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2007/10/22のBlog
[ 03:40 ]
[ 書評 ]
イギリスでは新自由主義的な転換が最も早く行われたがゆえに、新自由主義の限界もいち早く明らかになった。新自由主義的な改革とは玉葱の皮むきのようなものであり、「官から民へ」を推し進めた終着点で、政府が何をするのかについては何の構想もない。新自由主義はその意味で政治の否定なのである。
ブレア時代のイギリス 山口二郎 
イギリスは二大政党制の国であるが、この十年は労働党の政権が続いている。
ところで、労働党政権を誕生させ、戦後最長の同党の政権を率いたトニー・ブレアは、いろんな意味で、小泉元首相と似ている。
党内改革を大胆に実行する手管。世論の風を一手に引き受けるメディア戦略。
ブレアにはスピンドクター(情報操作の専門家)を活用する手法(飯島秘書官の存在が非常に似ている)。
(ブレアのマスコミ戦略や情報戦略の内幕については「仁義なき英国タブロイド伝説 山本浩
」が面白く取り上げていて興味深い内容となっている)
そしてさらに何よりも似ているのは、個人的で人格的な魅力を最大限に発揮した強いリーダーシップスタイルである。これが世論を味方にし、改革を可能にした秘密である。
しかし、もちろんブレアと小泉は政治家として目指したところは全く違う。
さらに政治的背景として、もっとも違うのは、ブレアがサッチャリズムという新自由主義的な政策が綻びを見せ、全く予想したとおりに限界を迎えた後に現れたことだ。
ブレアは、新自由主義の目論見と福祉国家のコンセプトをなんとかバランスよく調合し、新しいイギリスの指針を処方したのである。すなわち「第三の道」である。
小泉は新自由主義の入り口を提示したに過ぎない。
イギリスは第二次世界大戦後、すぐに労働党政権となり、「ゆりかごから墓場まで」と言われる福祉国家政策を取り出した。
公営住宅、鉄道の国有化、社会保障制度の推進、医療費の無料化などなど。社会民主主義的な政策は、その後も70年代のサッチャーの時代まで引き継がれる。
これが否定されるのはサッチャーの時代である。
もともと「新自由主義」と呼ばれる政策は、「サッチャリズム」という名の下に始まった。
小さな政府による、市場経済を前提とした民営化、財政支出によるケインズ流の財政政策の放棄など。
70年代には、イギリスは没落していたのだ。「イギリス病」は、競争力を失った企業と怠惰な労働者を生み出した福祉国家政策が元凶とされていた。
本エントリの「ブレア時代のイギリス」の著者は、森嶋通夫著「サッチャー時代のイギリス―その政治、経済、教育」の続編として読まれるべき作品だ。その「サッチャー時代のイギリス」の作者は、、このサッチャーによる利潤原理による市場の見えざる力を社会に、より大胆に導入する手法を、「逆シュンペーター過程」と呼んでいる。
シュンペーターは、資本主義は放っておけば、資本の独占により「社会主義化/全体主義化」せざるを得ないというマルクスとは違ったスタンスのアプローチで、資本主義がこともあろうに「社会主義化」して自滅すると結論づけた。資本主義は癌で死ぬのではなく、ノイローゼで死ぬというわけである。これは、主に変化を失った社会の中で、民主主義的な仕組みをとらざるを得ない資本主義の市場原理は、かえって経済的な勝者に活力を失わさせていくという逆説的な論である。
もっともサッチャーはシュンペーターを本当に意識していたのかもわからないし、むしろ当時すでに気鋭の経営学者となっていたP.F.ドラッガーの影響のほうが強かったかも知れない。もちろん、サッチャー自身は当の本人に軽蔑されていたというハイエクの影響をもちろん忘れることはできない。
なにはともあれ、資抗するサッチャーは、「ビクトリア朝時代に帰れ」とのスローガンで、資本の活発な動きを促進するために、様々な手立てをとり始めた。
そして、利潤原理で勝者と敗者が現れることは当たりまえのこととして受け止め、「くやしかったら、がんばりなさい」という論理を押し立てた。
その結果、民営化、規制緩和、減税、これらが進み、財政削減による小さな政府へと展開される一方、イギリスでは失業者は増えていき、社会的不満は鬱屈していった。
その一方で海外からの投資は増え、製造業から金融をはじめとするサービス業へとイギリスの産業構造は劇的に変化している。現在のイギリス金融市場の活性化はここがひとつのターニングポイントとなっていることはいうまでもない。
サッチャーからメージャーに変わっても、新自由主義的政策を保持する保守党は足掛け18年政権を担当しつづけた。
その間に問題は膨らんでいた。貧富の差は広がり、医療や教育では公的サービスの荒廃が限界線まで達していた。92年の金融危機をきっかけに、保守党の政策に批判が高まり、そしてブレアが登場する。
ブレアは、労働党の改革に着手したうえで、サッチャリズム政策の修正にとりかかった。
そのとき、労働党はすでに数々の伝統的な社会主義的政策やケインズ流の財政政策を放棄している。例えば、生産手段の国有化は労働党の綱領からブレアによって削除されているし、福祉国家を維持するための政府による租税財源の確保、すなわち高累進課税や法人税を抑えて海外からの投資を導くスタイルは、サッチャー時代のものを引き継いだものだ。
そのうえで、教育や雇用プログラムを改革し、サッチャー時代に荒廃していた医療改革をするなど、公共サービスを新しい手法で立て直すことを行った。
「われわれの目標は、人々が市場の圧力によってなすがままにされるのではなく、市場の中で、自立的に活動できる人間を育成することである。」
ブレアの手法はある程度成功しているのは、イギリスの現在の好況と社会サービスの復活というテーマが著しく改善しているところからわかる。
おそらく、新自由主義的な経済政策や政治改革のプログラムを行う国家は、おおかれ少なかれ、このような社会主義的-福祉国家的-ケインズ主義的な処方を取らざるを得ない局面が出てくるはずである。
中南米の社会主義化の動きも、このような経済のグローバリゼーションに抗するひとつの揺り戻しと考えることが出来る。
世界経済は統合の方向に急速と進んでいる。IMF-WTO-世界銀行というトライアングルで形成された国際市場の枠組みに、今ではどこの国家であっても、それが例えばウーゴ・チャベスのような「新しい社会主義者」であっても、逆らうことは出来ない。市場原理を導入することということはは、すなわち統合された世界経済のステージに立つことを意味する。それに対するショックを少なくするために、国家は「社会的排除」されてきた弱者を手当てすることぐらいしか出来ない。
ときどき、オールドファッションな経済ブロックをつくって自国内の再配分の仕組みをなんとか維持しようとする試みがはじまり、それがあたかも最新の試みのように喧伝されるかもしれないが。
ここで社会民主主義は大きな難問にぶつかる。グローバルな資本主義とどのように折り合いをつけるのかという問いである。
(中略)
イギリスでニューレーバー(ブレアの新しい労働党の戦略)が目指したのは、グローバル資本主義という現実を受け入れたうえで、リスクの社会化や平等を最大限追求するというプロジェクトであった。
自由主義はどこまで行くことが出来るのか、国家は市場の結果(豊かな国の市民が貧しい国の市民に負担させているもの)をどの程度是正すべきなのか、あるいは環境などを射程にすえた調整をどこまで行うべきか、といった問題を議論するのは当然のことである。
マーティン・ウルフ
しかし、問題はそういうことなのか?
「ブレア時代のイギリス」の著者は、ブレア流の「社会民主主義」の実験が、資本主義を是正するのではなく、単に資本主義に人間を慣れさせることに過ぎないのでないかという懸念を示す。
すでに生存手段の生産というような実態経済が全く意味をなさないような金融取引が世界を駆け巡り、世界中の市場が統合されるような時代・・・・ある意味でマルクスやシュンペーターが預言したように資本主義が資本主義を崩壊させるような事態が・・・世界規模で到来するときが来るのではないか。そのとき、洪水に対してわれわれは世界規模で自らを救うための船を用意することは出来るのか。
そして、すでに現時点で絶対的窮乏化にさいなまされている世界中の人々が、自らの救済のために、何か決定的に違うアクションに陥ることはないのか。経済が傾くときに、世界は何度も最悪の選択を選びつづけてきた。
ブレアは、イラク政策の失敗(というか、強引な参戦)を問われ、これが最後まで響いて政権を手放した。が、この問題がなかったら今でも彼は政権を維持していたに違いない。
おそらく、日本にもブレアが試みたものと同じような揺り戻しの時がやってくるだろう。
しかし、まだその先を進めるための想像力を私たちはもっていない。
イギリスの選択は、そのまま数十年遅れて日本にやってきた。だから、日本経済と政治の今後を占うとすれば、まずはサッチャーからブレアへの遷移をチェックするとわかりやすい。
なんでもかんでも小さな政府・民営化・バラマキ是正などというキーワードがくれば正しいと思っている単純なメディアマジックにひっかかっている人は多少とも、イギリスの70年代から現在までの政治史を把握してよいのではないかと思う。
日本人はこういう潮流にキャッチアップする術に長けている反面、調子に乗りすぎることも多い。「バスに乗り遅れるな」方式の思考遮断にトクなどひとつもない。
ブレア時代のイギリス 山口二郎 
ブレア時代のイギリス 山口二郎 
イギリスは二大政党制の国であるが、この十年は労働党の政権が続いている。
ところで、労働党政権を誕生させ、戦後最長の同党の政権を率いたトニー・ブレアは、いろんな意味で、小泉元首相と似ている。
党内改革を大胆に実行する手管。世論の風を一手に引き受けるメディア戦略。
ブレアにはスピンドクター(情報操作の専門家)を活用する手法(飯島秘書官の存在が非常に似ている)。
(ブレアのマスコミ戦略や情報戦略の内幕については「仁義なき英国タブロイド伝説 山本浩
」が面白く取り上げていて興味深い内容となっている)
そしてさらに何よりも似ているのは、個人的で人格的な魅力を最大限に発揮した強いリーダーシップスタイルである。これが世論を味方にし、改革を可能にした秘密である。
しかし、もちろんブレアと小泉は政治家として目指したところは全く違う。
さらに政治的背景として、もっとも違うのは、ブレアがサッチャリズムという新自由主義的な政策が綻びを見せ、全く予想したとおりに限界を迎えた後に現れたことだ。
ブレアは、新自由主義の目論見と福祉国家のコンセプトをなんとかバランスよく調合し、新しいイギリスの指針を処方したのである。すなわち「第三の道」である。
小泉は新自由主義の入り口を提示したに過ぎない。
イギリスは第二次世界大戦後、すぐに労働党政権となり、「ゆりかごから墓場まで」と言われる福祉国家政策を取り出した。
公営住宅、鉄道の国有化、社会保障制度の推進、医療費の無料化などなど。社会民主主義的な政策は、その後も70年代のサッチャーの時代まで引き継がれる。
これが否定されるのはサッチャーの時代である。
もともと「新自由主義」と呼ばれる政策は、「サッチャリズム」という名の下に始まった。
小さな政府による、市場経済を前提とした民営化、財政支出によるケインズ流の財政政策の放棄など。
70年代には、イギリスは没落していたのだ。「イギリス病」は、競争力を失った企業と怠惰な労働者を生み出した福祉国家政策が元凶とされていた。
本エントリの「ブレア時代のイギリス」の著者は、森嶋通夫著「サッチャー時代のイギリス―その政治、経済、教育」の続編として読まれるべき作品だ。その「サッチャー時代のイギリス」の作者は、、このサッチャーによる利潤原理による市場の見えざる力を社会に、より大胆に導入する手法を、「逆シュンペーター過程」と呼んでいる。
シュンペーターは、資本主義は放っておけば、資本の独占により「社会主義化/全体主義化」せざるを得ないというマルクスとは違ったスタンスのアプローチで、資本主義がこともあろうに「社会主義化」して自滅すると結論づけた。資本主義は癌で死ぬのではなく、ノイローゼで死ぬというわけである。これは、主に変化を失った社会の中で、民主主義的な仕組みをとらざるを得ない資本主義の市場原理は、かえって経済的な勝者に活力を失わさせていくという逆説的な論である。
もっともサッチャーはシュンペーターを本当に意識していたのかもわからないし、むしろ当時すでに気鋭の経営学者となっていたP.F.ドラッガーの影響のほうが強かったかも知れない。もちろん、サッチャー自身は当の本人に軽蔑されていたというハイエクの影響をもちろん忘れることはできない。
なにはともあれ、資抗するサッチャーは、「ビクトリア朝時代に帰れ」とのスローガンで、資本の活発な動きを促進するために、様々な手立てをとり始めた。
そして、利潤原理で勝者と敗者が現れることは当たりまえのこととして受け止め、「くやしかったら、がんばりなさい」という論理を押し立てた。
その結果、民営化、規制緩和、減税、これらが進み、財政削減による小さな政府へと展開される一方、イギリスでは失業者は増えていき、社会的不満は鬱屈していった。
その一方で海外からの投資は増え、製造業から金融をはじめとするサービス業へとイギリスの産業構造は劇的に変化している。現在のイギリス金融市場の活性化はここがひとつのターニングポイントとなっていることはいうまでもない。
サッチャーからメージャーに変わっても、新自由主義的政策を保持する保守党は足掛け18年政権を担当しつづけた。
その間に問題は膨らんでいた。貧富の差は広がり、医療や教育では公的サービスの荒廃が限界線まで達していた。92年の金融危機をきっかけに、保守党の政策に批判が高まり、そしてブレアが登場する。
ブレアは、労働党の改革に着手したうえで、サッチャリズム政策の修正にとりかかった。
そのとき、労働党はすでに数々の伝統的な社会主義的政策やケインズ流の財政政策を放棄している。例えば、生産手段の国有化は労働党の綱領からブレアによって削除されているし、福祉国家を維持するための政府による租税財源の確保、すなわち高累進課税や法人税を抑えて海外からの投資を導くスタイルは、サッチャー時代のものを引き継いだものだ。
そのうえで、教育や雇用プログラムを改革し、サッチャー時代に荒廃していた医療改革をするなど、公共サービスを新しい手法で立て直すことを行った。
「われわれの目標は、人々が市場の圧力によってなすがままにされるのではなく、市場の中で、自立的に活動できる人間を育成することである。」
ブレアの手法はある程度成功しているのは、イギリスの現在の好況と社会サービスの復活というテーマが著しく改善しているところからわかる。
おそらく、新自由主義的な経済政策や政治改革のプログラムを行う国家は、おおかれ少なかれ、このような社会主義的-福祉国家的-ケインズ主義的な処方を取らざるを得ない局面が出てくるはずである。
中南米の社会主義化の動きも、このような経済のグローバリゼーションに抗するひとつの揺り戻しと考えることが出来る。
世界経済は統合の方向に急速と進んでいる。IMF-WTO-世界銀行というトライアングルで形成された国際市場の枠組みに、今ではどこの国家であっても、それが例えばウーゴ・チャベスのような「新しい社会主義者」であっても、逆らうことは出来ない。市場原理を導入することということはは、すなわち統合された世界経済のステージに立つことを意味する。それに対するショックを少なくするために、国家は「社会的排除」されてきた弱者を手当てすることぐらいしか出来ない。
ときどき、オールドファッションな経済ブロックをつくって自国内の再配分の仕組みをなんとか維持しようとする試みがはじまり、それがあたかも最新の試みのように喧伝されるかもしれないが。
ここで社会民主主義は大きな難問にぶつかる。グローバルな資本主義とどのように折り合いをつけるのかという問いである。
(中略)
イギリスでニューレーバー(ブレアの新しい労働党の戦略)が目指したのは、グローバル資本主義という現実を受け入れたうえで、リスクの社会化や平等を最大限追求するというプロジェクトであった。
自由主義はどこまで行くことが出来るのか、国家は市場の結果(豊かな国の市民が貧しい国の市民に負担させているもの)をどの程度是正すべきなのか、あるいは環境などを射程にすえた調整をどこまで行うべきか、といった問題を議論するのは当然のことである。
マーティン・ウルフしかし、問題はそういうことなのか?
「ブレア時代のイギリス」の著者は、ブレア流の「社会民主主義」の実験が、資本主義を是正するのではなく、単に資本主義に人間を慣れさせることに過ぎないのでないかという懸念を示す。
すでに生存手段の生産というような実態経済が全く意味をなさないような金融取引が世界を駆け巡り、世界中の市場が統合されるような時代・・・・ある意味でマルクスやシュンペーターが預言したように資本主義が資本主義を崩壊させるような事態が・・・世界規模で到来するときが来るのではないか。そのとき、洪水に対してわれわれは世界規模で自らを救うための船を用意することは出来るのか。
そして、すでに現時点で絶対的窮乏化にさいなまされている世界中の人々が、自らの救済のために、何か決定的に違うアクションに陥ることはないのか。経済が傾くときに、世界は何度も最悪の選択を選びつづけてきた。
ブレアは、イラク政策の失敗(というか、強引な参戦)を問われ、これが最後まで響いて政権を手放した。が、この問題がなかったら今でも彼は政権を維持していたに違いない。
おそらく、日本にもブレアが試みたものと同じような揺り戻しの時がやってくるだろう。
しかし、まだその先を進めるための想像力を私たちはもっていない。
イギリスの選択は、そのまま数十年遅れて日本にやってきた。だから、日本経済と政治の今後を占うとすれば、まずはサッチャーからブレアへの遷移をチェックするとわかりやすい。
なんでもかんでも小さな政府・民営化・バラマキ是正などというキーワードがくれば正しいと思っている単純なメディアマジックにひっかかっている人は多少とも、イギリスの70年代から現在までの政治史を把握してよいのではないかと思う。
日本人はこういう潮流にキャッチアップする術に長けている反面、調子に乗りすぎることも多い。「バスに乗り遅れるな」方式の思考遮断にトクなどひとつもない。
ブレア時代のイギリス 山口二郎 
2007/10/19のBlog
[ 20:42 ]
[ 書評 ]
つづけて。
サパティスタの夢 マルコス/イボン・ル・ボ 
ミシェル・フーコー思考集成〈3〉歴史学・系譜学・考古学
日本サッカー狂会 
反米大統領チャベス―評伝と政治思想
なぜ世界の半分が飢えるのか―食糧危機の構造 スーザン・ジョージ
ゲリラ戦争―キューバ革命軍の戦略・戦術 チェ・ゲバラ
ヘッジファンド―世紀末の妖怪 浜田和幸
ブレア時代のイギリス 山口二郎 
瀬島龍三―参謀の昭和史 保坂正康
イラク戦争 日本の分け前 浜田和幸
ナショナリズム―その神話と論理 橋川文三 

日本サッカー狂会
これについてはいろ・いろとすでに書いた。
反米大統領チャベス―評伝と政治思想
チャベスについてはおおざっぱに取りまとめちう。
ブレア時代のイギリス 山口二郎
「サッチャー時代のイギリス」と対になるのかな?
これについてはエントリを改め後述。
全体的に「新自由主義」に対して、その最初の出所であるポスト・サッチャリズムはどのように進行しているのかを考える本として読む。
瀬島龍三―参謀の昭和史 保坂正康
先日、たまたま築地をタクシーで通りかかったら、この人の葬儀だった。
謎多き人である。厳しい見方もできる。自分もどちらかといえばそっちのほうだ。
イラク戦争 日本の分け前 浜田和幸
国士サマ曰く、「軍隊はビジネスの守り神。自国企業の利益を守るために、イラクに派兵せよ。もともとイラクの公共インフラは日本が受注していたのではないか?すでに国歌も紙幣の印刷までもが、アメリカとイギリスの民間企業が受注しているのに、この遅れはなんだ、分け前がぜんぜんないのはお人よしすぎるんだよ、ムッキー!
」というレトロなカウボーイ型「国際貢献」論の話でした。程度が低い。
他にもあるはずなのだが、すでに疲れきったので、またの機会に。
何事もその場で処理しないのはよろしくない
サパティスタの夢 マルコス/イボン・ル・ボ 
ミシェル・フーコー思考集成〈3〉歴史学・系譜学・考古学
日本サッカー狂会 
反米大統領チャベス―評伝と政治思想
なぜ世界の半分が飢えるのか―食糧危機の構造 スーザン・ジョージ
ゲリラ戦争―キューバ革命軍の戦略・戦術 チェ・ゲバラ
ヘッジファンド―世紀末の妖怪 浜田和幸
ブレア時代のイギリス 山口二郎 
瀬島龍三―参謀の昭和史 保坂正康
イラク戦争 日本の分け前 浜田和幸
ナショナリズム―その神話と論理 橋川文三 

日本サッカー狂会これについてはいろ・いろとすでに書いた。
反米大統領チャベス―評伝と政治思想 チャベスについてはおおざっぱに取りまとめちう。
ブレア時代のイギリス 山口二郎「サッチャー時代のイギリス」と対になるのかな?
これについてはエントリを改め後述。
全体的に「新自由主義」に対して、その最初の出所であるポスト・サッチャリズムはどのように進行しているのかを考える本として読む。
瀬島龍三―参謀の昭和史 保坂正康先日、たまたま築地をタクシーで通りかかったら、この人の葬儀だった。
謎多き人である。厳しい見方もできる。自分もどちらかといえばそっちのほうだ。
イラク戦争 日本の分け前 浜田和幸国士サマ曰く、「軍隊はビジネスの守り神。自国企業の利益を守るために、イラクに派兵せよ。もともとイラクの公共インフラは日本が受注していたのではないか?すでに国歌も紙幣の印刷までもが、アメリカとイギリスの民間企業が受注しているのに、この遅れはなんだ、分け前がぜんぜんないのはお人よしすぎるんだよ、ムッキー!
」というレトロなカウボーイ型「国際貢献」論の話でした。程度が低い。他にもあるはずなのだが、すでに疲れきったので、またの機会に。
何事もその場で処理しないのはよろしくない

[ 20:33 ]
[ 書評 ]
以下、続けて。
まるでアフィリエイトサイトみたいでスミマセン。
一応個人的な記録のためにやってます。。。
ちなみにこんな作業をやれるのは、風邪ひいて外出一歩もしてない環境だからこそ
市民と武装 ―アメリカ合衆国における戦争と銃規制 小熊英二
浪人の王者頭山満 杉森久英
シュンペーター 根井雅弘
二・二六事件とその時代―昭和期日本の構造 筒井清忠
マルクスと歴史の現実 廣松渉 


日本プラモデル興亡史 井田博
大川周明 松本健一
宗教の経済思想 保坂俊司
日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票 小林英夫
軍事学入門 別宮暖朗
三島由紀夫の神話 酒井角三郎 

タリバン 田中宇
甦るヴェイユ 吉本隆明 

マルクスと歴史の現実 廣松渉
「今こそマルクスを読み返す」「マルクスの根本思想は何であったか」と並ぶ、廣松90年代三部作・・・つまりソ連崩壊後のポスト『マルクス主義』の時代に書かれた著作。
1850年の共産主義者同盟中央委員会の「回状」をめぐる『永続革命論』が重要なキーとなって本書は進む。
そもそも、こんな時代のバリケード革命の頃の「戦術」が未だ信奉されているところにダメさがあると思ったのは自分だけか。ちなみに日本共産党が未だに全選挙区で泡沫であったとしても候補者を出すのは、このときの戦術が未だ続いているからである。行動原理としての「マルクス主義」の時代は完全に終わっていると、廣松渉がギリギリのところでつぶやいているような書物。代案が必要である。預言者としてのマルクスの意味は全く色褪せてはいないし、方法論は現在も避けて通れないのならば。
「たとえマルクスのあげた事実や理論付けが現在いわれているものよりいっそう多くの欠点をもつものであったとしても、マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊するということを主張するにとどまるかぎり、なおその結論は真理たるを失わないであろう。私はそう確信する。」
J.A.シュンペーター
「マルクスはわれわれに、歴史をただ眺めるのではなく見通すことを教えてくれた(中略)
それこそが、フロイトやプラントの名と同様にマルクスの名がコンテンポラリーであり続けていることの理由である。これまで受けてきた根拠のない崇拝に関わらず、マルクスは確かに無謬ではない。というよりも彼は、彼の発見した社会思想の大陸に消しきれぬ足跡をしるした大探検家、すなわち避けて通れぬ人物と考えるべきだろう。」
ロバート.L.ハイルブローナー
つづく
まるでアフィリエイトサイトみたいでスミマセン。
一応個人的な記録のためにやってます。。。
ちなみにこんな作業をやれるのは、風邪ひいて外出一歩もしてない環境だからこそ

市民と武装 ―アメリカ合衆国における戦争と銃規制 小熊英二
浪人の王者頭山満 杉森久英
シュンペーター 根井雅弘
二・二六事件とその時代―昭和期日本の構造 筒井清忠
マルクスと歴史の現実 廣松渉 


日本プラモデル興亡史 井田博
大川周明 松本健一
宗教の経済思想 保坂俊司
日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票 小林英夫
軍事学入門 別宮暖朗
三島由紀夫の神話 酒井角三郎 

タリバン 田中宇
甦るヴェイユ 吉本隆明 

マルクスと歴史の現実 廣松渉「今こそマルクスを読み返す」「マルクスの根本思想は何であったか」と並ぶ、廣松90年代三部作・・・つまりソ連崩壊後のポスト『マルクス主義』の時代に書かれた著作。
1850年の共産主義者同盟中央委員会の「回状」をめぐる『永続革命論』が重要なキーとなって本書は進む。
そもそも、こんな時代のバリケード革命の頃の「戦術」が未だ信奉されているところにダメさがあると思ったのは自分だけか。ちなみに日本共産党が未だに全選挙区で泡沫であったとしても候補者を出すのは、このときの戦術が未だ続いているからである。行動原理としての「マルクス主義」の時代は完全に終わっていると、廣松渉がギリギリのところでつぶやいているような書物。代案が必要である。預言者としてのマルクスの意味は全く色褪せてはいないし、方法論は現在も避けて通れないのならば。
「たとえマルクスのあげた事実や理論付けが現在いわれているものよりいっそう多くの欠点をもつものであったとしても、マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊するということを主張するにとどまるかぎり、なおその結論は真理たるを失わないであろう。私はそう確信する。」
J.A.シュンペーター
「マルクスはわれわれに、歴史をただ眺めるのではなく見通すことを教えてくれた(中略)
それこそが、フロイトやプラントの名と同様にマルクスの名がコンテンポラリーであり続けていることの理由である。これまで受けてきた根拠のない崇拝に関わらず、マルクスは確かに無謬ではない。というよりも彼は、彼の発見した社会思想の大陸に消しきれぬ足跡をしるした大探検家、すなわち避けて通れぬ人物と考えるべきだろう。」
ロバート.L.ハイルブローナー
つづく
[ 19:04 ]
[ 書評 ]
このエントリー久々。
前回のが去年の11月までだったので、完全に一年ぶり。 この一年で、自分の読書体験に関わる最大の出来事は、かなり巨大な本棚がひとつ壊れたこと。スライドのところが壊れました。たぶんでかい地震一発で崩壊するでしょう。
安い本棚はダメだ。
まとめて全部一年分の記録を書こうとして、ひとつひとつアフィのリンクをつけていったら、ドブログくんに「コメントが長すぎます!」と怒られましたので、以下、一年間をいくつかにわけて。
世界を不幸にしたグローバリズムの正体 ジョセフ・E・スティグリッツ 
闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン 廣瀬 純 


WTO―世界貿易のゆくえと日本の選択 村上直久
ルーカス帝国の興亡 ゲリー・ジェンキンズ
昭和天皇独白録 寺崎英成
昭和天皇伝説―たった一人のたたかい 松本健一 
レイテ戦記(上中下) 大岡昇平
昭和経済史
美は乱調にあり 瀬戸内晴美
キメラ―満洲国の肖像 山室信一 
「闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン」
ラテンアメリカの政治的なさまざまな動きをキャッチアップするのに大変勉強になった。
新自由主義経済に翻弄されつつ、新しい社会主義的な試みを重ねるラテンアメリカの政治的な流れの下には、旧来の国家主権による富の再配分というこれまでとは変わらぬスタイルの権力システムの確立という罠が潜んでいること。オルターネイティブな選択は、そことバランスをとりながらも、ひとりひとりが「自立(オートノミア)」して、政治を政治家から取り戻さねばならない。だから、ドゥルーズの言葉を思い出そう、
「人々が望みえるのは、せいぜい、いくつかの左翼的な要求や抗議に対して好意的な政権というものであって、左翼政権なんてものはないんだ。そんなものは存在しない。左翼っていうものは政権とは何の関係もないものなんだから。」
この書については、チャベスについてのエントリーで後から触れていく。
昭和天皇独白録 寺崎英成
昭和天皇伝説―たった一人のたたかい 松本健一
明治からの天皇制は、天皇が政治的な「決定者」であるのかを巡って左右に振れる。それは、天皇機関説の不敬を声高く唱えるものが、もっとも天皇を意思なき存在として神格化の中に閉じ込め、天皇機関説を信奉しすぎたものは今度は天皇の声により討伐の対象となる。
北一輝や三島由紀夫の天皇像と、さらには歴史の中を脈々と流れる天皇家の認識をもち、クーデターや裕仁天皇自身の「天皇像」。3つが入り乱れて、隠された構造があぶりだされる。松本健一は、それをいつも「おそろしいこと」として受け取る。
物語を受け取りながら、天皇制の意味がさまざまな角度を検証する試みである。
レイテ戦記(上中下) 大岡昇平
これについては、コチラにて。
キメラ―満洲国の肖像 山室信一
満州国について知るならこの一冊。
民族協和・安居楽業・王道楽土という理想国家を目指したとされる満州国は、その実際のところ、民族差別・強制収奪・兵営国家が正体に過ぎなかった。
経済的な利害関係と中国ナショナリズムの嵐に吹きまくられて、「満州は漢民族のものではない」という口実を嘯きながら、ほとんど中国人と同化してしまった「満州民族」を最後まであてにすることはなく、結局は漢民族が大多数となる複合民族の国家の体裁を作らざるを得なかった。(たとえば、北海道はもともと日本民族のものではない!と戦後のどさくさにソ連が北海道を占領して独立するようなものだよね)
つづく
前回のが去年の11月までだったので、完全に一年ぶり。 この一年で、自分の読書体験に関わる最大の出来事は、かなり巨大な本棚がひとつ壊れたこと。スライドのところが壊れました。たぶんでかい地震一発で崩壊するでしょう。
安い本棚はダメだ。
まとめて全部一年分の記録を書こうとして、ひとつひとつアフィのリンクをつけていったら、ドブログくんに「コメントが長すぎます!」と怒られましたので、以下、一年間をいくつかにわけて。
世界を不幸にしたグローバリズムの正体 ジョセフ・E・スティグリッツ 
闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン 廣瀬 純 


WTO―世界貿易のゆくえと日本の選択 村上直久
ルーカス帝国の興亡 ゲリー・ジェンキンズ
昭和天皇独白録 寺崎英成
昭和天皇伝説―たった一人のたたかい 松本健一 
レイテ戦記(上中下) 大岡昇平
昭和経済史
美は乱調にあり 瀬戸内晴美
キメラ―満洲国の肖像 山室信一 
「闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン」ラテンアメリカの政治的なさまざまな動きをキャッチアップするのに大変勉強になった。
新自由主義経済に翻弄されつつ、新しい社会主義的な試みを重ねるラテンアメリカの政治的な流れの下には、旧来の国家主権による富の再配分というこれまでとは変わらぬスタイルの権力システムの確立という罠が潜んでいること。オルターネイティブな選択は、そことバランスをとりながらも、ひとりひとりが「自立(オートノミア)」して、政治を政治家から取り戻さねばならない。だから、ドゥルーズの言葉を思い出そう、
「人々が望みえるのは、せいぜい、いくつかの左翼的な要求や抗議に対して好意的な政権というものであって、左翼政権なんてものはないんだ。そんなものは存在しない。左翼っていうものは政権とは何の関係もないものなんだから。」
この書については、チャベスについてのエントリーで後から触れていく。
昭和天皇独白録 寺崎英成
昭和天皇伝説―たった一人のたたかい 松本健一明治からの天皇制は、天皇が政治的な「決定者」であるのかを巡って左右に振れる。それは、天皇機関説の不敬を声高く唱えるものが、もっとも天皇を意思なき存在として神格化の中に閉じ込め、天皇機関説を信奉しすぎたものは今度は天皇の声により討伐の対象となる。
北一輝や三島由紀夫の天皇像と、さらには歴史の中を脈々と流れる天皇家の認識をもち、クーデターや裕仁天皇自身の「天皇像」。3つが入り乱れて、隠された構造があぶりだされる。松本健一は、それをいつも「おそろしいこと」として受け取る。
物語を受け取りながら、天皇制の意味がさまざまな角度を検証する試みである。
レイテ戦記(上中下) 大岡昇平これについては、コチラにて。
キメラ―満洲国の肖像 山室信一満州国について知るならこの一冊。
民族協和・安居楽業・王道楽土という理想国家を目指したとされる満州国は、その実際のところ、民族差別・強制収奪・兵営国家が正体に過ぎなかった。
経済的な利害関係と中国ナショナリズムの嵐に吹きまくられて、「満州は漢民族のものではない」という口実を嘯きながら、ほとんど中国人と同化してしまった「満州民族」を最後まであてにすることはなく、結局は漢民族が大多数となる複合民族の国家の体裁を作らざるを得なかった。(たとえば、北海道はもともと日本民族のものではない!と戦後のどさくさにソ連が北海道を占領して独立するようなものだよね)
つづく
2007/10/10のBlog
[ 00:55 ]
[ なんとなく社会時評 ]
オレは決してゲバラ厨ではないのであるが、ひとつだけ。
以下の記事にはエピソードの前段と後段が省略されている件。
ゲバラ:被爆地・広島を夜行列車でゲリラ的訪問 訪日時
キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが訪日団の団長として59年に来日し、広島をゲリラ的に訪問した際、副団長と2人で大阪から夜行列車に飛び乗ったことが9日、分かった。副団長だったオマル・フェルナンデスさん(76)が明らかにした。フェルナンデスさんは「チェは被爆地・広島訪問を熱望し、私と2人で大阪のホテルをこっそり抜け出し、夜行列車で広島に行ったんだ」と振り返った。
ゲバラは59年1月の革命後、同年6月から3カ月間、アジア・アフリカを歴訪した。訪日団長が当時31歳のゲバラで、副団長を2歳年下のフェルナンデスさんが務めた。7月中旬に来日、10日間滞在し、自動車工場などを視察した。
フェルナンデスさんによると、アルゼンチン出身の医師であるゲバラは、予定になかった広島の被爆地訪問を強く希望したが、日本政府の許可が出なかったという。業を煮やしたゲバラは大阪のホテルに滞在中、「ホテルを抜け出して広島に行くぞ」と決断。オリーブグリーンの軍服姿で大阪駅で切符を買い2人で夜行列車に飛び乗った。
「被爆者が入院する病院など広島のさまざまな場所を案内され、私同様、チェも本当にショックを受けていた」とフェルナンデスさん。帰国報告の際にゲバラは、フィデル・カストロ国家評議会議長(当時は首相)に「日本に行く機会があれば、必ず広島に行くべきだよ」と強く勧めたという。カストロ議長は03年3月に広島を訪問。フェルナンデスさんは「フィデルはチェとの約束を守ってくれた」と感激した。
フェルナンデスさんがゲバラに初めて会ったのは59年1月の革命直後。「外国人としてキューバ革命に参加したチェを私は知り合う前から尊敬していた」と話す。ゲバラが工業相を務めたときには、フェルナンデスさんが副工業相の一人に任命されるなど信頼を得た。しかし、ゲバラが39歳で命を落としたボリビアでのゲリラ闘争には誘われなかった。「一緒にボリビアに行けなかったのが少し悔しい」。フェルナンデスさんは寂しそうな顔をした。
チェ・ゲバラが来日したのは1959年で、革命成立後。キューバ通商使節団として来日したのは、苦境に陥っていたキューバの経済のために移動大使として、日本政府やトヨタやソニーなどの大手企業を訪れキューバとの貿易や投資を求めにきたのだった。
その後に工業相になったゲバラだったが、どちらかというと経済政策やらが必ずしも得意ではなかったようで、いつも工場にいっては、そんなことをやる立場でもないのに、サトウキビ畑でトラクターを自分で運転したり、自ら砂糖袋を担いだりした。
そんなゲバラらしい広島行きだが、次の省略されたエピソードはさらにゲバラらしい。
来日したゲバラは、大使館スタッフから、東京で無名兵士の墓の詣でる予定が決まっていることを告げられる。「しかし、日本の無名兵士とはアジアで多数の人々を殺した兵士のことではないか。そんなとこへ行くわけにはいかない」とゲバラは拒否し、逆に、予定にはなかった広島行きを実現させた。「米国にこんな目にあっておきながら、あなたたちはなお米国の言いなりになるのか」と、ゲバラは案内役の日本人に尋ねたという。
ゲバラを脱神話化する
無名兵士の墓とはあそこのことなんだろうなあ。。。
"GUERRILLERO HEROICO(ゲリラの英雄) "と名づけられたチェ・ゲバラの、あの有名な肖像は、イタリア人が最初にポスターとして出版したものだ。
ネガをもつ写真家は、この肖像からお金を取るつもりはないとのことである。彼の意思を継ぎ、平和目的に使うものであれば、との条件つきである。
ゲバラのイコンが溢れる日本で、彼の革命の夢はどのように理解されるべきなのか?
エピソードのゲバラの来日の翌年、アメリカによる経済封鎖が始まり、そして続いてキューバ危機。アメリカとのチキンレースに勝ち残った後、今度はゲバラはソ連の「社会主義国による帝国主義の共犯行為」をアルジェリアにて批判。
それをきっかけにカストロと袂を分かち、そしてコンゴへ、さらにボリビアへと旅立つ。
ちなみに、チェは日本についてキューバと比較して次のように言っていたことを最後に追記。
「日本人と同じように、われわれもほとんど何ももっていない。石油もない。あっとしてもほんのわずかだ。鉄鋼も石炭も産出しない。日本には米があり、キューバにはサトウキビがある。しかし日本人はわれわれがサトウキビから得られるものよりたくさんのものを米から得ている。国を発展させるために、我々はもっと頭を使わなければならない。」
チェ・ゲバラ -革命を生きる-
以下の記事にはエピソードの前段と後段が省略されている件。
ゲバラ:被爆地・広島を夜行列車でゲリラ的訪問 訪日時キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが訪日団の団長として59年に来日し、広島をゲリラ的に訪問した際、副団長と2人で大阪から夜行列車に飛び乗ったことが9日、分かった。副団長だったオマル・フェルナンデスさん(76)が明らかにした。フェルナンデスさんは「チェは被爆地・広島訪問を熱望し、私と2人で大阪のホテルをこっそり抜け出し、夜行列車で広島に行ったんだ」と振り返った。
ゲバラは59年1月の革命後、同年6月から3カ月間、アジア・アフリカを歴訪した。訪日団長が当時31歳のゲバラで、副団長を2歳年下のフェルナンデスさんが務めた。7月中旬に来日、10日間滞在し、自動車工場などを視察した。
フェルナンデスさんによると、アルゼンチン出身の医師であるゲバラは、予定になかった広島の被爆地訪問を強く希望したが、日本政府の許可が出なかったという。業を煮やしたゲバラは大阪のホテルに滞在中、「ホテルを抜け出して広島に行くぞ」と決断。オリーブグリーンの軍服姿で大阪駅で切符を買い2人で夜行列車に飛び乗った。
「被爆者が入院する病院など広島のさまざまな場所を案内され、私同様、チェも本当にショックを受けていた」とフェルナンデスさん。帰国報告の際にゲバラは、フィデル・カストロ国家評議会議長(当時は首相)に「日本に行く機会があれば、必ず広島に行くべきだよ」と強く勧めたという。カストロ議長は03年3月に広島を訪問。フェルナンデスさんは「フィデルはチェとの約束を守ってくれた」と感激した。
フェルナンデスさんがゲバラに初めて会ったのは59年1月の革命直後。「外国人としてキューバ革命に参加したチェを私は知り合う前から尊敬していた」と話す。ゲバラが工業相を務めたときには、フェルナンデスさんが副工業相の一人に任命されるなど信頼を得た。しかし、ゲバラが39歳で命を落としたボリビアでのゲリラ闘争には誘われなかった。「一緒にボリビアに行けなかったのが少し悔しい」。フェルナンデスさんは寂しそうな顔をした。
チェ・ゲバラが来日したのは1959年で、革命成立後。キューバ通商使節団として来日したのは、苦境に陥っていたキューバの経済のために移動大使として、日本政府やトヨタやソニーなどの大手企業を訪れキューバとの貿易や投資を求めにきたのだった。
その後に工業相になったゲバラだったが、どちらかというと経済政策やらが必ずしも得意ではなかったようで、いつも工場にいっては、そんなことをやる立場でもないのに、サトウキビ畑でトラクターを自分で運転したり、自ら砂糖袋を担いだりした。
そんなゲバラらしい広島行きだが、次の省略されたエピソードはさらにゲバラらしい。
来日したゲバラは、大使館スタッフから、東京で無名兵士の墓の詣でる予定が決まっていることを告げられる。「しかし、日本の無名兵士とはアジアで多数の人々を殺した兵士のことではないか。そんなとこへ行くわけにはいかない」とゲバラは拒否し、逆に、予定にはなかった広島行きを実現させた。「米国にこんな目にあっておきながら、あなたたちはなお米国の言いなりになるのか」と、ゲバラは案内役の日本人に尋ねたという。
ゲバラを脱神話化する無名兵士の墓とはあそこのことなんだろうなあ。。。
"GUERRILLERO HEROICO(ゲリラの英雄) "と名づけられたチェ・ゲバラの、あの有名な肖像は、イタリア人が最初にポスターとして出版したものだ。
ネガをもつ写真家は、この肖像からお金を取るつもりはないとのことである。彼の意思を継ぎ、平和目的に使うものであれば、との条件つきである。
ゲバラのイコンが溢れる日本で、彼の革命の夢はどのように理解されるべきなのか?
エピソードのゲバラの来日の翌年、アメリカによる経済封鎖が始まり、そして続いてキューバ危機。アメリカとのチキンレースに勝ち残った後、今度はゲバラはソ連の「社会主義国による帝国主義の共犯行為」をアルジェリアにて批判。
それをきっかけにカストロと袂を分かち、そしてコンゴへ、さらにボリビアへと旅立つ。
ちなみに、チェは日本についてキューバと比較して次のように言っていたことを最後に追記。
「日本人と同じように、われわれもほとんど何ももっていない。石油もない。あっとしてもほんのわずかだ。鉄鋼も石炭も産出しない。日本には米があり、キューバにはサトウキビがある。しかし日本人はわれわれがサトウキビから得られるものよりたくさんのものを米から得ている。国を発展させるために、我々はもっと頭を使わなければならない。」
チェ・ゲバラ -革命を生きる-2007/09/29のBlog
[ 04:46 ]
[ FWF ゴールドディスク ]
"New Glass" Albert Ayler数年前にタマちゃんとかいうアザラシが世の中の話題に上っていたときがあった。
そのアザラシは東京湾の至るところに姿を現した。しかも、どういうわけか鶴見川とか帷子川とか決してきれいとはいえないばかりか、人間だって大腸菌を恐れて手にさわるようなことはないだろうところばかりにひょっこりと顔を現す。
そのうちのひとつ大岡川の一帯は、実はゲットー的な淫猥さをもつ地域であり、水商売と風俗の日本人と浮浪者やらタイ人やコロンビアから来たビヤッチや近くのコリアンが入り乱れているような場所でもある。
そんなところに現れたアザラシというのも、それだけでシュールなカンジもするのだが、それでも物珍しさと一種独特な哀れさが話題になり、ひとときはずいぶん「人気」があったものだ。
人気に便乗したバカな役人が、住民票をこの動物に与えたりもしていた。けれど、そのニュースが伝わるやいなや、住民票請求の運動を行っている在日外国人の連中が「アザラシに住民票やるって、おれらはアザラシ以下かよ!」と反応していたのは、これまたひたすらマンガのように不条理な光景でもあった。
コリアンをはじめとする在日外国人登録者数が抜群に多い地域でそれやっちゃ、そりゃ、あんた場所が悪いよとしかいいようもないだろう。
その頃自分は、その川のほとりのマンションに住んでいた。
春になると、桜の並木が満開の花をつけて川沿いに咲く。満開の桜の並木はそれは見事なものだ。黒い川の水の上に桜の花びらがいくつも散って、ゆっくりとゆっくりと桜木町のほうへと動いていく。そんな光景がたまらなく好きだった。
毎日毎日そのアザラシが現れるポイントには、黒山の人だかりで、例のタマちゃんを思う会・・・だったっけ・・・・やらが、いつ何時何があってもこのかわいい動物を守る!というような表情で定期的に川をチェックしていたそうだ。
子供づれやら、ヒマなおばさん連中から
「こんな汚いところにいて可哀想ねー」
などと話すのが聞こえる。
けれど、その川沿いには、浮浪者がテントをつくって生活していた。
浮浪者は、もっと悲惨で汚い生活をしてるのだが、こちらの方は自業自得ということなのだろうか。
たまたま横浜で飲んでいて、朝方にちょっと思いついてこのへんを歩いてみることにした。
カラスがゴミをつつき、浮浪者は上ってきた太陽の光に照らされながら川沿いにいつものように転がっている。新聞紙にくるまった背中がやたら大きく見えるのは、何故だか不思議なものだ。
勤めの終わったタイ人や、夜中とはまるで違う顔をしているマッサージを売る中国人の女のコとすれ違い、帰り支度のGジャンに着替えたグラマラスなコロンビアのビヤッチが大声で笑うのが路地から聞こえる。
当時だったら人気があったジャニーズJrかモーニング娘の新メンバーのように、親心をくすぐり、世の関心を集める人気者のあざらしが、こんな町に来たというのはどういうめぐり合わせか?
そんな皮肉に思いを巡らし、水面を汚れた手すり越しに除いてみると、カラスが川岸のゴミをつついているのが見えた。
マッサージの中国人の女のコや浮浪者やタイ食料品店のあんちゃんやガード下の赤線のフィリピン人や用心棒の小僧や伊勢佐木モールのホストやそれをおっかけてる中学生の不良娘や日雇いのおっさんや在日のヤクザや立ちんぼのおばさんやらは皆、アザラシと同じに、あそこになんとなく迷い込んだのだろう。もちろん彼らは、アザラシ以上にもっとうまく立ち回らなければならない。
カラスが加えているのは小さな魚に見えた。
あれが、タマちゃんとかいうアザラシに与えられたエサだったら愉快だな、と思ったそのの瞬間、不法投棄されたボートの向こうでボラが一匹水面から跳ねた。
夜と昼がいくつも通り過ぎていく
いくつも通り過ぎていくけれど
愛は決して変わることはない
夜と昼がいくつも通り過ぎていくけれど
愛はいつでも勝つ
New Ghosts(新しい聖霊)アルバート・アイラーのNew Glassは、1968年の作品。
コルトレーンをも驚嘆させたというバリバリのフリージャズのテナー奏者であったが、この人の音楽が特殊だったのは、まるで失語症患者の頭蓋の中でうごめく潜在意識のようなフリージャズの迫力とはひとつ隔てたところで、いつでも「愛」を語っていたところだ。
つまり、フリーなのに否定ではない。あれだれのブローイングなのに、旋律はいつでも悲しく、そしてフォークロアのような残酷の中に優しさがあり、アルバムを聴き終えてみれば、その結論は「肯定」だ。
「ゴースト」という曲については一度書いた。
このアルバムは、当時の用語で「電化」といわれたエレクトリックの楽器を導入してR&B風味に仕立てたものだ。よって、ジャズ的にはあくまでも外道なものなのだけれども、自分はとても好きな一枚だ。
アイラーは1970年、ニューヨークのイースト・リバーで水死体となって発見された。死因はわからない。
ニューヨークはしばらくいたことがある街で、イースト・リバーが河というより大きすぎる運河みたいなところだし、流れる水はこんな都会なのに冷たく透明なのは後から知った。
それを知るまで、きっと大岡川みたいなところでアイラーは浮かんでいたのではないかと思っていた。
結局、あの迷い込んだアザラシはどこに行ったのだろう、と今思う。
◇FWFゴールドディスク
〔MGD001〕"Live at Birdland" John Coltrane
〔MGD002〕"ギル・エヴァンスの個性と発展" Gil Evans
〔MGD003〕"Who is this bitch, anyway?" Marlena Shaw
〔MGD004〕"太陽と戦慄" King Crimson
〔MGD005〕"Second Edition (Metal Box)" Public Image limited
〔MGD006〕 "Hallucination Engine" Material
〔MGD007〕"On Love" David T. Walker
〔MGD008〕"Beggars Banquet" The Rolling Stones
〔MGD009〕"稲村ジェーン" サザンオールスターズ
〔MGD010〕"Chapter one:Latin America" Gato Barbieri
〔MGD011〕"New Glass" Albert Ayler
〔MGD012〕"Somewhere before" Keith Jarrett Trio
◇無人島レコード