ。書いているスタンスのこと。
レヴィ・ストロースというえらいひとをはじめとする文化人類学者は、「フィールド・ワーク」を重視する。
その文化や民族を理解するということは、書籍をカットアンドペーストしたり、ちょっと現地人にインタビューしたりしたり、手に入るところで資料収集することにとどまってもしようがない、その民族や文化を研究することはが訓古学や解釈学であってはいけない、という基本的な姿勢がある。
「揺り椅子の人類学者」ではなく「野を駆ける人類学者」のスタンスは、様々な「発見」をもたらした。それが現在の文化人類学や民俗学のジャイアント・ステップだった。
オーウェンってものは、文化人類学であり、記号論であり、物語論であり、もしかすると科学的管理法かもしれないし、モチベーションマネジメントかもしれないし、ホーソン工場の実験から考えるべきなのかも知れない。まあこんなのはどうでもいいけど。
ティム・パークスは真摯なるかな。「ようやく本物の旅行記を書く」といって、ヴェローナFCのクルバスッドにフィールドワークしていった彼には、次のことがわかっていた。
「サッカースタジアムは、巨大な建造物の中で裏表が逆になっている数少ない建物のひとつである。楕円形の競技場は世界を排除し、その神秘を秘伝を授けられた者たちにしか明かさない。テレビでさえ、それを犯すことはできない。とらえ始めることさえできない」
ティム・パークス「狂熱のシーズン」
日本的な無私の片思いを標榜する「応援団」に入り込んだ人には、次のような哲学を彼らに見つける。
「応援する人間は、応援される人間より強くなければならない」
「より努力する人間こそ、人に対してがんばれ、といえる」
東京大学応援部物語
ついでに書かんでもいいノウガキ。
文化人類学では「刺激伝播」という考え方がある。それは「特別な伝播のプロセスだ。輸入された習俗は、そこでは、すぐに同化されてしまうのではなく、むしろ触媒としての役割を演ずる。つまり、ある習俗が輸入されるとき、それに隣接している環境の中で、潜在的な状態で眠っていた、それとよく似た習俗の出現を引き起こしてくる。」(「